ARMORED CORE PROJECT PHANTASMA


「事態は予断を許さない状況まで進行している」
 暗く澱んだ空気。
 スティンガーはそれを、細く吸って、吐いた。
 ウェンズデイ機関幹部会への呼び出し――今まで一度も喰らったことのないその処分が、何を意味しているかはスティンガーも知っている。立ち尽くすスティンガーの前で鷹揚に座っている三人の幹部達、その一人が予想通りの言葉を放つ。
「わかるね、スティンガー君。これは雇用契約の特例第二条、中途解雇に関する取り決めに基づいた、警告だ」
 舌を打ちたいのを、スティンガーはなんとか我慢した。
 契約書の内容などほとんど覚えてはいないが、確か、そういう条文があったように思う。つまり、雇い主の都合による、契約期間満了以前の中途解雇をする場合は、その一ヶ月以上前に、警告を行わねばならないという条文だ。
 二度に渡る大失態――契約を無視して解雇されても文句は言えない。一度目は、組織の内情を知り尽くした強化人間実験体スミカ・ユーティライネンを取り逃がし、二度目は、スミカとツヴァイトを目前にしながらそれを排除し損ねた。
 律儀に警告を与えてくれているあたり、まだ感謝せねばならないくらいだろうか。
「あの失敗作が向こうの手に渡ったことは、非常に由々しき問題だ。あれを手中に収めたことで、ムラクモ査問委員会は我が機関への本格的侵攻を決断するだろう」
「ムラクモのこれまでのやりくちからして、数日以内に電撃的侵攻を行ってくることが予測される」
「わかるね、スティンガー君」
 もう一度、最初の幹部が重い口を開いた。
「君には契約に基づき、あと一ヶ月の猶予が与えられる。その間の働き如何によっては、解雇の決断が覆ることもありうるということだよ」
 メガネをかけたその幹部は、スティンガーの顔を上目遣いに睨みながら、手元の印鑑を朱肉に押しつけた。ぽん、と軽快な音を立てて書類に判を押し、スティンガーを手招きで呼び寄せる。
 中途解雇に関する警告の実施証明書。
「ここにサインを」
 言われるままにペンをとり、機械的にネストのレイヴン登録番号を書き下していくスティンガーに、幹部は小さくこう呟いた。
「しっかりやりたまえ。なんといったかな、あの少女――そう、アヤといったか」
 一瞬だけ、スティンガーの指が止まる。
「彼女の再生、諦めたわけではあるまい?」
 心底どうでもよさそうに言うと、幹部はサインの終わった証明書をまじまじと見つめ、カーボンコピーをスティンガーによこした。
「以上だ」
 結局、スティンガーは一言も口を開かなかった。

 アヤ。
 スティンガーは走った。
 真っ暗な地下都市の道を、どこへ続くとも知れない道を、ただ走った。
 道は無限に続いている。どこまで走ってもどこへもたどり着かない。そんな錯覚さえしてくる深い深い黒。まるで森の草木を掻き分けるように、質量を持った重苦しい夜を掻き分けてスティンガーは走る。
 アヤ。
 彼女の元へ。
 たどり着いた場所はどこかの地下研究所。どこかの大企業が出資して作った、強化人間の実験場。スラムの一角にある秘密の入口は、ガードの張った立入禁止のビニールテープに閉ざされていた。
 スティンガーは体にまとわりつく黄色いテープをむしり取り、制服を着た警官をはね除け、階段を下った。たどり着いたのは地獄の釜の底のような実験室。鑑識官が床を這い回っているのを蹴飛ばし、ふらつきながら奥へ進む。
「あなたは?」
 スーツ姿の警官がスティンガーに問うた。
「……ネスト登録番号GH80−1052」
「ああ……あなたが」
 警官はスティンガーをさらに奥へと案内した。スティンガーは焦点のさだまらない視界に戸惑いながら、ただ警官の背中を追った。どこへ案内されているんだろう。この闇から抜け出せる、どこか明るい場所へか? それとももっと暗い深淵へか?
「身元の確認をお願いしたいのは……」
 警官は、スティンガーにそれを見せた。
「この遺体です」
 アヤ。
 もう。
 なにも。
 スティンガーは震えた。円柱形の透明なケースを抱きしめ、床に座り込んで震えた。一抱え程の大きさのそのケースに、残っているのは、安らかに目を閉じ、まるで眠っているかのような――
 アヤの頭部だけだった。
「アヤ……」
「間違いありませんか」
「アヤ……っ」
 警官は頭を横に振り、スティンガーを残して立ち去った。

 俺のせいだ。
 俺がもっとやさしくしてやれば。俺がもっとお前のことを考えてやれば。あのときあんなことを言わなければ。
 お前が家を飛び出すこともなかった。
 モルモット狩りに遭うこともなかった。
 死ぬこともなかったんだ。
 面倒だから――俺はお前に甘えていた。
 お前が俺を愛してくれることに甘えていた。
 ただ俺が俺であるだけで、愛し続けてくれるなんて思っていたんだ。
 でもお前はもう、俺を愛してくれない。

 だから俺はもう負けられない。
 スティンガーは部屋を出るなり、カーボンコピーを握りつぶした。青いカーボンコピーが手にまとわりつくのもかまわず、渾身の力を込めて握りしめた。自分のことなんてどうでもいい。そんな面倒なことは。
 今こそ俺は全ての面倒を切り捨てよう。
 ただ、お前を蘇らせるためだけに生きよう。
 もう決めた。
 そう決めたんだ。アヤ。

