ARMORED CORE EPISODE 5

真紅のジャム・セッション

 暗くて湿った空気に満たされた倉庫。ゴミだか使える部品なんだかわからないような機械が見境なく散乱し、それを無理矢理端に寄せて道が作られている。奥にはさしずめ砂漠の中のオアシスの如く開けたスペースがあり、そこにテーブルと椅子代わりの木箱が並べられている。さらに、テーブルの上には一台のパソコン。
 そこまでなら普通の倉庫かジャンク屋と変わらない風景だろう。しかし、空間の半分ほどを占める小山が、そうではないことを物語っていた。
 青いビニールシートを被せられた巨大な人型ロボット。山の正体はそれである。微動だにせず仰向けに寝転がっている。
 そんな倉庫の中、床に転がって呻いている女が二人。一人は黒髪の、アジア系の女。もう一人は長い赤毛を三つ編みにした北欧美人である。二人とも、顔には生気がなく、やつれ細っている。
 ぐぎゅるるるるぅぅ。
 もう何度目だろうか。腹が鳴った。
「おなかへったよぉ〜……」
 先に泣き言を言ったのは赤毛の女の方だった。一方、アジア系の女は勝ち誇った顔でそれをいさめる……まあ、一体何に勝ったのかはさっぱりわからないが。
「我慢するのよ、エリィ……これは神が与えたもうた試練よ」
「そんなこといってぇ〜! りんふぁちゃんがあんなのかうからぁ〜!」
 そう。某月某日、食費が尽きた。
 リンファといえば、闇の世界に生きる傭兵『レイヴン』達の間では有名な存在である。若く、美女で、この地下都市には珍しいアジア系、そして何より腕が一流となれば、有名になるのも当然である。有名になれば勿論、企業からの依頼も増えるし、その待遇もぐっと良くなる。要するに、食いっぱぐれる心配は少なくなるわけである。
 リンファも例外ではない。つい先日までは20万コーム以上の蓄えがあり、2ヶ月ほどなら十分遊んで暮らせるはずだった。
 しかし。一週間前にリンファがした衝動買いのせいで、それが一気に底をついたのである。
「うっ……で、でも、あのパルス加速装置、20万ポッキリだったのよ!? 普段なら25万は下らないのに!」
「でもぉ、それでおかねがなくなっちゃったらだめじゃないぃ〜」
 まさしく、エリィの言うとおりである。しかもリンファの愛機『ペンユウ』にはもうコアスロットが残っておらず、せっかく買ったパルス加速器を装備することもできないのである。
 つまり……完璧な無駄。
 ごぎゅるぅおおおおううう。
 またしても腹が鳴った。
 二人は顔を見合わせると、盛大に溜息をついた。もう言い争いをする元気もない。何せ、食料が尽きてもう二日である。
「あたし、ピンカロアップ食べたい……」
「えりぃはえびふらい〜」
「チャオアムチョンソン……」
「ろぶすたー……」
「ロンハーパッチャンピンプン……」
「ファースト・フードでいいならここにあるんだがな」
 突然かかった声に、二人は顔を上げて入口の方に目を遣った。そこでは黒いコートを着た長身の男が、ハンバーガー・チェーンの紙袋を手にぶら下げて立っていた。見下したような笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。
 リンファの知り合いのレイヴン、ヨシュアである。
 
「お、おい……もう少し落ち着いて食べろよ……」
 ヨシュアが圧倒されるほどの食欲。リンファとエリィは、わき目もふらずにひたすらハンバーガーにかぶりつき、ポテトフライを口に放り込み、コーラでそれを胃に流し込む。
 空きっ腹でこういう食べ方をすると腹を壊しそうなものだが、どうやらそんなことは気にしていられないらしい。
 呆れて溜息をつきながら、ヨシュアは自分のハンバーガーを口許に持っていった。
 ――冷たい視線。
 気が付くと、リンファとエリィが物欲しそうな瞳でヨシュアの一挙一動を見つめていた。
「……わかったって……そんな目で見るな」
 ヨシュアがテーブルに置いたハンバーガーは、数秒後にはリンファの胃袋の中へ消えていた。それと同時にポテトフライもエリィが頬張った。
 なんという早業……よっぽど腹が減っていたのだろう。
「全く、もう少し可愛らしく強請れないもんかね」
「よしゅあく〜ん、えりぃもっとたべたぁ〜いc」
「あたしも〜c」
 もう一度、ヨシュアは溜息をついた。もう余計な話をするのに疲れたのか、コートの内ポケットから光磁気ディスクを取りだし、テーブルの上のパソコンに接続する。すぐさま、画面に何かのデータが表示された。
「働かざるもの食うべからず、だ」
「ってことは、仕事?」
 リンファはきらきらと目を輝かせた。最近大きな抗争もなく平和だったおかげで、リンファの所にはさっぱり依頼が入って来なかったのである。これで、どうやら食いつなぐアテはできたようだ。
「なになにのおしごとですかぁ〜?」
「え〜と……依頼主はカトー・ラテックス。依頼内容は要人護衛か」
 カトー・ラテックス……その名の通り、有機高分子化学の分野ではそれなりに名の通った企業である。企業としての規模は中の上といった程度。それでも、絶縁装甲や軽量パーツには欠かせない高分子を得意としているだけに、社会への影響力は大きい。
 確か、大破壊以前から続く息の長い企業だったはずだ。今時珍しく社長も世襲で、現在は五代目のテルミチ=カトーがその位に付いている。
「ネストで公式募集されてた依頼だ。もう契約はしてあるんだが、依頼主がまだ腕の立つレイヴンを探してる。金に糸目は付けないんだとさ」
「ふーん。で、いつなの? その仕事」
 ヨシュアは無言で画面を指さした。そのためのデータディスク、というわけである。
 画面には実行日時と作戦内容、そして周辺のマップデータが表示されていた。
 明日20時丁度より、テルミチ=カトー専用車両を地上幹線道路8号線地下都市『ヴォルカニクス』〜地下都市『アイザック・シティ』区間で護衛せよ。尚、報酬は7万コーム、前金として半額を支払うものとする。
 格別の条件だ。リンファは口の端を吊り上げ、満面の笑みを浮かべた。
「OK。受けるわ、この仕事。
 エリィ、ペンユウの準備は?」
「さんじかんでできるよ〜」
「決まったな。それじゃあ、行くか」
 ヨシュアは一人で立ち上がった。リンファ達は呆然と彼の顔を見上げている。まだ出撃するには早すぎるし、特に他の用事もないのだが。
「どこ行くの?」
「それだけじゃ足りないだろ? 奢るよ」
 
 ピッ。
 暗く狭い部屋の中、電子音が小さく鳴った。部屋で一人だけコンピューターに向かっていた男は、横にあるディスプレイに目を遣った。パソコンの画面には、とある企業の内部情報が事細かに記されている。その一つに、この企業と契約したレイヴンの情報があった。
 四人ほど名前が挙がっている。彼に対抗するために雇ったに違いない。浅はかで愚かなことだ。
 しかし、その中に二つの名を認めたとき、彼は目を見開いた。
 ――そうか。やはり、邪魔をするか。
 もしかしたら偶然かもしれない。相手もレイヴン。たまたま、この企業の依頼を受けただけかもしれない。もしそうだとすれば幸運だ。恰好のデモンストレーションの機会である。
 彼は通信を開いた。
『ご用ですか』
 相手の男は表情一つ揺るがさず、事務的な口調で応えた。黒いスーツが硬く冷たい雰囲気を醸し出している。
「明日の作戦部隊を変更する。『カットラス』を倍に増やせ。それと……『ドレッドノート』を投入する」
 通信相手の男の眉がぴくりと動いた。
『……カットラス12機とドレッドノート……少々大がかりすぎると存じますが』
「構わん。言ったとおり準備しろ」
『了解しました』
 通信はそれで終わった。相手の男の心配ももっともである。たかだかAC四機相手に、この戦力は異常とも言える。
 しかし、彼は確信していた。これでも足りないくらいだ、と。
 そう。あくまでこれはデモンストレーション。派手に本番を盛り上げなければならないのだ。
 ――始めようじゃないか。狂気と殺戮の宴を――
 
