ARMORED CORE EPISODE 1

青いブルース・ハープ

「五万! もうこれ以上は!」
 景気の悪い声が古い工場に響き渡る。時間的にはもう正午過ぎのはずだが、所狭しと散乱する――いや、棄てられている黒い機械類を照らすのは今にも消えそうな電灯だけである。
 そこでさっきからああでもないこうでもないと怒鳴りあっているのは、オイルで汚れた茶色い作業服をまとったひげ面の男と、もう一人の若い女。
 背丈は一.七メートル程度。すらっとした肢体を包むのはラフなジャケットとゆったりしたハーフパンツ。湿気の多い地下都市では、特に珍しくもない服装である。しかし、彼女がアジア系であることを示す首にかかるくらいの黒髪、漆黒の瞳、やや吊り上がった目尻と、小さいが存在感のある鼻が、彼女の個性を描き出していた。
「もうちょっとなんとかなんない?」
 彼女は器用にウィンクをして見せたが、ひげの男は渋い顔のままだった。
「しかしなぁ……いくらリンファちゃんの頼みでもこれ以上は無理だなぁ……」
 このオヤジがこういう言い方をするとき……それはあと一割くらいは値段が下がっても平気な時だということを、彼女――リンファはよく心得ていた。
 リンファの右腕がすっと動き、ポケットから取り出したマネーカードを側のスロットに差し込んだ。そのまま流れるようにひげの男の手元のキーボードを叩いて有無を言わせずリターンキーを押す。
 淡い光を放つモニターに表示されていた兵器のCG……その上に文字が浮かび上がった。
『WG―M500/E 売約済み 嶺華』
「ち、ちょっとリンファ!」
「んじゃ、そういうことで」
 必死に抗議する男を振り切って、リンファは一目散に工場から逃げ出した。その速さたるや、四足ACさながらである。
 後に取り残された男はしばらく呆然としていたが、やがて大きく息をついて呟いた。
「全く、かなわねぇな。あの砂利レイヴンには……」
 彼はまだ知らない。もう一度モニターに目をやったとき、あらためて驚愕の唸り声をあげる運命が待っていることに。モニターの隅で、申し訳なさそうに点滅している文字があった。
『45000COAM(送料込み)』
 
「いやー、ほんっといい買い物したぁ。
 前から欲しかったんだよねー、あのマシンガン」
 薄暗く、街灯もろくにない裏通りをほくほく顔で歩いているのは、言わずと知れたリンファである。夜も昼もないこの地下都市で年頃の女が一人歩きなど危険極まりないが、彼女はむしろ周囲の危険を楽しんですらいるようだった。
 大破壊。人々がそう呼ぶ巨大戦争があった。世界全てを巻き込み、人類は著しく個体数を減じた。そしてその結末は、超大型衛星レーザー砲による地上の完全崩壊だった。
 極度の汚染によって、地上は人類をはじめとする生物の生存を拒み始めた。その結果、人は新たな都市計画の一環として建設されていた地下都市への移住を余儀なくされた。人類は再び自らの業によって楽園を追われ、新たな故郷に降り立ったのである。
 ここアイザックシティは、それらの地下都市の中でも最大の規模と最も長い歴史を誇っている。したがって、まだ技術の確立されていない頃の無理な建設による歪みが、大破壊から五十年が過ぎた今になって現れはじめている。
 数多くあるそんな歪みの一つが、リンファの住処がある『スクラップ地区』である。スクラップ、というのはもちろん俗称で、書類上は『K―3居住区』となっている。高度な機械文明が産み出す副産物、すなわち大量の廃棄物が不法投棄されているため、この名がついた。限りなく不衛生な場所ではあったが、そんな中でも人々はスラムを形成し、立派に暮らしていた。
 リンファはここが気に入っていた。他者から束縛を受けることがほとんどない、というのがその表向きの理由だが、本当はただ物価の低さに惹かれているだけである。
 幾つか目の角を曲がると、もうリンファの住処は目の前だ。住処と言っても外見は倉庫以外のなにものでもない。一階に『商売道具兼相棒』を隠し、二階で寝起きしている。
 家の入口は二つ。『相棒』用の大きなシャッターと自分用のドアである。リンファはいつものように、ドアの前を塞いでいる廃棄物を蹴飛ばし、ノブに手をかけた。
「…………?」
 違和感。リンファの第六感が激しく唸る。家の中に誰かが……いる。
 ノブから手を離すと、ホルスターに収めていた拳銃を構え、スライドを動かしチェンバーに弾丸を込める。
 改めて左手でノブをゆっくり捻り、軽く押す。微かな隙間から中を確かめ、目に見える位置に異状がないことを確認してからドアを蹴り開けた。
 すぐに汚れた倉庫の光景が目に飛び込んできた。使えるものも使えないものも混ざった廃棄物の山。一応整然と並べられているパソコン。そしてなにより目を惹くのは、青いビニールシートが被せられた巨大なリンファの『相棒』。
 しかし、それ以外には動くものも見えなければ微かな音も聞こえない。
「誰!?」
 隙なく銃を構えたまま、試しに叫んでみた。何か反応があるかとも思ったのだが、相変わらず相手は沈黙を保っている。
 ……かと思いきや。
「やれやれ。噂通り、物騒な女だ」
 リンファの『相棒』の脇から人影が滑るように現れた。暗くて顔は見えないが、背格好や声からして、おそらく男だろう。
 ……まあ、最近は見た目で性別がわからないことも多いのだが。
「勝手に人ン家にしのび込んどいてあたしを物騒呼ばわりとは、いい性格してるじゃない。
 ……両手を上げたままじっとして」
 人影は言われたとおりに諸手を上げた。警戒を怠らずにリンファはドアを閉め、壁のスイッチを押す。
 天井のボロな電灯が、数回ちかちか点滅してから明かりを投げかけた。瞬間、男の姿がくっきりと映し出される。
 一見して貧相な男だった。百八十以上の身長がありながら、妙にひょろひょろして見える。少し長すぎる手足をだるそうに扱う姿はリンファにテナガザルという大破壊以前の動物を連想させたが、そのテナガザルには似つかわしくない、異様に鋭い眼光を彼の瞳はほとばしらせていた。
 おまけにこのくそ暑いのに御丁寧にコートまで羽織り、それでいて額には汗を浮かべている。リンファはその貧相な男に、暑さもわからない馬鹿、というレッテルを貼ろうとしたが、すぐに自分の構えている拳銃が汗の原因であることに気づいて、止めた。
「いつまで手を上げていればいい?」
「もう少しよ。そのまま後ろを向いて」
 その辺に転がっていた手錠を拾うと、リンファは大人しく後ろを向いたテナガザルの手首に、後ろ手にそれをかけた。小さな金属音がしたのを聞いてから男を地面に座らせる。
 ……この手錠、別にリンファが変な趣味を持っているわけではない。傭兵稼業なんぞをしていると、敵を生かしたまま捕らえることも必要になる。あくまでそのためのものである。
 男が完全に無力化したのに安心して、リンファは手近の椅子を引っ張ってきて乱暴に腰掛けた。銃を片手で弄び、男に言葉を投げかける。
「で、あんた何処の誰?」
「それに答える義務が、僕にあるか?」
「答えなきゃここで撃ち殺すまでよ」
 男は呆れたような笑いを浮かべた。しかしそれがリンファの逆鱗に触れることはなかった。
「僕の名はワームウッド」
「レイヴンとしての名前は聞いてないの。本名は?」
「……バレてるか。
 本名はヨシュア。所属は……御察知の通り、ネストだ」
 ――レイヴンズ・ネスト。
 大破壊で国家というシステムは完全に崩壊し、世界は企業によって統率されるようになった。しかし、全人類が企業の束縛を受ける中、ただ一つだけ、例外が存在した。レイヴンと呼ばれる傭兵たちである。
 レイヴン達はコンピューターネットワーク上に存在するレイヴンズ・ネストなる組織に所属し、アーマード・コア、略してACというロボット兵器を駆る。その戦闘能力は高く、合法、非合法を問わず依頼をこなすため、企業からの依頼は絶えない。また、所属とはいえレイヴンがネストから受ける制約は何一つない。
 リンファも、そしてこのヨシュアという男も、ネストに名を連ねるレイヴンである。
 しかし同業者が泥棒とは。レイヴンも落ちたものだ。リンファは自分が泥棒まがいの仕事を何度もやっていることを棚に上げて顔をしかめた。
「まったく、レイヴンがコソドロなんて情けない。
 あんたにはフリーランスの心意気ってやつはないわけ?」
「泥棒とは聞こえがわるいな」
「的確じゃない。で、何盗ったの?」
「……このオンボロ倉庫に盗む物なんてあるか?」
 そういえば、リンファの家には現金など一銭も置いていないし、転がっているのはゴミばかり。これではいくら治安の悪いスクラップ地区でも泥棒など入るべくもない。
「そ、それは……『ペンユウ』とか……」
「わざわざ他人のACを盗むレイヴンがどこにいる」
 確かにACは金になるが、リンファの愛機『ペンユウ』にはリンファ以外には扱えないように、パーソナルコードが設定されている。そのコードを書き換えることも不可能ではないが、当然手間も時間もかかる。これは全てのACに共通したことだ。要するに、盗むには向かない代物なのである。
「んじゃあんたなにしに来たのよ?」
「さあな」
 あくまでもヨシュアはとぼけるつもりのようだった。リンファは諦めて、警察に突き出すことにした。その方がよっぽど早いし、手間もかからない。
 身動きの取れないヨシュアを放って、電話をかけるために後ろに振り返る。電話まではほんの数メートル。右足から踏み出して、続けざまに左足を床から離した、その瞬間。
 かちゃっ。
 小さな金属音に気付いたリンファがヨシュアに目をやったときには、既に彼の姿はなく、ただ締まったままの手錠が床に転がっているだけだった。
 
