ARMORED CORE 2 EXCESS Hop into the next:Stargazer
「ほしをみるひと」

「捜索三班より司令部。四脚型ACのコックピット内部において男性の遺体を確認。収容しました。現在正式の身元確認中ですが、プロファイルの画像と酷似しているため特例13番のウェイン・ルーベックであると思われます」
 捜索員は事務的な口調で言い切り、マイクのスイッチから親指を放した。横目でちらりと青い四脚ACの残骸を見遣る。お仲間たちが数人、担架を抱えてなにやら苦労している。報告任務であの場を離れられてよかった。彼は比較的気の弱い方で、とてもじゃないが状況を直視できるとは思えなかったからである。
『了解。CAC−FR01の状況を報告せよ』
 そんなことは露知らず、司令部のオペレーターはこれまた事務的なおきまりの台詞を投げ返した。
「損傷が激しく、コア以外の部分は全壊です。コックピットは空、パイロットの行方は不明です」
『CAC−FR01搭乗員の確保を最優先。即時捜索にかかられたし。以上』
「了解。以上」
 ひょいと肩をすくめてマイクを所定の位置に戻し、捜索員は仲間の輪の中に戻った。ハイメディック――高級医療車両――の中に運び込まれる担架からは目を背け、手近な一人をひっつかまえる。そいつは新米の一人だが、もはや顔面は蒼白、あるいは土気色であった。気持ちは痛いくらいによくわかる。
「どんな様子だ?」
「酷いもんです、ミンチですよ。ひと月はバーガー食べられませんね」
「いっそベジタリアンにでも転向するか」
 二人揃ってうんざり顔。いい加減遺体の収容が一段落したところで、捜索員は声を張り上げた。集合! よく訓練の行き届いた班員が素早い動きで彼の前に集まる。まるでグラフ用紙の格子点のように、一分の狂いもない碁盤目を作る班員たち。バーガー嫌いになった新人も、その一番端に大人しくちょこんと立つ。
「これよりCAC−FR01搭乗員の捜索にかかる。1から5番は残骸の撤収作業。6以上奇数番は研究所敷地内、同偶数番は森林の捜索。以上、行動開始。解散!」
 軽い溜息一つ吐き、捜索員は新たな仕事にとりかかった。上は少女一人にご執心なのだ。捜索員は捜すのが仕事。命令一つで仕事をこなす。今日も明日も明後日も、来週も来月も来年もずっとずっと……
「あれ、なあ、さっきの仏さんどこに運んだんだよ?」
「ん? ハイメディックの中に……」
 肩を怒らせ、捜査員はぶつぶつ言ってる部下を叱りとばした。


