ARMORED CORE EPISODE 6

砂漠のグレイ・ロック

 ――どうしてなの、ヨシュア
 気が付くと、彼は闇の中にいた。一体ここはどこだ。わからなかった。しかし、それを考える気力もなかった。まるで自分の心が闇に吸い込まれていくようだった。もう何も、彼の中にはなかった。ただ、何処から発せられているのかもわからない声を聞き、空虚な空間を眺めているだけだ。
 ――ねえ、ヨシュア。答えて
 それでも一つはっきりしていたのは、自分の名前が誰かに呼ばれているということだった。どこかで聴き覚えのある声だ。でも、それが誰の声だったのかは一向に思い出せなかった。
 ――どうして殺したの?
 悪寒が全身を駆けめぐった。体中の汗腺という汗腺から汗が噴き出し、彼の皮膚の上にもう一枚の膜を作るかのようだった。恐怖している。自分は恐怖している。彼は感じた。口を開きたい。大声で叫びたい。やめろ、と一言叫んでここから逃げ出したい。しかし口は開かなかった。大声は出なかった。やめろ、とは言えなかった。
 突然、闇が晴れ渡った。まるで雲の切れ間から曙光が覗くように、闇の向こうに何か明るいものが見えた。彼はそっちに流れていった。もうここは嫌だ。光に当たりたい。そう思った。
 しかし闇が完全に消え去ったとき、彼の目に飛び込んできたのは闇色の光だった。 

 荒野に巻き起こる砂埃。彼は思わず目を細め、顔を腕で覆い隠した。自然の風ではない、何かによって起こされた熱風が彼のコートをはためかせる。風に乗って流れてきたにおいが、彼の鼻をついた。
 彼は遠くを見つめた。一匹の巨大な蜘蛛。それを取り囲む三人の巨人。違う。あれは蜘蛛ではない。彼は知っている。あれは、彼の相棒だ。そして巨人達は、敵。まぎれもなく敵。殺さなければ、こっちが殺されてしまう、敵。
 彼はこの風景に見覚えがあった。
「父さん!」
 彼は思わず叫んでいた。青い蜘蛛に向かって。その中にいる、一人の男に向かって。
 蜘蛛は動き出した。蜘蛛が腕を振るうと、巨人の一人が崩れ落ちた。また熱風が起こり、血のにおいが濃くなった。
「だめだ! 闘っちゃだめだ!」
 彼は精一杯叫んだ。喉が潰れて一生話せなくなったってかまうものか。今止めなければ、彼は後悔を背負うことになるのだ。これから先、ずっと。それは話せなくなるよりずっと辛いことだった。
 そのときだった。熱風が彼の頬を凪いだ。彼の後ろから。
 彼は振り返った。その直ぐ後ろに、巨人が立っていた。鉄でできた巨人。見覚えがある。この中にいるのは、それは――彼自身だ。
 巨人は、思いっきり地を蹴って走り出した。
 
 次の瞬間、彼は地面に膝をついていた。周りには、崩れ去った巨人達と、胸板を貫かれた蜘蛛。そして彼の手に付いているべっとりとした液体。
 血。
 彼は視線をおろした。彼の目の前に横たわっているもの。さっきまでこれは人だった。でも今は違う。違う。違う。違う。
 父親。
 
 彼の絶叫が闇の中にこだました。
 
 
 
 ヨシュアははっと目を見開くと、跳ねるように上体を起こした。朦朧として自分が何処にいるのかわからない。しかしそれも一瞬のことだった。白いシーツ。見慣れた壁。窓の外に見えるいつもの風景。
 ここは自分の家だ。やっと思い出した。
 ヨシュアは自分の体がじっとりと汗ばんでいるのを感じた。心臓も激しく動悸を打っている。体が火照って、まるで火の中にいるようだ。
「大丈夫?」
 横から声がした。そっちに目をやると、一人の女性が心配そうな目でこっちを見つめていた。黒髪と黒い瞳。見覚えがある。
「……リンファ……?」
 惚けたようにヨシュアは彼女の名を呼んだ。顔にかかる金髪を手で払いのけ、しばし考える。一方のリンファはというと、まだ寝ぼけているのかとでも言わんばかりの顔だ。
 ここに来て、ようやく彼は自分も隣の女性も一糸まとわぬ姿であることに気付いた。そうか。やっと何もかも思い出した。自分と彼女とが、同じベッドに横たわっていた理由も、なにもかも。
「大丈夫?」
 ヨシュアが落ち着いたのを感じたのか、リンファはもう一度問いかけた。ヨシュアは大きく息を吸い込んで、大きく吐いた。そして小さく唸った。
「ああ」
 体が重い。ヨシュアはベッドに横たわった。もう一眠りしたかった。
「なんでもないんだ」
 そう。彼は心の中でもう一度繰り返した。
 これは、なんでもないことなんだ。
 
 
 太陽は、容赦なくじりじりと照りつけていた。地面は完全にひからびて、古い花瓶のようにひび割れている。もう何ヶ月も雨が降っていないのだろう。
 メキシコ砂漠。ここ30年の間に新しく生まれた砂漠である。できた当初は世界規模のニュースになったものだ。なにせ、ここの近辺にあった地下都市が破棄を余儀なくされたほどなのである。なんでも、地質の変化が原因で、落盤事故が頻発したらしい。
 また、砂漠といっても砂ばかり、というわけではない。そもそも、世界の砂漠の9割は、岩や小石に覆われた「岩石砂漠」、「礫砂漠」なのである。ここは、見渡す限り砂ばかりの「砂砂漠」と、「礫砂漠」の中間といったところか。いくつか岩山もそびえ立っている。
「カンバービッチ君」
 砂漠の真ん中にそびえ立つ、そこそこ大きな岩山。その影に隠れて、一人の男が双眼鏡をのぞき込んでいた。砂漠というのは不思議なもので、日向は地獄のような暑さなのに、一歩日陰に踏み込むとこんどは少々肌寒いのである。こんなことなら上着を持ってきておくんだったと、彼は今更ながら後悔した。
「カンバービッチ君! 聞こえないのか?」
「聞こえてますよ」
 男は振り返るどころか、微動だにせずに答えた。何もかもわかっているのだ。後ろにいる、アラブ系の男との付き合いは短くない。どうせ、いらついて八つ当たりの相手を探しているに違いないのだ。
「まだ見つからないのかね!?」
 そうら、見たことか。もはやまともに取り合う気も起きなかったが、やはり無視するのも後が怖い。仕方なく、彼はぶっきらぼうに言い捨てた。
「本当に来るんですかね」
「カァンバァビッチくぅん、私を信用したまえ」
 信用できたら苦労しない。だいたい、なんなんだその「カンバービッチ」なんていうあだ名は。勝手につけておいて、いやがると怒り出す。自分勝手にもほどがある。
 彼は、そう心の中で毒づいた。彼……カンバービッチも、典型的な日系人なのである。この、言いたいことがはっきり言えない性格が遺伝なのだとしたら……彼は、間違いなく祖先を恨むだろう。もちろん、心の中で。
「それより、ちゃんと見張っててくれよ」
「見逃しゃしませんよ。この砂漠のど真ん中で、真っ赤なACなんて」
 双眼鏡の向こうに見える風景は、黄色い砂と灰色の岩に覆われた不毛の大地のみ。もしもこの中に真っ赤な、全高8メートルにも及ぶ巨大な人影が現れたりしたら……結果は、考えるのもばかばかしいくらいに分かり切っている。双眼鏡などなくとも、見逃すはずがない。
 カンバービッチはため息を付いた。いくら我慢強い彼とはいえ、3時間も何の変化もない砂漠を見張り続けていたら、苛つくのも無理はない。
 そろそろ、頃合いか。
 彼は、後ろにいるアラブ系の男に進言するタイミングを、ずっとうかがっていた。もちろん、諦めて帰還しようという進言である。あの男はわがままな上に癇癪持ちで、巧くなだめるのも一苦労なのである。
「あの、僕ぁ思うんですけ……ど……」
 言いかけて、カンバービッチは凍り付いた。一度双眼鏡をおろして、肉眼で確認する。そして再び双眼鏡を覗き込むと、声を裏返して叫んだ。
「き……来たっ!」
 その声に反応して、アラブ系の男がカンバービッチに駆け寄った。彼の双眼鏡をひったくると、砂漠の向こうを見やる。
 そこには、砂塵を巻き上げて疾走する真紅の巨人……ACが一体。
「そうら見ろ! 私の言ったとおりではないか!」
 アラブ系の男は双眼鏡を投げ捨てると、きびすを返して走り出した。
「出撃だ、急ぎたまえカンバービッチ君!」
「り、了解!」
 慌ててカンバービッチは彼の後を追いかけた。しかしふと足を止めると、後ろを振り返った。
 そして、双眼鏡を拾い上げて丁寧に砂を落とし、懐にしまい込んだ。
 