 地下都市にも夜は訪れる。淡く煌めく街灯、建物の中から零れてくる灯り、通り過ぎていく車のヘッドライト。いくつもの光が交錯し、夜を彩っていく。
 リンファ達は、レストランから夜の地下都市へと出た。さっきの料理の後味と、美しい夜景、そして忍び寄る冷気。リンファは遠くを見つめた。いい気分だった。
 ヨシュアに連れられて来たこのレストラン……最高級というわけではないが、それなりに評判が良く、同時に値段も張る店である。確かに、味は大したものだった。
 大通りへ通じる小道を歩く。エリィが小さく身震いをした。ジャケットの裏側に手を入れ、ごそごそと探る。
「あ〜、わすれものしちゃった〜。ちょっとまってて〜」
 エリィは慌ててきびすを返すと、またレストランに入っていった。ヨシュアの前だからって別に隠すことはないだろうに……リンファはエリィの後ろ姿を見て、微笑みを浮かべた。
 しばらくじっと地下都市の天井を眺めていたが、やがてリンファは口を開いた。
「何たくらんでんの」
 ヨシュアはコートの内ポケットから煙草を取り出すと、それに火を付けた。口から吐き出された紫煙が、街灯の光を受けて輝く。
「何のことかな」
 リンファはヨシュアの目の前まで近付いた。しばらく見つめ合ったあと、彼の口から煙草をつまみ取る。
「何も企んでなくて、あんたが奢ったりするわけないでしょ」
 投げ捨てられた煙草が無為に煙をたなびかせた。ヨシュアの表情は動かなかった。
「僕をどんな目で見てたんだよ」
 肩をすくめると、リンファは後ろに振り返った。小さな背中がヨシュアの目の前で小さくゆれる。
「さては、あたしに惚れたか?」
「ああ」
 ……………
 思わずリンファは沈黙した。冗談……のはずだ。自分の言葉も、ヨシュアの言葉も。
「嘘……」
「さぁな」
 頭が真っ白になった。
 何? これは何? 何を言ってるの? わからない? いや、わかる。わかるけど……じゃあ、だとしたら、これは何? わからない……
 無意味な言葉が次々と浮かんでは消え、頭の中を埋め尽くしていく。こんな変な気分は初めてだった。熱い。体が熱い。どうしよう、きっと自分の顔は耳まで真っ赤になっているに違いない。
 そのとき、ヨシュアの顔があることに気付いた。そう、今まではそこにヨシュアがいることすら忘れてしまっていたのだ。何も見えなかった目が、何も聞こえなかった耳が、少しずつ感覚を取り戻していく。
 ヨシュアの顔が妙に大きく見えた。しかし次の瞬間には塵のように小さくなった。ようやく取り戻した感覚は、激しく歪んでいた。一体どうしろというのだ。どう答えろというのだ。この言葉に。
 呆然としているのか、或いは恍惚としているのか、自分自身でも分からなかったが、その硬直をうち破ったのは、用を済まして戻ってきたエリィだった。
「えへへ〜、おまたせぇ〜。
 はれ? どしたのりんふぁちゃん」
 その時リンファのできたのは、適当に笑いを返してごまかすことだけだった。
 
『話が違うんじゃないのか』
 電波に乗って聞こえてきたのは、ヨシュアの声だった。
 ここは地上幹線道路8号線の、地下都市『ヴォルカニクス』ゲート。ここから、道路はしばらく川沿いを走り、六時間ほどで地下都市アイザック・シティに到着する。途中では森のど真ん中を通っている部分もあり、襲撃には非常に適した道路である。しかも、時間は夜。輸送車に乗っているのは社長だそうだが、どうにも杜撰な移動計画である。
 しかしまあ、レイヴンは与えられた仕事をこなすだけだ。難しい任務だが、その分報酬も破格。その点には、ヨシュアもリンファも異存はなかった。
 それより気になるのは、ここにリンファ達以外のACが二体、護衛に参加しているということである。
 ペンユウのコックピットに座って、リンファは外を見遣った。隣にはヨシュアのAC『ワームウッド』が、青いボディを輝かせて立っている。前には護衛する輸送車、及び通信を補助するためのアンテナ車が並ぶ。
 問題はさらにその前方である。見知らぬACが二体、一行を先導している。一体は逆間接タイプ、もう一体は標準的な二足タイプである。
 コンピューターの情報に照合したところ、水色で塗装された逆間接ACは『ティー・ブレイク』、どす黒い二足ACは『プロペラント』という名前らしい。聞いたことのない名だ。
『別に、護衛が君たち二人だけだと言った覚えはない。いいじゃないか、味方は多い方が』
「どうだかね……」
 アンテナ車に乗っている、カトー・ラテックスの男の言葉に、リンファはひとりごちた。もちろん、通信機はオフにしてある。無用ないざこざは御免である。
『ふん、こんな連中、役に立つかどうか分かったもんじゃありませんぜ。オレ達に任せてくれりゃいいのに、ヤマザキさんも人が悪い』
 むっかあああああっ!
 プロペラントのパイロットの言葉に、リンファは髪を逆立てた。よくいるのだ、自分の実力も省みずに大口を叩く奴が。
 何も言わないところを見ると、ヨシュアも相当とさかに来ているようである。あいつは腹が立つと無口になる習性がある。
『安心してください、ヤマザキさん。後ろの二人が足を引っ張っても、私たちがちゃんと護ってみせますよ』
 またまたむかぁああああっ!
 今度はティー・ブレイクのパイロットである。二人揃って似たタイプらしい。しかも、さっきからヤマザキヤマザキとやけに馴れ馴れしい所を見ると、知り合いのツテで雇われたようだ。全く、コネに頼る奴の科白でもない。
 しかし、こんな所で仲間割れ(仲間だとはこれっぽっちも思っていないが)していても仕方ない。とにかく依頼をこなすことが先決である。
 ……ガ……ザァッ……
 その時、通信にノイズが混ざった。電波障害だろうか。訝しがりながら通信機を調整する。
『も〜しも〜し、きっこえますかぁ〜』
「エリィ?」
 聞こえてきたのは意外にもエリィの声だった。アイザック・シティの住処で留守番しているはずなのだが。
「どうしたの、エリィ。今どこ?」
『おうちだよぉ。あのね、そのちかくにアンテナしゃがあったから、はっきんぐしてわりこんだのぉ』
 げ。
 全く、一体何をしているのやら。依頼主の通信系統にハッキングするとは、下手をすると契約抹消どころかその場で撃ち殺されかねない。
『丁度いい。今回はエリィにナビを頼むか』
 どうやら、ヨシュアの方にも通信は回っていたようである。まあ、バレさえしなければ問題はないわけだが。
「そうね。じゃあ、お願い」
『あいあ〜い、りょ〜か〜い』
 声が途切れるのと同時に大量のデータがペンユウのコンピューターになだれ込む。付近の詳細な地形図が表示され、さらに襲撃に適したポイントとそこへ到着する時刻がラインアップされる。その数たるや、軽く三十を越える。
 さすがはエリィ……僅かな時間だというのに、驚くべき情報量である。
 これなら今回は楽な仕事になりそうだ。丁度、おあつらえ向きにアンテナ車から声がかかった。
『よし、こちらの準備は完了した。出発するぞ』
「了解」
 ヤマザキとかいう男の号令の元、一行は前進を始めた。ゲートをくぐり、夜空の見える地上へと進み出る。広々とした幹線道路。それと並行に河が走り、闇の向こうへ消えている。上を見上げれば、スモッグでくすんで星一つ見えない夜空。
 地下都市で暮らす人間はあまり見る機会のない風景である。とはいえ、レイヴンとして仕事をしているリンファ達は、外に出る機会も多いのだが。
 ゲートをでて、ほんの十メートルほど進んだその時!
「う……うわぁぁ!?」
 ゴガァアアアッ!!
 派手な音と閃光をばらまき、逆間接タイプのAC……ティー・ブレイクが爆発を起こした。水色の機体がバラバラに弾け飛ぶ。
 その直後、隣で浮き足立っていたプロペラントも爆発した。その一瞬前に見えた光の筋……おそらく、レーザーライフルの一撃を食らったのだろう。
 ――全く、口ほどにもない。
『なんだっ!? 何が起こったんだ!?』
「敵よ!」
 分かり切ったことを聞くな。内心毒づきながらリンファはレーダーを確認した。しかし……そこには何の反応もない。しかし、ちらちらと闇の中に見え隠れするブースターの炎。これはもしかすると……
「ステルス機能!?」
『てっきかくに〜ん!』
 エリィの脳天気な声が届く。おそらく、モニターで確認したのだろう。
『……!? これは!』
 リンファは弾かれたように顔を上げた。エリィの声が変わっている。科学者としてのエリィの声である。
『MT「カットラス」!
 気を付けて! 隠密行動用のステルス機能搭載二足歩行MTよ! 機数12!』
 随分とたいそうな襲撃部隊である。並のACならさっきのように一撃で破壊できるほどのMTが12機。どう考えても多すぎる。しかし――やるしかない!
『一人、ノルマ6機か』
 伝わってきたヨシュアの声は、妙に楽しそうだった。おそらく、後で報酬を上乗せさせることでも考えているのだろう。丁度リンファも考えていたことである。
『賭けるか? 一機三千だ』
「五千で受けて立つ!」
 そして、リンファは操縦桿を握った。
 