 少女は去っていくスティンガーの背中を見つめていた。
 まるで亡霊のように、淡く、白く、虚しく。
 ただ、彼の背中だけを見つめていた。

 MISSION#03 毒針

 作戦開始まであと10秒。
 ツヴァイトは大きく息を吸い込んだ。
 その瞬間、森の向こうで爆発が起こる。くだんの秘密基地が隠されていた岩山だ。
 ツヴァイトたちと合流した、総勢30機近くのムラクモMT部隊。そこに配備されていた長距離砲撃担当のMT「東雲」が、ツヴァイトとスミカの活路を開く。
 樽に手足が映えたようなフォルムの東雲が、肩に背負った二連カノン砲を容赦なく撃ちまくる。その弾幕を頭の上に眺めながら、ツヴァイトはぺろりと舌なめずりした。
「行くぞスミカ」
『りょーかいまかせて』
 森の中で息を潜めていたヴィーダーとコーラルスターが、その体を覆っていた黒いビニールシートを一機に剥ぎ取る。月夜に照らされる二機のAC。二人はそのまま、ブースト全開で基地に向かって突撃する。
 岩山から顔をのぞかせた固定砲台が、ヴィーダー目がけて一斉掃射。ツヴァイトはペダルを踏み込み、ヴィーダーにランダム回避運動を取らせながら、全ての攻撃を一手に引き付ける。
 装甲をかすめる徹甲弾も、ヴィーダーの複合三重スペースド装甲は貫けない。
 その隙に、ヴィーダーの後ろからとびだした蛍光ピンクのコーラルスターが、正確無比な射撃で、全ての砲台をかたっぱしから撃ち抜いていく。まさに一射一殺。強化人間の目があればこその芸当だ。
 ツヴァイトは思わず口笛を吹いた。わずか十数秒で砲撃がほとんど止んでしまった。恐るべき技量である。
「やるねえ」
『まーね、まかして!』
 陽気なもんである。昨日の夜はあれだけ落ち込んでいたというのに。まあ、元気がいいのは良いことだ。ツヴァイトは思わずにやにやしながら、ペダルを思いっきり踏み込んだ。
 ヴィーダーの巨体がブースターの推力に押し上げられて、夜の森の上を舞う。東雲の砲撃でぶちやぶられた秘密ゲートに躍り込み、そこでちょうど砲撃を始めようと準備していたナースホルンを、プラズマトーチで両断する。
 まだぎちぎち動いているナースホルンの四本足に、とどめの一撃を食らわせてから、ゲートの奥の様子をうかがう。ヴィーダーの双眼カメラアイが精密なサーチ画像を捉える。
 予想通り、もう敵の姿も動く砲台の姿も見えない。東雲部隊への迎撃で、ここの戦力は手一杯なのだ。
『中はどう?』
 通信を送りながらスミカのコーラルスターが身軽に飛び込んでくる。ゲートの中の灯りに照らされ、蛍光ピンクの装甲が目にいたいほど照り輝く。
「いけそうだ」
 ツヴァイトはゲートの外の空に向かって、パルスライフルのリング曳光弾を撃ち出した。きらきらとまぶしいプラズマ弾が、夜の空に昇っていく。
「こちらレイヴン、侵入ルートを確保した。野分隊の突入求む」
『こちら野分隊、了解した!』
 と、言ったがはやいか、一機のMTがツヴァイトの目の前に飛び込んでくる。
 赤黒く塗装された四脚型MT、「野分」である。大きなボールから四本の脚が生えた、タコみたいな形をした強襲用の機体。ボールはコックピット兼砲台。四本の足にはローラーがついていて滑るように高速移動する。おまけにコックピットボール下部のスラスターで、三次元移動もできるという優れものである。
 動きが速くて、小さくて、上下に強い。まさに要塞攻略のために作られたかのような、ムラクモご自慢のMTだ。
 しかし、勇んでゲートに飛び込んできたのは一機だけか。ツヴァイトが不思議な顔をしていると、
『よくやったレイヴン! あとはこのムラクモミレニアム極西方面軍薬師大隊所属野分隊隊長ミラージュとゆかいななかまたちに任せておきたまえ!!』
「……あ?」
 目の前の野分から、男の声で通信が入る。
『さあいくぞっ! 総員! とォつげきィ――――ッ!!』
 その瞬間。
 いきなりゲートの外から、十数機の野分が次々飛び込んできた。なんだかあっちこっちで激突しまくっているが、気にも留めない豪快さで、こんがらがりながら基地の奥へと突っ込んでいく。
『ふざけんなてめーミラージュ!』
『誰が隊長だ勝手なこと言ってんなコラァー!』
『さあまずは第一区画から制圧するのだ! 行くぞカンバービッチ君!』
『第一区画はそっちじゃありませんミラージュさん』
 なんだかがやがややりながら、野分隊の姿は見えなくなった。
 急に静かになった場の空気に、ツヴァイトはぽりぽりと頭を掻いて、
「……なんだ? あの騒々しいのは?」
『よくわかんないけど、補給部隊が追加弾倉持ってきてるし、弾切れの心配はないわね』
「は?」
『それよりツヴァイト、わたしたちも行きましょ。はやく施設を制圧しないと、連中があれを動かすかもしれないわ』
 あれ、というのは、無論ウェンズディ機関が開発を進めているという新型兵器ファンタズマのことである。それがどんな兵器なのかは誰も知らないが、もしそれが出てきたら厄介な相手になることは間違いない。
『目標は、最深部のメインコンピュータ。こいつさえ押さえてしまえば、ファンタズマの起動もできないはずよ』
 もちろん、こちらがそれを狙うことは、敵だって百も承知だろう。となれば。
 出てくる。奴が。
「了解」
 ツヴァイトは大きく深呼吸をすると、気合いを入れてペダルを踏み込んだ。

「第一区画甲乙層制圧されました! 敵野分隊丙層に侵入します!」
 オペレーターの悲鳴が作戦司令室に響き渡る。ウェンズディ機関幹部達は、つぎつぎに赤いマーカーで塗りつぶされていく館内地図を睨み付けながら、額に浮かぶ冷や汗を必死にぬぐい取っていた。
「丙層第一から第七までの隔壁を閉鎖だ」
「だめです……間に合いません! 内部からシステムに侵入、ゲートの制御を乗っ取られました」
 小さく幹部は舌を打ち、
「第一区画は捨てて第三区画に退避! 隔壁を閉じて立てこもれ」
「了解っ……」
 その命令を下したとたん、第一区画の隅でなんとか白い色を保っていた層が、一瞬にして赤に塗り込められた。白い三角印のコマが第三区画へ雪崩れ込み、その背後に隔壁の閉鎖を示すバツ印が灯る。
 ようやく、赤い光の電撃的な侵攻は止まった。
 その場の誰もがほっと息を吐いた。司令室中の空気が、一気に緩んでいく。
「……速すぎると思わないか?」
 右隣でじっと戦況を見つめていた別の幹部が、ひそひそと耳打ちする。それに左隣の幹部も反応して、
「非常に由々しき問題だ。これほど素早く第一区画の制御を乗っ取るなど、外部の人間の仕業とは思えない」
「内通者がいる……か」
 だが、どうする?
 せめて戦闘が始まる前に気付いていれば、内通者狩りもできただろう。しかしこの状態でそんなことをすれば、かえってこちら側の混乱を増すだけだ。とはいえ、放置しておけば間違いなく戦術上の癌になる。
 どうする?
 迷う幹部の耳に、再びオペレーターから悲鳴が届く。
「あ……第三区画甲層の第一隔壁に異常発生!」
「どうした?」
「これは……熱量兵器で隔壁を切り開こうとしています」
「馬鹿な。あの隔壁を破るトーチが野分に装備されているなど、聞いておらんぞ」
「映像、モニタに回します」
 次の瞬間、幹部の目の前に表示されたのは、左腕に内蔵されたプラズマトーチで、隔壁をぶちやぶりにかかっている二機のAC。一機はこのあいだスミカを連れ出したあのACで、もう一機は見慣れない蛍光ピンクのACである。
 幹部は拳を握りしめた。AC用の装備には、近距離の格闘戦などという非常識な目的の為の、通常では考えられないほど大出力のプラズマトーチが存在する。あれにかかっては、隔壁など破られるのも時間の問題である。
「くそいまいましいレイヴンどもめっ!」
「ど……どうしますか?」
「奴らの侵入経路にある隔壁を全て閉じろ! 時間稼ぎにはなるっ」
「はいっ」
「それから、ありったけの地雷を施設内部に敷設。基地の被害など気にするなと伝えろ。あとは……そうだ、奴は、スティンガーはどうしている?」
「現在、ガレージにて待機中」
「馬鹿な! なぜ待機などしているんだ肝心な時に! すぐに出撃させろ!」
「しかし、ヴィクセンはまだ修理中で……」
「かまわん、とにかくACに乗せて出せ! あれが起動するまでの足止めになればそれでいい!」
 いきり立った幹部の拳がモニタを叩いた。
 と、その時だった。幹部達の背後で、空気圧の漏れる音を響かせながら、扉が開いた。
 幹部は振り返り、流れるように扉から入ってきた白衣姿の女性達を一瞥すると、それっきり興味を失ったかのようにモニタに向き直る。 
「技術局が何の用だ? おまえたちは、黙ってあれの起動をしていればいい」
「き、貴様っ!?」
 突然左隣の幹部が腰を浮かせた。
 中央の幹部が、事態に気付くよりも先に。
 銃声。

