ARMORED CORE 炎-FEUER-

 2 おひとよし女と油断ならない男 -Simple Girl and Complex Man-


 かんかん照りの太陽が、トラックの白い屋根を焼く。
 半砂漠化した荒れ地の中を、まっすぐ伸びる無舗装の道。悪路にトラックが跳ねるたび、荷台のでかぶつがゴトゴト鳴った。青い界面活性シートにくるまれた巨大な相棒。ルームミラーにちらりと目を遣り、後部座席の荷物の山ごしに、その巨体を確かめる。
 「ペンユウ」と名付けたこの鋼の相棒は、まったく素晴らしいものだった。何が素晴らしいかって、どんなことがあっても愚痴を垂れないところが素晴らしい。
「前に本で読んだんだけど……」
 助手席で、ノートパソコンを膝にかかえた少女が、ぼそりと呟いた。
 ほら始まった。ハンドルを握ったまま、フォイエは額に汗を浮かべる。
「現代の食糧難の原因は、21世紀に広まった地球温暖化対策なんだって……」
「へー」
 フォイエの相づちが上の空なのに、気付いているのかいないのか。少女はパソコンの革バンドを指でなぞった。
「地球の平均気温が上昇したのは二酸化炭素のせいだからって、二酸化炭素を減らそうとしたんだって。ホントは、単に氷期から間氷期に移る過程で気温が上がっただけだったのにね……」
「ふーん」
「それで頑張って二酸化炭素を減らしたら、今度は気温が下がりだした……そしたら氷河期サイクルのバランスが崩れて、いきなり氷期に突入しちゃったんだ……高緯度帯では氷河がどんどん拡大して、そのぶん地球の水が少なくなって、低緯度帯では砂漠化が進んで……農業が立ちゆくかなくなって……」
「なるほどなるほど」
「つまりね……」
 と、そのとき。
 ぐぎゅるおぅぉぉぉう。
 二人のお腹が鳴り響いた。
 フォイエの額を流れる冷や汗。恐る恐る隣を見れば、少女が……カジュが冷たい目でぼんやりこっちを眺めている。それ以上、カジュは何も言わない。身動きもしない。
 フォイエが一番苦手とする手だった。相手がガンガン突っかかってきてくれるなら、こっちだってガンガン押し返せるのだ。でも、こう静かに苛まれると、フォイエは非常に弱い。なまじ罪悪感があるだけに。
 無論そうしたフォイエの心理を、カジュは分かってやっている。分かった上でなく何かをやるなど、カジュには絶対あり得ない。
「ご、ごめんってばあ」
 たまらずフォイエは情けない声を挙げた。しかしカジュは冷ややかに、
「ごめんで済んだらケーサツ要らないよね……」
「うぐぐ」
 現代の食糧難の原因はカジュが説明した通りだったが、二人の食糧難の原因は別の所にあった。
 ひとえに、フォイエがまたしても金にならない仕事を引き受けたせいである。
 コロニー「ホウシァン」を飛び出してから数ヶ月。当面の生活手段として、フォイエは傭兵業をやっていた。解体戦争時には、一機で一国の軍事力にすら匹敵したと言われるネクストだ。それを駆るリンクス傭兵は引く手あまた、やり方次第で莫大な金を稼ぐことも難しくない。
 ところが、だ。
 フォイエときたら、裕福なコロニーやら大企業やらのオファーはしぶるくせに、金も食糧もない貧乏コロニーが困っているのを見ると、ほいほいと手を貸してしまうのである。
 当然、ネクストの維持費や燃料代だけでも、想像を絶する金額になる。ときどき割の良い仕事を引き受けたとしても、その儲けはあっさり消し飛ぶ。
 で、結局。
 一仕事終えたばかりだというのに、食糧難は一向に解消される兆しを見せないのであった。
「だ、だってさあ! 企業の横暴とか、そーいうのほっとけないじゃない! ね!」
「まーいいけど……14個」
「へ?」
「プリン、溜まってるからね……」
「うーむ……」
 いつの世も、給料を安定して払えなくなった雇用主というのはみじめなものである。まあ、プリン14個程度で済むのだから大したことではないが、逆に言えば、その程度も払えないという、実に情けない状態でもある。
 と。
「あ。人轢きそう」
「ん?」
 ぽつりと呟くカジュ。一瞬その意味を理解しかねて……
 突然、閃光のように理解した。
「どわああぁああ!?」
 叫びながら急ブレーキをかけると、白いカーゴトラックは前につんのめりながら、倒れた男の寸前で辛くも停止した。

「ちょっとあんた! 大丈夫!?」
 背の高いトラックから飛び降りて、フォイエは倒れた男に駆けよった。男の姿を目にするなり、小さく呻き、僅かに身を引きつらせる。血。ボロボロになった男の服には、赤い血がしたたり落ちるほどに染みこんでいる。
 一瞬、トラックで轢いてしまったのかとも思ったが、違う。服の脇腹あたりに空いた、焦げ目のある小さな穴……明らかにこれは、銃創だ。
 確かこういうとき、一番大事なのは血を止めることだったはずだ。包帯でもテープでも、接着剤でも縫うのでも何でもいい。何もなければ、手で押さえるだけでもいい。フォイエは銃創にしっかりと手を当て、力を込めながら、倒れた男を膝の上に抱き上げた。
「大丈夫? 意識があるなら応えて!」
 耳元で叫ぶと、微かな反応。男が呻き、細く目を開く。まだ意識がある。耳を男の口許に当てれば、呼吸の音も聞こえてくる。これなら、止血さえすればなんとかなるはずだ。
「カジュ! 薬箱と水……」
「はい」
 叫ぶフォイエの目の前に、にゅっと水のボトルが差し出された。さすがにカジュ、気が利いている。フォイエが男に水を飲ませようとしている間に、もう彼女は薬箱を開き、傷の手当てに取りかかっている。
 口に水を含ませると、男は少し落ち着いたようだった。さっきよりもはっきりした視線で、フォイエの顔をじっと見上げている。フォイエは安心させようと微笑み、
「もう大丈夫よ。一体どうしたの? 誰にやられたの?」
「『キャルビン』……」
「キャルビン?」
 男が口にした耳慣れない言葉に、フォイエはカジュの顔をうかがった。カジュは脇腹の傷口と格闘しながら、僅かに眉をひそめる。
「コロニーだよ。人口7万人、養鶏業が盛ん」
「オーメル軍に……囲まれ……」
 男の呻くような声で、フォイエは事態を理解した。
「あんたは『キャルビン』の人で、この傷はオーメル軍にやられた。そうね?」
 男は小さく頷いた。
「ネクスト……傭兵を探し……助けを……」
 男が弱々しく手を伸ばし、太陽を掴もうとするかのように戦慄かせた。フォイエはその手を握り、きゅっ、と力を込めてやる。男の視線がフォイエを捉えた。フォイエは力強く頷く。大丈夫よ、と。言葉で言うよりも、もっと強い思いを込めて。
「任せて。あたしが傭兵。ネクストの傭兵よ」
 フォイエは炎に燃えた目をカジュに向けた。カジュは指先についた血の臭いを嗅いで、なにやら首を傾げている。が、そんな僅かな挙動など、フォイエの目には入らなかった。今はただ、この男の依頼を受けて、コロニー「キャルビン」に向かうことしか頭にない。
 ……いや。依頼なんていうまともなものじゃない。またぞろ、金になりそうもない。それでも一度火のついたフォイエには、この男を見捨てることはできなかった。
「カジュ!」
 カジュは肩をすくめた。何を言っても無駄ということは、よくカジュも分かっている。
「はいはい。そんなに遠くないよ。急ご……」
「うんっ! 手当よろしく! あたし、座席片付けてくるわ!」
 男のことをカジュに任せて、フォイエはトラックの後部座席に飛び込んだ。跳ねるようなフォイエの挙動を見守りながら、カジュは小さく溜息を吐く。そして、意識も絶え絶えな男の顔を、じーっ、と物言いたげに見つめ……
「キャルビン地鶏の卵は一級品……」
 ぼそぼそ、と呟いた。男の肩が僅かに震える。
「その卵を目当てに、世界中のお菓子メーカーが集まってる……」
 男の無言は肯定の証。
 薬や包帯を几帳面にしまいながら、カジュはにたりと不気味な笑みを浮かべたのだった。