 口火を切ったのはペンユウのマシンガンだった。レーダーにも映らない、ロックオンもできない敵を、目視だけで正確に撃ち抜く。
 一撃でカットラスは爆発、炎上した。隠密機だけあって装甲は薄いらしい。しかし、その分手に持っているレーザーライフルは強力。他に武装はないものの、非常に厄介なステルス機能まで持っている。おまけに数が多いときた。これは、輸送車を気にして戦う余裕はないようである。
「ゲートの中に隠れて!」
『了解』
 すぐさま輸送機は後退する。そこを狙っていたカットラス一機を、ワームウッドのガトリングガンが撃ち抜く。
 これで、残りはあと10機。
 背後に迫る殺気! リンファは有無を言わせず操縦桿を捻り倒した。横に飛びすさるペンユウ。そのすぐ横を光の矢が突き抜けていった。
 方向転換しつつマシンガンを乱射。弾丸はカットラスの足を捕らえた。膝立ちになったカットラスに、止めの一撃が食い込んだ。
 その時、敵の動きが変わった。散発的な攻撃は無駄と悟ったか、あるいはこちらの実力に気付いたのか。ともかく、残るカットラスのうち五機がワームウッドに、四機がペンユウに一斉に飛びかかる!
 ――甘いッ!
 ワームウッドが地を蹴り、空中に飛び上がる。そして、真下でうろうろしているカットラスたちに向かって、ガトリングガンを乱射する! なまじまとまっているせいで、カットラス達は回避ができない!
 弾丸は二機のカットラスを貫いた。これで残りはあと八機!
 そのままの勢いで、ワームウッドは河の中に着地した。そう深い河ではない。十分活動はできる。
 一方、ペンユウは……回避すらしない。その場に留まり、飛びかかってくる四体のカットラスをにらみ付ける。
「鈍い鈍い」
 ヴンッ!
 虫の羽音のような音を立て、左手の甲からレーザーブレードが飛び出す。それを掲げると、目の高さで振るった。
 ギャウッ!
 四筋の光条が、ブレードにはじき散らされた! レーザーの束は散乱し、無害なただの光になってペンユウを照らし出した。確かに、ブレードのレーザーによって発生する電界を利用すれば、ライフルのレーザーを弾くことは可能なのだが……あくまで理論上の話であり、実際にそんなことをする奴はいない――リンファを除いて。
 そのまま、驚きで動きを止めたカットラスに斬りかかる。これであと七機。
 さらに百八十度向きを変え、ペンユウはレーザーキャノンを構えた。まとまっている三機を正面に捕らえ、トリガーを引く。
 ギュゴアアァアアアアアッ!
 着弾点で巨大な爆発が起こった。カットラス達を紅蓮の炎が包み込む。これでノルマは達成、である。あとはワームウッドの方に向かった連中を片付けて、小遣い稼ぎといこう。
 ……と、その時。
 ヴァシュッ!
 光の矢が、ペンユウの右腕を貫いた。撃ったのは、爆炎の中で蠢くカットラスの一機だった。どうやら、他の二機が盾となって被害を免れたらしい。
「くたばれ、死に損ないッ!」
 キャノンの第二射が、かろうじて生き残ったカットラスに止めをさした。
 その頃、ワームウッドは河の中を水しぶきを上げながら走っていた。時々飛んでくる光の矢は、ことごとく水によって散乱され、空中に散り飛んでいく。
 そして、ついに待っていた時がやってきた。残りの四機のカットラスが、ワームウッドを追って水に飛び込んでくる。
 遠くで巻き起こる水しぶき。これなら、たとえレーダーに映らなかろうと位置が手に取るようにわかる!
 ヨシュアはトリガーの横のスイッチを押した。ガトリングガンにありったけの弾丸が込められる。本来、無駄撃ちを避けるために付いている機能である。、必要な分ずつ弾を込めることができるのだ。
 FCSが全力稼働する。画面の微かな水しぶきを頼りに、相手の位置を割り出し、ロックした。
 ガガガガガッ!
 カットラス一機が爆発を起こした。残りが怯んでいる内に、次々と弾丸を撃ち込んでいく。しかも、相手の反撃は全て水に弾かれ、消えていく。
 敵が全滅するのにさしたる時間はかからなかった。
「引き分け、か。賭は無効だな」
 
 敵部隊を全滅させたリンファに、エリィの脳天気な声がかけられた。
『おつかれさまですぅ』
「右手を撃ち抜かれたわ。使えないことはないけど、反応速度が落ちてる。あとで修理お願い」
『す……素晴らしい……』
 乱入してきた通信は、アンテナ車からのものだった。あの、ヤマザキとかいう男である。
『あの戦力をたったの二人で跳ね返すとは。予想外の働きだった。このことは後々、社長にも伝えておこう』
 ヤマザキの言葉に、ヨシュアは眉をひそめた。少し気になる言い回しがあったのである。
『伝えておく? どういうことだ、お宅の社長はその輸送車に乗ってるんじゃないのか?』
『そ、それは……』
 ヤマザキが口を濁らせた、その瞬間!
 ガシュッ。
 奇妙な音。
[所属不明機接近中。未登録MT。機数一]
 リンファは再び操縦桿を握った。凄まじい圧力。額から冷や汗が噴き出してくる。彼女は、自分の脇の下がじっとりと濡れているのを感じた。自分が畏怖にも近い感情に支配されていることが手に取るようにわかった。
 ガシュッ。
 ヨシュアもまた奇妙な緊張感に包まれていた。自分の周りだけ重力が大きくなったかのように、体が何者かによって押さえつけられている。彼は知っていた。これが、圧倒的な何かに対するとき人が抱く感情なのだと。
 ガシュッ。
 近い。今度の音はすぐ近くで起こっている。
 その時、不意に視界が暗くなった。一瞬、モニターの故障かとも思ったが、これは違う。何かによって遮られているのだ。月明かりやゲートから漏れる光が。
 ――ヨシュアの脳裏をかすめる悪寒。
『避けろッ!』
 ヴァンッ!
 もはや音とも呼べない。たとえようのない空気の震えが、ついさっきまでペンユウとワームウッドのいた空間を突き抜ける。同時に闇を切り裂く、巨大な光の束。
 まさか、レーザーブレード!? しかし、それにしては巨大すぎる。まるで樹齢が何百年にもなる大木のような大きさである。
 ペンユウは光の束が飛来した方向を見上げた。月明かりを背景にして、そのシルエットが浮かび上がる。
『これは……!』
 エリィの悲痛な呻きが聞こえてきた。
『オムニシャンス・インダストリー製、強襲用超大型八足MT「ドレッドノート」!』
『MTだと!? 冗談はよせ、あんな馬鹿でかいMTがいてたまるか!』
 外見から判断すると、ドレッドノートの身長は軽くACの三倍。さらに全長も40メートル近くある。見た目には四足タイプのACを巨大にしたような感じだが、その足は八本。そして、メインユニットには機銃やら大砲やらミサイルポッドやらがこれ見よがしにつきまくっている。
 まさに、巨大な蜘蛛。
「来るっ!」
 ゴバァウッ!
 ドレッドノートの大砲が火を噴き、グレネード弾を発射する。地面に着弾し、巻き起こる大爆発。間一髪ペンユウ達は難を逃れたが、その時ドレッドノートが一本の足を高らかに掲げた!
 ギュゴウッ!
 またしても響き渡る轟音! 振り上げられた足の先から、巨木のような光の束が生まれ出る!
 超大出力レーザーブレード! おそらく全ての足にあれが備え付けられているに違いない。こういう巨大兵器にとって、一番おそろしいのはACやMTにへばり付かれることだ。それを防ぐために全方位攻撃できるレーザーブレードを装備しているのだ。そして、機体の移動は残りの足にまかせればいい。
 ともかく、あんなものを食らったら一撃で蒸発してしまう!
 ペンユウのブースターが全力で炎を噴き出す。その足下をレーザーブレードがかすめ、通り過ぎていった。そのまま上空へ飛び上がり、真下に向かってマシンガンを乱射する。
 キキュインッ!
「効かない!?」
 弾丸は確かに命中した。しかし、ドレッドノートの装甲に弾かれ、あらぬ方向へと撒き散らされる。
 なんという装甲……あれでは、グレネードをぶち込んでもほとんど平気なのではないだろうか。
 呆然とするリンファの目に、発射されるミサイルの姿が映った。地面に対して垂直に打ち出され、真っ直ぐペンユウの方に向かってくる!
 ガガガガガッ!
 横手から飛来した弾丸が、ミサイルを全て撃ち落とした。絶妙なタイミングでのヨシュアのサポートである。
『足の付け根を狙え! この手の兵器の弱点だ!』
「了解っ!」
 さすがに、四足ACを極めたヨシュアである。いくらドレッドノートが巨大と言っても、基本的な構造自体は四足ACや四足MTと変わらないはず。自分の弱点は、自分が一番よく知っている、ということである。
 言葉通り、ワームウッドのレーザーキャノンが一本の足の付け根を貫く。関節部分は装甲が薄くて当然。あっけなく、足は本体から千切れて地面に転がった。
 それだけでも振動と砂煙が巻き起こる。さすがの巨大さである。
 この調子なら、勝てる。リンファがそう思った次の瞬間!
 ドレッドノートが、残り七本の足のうち三本を一斉に振り上げた!
 ヴァヂュオオッ!
 振動が耳ではなく直接脳にまで響き渡る! ドレッドノートの三本の足から、同時にレーザーブレードが発生した!
「うっそおおおおおおっ!」
『化け物めッ!』
 おそらく、機体を支えるには八本の足のうち四本を地に付けていれば十分なのだろう。そして残りの四本は攻撃に使えるというわけである。
 ……などと、冷静に分析している場合ではない。四方八方から迫り来るブレードをかろうじてかわすペンユウとワームウッド。しかも、その隙間からは機銃やミサイルも飛んでくる。これではいつか当たってしまう!
 ペンユウは頭上から振り下ろされたブレードを、横に飛んでかわした。しかし足は途中で向きを変え、ペンユウの逃げた軌跡を追ってくる!
 ――これは!?
 マシンガンを足に向けて撃つ。ダメージはないだろうが、衝撃で足の動きが一瞬止まる。その間に、ペンユウはその場を離れて難を逃れた。
 これは、もしかしたらいけるかもしれない!
 思い立ったが吉日、リンファは通信を開いて叫んだ。
「ヨシュア! 合図したら死ぬ気で攻撃して!」
『……了解』
 この作戦には危険が伴う。しかし、決まればカタがつく!
 ……と。その時、ペンユウがバランスを崩した。倒れはしないものの、一瞬動きが鈍る。
 そこを見逃すはずもない。すかさずドレッドノートのブレードが横手からペンユウを襲った。慌ててブースターをふかし、逃げまどうペンユウ。しかし足はその後を執拗に追い続ける。
 ――今だ!
 ペンユウが地を蹴って飛び上がった。しかし、レーザーブレードもその後を追う!
「必殺! リンファキィィィィィィィック!」
 グァシュッ!
 なんとペンユウは、下から追ってきたドレッドノートの足を蹴り飛ばした! 足は軌道をずらされ、あらぬ方向に曲がっていく。
 その方向にあるのは……ドレッドノートの足、二本!
 ギュゴウアアアアッ!
 もうもうと立ちこめる金属の焼ける臭い。ドレッドノートは、自分の足を自分のレーザーブレードで灼き斬っていた。それも二本。
 当然バランスを崩し、巨体が地に崩れ落ちる。リンファが叫んだのはその後だった。
「今よ、ヨシュア!」
 叫びに応えるようにワームウッドはありったけのキャノンの弾丸を発射した。爆発に継ぐ爆発。紅蓮の炎が、巨大なドレッドノートのボディを灼き尽くしていく!
 そして……煙が収まったあとの残っていたのは、完全に動かなくなったドレッドノートの残骸だけだった。
 
