隙間

 祖母からの突然の電話で、私が祖父が死んだ事を知らされたのは半月前の事だった。その時、葬式はその日の明後日になると祖母は言っていたが、忙しいのなら無理をする事もないとも言った。
 実際、祖父の屋敷まで行くのには、正直私はあまり気のりがしなかった。別に祖父が嫌いだったという訳でもないが、ただ、私が住んでいる所から祖父の屋敷までには結構な距離があり、その道程の事を思うと、何となく煩わしかったのだ。大体、祖父は私に無関心な人間だった。私には小さい頃可愛がってもらったといった記憶もなく、逆に祖父に厳しく躾られたような記憶も無い。そして、成人してからはますます疎遠になり、祖父とはもう十数年も会っていなかったのだ。
 とは言え結局、私はその屋敷の、それも当の祖父が使っていた部屋の中にまで入っていたのだが、明確な理由を尋ねられると答えに窮してしまう。確実に言えるのは、その数日間の予定に重要な会議でも入っていたならば、私はその屋敷に行ってはいなかった、という事である。私が祖父の部屋に入った事については、理由があると言えばあったが、それもほんの気まぐれの様な物だった。しかし、その気まぐれが無ければ、私が今これほど心乱している事も無いと思うと、複雑な気持ちになる。
 屋敷で私を出迎えた祖母は、やはりあまり期待していなかったのであろうか、多忙な私が遠路はるばるやって来たことに多少驚いたようだったが、何はともあれとリビングに迎え入れられ、二人で紅茶を啜りながら、生前の祖父の事、私の近況、当り障りのない世間話など、取り止めのない会話を祖母と交わしていた。その時、私はふと気になって祖父の死因について祖母に尋ねてみたのだが、祖母は、祖父の死因は老衰だったと答えた。それは、もう九十を回っていた祖父には無理からぬ事だと思われたが、それとは別に、祖母が言った事が少し気にかかった。
 祖父は死の三ヶ月ほど前から心を病んでいたと言うのだ。そう言えば、電話での祖母の声は、何処か気が抜けた様に感じられた。それも惚けている風ではなく、ほっとしている様に感じた事を思い出した。
 そして、どんな様子だったのかと聞くと、それについては祖父の部屋を見れば分かると言う。そこで少なからず興味を引かれた私は、当面特に何もすることがなかったのもあり、早速祖父の部屋に行くことにしたのだった。

 私の案内には、最近入ったばかりだと言う若い女中が当たってくれた。初め、私は祖父の部屋の位置なら覚えているから案内は必要ない、と祖母に申し出たが、祖父は祖母の言う「三ヶ月ほど前」から他の部屋に移ったのだと言った。確かに、過去の記憶を引っ張り出してみると、祖父の部屋には重々しい両開きのドアが備わっていたはずであったが、私の目に映っていたのは、大の大人ならば一蹴りで軽く破ることが出来そうな、何か弱々しい感のあるドアだったのだ。本当に此処で良いのかと私は訝しんだが、私を案内した女中は、そのドアの前に着くなり、そのドアが限りなく不快な物でもあるかの様に、そそくさとその場を立ち去ってしまっていた。
 仕方なく、私はノブをゆっくりと回してそのドアを押し開けた。部屋の中は真っ暗闇だったが、すぐにドアの側に電灯のスイッチを見つけることが出来た。しかし、私がそれを押しても、天井に取り付けられた蛍光灯は、まるで意思を持ち、点こうか点くまいか戸惑っているかの様に一瞬光っては、消え、また間を置いて光っては消えを繰り返し、なかなか完全には点こうとしなかったのだ。
 何とも苛々させてくれるが、機械に苛立ちをぶつけようとも仕方がない、と思い、私は取り敢えず部屋の中の様子をざっと窺って見た。
 しかし、断続的に照らし出されているだけでさえ、異様に感じられる情景に、私は少なからず驚いた。そのやや奥に長い長方形の部屋の中で、奥の壁が何の意味か、様々な色で不規則に塗り分けられているように見えたのだ。しかも、家具は左手前の隅に置かれたベッドしかないようで、がらんとしたその部屋が、色とりどりの壁をより一層強調しているように思えた。
 そして、私がなかなか点かない蛍光灯と、妙に気になるその壁の事が相まって更にやきもきし始めた頃、唐突に蛍光灯が精一杯の光を放射し、遂に、はっきりと部屋の中の様子を照らし出した。
 が、その事は結果的にはより私を驚かせる事になった。
