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2006年05月22日

 ■ サンダーバード

 第三ハチノスの上に建造されたものは、都市というよりもタイガの大森林を彷彿とさせる。
 天を衝く程の巨大構造物は、みな何らかの実験施設か研究施設である。ゆえにそれぞれの運用に都合がよいよう、奇っ怪な姿をしている。蛇のように細長い塔もあれば、何本もの柱に外から支えられた球体も、中腹が異様に膨らんだビルもある。複雑怪奇な構造物の群れはパズルのように組み合わさり、それらの狭い隙間は編み目のような連絡通路で繋がれている。
 太陽光の殆どは構造物と通路によって遮られ、この薄暗い第三ハチノスでは、真っ直ぐに差し込む光は金より貴重なものだと言えた。
 ……と。
 空中に浮かぶ僅かな光のシャワーを、白い何かが両断した。
 赤い光の尾を曳いて、白い鳥が宙を掛ける。ひぃん……と響く甲高いエンジン音に気が付いて、何人かが地上から上を見上げた。しかし彼らは、視界の中で僅かに煌めく閃光を目にしたのみ。一瞬遅れて音の嵐が彼らを揉みくちゃにして、気が付けば白い鳥の姿は消えている。
『どうだい、サンダーバード?』
「調子いいぜえっ」
 蜘蛛の巣のように綿密な都市の間を、サンダーバードは舌なめずりしながら縫い進んだ。背中に装着された光の翼――新たに作られたジェットエンジンは、思いの外ご機嫌な代物だ。
 風景が飴のように流れていく。光が星のように瞬く。耳元で渦巻く空気の流れが小爆発を繰り返す。ボディをバラバラにしそうな強烈な加速度を、サンダーバードは全身で思いっきり受け止めた。
「イィィヤッホォォォォォォウ!」
 どんっ!
 音速突破の衝撃波で窓の五六枚もぶち割りながら、サンダーバードは雷の速さで突き進んだ。