『ひ、非常事態です!』
 通信相手の男は慌てた様子でまくしたてた。
『立った今入った連絡で……陽動部隊のカットラス及びドレッドノート……ぜ、全滅です』
 なんだ、そんなことか。彼は全く落ち着き払ったものだった。そんなこと、部隊編成をしたときからわかりきっていたことだ。しかしまあ、常識の世界で生きている人間には驚くべきことなのだろう。
「問題はない。メインはこちらだ。
 ……予定通り行う」
『は……了解……しまし』
 相手の男が全て言い終える前に彼は通信を閉じた。うるさいのだ、いちいち。これから素晴らしいショーが始まるというのに。騒ぎ立てるのはマナー違反、である。
 これはいくつかスイッチを操作した。起動する。彼の乗る、このACが。
 そう、彼が座っているのはコックピットのシートだった。周りにはレバーやらスイッチやらモニターやらが所狭しと並んでいる。
 この機体の名称は、彼が付けた。素晴らしい名前だと自負している。聖書にもある。ヨハネによる福音書、第一章、1―3節。
《初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
 この言は初めに神と共にあった。
 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった》
 別に神や聖書を信じているわけではない。しかし、この言葉には奇妙な説得力があった。万物の本質は言葉である……それは言葉を持つ唯一の生物である人間を、優位に立たせようとする考えでもある。しかしある意味ではこれは真実だ。付けられた以上、名前はすでに記号の域を脱してしまうのだ。名前が、それ自体になってしまうのである。
 だから彼もこの機体に名前をつけた。頭を捻って、普段あまり使わない言葉を吟味した。そして付けた名前がこれだ。
 五十年間、人類が地下で暮らすはめになった元凶。人が背負う、史上最悪の重荷。彼の理想を実現する機体としては、もっとも適した名前。
 即ち、
 H―P『大破壊――ホロコースト』。
 
『やれやれ……とんでもない化け物だ』
『なんか、よくぞ生き残ったって感じ』
 リンファ達は口々に愚痴をこぼした。エリィもほっと胸をなで下ろした。一時はどうなることかと思ったが、さすがはあの二人である。
 自宅のコンピューターに向かってエリィは話しかけた。
「おつかれさまでしたぁ〜」
『急にいつものエリィに戻んないでよ……なんか疲れる』
 しかし、エリィは一抹の不安を感じていた。今回襲ってきた二種類のMTは、どちらもオムニシャンス・インダストリーのもの。ならば奴がでてきてもおかしくないのだが……
 ……と、その時。
『デコイ部隊、聞こえるか!?』
 これは、アンテナ車に入った通信である。エリィがハッキングしているせいで、ヨシュアやリンファにも声が伝わっていく。
 それにしても、デコイ部隊とは……まさか?
 そんなリンファ達の心中など知る由もなく、あのヤマザキとかいう男が応える。
『聞こえている。どうした?』
『こちら本社! 大変だ、敵がこちらを襲撃している!』
『何!? 囮作戦がばれたのか?
 はやく、社長を避難させるんだ!』
 なるほど。ということは、この輸送車自体がダミーだったということである。
 おそらく、本社の社長宛に襲撃の予告状でも届いたのだろう。襲撃者から逃れるために社長が移動する、という情報をわざと相手に流す。そしてレイヴンをやとって囮に襲いかかった敵を撃破する、という算段である。もちろん本物の社長は本社で隠れている、というわけだ。
 これならたとえ迎撃に失敗してもレイヴンが死ぬだけで済む。
 しかし、それがばれていたということは……敵は、こちらの計画を知っていながらわざわざ引っかかった、ということになる。何故そんなことをしたのか、誰にも見当も付かなかった。
『それが、社長がおかしいんだ。さっきから、奴が来た、とか言って頭をかかえてるだけで動こうともしない……』
 ――奴!?
 エリィの脳裏を嫌な予感がかすめた。
『ともかく、敵の映像を送れ! いますぐこっちのレイヴンを連れて救援に向かう!』
『了解!』
 そして送られてきた映像に、三人は言葉を失った。
 
「社長、ここは危険です! 社長!」
 カトー・ラテックス社長、テルミチ=カトーは、椅子に埋まったまま頭を抱えていた。部下達の声など全く聞こえては来ない。ただ、三年前のことが頭をよぎっていくだけだった。
「わたしは……わたしは悪くない……
 違う……違うんだぁ……」
 部下は訝しげに眉をひそめた。一体どうしたというのだ。普段は聡明で落ち着いたこの社長が、まるで怯えた羊のような目をしている。
「敵襲だ! ビル正面に赤いACが一機!」
 別の男が社長室に駆け込んできた。その報告を聞いて、社長が弾かれたように顔をあげる。後ろを振り返り、窓にへばり付いた。
 窓からは表の通りの様子がよく見える。街の中心部、大通りに面した一角。文句なしの一等地に、この本社ビルは建っている。
 道の向こう側に、赤いわだかまりが見えた。明らかに周囲の闇とは異質な空間。わだかまりはやがてはっきりとした形を得て、人の形をとった。
 AC。それも、普通のACとは違う。見たこともないタイプのAC。
 その肩には、見覚えのあるエンブレムが張り付いていた。
「ひっ……ひあぁぁぁああぁぁあぁあっ!!」
 
「あのAC!」
『似てる……あの工場にいたACに』
 リンファとヨシュアはそれぞれ叫び声を上げた。
 そう。送られてきた映像に映っている赤いACは、かつて工場で遭遇した謎のACとうり二つだった。赤黒く塗装された、重量感のあるボディ。現行のどの規格にも当てはまらない特異な構造。
 しかし、違う点が一つある。肩に、大きな筒を一本背負っていることだ。ただの筒ではない。付け根の部分には円形のユニットが付属している。おそらく、円形加速器で加速した砲弾を高速射出する、レールガンと呼ばれる兵器だろう。
『見ているな、エリィ。
 ……そしてその相棒、道嶺華とヨシュア=オースティン』
 聞いたことのない声が聞こえてくる。通信機を通じて、おそらくは、あのACから送られてきた声が。男の声である。
『やっぱり……やっぱりあなたなのね』
 エリィは半分呆然としながら呟いた。リンファの眉が歪む。この男と知り合いなのだろうか。
『止めて……今なら戻れる。
 戻ろう、あの頃に。二人で……二人で一緒に暮らそう』
 しばし、相手の男は沈黙した。しかし雰囲気は、考え込んでいるという風ではない。エリィの言葉に苦悩しているのではないのだ。
『ショーの始まりだ』
『止めて……お願いだから……』
『よく見ておくがいい。タオ=リンファ、そしてヨシュア=オースティン。
 私が今、人の力というものを示してやろう!』
『テスラ!!』
 通信は一方的に閉じられた。男の声はもう聞こえてこない。沈黙が、辺りを支配した。
 それをうち破ったのはヨシュアの声だった。
『あのAC……動いている!』
 送られてくる映像の中のACが、地面に片膝を付いた。肩のレールガンを左手で支えて……発射の準備をしている!
 その時、エリィの脳裏をどす黒い予感が駆け抜けた。
『リンファちゃん、逃げて! はやく!!』
 そして次の瞬間――
 ギュゴグガアアッ!
 閃光と爆音が、全てを飲み込んだ――
 
