"S.o.S.;The Origins' World Tale"
EPISODE in 1313 #A05/The Sword of Wish



勇者の後始末人

“テンプレート・メイド”




 降り出した雨は、一向に止む気配を見せない。
 成熟した森においては頭上を高木の枝葉に覆われ、地面まで届く光はごく僅か。ゆえに低木の類はほとんど生育できず、足下に生えるのは丈の短い雑草や苔がせいぜい。濡れたそれらに足をとられぬよう気をつけながら、ヴィッシュは息を乱して先を急ぐ。たった一人で。
 はぐれてしまったのだ。仲間達と。
 魔物退治の依頼を受けて、3人揃って森に入り、果たして森の奥で魔物の足跡を発見。手分けして近くを探そうということになり、別れた途端に突然の豪雨。視界はすっかり塞がれ、辺りは夜のように暗くなり、獲物を探すどころか、仲間との合流さえ難しい。
 とにかく雨が止まねば話は始まらない。このまま雨に打たれ続けては体力を消耗するばかり。そこでこうして、雨宿りできる場所を探してうろついているのだが――
 と。
 ヴィッシュは雨に霞んだ視界の向こうに、大きな白っぽい影を見た気がした。足を止め、そちらによくよく目をこらす。やはり間違いない。白く見えた物は積み上げられた石壁。森の木々の合間に、石造りの立派な屋敷が一軒、ぽつりと場違いに建っているのだ。こんなところに隠棲する物好きな金持ちでもいるのだろうか。
 いずれにせよ、ありがたい。雨宿りにはこれ以上の場所はあるまい。
 ヴィッシュは足早に、屋敷の方へと近づいていった。
 白い屋敷は身じろぎもせず、騒ぐ雨音の中、物言わぬ骸のようにうずくまっていた。
 森の中にぽっかりと空いた広場。小さいながら美しい庭園を満たす花々も、今は雨に濡れてうなだれている。門から玄関まで導くまっすぐな石畳が、雨粒に跳ね上げられた泥でいくつもの黒斑を付けている。それらを突っ切って、ヴィッシュは飛びつくように玄関の大きな木戸をノックした。返事はない。ノッカーに気付いて、叩いてみる。やはり同じ。苛ついたヴィッシュが腕に力を籠めると、意外にもドアはあっさりと開く。
 家人に無断で立ち入るのは躊躇われたが、背中を叩く雨粒はいっそう強さを増している。
 追い立てられ物陰に隠れる獣のように、ヴィッシュはドアの隙間からするりと身を滑り込ませたのだった。

 大きな樫のドアを、背を擦りつけながら閉めれば、雨音は余所の世界の出来事のように遠ざかる。身を切る冷気も肌を打つ雨粒もここにはない。ようやく豪雨を逃れたヴィッシュは、大きく安堵の溜息を吐いた。全く、いい所にいい具合に屋敷が建っていたものだ。緋女たちも、うまく雨宿りできていればいいが――
 仲間を思いながら雨避けの外套を脱ぎ、水気を払って辺りを見回す。玄関の奥は、まっすぐ続く廊下。床はよく磨かれた上質の大理石。染み一つない壁には、ところどころ銀の燭台が掲げられている。その輝きの見事なこと。この一点だけとっても、家人の手入れが行き届いていることがよく分かる。銀は大変に曇りやすい。放置していると黒く曇り、輝きが失われていく。ゆえに定期的に磨いてやらねばならないのだ。
 思えば、外の庭園も丹念に手入れされているようだった。森の木々を倒して広場を作ると、とたんに雑草や低木が生え始め、僅か一年、二年で人の踏み込めない藪になってしまうものだ。そうなっていないのは、きちんと草刈りが為されている証拠。
 それだけに、濡れ鼠で勝手に上がり込んだことが気に病まれた。ヴィッシュは声を張り上げる。
「すいませーん。誰かいませんかー」
 残響だけが返答だった。
 屋敷の中は奇妙に静まりかえり、遠い雨音が獣の唸りのように響くばかり。
 と。
 ヴィッシュは弾かれたように後ろを振り返った。何もない。さっきヴィッシュが閉めた、樫のドアがあるばかりだ。じわりと肌が湿る感覚は、雨に濡れたせいばかりではない。
 今、誰かが、背後から見ていたような――
 そのとき。
 遠くの方で、重い音が響いた。
 思わずヴィッシュは剣の柄に手を伸ばした。耳慣れた音。金属音。あれは、全身鎧の騎士が立てる足音そのものだ。こんな森の中の屋敷で全身鎧だと? 屋敷の護衛に兵でも雇われているのか。でなければ、あるいは――
 再び、音。
 さっきより近い。
 油断なく剣の柄に手を掛け、いつでも抜き放てる体勢を保ち、ヴィッシュは足音の主が姿を見せるのを待った。足音は近づいてくる。少しずつ。正面に見える曲がり角の、左側の辺りから。
 一歩。
 また一歩。
 果たして、そいつは姿を見せた。
 角張ったブリキ製の全身鎧――の上から女中(メイド)服を着た小柄な人間?