 どずん。
 と、音を立てて、隔壁の残骸が向こう側に倒れる。ツヴァイトは操縦桿から手を放し、額に浮かんだ汗をぬぐった。
 ようやくこれで、全部の隔壁を排除完了である。この短い通路に、6枚も7枚も隔壁を立てるのだからいやらしい。いちいち一つずつトーチでぶちやぶるこっちの身にもなってもらいたい。まるで嫌がらせである。いや、嫌がらせなのだが。
 ともかく、これで一行の行く手をはばむものはないはずだ。このまま中枢の第三区画を占拠してしまえばこっちのものである。
『よし、ご苦労レイヴン! あとは再び我々に任せたまえ!』
「……へえへえ」
 後ろで道があくのをいまかいまかと待っていた野分隊が、これまた楽しそうに、切り裂かれた隔壁の向こうへ滑り込んでいく。先陣を切った一機が、通路の向こうの角を曲がり、
『さあいくぞ! 総員とつげ』
 どかーん。
『のわ――――!』
 ……赤い爆風に吹き飛ばされて、ごろごろ転がりながら戻ってくる。
『なんだなんだ?』
『おい、これ見ろっ! 奴ら基地の中に地雷しかけてやがる!』
 恐る恐る様子を見に行った別の野分が悲鳴をあげた。
「地雷だぁ?」
『いーかげん見境なくなってるわね……』
 呆れた声を出すばかりのツヴァイトとスミカを尻目に、野分隊は地雷をサーチしながら突撃していく。後に残ったのは、最初に吹き飛ばされた不幸なやつと、それに付き添ってる一機のみである。
『ミラージュさーん、大丈夫ですかー』
『ううっ……カンバービッチ君……私が死んだら、サボテンの花に水をやっておいてくれ……』
『はいはい、サボテンですね』
『し、死ぬまでに……一回くらいモテて……みたかっ……ぐふっ!』
『さようならミラージュさん。あなたのことは忘れませんついでに冷蔵庫に入ってたお酒も頂きます』
『ああっ! いかん! あれはダメだよカンバービッチ君!』
『……やっぱり生きてるんじゃないですか』
 動ける方の野分が、地雷を喰らったほうの野分に腕を一本ひっかけて、ずりずり出口の方へと引きずっていく。
『ねーカンバービッチ君、替えの機体持ってきてないのかね』
『あるわきゃないでしょう。さー、怪我人はおとなしく撤退しますよー』
 その背中を見送りながら、ヴィーダーとコーラルスターはカメラアイを見合わせた。

 来る。
 スティンガーは操縦桿を握りしめる。
 その手には汗一つ滲まない。不思議な安心感。確信がある。
 敵がもうすぐやってくるという確信。
 ジェネレーターの心地よい唸りに耳を済まし、意識を内へと拡大する。縮小ではない。内側向きに広がるのである。それは自分という刃を研ぎ澄ますということ。削ることによって鋭さを増す。そうしておいてから、風の素早さで即座に繰り出す。
 スティンガーはそうやって、今まで幾多の敵を突き刺してきた。
 一刺しでどんな敵をも殺す、ちっぽけな毒針だ。
 来る。
 スティンガーはもう一度確信し、
 刺した。

『れっ、レイヴン! 助け……』
 雑音。
 ツヴァイトは目を見開いた。通信機に入り込んできたのは、野分隊の一機からの悲鳴だ。彼の声はそれっきり、雑音の中に消えて聞こえなくなる。
「おいっ、どうした? おい!」
『電波のクラック方向、解析完了! こっちよ!』
 スミカのコーラルスターが通路のある方向を指し示す。コーラルスター……というか有明は、ムラクモ社のお家芸、電子戦に優れた機体である。通信電波がどっちから来たかなど、調べるのはお手の物だ。
 ヴィーダーがブースターを吹かし、コーラルスターの指す方へ走る。どこかで見覚えのある道筋。これは……
 あそこだ。
 ツヴァイトは舌を打った。
 このあいだスミカを助けるためにこの基地に侵入した時、奴が現れたあのターミナルへと通じる道筋である。
 嫌な予感がする。
 いくつかの曲がり角を抜け、ヴィーダーはその扉の前にたどり着いた。
 第三区画中央ターミナル、のペイント。
『ちょっとツヴァイト、ここって……』
 スミカも気付いたようだ。しかしツヴァイトは答えない。額に冷や汗を浮かべながら、ゲートのコントロールパネルに腕を伸ばす。開放をコマンド。
 ゆっくりとゲートが開き――
 その向こうから、奴が姿を現した。
 ターミナルの中央に佇む、緑色に塗装された、奇妙なフォルムのAC。右腕にレーザーライフルを、肩にロケット弾のポッドを装備し、左腕は空になっている。
 その空の左腕に握られているのは、無惨に引き裂かれた野分の残骸。
 奴だ。
『なにあれ……ヴィクセン?』
 平面を多用した対徹甲弾装甲。細長い手足。独特の鋭く尖ったコアパーツ。確かにそのACはヴィクセンに似ている。だが、アンテナのオミットされた頭部や、簡略化された肩の装甲などが、ヴィクセンとは違う。
「……ヴェノムか」
『ヴェノムって、量産型の?』
「ああ。性能は段違いだけどな」
 もちろん、低い方に、である。そもそもエリート用のカスタム機であるヴィクセンと、ヴェノムを比べる方が間違っている。
 そんなものをわざわざ持ち出してくるとは、ヴィクセンの修理が間に合わなかったということか。ツヴァイトは全周波の通信回線を開き、
「この基地はもう保たないぜ。平和的に降伏したらどうだい」
 あの時の奴の言葉をそのまま返してやる。
「スティンガーさんよ」
『断る』
 スティンガーの声。
 ヴェノムが、握っていた野分の残骸を投げ捨てた。きれいな放物線を描き、赤い機体が床に転がる。野分にぽっかりと空いた二つの大穴は、プラズマトーチの傷跡か。あれではパイロットは生きてはいないだろう。
 ちぇっ、とツヴァイトは舌打ちをする。
『負けられん……俺はもう負けられないというのに、お前らは』
 ヴェノムが、
『いつまで面倒をかける気だ!』
 走る!

 猛スピードで迫るヴェノムを、ヴィーダーとコーラルスターは左右に分かれて回避する。間一髪で空を裂くヴェノムの左腕。そこから射出された金属製の尖った杭。
 腕部内蔵のパイルバンカー。ムラクモのAC、「陽炎」が装備している武器だ。クロームの技術屋は、ムラクモの提唱する奇想天外な兵器群に、ずいぶんコンプレックスがあると見える。
 ヴェノムは別れた二機の位置を確認すらせず、そのまま強力な脚のバネを利かせて跳躍。空中で宙返りしながら真っ直ぐにコーラルスターのほうへ迫る。
『ちょっとおっ! こっち狙わないでよ!』
 スミカの悲鳴など、スティンガーは気にも留めない。二対一、ただでさえスティンガーにとって不利な状況。だからこそ、まず装甲の薄いコーラルスターを短期決戦で排除するつもりだ。
 スミカのコーラルスターが慌てて飛び退く。ヴェノムが頭上から放った二発目のパイルは、虚しく床に突き刺さる。落下したヴェノムはサスペンションを効かせながらコーラルスターの目前に着地。
 瞬間、まるで地面に貼り付けられたかのように動かなくなるヴェノム。
 着地した時の衝撃が、ヴェノムの装甲を小さく震わせる。ステイシス・エフェクト。ACのスペースド装甲は、一定周波数の衝撃に対して共鳴反応を起こし、著しくその機動を制限してしまう。
『てぇいっ!』
 その隙を狙ったコーラルスターの徹甲弾が、けたたましい音を立てながらヴェノムに迫り、
 突如バーニアを噴かしたヴェノムが、紙一重でそれを回避する。そして右腕のレーザーライフルの銃口をコーラルスターに向け、引き金を引きかけた所を、ヴィーダーから飛んできた援護射撃に阻まれ、やむなく後退。
『スミカっ! オレの後ろに下がれ!』
『りょーかい!』
 ヴェノムに向かって前進するヴィーダー。逆に距離を取り、ヴィーダーの後ろに隠れるコーラルスター。
 ヴィーダーならば、ヴェノムの火力にも真っ正面から耐えられる。ちょこまか動けるコーラルスターを援護に回し、ヴィーダーとヴェノムの対決に持っていくのが、ツヴァイト達には最善の戦術だ。
 しかしスティンガーも、そんなことは百も承知。ヴェノムがバーニアを噴かし、火花を散らしながらクロムの床を滑走する。目指すはスミカのコーラルスター。行く手を阻むヴィーダーという壁。
 スティンガーが、低く猛々しく叫ぶ。
『退け!』
『言われて退くかっ!』
『ならば押し通る!』
 真っ正面からヴィーダーに突っ込む。加速は最大。
 対するヴィーダーは左腕を掲げ、内蔵プラズマトーチから高出力のプラズマビームを放出。ヴェノムのコアを目がけて一気に振り下ろす。
 ヴェノムはパイルバンカー内蔵の左腕を突きだし……
 次の瞬間、ヴィーダーの目前で跳躍した。
『なっ……』
 ツヴァイトの驚きの声が響く。
 ヴェノムは、ヴィーダーの肩に手を突いて、その頭上を宙返りしながら飛び越した。
 その行く先には――蛍光ピンクの装甲、コーラルスター!
『うっそぉっ!?』
『逃げろスミカッ!』
 慌ててバーニアを噴かすコーラルスター。しかし加速が間に合わない。
 ヴェノムの左腕が、がっちりとコーラルスターの頭部を掴み取る。
『一つ目だ!』
 どん。
 ヴェノムの左腕から放たれたパイルが、コーラルスターの頭部に深々と突き刺さった。
 ピンク色の装甲を煌めかせながら、コーラルスターが膝を突き、轟音を立てて床に倒れ伏す。
 頭部コンピュータによる制御を失ったACは、予備のコンピュータを他に用意していない限り、もはや動くことはない。
 コックピットの中で、スティンガーは荒い息を吐いている。
 ようやくこれで戦況は五分。スティンガーはそう考えている。
 負けられない。絶対に負けられない。スティンガーはそうも思っている。
 少女はそれを感じていた。
 風のように舞うスカートに身を包んだ少女は、淡く光る亡霊のような姿を晒し、烈しい戦闘をじっと見つめていた。
 一言も発せず、視線を動かしもせず、淡々と、ただじっと――
 スティンガーを見つめていた。

