■■■ The Density Of Falling Rain ■■■

 
 
 
 空は見渡す限り黒雲に被われそこから止めどもなく雨が降ってくる。
 雨は倒壊したビル、横倒しになった高速道路、ひび割れたアスファルト、魂無き物に降り注ぎ静かに表面を冷たく濡らしている。
 そこに降雨の音をかき消す別の音が生まれる。
 否。
 近づく。
 それは一人の少女が発するする音だ。栗色の長い髪を大きく揺らし、息を荒げ疾駆する。
 全身をずぶぬれにしながらに走る。時々後ろを振り返りながら、更に大地を強く蹴り走る。
 迫る死の恐怖を振り切るように、走る!
 彼女の手には銃(HECKLER&KOCH USP)が握られていた。彼女と同様、雨に濡れ黒く光る銃が・・・。
 銃を持っていない方の手からは血が流れている。おそらく撃たれた傷だろう、肩から手首にかけて服が赤く染まっている。
 「はぁ……はぁ…っく……はぁ……」
 暫く雨に濡れた路上を走り、やがてビルが折り重なり有って生まれた若干の隙間に彼女は入り込んだ。
 「……ここまでは……さすがに…こないでしょ……」
 肩を大きく揺らしながら一息つく。雨に濡れ、頬に張り付いた髪を取る。
 「……んっ…くぅ!……」
 傷が痛むのか小さく呻く。他にも足等に擦り傷や切り傷がある。
 腰の辺りまである髪、細面で整った顔、それらは泥にまみれ彼女の逃避行の長さを主張していた。
 右手に持った小さな懐中電灯の明かりを頼りに銃のグリップの部分から弾倉を取り出し残弾を確認する。
 「………あと六発、か……」
 かしゃっと弾倉を再びグリップに納め胸元に引き寄せる。
 「もう…アンタだけが頼りなんだから……しっかり私を護ってね」
 銃を持つ手に力が込められる。
 「みんな……裏切るけど……アンタは裏切らないよね?お願い……一人にしないで…」
 彼女の瞳から雫が落ちる。幾筋も、幾筋も。
 
 「一人じゃありませんよ」
 
 「!……誰!?」
 いきなり背後から声をかけられ銃を後ろに向けながら立ち上がる。そのままバックステップで間合いを取る。
 「あ……大丈夫です、大丈夫ですってば。貴女に危害を加えるつもりは有りませんから」
 背後の声の主はそう言った。金髪で、鼻の上に小さな眼鏡を載せている。体に合わない大きさの服を着ているためか全体的に体の線の細い印象を受ける。歳は十七、八歳前後の青年だ。
 「あなた………誰?…どこから…」
 さっきまでは人の気配などしなかったし、地面を歩けば音がする。
 しかしそれらは無かった。そして彼女自身かなり音に敏感で聞き逃すはずはない。
 「ボクの事を話す前に…その……銃を下げてくれませんか?恐いんですけど……」
 「敵……では無いみたいね……解ったわ。でもおかしな真似をしたら……撃つわよ」
 ゆっくりと彼女は銃を下げる。しかしいつでも撃てるように、引き金に指はかけたままではあるが…。
 念の為に簡単にボディーチェックをする。が、青年は何も所持していない。
 一応は敵でないことの確認が取れたためか彼女はその場に座り込む。青年もそれに習う。
 「肩の傷…大丈夫ですか?」
 「うるさいわね……ちょっとかすっただけよ。こんなのすぐに…うぅ…」
 やはり痛むのか傷口を押さえてうずくまる。
 「ちょっと待っててください。すぐに痛くなくなりますから」
 青年は傷口に手を乗せ、軽く目をつぶる。
 「……あったかい……」
 彼女の顔から苦悶の表情が消え、かすかな、微笑みとも取れる表情が浮かぶ。
 手の部分が光り徐々にではあるが傷口がふさがっていく。
 「どう……ですか?」
 「うん……暖かくて気持ちいい…」
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 数分後には全く傷痕も残らないほどに回復していた。
 「すごぉい……ねえ、何したの?」
 腕を振りながら彼女は青年に視線を向ける。
 青年は視線に応えるように軽く頷き問いに答える。
 「まぁ…なんて言うんですか、魔法…みたいなものですよ。」
 「へー、すごいんだね……?……どうしたの?」
 さっきまで明るくほほえんでい少年だがその顔には笑顔は、無い。
 「本当は……こんな能力、欲しくないんです。みんなに気味悪がられて…化け物扱いされ…最後には両親までボクを遠ざける……こんな力が有るからボクは……ボクは……」
 「……ごめんなさい…あたし、そんな事情が有るなんて知らなかったから…つい……」
 「…………」
 そのままふさぎ込んでしまった青年に彼女はそっと手を添える。
 「気にしなくていいよ……。きみはあたしを助けてくれた。だからあたしは感謝してるよ。ありがとう」
 彼女が微笑み、それにつられるように青年も顔を上げ微笑む。
 「…すいません……変に気を使わせちゃって……」
 「いいよ、気にしないで。あたしも経験あるからさ、そーゆーの。」
 「え?」
 ふっと遠い目で彼女は雨の降る方へ目をやる。
 その黒い瞳には目の前の雨も、破壊され尽くした街並みも映ってはいない、視線はもっと遠くを、何処までも遠くを見ていた。
 そして彼女は語り出す。自分に言う様に、僅かに照れながら。それは自虐とも取れる行為であった。
 