「あとどのくらい?」
『んっとぉ、あと15ふんでとーちゃくなのぉ』
 リンファは気が遠くなった。
 自慢の黒髪が、汗で額に張り付いて気持ち悪い。シャツはもう完全に湿ってしまっている。唇に乾きを感じて、リンファはスポーツドリンクの缶に口を付けた。
 今リンファがいるのは、巨大汎用ロボット、『AC』のコックピットの中である。『ペンユウ』というのが彼女の愛機に付けられた名前だ。何度かのバージョンアップを経て、今は『ペンユウ侃』を名乗っている。ペンユウの武装は、右手に持ったマシンガンと左手の甲に装着されたレーザーブレード発生装置。そして、左肩に背負っているのは新しく購入したミサイルである。
 そのペンユウがひた走っているのは、北アメリカ大陸の南部に位置する、メキシコ砂漠のど真ん中である。外気温は約40度。これからもっと上がるだろう。陽炎に揺らめく真紅の巨人は、端から見れば美しくも見えるだろうが、中に乗っているものはそんなことはいっていられない。
 一応ACにもエアコンは付いているが、それほど性能が良くない。何分巨大ロボットである。機体の排熱が精一杯で、あまりコックピット内まで手が回らないのだ。そんなわけで、今コックピット内の気温は34度をマークしていた。
「暑い……」
 ついに口に出してしまった。今まで、ずっと我慢していたのである。どこかで「暑いと言うと余計に暑く感じる」とかいう話を聞いたことがある。普段のリンファなら鼻で笑うだろうが、人は苦しいときには何にでもすがりたくなるものである。
『にゃはは〜、ヨシュアくんもみちづれにすればよかったのにね〜』
「仕事とプライベートは別。そんなこと言ってないで、ちゃんとナビしてよ」
 通信相手は、リンファの専属メカニックのエリィである。この間までいろいろと事件があってしばらく落ち込んでいたのだが、ようやく元気を取り戻したらしい。本業はメカニックだが、ハッカーでもあり、医学の心得もあり、様々な局面でリンファをサポートしてくれている。
 今回はナビゲーター役である。向かう先は地下都市『サンタニカ』跡。メキシコ砂漠の形成によって破棄を余儀なくされた地下都市の内の一つである。そこが最近、テログループの活動拠点になっているらしい。そのテログループの殲滅が、今回の依頼内容である。
 危険な仕事。危険を買う仕事。それが、リンファの生業である。闇の世界を疾走する傭兵、『レイヴン』。リンファはそのレイヴンの一人だった。
『あ、レーダーにはんのう〜』
 突然、エリィが声を上げた。リンファも自分の目でレーダーを確かめる。なるほど、こちらに向かって近づいてくる光点が二つ。速度はそこそこ。砂漠をこのスピードで動き回れるものとなると、種類は限られてくる。
[AC急速接近中。機数2]
 コンピューターが報告する。やはりACか。テロリストがACを使うことは少ない。おそらく、テロリストが用心棒として雇ったレイヴンだろう。
[識別信号確認。AC『スティンク』、及びマスターアリーナ所属AC『サンドストーカー』]
 その声を聞くなり、リンファは青ざめて操縦桿をひねり倒した。ペンユウが近くにあった巨大な岩の影に滑り込む。マスターアリーナ所属。その一言で、相手のレヴェルがはっきりとわかる。間違っても、手加減などできるような相手ではない。
 アリーナと言うのはレイヴン達が賞金をかけて闘う、いわば闘技場のような存在である。その試合は資産家達の賭の対象となるのだ。そしてそのアリーナにもいくつもの種類がある。マスターアリーナもその中の一つである。
 別格。そう表現するのがふさわしい。並のレイヴンでは、まばたき一つする間に葬り去られてしまう。そんなレヴェルの猛者たちが、世界一を巡って争っている。そういう世界である。
 とはいえ、実際に試合が行われることはほとんどない。自分の力に恐れを抱く……冗談でも嘘でもなく、自分に恐怖する人間がほとんどなのだ。それほどまでに大きな力を持つのが、マスターアリーナ所属のレイヴンなのである。
 操縦桿を握る手をぬらすのは、冷や汗か、それとも暑さで吹き出した汗か。いずれにせよ、手が滑ってしまいそうである。リンファはシャツの裾に手のひらをこすりつけた。シャツも汗でびしょぬれになっていることに気付いたのは、その後だった。
「エリィ、サポートお願い!」
『りょ〜か〜い!』
 
 飛び散る砂粒。それを全身で受け止めながら、ひたすら前進する二つの巨体。一つは砂漠用の迷彩色で身を包んだ中量級二足AC、もう一つはかびの生えた青銅のような、一見して気色悪い色合いの重量級二足ACである。
「わかっているね、カンバービッチくん!」
 砂漠迷彩のAC、サンドストーカーのコックピットに、男はいた。会話の相手は隣の重量AC、スティンクに乗っているカンバービッチ君である。通信はさっきから開きっぱなしになっていた。
『いつでもどうぞ!』
 通信機を通して聞こえる、カンバービッチの軽快な声。さっきまでの重苦しい雰囲気はどこへやら。男は満面の笑みを浮かべると、普通の通信とは少し違うスイッチを押した。外部スピーカーの出力ボタンである。
 突然、二機の動きがぴたりと止まった。男は胸一杯に息を吸い込むと、マイクデバイスに向かって声を張り上げた。
『わぁぁたしはぁっ! マスターアリーナ所属レイヴン、ミラージュ!
 そしてこれはわたしの愛機サンドストーカーであるっ!』
 ついさっきまで沈黙が支配していた砂漠に、突如巻き起こる大音声。しかし、地面に受け止められたのか空に飛んでいったのか、岩陰に隠れているリンファにはそれほどの音はとどかなかった。むしろ、普通の通信の方がよく聞こえる。どうやら派手さを狙った演出のようだが、失敗におわったようである。
『そこに隠れているのは、マスターアリーナ所属レイヴン、タオ=リンファだな!?
 かぁくれてないで出てこい! そしてわたしと勝負しろォッ!!』
 