 第三ハチノスの外れに、この周辺では珍しい空き地があった。この土地はEMOが既に貸借契約を結んでいて、いずれはその研究施設が作られる予定の場所である。今回は、サンダーバードの製造メーカーとEMOが「共同戦線」を張っているために、ここを練習場として使わせて貰うことができたのだ。
 空き地の中には大きな計測器具やら何やらが所狭しと詰め込まれ、大勢の白衣姿がそれと格闘を続けていた。彼らはサンダーバードが戻って来るなり、彼を盛大な歓声でもって迎え入れた。まさに彼は研究者たちのヒーロー……最高傑作だったのだ。
「へっへっへっ! どーよどーよ、今のフライトはよ!」
 ガッツポーズで歓声に応えると、サンダーバードは上機嫌に計測係の方へのっしのっしと歩いていった。長テーブルの上に設置された、いかにも急あつらえの計測器具に向かい、計測係はじっと押し黙っている。その胸元に膨らみには、器具から伸びてきたコードが差し込まれている。彼女もオートマトン。サンダーバードの一年後輩で、協力関係にあるEMO社の秘蔵っ子、ユンである。
「測定結果……出ます」
 ユンは感情の籠もらない淡々とした声で言った。サンダーバードが彼女の頭をクシャクシャに撫で回しても、文句一つ言わない。ユンはまだ一年生の半ば、自我が構築される前の段階なのだ。
 が、情報処理特化型だけあって、その「眼」は信用できる。ユンが端末に命じてプリントアウトさせた測定結果を、サンダーバードはドキドキしながら受けとった。テストの答案を受けとる時の気分。それも……最高に出来が良かった自信がある時の。まあ、彼にとってあまり経験のないたとえではあるが……
 ぴくり。
 結果を一目見て、サンダーバードの眉が動いた。
 一体何時の間に集まったのか、彼の後ろには無数の白衣たちが壁を作り、結果発表を今か今かと待っていた。サンダーバードは沈痛な面持ちで振り返り、白衣たちをざっと見回すと、
「発表するぜ。タイムは……」
 ごくり……
 誰かが唾を飲み込んだ。
「1分37秒22! コースレコード3秒更新だ!!」
 おおおおおおおっ!
 爆発のように巻き起こる歓声が、第三ハチノス中に響き渡った。白衣の研究者達は互いに抱き合い、駆け回り、雄叫びを上げ、あるいは泣き出し、あまつさえ男同士でキスをし始めたりして、それぞれに喜びを表現していた。この狂騒も無理からぬ話ではある。彼らはみんな、「運動会」の「レッドライド(かけっこ)」に人生を賭けている連中なのだから。
 サンダーバード自身もまともではいられなかった。ボンヤリした表情のユンをひょいと担ぎ上げ、奇声を上げて辺りを駆けずり回った。空き地の外では、犬の散歩をしていた通行人が奇異の目でこちらを睨んでいたが……そんなもの目に入りもしない。
「やったな、サンダーバード!」
 と、そのサンダーバードの背に誰かの声が掛かった。サンダーバードが勢いよく振り返ると、そこにはスーツ姿の男が一人。研究者達がヨレヨレの白衣を着ているのに比べれば、パリッとした身なりのこの男は、見るからに営業担当といった風体である。見たところ歳は30がらみ。爽やかで見る者を引き込む、不思議な視線の持ち主だった。
「よおっ、小林」
 小林と呼ばれた男は、にやりと笑って握手を求めた。サンダーバードが、ユンをおぶっていた手を放し、力強くそれに応えた。おかげでユンはすっかりバランスを崩して落ちそうになり、両手両足でひしと彼の背中に抱きつかねばならなかった。
「EMO(うち)で開発した単方向加速器(ブースター)、いきなり使いこなすとはね。正直驚きだ」
「まだまだ。さっきのはカタログスペックを出したに過ぎねえ。本当に使いこなすってなァ、こっからのことさ」
 小林誠、彼はEMO社の社員であり、本来ならサンダーバードの敵となってもおかしくない男だった。それが、練習中のサンダーバードの姿を一目見て惚れ込んだ――と、小林本人は言っている――らしく、突如技術提携を申し出てきたのである。
 その後、サンダーバードのあずかり知らない所でのアレコレの交渉がまとまり、今年のレッドライドでは、ニッセンとEMOは共同戦線を張ることとなった。
 その成果は先の通りである。EMOからもたらされた新技術は、サンダーバードたちニッセン・チームが超えられずに悩んでいた数年来の壁を、あっさりと取り払ってしまったのだ。
 これで結果を出さなきゃ男ではない。サンダーバードは今までの人生の中で、今一番燃えている時だった。まあ、まだ2年しか生きていないオートマトンではあるのだが。
「まぁ見てな。本番までには、あと1秒は縮めてみせるぜ」
「頼もしいよ。ああ、そうそう」
 ぽん、と小林は手を打った。
「そういえば、今年の出走メンバーが発表されたんだよ。聞いた?」
「なんだそりゃ」
 ぴー。と、サンダーバードの耳元で音がした。彼の背中に抱きついていたユンが、突然口から小さなプリント・アウトを吐き出したのである。便利なもので、彼女の口には小型のプリンターも内蔵されている……なんかちょっと見た目が汚いのが難点ではあるが。
「えんあーほうれふ。ろうろ」
 ……メンバー表です、どうぞ、と言いたいらしい。
「ばっちいなァ……」
 サンダーバードは眉をしかめながら、ユンの口から紙切れを受けとった。が、メンバー表に目を通すにつれて、その表情はみるみる険しくなっていった。
「どうだ? 手強そうか?」
「ま……はっきり言えば、怖い奴ァいねえな。
 ……一人以外は」
 言いながら、小林に紙切れを手渡す。
「トヨダの八咫鴉(クロウ)。奴だけは格が違う……」
「困ったな。我が社の威信を賭けて、君には勝ってもらわなきゃならないんだが」
 悪戯っぽく笑う小林を、サンダーバードは鼻で笑い飛ばした。
「勝つさ。だが、おたくの会社も、うちの会社も関係ねえ。俺はただ、奴にだけは絶対に勝つ。それだけだ!」
 いつの間にか、周囲で騒ぎ立てていた白衣たちが、一人残らず押し黙ってこのやりとりを聞いていた。その思いはみな同じだった。トヨダとニッセンは、十年近くもの間レッドライドで覇を競ってきたライバルチームである。奴らにだけは負けられない。その思いは全員同じだったのだ。
「……行くぞ、ユン。調整の続きだ」
「はい先輩」
 ユンをおんぶしたまま、地面を踏み割りそうな勢いで帰って行くサンダーバードを見送り、小林はにやりと笑みを浮かべた。
「そう。そうこなくちゃね」

