わたしのせいだった。けれどあなたのせいだった。
 いたずらをした。
 その刀身のはらむ熱に、はっとしたときは遅かった。
 あの胡乱な目をした男の裡にある、溶岩のかけらに触れてしまった。やけどを負った。
 それが。

 ずっと、いえずに、いる。



 ROman−tique Pre−story
“Big Scary Animal”



「──よお」
 王国首都、冒険者の宿屋前。
 剣士に声をかけられたとき、ざんばら頭の男はだらしなく地べたに座りこんでいた。
 男の名はハックマン。盗賊だ。冒険者登録されたものの名は、おなじ冒険者がその人物に意識をふりむければ一瞬で照合・認識できる。たとえそれが見ず知らずの相手であろうと。
 とはいえハックマンの姿をみとめた剣士は、もともとかれの知り合いである。挨拶がわりに手を広げるジェスチャーの情動表明をした。
 そもそも異文化圏でのコミュニケーション手段として発達した感情の視覚変換処理、通称『エモーション』は、やや離れた距離にいる相手にも作用するため、現実の表情や身ぶり手ぶりより重宝されることが多い。転じて、冒険者同士のふだんの挨拶にも使用されることが通例となった。
「おう、カイナンひとりかよ」
 座っていたハックマンは立ち上がり、おなじエモーションでそれに応じる。
「藍名ちんはどうしたよ。またケンカかよ」
「なんでおれがあいつを連れてくることになってるんだ」
「……やっぱりケンカかよ。ま、わかりやすくていいよ。見ててほほえましいもんがあるわけだが」
「はぁーっ」
 カイナンは咳ばらいがわりに、いつものクセである鼻から抜くような息をついた。ハックマンはそれを聞いてアッアッアッと喉だけで笑い、
「そのクセむかつくって言われたんだろ。それでまた売り言葉に買い言葉だろ。どうせパターンなわけだが」
「そっ、ぉー、んなことより、きょうはおれらだけか? 集まり悪いな」
 カイナンはあたりを見まわしつつ、かつかつとブーツの底で石畳を叩いた。もう強引に話をそらすことにしたらしい。
「きのうの話ぶりだと、藍名ちんだけでなくたぶんガントとオリアと『憂いの君』が来るかもしれんぜ。ハウンゼはコモドに遠征中だから来れねえ、ノーキィも微妙って話なわけだが」
「来たよ」
「微妙も来れたー」
「お」
 眼鏡をかけた若い聖職者見習いと、体格に似合わない大弓を背負った少年のふたりづれが、『挨拶』をしながら現れた。
「してみると、これで全員か? きょうは」
「オリアと憂いと藍名を待たないのかい」
 さっきまでの話を聞いていなかった聖職者、ガントは、とうぜんのように訊ねる。
「行こうぜ。人数が少ないから適当にゆるめの狩場で希少狙いでも──」
「どーうしてー」
 弓をハープに見立ててかなでるふりをして、歌うように、つまりはからかうようにノーキィ少年が朗々と言った。
「なにをーそんなにー焦ってーるんだろ〜♪ カイナンくんは」
 カイナンは仏頂面でふりむいた。
「……おーまーえーは、なんでそう暢気なのかね」
 ノーキィは答えずに、機嫌よくエモーションを浮かべた。
『〜♪』
 太陽みたいないい笑顔だった──虫のいどころが悪い人間なら、だれもが殺意を抱くような。
「てめ」
「あ、オリア藍名こんちわー」
「いくらなんでも見えすいて──」
 カイナンがノーキィにつかみかからんとしたまさにその瞬間。
「はろはろー。オリアアイナ来ちゃったあ」
「ど……どうも」
 魔術師の凍結魔法でも、このときオリアと藍名の声がカイナンにしたほどみごとには、人間を凍りつかせることはできないだろう。