 その部屋の奥に見えていたのは壁ではなかったのである。それは本棚だった。壁の一面を完全に隠す、きっちり床から天井までの高さの大きな本棚がそこにすっぽりとはめ込まれ、傲然と私を見下していた。そして、その本棚には、本しかなかったのだ。それが当然の事だと思うところだが、一つ考えてみて欲しい。本棚の中身は厳密に言えば二つの要素に分類できる。つまり、主な内容物である「本」と、その間の「隙間」である。その本棚には、本棚の中身を構成する要素の内、後者が完全に欠落していたのだ。「隙間」が「欠落」していると言うのも大変矛盾した言い回しであるが、そうとしか言えなかった。あるのは空間を埋め尽くす、膨大な量の本。それが大きな本棚に無秩序に押し込められ、ある列では、一つ一つの本の大きさは全く違うにも関らず、精巧なパズルのよ様に合致し合い、不気味な色彩と、混沌としながらも奇妙な整合性さえもたらしている所もあったのである。私は先ほど「壁ではなかった」と言ったが、そういった意味では、ある意味それは本の「壁」と言っても差し支えないものであった。
 そこで私はしばらくの間、棒のように突っ立っていたように思う。人は本当に驚いた時、ただ呆然と立ち尽くすしかないと言うのは本当なのだろう。
 だが、私は半ば無理矢理に気を取り直して、照らし出された部屋の中を改めて見回した。
 すると、左手前の隅にきっちりくっ付いているベッドに更にくっついて、何かの台が置かれているのに気付いた。私の脚の付け根ぐらいまでの高さがある、台である。初めはテーブルかと思ったが、そうではなかった。それには、テーブルならば当然付いている脚がなかったのである。ただの木製の直方体が置いてあったのだ。そして、意味は分からないがその上には様々な大きさの本が、歪なピラミッドと言った趣で詰まれている。そう言えば、ベッドにも脚が見当たらないことに私はこの時気付いた。
 つまり、その部屋にあったのは、隙間なく本が詰め込まれた本棚と脚のないベッドと台。更に詳しく言えば、台の上の本の重なりと天井にへばり付いた薄暗い蛍光灯一本が付け加えられる、そんな奇妙なラインナップだった。そして、家具同士や、家具と壁の間や、本棚の本と本の間に「隙間」がまるっきり無いと言うことを特徴として挙げておこう。その事は何か私に不吉な印象を与え、特に本棚は、初めのうち今すぐにでもその部屋から逃げ出したくなるような感情を私に抱かせた。
 だが、結果としては私はその部屋に踏みとどまった。それは、少し冷静になってくると、私の中でもう一つ別の感情が頭をもたげてきたからだった。祖父は何故こんな部屋を作ったのか? という疑問。堪え難い好奇心である。祖父にこんな部屋を作らせたのは一体なんだったのか? 精神異常者の強迫観念と言えばそれまでだが、ならば祖父を精神異常になるまで追い込んだのはなんだったのか? 祖父が死んだ今となっては、それはもう誰にも分からない事なのかもしれなかったが、私は何か諦めきれず、本棚の前をうろうろと歩き回っていた。そして、その本棚の異常性を思い知らされていた。
 中身のほとんどは小説だったが、各巻の分類や整理は全く為されておらず、「ドストエフスキー全集 3」の横はカフカの短編集。その横はトルストイの「戦争と平和 1」で、2は何処にあるかわからなかった。自他共に几帳面と認める私は思わず整理してやりたくなったが、そうしようにもその本の壁は、私の指を固く拒んでいて、私は苛々とした気持ちを募らせながら、本棚を眺め回すしかなかったのである。
 しかし、そうしている内に、私は一つ気になる物を見つけた。本棚の最下段の左端。他の本はどれも赤や緑や黒や白と色とりどりの背表紙を私に向けて、そうあるべくして生まれてきたかのようにぴったりと本棚に収まっていたが、一つだけ背表紙を奥にして突っ込まれた本があったのである。もっとも、良く見るとそれは本というよりは厚いノートのようであった。
 妙にそれが気になった私は、何かどきどきしながらも早速それを引き出そうとした。もっとも、案の定、本の間に爪の先がわずかに食い込むだけで、なかなか引き出せるまでにはいかない。コツがあったら教えてもらいたい所だったが、恐らくそれを知る唯一の人間はもうこの世にいなかった。
 結局、私がその本を引き出すのに成功した時には、もう結構な時間が経っていたように思う。しかし、幾分興奮しながら表紙を見ると、私の未練たらしい性格がこの時ばかりは多少なりとも役に立ったらしい、と内心思ったのを覚えている。それは、祖父の日記だったのである。
 取り敢えずベッドの端に腰を降ろすと、少なからなず期待感を抱きながら、私はその一ページ目を繰った。

 祖父の日記の初めのページの日付は、その時から半年ほど前になっていて、祖母が、祖父がおかしくなり始めた、と言った時期からは三ヶ月ほど前になる訳だった。
