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2007年06月27日

 ■ 雪の起源 The Origin of Snow (翻訳)

The Origin of Snow
(A Story of the Flat Earth)
Tanith Lee

雪の起源
(平らな地球シリーズ)
タニス・リー

 夜半の砂漠に騎馬を駆る者たちがあった。一人は北から、一人は南から、一人は西から。北から来た男は純白の肌に金色の衣を纏い、三十人の楽師と僧侶を従えていた。南から来た男は煙色の肌に緋色の衣を纏い、背後には、鋼で歯を鎧った五十人の男が続いている。西から来た男は黒い肌、銀の衣を纏っていた。その後ろに続く者は人ではなく、偉大な猫のようだったが、それらもまた楽器と武器とを携えていた。
 遥か彼方には山が連なり、遥か頭上には星が満ちる。
 三人の騎手がそこで出会った。
「我らは同じ理由でここに来たのではないかな?」
 彼らの誰が言ったのであろうか――三人ともが、であった。それぞれが異なる言語で。しかし三人ともが学者であったので、互いが互いを理解しあえた。
 そして彼らは空を見上げた。
「あそこから?」白と金の者が問うた。
「あそこからに違いあるまい。神の国からだ」煙と緋の者が公言した。
 一方、黒と銀の者は、鋭い視線を向け、付け加えた。「ところで、あれは何者だ? 東からやって来る者は?」
 東から来た男は、馬にも乗らず歩んでいた。にもかかわらず、一足ごとに半マイル以上を踏破しているかに見える。人も、物も、従者たる者は何一つなく、ただ、夜そのものがそれであった。青ざめた肌に漆黒の髪。衣は黒く、見事な外套は嵐のようにはためくが、辺りには風一つ吹いてはおらぬ。彼の美しさは不合理ですらあった。
 男らは、彼のことは知らなかった。しかし賢明であったので、彼の種族のことは心得ていた。
「妖魔だ」
「疑う余地もない。奴はヴァズドルーの城から来たのだ」
「用心しなければ」
「挨拶を」彼らは言った。
 ヴァズドルーは彼らを見上げて立った。三人の誰も、このような者に見上げられたことは一度たりともなかった。下の地面に立っていながら、その実、こちらを見下しているとしか思えない、このような者に。
 やがて彼は言った。
「汝ら三たりの旅は、地底の天井をいくらか騒がせておる」
「どういうことございましょう」黒と銀が言った。「私どもには、あなたや、ドルーヒム・ヴァナーシュタの都に住むあなたの民を、お騒がせするつもりなどありませぬ」
「しかし我らはここにおらねば」白と金が言った。「降臨の場に立ち会うために。新しい神――か、でなければ少なくとも、力ある魔法使いか、そういうものの」
「でもなければ、神聖なる予言者か」煙と緋が言った。
「降臨は予言されたのです」彼らは言った。「その者は上天から、星のように降って来ると」
 そのヴァズドルー、すなわち、当時はまだ妖魔の王ではなかったアズュラーンは、優しく笑った。かつて地上に存在したためしがなかった、これほど素晴らしい音楽は……あるいは、これほど鋭く尖った刃は。

「神も魔術師も、予言者も降りはせぬ。神は己自身に付きっきりだ」
「麗しき人よ。我々の研究によりますと、星座の動きが、お言葉とは少々違うことを示しておるのです。今夜、素晴らしい奇跡が起こると」
「星は動かぬ」アズュラーンは言った。「あれらはダイアモンドの如く釣り下がっているだけだ。天空の根から」
 不安に駆られて、三人の騎手たちは互いに視線を交わした。
 ついには黒と銀が言った。「それでは、我々は少々早く来すぎたのでしょう。恐らく上天からの贈り物は、いつか違う時代にもたらされる予定になっておるのです」
「もし左様なら」アズュラーンが言った。「その時地球は、もはや平らかではあるまい。今そうであるようにはな。そして神も他の何者かになっておろう。今の奴ばらは、人類には何の興味も持っておらぬゆえ。時折、汝らに苛立たされることを除いては」
 三人の騎手が失望と不安な沈黙に顔をしかめた時、妖魔の姿は消えていた。ぼんやりとした砂の渦の他には、北にも、南にも、西にも東にも、三人の賢者が話しかけるべき者は何一つ存在しなかった。