 
 倉庫の中には、ただただ沈黙だけが満ち溢れていた。普段からこの、リンファの住処はうるさい場所ではない。しかし、今日の静寂はいつもとはわけが違った。
 何処までも深く。何処までも暗く。耳に入ってくるのなら、地獄の呪詛でもまだましだ。普通ならそう思う。
 だが、ここにいる誰も、そんなことは考えなかった。静寂が破られる時。それは、おそらく最悪の事態を耳にする時なのだ。
 それでもヨシュアは、勇気を振り絞って言葉を捻りだした。
「説明してくれ」
 それだけで、彼の意志を伝えるには十分だった。エリィはじっとうなだれていたが、やがて重たそうに頭を持ち上げた。そしてへらへらとした笑いを浮かべる。
「エリィ、わかんな〜い……なんてわけには、いかないか」
 エリィは自嘲気味に目を細めた。
「何から――説明すればいいかな」
「あの爆発のことからだ」
 無難なところだ。誰もがそう思った。
「反粒子、って知ってる? 普通の粒子と全く同じ性質をもちながら、逆の電荷を持っている粒子……それを反粒子と呼ぶの。たとえば、電子に対する陽電子、陽子に対する反陽子とかね。
 そして、反粒子によって構築された物質は、反物質と呼ばれる」
 学のないヨシュアには、彼女の言っていることがよくわからなかった。しかし、とりあえずそういうものなんだと納得するふりをした。
「反物質は、物質と出会うと互いに消滅する。その瞬間、γ線とともに、莫大なエネルギーを放出するの。そのエネルギー量たるや、1sの反物質が消滅しただけで、周囲30qを焼き尽くし、その中心部の温度が10の39乗度を超えるほどのものよ」
 弾かれたようにヨシュアの顔が上がった。原理はよくわからなかったが、エリィの言いたいことはなんとなくわかる。
「まさか、それが……」
「そう。あの爆発は、反物質が物質と出会うことによって生じたものよ。つまり、反物質爆弾とでも呼ぶべき兵器ね。
 おそらく、この間の工場施設もこれで破壊されたに違いないわ」
 ヨシュアは言葉を失った。しかし、ここで呆然とするわけにはいかない。まだまだ、聞きたいことは山ほどある。
「それじゃあ、あのAC……いや、あれに乗っていた男は?」
「……テスラ=ダッドリー。
 わたしの、昔の彼」
 エリィは懐かしそうな瞳で遠くを見つめた。
「初めて会ったのは、大学に入ってすぐのころだった。
 わたしと同じ、機械工学を専攻してて……いわゆるライバルってやつね。でもそれだけじゃ終わらなかった。そのうち、お互いが気になるようになって……つきあい始めたのは三年目。
 楽しかった。彼、ロマンチストでね。いつも言ってた。今は世界中で争いばかりが起こっている闇の時代だ。でも、いつか人々がみんな笑って暮らせる時がやってくる。その時人がより幸せになるために、自分は研究をしてるんだ、って」
 今まで誰にも語ったことのない過去を話すとき、エリィはまるで小さな少女のようだった。草原の真ん中で、そよ風に吹かれて揺れる一輪の花。周りの人間にそんなイメージを抱かせた。
「大学を卒業して、博士号とって……わたしたちは二人とも、ムラクモ・ミレニアム社に入社した。大学自体がムラクモ資本だったから、卒業生はほとんどそっちに流れるのよね。
 そして、わたしはACやMTの開発研究、テスラは反物質の研究に携わるようになった。
 でも、それから一ヶ月もしないある日……ムラクモ・ミレニアムは、敵対するクローム社の猛攻を受けて滅亡した」
 三年前に起きた有名な事件である。世界を二分する大企業同士の抗争に、決着が付いたのだ。当時世界を震撼させた大ニュースである。
「わたしたちは、そのとき離ればなれになって……そして、二度と会うことはなかった。お互いに居場所がわからなかったの。
 でもこの間の事件で、オムニシャンス・インダストリーの名前が出てきて……まさかと思って調べている内に、彼の名前が出てきたのよ。
 彼は、ムラクモの滅亡後、新興のオムニシャンス社に入社して再び研究を始めたの。でも、ムラクモというバックボーンを失った彼が研究を続けるためには、資金が必要だった。
 ――つまり、兵器の開発を強制されたのよ」
 彼女の言葉に、密かな怒りの色が含まれていることに、ヨシュアは気付いた。
「わかる? 理想家の彼が……誰よりも平和に憧れていた彼が、自分の生み出した技術を兵器に転用しなければならなくなった時の気持ちが……
 彼はそこから狂ってしまった。常識を外れた強力な兵器を造りだし、だんだんと影響力を強めて……彼はとうとう、会社を乗っ取ってしまった。そして、自分の目的を達成するための最終兵器を造り始めたのよ。
 それがあのAC――H―P『ホロコースト』」
 ヨシュアは恐怖に近い感情を抱いていた。あの巨大MTも悪魔のごとき破壊力を持つ反物質爆弾とかいうものも、たった一人の人間が生み出したものだったのだ。
「目的?」
 エリィは目を閉じた。言わねばならない。この二人には、知ってもわわなければならない。
「復讐。
 自分が兵器開発をする羽目に陥った元凶に対する、復讐よ。
 その手始めが、紛争当時にムラクモを裏切ってクロームに与したカトー・ラテックスだった。
 そして今やテスラの矛先は、全ての旧クローム系企業と……そしてレイヴンに向けられている」
 かつてムラクモが滅びた原因になったのは、クロームではなくたった一人のレイヴンだった、という噂がある。そのレイヴンは圧倒的な強さを持ち、ムラクモの事業をことごとく邪魔していったという。
 もっとも、そのレイヴンはクローム社が滅びる因でもあったらしいが。
「全ての旧クローム……おまけにレイヴンだと?
 そんなもの、全員殺そうと思ったら――」
 人類を皆殺しにするしかない。ヨシュアは最後まで言い切ることができなかった。ようやく分かったのだ。エリィがいつになく真剣になっている理由も、テスラがあんな破壊力のある兵器を造った理由も。
 エリィも、もはや説明の必要はないと感じたのだろう。それっきり、口をつぐんだ。
 沈黙がまたしても辺りを満たした。しかし、今度の静寂は長くは続かなかった。
 リンファが口を開いた。今まで、一言も話さずにうずくまっていたリンファが、言葉を紡ぎだした。
「だから……何?」
 彼女の唇は震えていた。エリィは悲しげにうつむかざるを得なかった。
「何なのよ! あたしたちにどうしろっていうの!?
 あのACを倒せって? 冗談じゃないわ! 地下都市ひとつ、一撃で全滅させるような化け物、一体どうやって倒せって言うのよ!?」
 そう、地下都市ヴォルカニクスは、ホロコーストの放った一発の反物質レールガンによって、完全壊滅していた。
 もちろん、自分の機体が巻き込まれても耐えられるように威力は控えてあるのだろうが……それでも、カトー・ラテックス本社ビルは蒸発。そして、地下都市という閉鎖空間内でばらまかれた熱は、ヴォルカニクスに住まう百二十万人を一瞬で灼き殺したのだ。
 その後、ホロコーストは何処かへ姿を消した。しかしそう遠くないうちに再び姿を現すはずである。
 おそらくは、旧クローム企業とレイヴンが世界一多く、ヴォルカニクスから一番近い、このアイザックシティに。
「リンファ、お願い……」
「嫌よ……死にたくない……
 あたしは死にたくないのよ!」
 もう、エリィは何も言えなかった。諦めと困惑の色が同時に彼女の顔に浮かぶ。
 その時、ヨシュアは不意に立ち上がった。エリィの肩に手を置き、その耳元で小さく呟く。
「しばらく、二人だけにしてくれないか――」
 
 ヨシュアはうずくまっているリンファに歩み寄った。そして彼女と背中合わせにして、床に座り込む。
「シェリーって女を憶えてるか?」
 忘れるはずもない。かつてリンファも関わったある事件で、狂った殺人鬼に惨殺されてしまった女性である。ヨシュアの知り合いらしい。
「奇麗な目をしていた。見ていると、何もかも見透かされているような気分になった。そうだな……あれは、畏怖と呼ぶのがふさわしい感情だった」
 リンファは何も応えず、聞いていないふりをした。一体こいつは何を言っているのか。昔の女の自慢をする気なのだろうか。
「三年前のある日、別れ話をもちかけられた。
 いきなりのことだった。俺は驚くあまり、理由を聞くのもわすれてしまった。
 俺は今でも後悔してる。どうしてあの時、本当のことを言わなかったのか……あいつに、自分の気持ちを伝えなかったのか」
「何が言いたいの」
 たまらずにリンファは聞き返してしまった。これ以上、黙ってヨシュアの昔話を聞くことが堪えられなかった。
「メッセージさ。俺からの」
 ヨシュアは徐に立ち上がった。
「お前はここにいろ。なに、心配ない。奴は俺が片付ける」
 事も無げにヨシュアは言い捨てた。その口調には一片の曇りも迷いもなかった。
 そして、次の彼の言葉は何処までも深く、何処までも優しかった。
「愛しているよ、リンファ」
 
