ARMORED CORE 炎-FEUER-

 1 プリンの誓い -Oath of Pudding-


 何はなくとも、米。
 あるいは麦。
 ところがそれらは、不便すぎた。重い、かさばる、バラバラする。
 だから人は考えた。アイディアと、共通認識……そして破るべからざる「お約束」の力を借りて、それは貝殻や石ころになり、金属になり、紙になり、やがて電子の渦のひとひらの瞬きへと帰結した。
 何の話かって?

 Money。何はなくとも。

「考えれば考えるほどよく分かんないんだけど」
 嶺炎(ミネ・フォイエ)はボリボリ頭を掻いた。
 黒髪に真っ赤な瞳。18歳の女の子。多感な年頃だとみんなに言われるが、フォイエ自身は全然そんな気がしなかった。人が人並みに憧れるような、色々なこと……ファッション、スイーツ、恋愛とセックス。誰もがそれらを黄金のように欲しがって、神様のように崇めている。ただ、どうしたことか、フォイエにだけは、そいつらは単なる石ころに見える。あるいは紙や金属の塊、単なる電子の流動に。
 同じだ。Moneyと。
「分かりませんか?」
 先生もボリボリ頭を掻いている。たった一人の生徒しかいない、がらんとした教室の奥で。
「分かんない。なんで成り立ってたの? 貨幣経済って」
 もっともな疑問だと言えた。貨幣それ自体には価値がなく、ただ、価値ある物品と交換できるという一点においてのみ、貨幣は価値を持つ。その価値は、「貨幣は物品と交換できる」という人々の盲信を基盤にしている。
 誰かが疑えば、「ひょっとしたら、こいつは何の価値もないものかもしれない」と感じてしまえば、その時点で貨幣の価値は瓦解する。脆く、あっさりと。
「そこについては、宗教的な解答がありますよ。『神のみぞ知る』という……」
「職務放棄はダメだぞ、先生」
 燃えるような真っ赤な瞳で、フォイエは先生を睨みつけた。
 賢すぎる生徒は、時として、最も厄介な生徒になりうる。
「こんな言葉もあります。これは、20世紀のれっきとした経済学者の発言で……
 『貨幣は、貨幣として使われるもの、と定義するよりほかない』」
「それこそ職務放棄じゃない」
 先生は素直に頷いて、それを肯定した。しかし、肯定されたくらいで満足できるようなら、そもそもフォイエは質問したりしないのだ。フォイエが探しているのは、たった一つの答えだった。
 それは「神」という答えかもしれないし、「42」という答えであるかもしれない。他の、全く想像も付かないような答えであるかもしれない……大いにあり得ることだ。
 だが、フォイエはこう思う。それは決して、「死」ではない。「解無し」でもない。
 絶対に、「諦め」なんかじゃない。
 そう信じるからこそ、フォイエはこうして、たった一人で先生の授業を受けている。この世の成り立ちに関する、ありとあらゆる授業を。それは歴史であったり、企業やコロニーの仕組みに関する授業であったり、時には、失われた国家についての講義であったりする。
「いいですか、ミネさん。僕の知る限り、世界は充分に複雑です。貨幣にしろ、政治にしろ、企業、そして国家にしろ……理解や制御が不能になるほど、複雑なものです。
 しかしそこには、希望もあります。つまり、今挙げた全てのものは――」
 先生は、ぱたんと教科書を閉じた。
「人が幸せであるために、創り出されたものなのです」

 たった一つの答え。人々が幸せであるための。

 断じてそれは「お金」なんかじゃないのだが、みんなそれに踊らされている。パクスエコノミカが崩壊して6年も過ぎたというのに。
 嶺華通りの坂道を、フォイエは赤のスクーターで駆け降りた。凍えて縮こまっていたエンジンが、やっと暖まってきて、ポウッ、ポウッ、と機嫌の良い排気音を立てる。霜の降りた歩道の左右には無数の露店。ボロ布の屋根をぶら下げて、皺だらけのじいちゃんがコブのある指を擦っている。
 暖かい粥の香りが、通りの霜と……そしてフォイエの胃袋を融かした。
 気が付いたらフォイエはスクーターを止め、屋台の椅子に飛びついていた。
 屋台のじいちゃんは、皺だらけの顔をもっと皺くちゃにして、
「よお、フォイエちゃん。今日も勉強してたんかい」
「まーね! 寒いね、今日」
「誰も気候制御係に賄賂しなかったんだろ、いつものこった。あいよ、お待ち!」
 湯気の立つ粥が、アルミの器で差し出される。フォイエは目をキラキラさせながら、右手でレンゲ、左手でポケットを探って……
「あ」
「ん」
 引きつり笑いを浮かべるフォイエに、じいちゃんはこくりと、真剣な顔で頷いた。
「負けんぞ」
「先に言うなよ! ねー、なんとかなんない?」
 無言でフォイエの前の器を下げると、ぷいっ、とじいちゃんは顔を背け、面白くもないテレビの企業宣伝に見入るフリをする。
「別にAC用マシンガン値切ろうってわけじゃないだからさっ! ね? い〜でしょ〜、ねぇ〜」
「……………」
「あたしね……じいちゃんのお粥、好きだな。心の中までポカポカしてくんの。毎朝楽しみにしてんだ……」
「見え透いた世辞を言うんじゃねえ」
 ――かかったっ!
 ここぞとばかりにフォイエはたたみかける。
「お世辞じゃないもん。ほんとよ」
「ありがとよ。でもこの世は所詮金なんだ」
「そっか……ごめんね、ワガママ言って。
 あーあ、あたしね、ホントは……じいちゃんの孫に生まれたかったなあ。
 そしたら、毎日お粥、食べられたもん……」
 フォイエの目尻に、宝石の煌めき。
 霜の道を、一台の車が通っていく。エンジン音、雑踏のざわめき、みんな遠くへ消えていく。聞こえちゃいなかった、じいちゃんには。テレビで流れる、オーメル社の広報番組の声すらも――
 ことん。
 小さな音を立て、フォイエの前のカウンターに、アルミの器が戻される。
「今日だけだぞ」
「やたっ♪」
 ぱちんっ、と手を叩き、フォイエは粥にむしゃぶりついた。