「部長、ターナー保険会社の方が見えてます」
 前線基地……もとい、前線仮設出張所の部長室のデスクで、オーメル・サイエンス・テクノロジー強行市場開拓部長、マリク・コードウェルは溜息を吐いた。
 彼のデスクの真ん中には、無数の書き込みがなされた付近の地形図が敷かれ、その周囲は綿密に組まれた計画表で埋め尽くされていた。時間を掛けて練りに練った作戦……いや、事業計画だ。窓の外では、初夏の陽射しに煌めくMTの装甲板も見える。みな、敵の奇襲……じゃなくて、業務妨害に備えて神経を尖らせているのだ。
 なのに一番厄介なのが、銃弾でもなく爆弾でもなく、保険会社の営業とは。
 いつの世も、企業は変化を要求される。なぜなら世界そのものが時々刻々と姿を変え、そのたびに顧客のニーズも変化するからである。企業はニーズの変化に合わせて的確な商品を提供し続けることで、初めて利益を上げることが、ひいては生き残ることができる。
 中でも、保険会社というのは最も変化の大きい業種の一つだ。
 大きな変革がもたらされたのは、5年前、リンクス戦争のときのことである。この戦争を契機にして企業の統治力は著しく低下し、治安は急激に悪化した。さらに、企業間の実に荒っぽいシェア争いも激化。その混乱は今もなお続いている。
 困ったのは保険会社だ。治安の悪化と頻発する抗争によって、死亡者や負傷者の数は飛躍的に増加した。当然、保険金の支払額は際限なく肥大化し、数多くの保険会社が支払い不能に陥ってしまったのである。
 そこで保険会社が考えたのが、自らの手で戦争や抗争に介入することだった。
 どこかの企業がコロニーに強行市場開拓(という名の軍事侵攻)をしようとすると、保険会社の外交員がどこからともなくふらりと陣地を訪れ、しばらく進軍を待つように、と圧力をかけるのである。その間に別の社員がコロニーに潜り込み、保険加入者だけをこっそりコロニーから脱出させる。コロニー内の保険加入者が余りにも多く、脱出させるのが困難な場合、和平交渉の仲介役を買って出ることまである。
 コードウェル部長のような強行市場開拓の責任者にとってみれば、仕事を進める上でこれほど鬱陶しい連中はいない。どんなに電撃的に侵攻しても、保険外交員に足止めされている間に、コロニーが防戦準備を整えてしまうことが少なくないのだ。
 今回などは、まさにその好例だった。いや、心情的には悪例だった。
 保険会社の足止めを喰らって、今日でもう一週間。攻略目標のコロニー「キャルビン」から13キロ離れたこの谷間の陣地で、一週間もじりじりしている。
「……お通ししなさい」
 入口で気をつけの姿勢をしていた社員に、コードウェル部長は沈痛な声で命令した。
 いくら鬱陶しいからといって、保険会社の要求を無視するわけにもいかない。なにしろ保険会社は、集めた保険金を企業に投資している。大株主の一人なのである。
 入ってきた保険外交員は、嫌になるくらいにこにこしていた。
「どうも、ご無沙汰しております、部長」
「朗報を持ってきてくれたんでしょうね?」
 つっけんどんなコードウェル部長の問いにも、保険外交員は嫌な顔一つしなかった。
「ええもちろん! ただ、悪い知らせとセットなんですが」
 コードウェル部長は溜息を隠さなかった。保険会社は敵味方両陣営に出入りしているわけだから、その情報は値千金ではある。重大な危機を知らせてくれることも少なくない。しかし、そもそも保険会社に邪魔されなければそんな危機には陥らずに済んだ、という事例は、もっと少なくない。
「どっちからにします?」
「……じゃあ、良い知らせから」
「我が社のお客さまの避難は完了しました!」
「ほっとしました」
 正直な心情を、コードウェル部長は吐露した。
「で、悪い知らせのほうは」
「キャルビンの住民は徹底抗戦の構えです」
 ――やはりな。
 長年の経験から、コードウェル部長は既にその事態を予期していた。
 企業の強行市場開拓部の戦力は、質・量ともに弱小コロニーの非ではない。キャルビン程度のコロニーなら、ノーマルACとMTを合わせてせいぜい10機程度、といったところだろうが、こちらにはノーマル20機、MT80機、加えてネクスト1機までもが配備されている。数の上では実に10倍……ネクストの性能を考慮に入れれば、実質は20倍以上の戦力なのである。
 これほど強大な敵に攻め込まれれば、当然住民は震え上がる。
 しかしそれも、最初のうちだけだ。時間が経てば混乱はじきに収まり、住民の恐怖は、逆転して戦意に結び付くことも少なくないのだ。
 加えて、コロニー内部に、住民をまとめ上げてしまうような強力なリーダーが一人でもいれば……
 だからコードウェルは、保険会社に介入された時点で、そうなることを見越して計画を立てていた。たとえコロニー住民が抗戦しようと問題にならないような作戦を立ててある。
「……それなら、大して悪い知らせとも言えませんね」
「いえ、悪い知らせとはその先でして」
 にこり、と保険外交員はことさらの笑みを浮かべた。
「コロニーを指導する立場にあった男が、ここ数日姿を消しています」
「誰です?」
「デューイ・オーディーン。年齢は28歳。長身の男で、元は若手の市議でした。上が避難していなくなりましたので、今では臨時市長をやっています」
「そいつも逃げたのでは?」
「あり得ます。が、しかし……」
 保険外交員の瞳が狼のように輝いた。企業人なら誰しもそうするように。
「我が社の調査によれば、奴は油断ならない男です」
 コードウェル部長は沈黙した。不安がふと心をよぎる。問題はないはずだ。相手がどんな手に出ようと、こちらには20倍の戦力がある。負けることなど万に一つもあり得ない。そのために、この過剰なまでの戦力を用意しているのだから……
 ……と。
 保険外交員が音もなくデスクに歩み寄り、鞄の中から薄いパンフレットを取りだした。目の前に差し出されたそれにぎょっとして、コードウェル部長は保険外交員の顔をまじまじと見つめる。
「もし不安でしたら」
「……は?」
「我が社のプレミアム・プランがおすすめですよ。少ない掛け金で死亡保障が充実……」
「出てけーっ!」
 コードウェル部長の裏返った怒鳴り声が、陣地じゅうに響き渡った。