「いた……た……」
 コーラルスターが倒れた時にお尻を打った。シートベルトをしていなかったら頭も打って気絶していたところだろう。おまけに、コックピットが完全に横倒しになってるし。さかさまにひっくり返らなかっただけマシと言う所だろうか。
 頭部コンピュータは完全におしゃか。替えのパーツはストックにあるが、当面は動けそうにない。
 いちおう、通信機器とコア内蔵のサブカメラは生きているようである。横に寝っ転がってる形なので、身動きするたびに髪の毛が鼻先をちらついて鬱陶しい。苦労しながらサブカメラの映像をメインモニタに回す。
 映し出されたのは、静かに対峙するヴェノムとヴィーダー。
 ちっくしょう。スミカは歯がみした。為す術もなくやられた。これじゃただの足手まといだ。
「なんなのよ、一体」
 悔し紛れに通信を送ってみる。
「性能はだんちなんじゃなかったの!? 普通じゃないわよ、あの機動!」

 言われてツヴァイトはぽりぽり頭を掻いた。
 カタログスペック上では、ヴィクセンよりはるかに劣るはずの機体なのだ。怒られたって困る。
 だが、ヴィクセンに乗っていた時より、スティンガーの動きが良いように見えるのも確かだ。スミカの腕前は間違いなく一級品である。ツヴァイト自身も、腕に自信のないほうではない。それをあっさり出し抜いて、ムラクモの虎の子、有明の機動を一発で捉えるなど……
 考えられる仮説は、いちおうあるにはある。
「ヴィクセンってやつは、高級機だ。確かに機能的には優れてるが、そのぶんジェネレーターとか駆動系には余計な負担がかかってる。腕のいいパイロットであればあるほど、そういうことを気に掛けて、思いっきり機体を動かせないってことはある」
 と、説明している間もヴェノムからは目が離せない。瞬き一つしただけで、自分の間合いまで踏み込んできそうな、一触即発の気配がある。
「ヴェノムの方がそのへんに余裕がある分、動かしやすいってことじゃねえのかな」
『じゃあなに、安物だから遠慮せず使い捨てられるってわけ?』
「……まあ、そーゆー言い方もできるけど……」
『なにそれ。ただの貧乏性じゃない』
 ……緊張感のない女である。
 溜息吐いて、再びツヴァイトはヴェノムを睨み付ける。
 さて、どうするか。
 奴の動き……つまり、機動の大胆さや反応速度が、前より増しているのは確かである。だが、その代わりに奴が失ったものといえば……
 こんな具合で行くか。
 ツヴァイトは覚悟を決めてペダルを踏み込む。ヴィーダーがそれに答えて急速前進。均衡が破られたのをバーニアの最初の一噴きで見抜き、ヴェノムはレーザーライフルを乱射しながら、ヴィーダーを囲む円周機動で間合いを一定に保とうとする。
 やはり。奴は恐れている。
 レーザーライフルの曳光弾が、ヴィーダーの分厚い装甲を叩く。だがその程度でびくつくヴィーダーではない。お返しにパルスライフルをくれてやり、ヴェノムが回避に専念しはじめた所へ、ロックオンしておいた肩のミサイルを叩き込む。
 白い糸を引いて迫る六発のミサイルを、ヴェノムは急速切り返しで回避、逸らしきれなかった数発を、さらに跳躍でかわしきる。その一瞬、ミサイルの白煙がヴェノムの視界を閉ざし――
 次の瞬間、白煙を裂いてヴィーダーがヴェノムに迫る。
 慌てて後退するヴェノム。しかし、軽量級のはずのヴェノムがヴィーダーを引き離せない。
「やっぱりな」
 いかに操縦技術が以前より優れているとはいえ、ヴェノムとヴィクセンには覆らない性能差がある。加速と最高速の違いだけは、操縦技術ではどうにもならないのだ。
 つまり――
 ヴェノムには、完全に加速しきるまでの数秒間、重量級であるヴィーダーからさえも逃げ切れない時間が存在するのである。
「この距離からならっ」
 ロックオンはすでに完了している。
 トリガー。
 ヴィーダーの肩から六発のミサイルが再び放たれる。至近距離からの誘導弾。ヴェノムは横っ飛びに回避運動を取るが、間に合わず一発が右腕のレーザーライフルを直撃する。
 ライフルが誘爆。ヴェノムは体勢を崩して地面に落ちる。再び発生するステイシス・エフェクトに、ヴェノムの巨体が動きを止める。
 ――行ける!
 そこを狙ってヴィーダーが走り、左腕のプラズマトーチを叩き込む。
「腕一本いただきだッ!」
 ヴェノムの装甲に食い込む光。プラズマの嵐は細長い右腕を、その根本から切り落とした。
 勝機が見えた。その瞬間、ツヴァイトの意識が弛緩する。油断が心に忍び込む。これなら勝てると、ツヴァイトが確信したそのとき。
 ヴェノムの肩で、じっと息を潜めていたロケット弾のポッドが、突如として火を噴いた。
「うわっ」
 衝撃がヴィーダーのコックピットを襲う。ツヴァイトは反射的にヴィーダーを後退させ、距離を取ってから損害の様子を確認する。それほど強力なロケット弾ではなかったか、あるいは当たり所がよかったのか、ほとんど傷ついた様子はない。
 ほっと一息。そして再び、メインモニタに映る、無惨な姿のヴェノムを――
 と。
 突然、モニタの画像に激しいノイズが走った。
「……あ?」
 システムエラー。エラー。エラー。灯るレッドランプ。画像はついたり消えたり歪んだりを繰り返し、通信機は雑音を吐き出し続ける。FCSのロックオン表示もいつの間にか消え失せている。
「あら? あらら? らら?」
『……の性能の劣る機体で、易々と勝てるとは、思っていないさ』
 ようやく通信機が正常な音を出し始めた。これは。これはまさか。
『ならば肉を切らせて骨を断つまでだ。面倒だが、な』
 ECMロケットか!
 見れば、さっきのロケット弾の着弾点あたりに、小さな異物が付着しているという警報が出ている。おそらくこれが強力なECMユニットだ。電磁波でACの制御コンピュータを乱し、特に火器のロックオンに深刻な影響を及ぼす電子兵器。
 ロックオンなしで、あのスピードの機体を捉えることなど不可能に近い。
 敵の弱点を掴んだつもりだったが、逆にしてやられたということか。全てスティンガーの策略だったのだ。ヴェノムの長所と短所をこちらが掴むことも。それを逆利用して、急接近からの近接戦闘を仕掛けることも。
 そして、波に乗った一瞬、ツヴァイトが気を緩めることも、だ。
 一発でもはずせば、こちらはECMを恐れて二度とその射程に近付かない。最初の一発を確実に当てるために、捨て身で打ったスティンガーの策略。
 どんな猛獣も死に至らしめる、毒針の一刺し。
 こいつっ……
 ツヴァイトの歯が軋む。
「まずいぜ……」