「ただいまりんふぁちゃ〜ん」
 間延びした声がリンファの耳に届いたとき、彼女は自分の相棒である『ペンユウ』を覆うビニールシートをはがしているところだった。
 作業する手を休め、倉庫の入口を見遣る。そこではリンファのもう一人の相棒が、両手いっぱいに紙の買い物袋を抱え、ふにゃっとした笑いを浮かべていた。
 腰まである長い赤毛を三つ編みにまとめ、丸い小さな眼鏡を高い鼻にかけている。ボディーラインがはっきりわかるデニム生地のスカートとやや丈の短いジャケット。いつも笑顔を絶やさず、あくまでマイペースな振る舞いには惚れる男は多い。しかし、リンファに言わせれば、「なんでこいつがあたしよりモテるのかわかんない」ということになるのだが。
 彼女こそが、リンファを支える専属メカニック、エリィである。
「た〜だ〜い〜ま〜!
 りんふぁちゃん、元気ぃ?」
「ぜんぜん」
 元気も何も今朝会ったばかりなのだが、ズレたエリィの質問に真面目にかつ暗く答えるリンファ。
「あ、そ〜だ〜! あのねりんふぁちゃん、やおやのおじさんがおまけしてくれたんだよ〜!
 やさし〜ね〜」
「聞けよ……人の話……」
 無論リンファの暗い表情などに気付く由もなく、エリィはテーブルの上に買い物袋を立てて置くと、小さく首を捻った。その横では置いたばかりの袋が倒れ、中からオレンジが転げ落ちる。
「はなし? おはなし?
 なになに?」
「ワームウッド。知ってる?」
「わーむうっどくん? しってるよ。レイヴンのひとだよ。
 えっとねぇ、四足限定アリーナで一位になって、マスターアリーナにノミネートされたんだけど、いきなり引退するっていってどっかいっちゃったの」
「マスターアリーナ!?」
 アリーナとは、企業がスポンサーとなって開催される、レイヴン達の闘技場とでも呼ぶべき場所である。AC同士の戦闘に、酔狂な金持ちが賭をして楽しむわけだ。そこには百戦錬磨のレイヴン達が集う。中でもマスターアリーナは最高レベルのアリーナで、そこにノミネートされるだけでも超一流レイヴンの証であり、他のレイヴン達からは羨望の眼差しで見つめられることになる。
 もっとも、このアリーナを『レイヴンの仕事ではない』と考えて嫌う者も多いのだが。かく言うリンファもそんなアリーナを嫌うレイヴンの内の一人である。
「なになに? わーむうっどくんがどうしたの?」
「んー……さっき泥棒に入られたのよ。逃げちゃったけど。
 で、そいつがワームウッドって名乗ったわけ。本名はヨシュアとか言ってたけどね」
「え〜? い〜な〜、えりぃもわーむうっどくんあいたいよ〜」
 子供のように駄々をこねるエリィ。確か彼女はリンファより年上だったはずだが……
 リンファは頬を膨らませるエリィの横の机から、転がったオレンジを拾い上げた。柑橘類特有の甘酸っぱい香りが辺りを万遍なく満たしていく。
「ほんと、エリィ好みのいい男だったよ。若いけど腕は悪くなさそうだし」
「……若い?」
 突然、エリィの声のトーンが変わった。それまでのふにゃふにゃした声が急に張りを帯びる。驚いたリンファがその顔を見ると、そこにはコンビを組んで二年間、リンファすらも滅多に見たことのない落ち着いた表情が浮かんでいた。
 ごくまれに、エリィはまるで別の人格に支配されたかのように『変わる』ことがある。『変わった』後のエリィは豊富な知識と冷静な判断でリンファに幾度となく的確な助言を与えてくれた。一体どちらが本性でどちらが偽物なのかわからないが、きっとこれが昔科学者だった頃の名残なのだろうと、リンファは納得していた。
「おかしいわ。ワームウッドが活躍したのは今から四半世紀も昔。当時二十代だったらしいから、今は最低でも五十くらいにはなってるはずよ。
 どう贔屓目に見ても若くはないわね」
 それだけ一気に言い切ると、エリィの表情はまたいつものおっとりゆっくりしたものに戻っていた。
「なのでぇ〜、ひとちがい、じゃない〜?」
「かもね。ま、どっちでもいいか。
 それよりエリィ、実は仕事入ったの」
「ほんと〜? やったねc
 なになにのしごと?」
「依頼主はオムニシャンス・インダストリー、依頼内容は物資輸送車の護衛。
 予告状叩き付けるような大馬鹿テロリストを捻り潰すだけで、なぁんと報酬四万コーム!」
「すっご〜い! お・い・し・い・おしごとちゃん、いらっしゃ〜い!」
 コーム(COAM)はこの時代に最も広く使われている通貨である。レイヴンへの依頼料の相場は二万から三万コームで、四、五万ともなればかなり依頼料は多い方だ。また、それなりのACを一機持つには七十万から百万コームほどかかる。
「新しく買ったマシンガンが届いたら、早速装備して出るよ。ソフトの追加、お願いね!」
「りょ〜かい! む〜、まくまくするぅ!」
「……わくわく、じゃないの?」
 浮かれて準備を始めるエリィの背中を見つめながら、リンファは何か漠然とした予感のような物を感じていた。
 あの男……ヨシュアは、きっとまた現れるに違いない。
 根拠も何もない。ただ、背中を冷たいものが駆け抜けていく、それだけのことだった。
 