 単なる公子たちの一人に過ぎなかったアズュラーンは、砂漠の岩の上に一人留まり、山を睨んで熟考していた。
 彼は彼方へ跳躍し、そして次の瞬間、最果ての岩山の最も高い頂きに立っていた。そこには洞窟が口を開いており、中では闇が、揺らめくエメラルド色の炎に灼かれていた。
「誰だ?」アズュラーンがねぐらに近づくと、竜が誰何した。「まあどうでもいいか」竜は親切にも問いを投げ出した。「お前は世界一魅惑的な生き物だな。お前の生肉で夕食をエンジョイしたいぜ」
 剣のような突起で覆われた下あごが裂けた。アズュラーンは僅かに微笑んで立ち、竜が立ち上がるなり、嘲笑った。
「やめておくがよい。予は汝の餌ではない」
 竜は一顧だにしなかった。背中の翼を羽ばたかせ、炎をばらまき、噛みつき引き裂き、そして何の戦果も得なかった。そしてついには、アズュラーンの一撃が竜の頭を打ち付けた。
 竜は崩れ落ち、茫然とした。苦痛というよりむしろ、その一撃は法悦で……
「さ」アズュラーンは言った。「予を上天へ運ぶのだ」
 竜は鼻を鳴らし、自信を取り戻した。「お前がいくらグラマーで魔法使いでも、俺はそんなことしないぜ」
「我が力の幾ばくかは見たであろう。やるのだ。さすれば報酬もやろう」
「なに? 何をくれるっていうんだ?」
「働きぶり次第の歩合給だ」

 夜の空を飛び抜けて、登る三日月を横切り過ぎる。月は雲間に視線を逸らした。星明かりの園を往けば、竜の翼が起こす風に吹かれて星々が揺らめき、数々の天文学的予言が地上にもたらされた。
 不可視にして非現実たる天上の門をくぐり抜け、神の国を彼らは飛んだ。
 地底と平らな地球には夜があれど、上天は常に朝である。冷たく光を放つ青、磨き上げられた空虚な大地、そこでは山もまた淡く輝き、ダイアモンドの霜に覆われる。遥か遠い過去たるこの時代、上天には奇妙な林が存在した。まばらだが巨大な、銀と金でできた木々。枝葉には狂える精霊が腰を下ろす。神々は彼女らを愛の玩具として置いているのだ(顧みたためしはなかったが)。
 精霊の娘たちは、アズュラーンに僅かな興味を示し、竜には多大なる興味を抱いた。と、竜が飛び降りる。
「ここには俺を惹きつける磁力的な重力パワーがあるぞ、参ったな! この先はお前一人で行くしかないね」

 アズュラーンには精霊の重力など意味を成さなかった。竜は林の中に置いていった。蒸気の精と空気の精が喘ぎながら擦り寄ってくる中に。
 上天の平原を彼は歩んだ。
 ある場所には硝子の井戸があった。中はヘドロに似たもので充ち満ちていた。三人の護衛兵が音もなく椅子の上で眠っている。彼はそんな些事には目もくれなかった。(実は、不死の井戸のことは、彼は後で知ったのだ)
 それはさておき、ドゥルーヒム・ヴァナーシュタの上を疾走する馬の蹄の音を聞いた瞬間から、今夜が幾ばくかの奇妙な出来事を孕んでいるものと、アズュラーンは悟っていた。
 好奇心旺盛で、先見の明があり、残忍でもある彼は、神の宮殿へと辿り着いた。宮殿を支える水晶の柱は、さながら太陽から降り注ぐ光がそのまま結晶化したかのようであった。
 宮殿では、一人の神が琥珀の中を優雅に飛び回っていた。
 その琥珀とは、神々が放った神々しき超知性の結晶であった。神はそれらの間を飛び回り、愚かにも自分自身でそれらを吸収していた。神々はかつて人を創り、やがて興味を失った。しかし妖魔は神々が創ったものではない。妖魔は、驚くべきことに神々同様、自分自身を創ったのである。妖魔と人を見比べれば、妖魔の造形技術は神々より遥かに優れていたと言えよう。