 輝く金髪に、鴉のような漆黒のロング・コート。そして悪魔でも睨み付けているかのような、冷たい光を放つ瞳。どうにも、このスラム街には不釣り合いな風体である。しかし周囲を徘徊する浮浪者達も慣れたものだ。もっとも、彼らのアイドルを奪い取った嫌な奴、という意味でだが。
 ヨシュアという名のレイヴンである。レイヴンとしての腕前は一流。以前に一度リンファと戦い、ほぼ互角の勝負を繰り広げた。今は、と言われると、実際にやってみなければわからない、としか答えようがないだろう。
 彼は今、古臭い倉庫の前にいた。
「邪魔するぜ」
 ヨシュアはそういうと、倉庫のドアを蹴り開けた。あまり行儀が良いとは言えないが、そうしないと開かないのだから仕方がない。そんなノウハウを身につけるほどこの倉庫に通っているのか。彼はふと、そう考えた。
 この倉庫自体、薄汚れたスラムの奥にある。しかし、倉庫の中はさらに輪をかけて汚れていた。どこからか拾ってきたのであろうスクラップの山。インスタント食品の空箱。タチの悪い、一ヶ月前のゴシップ誌。最近はその中に、女性向けファッション雑誌が紛れ込むようになった。昔はそんなもの、全く縁遠い存在だったのに、である。
 そのゴミの山を断ち切って、一本の道が延びている。その姿は大破壊以前の映画にある、聖人が海を割って道を作るシーンによく似ていた。ヨシュアは道の奥に目をやった。いつもは二人の女性がそこにいるのだが、今日は一人だけだ。
 彼女は長い赤毛で大きな三つ編みを一つ作り、濃いピンクのジャケットと薄いピンクのスカートに身を包んでいる。高い鼻にかけた小さな丸眼鏡。顔立ちは北欧系で、見とれるほどに美しい。
 ヨシュアの見知った顔だ。リンファの専属メカニック、エリィである。
「あー、よしゅあくんだぁ」
「……一人か?」
「あのね、りんふぁちゃんはおしごとなの。
 ねね、りんふぁちゃん。よしゅあくんだお〜」
 エリィがパソコンの画面に向かって話しかけた。通信の相手はリンファか。足下のゴミを踏みつけないように気を付けながら歩み寄ると、ヨシュアはひょいと画面を覗き込んだ。
 いくつかのウィンドウが、そこに表示されている。どこかの精密な地形図。現在の時刻。燃料の残量。AC「ペンユウ」の状態。それから、外気温なんてものもある。それらの中心に、もっとも大きく開けたウィンドウがある。汗だくで、お世辞にもきれいな表情とは言い難い。リンファの顔だった。
『何よ。今忙しいの』
「今すぐ帰ってこい。危険だ」
 モニターの向こうにあるリンファの顔がますます歪んだ。眉を寄せ、目を細めてこっちを睨んでいる。
「マスターランカーがお前を狙ってる。命が惜しいならすぐに逃げろ」
 リンファは小さく舌打ちをした。マイクの感度があまりよくないせいか、音は伝わってこなかったが。彼女の右手が動き、モニター全体を覆った。
『手遅れよ……』
 ぶつっ。
 次の瞬間、映像はリンファの側から断ち切られていた。
 
 言うのが遅い。リンファは大きなため息をついた。いちいち家まで来ずに、電話か何かで連絡すればいいものを。そうしたら、こんな面倒なことにならずにすんだのに。
 待てよ。そのとき、彼女はふとあることに思い当たった。そういえば、さっきからずっとエリィと交信していたから……そうか。回線がビジーだったのか。リンファは怒って通信を切ってしまったことを後悔した。
『どうした、怖じ気づいたのか?』
 外部スピーカーではなく、公共周波数で伝わってくる声。あのミラージュとかいう男、どうやら自分の失敗に気付いたらしい。
 仕方なくリンファは通信機の周波数を合わせて、口を開いた。
「2対1は不公平なんじゃないの?」
『安心したまえ。カンバービッチ君はジャッジだ。手は下さない』
 そんなもの、信用できるか。リンファは心の中で呟いた。だいたい、待ち伏せしてたのならこっちが仕事中なことくらい知ってるだろう。全く他人の迷惑を顧みないくせに、他人には自分を信用しろという。リンファの一番嫌いなタイプの男である。
 どうやら戦う以外に道はないようだが、それにしてもはやく依頼をこなさねば……
 ――待てよ。リンファは口の端を吊り上げた。奴を適当にあしらい、なおかつ依頼も完璧にこなす方法が、ある。
 覚悟を決めると、リンファは叫んだ。
「OK。勝負よ、ミラージュ!」
 
 岩陰から躍り出る赤い影。ペンユウは目一杯ブースターを吹かし、一気にサンドストーカーとの間合いを詰める!
「ようやくその気になったか!」
 彫りの深い顔の奥で瞳を爛々と輝かせ、ミラージュは操縦桿を持つ手に力を込めた。快適なレスポンスで横に飛ぶサンドストーカー。その直ぐ横を、ペンユウのレーザーブレードが通り過ぎた。
 勢い余ってたたらを踏むペンユウ。絶好のチャンス。サンドストーカーは右手のプラズマライフルを構え、その背に狙いを定めた。
 キュウンッ!
 小型犬の悲鳴のような、甲高い音が響き渡る。高エネルギーのレーザー光が、空気を灼いてプラズマ化させる。生まれた光の矢、プラズマの矢は、必死に体勢を立て直しているペンユウの背中に、容赦なく襲いかかった!
 ――その時!
 バオウッ!
 ペンユウのブースターが火を噴き、地面の砂を巻き上げた! レーザー光は砂粒に阻まれ、一気に減衰して無害なただの光と化す!
 ――戦い慣れている!
 ミラージュも、こんな方法でレーザーをかわすなど今まで聞いたこともなかった。そもそもが砂のある場所、つまり砂漠でしか通用しない戦法である。今思いついたのか前から考えていたのか、いずれにせよさすがは彼と同じマスターランカー。少なくとも、名前負けだけはしていないようである。
 ペンユウはそのままの勢いで空中に飛び出し、体勢を立て直した。身をひねりながら右手のマシンガンを乱射する。ろくに目視もしていないはずだが、無数の弾丸はサンドストーカーのいる方向に正確に飛来する! あわてて横に飛ぶサンドストーカー。
 なんとか弾は避けきったが、ただの回避で終わらせるわけにはいかない! サンドストーカーの左肩に備え付けられたユニットが動く。いくつか正方形のふたがついた、箱のようなものである。そのふたの内四つが一斉に口を開く。そして、四発のミサイルが天空へ向かって射出された!
 VLS(Vertical Launch System)……つまりは、垂直に打ち上げ、その後降下してくるタイプのミサイルである。動作範囲の問題上、どうしても上方に弱くなってしまうACにとって、非常に脅威的な兵器だ。
 ペンユウは地面に降り立つと、慌ててバックステップした。ミサイルは装甲板をかすめながら地面に命中し、砂塵を巻き上げる。しまった。ミラージュは少し後悔をした。これでは相手の姿が見えないではないか。
 と、その時だった。
『ミラージュさんっ!』
 突然聞こえてきた声は、カンバービッチのものだった。舌打ち一つして、ミラージュも負けじと怒鳴り返す。
「なんだね!? 邪魔をしないでくれ!」
『あいつ、逃げていきますよ!』
 何? ミラージュはレーダーに目を遣った。離れたところで動かない光点。これはカンバービッチの「スティンク」だ。前方に移っているノイズは巻き上げられた砂。そして、その向こう側で、高速で離れていく赤い光の点は……
「くっ、逃げるとは卑怯な!?」
 レイヴン同士の戦いで卑怯も何もあったものではないような気もするが、ともかくミラージュは操縦桿を押し倒した。サンドストーカーのブースターがこれでもかと火を吐きだし、その巨体を前に押し出す。猛スピードで砂煙の中を突っ切ると、背を向けて走り去っていくペンユウのあとを追いかける。
 その後ろに、一歩遅れてスティンクが続く。重量級だけあってスティンクはスピードでは劣る。ついていくどころか、少しずつ距離は開く一方である。
「ええい、逃げるな! 戦え!」
 悔し紛れに通信を送ってみるが、当然ながら答えはない。ペンユウの後ろ姿は少しずつ小さくなっていく……ミラージュは歯軋りをした。不快な音が狭いコックピットに響き渡る。スピードでは、向こうの方が頭一つ上のようである。
 やがて、その姿は完全に地平線の向こうに消えていった。
「くっ……臆病者め!」
 今更何を言おうと、負け惜しみにしかならない。ミラージュの拳がコックピットの壁に叩き付けられる。ともすればAC自身が揺れそうなほど激しく。
『ミラージュさん、まだいけます!』
 カンバービッチの声が電波を介して伝わってきた。なにがいけるというのか。もう相手は完全に逃げ去ってしまったではないか。せっかく何時間も待ち伏せしていたというのに……
『奴のレーダー反応はいきなり消えました。きっと、どこか電波の届かないところに……』
 そうか! ミラージュの瞳が輝きを取り戻した。電波が届かない所……おそらく地下。この辺りで地下にあるものと言えば……
 ――地下都市「サンタニカ」。
 