 違和感を覚えた分だけ冴えていたと言わざるを得まい。フォイエにしては。
 トラックのハンドルにしがみつくようにして、フォイエは「キャルビン」の巨大な八角ドームを見上げ……眉をひそめた。界面活性素材を二枚もサンドした三重ゲートが、重いギアの軋みと共に開いていく。何か恐ろしい獣の口のように開いたゲートの中へ、白いカーゴトラックを進めながら、まだフォイエは首を傾げている。
「古いタイプのドームだね……」
 後部座席で、血まみれ男の面倒を見ていたカジュが、窓から上を見上げて呟いた。
 八角錐型のドームというのは、完全な半球ドームを造るのが技術的に難しかった頃、よく使われた建築手法である。遥か彼方の都市中心部には、ドームを支える巨大な柱さえ霞んで見える(後期型のドームに支柱はなく、ドーム自体の張力(テンション)で支えているのだ)。その武骨な四角い造りが、ますます古めかしさを感じさせた。
「古くても、核・生物・化学(NBC)防御に変わりはない。コジマ粒子にも耐えるよ」
「へーえ……」
 フォイエは感心して声を挙げ……
「ん?」
 ふと後ろを振り返った。
 後部座席では、血まみれ男がカジュに膝枕の上で、苦しげに呻いている。
 はて。今、男が喋ったような気がしたのだが……
 と、唐突にフォイエは、さっきからの違和感の正体に気付いた。
「そういえば、オーメルに囲まれてるんじゃなかったっけ? すんなりコロニーまで来れたけど」
「フォイエちゃん、前……」
「ん?」
 カジュが指さす先に目をやれば、トラックの行く手を遮るようにワラワラと集まってくる、無数の人々の姿があった。それなりの身なりをした者も、穴や継ぎ接ぎだらけの服しか着ていない者も、みな一様に緊張した面持ちでこちらを見つめている。
 コロニーの住民達だった。それも、慣れない戦争を間近に控え、触れば怪我をしそうなほど気を張り詰めている。
 彼らを刺激しないように、ゆっくりトラックを停止させ、フォイエは窓から顔を覗かせた。
「ハァイ! あたしは――」
「みんな、大丈夫だ! これは俺が雇った傭兵だ」
 朗々と男の声が響くと、住民たちの間に安堵の波が駆け抜けた。瞬間、さっきまでフォイエに向けられていた不安と敵意の視線が、一転して期待と憧れの色に変わる。フォイエはほっと溜息を吐き――
「ん!?」
 弾かれたように、声のした方を振り向いた。見れば、後部座席に寝ころんでいた男が勢いよく車から飛び降りて、元気に手なんぞ振りながら、住民たちの輪に入っていくではないか。慌ててフォイエは窓から体半分を乗り出し、
「ちょっと! あんた怪我は!?」
 笑顔の住民たちに囲まれていた男は、くるりと振り返って、悪戯っぽい笑みを浮かべた。ジャケットをはだけ、脇腹を露わにする。
 そこに染みついた赤い粘液。
「トマトケチャップだ」
 思わずフォイエは絶句した。
「あの……ちょ……」
「みんな! これでもうオーメル軍など恐れることはない。ネクストが1機あれば、敵の通常戦力など物の数ではないんだ!」
 住民たちに広がる歓声。フォイエは濡れた洗濯物のように、トラックの窓枠からぶら下がりつつ、なけなしの余力を振り絞ってぱたぱた手を振った。
「えーと……おーい……」
「企業のいいように搾取され続けるだけの時代は終わった! 企業軍を蹴散らし、ここに俺たちの新しい国家を建設するんだっ!」
 コロニードームを割らんばかりの拍手と声援が響き渡り――
「ちょっと待たんかぁぁぁあああいっ!!」
 フォイエの絶叫がそれを一発でねじ伏せた。
 ドアを蹴り開け、運転席から飛び降り、フォイエはアスファルトを踏み割るかのような足取りで、血まみれ男にずかずかと歩み寄っていった。しんと静まりかえった住民の輪が、フォイエを避けるように、そっと後ずさっていく。だがトマトケチャップを脇腹に垂らした長身の男はというと、にやにや笑いながらこっちを見ているだけだ。
 男の目前にまで肉薄すると、頭一つ分の身長差などものともせず、フォイエは男の鼻先に怒りの形相を突きつけた。
「あんたねぇっ! あたしを騙したわけ!?」
「お前のことは念入りに調べた」
 男はしらっと言ってのけた。
「ああいう手でいけば、依頼料の話もせずに、すっ飛んできてくれると思ってね」
「んが……!」
 フォイエは鼻を膨らませた。その通りだっただけに腹が立つ。
「ま、ボクは気付いてたけどね……」
 唐突に横で響く声。フォイエがぎょっとして視線を落とすと、一体いつの間に調達してきたのか、手にプリンのカップとスプーンを握りしめたカジュの姿がそこにあった。
「じゃあなんで言わないのよお!」
「黙ってたらプリンにありつけそうだったから……」
 言ってプリンを一口。にやぁーっ、と、滅多に見せない幸せそうな顔をする。なにしろキャルビン地鶏の卵は一級品。それをふんだんに用いたカスタードプリンは絶品である。
「お、おのれらは……」
 がっくり肩を落として震えるフォイエに、男は右手を差し出した。フォイエよりも一回り大きくて、筋張った男の手だ。フォイエが眉をぴくぴくさせながら顔を上げると、男は憎めない笑顔をこちらに向けている。
「俺はデューイ・オーディーン。いちおう、ここの市長をやっている。よろしくな」
 握手を求めるデューイの手を、フォイエは思いっきりビンタしてやった。
「冗談じゃないわ(NO KIDDING)! あたしはね、そういう小ずるいマネをする奴が大ッ嫌いなのよ。帰らせて貰うわ!」
 と、身を翻したとたん、背中に浴びせられる住民たちの落胆の溜息。うぐっ、とフォイエは胸を詰まらせる。10倍超の戦力を持つオーメル軍を前にして、彼らがどれほど傭兵の到来を期待していたことか。どれほどネクストとリンクスに、儚い望みを掛けていたことか。そんな住民たちの気持ちの全てが、声にならない溜息の中に込められていた。
 後ろめたさに駆られてちらりとカジュに目を遣っても、彼女は肩をすくめるだけだ。戦うのは自分なんだから、自分で決めなよ、とその目が言っている。
「……やめよう、みんな」
 住民たちの溜息を収めたのは、他ならぬデューイの声だった。
「やはり無茶な話だったんだ。相手は圧倒的な戦力を持つオーメル軍……リンクスだって命は惜しいさ。彼女を責めるのはお門違いだ」
 ……むかっ。
 フォイエの眉間に皺が寄った。
「何も言わずに送りだそう。俺たちに彼女を引き留める権利はないよ」
「ちょっと待ちなさいよ!」
 思わずフォイエは振り返った。
「何それ、それじゃまるで、あたしがオーメル軍を怖がってるみたいじゃない!」
「いや、そんなことは思っていない。ただ、人には賢明な行動を取る権利がある」
「思ってんじゃん! あのね、いい? ハッキリ言うけどあたしの『ペンユウ』は最強よ! ネクストだろうが一個師団だろうが、負けたことはない! 今まで一度だってね!」
「ははははっ! バカ言うなよ。いくらなんでも一個師団相手に勝てるわけがないだろ」
 笑い飛ばすデューイ。ますますムキになるフォイエ。カジュはぼんやりと、二人の顔を順繰りに見上げつつ、目にも留まらぬ速さでスプーンを口に運び続けた。
「なめんじゃないわよっ! そのくらい朝飯前ってやつよ!」
「そんなの、この目で見ないと信じられないね」
「よおおおおおっし! そんならやってやろーじゃないの! オーメルだろうがネクストだろうが、あたしが叩きつぶしてやるわっ!!」
「おう。じゃよろしく」
 ……………。
「……あれ?」
 硬直するフォイエの肩をぽんと叩いて、デューイはカーゴトラックの方へ戻っていった。住人を何人か呼び集めて、トラックをガレージに入れるように指示している。住人たちも、それぞれ与えられた役目を思い出したのか、思い思いに街の中へ散らばっていく。
 ごぉー、と、愛用のトラックがエンジンを鳴らしながら走っていった。
「騙されることは誰にでもあるが……」
 プリンを食べ尽くしたカジュが、スプーンを舐めながらぽつりと言った。
「真のお人好しは、騙された直後にまた騙される。
 ……孔子か誰かの言葉だよ」
 うそつけ。とフォイエは思った。