 アズュラーンは光水晶の柱に触れた。柱はおののきこそすれ、道を空けようとはしなかった。しかし神の視線をこちらへ向けるには充分だった。
 神の透明な肌と鏡のような目の中に、すみれ色の膿漿がぼんやりと見えた。彼(または彼女)の美しさは完璧だった。が、ある意味では、率直に言うなら、吐き気すら催させた。
「何が望みだ?」
 神々は決して喋らない。その代わり、神々は「何か」をするのである。その「何か」が言語に等しいのだと考えざるを得まい。事実、この物語は時折、彼らのおしゃべりに満たされるのだから。
 アズュラーンは問いを受けて言った。「何かここで創られた料理があろう。人類がその臭いを嗅ぎつけておる。それは何だ?」
「何でもない。何でもないのだ」神は言った。
 彼が、彼女が、いや「それ」が、(彼らの性別を知りうるのは、神々自身のみだ)アズュラーンの言葉を否定したのだ。神ともあろうものが、事実でないことを否定したりするはずがない。
 アズュラーンは駆けた。平原を飛び越え疾走した。離宮を、庭園を、目にも見えぬ速さで飛び抜けた。あちこちで思考に耽る、名状し難くそして馬鹿げた神という名のがらくたどもになど、目もくれず。
 辿り着いたのは開けた四角い土地だった(もしそれが土地と呼べるなら)。地球の現在・過去・未来いずれにも存在しないような色で、その土地は満たされていた。その場所で、神の一団が長い長い羊皮紙の書物を紐解いている。そして見るも恐ろしい、しかし幸いにも言葉では言い表せないような物体の口に、紐解いたそれを餌としてやっているのだった。その物体は動物のようであり、機械のようでもあり、野菜のようですらあった。周りで何が起ころうとも、その物体は羊皮紙を食べ、飲み下していた。
 アズュラーンは殊更に質問などしなかった。そこには香りがあった。砂漠の三賢者が嗅ぎつけた、炎の如き芳香が。彼は一瞬にして、そこにあるものの正体を悟った。
 その終わりのない巻物は、運命の書なのである。まだ人間に読めるような言葉には翻訳されていなかったが(後の物語においては、《運命》は人のような姿となり、ケシュメトと呼ばれている。闇の君の一人である)。不完全で整頓もされていないといはいえ、その中に多くの予言が孕まれているのは明白であった。起こるべきこと、起こるであろうことの全てが、予定表となって記されているのである。
 アズュラーンは身を乗り出して、運命の書を盗み見た。ふと、恐るべき一文が目に留まった。人間には解読できぬ文字の一文。すなわち――「いつかこの平らな地球は丸くなるであろう」
 この時代の神はまだまだ幼く、何事にも完全に無関心であるとは言えなかったので、運命を読むアズュラーンの視線を妨害した。
「人類の鼻の効くことは全く犬のようじゃ。砂漠の三人の厄介者め。人類というゴキブリどもは、運命を読んでもろくなことを学ぶまい。かような予言は隠しておかねば」声もなく彼らは喚いた。

 そして彼、アズュラーンもまた、当時はまだ妖魔の王などではなく数ある公子たちの一人に過ぎなかった。幼かったのである。手を差し伸べ運命の書をもぎ取らずにいられようか。
 手にとって見てみると、巻物に記された文字は、その一つ一つが全て異なる形を――
 と、運命の書が炎の臭いを放ち、容赦なく彼を灼いた。その熱たるや、この世で最も熱い白色の炎を掴むのにすら匹敵した。しかし彼はそれに耐えながら、書物をばらばらに引き裂いた。瞬間、力ある年長の神が激怒して彼を上天から追い出した。
 氷河の青がひび割れた。突如開けた裂け目を通して、アズュラーンは投げ落とされた。
 漆黒の星のように彼は落ちた。聖なる物の降臨を予言する星のように。それでも彼の手の中にはまだ、燃え燻る羊皮紙が握られている。
 ようやく平らな地球の大気圏まで落ちてくると、彼の左右に白い旋風が巻き起こった。
 ここまで来て初めて、アズュラーンは手を放し、ばらばらになった運命の書を旋風の中に撒き散らした。旋風に運ばれていく運命の書とは逆に、彼自身は体勢を立て直し宙に静止した。と、月にほど近い雲の島の上に、あの竜が降りてきた。自分からあの天国に留まったくせに、あんまりにも熱心に際限なく愛撫してくる可愛い空気の精に、うんざりしてしまったらしい。
 彼らは、運命の書の破片が地球に降り注ぐのを、一緒に見守った。
「神はあんたに天罰を下すぞ」竜が意見した。
「震えが来るよ」アズュラーンはだらりと言った。
「お前の手、焼けてるぞ」
「ならば、それが汝への報酬だ。予を彼の地へ運んだことの」とアズュラーンは言った。「妖魔の焼き肉を舐めてもよいぞ」
 竜はしかめっ面の恐ろしい額に皺を寄せた。それから当然、うっとりするような焼けこげを舐めた。