 地下へのゲートは、すぐ近くにあった。ちょうどペンユウの反応が消えたあたりである。間違いない。あの女は、この都市に隠れているのだ。広い地下都市の中を探すのは少し手間だが、廃都市なら不可能ではないだろう。
「あらかじめいっておくがね、カンバービッチくん」
 ミラージュはもう一度、念を押した。
「どんな状況になろうと、手出しは無用だからね」
『わかってますよ。さあ、はやく行きましょう。また逃げられますよ』
 彼がせかす理由は、ただ早く帰りたいということだけなのだが、ミラージュはそれを激励と受け取った。勢いよく鼻から息を吐き出し、操縦桿に手を当てる。
 二機は並んでゲートに踏み込んだ。中にあるのは地下へと降りるエレベーターと鉄道が敷かれたスロープ。もちろんエレベーターは大型トレーラーでも運べるサイズのものだが、どうやら電源が死んでいるらしい。仕方なく二機はスロープの方へ進んだ。
 時代が進んでも、鉄道の重要性はかわらない。どんなに飛行機械やMT・ACが発達しても、特定区間で大量の物資を運ぶには鉄道が最適なのである。もちろん技術的な進歩もある。今では鉄道列車に人間が乗ることは少ない。独立した発電装置とプログラムによって、自動走行するタイプが主流である。
 長い長いスロープを抜けて、二機は地下都市の跡へとたどり着いた。なるほど、噂に聞いたとおり、あちこちで天井が崩れ落ち、土砂や岩によって無数のビルが押しつぶされている。地震もあったのか、根本でおれているビルもある。確かに人が暮らせる状況ではない。
『でも、なんであいつ地下都市の正確な位置を知ってたんでしょうねぇ』
「ふむ。おそらく、以前に任務で来たことがあるのだろう」
 今がその任務最中だ、などとは露とも知らず、ミラージュは無責任に言い放った。そう。この二人は、リンファが任務でやってくると知って待ち伏せていたわけではないのだ。ネットワーク上で流れていた噂……「新しくマスターランカーになった女がメキシコ砂漠に現れるらしい」というただの噂を頼りに、何時間も待っていたのである。
 ぴぴっ。
 その時、レーダーが小さく音を立てた。表示される赤い点。位置は、前方百メートルほどの所にあるビルの影。レーダーから判断すると、ビルの影から出るコースで移動している!
「そこだっ!」
 ちょうど敵が現れる瞬間を狙って、サンドストーカーのレーザーライフルが火を噴いた。地下の暗闇を切り裂いて、突き進む光の矢。ライフルの弾丸は、狙い違わず敵を打ち抜いた! 飛び散る青い破片。勝利を確信し、ミラージュはほくそ笑んだ。
 ……青い破片?
『な……何やってんですか! あれは……』
 カンバービッチの悲鳴にも近い声は、そこでとぎれた。彼が説明をするまえに、AC備え付けのコンピューターが警告音を発したのである。
[敵機確認。アスガルド社製、MT『ミッドガルズオルム』。機数……]
 コンピューターの声は、そこで一瞬途切れた。まさか、コンピューターが報告するのをためらったとでもいうのか? それとも、その声を聞いている二人の錯覚だろうか? どちらも違う。声が途切れた理由は簡単だ。
 数えるのに時間がかかったのである。
[48]
「なにぃぃぃぃぃぃぃいいっっ!?」
 ミラージュ達の悲痛な叫びを聞く者は、誰一人としていなかった。
 
 
「あー、つうしんかいふく〜」
 脳天気なエリィの声が倉庫の中に響き渡る。ヨシュアは平静を装ってパソコンの画面に目を遣る。表示されたリンファの顔に、さっきまでの汗はなかった。表情もいつもの意地悪い笑みに戻っている。
 どうやら無事だったようだ。ヨシュアはほっと胸をなで下ろした。もちろん、表にはださないが、内心では結構心配していたのである。
『やっほー……あ、ヨシュア。まだいたの?』
 ――前言撤回。心配して損した。
「だいじょぶですかぁ〜?」
『完璧よ。いまごろあの馬鹿、テロリストとドンパチやってんじゃないの?』
 二人は言葉を失った。このリンファは、よりにもよってマスターランカーを、自分が戦うはずだったテロリストにぶつけたのである。まあ確かに自分を狙うレイヴンも追い払えるし、テログループも壊滅できるわけだが……無茶苦茶なことは言うまでもない。
『んじゃ、あたしはもう少し隠れて、もしあいつがテロリストに負けるようだったら残りを片づけるわ』
「あ〜い。はやくかえってきてぇ〜。
 ばんごはんはねぇ、えりぃとくせいえびふらいだから〜」
 エリィの言葉を聞いた途端にリンファの顔が青ざめる。
『え、エリィ! まさか料理する……』
 ブチッ。つー、つー、つー。
 無理矢理通信を切ったのは、今度はエリィの方だった。へらへらとした笑顔を決して崩すことなく、残ったデータを処理していく。
「なんだか……慌てていたみたいだが……」
「きにしな〜い、きにしな〜い」
 エリィは突然立ち上がり、大きくのびをした。柔らかい吐息がその唇から漏れる。そよ風のような小さな音がヨシュアの耳にも届く。やがてエリィは腕をおろすと、あくびのせいでこぼれた涙を指でぬぐい去った。
 その姿は、無邪気な少女のようにも、艶めかしい女性のようにも見える。だが違う。彼女はそんなものではなく、性別を越えた、いわば一つの芸術作品のような魅力を周りの者に感じさせた。
「えりぃはおかいものにいってきま〜す。
 おるすばんよろしくね〜」
 自分に言っているのだろうか。ヨシュアは一瞬考えたが、他に人がいるはずもない。彼は苦笑すると、ただ一言、ああ、とだけ答えを返した。
 