 ――違う! あれはっ!?
 ヴィッシュが驚きに身をすくめたそのとき、ブリキ鎧の隙間という隙間から白い高熱蒸気が吹き出した。その頭部がぐるりと回る。二つの目がヴィッシュを睨む。血のように赤い光を放つルビーの瞳。けたたましい声が空間を裂くかのように響き渡った。
【ニンゲン ハッケン! ハッケン! ハッケン!】
 と、ブリキ鎧が変形する。膝が逆方向に折れ曲がり、ふくらはぎの車輪が床に付く。蒸気を吹きながら鎧の各部の隙間が開き、折り畳まれて身長が一回り小さくなる。肩が異様な角度に回転したかと思うと、床に突いた手のひらがぱっくりと割れてそこからも車輪が現れる。
 次の瞬間、背中に開いた穴から爆発のように蒸気を噴射し、その勢いでブリキ鎧がヴィッシュ目がけて突撃した!
「うっ……うわあああああああっ!?」
 剣を抜く間もあらばこそ。後ずさったヴィッシュの目前で、ブリキ鎧は華麗にターン。床に車輪を擦りつけてぴたりと停止。ブリキの頭部がぐりんっ、回転し、ヴィッシュに向いた。先程の変形手順を逆に辿り、見る間に人間型へと戻ると、ブリキ鎧は――
【オキャクサマ! イラッシャイマセ!!】
 両手を腰の前で揃え、慎ましやかに深々とお辞儀した。
 ……………。
「……は?」
 柄に手を掛け剣を抜こうとする姿勢のまま、ヴィッシュは茫然と、凍り付いたのだった。

 錻力女中器(テンプレート・メイド)。
 話には聞いたことがある。「自動人形」と呼ばれる魔法の道具の一種だ。その名の通り、魔力によって自動的に動く人形で、大きさは手のひらサイズから竜なみのものまで様々。つまりこの奇妙な……物体……は、全身鎧を着た人間などではなく、ブリキの体を持つ人形だったわけだ。
 話には聞いていたが、実物を見るのは初めてである。何しろ自動人形は古代帝国の末期になってようやく開発されたもので、しかも当時はほとんど見向きもされていなかった。再検証の末にその価値が認識されたのは帝国滅亡から数百年後のことで、その時には帝国期の技術のほとんどが失われていたのである。ゆえに遺跡から発掘される例は僅かで、現存する自動人形は大変に希少なのだ。
 まして、こうして実際に稼働している自動人形となると。
 ましてまして、わざわざメイド服を着せられてメイドをやってる自動人形となると。
【オ茶 ドーゾー!】
 案内された客間で待っていると、ブリキメイドが車輪をキュルキュル鳴らして戻ってきた。両手には見事な銀の盆。その上のティーセット。ソファに身を沈めるヴィッシュの前で、時々関節から蒸気を噴きつつお茶を淹れてくれるわけだが……出されたカップを鼻に近づけ、まずは匂いを嗅ぐ。恐る恐る舌先でちょっと舐めてみる。おかしな味はしないが。緋女だったら疑いもせずに飲むんだろうなあ、などと思いつつ、慎重派のヴィッシュは、結局飲まずにカップを皿に戻す。
 ふと横を見ると、ブリキメイドが、やかんのような円筒形の頭部を向け、目をキラキラさせてこっちを見つめている。
「……なんだ?」
【オ食事ヲ ゴ用意 シマスカ!?】
「あ、いや、結構」
【オ酒モ ゴザイマス!】
「今はいい」
【オ泊マリ ナラ オ部屋ヲ……】
「いらないって」
 ぴ――――、きゅるるるるるる。
 鳥の鳴き声のような甲高い音を立てて、ブリキメイドの頭部がくるくると3回転半。あちこちの関節から、弱々しく断続的に蒸気を噴き、落ち着かなげに身じろぎしているさまは、まるで命令を待ってウズウズしてるかのよう。キラキラ? ウズウズ? そんな馬鹿な。相手は歯車と魔力回路の集合体だ。
 頭を掻いて、苦笑する。ヴィッシュは懐から、いつもの細葉巻を取り出した。
「灰皿、ある?」
【ゴ用意 シマス! オ待チ クダサイ!】