 下の砂漠では、三賢者が白い薄片の降り始めるのを目撃していた。
「あれはなんだ?」
「燃えているようだな」
「いや違う。冷たいぞ」
 世界の果ての山の頂上では、読むべからざる運命の白炎が、粉々に砕けてきらめく氷冠の上に積もった。また別の場所にも――森に、川に、あらゆる海岸、丘の上に、悲しみや笑いの涙のように輝きながら、それらは降り注いだ。
 一方、ある塔に四人目の賢者が住んでいた。彼は星を三賢者よりも注意深く分析した結果、自宅を離れるべきではないと予測したのだ。おかげで、降りしきる白片を一粒、指先で採取することができた。
 顕微鏡を使って彼はそれを調べた。そして別の一粒も。さらにもう一粒。その全てに驚くべき模様が描かれていた。どれ一つとして同じ物のない模様が。
 平らな地球あらゆる場所で、人類は窓や戸口に立ち尽くし、空を見上げていた。
「これはなんだろう? 星が降ってきたのかな? 燃えている……いや冷たいぞ……この物を、一体何と呼んだらいいだろう?」
 若きアズュラーンは雲の上で静かに見守りながら、降りしきる白き物を「砕かれし文字」と名付けた。
 塔の中では、四人目の賢者がその現象を「花」と名付けた。
 さる王のお気に入りの妻は、それを「白いパン」と呼んだ。しかしその王のお気に入りの奴隷は、少し趣の異なる、より粋な名前で呼んだ。
 あらゆる場所で、それに名前が付けられた。そして名前を得ることで、それは不朽のものとなる。言葉は魔法。昔も、今も。
 文字、星、花、パン、子種……いつの日か、運命の書に予言された丸い地球に住む我々は、読むべからざる文字を解読するだろう。そして雪片のアルファベットに秘められた、運命の法則を学び取るのだ。

Copyright 2001 Tanith Lee. All rights reserved.

※訳者注※
 この作品はタニス・リー先生の公式サイトで公開されている作品を木許慎が勝手に邦訳したものです。原文は下のURLを参照してください。
タニス・リー公式サイト http://www.tanithlee.com/
The Origin of Snow(原文) http://www.tanithlee.com/originofsnow.html

※用語解説※

アズュラーン:「平らな地球シリーズ」を通しての主人公。地底に住む妖魔たちの王だが、この作品中ではまだその位についていないようだ。また、5つの悪徳を象徴する5人の「闇の君」の一人でもあり、「闇の公子」と呼ばれる。

ヴァズドルー:地底に住む妖魔の貴族階級。いずれも美男美女ぞろいで、残忍かつ狡猾であると知られている。

ドルーヒム・ヴァナーシュタ:地底にある妖魔たちの都。

不死の井戸:飲むと不死を得る水を湛えた井戸。シリーズ第二作「死の王」でキーアイテムとして登場する。

ケシュメト:5人の「闇の君」の一人。《運命》を象徴する「宿命の王」。シリーズ第四作「熱夢の女王」に登場する。

投稿者 darkcrow : 2007年06月27日 01:41

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コメント

初めまして。きらびやかで読みやすい(浅羽さんになれているファンとしては)礼儀にかなった文章ですね。とても素敵でした。どうもありがとうございます。

投稿者 Xiaojie : 2007年09月03日 18:03

初めまして。きらびやかで読みやすい(浅羽さんになれているファンとしては)礼儀にかなった文章ですね。とても素敵でした。どうもありがとうございます。

投稿者 Xiaojie : 2007年09月03日 18:03

 感想ありがとうございました。
 浅羽訳の、ヨーロッパにありそうなものすごい大聖堂を思わせる、キラキラピカピカした、それでいてどことなくユーモラスな文体(なんじゃそら)を再現しようと、文庫引っ張り出して何度も読み返しながら挑みました。ファンの方に気に入っていただければ何よりの幸いです。(いや、「死の王」の訳も好きなんですけどね)

 と、書きながらふと思ったんですが、仮に「平らな地球」の新作が出て、それの巻末オマケあたりに「雪の起源」が収録されるとしても、もう本物の「浅羽訳」で読むことはできないのですよね……そう思うと一抹の寂しさがありますね。

投稿者 木許慎 : 2007年09月03日 21:18

タニス・リーBBSから跳んできました。
原文からここまで訳せるなんて、本当にうらやましいです。
お茶を飲みながら、ゆっくり楽しみました。
ありがとうございました。m(_ _)m

投稿者 Anonymous : 2007年09月11日 19:03

お返事送れて申し訳ありません。
ご感想ありがとうございました。楽しんでいただけたなら幸いです。

投稿者 木許慎 : 2007年09月14日 21:56

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