[所属不明MT確認。機数5。戦闘モードに移行します]
 リンファは愛機ペンユウのコックピットの中で冷たい機械の声に耳を傾けていた。
 ACの頭部パーツには一応目のような形の視覚センサーが付いているが、別にそこでしか外界を確認できない訳ではない。こういう大型ロボットを操縦する場合、視界の広さは重要な条件になるのだ。従って、このペンユウも四方のセンサーによって三百六十度見渡すことができるようになっている。
 外は暗い。地下都市の中なのだからそれは当然だが、特にこの都市同士を繋ぐ地下幹線道路の中は明かりが乏しい。加えて道の脇の舗装されていない部分には大きな岩などの遮蔽物もあり、襲撃するには最適な場所である。
 三台の物資輸送車の前を先導していたリンファは、レーダーを確認しながら通信を開き、すぐ後ろの車に繋いだ。
「敵MTを確認しました。前方に三機、後方に二機。前方の敵を排除しますから、その隙に全速力で通り抜けてください。あとはこっちで片付けます」
 MT(Muscle Tracer)は、高度な大型ロボットの総称である。その中でも「コア」を中心として各部パーツを共通化したものはCMT(Cored MT)と呼ばれ、さらにその中で重武装がなされているものをAC(Armored Core)と呼ぶ。
 汎用性ではACの方が上だが、MTには目的に合わせて製造時から機体を特化できるという利点がある。侮ってかかれる相手ではない。
 ともかく、リンファの通信に答えたのは渋い中年男性の声だった。
『頼んだぞ。この試作品だけは何があっても失うわけにはいかんのだ』
 どうやら輸送しているのは何か研究途中の試作品のようだが、そんなことはこの際関係ない。が、相手の男の必死さは伝わってきたので、落ち着かせる意味も込めてリンファは答えた。
「お任せ下さい。そのためのレイヴンですから」
 この科白が功を奏したのか、輸送車の男はさっきより落ち着いた声で健闘を祈るとかなんとか言ってから通信を閉じた。
 ――さあ。リンファは操縦桿を握り直した。ここからが本番だ。
 リンファの愛機ペンユウは中量二足タイプ。右手には新しく買ったマシンガン、左手には以前から使っているレーザーブレード、左肩にはエリィ特製のレーザーキャノンを装備し、右肩のレーダーで索敵することも忘れない。
 レーザーキャノンは特製と言ったが、これは不法投棄されていた不良品を拾ってきて改造したものである。三連誘導砲身を使用した強力な兵器を、随所を強化プラスチックで軽量化することで通常の半分程度の重量にしている。ペンユウ最大の火器だが、無理な改造が祟って五発も発射するとオーバーヒートして整備が必要になるのが難点である。
 全身をワインレッドに塗装された巨人……ペンユウは、リンファの操作に素早く反応して右手のマシンガンを構えた。
 ギャンッ!
 ブースターを噴かせて、一気に加速する。さすがは超大出力ブースター、前方の三機のMTとの距離は一気に縮まった。
「それで隠れてるつもり!?」
 木陰に身を潜めていた敵の一機を、マシンガンの掃射で薙ぎ払う。あまり装甲が硬いMTではないのか、数発で完全に沈黙した。 慌てたのは敵の方だ。完全な不意打ちをするはずだったが、逆に一瞬で仲間が倒されてしまった。まともに浮き足立ち、てんでばらばらに隠れ場所から躍り出る。
「甘い!」
 左右に一機ずついるMTを、それぞれブレードの一撃とレーザーキャノンで片付け、輸送車に合図を送る。
「今のうちに、早く!」
『恩に着るよ!』
 輸送車は意外と速いスピードでペンユウの横をすり抜けて行った。あとは、挟み撃ちにするつもりで後ろから来ている二機を倒せば作戦終了である。
 リンファはもう一度ブースターを噴かした。
 敵までの距離はおよそ三百メートル。レーダーによると、二機が固まって動いているようである。
 あまりにも愚かな行動だった。これでは、まとめて片付けてくれと言っているようなものだ。
 当然、リンファはペンユウにレーザーキャノンを構えさせた。 狙いを定め、撃つ!
 ……ゴォ……ン……
 手応えあり。どうやら仕留めたようだ。これで作戦は完了。あとは家に帰って報酬を受け取って、シャワーを浴びて寝るだけである。
 ほっと息を吐くと、リンファは操縦席のシートに身を投げ出した。
「ふぅ、楽な仕事ね。
 装甲板ににも傷一つついてない。ちょっとつまんなかったかな」
『それなら僕の相手を頼めるかな』
 突如として入ってきた通信に、リンファは弾かれるように飛び起きた。この声、聞き覚えがある。
 レーダーに反応は……ない。ペンユウが装備しているレーダーはかなりの広範囲を索敵できるが、通信の相手はその外にいるらしい。
「残念だけど、姿を見せてくれないと相手にしようがないの。
 わかる? 泥棒さん」
『憶えていてくれたとは光栄だな。
 それじゃあ、リクエストに応えるとしようか』
 通信は、そこで途切れた。
 間違いない。相手はヨシュアとか名乗ったあのレイヴン……『ワームウッド』。ただの泥棒でないことは確かだが、一体何の用があるというのか……
「まさか……あたしに惚れたか?」
『それはない』
 通信……開きっぱなしでやんの……
 独り言のつもりでいった冗談に他人からつっこまれるというのは、想像以上に恥ずかしいものである。思わずリンファは赤面した。
 が、それも束の間。突然、レーダーの端に赤い点が現れた!
[AC確認。機数1。所属不明]
「ンなこたァわかってんのよっ!」
 思わずコンピューターに当たり散らすリンファ。それでもレーダーの反応を確認することは忘れない。
 速い。かなりの高速で移動し続けている。おそらく相手は四足ACだろう。でなければ超軽量二足だ。
 レーダーによると、そろそろ射程圏内にリンファはペンユウを動かし、岩陰に隠れた。相手もレーダーを装備している以上、完全に身を隠すことはできないが、遮蔽の役には立つ。十分に引きつけてからマシンガンで蜂の巣にする予定だ。
 そして……ついに距離二十メートル程度まで近付いた! 適当に狙いを定め、岩陰から躍り出る!
「そこっ……に、いない!?」
 距離的には見えていなければならないのに、何処にもACの姿はない。相手を捜そうとしたその瞬間、リンファは背筋に悪寒を感じ、その場から飛び退いた。
 ガガガガガッ!
 無数の弾丸がさっきまでペンユウが立っていた場所をえぐり取る。一瞬遅れて、そこに青いACが着地した。
 青い、蜘蛛のような四足AC。ガトリングガンが内蔵された武器腕。これがヨシュアのACらしい。
 どうやらさっきは、リンファがレーダーから目を離し、岩陰から飛び出すまでの一瞬の隙に空中へ飛び上がったらしい。こちらの行動が完璧に読まれている。
 おまけに今撃ってきたガトリングガンは、リンファにとって自分で使うには大好きだが相手にするのは勘弁してもらいたい武器の一つだ。
「今度こそ!」
 急いで向きを直し、リンファはトリガーを引いた。敵のACに向かって高速連射のエネルギー弾が容赦なく飛んでいく!
 しかしそれも、回避行動を取った敵の装甲板をかするだけに終わった。敵ながら、四足ACならではのスピードを見事に生かした戦い方だ。
『どうした? 当たらないぞ』
「うっさいっ! いちいち話かけんなっ!」
 叫びながら、今度はブレードを一閃する。敵の『ワームウッド』は空中に飛び上がってこれをかわす。
 リンファの予想通りに。
「ワームウッド破れたりぃっ!」
 大破壊の遙か以前に地上の日本にいたという、サムライなるものの口調を真似しつつ、リンファはペンユウを空に舞わせた。超高出力だけあって、あっという間にペンユウはワームウッドを追いつめた。
 その方に準備されているのは、強力なレーザーキャノン!
『馬鹿な!?
 そんなものを地面で支えず撃とうなどと……』
「できちゃうのよ、それが!」
 ゴバァッ!
 砲身が火を噴き、四足ACワームウッドを吹き飛ばした!
 同時に天地がひっくり返るかのような反動がペンユウとその中のリンファを襲い、ワームウッドとは逆方向に吹き飛んで地面に叩き付けられた。
「ちょっち……無理あるけどね……」
 通常、二足歩行のACがキャノン型の兵器を使用するには、地面に片膝をついて安定させなければならない。さもないと発射時の衝撃で撃った方もダメージを受けてしまうのである。
 しかしながら、超人的な操縦技術で反動を逃がすことができれば、理論上は立ったまま、或いは空中でもキャノン砲を発射できるはずなのだ。
 リンファは今、それをやろうとして失敗したわけである。
 かなりペンユウがダメージを受けてしまった。おそらく歩くのが精一杯、というところだろう。
「あ〜あ……またエリィに怒られちゃうよ……」
『他に心配することはないのか?』
 リンファは耳を疑った。あの直撃を受けていながら、装甲が薄いことで有名な四足ACが無事でいるというのか?
 彼女の疑問を裏付けるかのように、闇を切り裂き、青い蜘蛛が姿を現した。その動きに鈍りは見られない。
 それでもやはりダメージはあったようで、所々装甲が剥げ落ちている。
「お互い、満身創痍ってとこね。
 ……そっちは機関部が生きてるみたいだけど」
『君のACのデータは全て得ているからな。発射のタイミング、弾速、その他諸々のデータをな。完全回避は無理だったが、なんとか身をそらす程度のことはできたよ。
 これで、僕が泥棒じゃないことがわかったかな?』
「なるほど……立派なデータ泥棒ってわけね」
『口の減らない女だな。
 どうせ、もうまともに動くこともできないだろう。そこで僕の仕事ぶりを見ているといい』
「……仕事?」
 リンファの問いには答えず、ヨシュアはワームウッドを動かして道の向こうに消えて行った。
「あの方向は……まさか、輸送車!?」
 間違いない。ヨシュアのACはさっき輸送車が逃げた方向へ行った。もしも奴の狙いが輸送車の破壊か奪取だったとすれば……
 リンファは口の端をつり上げ、ほくそ笑んだ。
 