 小さい頃からずっと、かな。あたしも予知能力みたいなヤツがあってさ、それが時々自分でも恐い位にあたるの。
 それでね、小さい頃……そう六、七歳位かな?
 学校が火事になるって言ったの。見えたのよ、炎に包まれる校舎、逃げ遅れて火に包まれる人達が。
 当然みんなに馬鹿にされたわ。でもねその後ほんとに火事になったの。
 大勢の人が死んだ。結局は調理室の火の不始末が原因だったんだけどみんな私を疑ったの。
 いくら何もしてないって言っても無駄。
 ちゃんと警察や消防署なんかもちゃんと調べたから間違いは無いんだけど……たぶんみんなやりきれなかったと思うの。
 友達が、先生が、好きな人が大勢……大勢死んだから……。
 だからみんなあたしに辛くあたったわ。蹴る、殴る、もっと酷い事もされた。
 どうして、どうしてあたしにこんな能力が有るんだろうって悩んだわ。ずーと、そして今も。
 こんな力なんて要らない、あの時一緒に焼け死ねば良かったのかもね。
 それから暫くして白い服を着た人達があたしの所にやってきたの。
 「我々は君の能力を理解してやれる存在だ。我々の所へ来れば不自由はしないし、君の力を平和に利用できる」
 とか言っちゃって実際は毎日実験の繰り返し…。ある日ね、何の実験だったか聞くと「兵器開発のデータ収集だ」なんて言われたの。
 正直、信じられなかったし信じたくなかった。あたしは今までなにしてたんだろうって。
 でも今のあたしは生きてる。それだけでいいじゃないって考えてる。あんまり深く考えるとダメなの、「自分から生み出されたデータがなんに使われるか」とか、「あたしは何で生きてるんだろ」とかね。
 
 彼女はそこで言葉を切る。
 いつの間にか彼女は泣いていた。小さな嗚咽が青年の耳にも届く。
 「……辛いことを思い出させてしまったみたいですね。ボクのせいで……すみません…」
 「ううん、いいの。今まで誰にも話した事なんて無かったし話す相手も居なかったから……。なんだか話したらすっきりした」
 彼女の顔に涙はもう無い。 
 「ゴメンね。初対面の人につまんない話聞かせちゃって……」
 「そんな事はないですよ。いい話です……」
 若干の間が二人の会話の間に生まれる。
 その間を埋めるように雨の音が二人を包む。雨足は一向に衰えず益々強くなるようだ。
 ビル群が、瓦礫の山がシルエットになって霞んで浮かんでいる。
 「そろそろ時間も良いみたいですね。……さぁ、行きましょう」
 そう言って青年は彼女に手をさしのべる。
 「え……?行くって……どこへ?」
 「決まってるでしょう?あなた方の言うところの天国ですよ」
 「ちょ、ちょっとまってよ。あたしは……あたしは未だ死んでないし、死にたくない!おかしな事いわないで!!」
 「ふぅ……聞き分けの無い人ですね。いいですか、貴女は今日死にます。いえ、死んだのです」
 「ば、馬鹿言わないでよ……ちゃんと足もついてるし…」
 「ええ、確かに。しかしダメなんですよ、貴女の場合は。本来なら貴女の肩に当たった銃弾、それは心臓に当たるべき弾だったのです。ただこちらの手違いとちょっとした……そう、事故で貴女は生き残ってしまった。だから…死んで下さい」
 「いや…いやよ!!あたしはまだ生きていたい!大体、何様のつもりでアンタ、あたしを殺すの!?」
 「ボクは…そう……あなた方の世界では死神と呼ばれる存在…。死を司り、死を操る」
 「嘘……でしょ?あたしは騙されないわよ!」
 「貴女がボクの存在を信じようと信じまいとそれは自由です。しかし貴女には死んでもらいます」
 歩みを彼女の方へ進める。ゆっくりと、着実に。
 「いや……来ないで……いやぁ…」
 「銃なんか向けても無駄ですよ」
 「……それ以上…近づくと……撃つわよ!」
 「ご自由にどうぞ」
 「………!」
 彼女の細い指に力が込められ引き金が引かれる。
 パァン!!
 
 銃声。
 同時にスライドが動き空の薬莢が排出される。
 
 パァン!!  パァン!!
  
 更に続いて二つ。
 
 「無駄です」
 「くるなぁーーーーーー!!」
 パァン!!   パァン!!  パァン!!
 「さぁ、弾は切れたでしょ?確か6発でしたよね。先程、自分でご確認なさっていましたからね」
 「いやぁぁぁぁああ!!」
 泣きながら既に弾のでない銃の引き金を何度も引くが虚しい音が出るばかりだ。
 「…………。泣いてもダメですよ。他の方も最後は素直に自分の『死』を認められますよ。……あーあ、涙に鼻水まで出して……。綺麗な顔が台無しですよ」
 「…あ………ひぃ……来ない……で……」
 「また………ご縁が有ったらお会いしましょう。……さようなら」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「やれやれ……これだから人間の送還はイヤなんですよ。喚いてうるさいですからね…特に女性は……」
 青年は空を見上げた。
 水滴に体をぬらしながらゆっくりと歩いて行く。
 「まだ……雨は止みそうもないですね……」
 後ろを振り返り一言。
 「貴女の話……良い話でしたよ」
 ふっと微笑み足を前に運ぶ。
 
 湿った、重い風の声が「翔」と辺りに鳴り響く。
 その瞬間青年の姿はその場には無い。
 ただ彼女と今まで居た場所に一輪の花が置かれていた。
 
 キャンデイタフト……花言葉は「思いやり」
 
 その花を静かに雨が濡らす。
 雨は自然も、生物も、人が造りし物も、全てを濡らしていく。
 それは死者へのレクイエム。
 雨が止むには未だ時間が掛かりそうだ……。
 
 

−Fin−