ARMORED CORE PROJECT PHANTASMA
MISSION#03 "Stinger"


 きゅいぃイイイイん。
 不気味な駆動音。
 アイザック直上旧市街地のジリエラ・ビルを、まるで亡霊のような「陽炎」が舞う。
 オレはヴィーダーのペダルをキックしながら、モニタの中を縦横無尽に飛び回る、陽炎の機影を必死に追った。無茶苦茶な機動だった。あんな動かし方をしていては、機体の駆動系が保ちはしない。それ以前にパイロットがGに耐えられないはずだ。
 そのはずなのに。
 ――レオス兄さん。
 クロードの声が脳裏に蘇る。
 ――僕は一人で行くよ。
 何故だ?
 オレのしたことが間違いだったというのか?
 オレはただ、クロードに強くなって欲しかった。このシビアな世界の中で、たった一人でも生きていけるように、オレがいなくても生きていけるように、ただ強くなって欲しかった。
 ――確かに僕は、兄さんより弱い。
 そのために、クロードを鍛えるために、わざと辛くあたったこともあった。
 でも、
 ――でも、
 オレはお前が嫌いだったわけじゃないんだ。
 ――兄さんが思っているほどには弱くないんだ。
 クロードの、狂ったクロードの駆る陽炎が、パイルバンカーを振り回しながら近付いてくる。
「クロードッ!」
 きゅいぃイイイイん。

 きゅいぃイイイイん。
 もう二機とも限界だった。
 対峙するヴィーダーとヴェノムは、全身の到る所から焦げくさい臭いを放ちながら、なんとか倒れないように機体のバランスを維持していた。駆動音ももはや正常ではない。さっきから、時折妙に甲高い音が混じり始めている。
 腕を一本失い、機体バランスを制御するので手一杯のヴェノム。
 ECMユニットに電子機器を乱され、まともに操縦できないヴィーダー。
 この二機の戦闘の行き着く先は、血みどろの肉弾戦だった。互いに銃撃はあたらない。自然と間合いは縮まっていき、パイルバンカーとプラズマトーチによる攻防が繰り広げられる。
 ヴェノムのパイルが、ヴィーダーの肩口に食い込み、ヴィーダーのプラズマが、ヴェノムのコアに半ばまで食い込む。そのたび、余計に機動が鈍っていき――
 そして、このざまだ。
 ツヴァイトは荒く息を吐き、死を目の前にした緊張で高鳴る鼓動を押さえつけた。
「……っ、は、はあっ、なあ、大将、よ」
『なんっ……だ……』
「っ……ふー。これ以上は、不毛だ。引き分けって、事に、しとかねえか」
『はーっ……馬鹿なことを、言うな』
「あんたのその機体じゃあ、オレをなんとかしても、その後が続かないだろ? 動けるうちに逃げとかないと、組織に肩入れして命まで落とすことになるぜ」
『俺は逃げない』
 ヴェノムが膝を曲げ、身を低く縮めた。もう一度来るか。ツヴァイトも操縦桿に手を掛け、膝を縮めて敵の動きに備える。
『俺は勝たねばならないんだ!』
 ――「負けられない」じゃなかったのか?
 ツヴァイトが微かな違和感を感じたその時。
『両者動くな!』
 朗々とした女の声が響き渡る。
 瞬間、ツヴァイトは目を見張った。ターミナルのゲートというゲートが開き、次々に無数のMTたちが雪崩れ込んでくる。MT部隊はヴェノムとヴィーダー、そして倒れたままのコーラルスターを取り囲み、いくつあるのかもわからない銃口を、一斉にこちらに向けた。
 その数およそ20機。しかも、さらに次々と戦力が追加されている。
 野分隊。そして、後衛に回っていた東雲隊である。後衛までもがここに来たと言うことは……
『我々はムラクモ・ミレニアム査問委員会旗下懲罰部隊です。当施設は我々が完全に占拠しました』
 と、いうことだ。
 これで助かった。さすがにこの戦力を前にしては、スティンガーも銃を降ろさざるを得まい。無駄な戦闘で命を危険にさらすなんてのは、とても賢いやりかたとは言えないのだ。
 ……と。
 ツヴァイトの脳が、違和感を理解に変換した。
 ムラクモ・ミレニアム……査問委員会旗下『懲罰部隊』!?
『エリィ! ちょっとー助けに来るのが遅いじゃない!』
 スミカがいきなり声をかける。もちろん、『懲罰部隊』を仕切っているらしき、女性の声に対してである。ツヴァイトはエリィなどという名前は知らない。というより、さっきの部隊に女性なんていただろうか?
『エリィだと!?』
 スティンガーまでもが叫ぶ。こっちも知り合いだったのか。
『貴様っ! どういうつもりだ!』
『こういうつもりです』
 野分隊が、素早い動きで滑るように近付いてきて、ACを取り囲み、間近から銃口を突きつける。
 ヴェノムと、そしてヴィーダーとコーラルスターにも。
『な……』
 スミカが戸惑いの声をあげる。ツヴァイトは顔をしかめて舌を打つ。
『どういうことよっ! これは!』
 懲罰部隊。
 ムラクモミレニアム内部の不正や汚職を裁く査問委員会。そこが抱えている、ムラクモ最強にして最悪の部隊である。
『この組織と施設、そしてこの作戦に関する情報は、我が社の最高機密に属します。ですので――』
 奴らが出てくるということは、この組織がムラクモの身内だったということだ。そして裏切った身内を消す時、内部のごたごたを外に見せないため、懲罰部隊が取る方法は――
『機密漏洩回避のため、あなたがた全員を拘束します』
 くそっ。
 ツヴァイトはコンソールをぶっ叩くと、そのままシートに体を投げ出した。

