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2006年03月30日

 ■ Another Centuries Episode 2 予約特典 富野由悠季インタビュー

(富野、ACE2オープニング映像を食い入るように見ている)

「聖戦士ダンバイン」

 巨大ロボットものであれ、メカものであれ、言っちゃえば飽きるほど仕事として、仕事としてやってきました。なおかつ、それ以後も仕事としてやっていかなきゃならないときに、巨大ロボット物を同じように、言ってしまえばガンダムのアレンジみたいなものだけでやっていくのは、それは少しまともな大人だったら飽きますよね。自分が飽きるのは嫌だから、飽きないために、巨大ロボットものというジャンルの中で何をやるかということを考えて、そしてアニメというのは元々嘘八百の物語なわけだから、巨大ロボットものというジャンルに決め事なんてのはないんだから、要するにファンタジー的な要素を入れた作り方もあるだろうと。それこそ新しいものを作っていくということを考えれば、ファンタジーものの世界と融合させるというのはあるんじゃないのか、ということを考えた。
 そうすると、それは同じ巨大ロボットものという、いつも宇宙人がでてくるか、要するにまた新しい敵側の組織を作って、その固有名詞だけかえて、なんとなく巨大ロボットものを作るよりは面白いかなということで、ダンバインのときには、ファンタジーものとドッキングさせる仕事をしたという、それだけのことです。だから、仕事を成立させるためにやった。だけど、いつまでもコピーというのは嫌だから、他の切り口はないかということで、僕の場合にはダンバインのようなものを作ったということです。

「重戦機エルガイム」

 ガンダムでやった近未来というところでの、多少SFがかったというんだけども、SFというよりもやっぱり近未来戦というような、かなりリアルなフィーリングの舞台にしてたわけなんでで、僕にとってはリアルだったんです、現実だったんですよ。アニメだから、嘘八百の世界なんだから、もっとぶっ飛びたいなっていう。いわゆる本当に数千年先の、つまり未来の物語というふうにしたら、エルガイムみたいなものが作れるんじゃないかというふうに考えたのが、僕の立場なんです。
 スターウォーズはもう完全に無視してました。むしろガンダムのときにスターウォーズと全くドッキングしちゃってマズったなというのと、それからドッキングじゃなくて競合していってスターウォーズに負けたっていう敗北感がものすごくあるわけです。エルガイムでやろうとしたのはスターウォーズ以後、もっと先。
エルガイムでやったときに分かったのは、あ、なんだ、ここまで行ったらファンタジーなんだよねっていうことが分かったってことで、エルガイムのことで僕が曖昧にしか思ってなかったことを、この20年、永野君がファイブスターでやってくれてて、ああ、こうなるんだよねって。それは僕にとっては、やだな、ってことです(笑) つまり作り手が違うわけだから、ファンタジーとして巨大ロボットものを進化させていったらファイブスターになるよね、だけどそれは僕の立場で言うとそれは認めたくない。僕が思っているエルガイム的な世界っていうのはこういうことではないんだよね、っていうのは当然ある。
 ガンダム的には絶対にしたくない。そういうものを作りたいと思ったっていうことなんです。