「オーメル軍の本陣……主要陣地は、13キロほど南の谷間。解体戦争前に敷かれた幹線道路の上だ」
 フォイエたちが案内されたアパートの一室は、手狭で小汚く、それでいて必要充分の条件を備えていた。
 会議用の広いテーブル、その上にはいくつもの赤い書き込みが成された地形図。壁はピン留めにされた無数の写真や書類で埋め尽くされ、無線機、電話、パソコン、双眼鏡、それから緊急用の食糧や武器も準備されている。ついでに言えば、窓からの眺めも抜群だ。
 フォイエは窓枠に手を掛け、眼下に広がる屋根の海……人の作った都市が描く幾何学模様に見入っていた。真っ直ぐに伸びるビルとビル。幾重にも重なり合う屋根と屋根。複雑に、しかし整然と、それらに絡まり合う高架道路。動脈血のように生き生きと流れていく人の群。都市が偶然に創り出す美しい風景。フォイエはこういう眺めが大好きだった。
 そして好き嫌いに関わらず、眺めが良いことは重要だ。万が一、ドーム内部にまで侵攻された場合、ここから直接戦場を観察し、指揮を執ることになるのだから。
 ここが、デューイたちが作った即席の司令室である。
 急に企業に侵攻され、急に軍事的な抵抗をすることになった場合、なかなかこうも的確な司令室造りはできないものだ。たいていが無駄に広い部屋に無駄に大勢を集めて会議をしたり、あるいは最も安全な地下に司令室を用意してしまったりする。前者は小田原評定を招くのがオチだし、後者は電波も視界も通らない。
 この見事な司令室に、厳選された数名の幹部、そして傭兵たるフォイエとカジュを招き、デューイは作戦会議を開いたのだった。保険会社が用を済ませてしまった今となっては、おそらく……最後となる作戦会議を。
「交通の便は抜群だ。左右を山に挟まれているから奇襲もしにくい。さすがに敵もプロだよ」
 デューイが肩をすくめながら言うと、数名の幹部たちは一斉に落胆の声を挙げた。ネクストを手に入れたとはいえ、戦況を楽観視している者は誰一人いないのだ。中には、本当に役に立つのか、と露骨な懐疑の視線をフォイエに向ける者もいる。呑気に窓から外を眺めているフォイエの背中に。
「ま、そーなんだけどね……」
 ひょこん、とカジュがテーブルの上に首だけ覗かせた。
「交通の便がいいってことは、徒にもなるんだよ……」
「あのなあ、子供が口を……!」
「やめろ」
 カジュを叱ろうとした幹部の一人を、デューイの低い声が押しとどめた。
「どういうことだ?」
「侵攻ルートが絞れるってこと……舗装された広い道があるのに、わざわざ悪路を使ったりはしないよね……」
「そうすると」
 男達の中に一人だけ混じっていた女性の幹部が、胸のポケットから赤ペンを取り出し、地図にラインを引いていく。
「考えられるルートは3本くらいかしら。
 まず東の旧道を北上するルート。途中で、解体戦争前の旧市街地を通ることになるわ。
 それから西の新道を通るルート。この道の途中には長いトンネルがある。
 最後に中央バイパスのルート。建物が少なくて視界が開けてる。侵攻側には都合が良いけど……その代わり道はちょっと細い」
「うん……この河は?」
 椅子の上に登り、カジュは身を乗り出すようにして、地図上に描かれた河をなぞった。ちょうど敵の侵攻ルートを遮るように、東西に広い河が流れている。デューイは小さく頷いた。
「ケイスリバー。旧市街地の水源になっていた。
 川幅も深さもあるし、流れも早い。ACならともかく、MTや戦車で渡るのは無理だ。ただ、橋はかかっているから、どのルートにしろ侵攻は可能だな」
「ふーん……」
 カジュはしばし、虚ろな瞳で地図をじっと見つめていた。と、ふいにデューイに目を向けて、
「いっこ不思議なんだけど……この旧市街地、敵は占領しようとしなかったの……? 侵攻の邪魔になりそうだし、ここなら保険会社も文句言わなさそうだけど……」
「それはな」
「オレたちが撃退したんだよ、ちびすけ!」
 デューイの説明を遮ってまで得意気な声を挙げたのは、さっきカジュを叱ろうとした、あの若い幹部だった。彫りの深い顔、髪は刺さりそうなほどの剛毛短髪で、声は部屋の窓がビリビリ震えるほど大きい。浮いた動脈や真っ黒に日焼けした肌、どれを見ても血の気の多いことは明白だった。
「撃退……オーメルの部隊を……?」
「地下の水道を根城にしてな。ゲリラ攻撃でさんざん悩ませてやったのさ。奴ら、夜も眠れなくなって、結局本陣に引き上げていったよ!」
「へー……」
「ま、戦いなんてやり方次第ってこった。ネクストだとかノーマルだとか、そんな兵器の性能の問題じゃねえ! 分かるか、ちびすけ。女子供の傭兵なんざ必要ないんだよ!」
 ぴくくっ。
 さっきからずっと窓の外に見入っていたフォイエの耳が、今確かに、ぴくりと動いた。それもそのはず、幹部の言葉は、カジュにというよりフォイエの背中に向けて放たれていたのである。加えてこの大声。フォイエの癇に障らないはずがない。
 その様子を見て取ったか、慌ててデューイが仲裁の声を挙げた。
「やめないか、チョカナータ」
「いやデューイ、ここはビシッと言わせてくれ! なぜあんな小娘に頼るんだ? オレたちだけでなんとかできる!」
「ほーおー」
 気が付けば。
 眉毛をぴくぴく震わせながら、腰に手を当てたフォイエが、大声の幹部を――チョカナータを睨みつけていた。
 デューイは溜息と共にこめかみを押さえた。カジュは素早くテーブルの下をくぐり、デューイの膝の上に避難する。他の幹部たちも、とばっちりを食ってはかなわない、とばかりに二人を遠巻きにした。
 一方、フォイエとチョカナータは殺気すら放ちながら肉薄し、互いに睨み合う。
「今なんて言ったわけ? もう一回聞かせてくれる?」
「女子供なんて必要ない、オレたちだけで勝てる、と言ったのさ!」
「ハッ、笑わせるわねっ! 敵の小部隊をちょっと蹴散らしたくらいで、のぼせ上がってるんじゃないの?」
「あ、話聞いてたんだ……」
 カジュが呟くがこの際無視っ。
「のぼせ上がってるだとお!?」
「そーじゃないの。あんたがどれだけの数を相手にしたのか知んないけど、せいぜいMTが10機ってとこでしょ? でも今度襲ってくるのは一個師団まるごと全部よ。どーして僅かな先遣部隊といっしょくたに考えられるわけっ!?」
「むぐっ!?」
「だいいち! 占領部隊にゲリラ戦を仕掛けるのと、敵の総攻撃を押し返すのとじゃ、全ッ然別の問題よ! 自分のちょっとした戦果に気をよくして、冷静な戦況分析も作戦判断もできてないっ! これがのぼせ上がってるんでなくて何っ!?」
「ぬぬぬぬぬ……」
 顔を真っ赤にしながらも、怒りを堪えて唸るだけなあたり、チョカナータも馬鹿ではない。必死に怒りを抑えながら、チョカナータは錆びた金属が軋むような声で言った。
「ぐ……た、確かに少し、舞い上がっていたかもしれん……」
「ほーお。なかなか物分かりがいいじゃない」
「しかし! なんと言おうと女子供は戦争には向いてないっ! 戦いは男がするもんだ!」
 チョカナータが噛みつくように言うと、フォイエは鼻で笑い飛ばした。
「ま、別にそこは否定しないけど。ただ、向いてよーが向いてなかろーが、総力戦になったらンなこと言ってらんないでしょーが? 命が掛かってりゃ女も子供も戦うわよ。
 だいたい、ネクストを操縦できるのは、あたしとカジュしかいないのよ? ならあたしらが戦う以外にどーしろっつーのよ!」
「そ、そう思っているなら、窓の外ばっかり眺めていないで、せめて作戦会議くらいマジメに参加したらどうだっ!?」
 ……………。
 ……確かに。
 フォイエは不意に沈黙し、やがて、とうっ、と掛け声一つ、手近な椅子に腰を下ろした。何事もなかったかのように、優雅に脚など組み合わせ、
「さ、デューイくん。会議を進めてくれたまえ」
「お前なあああああ!」
 食ってかかるチョカナータのツバを避けつつ、フォイエは引きつり笑いを浮かべた。
「な、なによう。間違いを正したんだからいーじゃないっ」
 なにはともあれ、丸く収まった(?)ことにデューイは安堵の溜息を吐いた。
「やれやれ……フォイエを怒らせて、やっぱり出て行くとでも言われたら計画が狂うところだった」
「いやぁ……あれは怒ってるっていうより……」
 デューイの膝の上にちょこんと乗っかったカジュが、テーブルに頬杖をついて呟く。
「喜んでるんじゃないかな……口げんか友達ができて……」
「ふうん? まあいい、みんな、会議を再開しよう」
「じゃあ」
 真っ先に声を挙げたのはカジュだった。全員の視線がカジュに集中する。
「ボクの考えた作戦……聞く……?」