 がっちょん。
 呆然と立ち尽くすスミカの前で、クロム貼りの重たいドアが、問答無用に閉められた。
 ここは地下の収容施設。もとは研究の実験台を入れておくために使われていた場所だ。他にいい場所もないというので、懲罰部隊はここを捕虜収容所として流用することにしたらしい。
 もちろん捕虜というのは、スミカとツヴァイトとついでにスティンガーのことである。
 電子キーを熱心に閉じている兵の横で、にやにや笑っているのは赤毛の女性。目を見張るほどの美人だが、人の不幸を心底楽しそうに笑っているその顔がなんともぶんなぐってやりたい風情である。
 スミカやスティンガーから、エリィと呼ばれていたあの女性だ。
「やーはははごーめんなさいねぇー」
 エリィはてんで謝ってるように聞こえない声で謝った。
 その声に火がついたか、スミカが牢の鉄格子にすがりつき、鬼のような剣幕でエリィに食ってかかる。
「あんたねー! わたしの気持ちをうらぎったなー! 父さんと同じにうらぎったんだー!」
「父さん?」
 スミカのよく分からない叫びに首を傾げているツヴァイト。エリィはそのツヴァイトに、今度はほんとうに申し訳なさそうに微笑んで、
「ごめんなさいね、ツヴァイトさん。巻き込んじゃって。わたし、ムラクモの研究者で、スパイなんです」
 ちぇっ、という舌打ちが聞こえる。ツヴァイトが見やると、奥で面倒くさそうに座り込んでいたスティンガーが、ぷいと顔を背けていた。
「実は、ウェンズディ機関のスポンサーはムラクモだったんです。でも勝手にクロームと業務提携してあれこれ怪しいことやってたんで、裏切り者は潰しちゃおうということになって……監査役に派遣されたのがわたし。スミカが逃げる手伝いしたのもわたしだし、古城でスミカに危険を知らせたのもわたし。ついでにいえば、今日の攻撃で、内部からハッキングを仕掛けたのも幹部を暗殺したのもわたしってわけで」
「そいつは」
 ツヴァイトは、一つしかないパイプベッドにごろりと横になった。
「おつとめご苦労さんだな」
「どーも」
 エリィは憎たらしいくらいにきれいに微笑んで見せた。
 ぴぴ、とドアで音がする。兵がロックを終えたようである。エリィはこくりと頷くと、スティンガーにふと目を留めた。
「あ、そうだ。スティンガー」
 スティンガーはぴくりとも動かない。
「わたし、仕事とか抜きで……あなたのことは、ちょっと好きでしたよ」
 そう言われて喜ぶスティンガーでもない。じっと床に視線を落としたまま、膝を抱え、部屋の一番隅でうずくまっているばかりだった。むしろ余計に背中を丸めたようにさえ見える。
 エリィは苦笑しながら肩をすくめた。ふー、と溜息を吐くと、どんよりしたムードの牢の中に向かって、あかるくたのしくぱたぱた手を振り、
「じゃあまあ、そーゆーことで! グッバイ再見サヨナラアディオスアデュー」
「おにょれー! こらまてー! うらぎりものー! ひとでなしー! メガネー!」
 スミカがどんなに罵声を浴びせても、エリィの背中は止まらない。こつこつと心地の良いリズムを刻む靴音は、次第に遠ざかっていって、とうとう聞こえなくなった。
 静寂の訪れた牢屋の中に、残された気まずい空気の三人組。ツヴァイトはできるだけほかの二人と顔を合わせないように気を付けながら、ごろりとベッドで寝返りを打った。
 ――がんばってくださいね、か。
 一体何をがんばらせるつもりだろうか。
 ごとん。
 考え事をしていたツヴァイトは、不意打ちをくらってベッドから引っ張り降ろされた。もちろん引きずり落としたのは涙目のスミカである。
「ってえー! いきなり何しやがるんだ!」
「やっかましい! 男が二人! 女が一人! そしてベッドは一つだけ! つまり男は床で寝ろっていうこと! これ世間の常識!!」
「あーそうですかほーそうですか」
「ああっ、もう、やだー。わたしなんっっにも悪いことしてないのになんでこんな目に遭うのよぉー!」
「あの、もしもし?」
 ツヴァイトはいましがたスミカにつけられたたんこぶをさすりながら、低い声で呟いた。
 ふと、スミカが牢の中をぐるりと見回した。殺風景な灰色の壁や床、一面は鉄格子になっていて、その隅にしゃがまなければ通れないサイズのドアが貼り付いている。天井には裸の蛍光灯。あとはパイプベッドが一つに、いちおうのついたてに隠された便器が一つ、そしてトイレットペーパーがあるだけで……
「あ」
 スミカが小さく声をあげた。
「なんだよ」
「ねー……トイレ、あれ使えってことだよね」
「そーだな」
 ……。
 永劫続くかと思われた沈黙の後で、
「見るなよ!? 見たら殺すからね!? 絶対死ぬからね!?」
 唾飛ばしながらスミカは叫んだ。

 スティンガーが面倒くさそうに舌を打ったのは言うまでもない。

「隊長!」
 ムラクモ懲罰部隊の大隊長は、部下に呼ばれてちらりと視線を向けた。
 透明ポリマー製の窓の向こうでは、真紅の装甲板に包まれた、不気味な機体が起動作業を進められている。あれこれ忙しく動き回っている白衣の男達は、ムラクモからウェンズディ機関に送り込まれていたスパイたち。わざわざ技術者ばかりをスパイに選んだのも、この日のために、ファンタズマに関する知識を吸収させるためだ。
 この作戦を成功させれば、大隊長は勲章ものの功績を刻むことになる。そう思えば、目の前で安らかに眠りにつく真紅の機体が、愛おしくさえ見えてくる。
「どうした」
「クロームの部隊が動き出したと、アンバークラウンの観測所から連絡がありました。敵戦力は一個連隊クラス、機動兵器の総数は百機弱と推測されます」
「そうか……」
 自分たちが派手に動いたせいもある。クロームもさすがに、ウェンズディ機関とムラクモとのごたごたを嗅ぎつけたというわけだ。
 そもそもが間男的な業務提携を横から差し込んできたクロームである。その意図は知れている。ファンタズマ計画を自社に吸収することだ。ならば、ムラクモの手に完全に渡る前に、力ずくでもファンタズマを奪おうとすることは必至。
 この攻撃行動も予測の範疇だ。
「どうしますか」
「ファンタズマ関係の技術者以外は哨戒第二配備。恐らく敵部隊とは睨み合いになるだろう。そのまま時間を稼げ」
「わかりました」
 こちらには、いざというときのための戦術核が用意されている。無論、いざというときというのは、ファンタズマが制御不能に陥った時のことである。
 向こうも同じ事を考えて、戦術核か、それに相当する大火力を用意しているはずだ。下手に戦闘を仕掛ければ、互いに全滅という事態にもなりかねない。大戦力で牽制だけはしておいて、あとはこちらの出方を待つに違いない。
 甘い考えだ。連中は、こちらの技術者がファンタズマの扱いを知り尽くしているなど想像もつくまい。
 一瞬だ。ファンタズマさえ起動してしまえば、一瞬で全てが終わる。
 大隊長は、窓越しの真紅を――ファンタズマを見据え、にやりとほくそ笑んだ。

 これは、なんだろうか。
 ひどく断片的だ。
 雨の中、あいつは一人うずくまっていた。電灯の影で、激しい雨に打たれることに気付いてもいないかのように、ただじっとうつむいて、うずくまっていた。白い電灯の光にあいつの体が照らされて、まるであいつ自身が淡く輝いているかのようだった。
 あいつは、くしゃみをした。
 俺はあいつに傘を差しだした。
 最初はただの気まぐれだったんだ。
 あいつは俺の家に住み着いた。自称八歳の子供が、よく働いた。掃除も洗濯も、別に言いつけたわけでもないのに、勝手にやってしまっていた。俺は自分の周りにあるいくつかの面倒を、あいつに任せられることに甘えて、あいつをうちに置いておくことにした。
 これが俺とあいつを結ぶ偶然と必然の連結点だった。
 二年ほどして背が伸びると、あいつは調理台の前に立てるようになった。俺の食事は店売りの出来合品から子供の手料理に代わった。
 今度は必然が必然を結んだ。
 さらに二年が経つと、あいつは自分が学校に行っていないことにコンプレックスを抱き始めた。あいつは勉強がしたいと言い出した。だが市民登録番号を持たないあいつは学校には行けない。俺は暇を見て、あいつに数学を教えた。それ以外は、週に一回、塾に通わせてやることにした。
 必然の連鎖は止まらない。
 また二年が過ぎ、あいつは少しずつ女らしくなってきた。それまで見せたことのないはにかみを、俺に見せるようになった。俺は、面倒だと思いながらも、あいつに時折微笑むようになっていた。この俺が笑っているのだ。
 必然は俺をすっかり変えてしまった。必然こうなるなら、俺はもともとこういう人間だったということだろうか? 時間というのは流れるものではなくあるものだから。時間は縦横高さに続く四本目の長さなのだと、大破壊以前の科学者も言っていたから。
 そして最後の二年が過ぎた。
 あいつはある日、俺に抱きついた。そして震える声で、俺のことが好きだと言った。抱いて欲しいと言った。
 俺はなにもわからなかった。なにもわからないことに任せて、どれほどあいつを、そのまま押し倒してやろうと思ったか知れない。だが俺は踏みとどまった。壊してはならないと思った。紡いできた必然の糸を、こんなところで壊してはならないと思った。なによりも俺はあいつを大切に思っていた。
 だから、俺は答えた。
「馬鹿を言うな。お前は子供だ」
 まだ子供だ、と言いたかったのだろうか。
 俺の子供だ、と言いたかったのだろうか。
 今の俺には、もうその意味がわからない。
 ただ、アヤが泣きながらうちを飛び出していったという事実が、記憶に残っているだけだ。
 そしてアヤは、もう二度と帰ってこなかった。