「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」

 うん、商売でやってんだよ、っていう言い方が、実を言うと僕にとっては正しいのね。で、商売になる、つまり自分が食うためにやるしかない。食うためにやるときに、逆シャアしかねえのかって言われたら、そりゃ仕方がないよね。ダンバインヒットしなかったんだもんね、っていうことです。また戻らなきゃいけないということでいうと、仕事師として、やっぱりちょっと辛いのよ。辛いんだけども、今度は仕事師だから、商売として成立させようと思うわけよ。成立させようと思うとき、コピーをやってると絶対成立しない。僕はアイディアマンじゃなかったからなんでしょうね、え、年を取る主人公かあ、だったらそれを正面切ってやるしかないっていうところが、結局、エネルギーを使うところであったと同時に、アイディアがなくっても、ひょっとしたら人の人生を描くというところに割り切っていけば作れるかもしれないっていうふうに思ったことは事実。
 だけども、役者を作ったレベルで言えば、自分自身が今度は、言ってしまえば年寄りにもなりきってないために、つま先まで作らなきゃいけない、というしんどさはすごくあったし。
 昔のガンダムのイメージがある人が、もう周りにかなりいる。その周りにいる人たちに対しても、えぇーっと思わせない最低限度をクリアしなくちゃいけない、というしんどさ、っていうのは……どうなんだろう、訳が分からないで作る新作によりは、辛気くさい、めんどくさい仕事であることは事実です。だけど、出来はどうかは別にしても、十何年たっても逆シャアのことについてこうして言われてるっていうことは、まあそれなりに、59点くらいでパスしたのかな、っていうことがあれば、やっぱりそういうふうな事を、仕事をさせてもらうことなんですよ。つまり自分の好きなものを作ってるわけじゃないんだけども、仕事をさせてもらうことで、なんとかかんとか生き延びられることができたという意味では、アニメというものとか、巨大ロボットものを、バカにしないで正面きってやってきて、本当によかったなと思ってるっていうことです。

「ブレンパワード」

 TVシリーズものをやるのを、本当に忘れてたんで、その再起戦みたいな気分がすごくあって、なんていうのかなあ……簡単に言うと思いを出し切れていないというのが、嫌な印象が残ってる。ただ逆に言うと、ああこれでもう一度、僕にとってはTVアニメが本業なわけなんで、ああ、もう少しできるなっていうことを思わせてくれた、っていうことがあったんで、うれしかったっていう、そういうプラスの印象があるんです。
巨大ロボットものと言われてるカラッとした作りというところに行けないところがあって、作品的に弾まなかったっていう反省が……これが、年を取っていくということなのかな、っていう自覚症状も手に入れられたことだった。ブレンパワードに関しては本当に、作品のことが言いづらくて、むしろその反省も具体的に制作中から分かってきたので、その後の仕事をやることができたという。
 オープニングで、ブレンパワードのシルエットが動いているのを久しぶりに見せられて、思ったのは、いや、まてよとは思いましたね。どういうことかというと、この造形の持っている、メカでもない、かといって、それこそダンバインとかリーンの翼に出てくるオーラバトラーでもない、中間値をいっているデザインの持っている訴求力というのはあるんじゃないのかと。永野護君のデザインの持っている、十年先の何かを掴んでるような気がする、という。デザインの革新性っていうのを感じましたね。シンプルイズベストを持っている造形というのは、むしろこれから大事にしてほしい。ゲームの世界で大活躍させていただきたいな、と思っているというのがあります(笑)

「ゲームに再現された富野作品」

 俺だったらこうはやらないよね、っていうことが、半分以上がですね、悪口じゃないですよ? あ、こうかっていう新発見になってます。つまり一人の人間の思いこみというものが持っている、映像的な印象というのは、実を言うととても単一のものです。
特にゲームの中でのムービー画像がこれだけ進化してくれてるおかげで、色々な物が見られるというのは、僕にとってはとても便利なツールになってて……すいません、ゲームになってません、ツールになってます。ウフフフフ(笑)