『保証しますとも、嶺昭(ミネ・クラール)大人。対価は3000万オーメルシュケル……』
 抱えて良いなら頭を抱えたかった。口許に髭を生やした角張った顔の男、クラールは、今、頭の中で必死に損得計算プログラムを走らせていた。目下の問題は、モニタに映る若いオーメルマンが提示した、オーメルシュケルという謎の単位である。
 通貨単位だった。オーメル社が発行する貨幣の。
 国家というものが存在した時代ならともかく、国家が失われ、この世を治めるのが企業とコロニーだけになってしまった今、企業が発行する貨幣というものが、どんな意味を持っているか。それはつまり、発行元の企業が、その貨幣の価値に相当する利益を保証してくれる、ということである。
 コロニーに対して、企業が貨幣を支払う。それは、言い換えればこういうことなのだ。
 ――我が社を信用しろ。さもなくば。
 これは商取引などではない。ほとんど恫喝である。
『なに、大したことではありません。ちょっとおたくの裏山で、新型ネクストの試験運転をさせてもらえればいいんです。ただ場所を貸すだけで対価が得られる……近年まれに見る、いい取引じゃありませんか。ねえ、市長』
「確かに……そう思えますな」
 適当に言葉を濁し、クラールは考える時間を稼ごうとした。
 ちょっと、だと? 場所を貸すだけ、だと? ふざけるな、と内心クラールは穏やかではない。ネクストの運転……それは、周囲にコジマ粒子を撒き散らすことを意味する。このコロニー「ホウシァン」の裏山は、何より大事な農地の一つである。あんなところをコジマ汚染されては、ホウシァンの存亡にすら関わる。
 だが、それをそのまま申し立てて、場所など貸さない、と言えばどうなるか。「そうですか。では実力で貸借します」と、こうなるのは目に見えている。「ついでに、おたくのコロニーで強行市場開拓しようと思いますが?」なんて、たたみかけられるかもしれない。
『いやあ、ここの地形は素晴らしいのですよ。起伏が激しく、要害を想定した実験を行うにはもってこい。いい土地をお持ちですなあ。はっはっは……』
 上機嫌にまくしたてる声を聞き流しながら、クラールは必死に考えを巡らし……
 出た結論は、これだった。
「……分かりました、お貸ししましょう。しかし、可能なら対価についてもう少し話がしたい」
『ほう? なんです?』
「お恥ずかしい話、うちのコロニーは、もう燃料が尽きかけていましてね。今日はドーム内の気温調整もできておりません。それで、現金プラス、燃料の現物支払いを……8000テラジュールほど」
 8000テラジュールは、コロニー全体で消費されるエネルギーの、5ヶ月分に相当する。かなりの量である。
 しぶるかとも思ったが、オーメルマンは、意外にもにこりと笑って即答した。
『よろしいですよ。プルトニウムで構いませんか?』
「え、ええ……願ったり叶ったりです」
『では、そういうことで。今後ともオーメル・サイエンス・テクノロジーをよろしく』
 ブツッ、と音を立て、通信は一方的に切断された。

「払いすぎです」
 端的に、少女は言った。通信を終えたオーメルマンの後ろにいるのは、金髪碧眼、人形のように整った美貌を持つ、10歳そこそこの美少女だった。だがその表情は余りにも虚ろで、二つの瞳は、輸送車の壁をぼうっと見つめている。
 オーメルマンはスーツの襟を正しながら、にたり、と嫌らしい笑みを浮かべる。
「いいんだよ。これで、このコロニーは我が社とのしがらみができた……うちの軍事実験を認めたとあっては、もう他の企業には頼れまい。
 となれば、10万人分のシェアは我が社の物となる。8000テラジュールぽっち、安いもんさ」
「はあ……」
 少女は納得していない風である。
「それにな、カジュ・ジブリィル。考えても見たまえ。8000テラジュールものエネルギー、一度に運輸はできんだろう? チョットずつ、運び込むことになる」
 カジュ、と呼ばれた少女の、焦点の定まらない瞳の前で、オーメルマンは指で輪っかをつくり、それをゆっくりと絞っていく。
「『チョットずつ』の加減なんてものは、送る側の思うがままなのさ」

 妙な気配だった。駐輪場にスクーターを停めるなり、フォイエは目をぱちくりさせた。
 嶺華通りをまっすぐ下った先の、白い円筒形の三棟。いつもは黒い窓だけが、目玉みたいに街並みを睥睨しているのだが、今日はその瞳も霜に曇っているようだ。ある意味では、その建物の瞳は毎日曇っているのだが……
 ここが、市庁舎である。
 お腹もいっぱい、体がぽかぽか温まったフォイエは、口笛吹きつつ市庁舎のドアをくぐった。市民向けの窓口も、普段は表に顔を出さないような役人たちも、みんな殺気立っている。誰かがフォイエを後ろから追い抜きざま、その背中を軽く押した。文句を言おうと振り返れば、もう押した奴の姿がない。
「何慌ててんのよ……」
 眉をひそめると、フォイエはそのへんを走っている役人の腕を引っつかむ。
「ちょっと!」
「お! フォイエちゃん、おかえり」
「ただいま。なんか一大事?」
「いやそれがね! 聞いてよ実は……」