 そうだ。これは、記憶だ。

「ん……もぉ、だぁめぇ……にゃむるる」
 スミカがベッドの上で、色っぽい声を出している。寝言である。散々文句をたれながら暴れ回っていたかと思えば、つかれてころっと眠りにつく。大した度胸だ。横にいる人間にとってはうるさくて仕方がないが。
 ツヴァイトは便器に水を流すと、ズボンを引き上げながら、ぺたぺたと牢の中を歩き回った。白い蛍光灯は消え、薄暗い常夜灯のみに照らされる、殺風景な部屋の中。パイプベッドでシーツにくるまり、寝返りを打つスミカ。差し入れされた二枚の毛布のうち、一枚は鉄格子のそばにまるまっていて、もう一枚は壁際のスティンガーを包んでいる。
 スティンガーはあれから、ほとんど動こうとしなかった。もちろん一言も口を利かない。
 ただじっと、床を見つめて考え事に耽っているばかり。
 ツヴァイトはベルトを締め、自分の毛布を拾い上げると、スティンガーの隣にどっかりと腰を下ろした。壁に背を預けながら、臭い毛布に体を包む。
「よお」
 スティンガーに声を掛けてみる。だが、彼は答えない。
「悪いことしたな」
 その言葉に興味をもったのか、スティンガーがちらりとこちらに視線を向けた。あの突き刺すような鋭い光は、もはやない。どんよりと曇った瞳に、常夜灯のオレンジ色が浮かんでいるだけだ。
「なにか、事情があったんだろ。邪魔して悪かった」
「……くだらん」
 再びスティンガーは俯く。
「人は、各々の目的の為に、他者の目的を踏みつける。それは自然なことだ。なぜ謝罪する必要がある」
「そういう気持ちになるからさ」
「なら、お前は自分の感情を満たす為に、善良な風を見せて、お前を憎むという俺の感情のはけ口を潰すのか」
 こいつは難物だ。ツヴァイトはげぇと顔をしかめて、そっぽを向いて舌を出した。よくこういう人のあらを探すような考え方で生きていけるもんである。ツヴァイトなら息苦しくって三日ともつまい。
 ツヴァイトは大きく溜息を吐き、
「じゃあ謝らねえよ。その代わり事情を聞かせろ。場合によっちゃ、手伝わないでもないぜ?」
「この状況で貴様になにができる」
 確かに。ACもない。武器もない。それどころか牢屋の中に閉じ込められて、多分そのうち処刑される予定。でもそんな風な言い方ってないじゃないか。
「んなもん、やってみなきゃわからんだろうが!」
「ほう。何をやってみるんだ?」
「今考え中だ!」
 ツヴァイトがなかばやけくそ気味に断言すると――
 スティンガーが、笑った。
 小さく、喉の奥から漏れるような声を出して、くっくと笑った。ツヴァイトはなんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして目をそらす。楽しそうな笑い。しかし気が触れたかのような不気味な笑い。
 やがてスティンガーは口の端に笑みを浮かべたまま、小さく呟いた。
「女がいた」
 そして、天井を見上げる。整然と並んだ格子状の天井パネル。裸の蛍光灯が白くてまっすぐな姿を貼り付けている。常夜灯が夕暮れの太陽のように、今にも消え去りそうな揺らぎを見せながら、じっと耐えている。
「娘のようであり、妹のようであり、そして――」
 スティンガーは再び言葉に詰まり、俯いた。
「俺のせいであいつは死んだ。俺が殺したようなものだ。守ってやれなかった」
「……復讐とかそういうのか」
 横からツヴァイトが口を挟むと、スティンガーはまた無表情に戻り、じっとツヴァイトの目を見据えた。
「俺はアヤを生き返らせたい」
「生き返らせる?」
「アヤの脳は無事のまま、保存されている。ファンタズマ計画が完成すれば、その技術で死者を生き返らせることさえ可能になる。俺はウェンズディ機関専属のレイヴンとなり、その代わりファンタズマ計画が完成したら、真っ先にアヤを生き返らせる。そういう契約だった」
 ツヴァイトはスティンガーの真剣な視線に耐えきれず、きっぱりと顔を背けた。
 どう考えてもまともじゃない。ファンタズマ計画というのがどういうものだか知らないが、死んだ人間が生き返るなど、世迷い言もいいところだ。ツヴァイトは別に技術に詳しいわけではないが、とても信じられない。
 だが、こいつは信じている。
 スティンガーはそれだけを信じて、今まで戦ってきたのだ。
「さて……貴様に何ができるかな」
 スティンガーは嫌みったらしく言った。
 ちぇっとツヴァイトは舌を打ち、
「いぇめん……え?」
 スミカが寝言でなにか呟いた。
 と、その時だった。

 ぱちっ。
 小さな音を立て、部屋の全ての灯りが消え去った。
 大隊長は顔をしかめ、部屋をぐるりと見回す。コンピュータの類だけは、データ破損防止のための緊急電源が用意されているため、動いているようである。しかし通常電源を使っている照明その他の類は全滅だ。
 手持ちの通信機を取り上げ、大隊長は不機嫌な声で叫んだ。
「おいっ、なんだこれは」
『全館で停電が起こりました。原因は今調査中で……』
「調査は後でいい、とにかく復旧を急げ」
『はい』
 そして今度はチャンネルを切り替える。相手はファンタズマの起動作業に取りかかっている技術者である。
「今の停電でファンタズマに影響は?」
『いえ……特にありません。電気が戻れば作業を再開できます』
「復旧を急がせる。お前達は復旧まで待機だ」
『はい。それはそうと、A生体ユニットなんですが、ウェンズディ機関に保管されていたサンプルの一つを使いますが、よろしいですか』
「それを使うと何か問題があるのか?」
『誰の脳みそだかわかんないのは戸籍上の問題ですね。でもまあ、それで制御に問題が生じるわけじゃありませんから』
「ならどうでもいい。そんなことは自分で判断しろ!」

 灯りが消えた。
「……停電か?」
 隣でスティンガーが小さく呟く。確かに停電は停電だろう。だがこれは――
 がんばってくださいね、ってことだ。
 ツヴァイトはすっくと立ち上がり、真っ暗になった部屋の中をすり足で歩いた。慎重に手を伸ばし、格子に触れると、そのまま手探りで扉を探す。クロム貼りの冷たい扉をぺたぺたと手で撫でまわし、取っ手を探す。
「電子ロック式のドアってことは、だ……」
 取っ手に指を引っかけて、全体重を乗せて引っ張る。
 ずず、と低い音を立ててドアが少しだけずれた。思った通り。電磁石の引力でドアが動かないように固定しているのだから、電源さえ途絶えてしまえばただのドアである。
「よっしゃ!」
 これなら行ける。ツヴァイトはようやく暗闇に慣れてきた目を瞬かせて、腰を浮かせて呆然とこちらを見ているスティンガーににやりと笑ってやった。
「手伝え! 逃げるぞ!」
「……げるぞうー!」
 ごとん。
「んあ?」
 寝言と一緒に寝返り打ったスミカが、パイプベッドから転げ落ちて目を覚ました。