 気まずい。
 めっぽう気まずい。
 藍名は途方もなく気まずい気分でいた。
「うー」
 彼女のとなりには、みごとなブロンドをつやめかせて女剣士が歩いている。カートをひきずりちんたら歩く藍名に、ごていねいにも歩調を合わせてくれている。
 藍名に増速をかけながら行こうか、と申し出てくれたガントを、いいからいいからとオリアが追い払ってしまった(『女どうしゆっくり行くわ。入り口で落ちあうから待ってて。いいでしょう?』)。
 会ったらカイナンにあやまろうと思っていたのに、問題の待ち合わせ場所に来たらちょうどじぶんの話をしていて出るに出られず、ものかげからタイミングを見はからっていたらぽんと背中を叩かれ、最悪のタイミングでひきずり出された。
 彼女を恨む気にはなれない。むしろ感謝している。あのまま『木陰でハンカチをかむ女学生』状態で時期を逸して、けっきょく合流できずじまいだったかもしれず、そうなったらどれだけみじめだったかしれない。カイナンもあれで、いちど言い出したらどうしてどうして強硬な人物ではあるのだ。
 ちら、とオリアの横顔──そう、彼女はまさに真横をのんびり歩いていた──を見やる。
 盾や兜はくくって背負い、すんなり通った鼻梁も、植えたかのようにそろえられた睫もあらわになっている。
 華麗なオリア。かっこいいオリア。
 おまけに、かわいいと思う。
 かなわないと……思う。
 神さまあんた不公平だ。
 重いため息とカートをひきずり、藍名の足どりはいつもよりさらにはかばかしくなくなった。
『気分が乗らないときは、別行動してみるのもひとつの手よ』
 憂いの君は所用あって来られない、とのこと。戦力から概算して行き先はあっさりと決まったが、その会議の最中に、オリアが個人念話でそう『囁い』て、ぺろりと舌を見せてきた。
『ギルド念話が届いてきてもアウェイや不通のふりしてだまってたり、いろいろね』
 そうなのだ。こういうひとなのだ。出会ったときも、彼女はそうしてカイナンを翻弄していた。
 ──すてきだなあ。
 じっさい、そう思う。秘密を持つことを恥じないし、おそれもしない。だから秘密があることを隠さない。鬱屈するときは力のかぎり鬱屈し、完全燃焼してあとにひかない。
 じぶんにはこういう、さっぱりとした生きかたはぜったいできないだろう。みっともなく思考のループにおちいって身動きがとれなくなるのがおちだ。さっきの待ち合わせに顔を出せなかったときもそうだ。その理由だったあの件にかんしても。
 だいたいあれは、そもそもカイナンが悪いのに。
 よかった。むかむかすることができた。自己嫌悪にはまりこむよりはいい。
「で、あの空気読めない男はどんな無神経をやらかしたの?」
「えー、ややややや、その」
 そうそうオリア、ぜんぶあいつが悪いのよ。聞いてよあのばかったらさあ。
「……カイナンが悪いわけじゃないと思うよ」
 このざまです。
 気持ちと理屈の区別もできなくて、けっきょくほんとうの気持ちがどれだったかすらわからなくなっちゃうような。
 かっこわるい女。
「どうしてそう思うのかしら?」
「だって、あたしはいつもそう。知らないうちに人を不機嫌にさせるの。気がついたら遅いの、離れてっちゃうの。なに言っても止められないの。なにか言っちゃうから止められないの。思ったこと言っても思ってもないこと言ってもぜんぶだめで」
「そう」
 にっこり笑いかけてくる。この顔がいけない。ほんわりする。
 そんな笑顔で救ってほしくない。『そんなことないよ』なんて安請け合いしてほしくない。ぜったい納得できないのにふんいきだけで救われちゃうのはいやだ。だまされたくない。たぶん泣いて怒って反発する。あたしはこんな人まで敵にまわすことになって、恋敵とかじゃなくて本物の敵にしちゃうことになって、ぜんぶ手遅れになって。そんなのはいやだ。きれいなくちびるがそのかたちに、『そ』のかたちに開いて、だめ。
「それでも」
 安請け合いはなかった。
「言うより言わないほうがずっといやなんでしょ?」
 答えることはできなかった。答える必要もなかった。
「そこにいいも悪いも正しいもまちがってるもなくて、思ったら言わなきゃすっきりできないんでしょ?」
 なすすべもなかった。こっくりと力なくうなずく。
「かなわないなあ──」
 つぶやいて、オリアはため息をついた。
 ──え。
 藍名には、その意味がわからなかった。