 ワームウッドのスピードを生かし、ヨシュアは輸送車を追った。もう目と鼻の先にいるはずだ。
 彼が引き受けた仕事は、この輸送車の破壊、もしくは奪取。うまく奪取できた場合には、成功報酬が加算される契約だ。
 テロリストを口先三寸で焚きつけて、護衛のレイヴンを引き離すことにも成功した。そしてヨシュアの予想通り、事前に護衛をするレイヴンの家から拝借したデータを有効利用してそいつを倒すこともできた。
 全てヨシュアの計画通り。まあ、機体修理に予想外の金がかかりそうだが、大したことではない。
 やがて輸送車の姿が見え始めた。テロリストを切り抜けたと思って安心しているに違いない。一発撃って脅して、操縦している人間を追い出し、あとは三台の車をレッカーして帰れば終わりだ。
 ヨシュアは引き金を軽く引いた。
 ガガッ!
 車の行く手を遮るように、弾丸が地面にめり込んだ。慌てて停車する三台。
 ヨシュアはその三台に対して通信を開いた。
「中にいる奴、車から降りろ。十秒以内にしないと一台ずつ破壊するぞ」
 すぐさま、車のドアを開いて男達が降りてきた。そのままどこかへ走り去る。
 随分と責任感のないことだが、ヨシュアにとってはその方が都合がいい。徐に一台に近付き、牽引用のワイヤーを垂らす。
 ……と、その時!
 突然、輸送車の一台、ワームウッドの間近にいた奴が爆発を起こした!
 衝撃でワームウッドは吹き飛ばされ、地面に叩き付けられた。
「くっ……まさか、ダミー!?」
 体勢を立て直そうと、操縦桿を起こす。しかし、やたらと反応が鈍い。おまけに脚部から煙を吹いているようだ。どこか機関部が故障したに違いない。
 舌打ち一つしたヨシュアの耳に、追い打ちでサイレンの音が聞こえてきた。
「ガードか……ここまでだな」
 ヨシュアはワームウッドを動かすと、その場から素早く去っていった。
「やってくれるよ……あの女ッ!」
 