 ブリキメイドの返答と行動の素早いこと。飛ぶように応接間を飛び出して、すぐさま陶器の皿を手に戻ってくる。それを、骨格と何かの管が剥き出しに絡まった細い腕で、ヴィッシュの鼻先に差し出し、誇らしげに鼻から蒸気を噴き出す。
「ありがとうよ」
【ド イタシマシテ!】
 葉巻に火を付け、ふかしながら、ヴィッシュはソファに背を投げ出した。天井を仰ぎ見る。曇り一つないシャンデリア。だが蝋の欠片が全く付いていないところを見ると、手入れがしっかりしているというより、ほとんど使われていないという感じだ。
 やはりこの屋敷はおかしい。ひとけがなさすぎること。自動人形なんぞをメイド代わりに使っていること。そして……屋敷に入ったときから僅かに感じていた何者かの気配。
「なあ、ちょっと話し相手になってくれるかい」
【ハイ デス!】
「ここのことを知りたいんだ。今までにこの場所に起こったこととか……」
 と問うと、ブリキメイドは突然、用意した原稿を読み上げるかのように流暢に、
【啓示前50億年ごろ、世界は単一存在たる魔皇から分化しました。最初の生物が誕生したのはそれから数億年後、最初の神が発生したのはさらに……】
「いやいや古すぎるって。そんな昔じゃなくてだな……ここに、他に人間はいないのか? お前のご主人は誰なんだ?」
【ハイ! ギルディン サマ デス!】
「ギルディン……?」
 ヴィッシュは腕組みして首を傾げた。どこかで聞いたことがあるような名前だ。それも直接の知り合いというより、何かの本とか、人から聞いた話とかで――
 あ、とヴィッシュは小さく声を挙げる。思い出した。
「……ロバート・A・ギルディンか!」
【デス!】
「じゃあ、お前にはもう、主人はいないんだな?」
【イイエ! ギルディン サマ ガ イラッシャイマス!】
「はあ?」
 話が通じない。しばらくヴィッシュは解釈に頭を捻り……一つの可能性に思い当たった。額から冷たい汗が噴き出す。顔から血の気が引いていく。
「……ちょっと待てよ。まさか、ギルディンは……居るのか? この屋敷に、今でも?」
【デス!】
 ヴィッシュは絶句した。
 やっとのことで捻り出した声は、得体の知れない事実に遭遇した驚きと恐れでかすれていた。
「馬鹿言うな、あれはベンズバレン建国に携わった三賢者の一人……120年も昔の人物じゃねえか」

 ようやく状況が見えてきた。
 主人に会いたい、と言うと、ブリキメイドはヴィッシュを2階に案内してくれた。寝室に彼は――賢者ギルディンは居るという。
 無論、そんなはずはない。ヴィッシュが伝え聞いた話では、120年ほど前、建国戦争の時点で彼は50近い歳だったはずである。仮に本人が生きていたとしたら、年齢はおそらく170歳前後。いくら魔術を駆使したところで、そこまでの長寿が得られるわけがない。
 となれば、可能性は一つ。
 道々、ブリキメイドの後をついていきながら、ヴィッシュは問う。
「お前の主人は、寝室から出てこないのか?」
【ハイ!】
「なんでだ?」
【ギルディン サマ ハ ゴ病気 デス】
 ヴィッシュは深く溜息を吐く。
「――いつから?」
【ズット デス】
 いよいよ、間違いあるまい。ヴィッシュは重苦しい気持ちを胸に抱えて、導かれるままに2階の一部屋に辿り着いた。ブリキメイドがドアをノックする。客が来たことを主人に告げる。ドアを開いて、ブリキメイドが音もなく滑り込んでいく。
 少しの躊躇いの後、覚悟を決めて、ヴィッシュは部屋に入った。