 満月には僅かに早い月が、南の空に掛かる頃。
 じっと息を潜めていたオーメルの前線仮設出張所はにわかに動き出した。攻撃は……少なくとも最初の攻撃は、夜仕掛けるに限るということを、コードウェル部長は長年の経験でよく心得ていた。夜はいい。暗闇は行軍を包み隠し、敵の行動を遅らせてくれる。どう気を張り詰めていようとも、人間が昼間活動する生き物であるという事実は覆せない。
 そして何より、闇夜と、そこに響く圧倒的大軍の駆動音は、戦争慣れしていないコロニー住民の恐怖を呼び覚ます。
 見渡す限りずらりと並んだノーマルAC、MT、戦車、合わせて百機余り。整然とした隊列の前で、ノーマルの手のひらの上に立ち、コードウェル部長はあらん限りの声を張り上げた。
「これより攻撃を決行する!
 部隊を三つに分割し、旧市街地、西部トンネル、中央バイパスの三路から同時に攻撃。横列編隊で一気に薙ぎ倒せ!」
 重いギアの音が夜空に響いた。ノーマルとMTたちが敬礼をしたときに立てる鋼の軋みだ。その力強い響きを満足げに聞きながら、コードウェル部長はノーマルの手から降り、ジープの後部座席に乗り込んだ。
 ジープの助手席では一人の若い将校が震えながら待っていた。ジープの周囲では、無数の機動兵器たちが我先にと陣地を飛び出し、それぞれの侵攻ルートへと向かっている。その勇壮な姿を見上げても、なお将校の震えは止まらないらしい。
「そう緊張するな、ホセ」
 コードウェル部長が前に身を乗り出して肩を叩いたが、振り返った若手将校ホセの顔は真っ青だった。
「ぶぶぶぶぶぶ部長ぼぼぼぼぼ」
 ……ダメだこりゃ。
「しゃきっとしろ! 若くてもお前は部長補佐なんだぞ。上がそんなじゃ兵士まで不安がる」
「は、はあ……」
「大丈夫だよ。万に一つも負けやしない」
 MT部隊の半数が陣地を出たのを見計らって、運転手はジープを発車させた。昼間は暑苦しかったが、夜になれば涼しい風が吹く。コードウェル部長は薄くなった頭に気持ちいい風をたっぷりと浴びながら、
「彼我戦力比が3倍なら負けはない。5倍なら奇襲を受けても被害は出ない。10倍なら、無傷で敵を殲滅できる」
「はあ……」
「企業が侵攻……じゃなかった、市場開拓するときには、可能な限り10倍以上の戦力を用意する。戦争をふっかけといて負けたりしたら、企業にとっては大損だからな。怖がることなんてありはしないんだよ、胸を張っておけ」
「はははははい頑張ります」
 ますます身を固くするホセに、コードウェルは肩をすくめた。ホセは若手のホープとして、つまりはコードウェル部長の跡を継ぐ人材として、将来を嘱望されているのである。その教育のためにコードウェル部長の下で補佐の仕事に就いているわけなのだ。
 しかしこんな調子では。コードウェル部長が引退できるのは、まだまだ先のことになりそうである。