『いやはや、全く助かったよ。
 見事な仕事ぶりだった』
「いやー、それほどでも」
 所変わってここはリンファとエリィの自宅。リンファは椅子に腰掛けて、パソコンの画面に映った依頼主と話していた。横からは時々青い光や大きな音が飛んでくる。エリィがペンユウの修理をしている最中なのである。
「それで、報酬の件なんですけど……」
『うむ、今回はこちらが通達した以上の戦力がいたらしいからな。 特別加算込みで、すでに口座に振り込んである。後で確認してくれ』
「まいどど〜も」
 依頼主に対してはやたらと愛想がいいのがリンファの特徴だ。いつものようにとびきりの営業スマイルを浮かべると、リンファは通信を切った。
 途端に体中の力が抜けて背もたれに身を投げ出す。
「りんふぁちゃ〜ん、お話、おわったんならてつだってよぉ〜」「はいはい、今行きますよ〜だ」
 仰向けに寝転がった状態のペンユウの上から呼ぶエリィに、リンファはしぶしぶ立ち上がった。
「で、何すればいいの?」
「動作確認、するのぉ。そこにあるやつでぇ〜、ソフト、うごかしてぇ〜」
 エリィが指さした先にあるのは、二人が共同で通信等に使っているパソコンではなく、エリィ専用のハンディコンピューターである。整備やら何やらに使う難しいソフトが山のように入ったやつだ。
 OSすらもリンファの知らないものを使っているようだが、適当にいじってみるとそれらしいのが見つかった。
「この、『AC動作点検ソフト』ってやつでいいの?」
「そう〜。それそれ、は〜やく〜!」
「急かさないでよ……っと」
 いくら慣れないコンピューターだと言っても、ソフトを動かす程度のことはわけない。すぐにACの点検が始まった。
 ……しかし、次の瞬間!
 バヂィッ!
「うにゃ〜!」
 やたらよく響く音がして、ペンユウの上にいたエリィの体が痙攣を起こした! そのまま下へ転がり落ちてくる!
 慌ててリンファが走り転げ落ちてきたエリィの体を受け止めた。エリィはすっかり目を回している。
「ち、ちょっと! エリィ、大丈夫!?」
「はにゃ〜……びりびりするぅ。えへへ〜」
「えへへって……」
 どうやら感電したらしいが、相変わらずの軽い調子のまま……大丈夫なようである。思わず緊張の糸がほぐれ、ほっとした表情を浮かべるリンファ。
「も〜、心配させないでよ!」
「はにゃ〜、しっぱいしっぱい。
 りんふぁちゃん、た〜す〜け〜て〜くれたの〜、ありがとc」
 言っていきなりエリィはリンファに抱きついた!
 これにはさすがにリンファも驚き、まともに慌てて暴れ出した。
「エ……エリィ!? うわっ、ちょっと止めてよっ!
 あたしにはそーゆー趣味はないんだってば……うわわっ!?」
 あんまり慌てたせいで、体勢を立て直すこともままならず、リンファはエリィに押し倒される形で地面に倒れ込んだ。
 丁度その時だった。倉庫のドアが開いて、一人の男が入ってきたのは。
「失礼ですが、リンファさんとエリィさんのお宅はこちらで……?」
 男は、床でもつれ合う二人を見て露骨に顔をしかめたのだった。
 
「い、いやぁ、お邪魔でしたかなぁ。ははは」
「あ……い、今のはこの娘(こ)がちょっとふざけてただけで……あははははっ」
 テーブル越しに向かい合って腰掛けたリンファと客は、お互いに乾いた笑いを交わした。どちらも顔が引きつっている。
 当のエリィはと言えば、すかさずペンユウの修理に戻ってしまった。
「え、え〜と……それで、あなたは……?」
「ああ、失礼。申し遅れましたが、私はアリーナ管理委員のシロウ=コバヤシという者です」
「アリーナ管理委員……?」
 リンファは、自分の正面に座っているぴしっとした身なりの男を改めてまじまじと見つめた。
 前にも述べたが、バトルアリーナ、略してアリーナは、企業をスポンサーとするレイヴン達の『闘技場』である。そこでの戦闘は酔狂な資産家達の賭の対象となり、出場するレイヴンにも強さに見合った賞金が与えられる。しかしスポーツのような正々堂々としたものとは程遠く、まさにレイヴン同士の戦闘そのもの、勝つためには手段を選ばない、常に死と隣り合わせの戦いなのだが。 そのアリーナの管理運営は、公正を期すため企業とは異なる第三者が行っているという。それがアリーナ管理委員である。委員のメンバーは引退したレイヴンや企業での物好きから選ばれているというが、実際に会ったのはこれが初めてだった。それというのも、リンファがアリーナに出場したがらなかったせいである。
「早速本題に入りますが、実は貴女にアリーナに出場していただけないかという話がありましてね。
 私どもが運営しておりますアリーナには、ノーマルアリーナとその予選のサブアリーナ、四つの脚部限定アリーナがありまして、さらにその優勝者のみがノミネートされるマスターアリーナがあるのですが……
 今回貴女に出場の話が持ち上がったのは、それとは異なるゲストアリーナなのです」
 コバヤシはテーブルの上に何枚かの紙を並べた。リンファにとっては全然興味の湧かないことがずらずらと書かれている。リンファは耳の後ろを人差し指で掻いた。
「このゲストアリーナではランキングを付けず、その都度ゲストを招待してエキシビションマッチを行っているのですが……」
「残念だけど、あたしはパスね」
「……は?」
 溜息混じりに言い捨てたリンファに、コバヤシは資料を指す手を止めて、顔を持ち上げた。
「それは、どういう意味でしょうか」
「そのまんまの意味よ。
 見世物になるつもりは毛頭ない」
「え〜っ? でよ〜うよ〜!」
 どうやらこっそり話を聞いていたらしく、ペンユウの上からエリィが顔をのぞかせた。一体どういう風にしているのか。逆さまにぶら下がっている。鼻にかけた眼鏡がするりと落ちて、乾いた金属音をたてた。それを追って、エリィも宙返りをしながら地上に降り立った。
「アリーナ会場のしょくどうにね、しんめにゅーができたんだってぇ。えりぃたべたいよぉ〜」
「そんなの別に出場しなくても食べに行けばいいじゃない……
 ま、それはともかく」
 リンファは正面に向き直ると、難しい表情をしたままのコバヤシの目を見据えた。コバヤシの額に汗が浮かぶ。並の人間なら思わず怯んでしまうほどの、鋭い眼光をリンファの瞳は放っていた。
「こっちにもプライドとかポリシーってモノがあるわけ。
 こんな腐った『時代』を玩具にしてるようなイカれた連中に、付き合ってる暇はないのよ」
「なるほど……しかし」
 コバヤシは恐る恐る口を開き、言葉を紡いだ。声が震えていなかったのはさすがである。
「相手が伝説のレイヴン『ワームウッド』だと聞いても、同じことが言えますかな?」
 