 爆発音が、途絶えた。
 ペンユウが身を潜めていたのは、サンタニカ跡のはずれの方にある、崩れたビルの影である。テロリスト達が使っているあたりからはかなり離れているので、戦闘に巻き込まれる心配はない。おまけに地下だけあって、あのうだるような暑さもない。まさに絶好の隠れ場所である。
 しかし爆発音が途切れたとあっては、出ていかないわけにはいかないだろう。とりあえずテロリストが壊滅したかどうかだけでも確認しておかないと、胸を張って報酬を受け取れない。
 リンファは、座席の後ろにある荷物用のポケットに、さっきまで着ていたシャツと使い終わったタオル、そして飲み干したスポーツドリンクの缶を投げ入れた。今着ているのは、どうせ汗をかくだろうとふんで用意しておいた着替えである。洒落っけもなにもないただの白いシャツだが、汗がしたたり落ちるようなものよりは遙かにましだ。
 操縦桿に手をかけると、リンファはペンユウを動かした。と、その時。
 ピピッ。
[AC確認。機数2]
 ――あいつらか!
 リンファの瞳に真剣な光がともる。レーダーをみやると、そこには右手の方から近づいてくる二つの光点が記されていた。まっすぐこちらに向かっているところを見ると、見つかった可能性が高い。
『お前か!? そこにいるのはお前だな!?』
 お前お前と、気安い奴だ。リンファは憮然としながらも通信を返した。その間にも、マシンガンを構えることは忘れない。
「やるじゃない。あの数を蹴散らすなんて。
 さすがはマスターランカーってとこ?」
 さすがは、にアクセントをおいて、嫌みったらしくリンファは吐き捨てた。もちろんこれも計画のうちである。相手は相当腹が立っているに違いない。そこを煽っているのである。
『おのれぇぇぇっ、卑怯なまねをっ!
 勝負だ! 今度は絶対に逃がすものか! カンバービッチ君、ジャッジだ!』
 ペンユウは右に向きを変えた。真っ正面から近づいてくるサンドストーカーと、脇から回り込んで両者の中間あたりに陣取るスティンク。
 どうやら連中は、リンファの行動がただテロリストと戦わせるためだけのものだったと思っているらしい。だが、甘い。リンファは相手の武装を考慮に入れた上で、地下都市の中を戦場に選んだのだ。
 サンドストーカーのメイン火器は、右腕に構えたレーザーライフル。威力は高いが、代わりに装弾数が少ない兵器だ。砂漠ではかわしにくかったレーザーも、遮蔽が数多く存在するここなら、回避は難しくない。回避できるということは、無駄弾が生まれやすい。根本的に装弾数が少ないのだから、相手は慎重に行動せざるを得まい。
 本来の自分を抑制しながら戦っている人間に勝つのは、それほど大変なことではない。
 これがレイヴンの戦い方。周囲の状況、持っている兵器、そして相手の感情すらも利用する。これこそが、レイヴンの真の戦い方なのだ。少なくともリンファはそう理解していた。
「今度は逃げも隠れもしない。
 このあたしに喧嘩売ったらどうなるか、教えてあげるわ」
『いい心がけだな。
 ……行くぞっ!』
 サンドストーカーがライフルを構える! リンファは操縦桿をひねった。ペンユウがすぐさま横に飛び、迫り来る光線を……
 迫り来る光線……
 迫り来る……
 ……来ない。
 カチッ。カチッ。
 サンドストーカーの指は、さっきから何度も引き金を引いている。しかし、出てくるのは空しい金属音ばかり。これはもしかすると……
『しまったぁぁぁぁっ!? 弾が切れたぁぁぁぁっ!!』
 やっぱり……
 リンファは肺の中にため込んでいた息を吐き出した。気を張りつめた分だけ損したような気分である。確かに、テロリストたちと戦わせたのには相手を消耗させる目的もあったのだが、まさかここまで見事にはまってくれるとは……
『仕方がない、こうなったらミサイルで……』
 ガパンッ。
 音を立てて肩のミサイルポッドが口を開く。しかし、そこからは何も出てこようとはしない。静寂だけが、空しく過ぎ去っていった。
『……か、カンバービッチ君! 追加弾倉はないのかね!?』
『無茶言わないで下さい! そんなの持ってきてませんよ!』
『じゃあ君の武器を貸してくれ! 後で返すから!』
『僕の武器もとっくに弾切れです!』
『そんな……では一体……』
 リンファは、二人のやりとりをにやにやしながらただ聞いていた。別に今の内に攻撃してもいいのだが……見ていた方がおもしろそうである。
 やがて、通信機が黙りこくった。しばしの間、流れる沈黙。無言で向かい合うペンユウとサンドストーカー。そして、その時はついにやってきた。
『カンバービッチ君、戦略的後退だっ!』
『もう止めましょうよ……そういう風に見栄張るの……』
 言い放って方向転換し、全速力で遠ざかっていく二機。もはや追う気力もリンファには残っていなかった。あとに取り残されたペンユウは、いつまでも、ただ呆然とそこに立ちつくしていた。
 
 
 がらがらがらがらっ。
 けたたましい音を立てて、薄暗い倉庫のシャッターが開いていく。寝転がっていたヨシュアは目を開けると、上半身を起こした。開いたシャッターの向こうから、台車に乗った赤いACが入ってくる。その横には、台車のスイッチを操作しながら歩いて入ってくる女性の姿がある。
 リンファの帰還である。リンファとエリィが住処にしているこの倉庫、そこそこ広いが、もちろんACが立って入ってこれるほどではない。したがって、ペンユウをしまうときには、このようにリモコン式の台車を使って寝かせた状態で入れるのである。
 作業をしているリンファの目が、一瞬ヨシュアの方を向いた。しかし視線はすぐに、台車の方に戻る。ヨシュアはゆっくりと立ち上がった。
 ペンユウを完全に奥にしまい込んで、リンファはシャッターを閉めた。
「どうしたの? エリィは?」
「買い物、だとさ」
 あえて冷静を装って言うリンファも、これにはさすがに顔をしかめた。どうしてエリィが料理をするのがいけないのか、ヨシュアははっきりとは知らなかったが、だいたい想像はつく。
「災難だったな」
「間抜けなレイヴンで助かったけどね……」
 言いながら、リンファは倉庫の奥へと進んだ。できるだけヨシュアと目を合わさないように、うつむきながら。やがてヨシュアの1メートル前まで来たとき、リンファは不意に足を止めた。
「どうした?」
 それは、何気ない一言だったのだろう。彼にとっては。しかしリンファにとっては、その言葉は――
 次の瞬間、リンファはヨシュアの胸に自分の顔を埋めていた。不思議な暖かさが伝わってくる。リンファの両腕が彼の背中の方に回った。暖かさをもっと感じようと、リンファは両腕にぐっと力を込めた。
「ごめん。ちょっとだけ――」
 何も、ヨシュアは答えなかった。ただ右腕を持ち上げ、リンファの髪を撫でただけだった。ゆったりと、時間がたゆたった。過ぎるでもなく、戻るでもなく、刻という概念自体が、存在していないかのようだった。そう感じさせるのに十分なほど、暖かかった。
 リンファは鼻をひくつかせた。何かの臭いが鼻腔をくすぐる……
 ……この臭い!
 リンファはまるでヨシュアを突き飛ばすかのように、彼の胸から飛び退いた。顔を真っ赤にして、人差し指で耳の後ろを掻く。
「あ、あの……あたし……」
 最初面食らったような表情をしていたヨシュアだったが、やがて口元を緩めた。珍しい、本当に珍しい微笑みを見せて、ヨシュアは歩き出した。リンファの横を通り過ぎて、倉庫の出口へと向かう。
「俺は用事を済ませてくる」
 リンファは背中を向けたまま語るヨシュアの方に目をやった。
「その間に、自分の用事を済ませるんだな」
 