 ――どこのバカだ、厄介な奴にペラペラと話しおって……
 抱えて良いなら頭を抱えたかった。しかし、娘の前で情けない姿は見せられない。父親の辛いところだった。
 代わりに、クラールは渋い顔をする。それだけで、市長室のデスクに詰め寄ったフォイエには、充分すぎるメッセージになっただろう。
「どーゆーことよっ! 農業プラントで演習させるって!?」
「実験だ」
「何が違うのよ!」
「規模が違う!」
 思わずクラールは声を荒げる。そんな自分に……「何が違うのか」という問いに思いの外ダメージを受けていた自分に気付き、クラールは安物の椅子に体を埋めた。
 そう、違いはしない。規模がどうあれ、ネクストの放つ膨大なコジマ粒子は、向こう10年にわたって農業プラントを使用不能にするだろう。そんなことは分かっているが、企業の圧倒的な武力を前に、断ることなどできはしないのだ。
 苦渋に満ちた父の顔から、おそらくフォイエは全てを読み取った。言葉一つ無くとも……そういう娘だった。
「……飢え死にが出るわよ。この10年、なんとかやってきたのに……」
「その代わり、半年分のエネルギーを要求した」
「ハッ! それが対価ってわけ? バッカじゃないの! 企業がンな約束守るとでも思ってんの!?」
「そんなことは分かっている。どうせ要求を呑むしかないなら、できるだけ利益を大きくする言質を取ったまでだ。
 ……あとは今後の流れの中で、騙し騙しやっていくさ」
 市長室には不気味な沈黙が流れた。しばらくその中で、フォイエは固く奥歯を噛みしめていた。必死に企業の横暴をこらえようとしている……のではないことは明らかだった。そんなことができるフォイエではない。それができるなら、そもそもクラールの所に怒鳴り込んだりしない。
 やがてフォイエは無言で背を向け、市長室のドアを押し開けた。思わずクラールは腰を浮かせる。
「待て!」
「……なに?」
 フォイエは振り返りもしない。
 ――何をするつもりだ?
 そんなことは問えなかった。問いたくて仕方がなかったが……問えば、フォイエは答えるだろう。そしてフォイエが答えたとき、自分は一体どうするのか? クラールにはそれが見えなかった。見えないだけに、自分が何をしてしまうのかが、怖かった。
 ただクラールに言えたのは、どこの家庭にも一人はいる、鬱陶しい父親としての言葉だけだったのだ。
「今日もまた、先生のところに行っていたな」
「うん」
 素直にフォイエは頷く。
「毎日毎日、よくも……それに、毎晩遅くまで部屋で何を読んでいる?」
「本。先生に借りた」
「企業の情報統制に引っかかる本は、所有しているだけで命に関わる」
「知ってる」
 遠回しに、遠回しに。核心に近づくのを怖がっているかのように、クラールは慎重だった。実際に怖がっていたのだろう。さっき述べたのと同じ理由で。
 だがいつまでも、恐れているわけにはいかなかった。
「……世界に国家を復活させようなど、夢物語だ!」
 フォイエはゆっくりと振り返った。彼女は笑っていた。とても優しく。若者らしい生き生きとした笑顔。
「夢だから価値があるんじゃない」
 あとは、振り返りもせず去っていく。
 取り残されたクラールは、ぺたりと椅子に座り込み、じっと手許を見つめていた。しかしそのうち、黙っているのに疲れたのか、やおら市庁舎全体を震わせるほどの大声で絶叫した。
「あンのバカ娘ぇーっ!!」

「うっせーバカ親父っ!」
 べっ、と市庁舎に向かって舌を出し、フォイエはスクーターにまたがった。
 さっき走ったばかりのエンジンは、機嫌良くかかってくれる。軽い音と排気を残し、フォイエは嶺華通りに飛び出した。目指すはドーム状のコロニー南端のゲート・ブロックである。そこからドームの外に出られる。
 オーメル社が実験をやるという、山の農業プラントに。
 白いアスファルトの上を行きながら、フォイエは過去に思いを馳せる。

 あれは10年前。国家解体戦争が、僅か1ヶ月ほどで終結……企業側の圧勝に終わったころのことだった。
「なくなってしまった……四千年以上にも渡って、人類の統治機関でありつづけた国家が……」
 まだ幼いフォイエの手を引き、若々しいクラールは寂しそうにホウシァンの街並みを見つめていた。こう見えてミネ家は、アジアのとある巨大国家に仕えた政治家の一族である。クラールも例外ではなく、政府内でかなりの地位にいた。
 祖国に対する思いもあった。国民や、これまでの世界全体に対する思いもあったろう。
 だがそれらは全部消し去られたのだ。企業の手によって。
 国家は消失し、これからの世界は企業が統治することになる。国家の消失……それは多くの芸術家たちが理想の世界として歌った夢物語。それが成し遂げられ、果たして世界はどうなるのか? 歌われたように、差別も国境もない、素晴らしい世界がやってくるのか?
 当時は誰にも分からなかった。
「とーさん?」
 7歳のフォイエは、大きな父の顔を見上げ、訳も分からず瞬きしている。クラールは笑ってフォイエを抱き上げた。そして彼女に見せたのだ。ホウシァンの街の中、統治者が変わったことなど気にも留めず、毎日の生活に一生懸命な市民の姿を。
「見ろ。みんな頑張っている」
「うん!」
「お粥の屋台のじいちゃんもいる」
「いた! あれ、せんせー」
「お? おお。先生もいる……」
 父の胸の鼓動が、フォイエの体に伝わってきた。フォイエはぴったりその胸板に耳をくっつけた。高鳴っていく鼓動。これからやってくる猛烈な変化の嵐。それに立ち向かおうとしている、苦難のはずなのに、なぜかワクワクしている、そんな男の鼓動。
「国はなくなってしまった……だが、私には彼らのためにできることがあるかもしれん。
 私は、頑張ってみよう。この街の住人たちが、少しでも……そうだな。幸せに、暮らせるように……」
「がんばれ! とーさん!」
 ぎゅっ、とフォイエは拳を握る。
 それを見ると、クラールはひげ面をくっちゃくちゃにして……
「おお! 頑張るぞ! うおおおーっ!」
「うっひょぉー!」
 フォイエを抱いたまま、いつまでもクルクルクルクル回っていた。

「あの頃の父さんには、確かに野望があった……」
 風の中、ぽつりとフォイエは呟く。
「それが今じゃ、白髪なんか生やしちゃって!」
 寂しそうにフォイエは眼を細めた。今のクラールは、街を守ることに汲々としている。もちろんそれが、街を思う一心からであることはフォイエにも分かっている。企業の力がとんでもないものであることも、よく知っている。
 でも、だからといって、これが正しいことか? 食料の供給を絶たれればコロニーの住人はどうなる? 飢えて死ぬのか? 企業の傘下に入って、バカ高い合成食料を買わされるのか?
 どっちにしたって、真っ先に死ぬのはコロニーに溢れかえる貧乏人たちだ。
「そんなこと、させない」
 風を切り裂き、フォイエは力強く叫んだ。
「実験は、あたしが止める!」