 ヨシュアは後ろ手にドアを閉めた。地下都市の中とはいえ、空調設備は行き届いていない。倉庫の外に出ると、夜の冷たい空気が肌を付いた。
 ポリシーである黒いロングコートの内側から、彼は煙草の箱を取りだした。一本取って口にくわえ、もう一度ポケットを探る。
 そのとき、目の前にライターが差し出された。一瞬面食らうが、その火に煙草の先端を近づけ、火を付ける。
 ヨシュアの口から紫煙が漏れた。
「もう、いいの?」
「ああ」
 火を差し出したエリィの顔には、笑顔が浮かんでいた。しかしその頬はひきつり、無理に笑っていることは誰の目にも明らかだった。
「行って……くれるの」
 ヨシュアは上を見上げた。しかし見えるのは、もちろん天井だけである。もしここが地上なら、星は無理でも月の一つも見えただろうが。
「ありがとう――」
「勘違いするな。あんたのために行くわけじゃない」
 そうだ。ヨシュアも理解していた。テスラを倒すということ、それはエリィの愛する男を殺すということなのである。それを理解しているからこそ、彼は行く気になったのだ。
 きっと、頼んでいるエリィの方がやりきれないに違いない。
 エリィは意地悪く言った。
「リンファのためなら死ねるのね」
 ヨシュアはそれを鼻で笑った。
「さぁな。ただ……」
 目が、変わった。
 そこに浮かんでいるのは、決意でも怒りでもない、しかしどんな感情よりも真剣な感情だった。
「飢えてるのさ。俺の中の悪魔がな」
 
 
[所属不明機確認]
 コンピューターがヨシュアに告げた。レーダーでは、赤い光点がゆっくりと移動していた。おそらく、奴に間違いない。
 ヨシュアはワームウッドの操縦桿を握った。真っ直ぐに、奴に向かうコースを取る。奇襲など仕掛ける気は毛頭なかった。どんな奇襲を仕掛けたところで、おそらく無駄だろう。正面から戦って倒すことができなければ、どんな戦法をとっても勝つのは不可能だ。そんな気がした。
 それにしても、奴がこのコースで来てくれてよかった。確かにここはヴォルカニクスからアイザック・シティに向かう最短コースなのだが、別の発見されにくいコースで来る可能性もあったのだ。もしすれ違いにでもなろうものなら、それこそ笑い話にもならない。
 やがて、モニターの端に赤い影が映り始めた。すぐに映像が拡大される。赤黒く、すこし太めのボディライン。肩に背負ったレールガン。間違いない。倒すべき相手、H―P『ホロコースト』である。
『やはり来たか』
 不意に、通信が入った。ホロコーストに乗っている男、テスラの声である。
『君は、ヨシュア=オースティンだな。タオ=リンファはいないのかね?』
「あんな小娘をアテにするほど落ちぶれちゃいねぇよ」
 ヨシュアはいくつかスイッチを操作した。ガトリングガン、レーザーキャノン、各部駆動系……全てが限界近い出力で稼働を始める。
「早速で悪いが……始めようか!」
 
 リンファはうなだれたまま、床の一点を見つめていた。そして、今起こっていることを理解しようとしていた。
 テスラ。反物質。エリィの言葉。そして、ヨシュアの言葉。
 全身が熱くなった。あの時と同じだ。夜の通りで、ヨシュアの言葉を聞いたときと。なんなんだろう、この感覚は。苦しい。でも、なぜか気分が高揚している。舞い上がってしまって、じっとしていられない。気が付くと、リンファの口から溜息が漏れていた。
 瞬間、リンファの心の中に一人の男の顔が浮かんだ。金髪で、冷たい目をしていて、人を見下したような薄笑いを浮かべている。憎たらしいあの男。それは、ヨシュアの顔だった。リンファは頭を振った。一瞬顔の映像がが揺らいだ。しかし次の瞬間には、前よりはっきりとヨシュアの顔が像を結んだ。
 否定したかった。でも、心を満たしているある一つの言葉を、リンファはどうしても忘れ去ることができなかった。
 逢いたい。
 ヨシュアに――逢いたい。
 どうして? どうしてこんなことを考えるの? この熱さも、この高揚感も……みんな、ヨシュアのせいなの? 
 痛い。
 苦しい。
 助けて。
 誰か、助けて!
 ――ヨシュア。
 まただ。またあの顔が浮かぶ。忘れろと、自分自身に言い聞かせる。しかし、彼の顔は決して消えることはなかった。
 ヨシュアは、今何を考えているんだろう。
 ヨシュアは、あの時何を考えていたんだろう。
 その時リンファは気付いた。
 分からないのは、ヨシュアの気持ちではなかった。
 そう。分からないのは自分の気持ちだ。
 あたしは今、何を考えているんだろう。
 そうだ。一体今まで何を考えていたんだ!
 死んでしまう。このままでは、一人で行かせてはいけない!
「エリィ!」
 リンファは力の限り叫んだ。次の瞬間、一体いつの間に入ってきていたのか、ペンユウの影からエリィが顔を出した。
「じゅんびできてま〜す! えへへへへ〜」
 エリィは信じていたのだ。きっと、リンファならいつもの自分を取り戻すことができる、と。
 
「オオオオオオッ!」
 ヨシュアの咆吼が響き渡る。それに呼応するように、彼の相棒ワームウッドが地を滑った。ガトリングガンが、ホロコーストを狙って弾丸をばらまく。
『そんなもの!』
 ホロコーストが左手を掲げた。一瞬、その手のひらが輝いたように見えた。
 そして次の瞬間、ガトリングガンの弾丸が全て軌道を反らされ、明後日の方向へねじ曲がる!
 ――デコイフィールド! かつてホロコーストの試作型、H―2が持っていた機能である。発生した強力な磁界によって、弾丸が反らされてしまうのだ。
 しかもこれは、小型化して左手にその機能を付けたようである。
 どうやら、実弾兵器は無駄のようである。
『絶対的な差というものを、見せてやろう!』
 左手を下ろし、ホロコーストは今度は右手を掲げた。左手に付いていたのがH―2の機能だということは……まさか、右手は!?
 バガンッ!
 右腕の装甲板がめくれ上がった! その奥から、いくつものとがったものがのぞく……ミサイルである。その数は、おそらく30は下らない!
 ――H―1の持っていた機能だ! これも右腕だけに簡略化されてはいるが、それでも恐ろしい数!
 しかし、ヨシュアはほんの少しも慌ててはいなかった。
「差を見せる? それは……」
 ヨシュアは操縦桿を握りしめた。汗が額に滲んでいるのがわかる。落ち着け。ヨシュアは自分に言い聞かせた。自信なんて少しもない。しかし、かつてこのワームウッドに乗っていた親父なら、そしてリンファなら、この程度のことはやってのける!
「こういうことを言うんだッ!」
 ミサイルが一斉に発射される! そしてワームウッドは、糸を引いて飛来するミサイルの隙間を、縫うようにしてくぐり抜ける!
 まさに神懸かり的な操縦! これで、一気に間合いを詰めた!
 ワームウッドの肩のキャノンが火を噴いた。光の弾丸がホロコースト目がけて一直線に突き進む! おそらく、これならデコイフィールドの影響も受けないはずだ!
 ゴグガァアアアッ!
 弾丸はホロコーストのコアに命中した。もうもうと巻き起こる砂煙。しかしそれが収まったとき映ったのは……傷一つ付いていないホロコーストの姿だった。
 とんでもない装甲! いくら重装のACやMTでも、このキャノンを食らえば全くの無傷とはいかない。何をとっても、信じられない性能である。
 ホロコーストが左腕を振るう。この体勢は、おそらくパンチを放つつもりだ。これもH―2と同じ機能である。
 慌ててワームウッドは後退するが、ホロコーストの拳は予想以上のスピードを持っていた。かわしきれずに、重い一撃が頭部をかすめる。
 バギンッ!
 鈍い音を立てて、ワームウッドの頭部に付いている角が折れとんだ。幸いにも、これはただの飾り。実害はない。
 しかし問題は別の所にある。ホロコーストがこれほどの格闘能力を持っているということは、接近するのも危険だ。
『無駄だ! 私のホロコーストは最強なのだ!』
「確かにそうかもしれない。
 ……だがな、俺は退くわけにはいかない!」
 ワームウッドのガトリングガンが火を噴いた。連続で幾つもの弾丸が放出される。ホロコーストは慌てることもなく左手を掲げた。
 その手のひらが一瞬光る。すぐさまデコイフィールドが発生し、金属製の銃弾をあらぬ方向に吹き飛ばす。
「俺はもう二度と、あんな後悔はしたくないんだッ!」
 脳裏をかすめるシェリーの姿。ヨシュアは奥歯を食いしばった。愛する女を失う哀しみ。女一人護りきれなかった自分の無力に憤るときの苦しみ。もう何も、失いたくはなかった。
 ――そのためなら、命をなげうってもかまわない!
『後悔することなど何もない。後悔する必要もない。
 なぜなら、私が後悔する暇すらも与えないからだッ!』
 デコイフィールドを維持したままホロコーストは右手を掲げた。その装甲板がめくれ上がる。再度その内側にのぞく無数のミサイル!
 ――今だ!
 ゴガアアアアッ!
 ホロコーストの左の手のひらが爆発した! ガトリングガンの弾丸を食らったのである。
『な……! 何故、貫かれたのだ!?』
 ガトリングガンの弾がデコイフィールドを貫いた理由はただ一つ。手のひらから発生する磁界に対して、弾丸が並行に飛来したからである。
 磁界によって受ける力と弾丸の速度が一直線上にあれば、たとえ威力が殺がれても貫くことができるのである。勿論、言うのは簡単だが、実行するには針の穴を通すほどの正確さが要求される。しかも、ホロコーストが少しでも腕を動かせば失敗してしまう。
 だからこそ、相手が右腕を動かすまで待ったのだ。テスラがミサイル発射に気を取られている内に、攻撃するために。
 ともかく、これでデコイフィールドは封じた!
『くっ……だが、まあいい! これで終わりだっ!』
 ホロコーストの右手からミサイルが発射された。ミサイルの引く白煙が、蜘蛛の巣のように四方八方からワームウッドを包み込む!
 ワームウッドはガトリングガンでミサイルを撃ち落としながら必死に回避する。しかし、ついにかわしきれずに数発が右腕に命中した!
 瞬間、コックピットに灯るレッドランプ。けたたましい警告音を聞きながら、ヨシュアは舌打ちをした。放っておけば、爆発する危険がある。
 バシュッ!
 ワームウッドの右腕がコアから切り離され、地面に転がった。ダメージは小さくないが、まだ戦える!
 しかし次の瞬間、目に飛び込んできた光景にヨシュアは驚愕した。
 ホロコーストが、片膝を付いてレールガンを構えている!
 おそらく反物質レールガンを発射するには長い準備時間が必要なのだろう。そのため、接近戦では使いづらい兵器なのだ。それを敢えて準備しているということは、多少のリスクは覚悟で早く決着をつけるつもり、ということだ。
「させるかっ!」
 ワームウッドは全速力で前進しながらレーザーキャノンを連射した。相手は止まっているのだ。外れるはずもなく、キャノンの弾丸はホロコーストのコアに命中する。
 しかし、いくら攻撃を食らっても全くホロコーストは揺るがない! 常識を外れた装甲のおかげで、攻撃を食らいながら発射準備を進めていく!
 こうなったら、至近距離でありったけの弾をぶち込むしかない。ワームウッドは猛スピードでホロコーストに迫る。
 そして、ホロコーストの目の前まで近付いた、その時!
 ゴガアァッ!!
 ホロコーストの繰り出すパンチが、ワームウッドを捕らえていた。
 