 コーウェン・ゴールドマンはじっと塔を見上げていた。第二兵装研究所CCRのなれの果て。この巨大な円筒状の空間。そこに収められたシステム・ガブリエラの残骸――抜け殻――死体? 小麦色の口ひげをぴくぴくと震わせる。なんとか危機は乗り切った。しかしその代償は、あまりにも大きすぎたのだ。
 うう、と横の坊やが呻いた。しゃがみ込み、簡易ベッドに横たえられた坊やの顔を見つめる。眠っている顔はあどけないものだ。酸いも甘いも知らない子供のよう。びっくりするくらい純真な寝息を立てる、副社長閣下。若様はゆっくりと、重い瞼を持ち上げた。
「お目覚めですかい、若社長どの」
「……コー……ウェン……」
 一音ずつ区切って発音された名前は、ほとんど溜息に近かった。口をぽかんと開いて大きく息を吸い込む。深呼吸。脳に酸素を行き渡らせて、ぼやけた意識を掃除する。次第に鮮明になっていく思考。蘇ってくる記憶。全てを思い出す。思い出したくないことまで。
「……調子は、どうだ……」
 それがケンジに吐ける、精一杯の軽口だった。
「お前さんよりゃゴキゲンさ」
 こいつは殺しても死にそうにない。肩をすくめ、コーウェンはジャケットの胸ポケットを探る。くしゃくしゃに潰れたクリムゾンの箱を取り出し、一本くわえる。ライターを探しながらケンジの鼻先にクリムゾンを突きつけ、顎をしゃくる。若社長は唇を器用に使ってクリムゾンをくわえ込んだ。
 箱を後生大事にしまい込み、ようやく見つけたライターで煙草の先端に火を付ける。薄い白の煙が口から吹き出る。ひげ面を若社長の童顔に近づけ、煙草の先を触れ合わせる。じぃじぃと音を立て、火が移る。
 ケンジは右手を持ち上げ、クリムゾンをつまむと白煙を吐いた。ようやく気付く。足元の違和感に。脚の感覚が全くなかった。麻痺してしまったのか。麻酔が効いているのか。あるいは――
「両足は太股で切断した」
 クリムゾンの淡い煙と一緒にコーウェンは吐き出した。
「稼働義足か、車椅子か……ま、なんにせよ多少の不自由は覚悟しとくんだな」
「ああ……わかってる。自業自得さ」
 そう、自業自得だ。全てはユイリェンに心を与えられなかった自分の責任。幼い日のユイリェンを――広い意味で――愛することができたなら。あの娘に感情というものを芽生えさせることができたなら。そもそもこの戦いは起こらなかったのだ。彼女がウェインに惹かれることもなかった。彼女がレイヴンになることもなかった。全ては――自分の責任。
 ふと気付いて、ケンジはコーウェンのひげ面を見上げた。
「……エリィは?」
 コーウェンの顔が持ち上げられる。さっきまで見上げていたシステム・ガブリエラ。もう一度偉大な塔を眺める。いたるところが破損し、見るも無惨に朽ち果てた塔を。
「計算組織は完全におしゃかだ。再起不能だよ」
 何も言わずケンジは煙草をまたくわえた。他に何ができたというのだ。ケンジは何一つ護れなかった。ユイリェンも。研究所も。たった一人、心から愛していた『女』さえも。淡い煙を肺に流し込む以外に、一体何が。
「ただし」
 ひげは悪戯っぽく続けた。
「記憶装置は崩壊直前に物理閉鎖されてて無事だ。時間がかかるが、新しいシステムに接続して解凍すれば、なんとか復旧できるだろうよ」
 すっとコーウェンは立ち上がった。その影がケンジの顔を覆い隠す。はっきりとわかった。社長が、意識して視線をそらしたことに。ケンジの瞼から溢れ出す涙を、見まいとしていることに。
「まるで奴さん、絶対忘れたくないことでもあるって風だったぜ」
 僕は。ケンジは手の甲で、無造作に涙を拭った。僕は必ず君を蘇らせてみせる。エリィ。僕がただ一人愛した女。必ずだ。護ることはできなかった。でも――いつか必ず助け出してみせる。
 涙が乾くのを待つ。それから彼は、一番気になっていた問いを投げかけた。
「ユイリェンは」
 社長はただ、目を伏せて俯いただけだった。