『き、き、来たぞぉ! すげえ数だ……』
 旧市街地のビルの影に隠れ、チョカナータは情報部隊からの通信を聞いていた。情報部隊は旧市街地の朽ち果てたビルの屋上に散らばり、敵の動きを観察していたのである。住民たちの中でも勇敢な若者ばかりを選りすぐったつもりだったが……それでも敵の軍勢にはこうも圧倒されている。
 チョカナータは味方の不安を吹き飛ばそうと、自慢の大声を無線機目がけて張り上げた。
「こら! ビビってるんじゃない、すげえ数じゃ分からん! どのくらいだ? 侵攻ルートは?」
『た、多分30機くらいはいると思う……それが3チーム! トンネルの方と、バイパスの方と、それからもう1隊はこっちに向かってる!』
 チッ、とチョカナータは人知れず舌打ちした。なにしろ、この旧市街地に潜んでいる味方戦力は、骨董品の砲戦MT『キンタロー』が1機、あとは作業用MTに無理矢理大砲をくっつけただけの『ユノゴウキャノン』が5機ばかりいるだけだ。これでもコロニーの全戦力の半分に相当するのである。
 しかし絶望的な戦力比以上にチョカナータを苛つかせたのは、この展開……三つの進路から同時侵攻してくる敵、そしてその戦力配分までもが、ぴったりあのちびすけが予言した通りだ、という事実である。
「くそっ! オレは女子供の作戦なんて認めんぞ!」
「まあまあ、そう言うなよ」
 隣にいた仲間がチョカナータの肩を叩く。
「今回だけでも、ためしに信じてみようぜ」
「分かってる! 今回だけだ、今回!」
 他のみんなは、あの傭兵コンビの指示に従うつもりでいるのである。そんな中でチョカナータ一人だけが指示に反したりしたら、それこそ味方の結束を乱し、風前の灯火とも言える勝算を完全に吹き消すことになる。そのくらいのことはチョカナータも心得ていた。
「よーし! ユノゴウキャノン起こせーっ! 都市全体に散開っ! 敵位置を把握次第、ビル越しに曲射砲撃を始めるんだ!
 情報部隊、しっかり見張れよ! お前らがオレたちの目なんだからなっ!」
『わ、分かってるって! 任せとけ!』
 宵闇、敵軍、乏しい味方。全てが恐怖に繋がるこの状況で、チョカナータは威勢良く味方を奮い立たせ、自分もまたキンタローのコックピットに飛び込んだ。

 一方、橋を渡って旧市街地に侵入したオーメル軍の一隊には、和やかなムードすら漂っていた。誰一人、自分たちが負けるなどと思っている兵はいない。呑気にも戦車のハッチやMTの覗き窓から顔を出し、世間話に花を咲かせている。
 あまりの緩みぶりに見かねた部隊長……課長がそれを叱りとばした。
「こらあ! 何を無駄話しとるか!」
「あ、すんません……」
「でも課長、攻撃なんかしてくるわけありませんって……この戦力みたら誰でも腰を抜かしますよ」
 MTパイロットののんびりした言葉に、課長は頭を掻いた。
「まあ、それはそうなんだが……しかしな、規律が緩めば奇襲を」
「ダメっすよ課長〜、堅苦しいことばっかり言ってちゃ!」
「あ、そーだ! こないだおみやげで、ドイツのビール貰ったんですよ。作戦の後で一杯やりませんか」
「そうか? そうするかあ」
 と、その時。
 爆発。
 閃光、轟音、最後に熱風が、オーメル部隊の一角を薙ぎ倒した。悲鳴を挙げながらMTパイロットが窓の奥に引っ込む。戦車のハッチが慌てて閉じられる。課長もまたジープの座席にひっくり返り、混乱した頭で騒ぎ立てる。
「な!? なん!?」
「敵の曲射砲です、課長!」
「なんて!」
 辛うじて冷静を保っていたジープの運転手に、すがりつくようにして課長は起きあがった。その視線の先……旧市街地の朽ちかけたビルの向こうから、夜空を切り裂き飛来する一条の輝き。
 ――第二射!
「来る……ぞわべっ!」
 二発目の砲弾は正確に戦車一機に直撃し、周囲のMT3機を爆風でよろめかせた。正確。あまりにも正確な射撃。さすがに課長も、幾多の戦場を渡り歩いた男である。なんとか平静を取り戻し、ジープの無線機を引っ掴んだ。
「観測! どこから撃ってくる!?」
『分かりませんっ! ビルの影に隠れて……』
「よし。砲戦機、視界確保だ! 近隣のビルを破壊しろ!」
 指示を出すが早いか、こちらの大砲が火を噴いた。さすがに見捨てられて久しい廃ビルである。数発の戦車砲を喰らって、脆くもその場に崩れ落ち……
 その砂煙が収まるより早く、崩れたビルとは見当違いの方向から第三射が飛来する。その一撃はまたしても正確にMTの装甲を貫き、今度こそ、だらけきった部隊に恐怖の波を走らせた。
「だ、だめだあっ! 一方的にやられる!」
 誰か歩兵の叫びが聞こえた。課長は下唇を噛みしめる。勝利を確信していた分だけ、反撃を喰らうと弱い。しかも、敵は観測隊をビルの上に分散配置し、その情報に基づいて正確に砲撃してきているのだ。だからこちらからは敵が見えず、敵にはこちらの位置が手に取るように分かる。
 それに対抗する基本的な手段は、ビルを砲撃で破壊すること。だが……敵が少なすぎる。どれだけビルを破壊しても、僅か数機の敵を発見するのは非常に困難である。その間に無駄な被害ばかりが増えて、なおかつ、恐怖は確実に拡大していく。
 小さく首を振り、課長は中央バイパスを進む本隊に無線で呼びかけた。
「だめ……というのも一理あるか。部長っ! こちら東部隊です!」