 ――急げ!
 ブースターをこれでもかと噴かして、ペンユウは荒野を突き進んでいた。
 ペンユウのレーダーの性能はかなり高い。遠距離まで完璧に索敵できる。そして、そのレーダーには、二つの赤い光点が記されていた。
 おそらく、ワームウッドとホロコースト。もう戦闘は始まっているのだろう。しかし距離がかなりある。全力で進んでも、あと五分はかかる。
 ――お願い……無事でいて。
 リンファは今まで、神を信じる人間を馬鹿にしてきた。神など存在しない。仮に存在していたとしても、人間を都合良く助けてはくれない。そう思っていた。
 しかし今。リンファは神に祈っていた。ただひたすら、ヨシュアの無事を祈っていた。そして、一刻も早くヨシュアの元へたどり着くことを願っていた。
 あと三分。ジェネレーターが悲鳴を上げている。ブースターを連続使用しすぎたようである。十秒ほど、ブースターを使わずに歩かなければならない。こんなことなら、ブースターなしで高速移動できる四足タイプにしておくんだった。リンファは今さらながら後悔した。
 あと一分。そのとき、モニターに光が映った。あれはおそらく、ワームウッドの放つレーザーキャノンだ。よかった、少なくともまだ無事らしい。そして彼らは、目の前のこの丘の向こうにいる。
 そして。ついにたどり着いたリンファの瞳に映ったのは、ホロコーストの拳の直撃を受けるワームウッドの姿だった。
 
 ワームウッドの青いボディが宙を舞う。コアと脚部のつなぎ目に命中した拳は、ワームウッドの各部をバラバラに引き裂いていた。
 青いコアが地面に落ち、なんどか跳ねながら転がった。なんてことだ。あの中には、ヨシュアが乗っているのに!
 リンファは我が目を疑った。荒涼たる大地。そこに転がる、無惨な姿のワームウッド。そして、肩のレールガンを構えた姿勢のまま、ワームウッドを拳で殴り飛ばしたホロコースト。
 リンファは俯き、奥歯を噛んだ。
『遅かったな、タオ=リンファ』
 テスラの声が聞こえてきた。息づかいが荒い。どれほど激しい戦闘だったのかがよくわかる。
『恐ろしい男だった……普通のACで、このホロコーストに傷を負わせた。
 一人で来てくれて助かったよ』
 次の瞬間、リンファはたまらず吼えた。獣の如く、悪魔の如く。吼えて、リンファは手の内にある操縦桿をなぎ倒した。ペンユウも、彼女の怒りに応えるが如く、駆け抜けた。
『今さら何をしようともう遅い! 準備は既に完了したッ!』
 レールガンが火を噴く。死を招く砲弾が発射された。滅びを撒く悪魔が、その牙をむいた。
 そして、ペンユウの左手に光が灯った。
 
「聞いて、リンファ」
 ヨシュアを追って出撃する直前、エリィはリンファに告げた。
「テスラは、かつて反物質を安定化させる研究を行っていたの。でも、結局は無理だった。現在の科学では……たとえテスラほどの天才の力をもってしても、物質と出会った瞬間に消滅してしまう反物質を安定化させることは不可能だったのよ」
 リンファにはよく意味がわからなかった。しかし、心のどこかで少しひっかかるものがあった。疑問を抱いたのである。
「じゃあ、爆弾なんて造れないじゃない」
 エリィは頷いた。伝えたかったことをリンファが理解してくれたことに満足しているのである。
「そう。だから、あのレールガンの弾丸は反物質を練り固めた造った、なんてものじゃないのよ。
 つまり……」
 エリィは眼鏡を直した。ここからが本題、と言わんばかりに口調を強める。
「弾丸それ自体が、小型の反物質生成装置なのよ。
 生成した反物質は、即座に周囲の物質と打ち消しあい、エネルギーをばらまく」
 どっちでもいいんじゃないか、とリンファは思った。そんな仕組みを知ったところで、大した差はない。
 しかしそうではなかった。これは重要なことだったのだ。
「だから、レールガンに対抗する手段が一つだけあるわ――」
 
 ――馬鹿な。
 信じられなかった。テスラには、どうしても事実を信じることができなかった。
 ――砲弾を、斬り裂いた……だと?
 そう。ペンユウの振るったレーザーブレードは、一分の狂いもなく撃ち出された反物質生成装置を真っ二つに斬り裂いていた。
 対抗する手段とは、つまり――砲弾が反物質を生成する前に、砲弾自体を破壊することだったのだ。
 まだ、テスラは信じられなかった。もし、レールガンの角度が数度ずれていたら? もし、レーザーブレードがあと十五pずれていたら? 小さな砲弾は、間違いなく周囲三十qを焼き尽くしていただろう。
 ペンユウのブレードがホロコーストのコアに食い込んだ。
 先の戦闘で、ヨシュアがひたすら狙い続けていた、コアの中心のある一点に。
 無敵のはずのホロコーストの装甲が、破られた。
 わからなかった。テスラには、わからなかった。自分が何故負けたのかが。
 ――偶然?
いや、違うな。
 ようやく、テスラははっきりと理解した。
 彼は、負けたのだ。偶然にでも、運命にでもなく。
 ヨシュア=オースティン。
 タオ=リンファ。
 そして、エレン=ガブリエラ。
 あの三人に。彼は、全力で戦い――そして、負けたのだ。
 テスラの脳裏に、過去の光景が浮かんだ。
 大学の入学式。そこで出会った一人の女性。エレン、と彼女は名乗った。そして次に、エリィと呼んで欲しい、と言った。
 エリィは天才だった。テスラもまた、天才だった。二人は互いに競い合った。またある時は協力し合った。最高の相棒だと、互いに思っていた。
 やがて、二人は惹かれ合った。二人は強くなった。今までよりも、ずっと強くなった。
 ――楽しかったな。
 テスラはそう思った。あの頃は毎日が新鮮で、よく笑っていたような気がする。そして、側にはいつもエリィがいた。
 ――ああ、そうか。
 やっと彼は全てを理解した。
 ――私は、死ぬのか。
 彼の心は、自分でも不思議なくらい安らいでいた。
 目を閉じると、心の中で彼は囁いた。
 ――さよなら、愛しのエリィ。
 