 一億分の6秒。それが世界で一番速い。
 人の条件反射にかかる時間である。
《ウサギの鼻、ぴくり》起動コマンド。
 カジュはネクストのジェネレータが唸り初めたころ、ようやく自分が何をしたのかに気付いた。AMSはアレゴリー・マニュピレート・システム、翻訳すれば「寓意による操縦系」。それは全て、世界最速の判断装置、人の条件反射によって成り立っている。モニタが出力するアナログな寓意映像。訓練を受けたパイロットによる、条件反射のコマンド。
 そこにパイロットの意志はない。ただ、最良のタイミングで最良の動きをするための、ひと繋がりの回路があるだけである。だからこそ、ネクストを駆る者たちはこう呼ばれる。
 繋がる者。リンクスと。
 映像は次々切り替わる。《お花畑》。《赤白マーブルの花》。《飛んでいくアブ》。それらが網膜に映るたび、カジュは無意識に必要な全てのコマンドを飛ばす。動きには一つの迷いもない。迷わないからそれが最強。最強ならば、それが最良。
 操縦は全部反射に任せているのだから、カジュには余所見をする余裕すらある。外部モニタに映るのは、美味しそうに実ったオレンジ畑の斜面。そこの小道に堂々と停車したコントロール車両、大きなコンテナを積んだ輸送トラック、それを取り囲む武装ノーマルの一団。オーメルの実験部隊だ。
「『ユディト』起動」
 ぼそっ、とカジュは分かり切ったことを報告した。
 モニタのど真ん中に、オーメルマンのにやけ顔が映る。背景に見えるのはコントロール車両の壁か。シートにどっしり腰を落ち着け、上機嫌にブランデーグラスなんか揺らして。どっから持ってきたんだろう、あれ。
『そうか! では、存分にやるとしよう』
「いーんですか?」
『何が』
「オレンジ畑です」
 淡々と言うカジュに、オーメルマンはカラカラ笑う。
『ケチなことは気にしなくてよろしい。どうせ他人のものだ』
「はあ……」
 溜息とも返事ともとれない声を、無表情に返す。
 どうせ他人のもの。まあ、そうなんだろうけど。
 ちらり、とカジュは視線を送る。
『「キング・オブ・ハート」起動しました。パルメットさん、AMSフィードバック安定しています』
 オペレータの声と共に輸送トラックのコンテナから立ち上がる、真紅のネクスト。カジュのユディトとは比べものにならない派手なカラーリングだ。テスト機は観測されるのが役目だから、こんな色合いになる。
 オーメル社製次世代標準ネクスト試作実験機――開発コード、キング・オブ・ハート。
『はあ……いいなあ。おいカジュ、今度の相手は凄いぞ』
「分かってます」
 ぽつり、と呟きカジュは睨む。
 あれに乗っているのはパルメット。国家解体戦争にも参加したオリジナルリンクスで、今のリンクスナンバー1。カジュにとっては雲の上の存在だ。
 しかも、キング・オブ・ハートは『オジェ』をベースに、新機軸の機能を詰め込んだ次世代標準機。所詮したっぱリンクスに過ぎないカジュは、スペックカタログすら見せてはもらえなかった。だがある意味ではその必要すらない。
 あれは、間違いなく現時点で最強のネクストだ。
 言い換えれば、地上最強の物体。
『ダメだなあ。ロボット同士の戦いなんて、横で見ていても全然面白くない。ああいうのはやっぱり、自分で動かしてこそだよ。なあ?』
「はあ……」
 曖昧に返事するカジュの内心は鬱々としていた。
 あんなものと戦い、周囲一体をコジマ汚染に包み込み、そして恐らく、見せつける。オーメル社の新型ネクストの前では、僅か30日で全国家を蹂躙したユディトすら、時代遅れの弱者に過ぎないのだということを。
 いわばこの実験は、コロニーに対するプレゼンテーションだ。新たな時代の到来を告げる、お得意の恫喝を孕んだ。
 嫌な仕事だった。負けることを期待された仕事も嫌なら、人々を脅すような仕事も嫌だった。向いてないな、とカジュは思う。試験管から生まれたときには既にオーメルの「備品」で、それからずっと、逆らうこともなくリンクス候補の一人として生きてきたけれど。
 向いていない。ネクストに乗って戦う仕事なんか。
 だからと言って、今さらどうにもならないだろうが――
「配置、します」
 溜息の代わりに言葉を吐き出す。モヤモヤした胸のままでも、条件反射はネクストを操る。ユディトが細い二本脚をせわしなく動かし、キング・オブ・ハートに背を向けてくれた。
「いいよ」
 誰にも聞こえない声で、カジュは呟く。
「ボクはただ……仕事するだけだもん」

 右手のグラスをくるりと回し、オーメルマンはすっくとシートから立ち上がった。
「よし。では実験を開始するぞ。準備はいいか? カジュ、パルメット」
『はい』
「あ、すんません。すぐ乗り込みます」
 ……………。
 オーメルマンの背筋に冷たい物が走った。
「……ん?」
 振り返れば、そこには30過ぎのにやついた若者がいる。姿勢の悪い、髪を突拍子もない色に染めた、いかにも軽薄そうな若造。オーメルマンは目を瞬く。若造も一緒に目を瞬く。
「なんすか?」
「……質問があるんだが」
 捻り出すようにオーメルマンは言った。
「なんでそこに居るんだね、パルメット君」
「今までちょっとトイレに」
 低い振動がコントロール車両を揺らした。何か重くて巨大な物が、一歩脚を踏み出したかのような音。かのような? 白々しい、とオーメルマンは思う。その事実を否定したいあまり、さも不確定であるかのような言い回しをしてしまった。
 あれは足音だ。ネクストの。
「もう一つ質問しよう」
「なんすか?」
「キング・オブ・ハートを動かしてるのは一体誰だ!?」

 鼓動。
 胸の奥が騒いでる。体の芯が熱くなる。フォイエはほとんど無意識に、その温かさに身を委ねる。一体これはなんだろう? 沸き上がってくる、体を動かす、熱くて、そして優しい何か。
 まるで今これをやることが、生まれる前から決まってたような。
「優しいんだね、あんた」
 フォイエは言った。自分を包む鋼の巨人に。
 鋼の巨人が唸っている。アクチュエータ複雑系の、数万の関節が響いている。音は全てそれだけだった。紛れ込む通信も。迫る敵の足音も。何も耳に入らない。音の消え去る白の荒野に、自分と巨人の二人だけ。
 逢いたかった。
 そう、唸っている。
「逢いたかった。あたしも」
 胸に湧き出すこの気持ち。かつては父さんの胸の中にも、きっとあったこの気持ち。
 逢いたかった。そして出逢えた。
「あんたはあたしの」
 だから今なら、
「あんたはあたしの……」
 だから今から、
「あんたはあたしの――友達(ペンユウ)だ!」