「富野由悠季とゲーム」

 基本的にやりません。あのー……なまじ手をつけると、おそらく生活破綻者になっちゃうんで。ていう気性がよく分かりますので。パソコンに入ってるゲームくらいで満足してます(笑) 飽きずにやってますよ(笑)
 やっぱりあの、嫌悪感があります。嫌悪感というのが、自分もはまるかもしれないという、めんどくささってのが、ものすごく想像がつくからです。ゲームは好きになってはいけないっていうふうに、努力してましたね。その努力は、それこそ2、30年なんていうものじゃなくて、続いてます。中学くらいのときから、それこそ我々の時代でいうトランプから始まって、花札みたいなことも、自分がどうはまっていくかっていうのが分かったんで、ゲームに近づかない努力をしました。僕が嫌悪感を持つっていうのは、ゲームってそういう怖いものだから、ゲームで商売する人が、だから大っ嫌いなんです。それは一番人の弱いところにつけ込んで商売するっていう大人の仕事だから、それは、基本的にやっちゃいけないことだ。だから、ゲームっていうのは僕にとっては、博打と同じです。そのくらい、すさまじい威力を持ってるってことを承知してるってわけです。
 これは、他の並んでるやつと違うぞ、と思ってくれた子たちが、とか、あれ、この音声の台詞はちょっとちがうぞと思ってくれた子たちが、こちらの、つまり作品のほうに振り向いてくれたときに、お前いつまでも中毒でいたらいけねえじゃねえかバカ! って言ってる作品があるわけですよ。そういう関係性を、やっぱりその、社会人であればということもあるし、大人になれば、ある時教える立場に行かなくちゃいけないていうことも、やっていられる。それは、やっぱり大人として、とても大事なことなんじゃないかと思えるから。むしろ、人気があるから取り込まれてるわけだから、ていう意味でうれしい。今度は、取り込まれた上で、その上で、お前ら楽しませるだけのことじゃなくて、おそらくね、100万人、1000万人というゲーマーがいたら、というかチビがいたら、その中の何人かは絶対にこっちに向いてくれる子がいて、それこそ中毒を脱出してくれる子がいるはずなんです。
 まさに毒性が強いからです。そういうものも入れておくことによって、またゲームから離れてくれる子がいることも、これも実を言うと、ゲームという機能が持っている大事な側面として、ぼくは大事にすべきだとおもう。
 問題は、あとその中に、我々がどういう、別の物をつまり滑り込ませてあげられるのかという能力の問題になってきてる。一つだけ年齢の問題があって、僕は養老孟司さんほどRPGゲームが好き、入れなかった人間なんで、本当はどうなのかなというのが、ゲームの実体がよく分からないというのがある。だけれども少なくともゲームの持っている、射幸心をそそるという部分に関してだけは、それも利用していかなきゃいけないというのは、人間ってのは元々そこにいるわけだからというのがあって、だけどお前らこっちもあるぜ、ということを教えていけるのが作品を作るということであるんで、だから作品は作品としてやらせていただきたい。その上でまた利用していただけるなら利用していただきたいし、今度は逆に言うと、利用されるような作品にしておきたい! それでその作品に絶えず、射幸心をそそることに関してのアンチが入れられるような作品を作っていきたいってなったら、単純にたとえばその巨大ロボットものを繰り返し作ってるよりも面白いじゃないですか。