 第三ハチノスの中央部には、トヨダの研究所もある。その地下、電波による盗撮ができないよう、念入りに静電遮蔽が施された電磁的密室の中で、一人のオートマトンが改造手術を受けていた。顔は若い男性のそれだが、見る者を威圧する険のある表情が、彼をカタログ上の年齢設定よりもずっと年上に見せていた。
 彼が八咫鴉(クロウ)、サンダーバードの同期にして、物心着いた頃からずっと張り合い続けてきたライバルである。
 ベッドの上に寝かされた八咫鴉は、胸の人工皮膚をすっかり剥ぎ取られ、その下の外骨格すらも脱ぎ捨て、内蔵を彷彿とさせる不気味な内部機構を晒していた。人間そっくりの顔の下で奇妙なマシンが蠢いているさまは、見ていてあまり気持ちのいいものではない。事実、気の弱い人間には、これを直視できない者も多いくらいである。
「あのね、八咫鴉……」
 剥がされた胸部外骨格を作業台に載せ、女性技師は責めるような調子で言う。だが八咫鴉は僅かばかりも気にしていないようだった。仰向けのまま首だけを起こすと、自分でも滅多に見ることのない内部機構を、物珍しそうに観察しているのである。
「本当にいいの? 危ないよ、これは」
「どう危ないのかな……」
 ちらり、と八咫鴉が女性技師に目を向ける。技師は外骨格を撫でながら、
「強度が持たない。スタートの瞬間バラバラになるかもしれないね」
「確実に、ではないのだな」
「100%でなきゃいいってモンでもないでしょが!」
 技師は八咫鴉にツカツカと歩み寄り、上からその顔をじっと覗き込んだ。八咫鴉はまっすぐに視線を返してくる。
「運が悪けりゃ……死ぬぞ」
「良かろう。死ぬ気でもなければ、奴には勝てん」
 呆れ半分に技師は溜息を吐いた。だが、残り半分は……嬉しかったのだ。
 この技師は名前を星島と言う。星島にとって八咫鴉は、プロジェクト立ち上げの段階から自分が中心になって造り上げた、記念すべき第一号オートマトンだった。苦労も多かった。意外なほどの我が儘さに腹が立ったこともあった。だがそれだけに、この反抗的なオートマトンが可愛くもあった。
 自分の息子のように可愛がってきた八咫鴉が、死をも厭わず戦いに向かう。ニッセンのサンダーバードに勝つため、命の保証すら捨てようとしている。
 なら……「母親」にできることは、笑って送りだす以外にないではないか。
「……分かった。好きなようにやったげる。まっ、空中分解したらその時は……ネジの一本も拾ってやるか!」
「そうしてくれ。約束だぞ」
 星島は悲しげに笑うと、早速外骨格のグラインドに取りかかった。砥石の上で自分の外装が火花を散らすのを八咫鴉はぼんやりと聞いていた。彼の意識はもはや研究所を飛び出して、レッドライドのスタートラインに立っていたのかもしれない。唸るエンジン。弾けるブースター。空気は鉄板のように固い壁と化し、音は単なる振動となる。超音速という、通常世界とは薄皮一枚を隔てた亜空間の中で、八咫鴉は奴と並んで飛ぶ。サンダーバード。この世にただ一人だけ、自分と同じ亜空間へ侵入しうる男……
 この時を待ち望んでいた。レッドライドで奴と勝負するこの時を。
 ハチノスの運動会に群がる企業という名の魑魅魍魎どもは、三者三様の欲望でその場を穢すだろう。自社製品の性能誇示に血道を上げ、神聖な勝負を薄汚い宣伝文句でもって飾るだろう。だがもはや、そんなことはどうでもよかった。やりたい奴らにはやらせておけばよい。
 どうせ奴らは、私たちの空間に入り込めはしない!
「……待っていろ、サンダーバード」
 小さい、だが情熱に満ちた声を、八咫鴉は爆発させた。
「貴様に勝つのは、この私だ!」