 ぎぃぃぃぃいいいいいっ!!
 劈く音。
 そして静寂。
 誰も何も言えなかった。ただ、見つめていた。
 掴みかかったMT『ランスロット』を――
「ば……」
 素手で押し潰した真紅の巨人を。
「バカなっ!?」
 オーメルマンが絶叫する。動かせるわけがない、そうタカをくくっていただけに、オーメルマンは混乱していた。常識ではありえない。ネクストを動かすことができるのは、訓練を受けたリンクスのみ。仮に適正があったにしても、訓練なしに動かすなんて、そんなことできるわけがない。
 だが呆気にとられるオーメルマンの目の前で、モニタは無情な光景を映す。子犬の鳴くような甲高い音。キング・オブ・ハートのブースターが白い光を吐き出して、真紅の巨体が宙に舞う。かと思えば次の瞬間、猛烈な振動が車を襲い、オーメルマンはたたらを踏んだ。
 飛び去る巨人。その背中を横目に見つめ、オーメルマンは手に零れた飲み物を舐め取った。勿体ない。さっさと呑んじまおう。氷を鳴らして一気にあおる。
 ぶはぁーっ、と酒臭い息を吐き出して、
「どういうことだ!? どこかの野良猫(リンクス)でもいたのか!?」
『その可能性、薄いです』
 ぽつり、とカジュの声が聞こえる。
『多分ただの高適正素材……「XiYa(ザイヤ)」です』
「しかし初見で動かした! 新鋭機は複雑でもあるのにだ」
『だから、多分……』
 思わずカジュが言葉を詰まらせる。
 オーメルマンは笑ってしまう。コレが笑わずに居られようか。
「『レイヴン』か――!」
 訓練すらなく、いきなりネクストを動かすことのできた、史上唯一の男。かつての戦争で17人ものリンクスをたった1人で殺した、史上最強のリンクス。伝説にすらなっているその男はこう呼ばれていた。
 アナトリアのレイヴン、と。
 それに匹敵する素材が目の前にある。はははっ、とオーメルマンは豪快に笑った。確かにちょっと失態はした。新鋭実験機を強奪された。油断、間抜けにも程がある。このまま戻れば処分は免れまい。
 だがレイヴン級の素材を手に入れれば、そんなものは全て帳消しになる。どころか出世間違いない。
 オーメルマンは目をキラキラさせて、
「よーし! カジュ、操縦を私と代われっ! 面白くなってきたぞ!」
『……無理です。コックピット、ボクのサイズだし……』
 ――だいたいあんたリンクスじゃないだろ。
 二言目は辛うじて喉の奥に飲み込んだ。
「そうか、それもそうだなあ……ええいっ! 追え追え、カジュ! 機動性ならユディトが上だっ!」
『了解』
「ランスロット隊は……ダメか。足手まといになるし、どのみち追いつけん」
「あ、あのー。オレ、どうしましょう?」
 後ろで申し訳なさそうに顔を引きつらせているパルメット。オーメルマンは冷たい目をそっちに向けると、
「トイレにでも入っていたまえ」

 さて、困った。フォイエはコックピットで頭を捻る。
 地の利を生かして忍び込み、だれきった実験部隊の隙をついてネクストに乗り込んだはいいものの。はっきり言って、ネクストを奪って実験を台無しにした、その後のことはぜーんぜん考えてなかったのである。
「はー。やっぱ人生、行き当たりばったりじゃダメかなー」
 ビープ。
 弾かれたように顔を上げ、フォイエは後部カメラを見やる。そこには砂塵を巻き上げて、追いかけてくるネクストの姿。やはり見逃しちゃくれなかった。しかも相手は見るからに細身の軽量級。最初は豆粒大だったその機影が、みるみる大きくなっていく。
 オマケに右手にレーザーライフルまでぶら下げている。こっちは素手のまま、武器も持たずに飛び出してきたというのに。
 そして目と鼻の先には、ドームコロニーの外壁。
 こんな所では、絶対防御膜プライマルアーマーは展開できない。あれこそがネクストの最大の盾であり最大の難点。コジマ粒子を撒き散らし、周囲に拭いがたい汚染を残す原因なのだ。となれば……
「……もっと街から離れなきゃ!」
 言ってるそばから無意識がコマンド。真紅のネクスト『ペンユウ』が、クイック・ターンで方向を変える。目指すは南の山を越えた先。そこには不毛の岩砂漠が広がっている。
 しかし……
『あのー。ボク、オーメルのリンクス……カジュっていうんだけど』
 モニタの端に突然顔が映る。まだ幼い、10歳そこそこの女の子だった。
「へ? 後ろの人?」
『うん。止まって』
「言われて止まるか!」
『じゃ、撃つよ。ごめんね』
「あ、おいこら」
 ぶつっ。音を立てて通信は途切れた。と――
 いぃぃぃんっ!
 背筋がゾクゾクするような気持ち悪い高音を立て、言葉通りレーザーが飛んでくる。フォイエは思わず青ざめながら、がむしゃらにコンソールをいじり回した。なにしろ何をどうすれば動くのかすら、フォイエはあんまりよく知らない。
 だが運が良かったのか、それとも天性の才能か……ペンユウは巧みに身を捻り、青いレーザーを回避する。
『あ、避けた……ほんとにスゴいんだ……』
 いちいち通信送ってくるんじゃないっ!
 と怒鳴ってやりたいが、そのヒマもない。感心しながら次々放たれるレーザーの雨を、フォイエは自分でもよく分からない操縦で回避する。しかし何度も避けられるわけもない。PAの守りすらないペンユウの肩を、一条の光が貫いていく。
《右肩被弾/動作支障レベル3》
「それってどんくらいよ! でもっ」
 既に2機はドッグファイトをやりながら、コロニーから遠く離れた山地へと飛び込んでいる。左右の岩場を利用して身を隠しつつ、山向こうの砂漠目指してフォイエは一心不乱に走り続けた。
 だがフォイエには分かりかけていた。どこをどういじればペンユウが動くか……そしてそれ以上に、どうすれば戦うことができるのかが。
 とりあえず、考えではダメだ。
 こう避けよう、ああ動こう、そんなことを考えて操縦するとき、つねにレーザーが体をかすめる。体を貫く悪寒に突き動かされ、無意識に何かをしたときは、何故か最高の動きになる。
 ネクストを制御するAMSの構造を、早くもフォイエは理解しつつあった。
 一億分の6秒。条件反射。それが世界で一番速い。