 こぢんまりとした居心地のいい部屋に、天蓋付きのベッドが一つ、黒檀のテーブルが一つ。ブリキメイドは、テーブルの上に広げられていた料理の皿を片付けているようだった。おそらく彼女が作ったものであろう。香ばしく焼かれた丸いパン、少し焦げ気味なのは主人の好みに合わせてあるに違いない。野生のベリーで作ったジャムの香りが甘く漂う。スープの中の塩漬け肉はカリカリに炒めてある。どれひとつとってもいい加減な料理ではない、手間暇をかけた立派なものだ。
 なのにそれらが、一口も付けられぬまま――どころか、スプーンを手に取った様子さえ見えぬまま、放置され、冷め切って、テーブルの上に残されている。
 淡々と、ブリキメイドは、持参していたトレイに料理の皿を乗せていく。
【失礼 シマス】
 彼女は一礼すると、トレイを持って寝室を出て行った。後に残されたのは、ヴィッシュと、そして。
 彼はベッドの天蓋をめくり、中を覗き込んだ。
 予想通りの物が――者が、そこにいた。
 完全に白骨化した人の亡骸であった。
 環境にもよるが、死体が白骨化するのにかかる時間は意外と短い。よく乾燥して風通しのよい場所なら、最短で1ヶ月。湿った土中に埋められていたとしても、3年とかからない。ましてこの遺体が賢者ギルディンのものだとすると、死後100年近く経っていてもおかしくない。骨がきちんと残っているだけでも奇跡のようなものだ。誰かが、骨の風化を遅らせるために環境を整えてやればともかく――
 ――誰か?
 ヴィッシュにはひとつ、思い当たる所があった。
 ふと、食事を片付けられたテーブルを見遣る。あのブリキメイドが、主人の死を理解できず、生前に与えられた命令を守り、100年もの間ずっと、毎日毎日食べられることのない食事を乗せ続けてきたであろうテーブル。その隅に、一輪の花が置かれていた。外の庭園に咲いていたのと同じ花。
 と。
 ぞっとする冷気を感じ、ヴィッシュは思わず剣の柄に手を掛けた。壁に背を付け、油断無く部屋に目を配る。誰もいない。何の物音もしない。感じたはずの異様な気配も、いつのまにか消え去った。吹き出した冷や汗を拭い、ヴィッシュは溜息を吐く。
 この屋敷に入ったばかりのときも感じた。この気配は一体何だ? 単なる気のせい? それとも――
 と、そこにブリキメイドが戻ってきた。ヴィッシュのそばにちょこんと控え、時折少しだけ蒸気を出したり、頭を回転させながら、命令されるのを待っている。耳に聞こえるのは彼女の駆動音と、屋敷の木窓を叩く雨音ばかり。
「なあ、メイドさんよ」
【ハイ!】
「もう、こんなことは止めなよ。お前の主人は、もう死んだんだ」
【……………?】
 くるくるとブリキの頭が回転する。
【? ??】
 ぶすぶすぶすぶす……
「のわあっ!? 煙! 煙吹いてるぞお前っ!」
【デス? デス? ??】
「悪かった、俺が悪かったっ! 考えんでいい、忘れろーっ」
【ハイ デス!!】
 大慌てで頭を扇ぎ、ようやく煙も収まって、ほっと一息。どうしたものかと思案しながらヴィッシュが寝室を後にすると、ブリキメイドはその後をちょこちょこ付いてくる。
 ヴィッシュが足を止めれば、彼女もまた、ひたりと止まる。
「雨、まだ止みそうもないな」
 くるり、とブリキメイドの頭が回転した。
「この雨が上がるまで、どのみち身動きが取れないんだ。だから――せっかくだから」
 彼女に向けて微笑んで、
「メシをご馳走になろうかな」
 ブリキメイドは、飛び上がりそうな勢いで変形すると、全身の関節という関節から勢いよく蒸気を噴射した。
【ゴ用意 シマス!!】

 ブリキメイドが勇んで厨房に飛んでいき、何やらガチャガチャやりはじめて、ヴィッシュは再び一人になる。僅かに開いた木窓から、吸い込まれるように入ってくるのは耳心地よい雨音と湿った冷気。食事ができあがるのを待ちながら、のんびりと一服。
 心を落ち着け、ヴィッシュは考える。
 何ができるだろうか?