 意外と奇麗な食堂の隅のテーブルで、リンファは紅茶をすすった。ほのかに甘く、のどに引っかかる苦みがほとんどない。なかなかいい紅茶だ。
 アリーナ会場の中にある、噂の食堂である。レイヴンが集まるところと言えば大抵はゴミ溜めのようなもので、リンファはそれが嫌で仕方がなかったが、ここはその例に当てはまらない。優しい照明や白塗りの壁も含めて、内装は明るく上品。なおかつ料理の味や店員の接客態度も悪くなく、とても荒くれ者だらけの店とは思えなかった。
 よく考えてみれば、アリーナ会場にはレイヴンだけでなく、一般人や企業のトップも観客としてやってくるのである。ならばこの店の様子もしかるべきものなのだろう。
「えへへ〜、りんふぁちゃん、みてみて〜」
 本当に嬉しそうに、エリィがトレイに乗った料理を指さした。これが話していた新メニューというやつらしい。
「おいし〜よ〜。りんふぁちゃんもたべればいいのにね〜」
「あたしはいらない」
 エリィは気付いていないようだが、リンファはいくらいい店だといってもこんな状況で食事をする気にはならなかった。
 というのも、周りにいる男達が、例外なく全員、リンファとエリィに注目していたのである。それも無理はないことで、実はリンファとエリィのコンビはレイヴン内では有名だったのだ。凄腕の女レイヴンと同じく女のメカニック、しかもどちらもかなりの美人とくれば、むさくるしい男のレイヴン達の間で評判にならないほうがおかしいというものだ。
 リンファは十七歳で、近所のパーツショップのオヤジには砂利扱いされているが、同時に多感なお年頃。一方のエリィも言い寄ってくる男は多い。それにもかかわらず、リンファはいまいち男に興味が持てないせいで、エリィは極度の面食いなせいで、未だに恋人の一人もいない。
 それはともかくとして、リンファは一挙一動を絶えず監視されている状況下で普段通りに振る舞えるほど神経が太くはなかった。
 もう一度、リンファはエリィがスプーンを口に運ぶのを眺めながら紅茶をすすった。店は次第に混雑しはじめ、リンファの背中側にあるすぐ隣の空いていたテーブルにも、一人の客が腰掛けた。 リンファは紅茶のカップを口許で止めた。
「これはこれは、先日はどーも」
 リンファの冷たい声は、周囲の喧噪に掻き消され、エリィにすらも届かなかった。
「相変わらず嫌味な言い方だな」
 彼も同じように小声で答えた。リンファの真後ろ、テーブルに腰掛けたままで。
 エリィは顔を見たことがないから気付かないだろう。今日の対戦相手、『ワームウッド』がすぐそばに居ることに。
「まあ、ダミーの輸送車に爆弾を仕掛けるような陰険な奴なら仕方ないか」
「負け惜しみは醜いねぇ、ヨシュア君」
「全く、本当に口の減らない女だ」
「……やめてくんない、その言い方」
 静かにゆっくりと、リンファはカップをテーブルの上に戻した。その瞳は真剣そのもの。
「いちいち『女』って強調しないでよ」
「安心しろ。手加減は絶対にしない」
 ヨシュアは椅子を蹴って立ち上がった。そのまま自然に歩き、リンファ達のテーブルの横を通った。
「君を対戦相手に指名したのは僕だ。決着をつけようじゃないか」
「……楽しみにしてるわ……」
 
「ね〜ね〜りんふぁちゃ〜ん、さっきのひとだれだれだれ〜?」 出場者の控え室……と言ってもACの格納庫も兼ねた場所だが、そこでペンユウの前に立ちつくすリンファにエリィがまとわりついた。
 さすがのエリィも、すぐ横に人が立って入れば気付くらしい。さっきからあれは誰だと聞き続けている。リンファは少し、エリィの男性の好みがわかったような気がした。
「アレが今日の相手、『ワームウッド』よ。本名はヨシュアっていうらしいけど」
「わーむうっどくん? でもわかいひとだよ〜?」
「あれから『ワームウッド』のことを調べてみたの。
 そしたらどうだったと思う?」
 エリィはぶんぶんと首を横に振った。わからない、ということらしい。
「あいつは『ワームウッド』の二代目なのよ。
 マスターアリーナを辞退したってのは奴の父親なわけね。で、そのAC……これがワームウッドって名前なんだけど、それを受け継いで自分もレイヴンになったんだってさ」
「おとうさんのおしごとをついだのねぇ〜。
 えらいですねぇ〜」
「さあ」
 へらへらとヨシュアを褒めるエリィから目をそらして、リンファは前髪を掻き上げた。
「どうだか」
 最後のその言葉は半分溜息が混ざっていた。そしてリンファは自分の巨大な相棒を見つめた。かつてないものになるであろう死闘を前にして、緊張の一つもしていない機械の姿がそこにあった。
 
『じゅんびぃ〜、できたよ〜』
 あくまでいつもの調子を崩さないエリィの声が、コックピット内のリンファに届いた。試合開始まで、残り数分といったところだ。不思議と重圧も緊張もなかった。
 いつもは完全に一人での戦いだが、今日はそうではないのが原因かもしれない。いざというときには、エリィが通信でアドバイスすることができるのだ。
 ……まあ……エリィのアドバイスがどの程度当てになるかは非常に疑問なのだが……
『そうびはねぇ〜、いつもどおりなのぉ〜。
 でもあたらしいきのうつけたよぉ〜』
「新しい機能?」
『えっとねぇ〜、みぎがわにぞうせつしたレバーあるでしょ〜』
 リンファは言われるままに右を見た。確かに、見慣れないレバーが増えている。
『それをうごかすとぉ〜、だいれくとれすぽんすもーどになるのぉ〜』
「ダイレクト……レスポンス……って、もしかしてコンピューターの操縦補助をなくすってこと?」
『あたり〜! データはぜんぶバレてるのでぇ〜、いざとなったらしゅどうでうごかしてね〜』
「……簡単に言ってくれるけど……」
 何はともあれ、これでなんとかヨシュアの裏をかく要素は整ったようである。覚悟を決めたリンファは、ジェネレーターの起動スイッチを押した。
 初めてリンファが依頼をこなしたとき、その報酬で真っ先に性能を上げたのはジェネレーターだった。その後も優先して強化していった結果、今では現行の最高性能のものを使用している。リンファがここばかり贔屓にする理由はただ一つ。なかなかエンジンが動かないとイライラするからである。
 と、いうわけで、高性能のジェネレーターはストレスを感じさせることなく動き出した。ACの各部にエネルギーが供給される。
 その時だ。いきなり通信が入ってきて、電波越しにあのコバヤシとかいうアリーナ管理委員の男が話しかけてきた。
『リンファさん、準備はよろしいですか?』
「いつでも」
『ではリフトに乗ってください』
 言われるまま、リンファはペンユウを動かしてガレージの隅にあるリフトに乗せた。すぐにリフトが上へ……試合の会場へ向かって動き出す。
 視界の隅に、必死に手を振るエリィの姿が映った。
「なんだ……エリィってば、実は心配してたのね……」
『なんですか? よく聞こえませんでしたが』
「あ、ううん、こっちの話」
『では、今回の試合について簡単に説明させていただきます。
 試合会場は地上、旧北アメリカ大陸C地区。制限時間は十分。その間に相手のACを戦闘不能状態にするか、相手に降伏宣言させれば貴女の勝利です。制限時間を越えた場合、管理委員による判定で勝敗を決めます。
 なお、試合中はあらゆる行為が認められます。相手を倒すために全力を尽くしてください。では、幸運を祈っております』
 言いたいだけ言って、コバヤシは一方的に通信を切った。
 何が幸運を祈っている、だ。リンファは内心毒づいた。こんなとこで戦ってること自体、この上ない不幸なんだぞ。
 しかしまあ、こうなってしまったものは仕方ない。それにヨシュアとは、いずれは決着をつけておきたい。リンファは深く考えるのを止めた。何事にも明るく楽しく前向きに、というのが彼女の信条である。
『やっほ〜、りんふぁちゃん、きっこえるぅ?』
 そんなリンファも全くかなわないくらい底抜けに明るい声が響いてきた。言うまでもなくエリィである。そういえば、エリィに比べて自分はファッションに気を遣わないな、とリンファはふと思った。そして、今日もらう賞金で、エリィと一緒に服を買いに行こうと決めた。そう、彼女はもう勝つつもりでいた。
「きこえるきこえる。なんかヤル気でてきた」
『ほんとぉ〜? でもぉ、よしゅあちゃんころしいちゃや〜よ〜』
「はいはい。了〜解」
 一体あんな嫌味なネクラ野郎のどこがいいんだか。ま、多分顔なんだろう。だいたいあいつは因縁ある敵なんだから……ん? そういえば何の因縁だったっけ? こないだペンユウをぼろべろにした因縁……いや、確かもっと前だ。最初に会ったのはあいつが泥棒に入って来たとき……
 リンファの頭の中はヨシュアで埋め尽くされた。知らぬ間に。リンファ自身が気付かぬ間に。彼女はあまりにも自分を知らなさすぎた。
 やがて、カウントダウンが開始された。このカウントがゼロになった瞬間、このリフトは地上にたどり着き、同時に戦闘が始まるのである。
 あと十秒。リンファが右手を軽く動かすと、それに反応したペンユウがマシンガンを構えた。
 あと五秒。額を汗が流れていくのを感じた。自分らしくないという気がした。
 あと二秒。もう地上の明かりで周りがはっきり見えるようになった。
 そして……
 