 はじまる。
 照明が消え、漆黒の闇に包まれた空間の中で、少女は一人立っていた。
 むかえにいかなきゃ。
 まるで呪文のようなそれは、果たして少女の意識だったのか。

 地下から一層上に昇った所で、やっと廊下の照明が灯る。白く照らし出された廊下に立ち、三人は――ツヴァイトとスミカとスティンガーは顔を見合わせた。ツヴァイトとスミカが頷きあって走り出す。スティンガーは無表情のままその後に続く。
「ねー、なんでいきなり停電なんかしたわけ?」
 スミカが寝起きの頭を捻っている。
「持つべきものは友達だよな、スミカさんよ」
「友達? って、エリィが?」
「いい友達じゃねえの」
 と。
 無言のまま走っていたスティンガーが、ふと足を止めた。
 それに気付いてツヴァイトとスミカも立ち止まる。
 スティンガーは、十字路の左手に目を留めて、ただじっと、信じられないようなものを見るかのように、目を見張っている。ツヴァイトが不思議がり、彼の視線の先を覗き込むと――
 少女。
 白く淡く輝く、かわいらしい少女が、じっとこちらを見つめている。
 ツヴァイトの脳裏に記憶が蘇った。あの時の少女だ。最初にスミカを助ける為、この基地に侵入した時……スティンガーと出会う直前に見かけた少女。その姿は、まるで……
 まるで亡霊――
「アヤ……」
 スティンガーが、ぽつりと呟いた。
「……あ?」
 その時だった。少女が突然踵を返し、どこかへ向かって走り始めた。紺色のスカートをひらひらとはためかせ、踊るように、滑るように、みるみる向こうへ遠ざかっていく。
「アヤッ!」
 そしてスティンガーは走り出す。
 一直線に。
 アヤの亡霊を追って。
「待てッ! おいスティンガー!」
 ツヴァイトの声ももう聞こえない。

 まず、脳の中身の電子的解析から始まる。
 脳は一種の電気回路だ。オンオフのスイッチと、それを繋ぐノード。そして短期メモリ。それらの構造とデータを電子的に解析することで、脳に封じられた人格、記憶、感情の一次コピーは完了する。
 しかし脳はそれだけで論じることができない。なぜなら、脳は電気的思考記憶デバイスであると同時に、化学的思考記憶デバイスでもあるのだ。化学的な物質の配置や繋がり、構造そのものにも、記憶や感情といった情報は依存する。
 だからそれも解析し、再現しなければならない。
 それを解析するための方法はいくつかあるが、この方法が手っ取り早い。
 端から慎重に、分子レベルにまで脳を分解。平らな面に隙間なく敷き詰め、トンネル走査で化学物質の構造一つ一つに到るまで調べ上げる。こうしてできた脳の構造マップを、ファンタズマの生体制御ユニットに移植するのである。
 電気がつくなり、技術者が行ったのはその作業だった。

 スティンガーは立ち止まった。
 息が切れていた。肩が大きく上下していた。心臓ははち切れんばかりだった。
 だがそんなことはどうでもよかった。
 真っ白で大きなその部屋に収められているのは、甲殻類を彷彿とさせる、真紅の曲面装甲に包まれた巨大な機動兵器。それの起動作業のために群がる、白衣姿の技術者たち。ここまでスティンガーを導いたアヤの姿は、いつの間にか消え失せていた。
「おい! スティンガー!」
 足音が聞こえる。あの二人が追いついてきたらしい。ツヴァイト。スミカ。
「何してる! さっさと逃げないと……」
「うるさい」
 スティンガーは振り返りもせずに言った。
「失せろ。俺に面倒をかけるな」
「なにを……!」
 後ろから肩を掴まれた。だがスティンガーはそれでも振り返ろうとはしなかった。力強いツヴァイトの腕を、さらに強い力で振り払った。
「逃げなきゃ死ぬぞ!」
 知ったことか。
「ちょっとツヴァイト! バレたみたいよ、足音が聞こえるわ!」
「くっ……」
「早く! そんなやつほっといて! 逃げないとわたしたちまで危ないわ!」
「くそッ!」
 そうだ。それでいい。
 うるさいのは未練がましく悪態を吐き捨て、別の出口から風のように駆け出していった。
 そもそも俺と一緒に逃げようなどというのが馬鹿げた考えなのだ。
 俺は俺だ。きさまらとは違う。
 そしてスティンガーは、ふらふらとそれに歩み寄り、呆然としている技術者をはね除け、それを収めている円筒形のガラスケースにそっと手を触れた。
 お前は俺を導いてくれたのか。
「アヤ……」
 ガラスケースの中にある頭部。頭蓋を切り開かれ、脳を取り除かれても、スティンガーにはわかる。
 アヤの顔だ。
 横でびくついている技術者の胸ぐらをひっつかむ。
「アヤの脳をどこへやった」
「ふ、ふふふふふファンタズマの制御ユニットに……」
 そうか。
 そういうことなのか。アヤ。
 スティンガーは嗤った。
 ファンタズマの装甲が震える程の大声で。
 まるでその声は、森の暗闇で不気味に吠える獣のよう。
「おい」
「は、はいっ!」
 スティンガーは手近にあった電気ドリルを手に取り、その細い金属の先端を、回転させながら研究員の腿に突き刺した。飛び散る肉片。迸る血。返り血がスティンガーの体を汚す。
「っぎゃあああああああああッ!!」
 ドリルのトリガーを引きながら、スティンガーは研究員に鼻先を近づける。
 まるで悪魔のような笑みを浮かべたまま。
「俺をあれに乗せろ」

 ガレージでは、エリィが今や遅しと待ち受けていた。彼女のそばには大型のトレーラーが一台。ACなら二三機は搭載できそうなほどのやつである。エリィはその運転席からひょいと顔を覗かせて、疲れ切ったツヴァイトとスミカにぱたぱた手を振る。
「おーい! こっちでーす!」
 そしてドアを開き、はしごを伝って下りてくる。
「待ってましたよ。あなた達のACはこの中に積んであります。あと、迷惑料代わりにACパーツを一つ、失敬して載せときましたから、売ればそれなりに……」
 と、言いかけて、エリィは首を傾げる。
「あれ、スティンガーは? 一緒に逃げなかったんですか?」

 三人を載せたトレーラーが、森の中を疾走する。一直線に、ウェンズディ機関の秘密基地から逃げる方向に、である。
「ねー! なんであんたまで逃げるのよ!」
 スミカが叫ぶ。
 ハンドルを握るエリィに向かって、である。
 エリィの表情には余裕がない。さっきまでのにこにこした微笑みもとっくに凍り付いている。額に浮かぶ冷や汗。
「スティンガーが残った理由なんて一つしかないです!」
 木にぶつかりそうになり、エリィは慌ててハンドルを切る。その瞬間、遠くで待機しているMTの大部隊が目に入った。その数は下手をすれば百以上。機影はどれもこれもムラクモのものではない。
 クローム社。ムラクモを目の敵にしている、世界最大の巨大企業複合体。
「クローム……だめだわ、あの程度の戦力じゃ」
 その瞬間。
 トレーラーを、横手から衝撃が襲った。
 猛烈な風――爆風。この巨体が耐えきれずに吹き飛ばされる。窓が割れ、ガラスの破片が降り注ぐ。とっさにツヴァイトはスミカを体の下に抱き込み庇った。そしてもう一度衝撃。ここが森で良かった。木にぶつかって止まったらしい。
 衝撃は十数秒で収まった。
 ツヴァイトは、体の上にかかったガラスの欠片を払いのけながら、ゆっくりと体を持ち上げた。
 やけに明るい。
 空を見る。
 空が。
 空が燃えていた。

 レッカッジ。
 残骸。
 レッカッジ、レッカッジ、レッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジ。
 歌っている。
 無数に積み重なるムラクモ懲罰部隊の残骸の上で。
 真紅の装甲に包まれたファンタズマの上で。
 スティンガーとアヤは。
 歌っている。

to be continued.