 永遠に働き続ける人形と、永遠に戻らない主のために。
 考えても、考えても、答えは見当たらない。
 そのときヴィッシュは、階下から物音がすることに気付いた。誰かが乱暴にドアを開けるような音。続いて、ブリキメイドが大慌てで出迎える、車輪の音。ひょっとして、緋女たちだろうか? 偶然にもこの屋敷を見つけ、ヴィッシュと同じように雨宿りするべく入ってきたのか。
 くわえ煙草のまま螺旋階段を下り、身を屈めて、手すりの隙間からひょいと顔を覗かせ、玄関の様子を見遣り――
 大慌てでヴィッシュは死角に引っ込み、壁に背を付けて身を隠した。その拍子に葉巻から焼けた灰がこぼれ落ち、ヴィッシュの手の甲を焦がす。思わず叫びそうになるが、必死の思いで我慢。灰を落として火傷を舐める。
 ――畜生! こんなところで出てくるかよ!
 涙目になって、今度は慎重に、そっと顔半分で覗き込む。ブリキメイドが例によって客間に案内しようとしている相手は、身の丈2mを越える巨人。全身を長い剛毛に覆われ、手には木を乱雑に削っただけの棍棒をぶら下げ、ずぶ濡れで立っている。
 岩砕き鬼。
 あれこそまさに、ヴィッシュたちに始末が依頼された魔物だったのだ。

 鬼、というのは、人とは先祖を異にする知的種族の総称である。人に様々な人種が存在するように、鬼にも多用な種が存在する。知能の程度も千差万別で、賢いものは人間を遥かに上回る技術や知識を持っているとさえ言われる。
 その中で、岩砕き鬼は最も知能の低い種の一つである。扱う道具はせいぜいが簡単な石器や木、語彙数の少ないごく単純な言語しか持たず、まとまった個体数が社会生活を営むこと自体がまれ。それゆえ扱いやすくもあったのか、魔王軍は尖兵として岩砕き鬼を大いに用いた。おそらくこいつも、その生き残りの一体であろう。
 知能が低いとはいえ、その体躯からくる膂力は尋常ではない。岩砕きの名は、比喩でもなんでもない。棍棒の一撃で、ちょっとした石壁程度なら軽く粉砕してしまう。並の戦士が正面から打ち合って勝てる相手ではない。
 もちろん、ヴィッシュにも。
 ――緋女がいれば瞬殺なのになァ……
 まあ、いないものをアテにしても仕方がない。緋女たちと合流するのを待つ手もあるが、少なくとも雨が止むまでそれは難しいし、仮に止んでもすぐに合流できるわけでもない。その間にせっかくの獲物に逃げられたり、最悪の場合、1対1で遭遇戦になりでもしたら、目も当てられない。
 ならば、やるしかない。一人で狩るのだ。
 鬼もまた、この雨に追われて雨宿りの場所を探していたのであろう。馬鹿正直に案内しようとするブリキメイドを無視して、屋敷の中を我が物顔にうろつき周り、やがて気に入った部屋を見つけるとそこに入っていった。ちょうど、ヴィッシュが最初に案内されたあの客間だ。
 それを確認してから、ヴィッシュは足音を殺して厨房に移動した。かまどには火が焚かれ、ヴィッシュが頼んだ食事が調理しかけの状態で残されている。さて、ここでひと仕事。腰に巻いた荷物鞄から小さな瓶を一つ取り出し、調理台の上に出してあった塩漬け肉に、中身を振りかける。
 と、その時、金属のひしゃげる派手な音が遠く響いた。
 ヴィッシュは厨房の入口から、廊下をそっと覗き込んだ。さっきヴィッシュが案内されたあの客間から、ふらつきながらブリキメイドが出てくる。見ればその頭が、痛々しくへこんでいるではないか。ヴィッシュは沸き上がってきた怒りに顔をしかめた。
 ――やりやがったな、あの野郎。
 おそらく、付きまとってくるブリキメイドを鬱陶しがって、殴りつけでもしたものだろう。一撃で破壊されなかっただけ運が良かった。
 鬼の視界に入っていないことを確認して、ヴィッシュは廊下に姿を見せた。ブリキメイドがこちらに気付く。手招きしてやるだけで彼女はガチャガチャと寄ってくる。見つからないうちに彼女を厨房に引っ張り込み、声を潜めて、
「大丈夫か?」