 カウントがゼロになった瞬間、ペンユウは真横にブースト移動した。ついさっきまでペンユウがいたところを、ガトリングガンの弾丸が通り過ぎていく。
 リンファが相手の姿を確認したのはその後だった。前に見た、青い蜘蛛のようなAC。武器腕のガトリングガンと、肩に背負ったレーザーキャノンがその武装。火力も機動力も兼ね備えた、できれば相手にしたくない奴である。
 ヨシュアの性格から、最初に不意を付いて攻撃してくるのは予想していた。だからこそかわせたのである。
『よく避けたものだ』
 こんな時に、余裕があるのかバカなのか、ヨシュアが通信を入れてきた。同時に、ワームウッドは一気に加速して近付いてくる。『いい勘をしている。親父を思い出すな』
「そりゃどーも……」
 敵に褒められても大して嬉しくはない。ペンユウは牽制のつもりでマシンガンを撃った。別に当たるとは思っていなかったが、やっぱり当たらない。
 マシンガンは諦め、今度は自分からダッシュをかけた。正面から二体がぐんぐん近付いていく。
『チキンレースでもする気か』
「まさか」
 バシュッ!
 まさに激突寸前となったとき、ペンユウが左手を振るった。レーザーブレードがワームウッドの装甲板をかすめる……が、それだけだった。
 一瞬速く反応したワームウッドが、ブレードのある腕と逆方向に逃げたのである。これでペンユウは横を取られる形となった。
『言っただろう、データはこちらにある、とな!』
 ワームウッドの肩のレーザーキャノンが火を噴いた。このままではペンユウに直撃する!
「食らうかっ!」
 しかしその瞬間、ペンユウがマシンガンを放り投げた! レーザーはマシンガンに着弾し、爆発を起こす!
 ペンユウはマシンガンを失っただけで無傷。だが安定性のない四足ACであるワームウッドは、衝撃で大きくバランスを崩した。すかさず、ブレードがきらめきワームウッドの右腕をもぎ取る! そして素早くペンユウは離脱し、再び間合いを取った。
 今の一瞬の攻防で、ペンユウはメイン火器であるマシンガンを、ワームウッドは両腕の武器のうち片方を失った。状況的にはほぼ五分と五分。
 次に聞こえてきたヨシュアの声に、さっきの余裕はなかった。
『やってくれるじゃないか……』
「ま、あんたの父親を思い出させるくらいの勘の良さだから」
 今度はリンファは軽口を返した。彼女の中には、少し思い当たる節があった。
「ヨシュア、あんたさっき言ったよね。
 親父を思い出させる、って。
 どういうこと? あんたは父親と戦ったことがあるわけ?」
 ヨシュアは答えなかった。それでリンファは確信した。
 ゆっくりと強靱に、自分の確信を言葉にして紡ぎだしていく。
「父親を殺したのね、ヨシュア」
 しばらく沈黙が続いた。今ここで何も言わないということは、認めているにも等しい行為だった。リンファは小さな彼の溜息を聞いたような気がした。
『奴は……戦うことを棄てた』
 聞こえてきたのはヨシュアの声だった。どことなく疲れているようだった。
『だから死んだのさ』
 ペンユウの肩に付いた、エリィ特製のレーザーキャノンが準備された。これでいつでも撃てる。リンファは、この男には一発お仕置きをしなければ、と思った。
『僕はあの男を越えてしまった。だから……』
「寝言は寝てからいいなさいよ!」
 リンファが一喝すると、彼の声は止まった。
「あんたは父親を越えてなんかいない。
 それどころかあたしを越えることだってできない!」
『面白い』
 ワームウッドが、動いた!
『試してみようか!』
 その時、今まで話を黙って聞いていたのだろうか、エリィから通信が入ってきた。
『りんふぁちゃん、レバー!』
「わかってるっ!」
 リンファはすぐさま右手でレバーを下ろした。これで、火器制御や機体制御にコンピューターの仲介が入らない。自動標準も利かなくなるが、同時に余計なタイムブランクもなくなる!
 近付いてくるワームウッドに対して、マシンガンで牽制……
「あああああっ! マシンガンがないっ!」
 仕方なく、上空へ飛び上がってワームウッドのガトリングガンをかわす。無防備な空中にいるところを狙って、ワームウッドがレーザーキャノンを連射する。なんとかそれをかわしながら、ゆっくりと地上に降りていくペンユウ。と……
『りんふぁちゃん、ワナよっ!』
「!?」
 ほとんどエリィの声に驚いて、リンファは着地寸前でブースターをふかし、上昇した。その足のすぐ下を、レーザーキャノンの弾が過ぎ去っていく。
 ヨシュアはまず単調に攻撃を放ち、リンファが地上に着地するように仕向けた。そして、着地の一瞬の隙を狙ってレーザーキャノンを撃ち込んだのである。リンファはこのことに気付かなかった。もしエリィの警告がなかったら、今頃直撃を食らっていただろう。
『君のメカニックはいい腕をしているようだな』
『えへへ〜』
「うるさいっての! エリィも照れてんじゃないっ!」
 幸い、ここは切り立った岩が連立する荒野。ペンユウは岩の後ろに着地した。
 それにしてもマシンガンを失ったのは痛い。牽制に非常に重宝する武器なのだが。
「こうなったら……イチかバチか!」
 ペンユウは岩陰から飛び出すと、ワームウッドへ向かって走り出した。しかしこれでは撃ってくれと言わんばかりである。
『甘いぞ、リンファ!』
 ガトリングガンの弾丸が飛んでくる。それをペンユウは再び空中に飛び上がってかわした。
『ダメよぉ〜! それじゃさっきと……』
「同じことはしないっ!」
 リンファは乱暴に言い放つと、ペンユウが肩のレーザーキャノンを構えた!
 空中で撃つ気だ!
 ヨシュアは内心ほくそ笑んだ。前に戦ったとき、リンファは空中でキャノンを撃とうとして失敗している。確かに撃つことは不可能ではないだろうが、機体に及ぶダメージも半端なものではない。加えて、この距離ならワームウッドの機動力をもってすれば簡単にかわすことができる。
 つまり、もはやヨシュアは勝ったも同然。この一発はリンファのやけくその一撃。
 ヨシュアはそう読んだ。
 そして、ペンユウがレーザーキャノンを撃った!
 ……空中で機体を安定させたまま!
『何ぃ!?』
「ほらほら、早くかわさないと直撃するぞ!」
『くっ!?』
 驚きが先にでて、回避動作が一瞬遅れた。そのせいで、なんとか回避はできたものの、衝撃でワームウッドの動きが鈍る!
「とどめだっ!」
 ペンユウが放った第二射は、今度こそワームウッドを直撃した!
 ぼろぼろになり、ぴくりとも動かないワームウッド。その正面に、ペンユウは降り立った。
「さあ……」
 ――大人しく降伏しなさい。
 リンファがそう言おうとした、その時!
 バシュッ!
 ワームウッドのレーザーキャノンが火を噴いた!
 油断していたリンファの裏をかき、ペンユウの左肩に直撃した弾丸は彼女の愛機の左腕を切り離した!
 衝撃で、片膝を付くペンユウ。そのコックピットの中、リンファは唇を噛んだ。
 そう……相手が降伏していないうちは決して勝った気になってはならない。その大原則を、リンファはすっかり忘れていた。
『ふ……油断大敵、ってのは確かアジア人の諺だったよな』
 ワームウッドがゆっくりと、機体全体をきしませながら起きあがった。全身はぼろぼろだが、まだペンユウに止めを刺す程度の余力はあるようだ。
 リンファは考えた。レーザーブレードを装備している左腕を斬り飛ばされ、残った武器は肩のキャノンのみ。だがこれは準備に時間がかかるため、この距離で悠長に準備していたらその前に止めを刺される。
 ほとんど状況は絶望的だった。
『それにしても、どうして空中でキャノンが撃てた?
 前はわざと失敗したのか?』
「……別に。ただ、コンピューターの仲介がなかったから思い通りに機体を動かせただけよ」
『なるほど……大したものだ』
 キュインッ。
 小さく音を立て、ワームウッドのキャノン砲が向きを変えた。いよいよ……来る。
「全く……あんたの言う通りよ。
 油断大敵ってのは……」
 リンファが、にやっと口の端を吊り上げた!
「アジア人の諺よっ!」
 瞬間、ペンユウの右手が地面に落ちた左腕をつかみ、ワームウッドに投げつけた!
 ……腕に内蔵された予備電源で生み出された、光の刃と共に!
『うおおっ!?』
 ブレードは狙い違わず、ワームウッドのコアと脚部のつなぎ目を斬り裂いた! そして、衝撃で発射されたワームウッドの弾丸もまた、ペンユウのボディを全く同時に貫いた!
 
