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2006年04月24日

 ■ 自発的少女久依子 3

 遊び疲れた体に、お風呂の温もりはたまらなく気持ちよかった。
 広い湯船にアゴまで浸かり、久依子は、ふいーっ、とオヤジみたいな溜息を吐いた。なんと言われたって、お腹の底から湧き出してくるんだから仕方がない。とにかく今日は、色々あって疲れたのだ。
 恵美ときたら、はしゃぎにはしゃいで、いつもの1.2倍は喋っていた。たかが2割増しと侮るなかれ。普段の喋る量からして人並み外れているので、それが2割も増えたらとんでもないことになるのである。まだ耳鳴りが治まらないほどだ。
 ともかく、彼女のおかげで、暗い気分はすっかり吹き飛んでくれた。たぶん恵美自身は、久依子を元気づけようとして誘ったことなど忘れていただろうが。
「明日、礼くらい言っとかなきゃな……」
 礼。
 久依子は唇までお湯に浸けて、ブクブクと泡を立てた。
 そういえば、まだ椎也に礼の一つも言っていない。轢かれそうな所を助けてもらったというのに。あの時は気が動転していたし、さっきは遊び回るのに夢中だったので、すっかり忘れていたのだ。
 オートマトンはロボットだ。しかし、椎也のようなA級オートマトンには、人間と同じ心がある。両親がどのくらいの期間リースするつもりなのかは知らないが、これから当分の間は、彼と一緒に暮らすことになる。できれば、仲良くやっていきたい。
 そして円滑な人間関係は、たゆまぬコミュニケーションから、だ。
 そうと決まれば、善は急げ。
 ブクッ、と大きく一泡立てて、久依子は立ち上がった。景気よく巻き上げられた水しぶきと湯気が、彼女の体を優しく包む。濡れぼそった髪から滴がしたたり、うなじから、おへその側を通って、柔らかな弧を描き、水面に消えていった。

 ピンクの水玉寝間着の隙間から、つついたら押し返されそうな弾力ある脇腹がちらりとのぞき、白い湯気がホコホコ沸き上がった。久依子は大きなバスタオルで頭をワシャワシャかき回しつつ、裸足でぺたりぺたりと居間に向かう。
「父さーん、次、フロどうぞー。椎也、いるかー?」
 言いながら、ひょこっ、と居間を覗き込む。居間の中は誰もいなくて、つけっぱなしのテレビだけが、空しくケラケラ笑っていた。なんだ、電気代もったいない。
「テレビ、オフ」
 久依子がテレビに命じると、画面はブラックアウトした。
 一転して静寂に包まれた居間で、久依子は辺りを見回した。椎也はどこに行ったんだろう。自分の部屋なんてないはずだし、他に居場所といったら……台所で母の手伝いだろうか。でも、母はもうとっくに洗い物を終えて、読書している時間なのだが。
 ふと、部屋の隅に置いてある、大きな銀色の箱が目に入った。
「……なんだ、これ?」
 呟きながら、箱にぺたぺたと寄っていく。上下が少し長い、柱のような形の箱である。縦横はだいたい50cm、高さは……1mもなさそうだ。70cmくらいだろうか。たぶん金属製で、表面には緩やかな曲線の模様が掘ってあり、ラベルやバーコードがプリントされている。
 何かの家電の箱のようにも見える。
 さては、椎也とセットに、まだ何か借りてきたんだろうか。久依子は箱の蓋らしき部分に手をかけて、そっと中を覗いて……
「うわあああっ!?」
 途端、久依子は叫びながら尻餅をついた。ぞわぞわと全身の肌が粟立つ。唇がみるみる青ざめ、体の震えが止まらない。
「どうした、久依子っ!?」
「久依子ちゃん!?」
 父と母が、叫びを聞きつけて、居間に駆け込んでくる。その頃になって、ようやく久依子は落ち着きを取り戻した。箱の中に入っていたのが何だったのか、分かり始めてきたのだ。久依子は恐る恐る立ち上がると、もう一度箱の中を覗き込む。
 やはり。
「びっ……くり、した……椎也じゃないか!」
 体育座りの体勢で、箱の中に詰め込まれていたのは、他でもない椎也だったのである。
 そう、入っていたのではなく、詰め込まれていたのだ。箱の内側にはいくつか出っ張りがあって、椎也の腕や胴は、それにしっかり支えられている。いわば梱包材だ。ばかりか、肩や腰は異常に前に飛び出し、首にいたっては、完全に折れた状態で、あり得ない角度に捻れている。関節を外して、体を小さく折りたたんでいる。でなければ、こんな小さな箱に体が収まるはずがない。
 オートマトンの椎也だと分かった今でも、人間そっくりの彼がこんな異様な姿をしているのを見れば……久依子は、あまりのおぞましさに、ぶるりと身震いした。
「父さん、これは?」
「椎也くんだよ?」
「そうじゃなくて」
「寝てるんだよ。オートマトンだって、休まないと壊れちゃうだろう? でも大丈夫だからね、声をかければすぐに起きるし、家の監視カメラとリンクしていて、何かおかしなことがあれば、自動で対応してくれる」
「寝てるったって……この扱いはないだろ」
 久依子は眉をひそめて言うと、椎也の耳元に口を寄せた。
「おい椎也、起きろ」
「はい?」
 ごんっ。
「んがっ!」
 椎也の首は一瞬で元の位置に収まり、その途中で、後頭部が思いっきり久依子のおでこにぶつかった。久依子はカエルが潰れたみたいな悲鳴を挙げて、おでこを押さえつつうずくまる。
 ……まさか、こんなに反応が早いとは……
 椎也は箱の中から首だけ伸ばして、うずくまる久依子に不思議そうな視線を向けた。
「あれ? マスター? どうしたんです?」
「お前、頭固いな……」
「骨格は金属製ですからねえ」
「えーい! いいから、ちょっと来いっ! こっちこっち」
「あ、はあ」
 何が何やら分からない、といった顔のまま、椎也は関節をゴギゴキ鳴らしながら立ち上がった。

 久依子に手を引かれ、椎也は二階の彼女の部屋まで連れてこられた。
 久依子の部屋は、飾りっ気こそないものの、シンプルで綺麗にまとまっていた。淡い青のカーペットは、きちんと掃除が行き届いている。デスクの上には、整然と並んだ本やノート。ベッドのシーツは皺一つ寄らないようにピンと伸ばされ、窓の外には静かな夜の住宅街が広がっている。
「へー。ここがマスターのお部屋ですか? 綺麗ですねえ」
「ばかっ、あんまりキョロキョロするなっ」
 僅かに頬を赤らめながら、久依子は椎也を引っ張って、無理矢理ベッドの上に座らせた。椎也の肩をつかみ、真正面からじっと彼の顔を見つめる。訳も分からずきょとんとしている椎也に、久依子はできるだけ優しい声を作って、言った。
「いいか、椎也。お前、ここで寝ろ」
「へ?」
「あんなところじゃ、いくらなんでも寝にくいだろ。私のベッド、貸してやる」
「えっ? でも、そうすると、マスターはどこで寝るんです?」
 言われてにやりと久依子は笑う。伊達にボランティア少女をやっているわけではない。久依子はクローゼットを開けると、中からごそごそと何物かを取り出して、椎也の前にばさりと広げて見せた。
 寝袋である。
「私にはこれがあるっ!」
「おおーっ」
 椎也は感嘆の声を挙げた。

投稿者 darkcrow : 2006年04月24日 01:24

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