 がさっ。
 下生えが靴に触れて、ざわめいた。草の中には妖精が住んでいる。無数の、目に見えない妖精たち。人が草の中を歩くたび、妖精は小うるさい会議を始める。がさがさ、がさがさ。人が来た。草の中。素敵な髪の娘には、祝福の口づけを。卑しい心の娘には、道を示す罰を。がさがさ、がさがさ。
 レッドウッドの下、ユイリェンはただ歩いていた。まるで自動人形だった。意識は半分ないも同然だった。それでも彼女は歩いた。いつまでも。どこまでも。悲しみに麻痺した心。苦しみに閉ざされた体。求めるのはただ一つの場所。あの場所へ。木々の向こうにあるあの場所へ。ただ、彼女は歩いた。
 脚はもはや棒のようだった。体が鉛の如く重かった。指先は黒く汚れ、涙のように血が滴っていた。再び心を忘れた彼女のために、彼女の体が代弁する。見られたし、この悲しみ。夜空の深淵よりも深く、たゆたう海よりも広大。どこまでも黒く、どこまでも青い、この心。
 やがて、森が開けた。
 そこは大きな崖であった。大昔の地震でできた地割れ。深い深い穴。崖っぷちに立ち尽くし、ユイリェンはぼぅっと下を見つめた。谷風が吹き上げ、栗色と濡れ羽色の狭間にある彼女の髪を掻き上げた。首の後ろで束ねていたリボンは、風に吹き散らされていった。ゆったりと広がる艶やかな黒糸。ユイリェンの体を包み込むように。あたかも黒い繭のように。優しく鮮やかに流れる。
 私は。
 ユイリェンはしゃくりあげた。体が言うことを聞かなかった。震えていた。心が暴走していた。どうして。問いが一つ。どうしてこんなにも。
 私は。
 彼を殺した。それを認めると同時に、瞳の奥が熱くざわめいた。ざわめきはどんどん膨らんで、瞼のそばから溢れ出た。泣いている。漠然とした認識だけがあった。私は、泣いている。生まれて初めて。おばあちゃんが死んだときだって泣かなかったのに。泣けなかったのに。それなのに今、私は泣いている。涙はこんなにも暖かくて、悲しみはこんなにも苦しくて、未来はこんなにも残酷で。私はこんなにも、寂しい。
 しゃくり泣いた。人目をはばかる事なんて何もなかった。ここには一人だけ。肩が震えるのと一緒に、微かな嗚咽が漏れた。うめきは少しずつ大きくなった。歯止めはきかなかった。溢れるたびに。漏れるたびに。涙も。嗚咽も。ひたすら大きくなった。どこまでも。
 記憶が彼女を苛んだ。
 蘇ってくる、記憶。思い出。無邪気に微笑む彼。いじけて口を尖らせる彼。激しく憤る彼。自信なさげにうつむく彼。おどけて照れ笑いを浮かべる彼。顔を真っ赤にして目をそらす彼。彼。彼。彼。ウェイン。世界が全てウェインになった。ユイリェンの心はウェインだけだった。ウェインに逢いたかった。逢って一言いいたかった。この切なく行き場のない想いを伝えたかった。その時間はたくさんあったのに。それなのに。今ではもう!
 流れ落ちた涙が、手の甲を濡らした。妖精の佇む草むらに滴った。手のひらを使って、ユイリェンは不器用に涙を拭おうとした。あんまりにも不器用だった。やったことがなかったから。涙を流したことがないから、拭ったことも。子供みたいに泣きじゃくった。それしかできない気がした。それしかやろうと思わなかった。逢いたいと思った。他に何も要らなかった。ただ彼さえいてくれればそれでいいのに。こんなにも……こんなにも!
 ふき取ることは諦めた。涙は流れるままに放っておいた。そして彼女は一歩を踏み出した。がさり。異常を感じて妖精が騒ぎ立てた。もう一歩。がさり。もうつま先は何も踏んではいなかった。遥か下へと繋がる穴が、そこにある。
 下にあるのだ。
 彼と初めて出会った場所。
 全ての始まりはこの崖だった。あの時彼に出会っていなければ――そんなこと。考えたくもない。死んだって御免だ。彼がいない世界なんて。
 そして全ての終わりもここにあるような気がした。もう一度あの場所に行けば、逢える気がした。もう一度彼に。おどけて、飄々として、弱気で、嫌いなタイプで。もう一度彼に出会って、もう一度最初から――
 あの場所へ。全てが始まったあの場所へ。
 逢いたい。

 ゆっくりと、ユイリェンは体を傾けた。夜が明ける。崖の向こうから目映い朝日が覗く。白い輝きは、少女の黒髪に照り返された。淡くまっしろなせかいの中。輝きが。光が。希望が。未来が。彼女を包み込む。風がざわめいた。ユイリェンの背に純白の柔らかな輝きがあった。翼。天使よりも神々しいまっしろなつばさ。
 ユイリェンは羽ばたいた。大空へ。風の舞う大空へ。彼のいる場所へ。ああ、まぶしくてもう何も見えない。光がベッドのようにユイリェンを迎え入れる。暖かい場所。帰るべき場所。もう一度。もう一度、あの場所へ――
 彼女は軽く地を蹴った。羽ばたき、天空へと昇っていく――

 そして。

 誰かが、彼女の体を抱きしめた。

Hop into the next generation.