「リーンの翼」

 今回は、ネット配信の話は、実はもう三年前から出てて、それでもうハナから乗りたいなと思っていたっていうのは、ネットはこうなるだろうなっていう、現在の状況っていうのは、やっぱりだいたい想像がついてました。で、つくようにもなったというのがあるんで、むしろ年寄りにやらしてもらうんだったら、それはありがたいなっていうこともあったんで。抵抗感はなかった。
 ネットっていう媒体の機能とか癖を知るためには、やっぱりやるしかないじゃないですか。で、やってみることによってっていうことで言うのは、もう僕には結論はでてるんだけども、映画館じゃないだろう、という気分がすごいあります。だけど、映画っていうものに思いがものすごく深い世代なんだけども、そうではないだろうと。というのは、というのは、ルーカスプロが映画館でかけるものでさえ、すでに衛星から落としてるわけだから、ていうようなことを考えたときに、旧来の興業体制というものはネットでひょっとしたら破壊されるかもしれないし、破壊されるんだけど、じゃあ興業がなくなるのかというと、僕はなくならないと思ってる。
 マーケットっていうのかなあ。どう動くのかっていうのを見ていきたいと思ってる。そうなった時に、一つだけ、この年寄りでもいいだろう、と言わせるためには、だったら、ロボットものを装っているんだけども、ファンタジーものを装ってるんだけども、本気で行くぞ! というのを、やっぱり作った。作ってるっていうことです。
 配信の違いによって、TV局経由で出さなくちゃいけない物語でないものが、いま間違いなくリーンの翼でできあがりつつあるんで、嬉しく思ってるし、そのできあがりつつある、つまり全部作り終わらない限り評価されないから分かんないんだけども、少なくとも、前のリーンの翼のノベルスとか、それからダンバインとか、そういうものが構築してきた要するに物語とどういう関係性があるんだって言うと、ねえよ! っていうくらい違うところに行ってます。
 物語論として、えっ、ロボットアニメがついにここまでリアルになったか、というところをやってます。でも1話を見る限り、リアルじゃないでしょ? むしろよりファンタジックになってるんだけども。ええ。見終わったときに、なまじの実写なんかメじゃないという、確信はあります。
 あ、ここまで自分もスキルを上げさせてもらった。
 じゃあ何期待するんだっていうと、うん、アニメが違ったかもしれないという。本気に作ってもいいよ、お前ら、という。アニメを本気に作ってもいいよ、というのは分かるようにしようと。
 ガンダムが、あるときロボットものという、リアルだと言われている。そのリアルと言う言葉が、リーンの翼はね、もっとリアルに感じられるかも知れない。というものを作りたいと思ってます。

「最近、感じていること」

 あのね……。アニメファンっていう窓口からだけ見ていれば、お前らしっかりしろよっていう言葉遣いは今でも通用するだろうというふうに思いますが、この2、3年の経験でちょっと違います。間違いなく、つまりファーストガンダム世代の人たちでさえも30代半ばに達していて、この2、3年、僕自身こういう立場にいるおかげで、本当に他のジャンルの方とお会いする機会が多くなってきてる。つまりどういうことかというと、30代半ばで、アニメなんかもうとっくに忘れてる世代の中に、確実に、たとえばガンダムファンがいるんですよ。すごいな、怖いな、ヤバイな、と思ったことがある。たとえば中高時代はそりゃちらりと見ただろうけど、それから間違いなく頑張ってきて、いま中堅をやってるなんていうのが、中央官僚から、中央官僚からですよ、大学の助教授レベルに、(両腕を大きく広げて)かなりいるんですよ!(笑) かなりいるんです。
 あ、やっぱり、あるとき、ロボットアニメだからって手を抜いて作らなくて良かったって、それだけです。で、そのために、今になって、むしろ具体的な支援者、アニメファンじゃないんです、アニメファンじゃないところに、間違いなくサポーターがいるってことが分かってきたときに、あ、やっぱりテレビアニメといえども、テレビまんがといえども、公共に対して発表する作品は、無駄に作っちゃいけないなっていうのを本当に感じてる。それを、むしろ現場の人には伝えたい。

「旧作と新作の狭間で」

 昨日今日から、ついにダビング作業に突入しましたんで、来週あたりが地獄です(笑)
 ものすごく気持ち悪い時があります。あの……言ってしまえばタイムスリップなんですよ。で、ゼータが結局旧作の復刻だからということがあって、新作が並行してるときのとっちらかり方と違う、ねじれ現象があります。瞬間芸のときも、それが瞬間芸の時だったり、2、3日続くときもあります。
 Zがどっぷり浸かってて、こちらに入って来たときに、え……? って。これは何をやってるんだろうか、っていうところがあって。だからといってじゃあそれが悪いかというと、これがまた人間って凄いなって思うのは、一本だけやってると結局ねえ、一本調子になるんですよ。だからその、ブレるっていうのは、あっていいのかなあ……と思う。

2006.1.19
サンライズにて

投稿者 darkcrow : 2006年03月30日 22:22

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