 やりにくい。カジュは唇をきつく結んだ。
 障害物の多い山岳地に逃げ込まれると、熱源ロック性能に劣るユディトには不利である。木や岩の影から時折姿を見せるキング・オブ・ハートに狙いを定め、散発的にレーザーを放つものの、結局最初の一発の後は全く傷を負わせられずにいた。
 ……いや。
 無表情の裏でカジュは焦っている。自分の焦りが全てを証明している。
 戦場のせいだけじゃない。確実に……敵の動きは良くなってきている。それも急速に。
 と思うや否や、またも敵機が谷間へ飛び出す。カジュもひとっ飛びにそれを追い、赤い背中に向かってトリガーを引く。だがそれを注視していたかのようなタイミングで、赤い巨体がクイック・ブースト。青いレーザーの軌跡を横手に見ながら、また岩陰へと姿を隠す。
「……当たらない」
 焦りは独り言となって出た。
 そうこうしている間に山地を抜けて、カジュのユディトは開けた砂漠へと飛び出した。所々にそびえ立つ巨岩の他には、赤茶けた不毛の大地が広がるばかり。吹きすさぶ風が砂を舞い挙げ、ユディトのレーダーを殺す。
 AMSが寓意を送る。カジュは油断なく周囲を見回しながら、無意識にレーダーを赤外線に切り替えた。だがこの昼間、明るい太陽の下では赤外線も頼りにならない。信じられるのは自分の目のみ。
 どこだ? 砂地を見渡す。
 隠れるとしたら…… 赤い巨岩を睨む。
 あるいは砂漠に出たと見せかけて。後ろの山地にも気を配る。
 コンソールに置いた手のひらに、汗。
 静寂、そして砂嵐。
 太陽、ユディトから昇る陽炎。
 じっ、と――
 刹那、
《熱源感知!》
 寓意。
 ――上!
 ユディトが銃を振り上げる。

 無意識の行動の中にこそ、人間の本質が現れる。
 そして無意識の行動の最たる物は、予想だにしない出来事へのとっさの対処である。
 しかるに、キング・オブ・ハート、つまりペンユウが、PAすら展開せず無防備なコアを銃口に晒して、こちらを抱きしめるかのように腕を広げて落下してきたとき、とっさにカジュはこう対処した。
 ――殺さない。
 それはAMSの寓意に逆らった一瞬だけ遅い行動であり、そして、

 一瞬で充分!
「うぉおぉぉおおおっ!!」
 フォイエは叫び、クイック・ブースト。一直線にユディトの胸へ。
 青いレーザーが飛び上がり、ペンユウの体を抉っていく。だが一瞬の逡巡が、その全てをコアから逸らした。腕へ、脚へ、スタビライザーへ、レーザーは吸い込まれるように着弾する。
 それはカジュの優しい心。
 だがフォイエは見逃さない。
 けたたましい轟音を砂漠に響かせ、ペンユウはユディトに衝突した。正確には、ユディトを守るPAの壁に。草むらから飛び上がる蛍のように、コジマ粒子の青い光が砂漠の空に舞い上がる。
『まだPAが残って!』
「PA展開っ!」
『!』
 フォイエが叫び、無意識でコンソールを叩いた瞬間、ペンユウが全身から蛍を放つ。
 ぶつかり合ったPAとPAが、耳障りな高音と共に渦を描いて混ざり合い……
『侵食?』
 風船のように弾けて消える。
 瞬時、クイック・ブースト。
『なっ!?』
 ペンユウの巨体が亜音速まで加速され、ユディトのコアに激突する。
『無茶なぁああああ!?』
「んぎいぃぃぃぃぃ!」
 狭いコックピットを貫く衝撃。フォイエは奥歯を食いしばり、なんとかその揺れを耐えきった。そして一瞬怯んだユディトを、そのままの勢いで押し倒す。
「終わりよ!」
 叫ぶが、
『まだだよ!』
 光。ユディトの細い左腕から、レーザーブレードが発振される。光の刀身に触れた地面が一瞬にして蒸発した。
 ――至近距離からぶった切る!
 カジュの敵意が膨れあがり、
「させるか!」
 ペンユウが腕を振り下ろす。
 破砕音。
 一瞬遅れて、重い鋼鉄が地面に落ちて反響した。
 衰弱していく、唸り。
 もぎ取られ、地面に転がったユディトの左腕から、光の剣はすぅっと消え失せていった。

 一般に、機械の複雑性は脆弱性と単調増加の関係にある、と言われる。
 簡単に言えば、複雑で高度な機械になるほど、ちょっとした故障が致命的なものになりやすい、ということだ。数万個のアクチュエータが絡み合ったネクストの機体は、その最たる例と言えた。
 腕一本をもぎ取られただけで、ユディトは脆くもシステムダウンした。さっきまで外の光景とまばゆい寓意を放ちまくっていた全周囲モニタは漆黒の闇だけを映し出し、普段色とりどりにライトアップされているコンソールは不気味に沈黙している。
 ただ一つだけ普段と変わらない、横倒しになった固いシートに、カジュは力を抜いて横たわる。
「負けちゃった」
 言葉にしてから実感が湧いてきた。
 ――怒られるかなあ。
 他人事のようにカジュは思った。レイヴンは捕まえられなかったし、大事な実験機も逃がしたことになる。オマケにユディトはこの有様だ。一体どれほどの損害を、会社に与えたことになるのだろう?
 カジュには人並み外れた計算能力もあったが、それを使いたいとはカケラも思わなかった。
 ……と。
 羽虫が一斉に飛び立つような音をたて、不意にモニタに光が灯る。びっくりしてカジュは身を起こした。コンソールに指を走らせる……無反応。だが、それでもシステムは勝手に再起動手続きを進めていく。
「……何これ」
 やがて、モニタには外の光景が映し出された。まだユディトに馬乗りになっている、赤い実験機。あれほどうるさかった寓意が一つも見えないモニタ。その代わり、画面を埋め尽くすほど大量に表示された、文字の羅列。
 その文章を要約すれば、こういうことだ。
 緊急モード、起動。
「何それ」
 カジュの背筋に冷たい物が走る。
『やあ! カジュ・ジブリィル。お仕事お疲れさま』
 突然モニタの真ん中に、にやついた男の顔が映った。愛想良く笑って手なんか振っているのは、言わずと知れたオーメルマン。その機嫌良さそうな笑顔と声は、あまりにも……ぞっとするほど、異様。
「あの……」
『大丈夫だ! 気にしなくていいよ。人生に自爆はつきものだしね』
「はあ……え?」
 今なんて言った?
『というわけで、今からキミの機体はコジマ爆発する。今までいろいろありがとう!』
 瞬間……
 カジュの意識が凍り付いた。
 脚から、指から、舌の先から、数万の虫が這い登ってくるかのような感覚。目の前に突きつけられた非情な現実が、ゆっくりと、悪寒となってカジュの内部に潜り込む。
「ちょ……え……え!?」
『落ち着いて。安心したまえ、カジュ』
 飽くまでもオーメルマンはにこやかに。
『キミは死ぬが――レイヴンは助かる』
「ちょと待っ!」
 ぶつっ。
 掻き消えたオーメルマンの残映に、悲鳴は虚しく木霊した。
 モニタが立てる軽いビープの他には、音一つない時間。カジュはただ呆然と、呆然とモニタを見つめ……やがて気付いた。背中の後ろから響いてくる地獄の呪詛のような唸り。ジェネレータ。画面を見れば、そこには一つのパラメータが刻まれている。
 コジマ粒子出力、異常上昇。
 爆発する。
 顔面蒼白になったカジュは、がむしゃらにコンソールをいじり回した。自分が知ってるあらゆる操作方法を片っ端から試していく。しかし制御が取り戻せない。無情に暴走へのカウントダウンは進んでいく。
 ふと、何かのスイッチが反応した。ようやく見つけた最後の希望にカジュの胸がときめいた瞬間、流れる軽快なBGM。音響設備。思わずコンソールをぶっ叩く。
「やだ……やだよ……」
 汗。悪寒。震える指先。
「そんなのやだよ……」
 無反応。冷酷な唸り。
 諦めがどっとカジュにのし掛かってきた。その重みに潰されて、カジュは再びシートに体を預ける。ずっと一生懸命やってきたのに。嫌でも、ちゃんと頑張ってきたのに……
「……腹立つ」
 カジュは怒った。最後の最後に。
 ――邪魔してやる!
 おそらくオーメルマンがイタズラのつもりで残しておいた、音響設備の制御権。カジュは音量最大にして、カラオケモードに切り替える。コックピットの横から突き出すマイクを引っ掴み、生まれて初めての大声を腹の底から張り上げた。
「爆発する! 逃げてーっ!!」

