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2012年12月21日

 ■ せかいはひとつ

せかいはひとつ

「オリーブオイルだあ。イタリア人。人類はイタリア人が創ったんだぜ、え……」
 僕はこの手の駄法螺にうんざりしきっていた。イタリア、ウクライナ、サウス・コリア、セントヴィンセント・グラナディーン。国家も国境も民族もなくなり、地球はお望み通りひとつになった。あるのはただひとつ、《われわれ》のみだ。《われわれ》の母体がかつて世界の中央に位置した小さな島国であったことは、歴史の本には載っている。彼らが武力を用いた強行市場開拓によって地表の98%を傘下におさめたことも。だがその時代は既に遠く、僕らはその島国の名前さえ忘れてしまってるではないか。
「流れてるんだよ。な。血管の中には、たっぷりのヴァージンオイル。さらさら、くねくね」
「かまわないでくれ。なあフレッド、こいつほっぽりだしちゃってよ」
 と、僕は哲学者バーのマスターに懇願する。だが彼はかぶりをふるばかりで、
「我らは不可分。個と公」
「酒をゆっくり飲む権利もないっていうの……」
「あるとも、状況によっては、な。だが彼にもみじめに酔っぱらう権利があるのだ」
「なんて店だい。二度と来ないよ」
「その言葉は三度は聞いたぜ」
 そう言って、フレッドは大げさに笑った。彼の豪快な笑いぶりはこの店の名物でもある。それがこの店の主旨だからだ。フレッドの持論は、酔えば人はみな哲学者。多いに呑み、多いに呑まれ、多いに語れよ。さらば多種多様なる無用の長物が頭の奥からひり出されよう。それを一笑に付す、なんと嬉しからずや。
 歴史上に綺羅星のごとく輝く哲学者達の思索を、酔っぱらいのたわごとと同列視とは。彼の傲慢さには恐れ入る。
「今度こそほんとうだ」
「お前の言うことがほんとうかどうかは誰にも分からない。未来は見えないからな。いや、どうだったか。見えないと思っているのは俺だけで、本当は見たくないものを見えないことにしているだけかもしれない。お前がとなりの酔っぱらいを見たくないと思っているように」
「あんたの理論にもとづくとね、フレッド、僕がこいつを見たくないと思っているとどうして分かるんだい」
「分からないよ、目には見えないし。ただ俺には実際、お前がそう思っているんじゃないかという気がするし、そういう気がしたときにはこう言った方がいい、と思うと感じられることを言ったまでなんだ。少なくとも、そういうつもりだったと今は思っている。どうだ、あたりかね……」
「あたってるよ。だから追い出してほしいな」
「それはできない。見たくないものを切り離していけば、《われわれ》は我々でなくなってしまう」
「どうして……」
「たとえばだ、お客さん。お前の腕を切り落とす。お前は二つの部分に分かれたわけだが、お前の本体は、さてどっちだ……」
「胴のあるほうに決まってる」
「では胴を腰のところで横にまっぷたつ」
「胸の方」
「今度は首を切る」
「気持ち悪いこと言うなよ」
「答えろよ」
「頭、だと思う」
「頭蓋から脳を取り出す」
 僕は悩み、
「脳」
「左脳と右脳」
「分かるもんかっ」
「では右脳の一部を取り出したちっぽけなニューロンの塊は……」
「そんなものは僕じゃない。ただのαアミノ重合体だ」
「そのとおり」
 フレッドは満足そうに頷いた。
「人を細かくパーツに分けていく。するとどういうわけか、どこからか人ではなくなる。少なくとも俺たちには人ではないと感じられる。その境目はどこにあるのか。どこからどこまでが人なのか。いずれにせよ人とは物体ではなく、システムですらない。ただおぼろげで形のない概念を、人間が人だと認識しているだけだ。これは、何を意味する……。人は本当に存在するのか……」
 僕は何も言えない。
「《われわれ》だってそうなのだ。ただ一つになって《われわれ》なのだ。今さら人種や民族や国家や、貧富、性別、そのたもろもろ、そうしたもので人を分割していくことはできんのだ。それは今や、人類そのものを殺すことになってしまう。《われわれ》は、ひとつなんだよ」
 僕は舌を打った。
「気持ち悪い」
 フレッドは頷いた。
「そのとおり」

THE END.


※この作品は、「即興小説トレーニング」http://webken.info/live_writing/にて書いたものです。
お題:僕の人間 必須要素:オリーブオイル 制限時間:30分

投稿者 darkcrow : 2012年12月21日 01:25

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