 東部隊を担当する課長からの無線を受け、コードウェル部長は落ち着いた様子で頷いた。
「そうか、やはり待ち伏せがあったか。突破できそうか?」
『やってできなくはないでしょう。ただ費用対効果(コストパフォーマンス)が悪すぎます』
「ぶっ、ぶぶぶぶ部長ォ!」
 助手席で別の部隊と無線交信していたホセ部長補佐が、震える声で叫びながらすがりついてきた。男にすがりつかれても、コードウェル部長はちっとも嬉しくない。鬱陶しそうに引き離しながら、
「西部隊がどうかしたのかっ」
「トンネルの出口に敵部隊が! 渋滞したところに集中砲火を浴びて被害が出ていると!」
 ふんっ、とコードウェル部長は鼻息を吹いた。どちらも想定内の自体である。市街地や隘路の出口が攻撃側不利の地形であることは常識だし、敵がそこに戦力を配置して防御する可能性も、ちゃんと予測されている。
 ただ一つ気がかりなのは、敵の部隊配置や攻撃方法が的確で理にかないすぎている、という点だった。素人が即興で思いついたにしては整いすぎた、定石そのままの戦術だ。となると考えられることは一つ。
「敵は知恵を付けているな……傭兵を雇ったか」
「ど、どうしますか部長!? このまま我々の部隊だけで攻撃を……?」
「馬鹿もん! こういう事態も作戦会議で話し合ったろうが。分隊が足止めを喰らい、突破に時間がかかりそうな場合、どうするんだった?」
「え? えーと、そ、それは……」
 ホセ部長補佐は腕を組んで考え込み、やおら、ぱっと顔を輝かせた。
「そうでしたっ! 最低限の抑えを残して、残りの戦力を別ルートに合流させる、です!」
「そうだ、なにも困難なルートで無理押しする必要はないからな。西部隊に伝えろ、我が中央部隊と合流させるんだ」
「はいっ!」
 東部隊の課長にも、自ら同じ命令を飛ばしつつ、コードウェル部長はほくそ笑む。
 市街地とトンネルに配置した部隊は、ほとんどコロニーの全戦力に等しいだろう。だが、そんな小戦力でこちらの3分の2を抑えられると思ったら大間違いである。むざむざ不利な地形に釘付けにされるほど、オーメル軍とコードウェル部長は無能ではない。
「さあ、どうするかね、臨時市長どの? 中央ルートの戦力はこれで倍増するぞ」

 キャルビンのドームを支える巨大な中央支柱にはエレベーターがあり、ドームの上に突きだした展望台に登れるようになっている。コロニーの周囲をぐるりと見渡せるこの展望台は、戦況を観察するには最適だった。
 その分厚い透明プラスティックの窓ごしに、カジュは双眼鏡を光らせていた。もちろん、窓のところまで背が届かないので、デューイに肩車してもらいながら。
 双眼鏡の先に見えるのは、着実に迫りつつあるオーメルの大軍。ざっと見たところバイパスを真っ直ぐ向かってくるのは30機程度だが、その後ろには東西のルートから合流した援軍も迫りつつある。
 キャルビンまで残り数q。到着まで、5分と掛かるまい。
「はは……壮観だな。ぞくぞくと迫ってきた――」
 さすがのデューイも笑みを引きつらせて呟いた。片手で展望台の手すりを握りしめ、もう片手でカジュの太股を支えている。その両方に、彼自身も意識しないくらいの僅かな力が込められたのを感じて、カジュは双眼鏡を降ろした。
「うん……誘い込まれたとも知らずに、ね……」
 そして双眼鏡をデューイに預けると、代わりに無線端末を受けとった。
「さー、フォイエちゃん……出番だよ」

 中央ルートの侵攻は順調そのものだった。敵MTの一機も見えず、障害と言えば、申し訳程度に敷設された破壊力も小さい手製の地雷のみ。工兵に処理させる必要すらない。戦車に先頭を走らせ、踏み潰すだけで事足りる。
 東西ルートから合流した友軍を合わせ、ノーマル、MT、戦車合計70機以上にまで膨れあがった部隊を眺め、コードウェル部長は安堵の笑みを隠せなかった。もはやこの先、障害と呼べるようなものはあるまい。侵攻は今夜中に片が付く。彼は早くも、明日から始まる占領政策の方に気を取られていた。
 責任者の処分はどうするか? おそらく混乱するであろう治安をどう守るか? 何より、どうやってコロニー住民たちにオーメルの製品を買わせるか? 強行市場開拓の醍醐味は、他ならぬこの部分にある。占領政策の善し悪しが、企業にもたらす利益を決めるのだ。
 コードウェル部長の頭には、長年培ってきたノウハウの数々が詰め込まれている。これらをホセ部長補佐にも伝えてやらねばならない。老練の技というものを……
 と。
 ふと、コードウェル部長の目に、まだ不安げに震えているホセの背中が映った。せわしなく周囲を見回し、そのたびに顔色をますます青くしているように見える。
「どうだ、ホセ。緊張するほどのこともなかったろう?」
「いやその……あのォ、部長、思うんですが」
 ホセは助手席にしがみつくようにして、後部座席にコードウェル部長に身を寄せた。
「この地形、ちょっと……マズいんじゃ……」
「何がだ?」
「ほら、建物もまばらで、遮蔽とか、起伏もあんまりなくて……その……」
「結構なことじゃないか。こういうのが攻撃側有利の地形というんだ」
「た、確かにそうですけどっ! でもほら、教則本にも……」
 声を裏返して叫びながら、ホセは荷物の中から戦術教則本を取りだした。何度も何度も読み返した形跡のある汚れたページを開くと、コードウェル部長の鼻先に突きだした。
 戦場に教科書を持ち込む馬鹿がどこにいる、と文句を言いかけて、コードウェル部長の動きが止まる。現代戦の基本中の基本……最も重大な不確定要素となりうる、ある兵器に関する記述を見て。
 震える声で、ホセは恐怖を吐き出した。
「『視界の開けた平地はネクストの運用に最適である』って!」
 ――ネクスト。
「ば……」
 ――馬鹿な。
 と、言いかけたその時。
 閃光、
 そして、
 爆音!
 突如巻き起こった突風が、オーメル軍を薙ぎ払う。よろめくMT、空回りするキャタピラ。反射的に身を伏せて、コードウェル部長は身を縮めた。まさか。その一言が頭を埋め尽くす。まさか。それはあまりにも小さな可能性だった。考慮するに値しないほどの可能性だった。
 だが今思えば。
 決してゼロではなかったのに!
 コードウェル部長はゆっくりを身を起こした。漆黒の闇に閉ざされた夜が、紅い光に照らし出される。炎の紅。燃え上がる紅。遠く最前線に見えるのは、真っ二つに踏み潰された戦車の残骸。へし折られた戦車砲。それを握る華奢な指。
 真紅の巨人「ペンユウ」が、戦車を無造作に投げ捨てた。
「ネクストだぁっ!!」
 一体誰の叫びだったのか。それが分かるよりも早く――
 ペンユウの姿が掻き消えた。

 AMSの寓意に応えてフォイエの指がコンソールを踊る。クイック・ブースト。ミリ秒単位の超加速で一気に音速の壁を越え、オーメル軍の横列編隊に正面から突入する。途中でよろめいていたMTの脚をすれ違いざまに薙ぎ払い、足下の戦車を踏み潰しながら前方の敵にエナジーバズーカを叩き込む。
 濃縮された低速光がノーマルの胸板に大穴を穿った。
「4つ!」
 叫びながらも体は既に動いている。周囲の敵がこちらを狙おうと旋回する頃には、紅い巨体は宙に舞い、バーニア全開で敵陣の上を飛び抜けた。勝負は一瞬。最初の一瞬だ。ネクストの登場に驚いて、敵が統率を失ったこの一瞬に、どれだけ叩き潰せるか。その一瞬で勝負が決まる。
 最大戦速で低空を飛ぶネクストに、砲撃できる兵器などない。いくつかの砲弾が見当違いの方向へ流れていく中、ペンユウは風のように飛び抜けた。時折視界に飛び込む敵機。そのたびAMSが寓意を送る。当たるを幸いとばかりに、フォイエはその全てを薙ぎ倒した。
「8……9」
 ここまでで4秒。敵が平静を取り戻し出す。正面のノーマル2機が、編隊を組もうと周囲のMTを呼び集める。的確な判断。だが遅い。手にした銃を振り上げるより早く、ペンユウの紅い装甲板が――
「クイック!」
 掻き消え、そして、
「13ッ!!」
 閃き。
 青く輝くレーザーブレードの一振りが、ノーマルたちを背後から両断した。