「引き分けぇ!?」
 勝負を終えたリンファの第一声がそれだった。あまりの剣幕に、知らせを持ってきたコバヤシがのけぞる。
 リンファの大声はACの格納庫に響き渡り、エリィは止めどなく耳を襲う反響音に頭がくらくらした。
 今にも噛みつこうとするリンファをなんとかなだめて、コバヤシは言葉を続けた。
「確かに貴女は対戦相手を行動不能にしましたが、同時にあなたのACも行動不能になりました。よって引き分けです。言っときますけど、判定は覆りませんよ」
「ぬぁんでよっ!? あいつが弾を撃ったのは胴を斬られた衝撃があったからよ!?
 あたしの方が早かったにきまってるじゃない!」
「いや、それはわかります。
 でも結果的にですねぇ……」
「…………あ」
 横でコバヤシに食ってかかるリンファを眺めていたエリィが、小さく声をあげた。格納庫に入ってきた者がいる。
「ふっ、やはり駄々をこねているようだな」
「あーっ!? ヨシュアっ!
 何しに来たのっ!?」
「聞きたいことがあったから来ただけだ」
 ヨシュアの顔を見ると、リンファはコバヤシから手を放した。自分よりずっと背の高いヨシュアの顔を見上げ、にらみ合う。
「どう……」
「断る」
 いきなりの返答に、ヨシュアは戸惑いの表情を浮かべた。まだほとんど何も言っていないのだが。
「せめて質問くらいは聞いてもいいんじゃないか?」
「聞かなくてもわかるから聞かなかったのよ。
 どうせ、どうして父親を殺したとわかった、とかなんとか聞くつもりでしょ」
「ああ……」
 ヨシュアはリンファの言葉をあっさり認めた。それに満足したように、リンファは人差し指を立てて、ヨシュアの唇に押し当てた。
「自分で考えなさい」
 
「ほぉ〜、そいつは大変だったねぇ」
 パーツショップのオヤジは全然大変そうに思っていないような口調で言った。もう少し、演技なりなんなりをしてもバチは当たらないと思うのだが。
 今日は、リンファはエリィと一緒にパーツショップへやってきた。そのエリィは、さっきから店のジャンク品を見てにやにやしている。
 そして、リンファの服装はいつもとは違う。エリィと一緒に買った、デザイン重視の服である。今日ここに来たのは、それの『モニターテスト』も兼ねているのだ。
 ……が、オヤジはリンファの服には全く興味を示していないようだった。
「別に大変でもなかったけどね。
 ACの修理代は管理委員が出してくれたし、なんか特例とかで賞金ももらえたし」
 ややムッとしながたリンファは言った。今回のアリーナ戦は、コバヤシ曰く『歴史に残る名勝負』だったらしく、幾つもの企業がリンファとヨシュアをお抱えレイヴンにしたがったらしい。リンファが言っている賞金とは、こういう企業が出した金である。そこには勧誘の意味が強く込められていたが、リンファもエリィも、全く気付いてはいなかった。
「えへへ〜、みてみておじさ〜ん、しょ〜きんであたらしいふくかったの〜」
「へぇ、よく似合ってるじゃないの。
 ん? そういえばリンファちゃんもいつもと格好が違うな」
 やかまひい。なにがそういえば、だ。
 こうなると余計に腹が立つ。腹癒せにリンファは足下のジャンクを蹴り飛ばした。その下から何か青いものが転がってきた。
 リンファはそれを拾い上げると、まじまじと見つめた。見慣れない、四角くて細長い青い金属に、四角い穴が沢山空いていた。
「これ……なに?」
「ん……? はて、なんだろうな。 その辺のはスクラップを適当に集めてきたものだからなぁ」
「あー!」
 エリィがリンファの指の中にある青いものを指さして声をあげた。どうやらこれが何なのか知っているらしかった。
「それ、はーもにかだよ。むかしのぉ、楽器!」
「ハーモニカ……」
 リンファはもう一度それを見つめ、ハーモニカ、という言葉を何度も頭のなかで繰り返しながら指で弄んだ。やがて飽きたのか、リンファはオヤジの方に向き直って、そして言った。
「これ、もらうね」

THE END.