 フォイエは弾かれたように顔を上げた。脚の下に組み敷いたユディトから、装甲板の振動を介して、微かに声が届いてくる。
 爆発する、逃げて、と。
「まさか……自爆!?」
 思った瞬間。
 寓意すらなく、条件反射。

 コジマ粒子の青い光が、辺りの全てを薙ぎ払った。

「うーん、美しい光だ。何度見てもいい」
 遥か遠くの山向こうに、青い光の柱が立ち上る。コントロール車両の屋根に登って、それを観察していたオーメルマンは、満足げに頷きながら双眼鏡を降ろした。すぐ隣に座り込んで眼を細めていたパルメットに、ほいっ、と双眼鏡を投げ渡してやる。
「大丈夫なんすか? せっかくのXiYaまで殺しちゃあ……」
 双眼鏡を覗き込みながら言うパルメットに、オーメルマンは肩をすくめる。
「心配ない。昔、エーレンベルクがコジマ爆発したときも、至近距離にいたネクストのパイロットは無事だったんだ。ほら、それが例の……」
「アナトリアのレイヴン?」
「そ。いや、私は遠くから観測してただけだが、伝説になるだけのことはあるよ。アレは」
 まあ、思い出話はこのくらいにしておこう。コントロール車両の上にすっくと立ち上がったオーメルマンは、差し出されたMTランスロットのアームに飛び移り、下でたむろするスタッフに号令を飛ばす。
「よし! ACとレイヴンの回収に向かうぞ! コジマ粒子下でちょっと大変な作業になるが……なるたけ破片とかも残さないようにするんだ。行動開始!」

 わけが分からない。
 きっと今ごろ、オーメルの実験部隊は忘れている。死んだものと決めてかかり、行動計画の隅っこにすら、カジュの存在は考慮されていないだろう。カジュのことなど忘れている。十年間もの間、それなりに社に貢献してきた……はずの、カジュを。
 オーメル社ですらそうなのに。
 カジュには、わけが分からない。
 ただ、フォイエの膝の上に座らされ、操縦の邪魔にならないように小さく身を縮めながら、頭の中で渦巻く疑問を口にしただけだ。
「……なんで助けたの」
 そう、ユディトがコジマ爆発しようとした、あの時。
 カジュの声を聞いたフォイエは、迷うことなく、ほとんど反射的に行動した。すなわち、ユディトのコアを引き裂いて、中からカジュを引っ張り出したのである。
 後は時間とコジマ粒子との勝負。急いでカジュをコックピットに引きずり込んで、ブースター全開でその場から逃げ出した。カジュがオーバードブーストの発動コマンドを教えなかったら、たぶん逃げ切れなかっただろう。
 わけが分からなかった。
 カジュを助けるとか、そんな余計なことをせず、すぐに逃げ出していれば……リスクを負うこともなく逃げられたはずなのに。オーメル社すら見捨てたカジュを、どうして?
 なぜ、このお姉さんは助けたのだ?
 顔をムッツリと閉ざして訝るカジュに、しかしフォイエは笑ってこう答えただけだった。
「別に死ななくたっていいじゃない」
 しばらくカジュは、膝の上で黙っていたが、やがてぽつりとこう呟いた。
「……ありがと」
 フォイエの大きな(カジュにしてみれば)手が、ちっちゃな頭をわしわし撫でた。

