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2006年04月12日

 ■ 魔王ケブラーの憂鬱

 雪深いグランベルギアの山中に、荘厳なる魔王城は建っていた。
 紫に色づく華やかな石作りの城壁。城門の中には、人間どもの屍が晒され、魔物たちの笑いものとなっている。城は遥か上、雲を貫き天まで届くかのようで、見上げても、頂上は全く見えないほどだった。
 その最上階、昼だというのに星が見えるほどの高さにある謁見の間に、ミノタウロスは呼び出されていた。
 ミノタウロスは、牛族という一族の末裔である。魔王ケブラーとは、幼少のころからの友人であり、彼が世界征服のために挙兵した後は、一の側近として付き従っているのだった。
 ミノタウロスは牛の顔に、落ち着いた思慮深い表情を浮かべながら、恭しく赤絨毯の上に跪いた。彼の角の先には、筋骨隆々の大男の姿がある。豊かな髭は威厳に満ち、鋭い視線はそれだけで人を殺しかねない。彼こそが、世界中を恐怖のどん底に叩き落としている、魔王ケブラーその人である。
「お呼びでございますか、魔王さま」
「――うむ。ミノタウロスよ……」
 魔王は玉座から立ち上がり、両足で床を踏みしめた。それだけで、地鳴りのような音が響き渡る。屈強のミノタウロスすらも、思わず唾を飲み込んだ。この気迫はただごとではない。いよいよ……人間たちへの本格侵攻を始めるのだろうか。
 胸を高鳴らせるミノタウロスに、魔王は雷のような大声で言った。
「聞いてくれ! 我を称える歌を作ったぞ!」
「……はあ?」
 思わずミノは声を裏返した。
「はあではない、はあでは。まあ聞け」
「はあ……」

「えらい魔王ケブラーのうた」
 作詞:我 作曲:我

 あらしの中でも いざすすめ
 世界征服 なしとげるまで

 丸太のような この腕と
 天才的な このあたま

 魔王ケブラー ああ我は
 どんな人より えらいのだ

「どうだ!」
 子供のように目をきらきらさせて問うケブラーに、ミノタウロスは盛大な拍手を送った。
「素晴らしい! 最高です、魔王さま!」

 その夜、魔王城の近くの酒場に、涙するミノタウロスの姿があった……
「かわいそうに……あの人、ああでもしなきゃ自信を保てないんだヨ……」
 そう呟き、大きな体を小さく丸めるミノタウロスを、隣の席に座っていたアンデッド・ソーサラーがさすってやった。彼の、骨だけの手は、思いの外温かく、ミノタウロスの背中を撫でるのだった。
「まあ、飲めよ……」
 かくして魔王城の夜は更ける。

 それから数ヶ月たった或る日のこと。
「行け! 揉み潰せーっ!」
 魔王の号令のもと、魔物の軍勢がシュヴェーア城に攻め寄せた。沼地にあるシュヴェーア城は、さすがに堅固な要塞だった。竜殺しの英雄の国、という異名は伊達ではない。だがそれすらも、所詮は人間の国のこと。魔王の軍勢の敵ではなかったのだ。
 魔物たちは、炎の息を吐き出し、あるいは光の雨を降らせ、思うがままに敵を蹂躙した。腕組みして仁王立ちする魔王の前で、シュヴェーアの騎士団は為す術もなく潰走していった。
 やがて、切り込み隊長である武勇のヴルムが、一報をもたらした。
「魔王さま、シュヴェーア城、陥落しましてございます」
 武勇のヴルムは、ヴルム――竜の一族――の末裔である。その姿は、直立した竜そのもの。手には、人間の身の丈に数倍する巨大な剣を携え、口からは炎の息が漏れ出ている。
 武勇のヴルムは、剣を、地面にぶすりと突き刺した。彼の癖というか、ある種の儀式のようなものだった。血に濡れた剣を、制圧した土地に突き刺す。それこそが、勝利の証なのである。
「城をご覧になりますか?」
「うむ。案内せい」
「はっ」
 武勇のヴルムは、恭しく頭を垂れると、剣を引き抜いて、魔王の先に立って歩き始めた。
 魔王が踏み込んだシュヴェーア城の跡は、見るも無惨なものだった。城壁はことごとく崩れ落ち、焼けこげた死体、両断された死体が、山と積まれている。魔王は満足のいく戦果に笑みを浮かべた。
 魔王軍のなんと強力なことか。世界最強と言われるシュヴェーアでさえ、この程度。世界征服は決して夢物語ではない。
 と。
 その時、魔王の背後で気配が生まれた。
「魔王さまっ!?」
 武勇のヴルムが、慌てて魔王に駆けよろうとする。しかし、遅すぎる。魔王の背後、死体の山の中に隠れていた人間が、ナイフを手に飛びかかってきたのだった。魔王の周りには、武勇のヴルムの他に護衛はいない。人間は腹の下にナイフを構え、体重の全てを載せて、魔王の背中を思いっきり突き刺した。
 かに思えた、そのとき。
 ガキンッ!
 固い音が響き、人間のナイフは、あっけなく弾かれた。魔王の背中の一寸前に、光り輝く壁のようなものが生まれていた。
 魔王の、「光の盾」の魔法である。武器の攻撃をはじき返す、強力な防御魔法だった。
「あ……あ……」
「貴様っ!」
 暗殺に失敗したと悟って、その場にへたりこむ人間を、武勇のヴルムが片手で掴み挙げた。武勇のヴルムの巨大な手にかかれば、人間の胴など、手のひらの中に収まってしまう。武勇のヴルムの手に締め付けられ、人間は甲高い悲鳴を挙げた。
「きゃああああっ!」
 その声で、ようやく魔王は、暗殺者が女であることに気付いた。
「放してやれ」
「はっ? はあ……」
 魔王が淡々と命じると、武勇のヴルムは不承不承、手のひらの力を緩めた。女が、魔王の足下に転がり落ちて、小さく呻く。魔王は腕組みをしたまま、遥か高みから、女の薄汚れた姿を見下した。
「そのほう、特別に許してやろう。どこへなりと去るがよい」
 気まぐれの慈悲、ということにしておこうか。とにかく魔王は、女を殺すのが、気が引けてならなかった。それに、この女を放してやれば、どこかでこの話をするだろう。魔王の体に傷は付けられない、という噂が広まれば、鬱陶しい暗殺者の数も減る。そんな打算もあった。
 しかし女が発した声は、魔王の予想を裏切るものだった。
「殺せっ! 私も殺せ、悪魔め!」
 すくい上げるような女の憎悪の視線は、魔王の胸を真正面から貫いた。武勇のヴルムが隣で怒りを膨らませているのを感じる。だが彼も、魔王が呆然と女を見つめる様を見ては、動くに動けないようだった。
「夫も息子も父も母も、みんなお前に殺された! もう生きる意味もない、殺せ! 殺せえっ!」
 魔王は――
 逃げた。
 女の叫びから逃げて、がむしゃらに、走った。

