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2006年04月11日

 ■ ショートケーキの踵

 寝っ転がった拍子に、尻の下に何か敷いてしまった。
 俺は、テレビに映った大して面白くもないサングラスのおっさんに欠伸を垂れながら、尻の下にあるものを引っ張り出した。チカチカまぶしいテレビの映像に顔をしかめ、目線を逸らしながら、引っ張り出した物をまじまじと見つめる。
 それは、薄っぺらい、一枚の紙だった。大きさは、ちょうど映画のチケットくらいだろうか。淡いブルーの地に、黒い印刷が張り付いている。
「病院……の予約票?」
 俺は呆れかえった。どうせまた、妹だろう。女のくせに、家族で一番ずぼらな妹だ。脱ぎ散らかした服やら、こんな紙切れやらを、所構わず放り捨てる癖がある。こないだ部屋に入る用事があったのだが、部屋のど真ん中に馬鹿でかいアンプが――妹はバンドのベーシストだ――鎮座ましましていて、歩くことすらままならなかった。片付けろ、全く。
 と。
 特に興味もなく、予約票をテーブルの上に置こうとして……俺の手が止まった。
 予約票の一番上に印刷された一言を、俺は凝視した。
 心療科。
 俺は起きあがってあぐらを掻いた。寝転がって見るものではない気がした。
 あいつに、精神科への通院経験があることは、俺も知らないわけではなかった。あいつが中学生のころだ。担任教師とそりが合わないとかで、色々あった挙げ句、精神科の世話になることになった。当時の俺は、性根の弱い奴、だなんて無神経に訝っていたものだが……
「今でも通ってたのか、あいつ……」
 6年のタイム・ラグが、風のように追いかけてくるのを感じた。

 何ヶ月か前のことだ。
「実家で暮らしてるとさ、お金貯まるんだよね。あたし使わないし」
 歩道の上、妹は縁石をけっ飛ばしながら、そう言った。
 田舎とはいえ、さすがに数十万の人口を抱える街だ。車通りは激しく、妹の話を、車の爆音が遮る。俺は騒音の中で、慎重に拾い上げるように、妹の言葉を聞き取っていった。
「5年たったら、コーヒーの入れ方教えて貰えるの。それを身につけたら、喫茶店やりたいんだ」
「夢のある話だな」
 ポケットに手を突っ込み、俺は心底からそう応えた。なんだか俺は楽しくなってしまって、空中に、絵を描くかのように未来を描いて見せた。5年あれば、今のペースなら500万は貯まるだろう。駅前のテナントを借りるには十分すぎる。
 妹の突っ込みが入った。厨房の機材は高いんだよ、と。
 俺は瞬きを二回して、頭を巡らす。なら、中古市場もあるだろう。レンタル、リースだってあるかもしれない。高価な実用品は、そういう市場を形成するものだ。それなら元手は安く済む。
「あとは……腕前の問題だな?」
「そうだね」
 妹の目が、ぎらりと輝いた。肉食獣のように。
 ひょっとしたら……妹に憧れてさえいたかもしれない。そこに、昔の自分を見ていたかも。俺が無くしかけているもの、前を見据える獰猛な目を、あいつは持っていた。
 男らしい奴なのだ。

 しばらく思い出に耽っているうちに、気が付けば数時間が過ぎていた。仕事から戻った父が、手元を見つめて渋い顔をする。ゴツゴツした彼の手の中には、一枚の通知葉書。帰ってきた時、郵便受けから取ってきたらしい。
「アホウが……あいつ、事故ばっかりしやがる」
「え?」
 穏やかじゃない言葉に、俺は顔を上げた。どうやら、妹のことらしかった。
「軽四がもうベコベコだろ。あっちこっち、ぶつけまくって……アホなんだ。薬の飲み過ぎで……」
 薬。
 俺は、はっとした。心療科の予約票が、記憶の中に、鮮明に蘇った。
「……こないだなんか、わしが迎えに行ったとき……ろれつが回ってなかった」
 頭を掻くしかできなかった。
 向精神薬は諸刃の剣だ。精神の躁、鬱、その他諸々の症状を、和らげたり消したりする薬。その効果が大きいだけに、それは、容易く人の拠り所となってしまう。ほんの少しの油断が、人と薬の主従関係をひっくり返す。
 俺はそのことを、よく知っていた。この6年間、それが人ごとではない状況も、あったからだ。
「甘えがあるんだ。店長となんかあるらしいが……逃げてどうする。みんな戦ってるんだ、そういうことと」
 正論だよ、親父。
 でも。

 フロから上がると、妹がダイニングで遅い夕食を食べていた。俺は熱っぽい体から湯気を立てながら、
「おかえりさーん」
「ただいまー」
 いつもと変わらない挨拶を交わした。妹の横顔は、いつもと変わりないように見える。ああそうだ、フロ上がりで喉が渇いていたんだ。食器棚からコップを引っ張り出し、水を汲んでいると、背中に妹の声がかかった。
「ん。冷蔵庫」
「ん?」
「ケーキあるよ」
「ああ。もらってきたんだ?」
 妹は煮魚の骨を取りつつ、頷いた。彼女はケーキ屋に勤めているものだから、余り物や失敗作を、よくもらってくる。ケーキ、プリン、シュークリーム……甘い物は好きなんで、俺にとっては有り難い限りというわけだ。
「ちょっと、細長いけど」
 付け足しの意味が分からないままに、俺は冷蔵庫からケーキらしきものを引っ張り出した。
「細長い、ね……」
「細長いでしょ?」
「細長いな。これ、ショートケーキの端のとこ?」
 俺が引っ張り出したのは、ごく普通の苺のショートケーキだった。ただし、幅が2センチ足らずで、長さばっかりが20センチはある。まるで帯のようなケーキに、俺は苦笑した。妹も笑いながら、こくりと頷いた。
「スクウエアのショートケーキの注文があってさ。その耳のとこ」
「ふうん」
 妹の向かい側に座り、俺はケーキをぱくつき始めた。とりとめもない事を話ながら。パンの耳のことを、英語でパンの踵と言うって知ってる? とか。三年目に入ってから、プリキュアのキャラクター・ケーキの注文減っちゃった、とか。キングゲイナーのDVD、続き見せてよ、とか。
 俺は食べた。渾身の力を込めて食べた。何か言葉があれば、よかったんだ。上手い言葉。いい言葉。そんなものが、俺の頭の中にあれば。でもそれは高望みというものなのか……違うだろうか。俺自身が信じてはいないのだろう。言葉の力というものを。本当には。
 だから俺は食べた。食べに食べて、妹が作ったショートケーキの踵を、スポンジの一粒も残さず胃の中に叩き込んだ。
「全部食べたの!?」
 妹がびっくりしている。
「おう。旨かったから食べた。ごちそうさま」
 指についたクリームを、俺は舐めた。
「おそまつさま」
 妹がにやりと笑った。
 俺は、まだ煮魚と格闘している妹に、おやすみ、と一言告げてダイニングを後にした。気の利かない兄貴ですまん。でも俺には、このくらいしか、お前を肯定する方法が分からない。
 そのまま、弱みを見せない気丈なお前でいろよ。
 心の中で念じながら、俺は、6年分の風が吹き抜けて、どこかへ消えてしまったのを感じていた。

投稿者 darkcrow : 2006年04月11日 01:18

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