 そして勝負の日がやってきた。
 三日間に渡って開催される「運動会」の最終日。雑誌やテレビの取材も詰めかけ、ハチノス中が熱狂に沸き返っていた。各社ともこの「運動会」の中で存分に自社製品をアピールしただろうが、まだ、最後に最大のアピールチャンスが残っているのである。
 それが「レッドライド」。ルールは簡単、第三ハチノスの規定のコースを、とにかく速く通過しきった者の勝ち。移動方法は自由で、地上を走行するもよし、サンダーバードのように空中を飛行するもよし。コースに沿って水路も用意されているので、変わったところでは航行していく連中もいる。
 数ある種目の中でも最も単純なレッドライドは、毎年最大の注目の的となるのだ。
 TV局の飛行オートマトンが撮影する映像には、今ごろ東京のアナウンサーが解説を付けているころだ。
『さあついにやってまいりました、「レッドライド」。出走メンバーを紹介します。
 まずはゼッケン1番サンダーバード! 今年はニッセン・チームにEMOが協賛しています。本日の解説はオートマトン工学の権威、仁井正光氏です。いかがでしょう?』
 コースの先をじっと睨むサンダーバードの横顔が、画面に大写しになった。彼はビルとビルの間に張られたスタート・ポールの上に座り、両足と背中のブースターをぶらりぶらりと揺らしていた。ふと、サンダーバードがカメラの存在に気付いた。にやっと嬉しそうな笑みを浮かべると、カメラに向かって大げさなガッツポーズをしてみせる。バランスを崩して落ちかけたのはご愛敬。
『あ、いいですねー。緊張が見られません』
『リラックスしていますね。続いてゼッケン2番は、トヨダの……これは、ヤタガラスと書いてクロウと読むようです。去年の優勝チームですが』
 地上にいた八咫鴉は、カメラに写された丁度その時、ブースターを軽く吹かして空へ飛び上がった。撮影オートマトンはその姿を追い切れず、しばらくカメラを振り回してその姿を探し求める。
 やがて別のカメラに映像が切り替わり、スタート・ポールの上に……サンダーバードのすぐ隣に直立する、八咫鴉の姿を映し出した。
『この動きは鋭い。加速がいいですねえ。大分軽量化したんじゃないですか?』
『強度は大丈夫でしょうか?』
『そこは心配です。が、音速突破の衝撃さえ乗り越えられれば、かなりのアドバンテージになりそうですよ』
『えーそれから、ゼッケン3番のワームウッド。それから4番の石楠花、このあたりは今年が初出場の……』

 ざわめきが――吸い込まれていく。
 超音速の亜空間に飛び込んだのでもない。それはどころか、まだスタートさえしていない。なのに、周囲はこぢんまりとした、しかし堅牢なシェルターに包まれていた。圧縮され、減衰し、ついには虚無の中へと潰え去る、ありとあらゆる音。
 この静寂の中に、奴とただ二人。
「よぉ。相変わらず愛想のねえ奴だな、カメラに手くらい振ってやれよ」
「遅い者には何の価値もない。価値のない者に気を遣う義理もない」
 サンダーバードの軽口に、八咫鴉は淡々と応えた。
「私にとって価値があるのは……サンダーバード。貴様だけだ」
 ふっ、とサンダーバードは鼻で笑う。これじゃあまるで愛の告白じゃないか。しかしよくよく考えてみれば、自分も似たようなものかもしれない。八咫鴉の眼は、この勝負に勝つこと以外の何にも向くことがない。そう、自分と同じだ。自分はただ……八咫鴉よりちょっとばかり人間が好きというだけのこと。
 お互いに。
 この時のためだけに、生まれてきたのだ。
「嬉しくって涙が出らァ」
 心底嬉しそうに言いながら、サンダーバードはスタート・ポールの上に立ち上がった。
「今日こそてめえに勝つ!」
「私の台詞だ!」
 瞬間、音が弾けて二人だけの世界は砕け散った。蘇ったざわめきに身を晒し、二人の戦士は真っ直ぐ前だけを見つめて立ち尽くす。出走準備は一通り終わったようだ。目の前のビルの中で、赤い光の眼が爛々とこちらを睨んでいる。あれが緑に変わったとき、勝負の幕が切って落とされるのだ。
『それではレッドライドを開始します! 発進3秒前……』
 ひぃん……
 無数のCIエンジンが、美しい旋律を奏でる。ジェットブースターに火が点り、脚部のフロートシャフトが唸りを上げ、オートマトンたちの放つ熱気が陽炎の中に景色を融かす。
『2……』
 サンダーバードは身を屈め、八咫鴉は大きく翼を開き、
『1……!』
 大空へ、
『GO!!』
 どごがぁぁああん!!
 いきなり爆発するスタート地点。
「うおわあああああ!?」
「ぬええええええっ!?」
 情けない悲鳴を挙げながら、その場にいた全てのオートマトンが爆風に吹き飛ばされて、地面やらビルやらに叩きつけられる。サンダーバードも鼻先から思いっきり地面に墜落し、しばらく痙攣しながら悶えていたが、やがてがばっと体を起こした。
「なっ……なんだ!?」
 ……と。
『ゴォールッ! 優勝は、ゼッケン3番ワームウッドさんでーすっ!!』
 ……………。
 しばし呆然と虚空を見上げていたが、ようやくサンダーバードはアナウンスの意味を理解した。
「なっ!?」
「何だとおぉぉぉぉっ!?」
 サンダーバードを押し退けながら絶叫したのは、他でもない八咫鴉である。奴もサンダーバードと同じく吹っ飛ばされたらしく、全身泥だらけの満身創痍。無理に軽量化したボディにあの爆発は効いたのか、サンダーバードの肩を掴んだその腕が、耳を塞ぎたくなるような嫌ーな音と共にもげてしまった。
「うお!? 八咫鴉お前、腕! 腕!」
「そんなことはどーでもいい! 一体コレは……」
『タイムは3秒47!』
「うそつけえっ!? それワープかなんかしてんじゃねーのか!?」
『瞬間最高時速はマッハ15! いやー凄いですねワームウッドさん、今のご気分は?』
『最高です!』
 ……最悪だ。
 サンダーバードは、まるでCIエンジンが止まってしまったかのように、力なくその場にへたり込んだ。もう立っていることはおろか、指一本動かすことも、瞬き一つすることさえもできそうになかった。
「わ……わ……私が……」
 サンダーバードの隣で生ける屍と化した八咫鴉が、かすれた声を挙げる。
「私が今で全てを捧げてきたのは……何だったんだあーっ……」
 ぴしっ。
 ……またしても、嫌な音。
 八咫鴉の全身に稲妻のようなひび割れが走り、次の瞬間彼のボディはガラガラと音を立てて砕け散った。やばい! と思うが早いか、サンダーバードは残った力の全てを使い、八咫鴉の頭部をキャッチする。
 ま……気持ちは分かる。今は好きなだけ砕けさせておいてやろう……どうせ、電脳さえ生きていればボディはどうとでもなるのだ。
 今度こそ全ての力を使い果たしたサンダーバードは、お腹に憎たらしい八咫鴉の頭を抱え、ばたりと仰向けに倒れ込んだのだった。