【? ??】
「つまり、お前が壊れてないかって訊いたんだ」
【ハイ! 壊レテ ナイ デス!】
「よし。なら、お前に頼みがある」
【ハイ! デス!】
「俺の食事は後でいい。先にそこの材料で食事を作って、あの新しいお客さんに喰わせてやれ。腹が減ってるだろうから、きっと喜ぶぜ」
【ハイ! デス!】
 命令を受けて、ブリキメイドは料理に取りかかった。手際もいいし、包丁捌きも一級品。惚れ惚れするような腕前だ。オマケに命令には忠実ときた。街に連れて帰れば、どこの料理屋でも欲しがるだろうに。
 ヴィッシュは鞄から手のひらに収まるくらいの玉を取り出した。卵の殻を利用して作ったつぶてである。これが、今回の仕掛け。緋女とカジュがいなかろうが、問題などあるものか。今回は最初から相手の正体も分かっていたし、万一のための準備は万全に整えてきたのだ。
「見てろよ。ぶっ飛ばしてやるぜ」
 指の中でつぶてを弄びながら、ヴィッシュは低く呟いた。

 食事を出したら、すぐに部屋から出て厨房に戻るよう、ブリキメイドにはよく言い含めてある。ヴィッシュは彼女が山盛りの食事を載せた盆を運ぶ後ろについていき、部屋の外で壁に背を付け待機。
 待つことしばし。ブリキメイドがお辞儀しながら部屋を出る。命令通り厨房に戻るのを見届け、さらに待つ。部屋の中では鬼が食事に手を付ける物音。
 と。
 狂ったような咆哮が響く。
 ――好機!
 即座にヴィッシュは部屋に躍り込んだ。テーブルの上に載せられた料理を派手に散らかしながら、鬼が飲み込んだばかりの肉を吐き下している。ヴィッシュが先程肉に盛ったのは、粘膜を傷つける毒である。飲み込めば、喉や胃に激しい痛みを生じる。吐いてしまえばそれまでなうえ、相手を完全に行動不能にするほどの効果はないが、その代わりに無色、無味、無臭。五感の鋭い獣にも有効で、一瞬敵の動きを封じる程度のことはできる。
 そして、その一瞬で充分。
 気配に気付いた鬼が、血走った目をヴィッシュに向けたその瞬間、かねて準備のつぶてを投げつける。小球は鬼の顔にぶつかった衝撃で破裂して、粘着質の黒い液体を撒き散らした。
 ヴィッシュ特製の目潰し玉。相手の目を狙って当てるのは難しいが、毒で動きを封じた上でならこの通り。
 突如視界を塞がれ、混乱した鬼は咆えながら腕を振り回した。だが狙いも付けない大振りの一撃、身をかわすなどわけはない。軽々とその攻撃をかいくぐり、剣を抜きつつ肉薄すると、膝を狙って斬りつける。
 ヴィッシュの腕では、分厚い毛皮に覆われた丸太のような足を切断することは難しいが、膝骨を叩き割ることなら不可能ではない。手応えはあった。鬼が悲鳴を挙げて倒れ伏す。巻き込まれぬよう、ヴィッシュはソファを跳び越えて距離を取る。
 毒で自由を奪い、目潰しで視界を塞ぎ、足を斬って行動を封じ、しかもヒット・アンド・アウェイ。卑怯というなかれ。順調に敵の力を削いでいるように思えるが、当のヴィッシュは内心冷や汗ものなのである。何しろ敵は岩をも砕く膂力の持ち主。一発でも食らえば、それだけで絶命しかねない。万に一つも攻撃を受けるわけにはいかないのだ。
 ――次は、腕。
 とにかく敵が混乱し、まだ目潰しを拭い取れずにいる内に、可能な限り畳みかけておく。ソファの横を走り抜け、身を起こそうと床に突いた鬼の腕に近づく。だが肘を狙って再び斬りつけようとした矢先、物音で察知したか、鬼がその腕を振り上げた。ヴィッシュは舌打ち一つ、攻撃を諦めて後退する。せっかく目を塞いだのに、当てずっぽうで振り回しただけの腕に殴られてはつまらない。
 だがその時、予定外のものが視界に入る。
【? ?? デス?】
 音を聞きつけて駆けつけたに違いない。部屋の入口あたりに立ち尽くしたブリキメイドが、状況を理解できず頭を回転させている。
 その声に、岩砕き鬼が気付いた。
 振り上げた拳が、そちらめがけて振り下ろされる。
 ――まずい!