 あまりのことに、頭を抱えたいという気すら起きない。呆然と、クラールは目の前に現れたそいつを見上げる。朝霜に白んでいたアスファルトは、高く昇った昼の陽射しに融かされて、黒々と、湿った美しい輝きを見せ始める。
 何にでも寓意を見いだそうとするのは、人間の悪い癖だと常々クラールは思っていた。でもこれは、きっと何かの寓意なのだ。
 世界とか。人生とか。少々うさんくさいが、神様とか運命とかの。
 凍て付いた大地も融けるのだ。空に太陽の昇る日は。
「なんてことだ、あのバカ娘」
 言いながらもクラールの顔はほころんでいる。
 目の前にそびえ立つ、真紅の巨人を見上げながら。その胸から覗かせる、無事に戻った娘の顔を見つめながら。
 実験を止めようとしているのは分かっていたが……まさか、ネクストを強奪するなんていう強硬手段に打って出るとは。そして、見事にそれを成し遂げてみせるとは。
 コロニーの中にいきなり飛来した真紅のネクストは、言うまでもないがあっというまに野次馬たちに囲まれた。何しろみんな、ネクストだなんていうシロモノを間近に見るのは初めてだ。物珍しさと淡い恐怖に、人々は波のように、ネクストに近寄っては離れてを繰り返す。
 しばらくそんな市民たちを見下ろしていたフォイエは、ぐるりと群衆を見渡して、やがてその中に、クラールを見いだした。手を振りもしない。飛びはねもしない。ただ、自信に彩られた笑みを浮かべて、コックピット・ハッチの上に、剣のように立ち上がる。
「父さんっ!」
 叫びが――
 コロニーを満たすざわめきを、一掃した。
 静まりかえった空の下、クラールは父らしく、堂々と声を張り上げる。
「なんだ!」
 僅かな間。
 たぶん……逡巡。
 そして、
「あたし、この街を出る!」
 クラールの中で何かが脈打った。
 覚悟はしていた。何年も前から。
 覚悟はしていた。真紅のネクストを見た瞬間、はっきりと。
 クラールは天を仰ぎ見た。太陽光を投下する、透明なドームの天井を。胸に大きく息を吸い込む。温もりかけた冬の空気を。いずれこの日が来ることは、あらゆる父親が覚悟すること。
 でも……
 そんな覚悟が何になる?
 この胸のざわめきを前にして?
 せめて最後に父親として、クラールにできることはただ一つ。
「……そうか」
 静かに呟いて見せること。
 フォイエは右に顔を向けた。堂々と胸を張ったまま。
「じいちゃん!」
「おお」
 その見つめる先には、粥の屋台のじいちゃんがいる。
「今までありがと! お粥……おいしかった!」
「おう……」
 今まで見たこともないくらい、じいちゃんは顔をクシャクシャにした。
 黒髪を力強く振り回し、フォイエはよそへ視線を移す。
「先生!」
「ミネくん……」
 先生はいつも通りの優しい目で、フォイエをじっと見守っている。
「先生に教わったこと、あたし、やってみる!」
「ええ……頑張って! あなたなら、きっと……」
 やめろよ先生、泣くなよ。込み上げてくるものをこらえながら、フォイエは思う。
 そして――
 最後に、もう一度。
 父と娘は視線を交わす。
 融けた霜と、アスファルト。穏やかな春の臭い。
 新たな時が、やってくる。
 餞は言葉。父としてできる、最後の仕事。
「フォイエ!」
 娘にだけは負けないように、大きく胸を張りながら……父は力強く、こう叫んだ。
「――いい国を創れ」

 紅い巨人がドームを飛び出す。
 当てもなくただ道を行きながら、フォイエはじっと黙りこくっていた。相変わらず彼女の膝の上に抱かれたまま、カジュは心地よい暖かさに身を委ねていた。
 と、頭の後ろで鼻をすする声がする。
「……良かったの?」
 尋ねたころには、もうフォイエは笑顔に戻っていた。
「いいも悪いもないわよ。あたしが出て行かなきゃ、オーメルはコロニーを追及する。でも、肝心のあたしとネクストさえ厄介払いできれば、あとは市長がなんとかするでしょ」
「お父さん……?」
「あんな奴、もー親父じゃないわよ! せーせーしたわ」
「親子だって知れたら、迷惑かかるもんね」
「ちょっ、あん……!?」
 慌てて顔を真っ赤にするフォイエに、カジュはくすりと笑みを漏らした。滅多に笑ったこともないカジュがだ。
 ごほん、とわざとらしく咳払いして、フォイエはカジュの頭を撫でる。
「で、あんた、どーすんの? どっかのコロニーに降ろしてあげようか?」
「それ、困るよ……ボク、生まれたときからオーメルにいたし……他に行くとこないし……」
「うーん、じゃあどうすっかなー」
「一緒に連れてってよ」
 う。
 フォイエは思いっきり顔をしかめた。
「ちょっと! あんた、あたしがこれから何する気か知ってんの?」
「知らないけど」
「ふっふっふ……聞いて驚け! この世知辛い世の中に、世界帝国を建設する! そして世界を再建すんのよ! それがあたしの夢! どうだっ」
「ふーん」
「……………」
 勢い込んで夢を語ったフォイエに、カジュはぼーっとした視線を向ける。思わずフォイエは沈黙した。
 やがてカジュは、こくりと頷く。
「じゃ、それ、手伝うよ……」
「あんたねー、軽く言うけど、子供に出来ることじゃないのよ」
「キミこそ。国家建設ったって、そんな知識あるの……?」
 なんて言われると、いささかフォイエもムッとする。
「バカにすんじゃないわよ。あたしだって、先生んとこで勉強したんだから」
「じゃ、現代における企業及びコロニー勢力の力的関係を説明してみて。概要でいいから」
「え!? えーと……じ、GAとインテリオルがケンカしてて……ローゼンタールは……オーメルの……」
「『アスピナ』は?」
「う!?」
「『シング』は? 『バーナード』は? 『エーレンベルク特別自治区』は?」
「うっ、うっ、うっ」
「ほら何も知らない……」
「わ、分かってるわよっ! だから一生懸命本読んでるんじゃない! 大事なのは無知の知ってやつよ」
 こくり、とカジュは頷いた。
「ま、それも一理あるね……でもとりあえず、ボクの脳みそは、あって困るもんじゃないよ……」
 言われれば確かにその通り。国を創るという夢にしたって、具体的に何をどうするか? 全く頭に計画がないわけではないが、おそらく、これから先、強力なブレーンは必要となってくるだろう。それに子供子供と言ったって、相手は元リンクス。企業によって英才教育を受けた特異能力者ではあるわけだし……
「うーん……でも、給料払えないかもよ……」
「プリン」
「は?」
 さも当然、と言わんばかりに呟くカジュに、フォイエは首を傾げた。
「一日一個。それで手を打つよ」
「ま、まあ……そんくらいなら、なんとか……でもなんでプリン?」
「好きだから」
「あ、そう……まーいいわ!」
 にやりと笑って、フォイエは頷く。友達は多いに越したことはないのだ。それに、考え込むのは好きじゃない。
 条件反射。何をするにも。
 世界最速の反応速度で、フォイエは『ペンユウ』を走らせる。
 世界帝国の礎となる場所、まだ見ぬ新たな土地を目指して。

(続く)