「えびえびたくさんごまあぶらぁ〜☆
 たまごとぱんこと、しろいこな〜」
 買い集めてきたエビフライの材料で即席の歌を作り、エリィは口ずさんだ。軽快な足取りで住処の倉庫へ向かう。たしかに右手には、歌の通りの品々がつまった袋を持っているのだが……白い粉とは、本当に小麦粉だろうか……
 ともかく、倉庫はもう目と鼻の先である。そろそろリンファも帰ってきていておかしくない。買い物ついでに遊び回っていたせいで、ゆうに数時間は経っているのである。
 倉庫の周りは、相変わらずスクラップの山に囲まれていた。その中から立ち上る一筋の煙。火事……にしては様子がおかしい。エリィはとてとてと走り寄ると、煙のたなびいているあたりを覗き込んだ。
「よしゅあくんだぁ。どしたの?」
 寝転がって煙草を吸っていたヨシュアは、それをつまみ取ると、横のスクラップに火を擦りつけた。
「世も末だ」
 ヨシュアの声にはため息が混じっていた。
「シャワー浴びてないのを気にするんだぜ。あのリンファが」
 その一言を聞くと、エリィはけたけたと笑い出した。荷物も地面に置いて、腹を抱える。たまらずこぼれた涙を、あわててエリィは拭った。
「昔のリンファちゃんの方が好きだった?」
 一瞬、ヨシュアの動きが止まった。返答に困ったから……ではない。エリィの口調が、いつもと変わっていたからである。エリィがごくまれに見せる、真面目な表情。今までのことを総合すると、この真面目な科学者としての顔が、真の姿のようなのだが……どうしていつもはへらへらしているのか、ヨシュアには伺い知れない所だった。
「……いや。ただ……」
 ヨシュアは立ち上がった。
「俺が変えたのか、と思うとな」
 今度はエリィは笑わなかった。いたわるような眼差しで、ヨシュアの目を見つめるだけだった。
「案外、細かいこと気にするのね」
 ヨシュアは目を見開いた。
「でも、大丈夫。好きな男のせいで変わるんだったら、きっと大歓迎よ。女ってやつは」
「……そういうものか」
「少なくとも、わたしはね」
 言うと、エリィは買い物袋を拾い上げて歩き出した。もちろん、向かう先は住処である倉庫の入り口である。
 ドアノブに手をかけると、エリィは気が付いたように振り返った。
「食べていく? エリィ特製エビフライ」
 
 
 右腕がない。
 彼が、最初に感じたのはそれだった。
 残った左腕で、顔にかかる金髪を掻き上げる。額に浮かんだ汗が手のひらにこびりついて、ぬるぬると気色悪かった。次に彼は目を開いた。ぼんやりとその瞳に映ったのは、鉄骨がむき出しになった天井だった。見覚えがない。自分の家の天井ではない。
 天井? 彼は気付いた。自分は寝転がっているのだ。自分はちょうど今、目覚めたところなのだ。彼の脳はようやく右腕の居場所を理解した。右腕はなくなってなどいない。体の下に敷いていたせいで、しびれてしまっているのだ。
 彼は左腕を床につき、渾身の力を込めた。彼の上体がゆっくりと持ち上がっていく。左腕の支えがいらなくなるのに、たいして時間はかからなかった。
 がつん。
 その直後に、鈍い音が耳に届いた。彼は音のした方に、何気なく目を遣った。床にぶつけた側頭部をかかえ、顔をしかめている一人の女が床に転がっている。
「リンファ……何やってんだ」
 ヨシュアはわけがわからず、寝ぼけた口調で問いかけた。そもそも、どうしてリンファが隣にいたんだ? それにここはどこだ? ふと自分の体を見ると、彼はいつもの服装からコートを脱いだだけの姿だった。どうしてこんな格好で眠っていたんだ?
「いきなり……おきないでよ……」
 リンファも、舌が上手く回っていない。寝ぼけているのはお互い様のようである。
 しかし、リンファが起きあがる頃にはヨシュアの意識もはっきりとしてきていた。彼女が頭を打った理由もだいたい想像がつく。リンファは、自分の右肩を枕代わりにして眠っていたのだ。
「おい……どこだよ、ここは」
「あたしの家よ。そういや、二階に来たことなかったんだっけ?」
 そうか。リンファの倉庫が二階建てになっていて、上を生活スペースとして使っているのは知っていたが、実際に上がり込むのはこれがはじめてである。
 ……待てよ。冷静に考えている場合ではない。なんでこんなところで寝ていたんだ?
 まだ納得がいかない表情のヨシュアに、リンファは大きなあくびをしてから説明した。
「覚えてないの? 気絶しちゃったのよ。エリィの料理食べて」
「……なんだって?」
 思わずヨシュアは聞き返した。たしか、気絶、といったように聞こえたのだが。
「だから止めた方がいいって言ったのに。あたしの言うこと聞かないから」
 ようやく、状況が理解できてきた。しかし全く記憶がない。一体、エリィが作ったのはどんな料理だったというのか――脳が記憶を拒否するような味? まさかな。彼は自分のばかげた空想に苦笑しながら、膝立ちになり、そのまま立ち上がった。
「感謝してよね。看病してあげたんだから」
「そいつはどうも」
 ヨシュアは肩をすくめた。お前はただ、横で寝ていただけじゃないか。心の中で悪態をつきながら、彼は辺りを見回した。視界に映るのは、部屋の隅にたたみもせずに放ってある黒いコート。まあ、リンファ相手に贅沢を言ってもしかたがない。
 階下から、脳天気な声が聞こえてきたのはちょうどヨシュアが自分のコートを拾い上げた時だった。
「りんふぁちゃ〜ん、あさごはんはぱんにする〜? ごはんにする〜?」
 瞬間、二人の顔は釣り針が引っかかった魚のように引きつったのだった。
 
「ミラージュさん……ほんとにやるんですか?」
 珍しく不服の声をあげたのは、他でもないカンバービッチだった。答えるのはもちろん、物陰に隠れ、周囲の様子をうかがっているアラブ系の男……ミラージュである。
「当然だ。このまま諦めるわけにはいかんよ、カンバービッチ君」
 カンバービッチはため息をついた。これでも、ミラージュ本人は隠れているつもりなのだ。周囲の建物の窓から、浮浪者達がこっちを見つめ続けていることに、気付いていないのは彼だけだろう。
 そう。ここはアイザックシティのはずれ。K−3居住区、通称「スクラップ地区」である。そして彼らがさっきからちらちら覗いているのは、紛れもなくリンファとエリィが住処にしている倉庫だった。
「よし……行くぞ、カンバービッチくん!」
「……ガキじゃないんだから……普通に言えばいいのに……」
「何か言ったかね?」
「いーえ、なんにも」
 カンバービッチは肩をすくめた。もはや忠告する気も起きなかった。
 ともかく、ミラージュは倉庫に向かって走り出した。その後を嫌々ながら追いかけるカンバービッチ。倉庫のドアの目の前までたどり着くと、ミラージュは一瞬ためらってから、ドアノブに手をかけ、回した。
 そしてそのままゆっくりとドアを押す………
 ……………
 ……開かない。
 