 正座して話を聞いていた椎也は、顔中からダラダラと汗を垂れ流していた。ボディ内部の冷却循環系だけでは電脳の加熱を処理しきれず、ついに外にまで冷却液を放出し始めたのである。
 いかん。まづい。どうする。
 どうするもこうするもない!
 椎也はやおらがばりと土下座した。
「し、知らぬこととはいえ、その節はなんとも失礼を……」
「あー。いーっていーって。別にお前を責めたってしょーがねえだろうが」
 半分うんざりした口調で言いながら、サンダーバードはパタパタ手を振った。……まあ、鬼のシゴキをやってるときの半分くらいは「テメーあの時はよくも!」とか思っていたのも事実だが、それはナイショにしておいて。
 そんなサンダーバードの心情も知らず、恐る恐る顔を上げながら、恐る恐る椎也は聞いた。
「あの……それから、どうなったんですか?」
「アホらしくなったわい!」
 サンダーバードは腕を組み、コンクリートの壁に背中を預けると、
「ワームウッドのヤロウは、それまでの最高タイムを30分の1に縮めちまったんだ。散々苦労してコンマ何秒を競うなんざ、もう馬鹿馬鹿しくってやってられねえよ。
 ……ま、でもな。悪いことばかりでもないんだぜ」
 と言うと、サンダーバードは左腕を動かして見せた。彼の左腕は異形のハイパワーアーム……人間に似せることを無視した代わりに、通常の腕部とは比較にならないパワーを出すことが出来る腕である。
「おかげで俺は速さ以外のことにも目が向くようになった。ひたすらピーキーに速さを高めていくんじゃなく、今持っている速さをもっと有効に使うにはどうすりゃいいか、ってことに考えが回るようになったのさ」
「それが……その腕なんですか」
「おうよ。軍でも災害救助でも警察でも、早く現場に駆けつけりゃいいってもんでもない。助けなきゃいけない人が瓦礫の下にいたら? 道が塞がれてたら? 役に立ちそうだろ。
 他にも色々やったぜ。視力上げてみたり、慣れねえ勉強やってみたり……そういう意味じゃあ」
 サンダーバードの左手が椎也の頭を撫でた。その肌触りは固い。だが……
「感謝してるって言ってもいい」
 やけに温かかった。

投稿者 darkcrow : 2006年05月22日 22:04

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