 思うのと。
 足が動くのは同時だった。
 ブリキメイドに駆けよって、彼女を庇うように抱きかかえ、そのままの勢いで押し倒す。間に合え、と祈るように念じるも虚し。ヴィッシュの背に鬼の拳がめり込んだ。肺が潰れ、背骨が軋む。ただの拳の一撃が、まるで鉄の棒を叩きつけられたかのよう。その衝撃で吹き飛ばされ、ヴィッシュはブリキメイドと一緒になって部屋の壁に身を打ち付けた。
 僅かな間、気を失っていたのだろうか。
 やっと正気に戻ったとき、岩砕き鬼は、目潰しを拭い、折れた片足を引きずりながら、こちらへ迫ってきていた。その手には粗雑ながら巨大な棍棒――
 慌てて立ち上がろうとするが、その瞬間、背中から全身に激痛が走る。呻きながらヴィッシュは膝を突く。まずい。今の一撃で、骨を折られたかもしれない。
 ――くそっ! 馬鹿か俺は! 何やってんだ!
 自分を呪う。自分の甘さを。何のために卑劣な手段を用いてまで、慎重にことを運んできたのだ? この状況を回避するためではないか。なのに情にほだされて――!
 岩砕き鬼が棍棒を振り上げる。このままでは終われない。奴が棍棒を振り下ろす一瞬が勝負。大振りの攻撃を懐に飛び込んでかわし、急所を狙って斬りつける。それしかない。
 痛みを気合いで抑えつけ、ふらつきながら立ち上がる。
 その頭目がけて、棍棒が振り下ろされた。
 ――今!
 床を蹴り、前に跳――
 ぼうとしたその時、痛みが電流のように体を駆けめぐった。跳べない。足がもつれる。為す術もなく倒れ伏す。棍棒が迫る。ヴィッシュの頭が叩きつぶされる――
 その直前で、ぴたりと、鬼の動きが止まった。
 思わず痛みも忘れ、茫然としてヴィッシュは鬼の顔を見上げた。苦しげに歪んだその形相。全身に筋肉が痙攣し、体を動かそうと藻掻いている。だがまるで強靱な鎖に縛り上げられてでもいるかのように、鬼は指一本動かせないまま、立ち尽くすばかり。
 ――なんだ?
 状況を理解できずにいるヴィッシュに、低くくぐもった声が届いた。
「戦士……斬れ……」
 他ならぬ、鬼自身の口から発せられた声が。
「何?」
「早……憑……時間……僅……」
 ――まさか。
「ギルディン? 賢者ギルディン。あんたなのか」
「そう……頼……守って……」
 悲痛な声と共に。
 一筋の涙が、鬼の目から零れた。
「あの子……ブリ……ギット……」
 ようやく、ヴィッシュは全てを理解した。
 屋敷に入った時。寝室に足を踏み入れた時。この屋敷に来てから二度感じた異様な気配。何のことはない、ブリキメイドが言っていた通りだった。この屋敷の主人は、ずっと屋敷の中に住んでいた。ずっとここにいたのだ。死してなお、死にきれず、百年もの永きにわたって。
 彼の女中がそうし続けたのと同じように。
「わかった……」
 痛みを堪えてヴィッシュは立ち上がった。
「後のことは任せろ」
 鬼の顔に、笑みが浮かんだように見えるのは気のせいか。
 ヴィッシュは両手に剣を握りしめる。
 雄叫び。
 瞬き一つするほどの時間の後には、ヴィッシュの剣が、一刀のもとに鬼を切り伏せていた。

 倒れた鬼を足で蹴り、完全に事切れていることを確認すると、ヴィッシュはその場にへたり込んだ。終わった。危ないところだったが、なんとかなった。いや、単に幸運に恵まれただけか。
 見れば、ブリキメイドが立ち上がり、またいつものように頭を回しながら、ヴィッシュに近づいてくる。衝撃でどこか壊れでもしたのだろうか。駆動音がおかしいのが気になる。カジュに頼めば直してくれるかもしれない。