 そして、その日付の下には、老齢の割にはやけにはっきりとした祖父の文字が整列していた。
 しかし、問題の内容に私は思わず拍子抜けせざるを得なかった。それは、今日は何をした、何を食べたと言ったような事が取り留めなく書いてある、全く普通の日記だったのである。それも、まあ考えてみれば祖母の言う「三ヶ月ほど前」までには日がある事ではある、と思い、ざっとページを斜め読みしていくことにして次々読み進めていっても、延々連なる日々の記録はなかなか変化の兆しを見せてはくれなかったのだ。そうして二か月分ほどの日記を読み終えた頃には、祖父は毎朝八時からきっかり一時間散歩する事を日課としている事や、肉よりも魚が好きな事や、やや潔癖症の気があるらしい事等が分かってしまっていたのだ。その為、私は多少焦り始めていた。
 だが、平穏無事に何事も無く進んでいた祖父の日記に、少し気になる記述が、ある日突然に現れたのだ。「今日は朝から妙に気が落ち着かない」と言うのである。初めは私も多少引っかかったぐらいで、当の祖父も一時的に神経が緊張しているのか体が疲労しているのだろう、と軽く考えていたようだったが、更に読み進めていくと、その様な感覚はその後も続き、悪い事に日に日に増していくようだ、と書かれていたのである。その為、祖父は医者にもかかってみたが、体の異常は見られず、それでもしつこく症状を訴える祖父に、医者は精神科の方を紹介する始末だったと言う。
 そんな祖父をよそに、その感覚はその間も強さを増していったようで、この頃の祖父の心理状態は悪化の一途を辿っていたらしい。それまでしっかりしていた筆跡に、乱れが生じてきていた。そして、遂に耐えかねた祖父が精神科に受診しても、特に異常無し、と診断されてしまったのだ。
 しかし、祖父はそのすぐ後に、ようやくその感覚の正体に気が付いた、と書いていた。
 それを見て、一度に核心に近づいた気がした私は、興奮の度合いをより強め、次の文に急いで目を走らせた。とはいえ、それを見た私は多少落胆していた。その内容は、今更何だったがやはり突拍子がなさ過ぎた。
 それは「何かの視線」だった、と祖父は書いていた。祖父は「常に付きまとう何かの視線を感じる」と言うのだ。更に、祖父はその視線が家具と壁の間や、本棚の本と本の間や、そんなあらゆる「隙間」から放たれている様に感じると言う事にも気付いたと言うのである。
 そして、祖父はこの部屋を作り始めた。
 なるべく「隙間」は作りたくないが、以前からの唯一の娯楽であった読書だけはやめる事はできなかったそうだ。また、台の上に積まれた本は、本棚の本を読んでいる間、本棚にできる「隙間」を埋める為だったと書いていた。この部屋が出来てからは、ほとんどの時間をここに閉じこもって過ごし、後で祖母に聞いた所によると、この部屋を出るときは大層な怯え様だったと言っていた。
 祖父の日記は、祖父の死ぬ一ヶ月と十四日前の日付で、唐突に途切れていた。

 祖父の日記を読み終え、ノートを閉じると、思えば初めから解ける筈も無い疑問が、より一層重いわだかまりを私の中に作っている事に気付いた。正直に言えば、祖父はやはり狂っていたのだろう、と言う考えが私の中で優勢になっていたが、それを読めば全てがはっきりするような錯覚に陥っていた私を、祖父の日記は只いたずらに混乱させるだけだった。しばらくの間、ぼんやりと祖父の日記を見つめながらも、私の頭の中では取り止めのない考えが渦を巻いていた。しかし、その渦は只混沌として、答えなど見つかる筈も無かった。
 だから、結局のところ……私は逃げた。
 やがて私は、祖父が狂っていたのでもそうでなくとも私には何の関係も無い、と一息に呟いていた。一度言い終わると、呪文のように何度も呟いた。祖父が狂っていたのでもそうでなくとも私には何の関係も無い、祖父が狂っていたのでもそうでなくとも私には何の関係も無い、祖父が狂っていたのでもそうでなくとも私には何の関係も無い、祖父が狂っていたのでもそうでなくとも私には何の関係も無い、祖父が狂っていたのでもそうでなくとも私には何の関係も無い…………。
 こういった時、自分の気持ちにけりをつける為、いつも私が行う一種の儀式だった。そうすると、不思議にも今までの感情の起伏は潮が引くように退いて行く。それは、この時も例外ではなかった。そしてとどめに、この程度で冷静になれる問題なのだから、はなから大した物ではなかったのだ、と自分に言い聞かせ、捻じ伏せる。屁理屈も良い所だが、それで本当に落ち着けてしまったのだから仕方が無かった。