 魔王軍が城に帰還したとき、ミノタウロスはちょうど謁見の間にはたきをかけていた所だった。汚れた掃除用のエプロンと、三角の頭巾を纏い、鳥の羽で作ったはたきを、入念に壁や天井にかけていく。謁見の間の天井はとても高いので、ここを掃除するのはミノタウロスくらいにしかできないのである。
 魔王が帰還したのを気配で知って、ミノタウロスが迎えに出ようとしたときだった。一人のフェザーフォーク――背中に翼を持つ女兵士の一族――が、血相を変えて飛び込んできたのだった。
「ミノタウロスさま! 大変です!」
「どうしたのだ?」
「魔王さまが……城に帰るなり、部屋に閉じこもられて……」
「なにっ?」
「世界征服やめる!! って、ダダをこねてます!」
「なんだとーっ!?」

 明くる日、ミノタウロスは、魔王を無理矢理、部屋から連れ出した。
 魔王は、いつになくやつれ、げっそりとしていた。シュヴェーア城で何があったのかは、武勇のヴルムから聞いている。ミノタウロスは、魔王とは幼なじみ。彼がどういう男なのかは、よく知っている。
 本当は、優しい男なのだ。あんな図体をして、虫も殺せないような男なのだ。虐げられた魔族を救うため、魔王として立ち上がりはしたものの……
「なんだ……どこへ連れて行こうというのだ、ミノ」
 魔王は元気のない声で、ぽつりと問いかけた。ミノタウロスはにやりと笑い、ただ黙って、魔王を引っ張っていった。向かう先は、魔王城の大広間である。
 カーテンをくぐり、大広間に出た瞬間、盛大な歓声が、津波のように二人に押し寄せてきた。
「魔王さまーっ!」
「ケブラーさまーっ!」
「戦勝おめでとうございます!」
「魔王ケブラーは偉大なり!!」
 魔物たちの、声。
 広い大広間を埋め尽くすほどの、異形の魔物達が、口々に魔王を称えていた。戦勝を祝う言葉を、口々に述べていた。その言葉は混ざり合い、一つのうねりとなって、魔王の胸板を思いっきり叩いた。
「ケ・ブ・ラー! ケ・ブ・ラー!」
 これほど多くの魔物たちが、ケブラーの名を呼んでいる。
 ミノタウロスは、魔王の顔をちらりと見やった。魔王は、ただただ呆然として、自分を取り巻く歓声の嵐に、身を浸していた。魔王は静かに目を閉じる。そして再び開いたとき――
 彼の目は、魔王の輝きを放っていた。
 魔王は威勢良く両腕を振り上げ、そして叫んだ。
「馬鹿どもがーっ!!」
 しん、と大広間が静まりかえった。魔物達は硬直し、あるいは魔王の気迫にやられて、卒倒してしまっていた。魔王は怒気を孕んだ大声を張り上げる。
「たかが一国で喜んでどうするっ!
 進め! 壊せ! 焼き尽くせっ!
 全世界を我が物とするのだ!!」
 う……
 うおおおおおおおおっ!
 爆発のような歓声が、魔王城を揺るがした。
 その歓声を一身に浴びて、拳を振り上げる魔王ケブラー。その後ろに控え、ミノタウロスは胸を撫で下ろした。
「よかった……魔王さま、本当によかった……」

 その夜のことだった。
 自室で、自慢の戦槌を磨いていたミノタウロスのもとに、フェザーフォークが巻物を持って現れた。どうやら、魔王からの密書らしかった。ミノタウロスがゴツゴツした手で巻物を受けとると、フェザーフォークは頭を垂れ、そそくさと立ち去っていった。
 なんだろうか。巻物は、望んだ相手にしか開けない魔法の蝋で、厳重に封印されていた。ミノタウロスは少し考え、そして思い立った。恐らく、これは次の侵攻計画を記した密書だ。
 魔王がやる気を取り戻したということだ。ミノタウロスは嬉しい反面、少しだけ、寂しい気分になっていた。魔王として生きるケブラーは、もう幼なじみのケブちゃんではない。だがそれでもいいのだ。魔王の軍勢に加わったとき、ミノタウロスは覚悟したのだから。生涯、一人の臣下として、彼に仕えることを……
 ミノタウロスは、巻物の封を、ひと思いに解き放った。
 そこには……濡れてカパカパになった紙の上に、やっと一言だけ、こう綴られていた。
『ありがとう、ミノ』

投稿者 darkcrow : 2006年04月12日 00:43

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