「す……」
 キンタローのコックピットハッチから顔を出し、チョカナータは茫然としていた。彼だけではなかった。オーメル軍との戦いに疲れ切っていた仲間達も、みな一様に西の大地を見つめている。
 数q先にそびえるキャルビンのドーム。その手前に集まった一個師団級の敵部隊。まるで夜空にかかる太陽のように紅く燃える輝きが、そのわだかまりに突っ込んでいく。そのたび響き渡る轟音。飛び散る破片、残骸。
 おそらくまだ、戦闘開始から10秒も経ってはいまい。
 だがチョカナータには永遠にすら感じられる。
「すげえ……」
 18機目のMTが爆散した。

「隊列だ、横列編隊を立て直せっ! ネクストの弱点は弾幕だ! ありったけの弾を撃ちまくるんだーっ!」
「1秒で編隊を三層も突破する敵に、どう隊を組めっていうんですか!」
「どうにかするんだ! 敵はPAを張っていない、当たればいけるっ!」
 だがホセの反論も、もっともだ。ジープの上に立ち上がったコードウェル部長は奥歯を噛みしめた。彼の視線の先には、縦横無尽に飛び回り、見る間にこちらの部隊を薙ぎ倒していくネクストの姿がある。部隊の中にまで入り込まれれば、もはやネクストに対抗する術はない。隊列を作るより早く、その背後に回られる。
 うかつだった。考慮すべきだった。デューイ・オーディーン、キャルビン臨時市長……油断ならない男だという保険外交員の言葉は本当だったのだ。
 まさか、世界に両手で数えるほどしか存在しない、リンクス傭兵を連れてくるとは!
「ダメです部長っ! 味方の損傷が3割を越えました! 撤退ラインですっ!」
 悲鳴を挙げるホセに、コードウェル部長は悲痛な声で怒鳴り返した。
「全部隊を後退させろっ! それから出張所に連絡、『ラ・イール』を出す!」
 まさか、アレを使わねばならないとは。
 できることなら避けたかったのだ。『ラ・イール』で辺り一面焦土と化す……などという下策は。

 キャルビンの展望台では、双眼鏡を覗き込んだデューイが、控えめに言っても嬉しそうな声で叫んでいた。
「お! 敵が後退していくぞ!」
 その肩の上でカジュが眼を細める。後退……確かに後退はしている。今の数十秒の戦闘で、敵は3〜4割の戦力を失っただろう。戦術的には撤退の頃合いでもある。だがその引き方を一目見て、カジュは首を横に振った。
「違うね……少し引いては踏みとどまって、また少し引いて停まって……っていうのを繰り返してるでしょ……」
「ん? そういえばそうだな……どういうことなんだ?」
「ありていに言って……時間稼ぎ」
 デューイは弾かれたように双眼鏡を降ろし、代わりに無線機を引っ掴んだ。彼もまた聡明な男である。カジュの一言で事態を悟ったのだ。
「静か? 俺だ。トンネルと旧市街の連中に伝えてくれ、作戦第二段階に移行する」

 消えていく。
 フォイエはいつもの、奇妙な世界へと辿り着いていた。戦う時、フォイエの頭にあるのは、シンプルな問いと答えだけだ。どうやって戦う? どうやって動く? どうやって叩く? ただそれだけに埋め尽くされた頭で、フォイエは戦場を駆け抜ける。
 だが5秒、10秒と時が過ぎ――
 やがてはそれも、消えていく。
 音も。
 光も。
 敵の姿すらも。
 何もかもが消失して、残るのはたった一つだけ。
 胸の奥で燃え上がる炎。
 反射と、衝動と、圧倒的な意志だけが残った、フォイエの世界。
 と。
『……ちゃん……』
 無意識のうちに暴れ回っていたフォイエの耳に、微かに音が蘇り、
『フォイエちゃん……』
 瞬間、全てが津波のように戻ってきた。
 戦場の音。熱。光。砂煙と夜。足下に転がった無数の残骸。その中に自分のペンユウが、無傷のまましっかり立っていることに気が付いて、ようやくフォイエは安堵の溜息を吐いた。どう戦ってたのかあまり覚えてもいないが、周りを見れば、MTの30やそこらは叩きつぶしたようだ。
「やっ、カジュ。どう?」
『いーんじゃない……敵、逃げてくよ……』
 良くも悪くも普段通りの抑揚一つ無いカジュの声。見れば、確かに敵部隊は後退し、その姿は遥か彼方にあった。だが、必死になってネクストから逃げたにしては、ずいぶんと隊列が整っている。まるで一矢報いる機会を狙っているかのように。
「ってーことは、どーゆーこと?」
『本番。そろそろ来るよ……』
 なるほど。
「オッケー」
 フォイエはコンソールに指をかけ、モニタに映る戦場を見つめながら、唇を舌で湿した。
 そう。通常戦力など、ネクストの前では物の数ではない。
 ネクストに対抗しうる物は、この世にたった一つしか存在しないのである。
「来るなら来い、灼き尽くしてやるわ!」

 一方その頃、オーメル軍の本陣――出張所は、騒然としていた。
 留守をしていた少数の兵たちが慌ただしく動き出す。その動線を辿ってみれば、全てがある一つの建物へと通じている。ガレージ……のようだが、戦車やMTを収めるガレージが掘っ立て小屋同然の仮設建築なのに対して、このガレージの壁はしっかりしたコンクリートと鉄板で覆われていた。
 こうでなければ困るからだ。
 粒子が漏れ出すと困るから。
「ネクスト起動っ! 『ラ・イール』起動ですっ!」
「前線にネクストが出たってぇ!?」
「急げ、全滅しちまうぞっ! パイロットは間に合ったのか!?」
「今、乗り込んだ所ですっ!」
 ある兵がそう報告した瞬間、ガレージの天井が真っ二つに開かれた。中から、暗い緑色に塗装された、巨大な影が姿を現す。まずは指。次に腕。分厚い装甲板に覆われ、恐るべき破壊力を秘めた砲を備えた、緑の巨人が起きあがる。
「トイレ……」
 コックピットの中では、めちゃくちゃな色に髪を染め分けた軽薄そうな男が、ニタニタと気色悪い笑みを浮かべていた。その指が、ひさびさに触れるコンソールの上で楽しそうに踊っている。
 かつて演じた大失態が元で、しばらく冷や飯を食っていた。今回も出番のなさそうな戦場に送られたのだ。だがこれはチャンス。再び企業に自分を売り込む大チャンスなのである。
 コンソールに触れた指の動きに応え――
「早めに行っといてよかったぁーっ!」
 オーメル社製重装甲高火力ネクスト「ラ・イール」が、夜を劈く駆動音とともに立ち上がった。

(続く)