 その時、鬼の死体が青く発光した。ぎょっとして、ヴィッシュは思わず剣を取る。だが青い光は吸い上げられるように死体から立ち上り、渦巻きながらまとまって、人の形を取った。神経質だが、不思議と安らいだ表情の、老人の姿。これは――
【ギルディン サマ】
 ぽつりと、ブリキメイドが呟く。
 ヴィッシュは弾かれたように、彼女に顔を向けた。
【イッテラッシャイマセ】
 慎ましく、深々と、心を込めて、彼女は体を軋ませながらお辞儀する。
 まだ事態を信じられないヴィッシュの目の前で、老人は微笑み、薄らいで、虚空に溶け、消えた。
 後に残されたのは、ただ、静寂。
 終わった。
 もう、全て、終わったのだ。これで、やっと。
 そう思った途端、静寂を金属音が切り裂いた。見れば、ブリキメイドが糸の切れた人形のようにくずおれていた。慌てて這い寄り、抱き起こす。声を張り上げて呼びかける。
 彼女が蒸気を吹き出して頭を回すことは、もう二度と無かった。

 いつの間にか、雨はすっかり止んでいた。
 ヴィッシュは森の中に穴を掘り、寝室の白骨を集めて埋葬した。手近な岩を一つ転がしてきて、墓石代わりにする。庭園に咲いていた花を一輪そなえ――
 最後に、もはや動くことのないブリキメイドを、墓石にもたれかからせる。
 これは推測に過ぎないが、賢者ギルディンはおそらく、ブリキメイドのことが気がかりで死にきれず、亡霊化してしまったのではないだろうか。自分を世話するようにという命令を解除せぬまま死んでしまって。主人の死を理解できぬまま、永遠の労苦に苛まれる彼女を、見ていることしかできなくて。
 だが、とヴィッシュは思う。
 本当に彼女は、主人の死を理解していなかったのだろうか?
 もちろん、答えは誰にも分からない。真相は全て闇の中。
 ヴィッシュは細葉巻に火を付ける。
「あっ。いたーっ! コラァー!」
 遠くから耳慣れた声がする。振り返れば、ぶんぶか手を振って駆けよってくる緋女。その後ろをちょこちょこついてくるカジュ。
「よお。無事だったか」
「無事だったかじゃねーっつーの。何はぐれてんだよ、心配させやがって」
「そりゃお互い様だ」
「とにかく、雨も止んだし、早いとこ仕事済まそうぜ」
「もう済んだ。たまたま鬼と出くわして」
 ヴィッシュが言うと、緋女とカジュは目を丸くして顔を見合わせた。
「片付けたの? あんた一人で?」
「ああ」
「やるじゃん」
「怪我したけどな。後で治してくれよ」
「いーけど。そのお墓、何。」
 カジュが指さす先は、ヴィッシュが作ったばかりの墓石。ヴィッシュは頭を掻く。
「それが……俺にもよく分からねえ」
「はあ?」
「うわ。すっげ。それ自動人形。」
 カジュがブリキメイドの亡骸に寄っていって、しゃがみ込み、ぺたぺたとその体を触りはじめた。関節の隙間から中を覗き込み、目にはまった赤い宝石をじっと観察し、
「持って帰ろ。」
「あ、いや、待ってくれ」
 慌ててヴィッシュは制止した。
「これ、お金になるよ。」
「知ってる。でも……頼む。そのまま、そっとしといてやってくれないか」
 自分でも、どうしてこんなことを口走っているのか分からない。
 ただ、墓石に寄り添い、安心しきった表情の彼女を見ていると――
「そいつはずっと、働きづめに働いて――
 今やっと、大仕事をやり遂げたところなんだ」
 煙草の煙を、秋風が吹き流していく。
 見上げれば空は、一欠片の白も黒もない。青。

THE END.




※この作品は、闇鴉慎がGMとしてセッションを行ったTRPGのシナリオを、小説向けにアレンジしたものです。ストーリー中に、参加プレイヤーの行動を元にした要素が一部存在することをお断りしておきます。
 元ネタはこちら! 「ソードワールド・オンライン・リプレイ 第2話 Gの食卓」