「やだやだやだあぁぁぁああ! えりぃもごはんつくるぅぅうぅぅ!」
 エリィは腕を振り回し、泣き叫び、近くのものを蹴り飛ばしながら暴れ回った。しかし、ヨシュアに首根っこを引っ掴まれているせいで、少しも前に出ることができない。
「ああ! もういいから大人しくしてろ!」
 ヨシュアは腕に力を込めると、エリィを椅子に押しつけた。さすがに腕力では彼には勝てず、仕方なく椅子に付くエリィ。しかし、河豚のように頬を膨らませているところを見ると、まだ不満なようである。
「ところで……」
 エリィが暴れ出さないように見張りながら、ヨシュアも椅子についた。頬杖をつき、奥でなにやら忙しそうに動き回っているリンファを見やる。実際に使っているところを見るのはこれが初めてだが、そこにあるのは簡単なシンクと、調理台、そしてバーナーである。
「お前は、大丈夫なんだろうな?」
「しっつれいね……こう見えても、昔は厨人志望だったんだから」
 耳慣れない言葉がヨシュアの耳をついた。リンファが身につけたエプロンは、あまり似合っていなかった。
「チューレン?」
「コックのことよ」
 リンファが料理人志望だったなんて、今まで聞いたこともない。どうせ口からでまかせか――良くても「子供の時の、将来の夢」程度のものだろう。ただ、別にリンファの料理を食べたいとは思わないが、ここまで自信ありげなら、多少の興味も湧いてくる。
「あ、塩ふるのわすれてた」
 ……本当に大丈夫なんだろうか。
 もしかしたら、この中でまともに料理ができるのはヨシュアただ一人なのかもしれない。もっとも、だからといって自分の手料理をわざわざつくってやるような気は、さらさらなかったが。
 ――と、そのときだった。
 ガンッ!
 音はいきなり、入り口の方から響いてきた。全員の目がそっちへ向く。どうやら、外からドアを押しているらしい。しかし、何度押しても開く気配はない。当然である。最近蝶番が痛んできたのか、蹴り飛ばさなければ開かないのだから。
 音が止んだ。諦めたのか? いや、違う。一瞬の後に、大きな音とともにドアが開いた。同時につんのめって飛び込んでくる男。アジア系の顔つきである。ヨシュアやエリィには全く見分けがつかないが、リンファにはわかる。アレは日系アジア人の顔だ。
 どうやらドアに体当たりを仕掛けたらしい日系人を押しのけて、もう一人の男が倉庫に足を踏み入れた。アジアと、ヨーロッパと、アフリカに住む人間の特徴を全て併せ持った風貌。彫りの深い、典型的なアラブ顔である。
「見事な体当たりだったよ、カンバービッチ君」
「はあ……そりゃどうも」
 日系人の男はあからさまに不快な表情を見せながら答えた。しかし、当然そいつが他人の顔色などに気を配るはずもない。
「ちょっと、あんたたち誰!?」
 いきなりな侵入者に、リンファは精一杯乱暴に声をかけた。ただ、エプロン姿で手には御玉杓子を持っているので、あまり凄味はなかったが。
 黙って様子をうかがってはいるものの、ヨシュアの右手も既にコートの中に差し入れられていた。指先に触れる固い感触は、もちろん拳銃である。
「顔を合わせるのは初めてだな。ならば改めて名乗ろう!
 わぁたしは、マスターランカー、ミラージュだっ!
 そして彼は助手のカンバービッチ君!」
「…………!」
 エリィ以外の二人はまともに浮き足だった。ヨシュアなど、既に銃を取り出してミラージュに突きつけている。しかしミラージュは、こちらを馬鹿にしたような笑みを浮かべると、銃を無視してすたすたと歩み寄った。
「止まれ」
 ヨシュアの低い声が響き渡る。まるでその声は、闇夜で蠢く凶獣の唸りのように、殺意と敵意に満ちていた。今にも噛み付かんとせんばかりに。
「まあ、そうかりかりするのは止めたまえ。今日は宣戦布告をしにきただけだ。危害を加える気はない」
 銃を降ろす気は、ヨシュアには全くなかった。敵の主張を鵜呑みにするほど甘くはない。それはリンファも同じことだ。彼女の手には、いつのまにか愛用している銃が握られていた。
「懲りない奴ね。まだ戦る気なの?」
「その通りだ。正式なアリーナ戦で決着を付ける」
 アリーナ戦。ヨシュアの眉がぴくりと動いた。どこかで聞いたような状況である。しかし以前と違うのは、対戦を申し込んでいるのがミラージュであるということ、そして挑戦されているのがリンファだということである。つまり、二人の勝負は滅多に行われないマスターアリーナでの勝負になるということだ。
 ただ、ミラージュにとって問題なのは、リンファがアリーナ嫌いだということである。
「悪いけど、あたしはアリーナなんて興味ないの」
「知っているとも。だから、タダとは言わない。君が勝利したら、わたしとカンバービッチ君の全財産を持っていくといい」
「なっ……なんで僕まで!?」
「たぁだぁしっ!」
 不満の声を上げたカンバービッチを完全に無視して、ミラージュは声を張り上げた。そんなに大声を出さなくても聞こえるのに。こういう意味のない自己主張をする男は、リンファは大ッ嫌いだった。
「わたしが勝ったら……勝ったら、わた……わた、わたしの……」
 なぜかいきなり言葉につまるミラージュ。リンファとヨシュアが訝しげな顔をする。そしてカンバービッチは頭を掻いて、重い重いため息を吐き出した。ふうっという音が、離れたリンファの耳にまで届く。
「わたしの、嫁になれッ!!」
 ……………
 ……………
 …………は?
 冷た〜い空気が辺りをまんべんなく満たしていった。リンファもヨシュアもカンバービッチも、そして言った本人のミラージュまでもが、一瞬にしてその場に凍り付く。
 だから言ったのに。カンバービッチは硬直したままであれこれと考えを巡らせた。冷静に考えてみれば、ミラージュがしているのは「好きな娘に意地悪をしてしまう」という、少年期特有の不可解な行動そのままなのである。……いや、少年ですらない。最近のガキは、もっとませている。
 全員の硬直を最初に破ったのは、不意に響いた笑い声だった。低くどっしりとした笑い。ヨシュアである。リンファは自分の目と耳を疑った。ヨシュアが声を上げて笑うところなど、今まで見たことがない。
 顔を手で覆い、ひとしきり笑ってから、ヨシュアは徐に口を開いた。
「……面白い」
 そのままヨシュアは足を踏み出した。ミラージュの目の前まで進み、睨み合う。ミラージュもかなり身長があるが、ヨシュアはそれよりもさらに飛び出している。
「その勝負、俺が受けて立つ」
「なんだと?」
 ヨシュアの瞳が冷たい光を放つ。リンファは知っている。この輝き。それは、彼が人を殺すときの輝きと、全く同じものであると。
「見せてやるよ。格の違いってやつをな」
 