 近くの丘の上から、エリィは下の光景を見つめていた。ブレードに貫かれ、ぴくりとも動かなくなったホロコースト。その姿はまるでテスラそのもののようだった。
 頬を冷たいものが伝わっていった。目を閉じ、昔を思い出す。
 きっと彼は、初めて会ったのは入学式の時だと思っているだろう。でも、そうではないのだ。
 入学試験の時。エリィの乗っていた列車が悪戯半分のハッカーにハッキングを受け、乗っ取られてしまった。そしてそのハッカーをたったの3秒で灼き殺し、列車の機能を回復させたのは同じ受験生であるテスラだった。
 エリィがハッカーとしての腕も身につけたのは、この影響だ。
 無事入学を決めたある日、エリィの友人がAC同士の戦闘に巻き込まれ、重傷を負った。その時も、ただおろおろするだけのエリィを尻目に、友人に応急処置を施したのはテスラだった。彼がいなければその友人は死んでいただろう。
 エリィが医学を学びはじめたのは、この後だった。
 そうだ。今思えば、エリィはずっとテスラと一緒だった。何をするにも、いつもその瞳の先にはテスラの背中があった。
 ――楽しかったな。
 エリィはそう思った。
 そして、愛する男に最後の言葉を投げかけた。
「さよなら、テスラ。
 運が良ければ、天国でまた逢えるわ――」
 
 終わった。
 コアをブレードで貫かれたホロコーストは、今や完全に機能停止していた。おそらく、パイロットも生きてはいないだろう。
 リンファは肩で息を付いた。一瞬の安堵の後に、閃光のように不安が蘇る。慌ててリンファはペンユウを動かした。ゴミのように地面に転がるワームウッドのコアに駆け寄り、膝立ちになる。すぐさまリンファはペンユウから飛び降りた。
 コックピットのハッチは、リンファの手の届く位置にあった。コアと脚部がバラバラになったおかげである。スイッチを操作し、ハッチをこじ開ける。
 中は凄惨たる様子だった。内壁がいたるところで破れ、その破片にべっとりと血が付いている。どす黒く、粘りけのある血。そしてこの、鼻を突く異臭。
 ヨシュアは脇腹を押さえ、シートに横たわっていた。転がった時に頭を打ったのだろう。額からも血が流れている。そしてコートの内側、ちょうど手で押さえている辺りには――
 間違いない。傷は、内臓にまで届いている。一刻も早くちゃんとした手当をしなければ……
 リンファは手をヨシュアの体の下に差し込み、力を込めた。さすがに重い。しかし、持ち上がらないほどではなかった。なんとか狭いコックピットから引きずり出す。
「う……」
 ヨシュアが小さく呻いた。慌ててリンファは地面に座り込み、自分の膝を枕代わりにしてヨシュアを寝かせる。
「ヨシュア!」
 リンファが呼ぶと、ヨシュアは薄く目を開いた。意識はまだある。懐から通信機を取りだし、リンファはスイッチを押した。
 その時、ヨシュアの手がリンファの動きを制した。
「いい……間に……あわない」
 リンファは息を飲んだ。
「やめてよ……そんなこと言わないでよ!」
 ヨシュアの顔に、驚きの色が浮かんだ。
「あたし……やっとわかったの……
 ヨシュアの気持ち、あたしの気持ち、全部わかったの!
 だから……だから……!」
 ヨシュアはか細く微笑みを浮かべた。そして、静かに両目を閉じた。
 リンファは手に力を加えると、ヨシュアの体を抱きしめた。
 ――冷たい。
 雫が落ちる。ヨシュアの頬が露に濡れた。
 暗い空から、一筋の雨が舞い落ちた。雨は次第に強さを増し、大地を潤していく。
 冷たい雨が、二人の体を優しく包み込む。
 今、一つの物語が幕を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ふうっ。
 ロビーのソファにゆったりと腰を落ち着け、エリィは溜息をついた。
 ここはアイザックシティで最も大きな病院のロビーである。病気だか怪我だか知らないが、数え切れないほどの人々が、入れ替わり立ち替わり、ひっきりなしに会計を済ませたり薬を受け取ったりしている。
 中央にある大きなモニターには、ヒーリング・ミュージックに合わせて世界中の森林や渓谷、山頂からの眺めなどが垂れ流しになっている。さっきまでそれに見とれていた子供が、薬を持った母親に手を引かれて立ち去っていった。
 エリィは手の内にあるココアの缶を口に持っていった。甘く、熱い感覚が喉を通り抜けていく。
 憂鬱な気分だった。多分、もう自分は一生男を愛することはできないだろう。でも、それでもいいと思った。一人ではないのだ。きっと、彼はずっと心の中にいて、見守ってくれるはずだ。
 もう一口、エリィはココアを口に含んだ。
「エリィさん、ですね?」
 背後から声がかかった。男の声である。どこかで聞いたことがあるような気もするが、思い出せなかった。エリィはソファに座ったまま振り向いた。
 そこには、眼鏡をかけてネズミ色のスーツを着込んだ男が、薄笑いを浮かべて立っていた。手には黒いアタッシュケースを持っている。一見すると企業戦士のようにも見えるが、彼は違う。
「あなた……コバヤシさん?」
「憶えていらっしゃいましたか。光栄です」
 彼の名は、シロウ=コバヤシ。かつて、ある事件の時にかかわった、アリーナ管理委員の男である。その名の通り、レイヴン達がその腕を競う闘技場、バトルアリーナの管理運営をしているのだが、一体何の用だというのか。
「お隣、よろしいですかね?」
 エリィは無言で頷いた。コバヤシはにっこりと微笑むと、スーツの裾を気にしながらソファに腰掛けた。アタッシュケースを膝の上に置き、留め金に指をかける。
「実は、あなたの相棒の方にお話がありましてね」
「また、アリーナのお誘い?
 ……御免なさい、あの娘は今、落ち込んでるから……」
 コバヤシはまた、微笑んだ。何もかも分かっている。そんな感じの微笑みだった。エリィは少し戸惑った。アリーナに出ろ、というわけではないのだろうか。
「ええ、お話は伺ってます。落ち着かれた時にでよろしいですから、伝言をお願いできませんか?」
「……どうぞ」
 エリィが答えると、コバヤシは満足げに笑ってから留め金を指で弾いた。ぱちんと小さな音がして、黒くて頑丈な箱が口を開けた。
 中からいくつかの書類を取り出しつつ、コバヤシは眼鏡を直した。
「実は、先日開かれたマスターアリーナ選考会議……そこである決定がなされましてね」
 
 リンファは、椅子に座って窓の外を眺めていた。
 壁は白く塗り固められ、飾り気のない室内には最低限必要なものが取りそろえられている。どうして病室というものはこうも殺風景なのだろうか。リンファは思った。これでは、余計に患者が落ち着かないことはないだろうか。
 しかし、窓の外は一層殺風景だった。これが地上なら木々や草花が目を楽しませてくれただろうが、見えるのは病棟に面した道路と、そこを行き交う人々、そしてたまに突進してくる救急車だけである。
 リンファは目を移した。この病室に一つだけあるベッド。そこには、一人の男が仰向けに寝そべっていた。金髪とそれなりに端正な顔立ち。いつものコートはさすがに着ていない。今は病院から支給された、真っ白な服に身を包んでいる。
 ヨシュア=オースティン。
 今日でもう、あの戦いから一週間になる。駆けつけたエリィの処置のお陰で何とか一命をとりとめたものの、ヨシュアはこの一週間、ひたすら目を閉じて眠り続けている。
 ――男が眠り姫になってどうする。
 リンファは心の中で冗談を飛ばしてみた。しかしそれでも、心の隙間は埋まらなかった。ぽっかりと穴が空いている。その穴に不安が入り込んでくる。ヨシュアはもう、目を覚まさないのではないか。医者は大丈夫だと言っていた。でもそれは、自分を傷つけないための嘘なのではないか。
 穴を埋めようとリンファは必死にあがいた。でも、どんなに藻掻いても、結局は無駄に終わるのだ。最後に行き着く結論はいつも一つだ。
 ヨシュアに、逢いたい。
 言ってしまえばそれだけだった。
 何度目だろうか、リンファはまた溜息をついた。
 その時だ。
 ヨシュアの目が、うっすらと開いた。
「ヨシュア!」
 思わず椅子を蹴り、リンファは立ち上がった。ベッドの側に駆け寄り、ヨシュアの顔を凝視する。彼の頭が少し動き、その視線がリンファのそれと合った。
「リン……ファ……?」
 呻くように、ヨシュアは呟いた。遠い目で天井を見つめる。しばらくそうしていると、次第に意識がはっきりとしてきた。一つ一つ、想い出が蘇ってくる。
「俺は……また、生き残っちまったのか――」
 リンファは憮然としてヨシュアの顔を見つめた。シーツの中に手を差し入れ、ヨシュアの手を握る。ヨシュアの手は冷たかった。
「違うよ、それ」
 ヨシュアの頭が動いた。リンファの一片の曇りもない瞳を見た時、彼は自分の体が槍に貫かれたかのような衝撃を感じた。
「あたし、やっとわかったの。
 あなたの気持ちも、あたしの気持ちも――
 あたし、あなたの側にいたい。あなたに、側にいて欲しい。
 だから……」
 リンファの瞳に涙が浮かんだ。彼女の涙を見るのは、これが初めてだった。奇麗だと思った。不思議なことに、他には何も感じなかった。ただ、その涙の美しさに感動し、見とれていた。
「だからずっと、あたしの側にいて――」
 ヨシュアは目を閉じた。涙が頬を伝う。涙は白いシーツに斑点を創った。それは、何よりも大きく、何よりも重い斑点だった。
 リンファは立ち上がった。
 
 そして、自分の唇をそっと彼のものと触れ合わせた。

That's not the end. See you someday,somewhare!