 気付けばすっかり冷めた目線を、祖父の日記を元に戻そうと本棚に遣っていた。
 だが、その時だった。急に、首筋が撫で上げられるような不快な感覚が私を襲った。目の前には、さっきと同様にそびえ立つ本棚。ベッド、台、何も変わっていない。こんな感覚を私に与えるような要因は無い筈だった。しかし、その感覚は確かに私を襲っていた。私はより詳しく部屋を見回すが、やはり私がこの部屋に来た時と、何ら変わった所はないように思えるのに、である。
 ……もっとも、「ないように思え」ただけで、その変化は決定的なものだったし、私自信も心の何処かではそれに気付いていて、気付きたくないだけだと分かっていたのかも知れない。
 本棚の最下段の左端。そこだけ切り取った様に、祖父の部屋にとっては異物とも言える、黒い「隙間」が現れていた。そして、私の視線がそこに行き着くと、確かに何かが合わさったような感覚がした。自分と相手の視線が、空中でかちりと合わさった時のものであった。
 次の瞬間、私は自分の全身が総毛立ち、開ききった毛穴から一斉に冷たい汗が噴出すのを感じた。急に、異世界に引きずりこまれたような気がしていた。そして、頭をかすめるのはあの疑問だった。やはり、祖父は狂っていなかったのだろうか? ……ならば、私が狂ってしまったのだろうか?
 視線は、答えてはくれなかった。噴出す汗は、みるみる内に、凍り付きそうなぐらいに冷たくなっていくように感じられていた。
 だが、逆にこれはチャンスではないか、とも頭の何処かで考えていた。祖父を追い詰めた何かの答えは、この「隙間」にこそあるのではないかと思ったからだった。……とは言え、それも私が狂っているので無ければの話ではあったが。
 私は少し自嘲気味に唇の端を歪めると、本棚の前へゆっくりと歩を進めていた。
 それは、野生動物に近づこうとする時に似ていた。そして、本棚の前に立つと、同じ様に、今度はゆるゆると腰を折り、背を屈めていった。何故か、ここで焦っては私の負けだと言う気がしていた。急いては事を仕損じる、と言う格言を、頭の中に浮かべていた。
 しかし、私が正にその「隙間」を覗き込もうとした時だった。突如として背後から甲高い悲鳴が上がったのである。驚いた私が振り返ると、先程この部屋まで私を案内した女中がドアの所に立っており、殺人鬼でも見ているかのような怯えた目つきで私を見つめているのだった。
 それを見た私は、何故彼女がこの部屋に来て、それも悲鳴を上げるような事になったのか、突然の事に痺れたようになっている頭で考えようとしたが、それは無駄な事だった。奇妙な静寂の後、私はとにかく何か声を掛けようと口を開きかけたが、それを見た彼女は再び短く悲鳴を上げると、わき目も振らずに廊下を走り去って行ってしまった。
 そして私は、しばらくの間ただ呆然とするしかなかったが、その後急に空恐ろしい気持ちになり、あの「隙間」の中を覗き込む事など忘れ、祖父の日記を元の位置に無理矢理に押し込むと、部屋から転がるようにして飛び出し、ばたんと音を立ててドアを閉めていた。
 何時の間にか、頭の隅がじくじくと痛んでいた。
 それが、半月前の出来事だった。

 祖父の葬儀は、予定通り、つつがなく執り行われた。しかし、その滞りなく進んだ、むしろあっさりし過ぎる様に思えた葬儀とは裏腹に、私の心は、今も祖父の部屋にいたあの時に留まっているようであった。今、こうやって自分のデスクに向かい、その上にある今日中に私によって片付けられるべき書類を前にしても、思考は、むしろ脳が体の方に引きずられているかの様にのろのろとしか進まない。
 あの時の女中は、あの後からもう決して私と眼を合わそうとせず、私が帰る段になっても見送りに彼女の姿は無かった。しかも、後日、祖母と電話で話す機会があったときにそれとなく聞いてみると、私が帰った数日後に、彼女は突然辞表を置いて出て行ってしまったと言ったのだ。
 私は、もしかしてこういう事だったのではないかと考える。つまり、あの部屋もある種の大きな「隙間」と言えるのではないだろうか、と。実は、祖父はあの部屋に引きこもってからも、自分に突き刺さる視線が幾分軽くなったとは言え、完全に消える事は無かったと例の日記に書いていたのだ。結局、祖父は「隙間」から逃れられなかったのだ……。そして、祖父を捕らえ続けた「隙間」の中にたたずむ私の姿が、あの女中の目にどのように映ったというのだろうか?
 頭の隅が、じくりと痛んだ。