 
『じゅ〜んびかんりょ〜!』
 脳天気なエリィの声がコックピットに響き渡る。ペンユウの、ではない。コックピットに座っているのは金髪の、鋭い目つきの男……ヨシュア。そしてこの機体は、彼の愛機「ワームウッド」である。
 ワームウッドの輝くボディは、まるで四本足の青い蜘蛛のようである。武装は、武器と腕部パーツが一体化したタイプのガトリングガン。肩にレーダーとレーザーキャノンを背負っている。最高レベルの機動力と、強大な火力を兼ね備えた機体である。しかし扱いが難しく、誰にでも乗りこなせるというものではない。
「了解。起動する」
 ヨシュアはいくつかスイッチを操作した。ジェネレーターが低いうなりをあげる。正面モニター、レーダー、各種データ表示。駆動系も火器管制も問題ない。あとは戦闘用の操作形態に切り替えれば、いつでも出撃可能である。
 モニターに外の様子が映った。どこか、倉庫のような場所。ただし、リンファの住処などとは較べ物にならないほど整っている。弾薬や整備にしようする機材、燃料といったものもある。そして端の方には、上へと通じるリフト。
 アリーナ会場の、参加者控え室である。ただ、名前と違って控えるのは参加者だけではない。その愛機のガレージも兼ねているのである。参加者達は、ここで直前まで機体の整備点検に心血を注ぐのだ。
 ヨシュアは、リンファとエリィが離れたところにいるのを確認してから、少しだけ機体を動かした。いつもよりレスポンスがいい。あまりにも反応が良すぎて、慣れるまで扱いが難しそうである。一度慣れてしまえば、素早い対応が可能になるだろうが。
 ヨシュアは通信をもう一度開いた。
「おい、エリィ」
『あいあ〜い』
 エリィが手に持った通信機を、口元に当てる。
「何か細工したな?」
『ばれた〜! あのね、れすぽんすがおそかったから4ばいそくにしたよ〜』
 四倍だと? ヨシュアは自分の耳を疑わざるを得なかった。ワームウッドは、もともと最高レベルのレスポンスに設定してある。初心者なら、それでもとても乗りこなせないほどのものだ。確かに多少の不満を感じていたことは確かだが、まさか現行の最高性能の四倍などというレスポンスが可能だとは。
『でもね〜、それりんふぁちゃんとおなじくらいだよ〜』
『なんだ、それなら別に大したことないじゃない』
「……常識外れな奴らだ」
 ヨシュアはそのまま、ワームウッドをリフトまで動かした。多少不慣れな面もあるが、まあ戦っている内になんとかなるだろう。
 その時だった。外部からの通信が、いきなり割り込んできた。モニター一杯に表示される顔。ミラージュである。
『ふふふ、怖じ気づいて』
 ぶちっ。
 やかましい。ヨシュアは無理矢理通信を絶ちきった。いちいち敵の月並みな台詞を聞いてやるほど、彼はヒマではない。試合開始まで、あと5分。そろそろリフトが動き始めるころだった。
 ヨシュアはふと、横に目をやった。ガレージの端の方で、ぶんぶんと手を振るエリィ。そしてその横で、不機嫌そうに佇むリンファ。しかし、彼は知っている。不機嫌なわけではない。リンファはきっと、彼が自分のために戦っていると思っているのだろう。それが、照れくさくてしかたがないのだ。
 少しだけ、ヨシュアは笑みを浮かべた。まだまだ子供だ。こんな下らないところで、自分が命をはるとでも思っているのか。そう。彼は別に、リンファの身代わりに戦うわけではない。
 ただ、あの連中の全財産が欲しいだけなのだ。
 リフトが動き始めた。向かう先は、旧アメリカ大陸F地区。すなわち、メキシコ砂漠である。
 
 ドシュッ!
 リフトが地上に到達した瞬間、ヨシュアはレーダーも見ずにレーザーキャノンを放った。光の砲弾が、近くにあった岩山を切り崩す。深い意味はない。ただののろしである。
 巻き起こる砂埃を突っ切って、飛び出してくる砂漠迷彩の二足AC、サンドストーカー。地面の砂礫を撒き散らしながら、右腕のライフルを乱射する。しかしワームウッドのスピードをもってすれば、適当に放たれたライフルをかわすことなど造作もない。光線は空気を灼いて過ぎ去った。
 ワームウッドがサンドストーカーの右手に回り込む。それを追って回転するサンドストーカー。さらに放たれる三発の弾丸も、ワームウッドのスピードに惑わされてあらぬ方向へ飛び去っていく。
『どうした!? 逃げるだけか!?』
 ミラージュの濁声がいくつかの光線とともに飛来する。まったく、やかましい奴だ。ヨシュアは心の中で悪態をつきながら、操縦桿を軽くひねった。ワームウッドが大きく地を滑り、全てのレーザーをかわしきる。
 やはりか。ヨシュアは一人で納得した。
 レーザーの攻撃が止んだ。かわりに、サンドストーカーがミサイルを放つ。天空へと上っていく四発のミサイル。高みまで上り詰めてから、四つのミサイルはワームウッドめがけて降り注いだ。さらにそこへ迫る二つのレーザーライフルの光!
 ……丁度いい。ヨシュアは口の端に笑みを浮かべた。こっちも、ようやく慣れてきたところだ。
 彼の手の動きが変わった。まるで複雑な幾何学模様を描くかのように、ヨシュアの右腕が激しく波打った! 彼の相棒が、その動きに反応して大地を奔る。空中からの四発のミサイルと前から来る二本のレーザーのわずかな隙間を、ワームウッドは縫うようにして駆け抜けた!
 その姿は、まさに舞を舞う青い蜘蛛!
『ば……馬鹿な!?』
 ミラージュが声を上げる。無理もない。あれだけの攻撃を、一撃も食らわずに切り抜けるなど、常識では考えられるはずがないのだ。
 そのままワームウッドが加速する。呆然と佇むサンドストーカーに、猛スピードで走り寄る。慌ててサンドストーカーはライフルを放った。しかしそれもあっさりとかわされ、仕方なくブースターを吹かせて後退する。岩陰に潜り込み、即席の盾を作り出す。
 ――甘いんだよッ!
 ワームウッドが地を蹴った。大きく空中へ飛び上がり、ブースターの力で岩を飛び越える。そこは丁度、サンドストーカーの真上! ガトリングガンが無数の弾丸をばらまく!とてもかわせる状況ではない!
 しかし次の瞬間、サンドストーカーは空中へ飛び上がった! 弾丸の何発かは命中するが、ひるむことなく左腕に光をともす。これは……レーザーブレード!
 ヨシュアは慌てて操縦桿から手を放した。途端に機体が自由落下を始める。光の刃をすんでのところでくぐり抜け、ワームウッドはサンドストーカーとすれ違った。
 ――勝った! ミラージュは確信した。これでワームウッドの上をとったのだ。あとは、落下の勢いを利用して斬りつければ、全てが終わる。そのはずだ。
 ミラージュが操縦桿をひねると、サンドストーカーの巨体が空中で反転した。地面へ向かって落ちていくワームウッド……
『なっ!?』
 ミラージュは思わず叫んでいた。いない。今自分とすれちがって、下に落ちていったはずのワームウッドがいない!
「何をそんなに驚いている?」
 ががっ!
 衝撃は、いきなり背後からサンドストーカーを襲った! 連続して装甲板に食い込んでいく弾丸……ガトリングガンである。そう。いつのまにか、ワームウッドはサンドストーカーのさらに上へと飛び上がっていた!
 ヨシュアは笑っていた。奴にはわからなかっただろう。ワームウッドは、近くの岩山へと着地し、再度飛び上がったのだ。空中で反転して下を向こうとするサンドストーカーの、背中側をくぐり抜けて。
 無数の弾丸がサンドストーカーを地面に叩き付けた。それを踏みつけるように、ワームウッドが大地に降り立つ。丁度、獲物をとらえた毒蜘蛛のように。
「降伏するか?」
 レーザーキャノンの砲身をサンドストーカーの方に向けながら、ヨシュアは呟いた。声は聞こえているはずである。
『……断る』
 いい度胸だ。最後の最後でヨシュアは敵を誉める気になった。そして、指を引き金にかけると、ミラージュに最後の言葉を投げかけた。
「じゃあな」
 
「おめでと。これで臨時収入ね」
 ワームウッドから降りたヨシュアに、最初に声をかけたのはリンファだった。
 エリィは、用事があるとかでどこかへ行ってしまった。そんなもの、あるはずもない。全く、彼女の意図は鈍感なリンファにも手に取るようにわかる。いや、むしろわかりやすく振る舞ってくれているのかもしれない。
「飲みにでも行くか?」
 リンファは悪戯っぽく微笑み、しなを作って見せた。それを見ると、ヨシュアの口から自然と笑みが零れた。いい表情だ。いつものリンファ。男を平気で利用する、狡猾な傭兵、リンファ。ようやく戻ってきたのだ。一連のドタバタで、なくしかけていたものが。
「奢ってくれる?」
 さて、どうしようか。ヨシュアは少し迷った。少し考えた後、彼はさも当然のように言い放った。
「馬鹿言え。割り勘だよ」

THE END.