 地図においては首都の頭上を守るようにしてそびえる、ミョルニール山脈、ここはその西端。
 ガントはきっちりと地面に座り、目を閉じて瞑想めいた休息をとっている。
 かれの仕事は仲間たち全体に目を配り、必要に応じた奇跡による支援をほどこすこと。目のまえの敵を一体々々倒していくこととは性格をおおいに異にするものだ。ある意味、もっとも集中力を必要とする。
 ハックマンは地道にも、そこらを飛びまわっている蝶型の魔物やそのさなぎを叩いてまわっている。ただ貧乏性というべきか。
「さぁて」
 所在なさげにぶらぶら両手をふりながら、カイナンはおちつきという言葉と無縁に歩きまわる。『不動の剣士』の異名が泣く。
 腐った枕木を踏みしだきながら、トロッコの走らなくなってひさしいレールをゆっくりとたどる──が、すぐにその散策は打ち切らざるをえない。
 レールはあっさり断絶しているからだ。年月という化け物によって無惨にねじ切られ、終了している。
 完全に手持ちぶさたとなったカイナンの視線が泳ぎ、ちぎれたレールの残骸をたぐっていく。そしてほどなく目に入る。未練がましくそれらを呑みこもうと口を開ける、暗闇が。
 廃鉱、またの名をミョルニールの魔鉱。その深さは人の欲望の深さ。
「なにを考えてるんだろ? かーいなーん」
 ぷぃーん。
 弓弦をはじく音がした。
「ていうか、だれのこと考えてるんだろー、むしろどっちの? かな?」
 カイナンはげんなりしながらふりむいて、
「きょうはなんで妙にからんでくるんだ、ノーキィ」
「なんだろ〜? 強いていえば愛のそう、あーいーのーためだろう」
 ぷぃーん。
「もててもてて困っちまうな」
 見るものすべてを気の毒な気持ちにさせそうな渋面で、カイナンが応じた。
「きみへの愛じゃないよカイナン」
「本気で安心したぜ」
「でもね……」
 蒼い髪の少年はすこしだけ目をふせて、もういちど弓弦をつまびいた。
「はっきりさせないとだめだろう、と思うよ」
「はっきりって言われてもな。おれの意思はどうなる」
「そんなものないっ」
 断言である。
「そんなものないんだよ、カイナン。女の子泣かせておいて、まだおれの意思がとか言っちゃってるような男は、最後には血も残せないでヒドラあたりの養分になっちゃうようなさみしい生涯を送ることになるのだろう」
 ぷぃんいんいん。
 弾きかたにバリエーションまで発生した。
「へ。そりゃおめえの主義か」
「まさかだろう? 自然の摂理の話をしてるの」
「摂理か」
 カイナンは視線をめぐらせる。肩をすくめながらうそぶくノーキィのはるかむこう、森のなかから、ふたりの人影が歩いてくるのが見える。
 金髪をなびかせ、ぴんと背筋の伸びた女剣士と。
 小柄で、なにかに挑むような瞳をした女商人と。
「……摂理、ね」

「炭鉱ははじめてかい?」
「……え、うん」
 ガントがいつのまにやら隣を歩いていて、じぶんを気づかってそう言ったのだと藍名が理解するために、何秒かを必要とした。考えごとをしていたからだ。
 いけないいけない、と軽く頭を振る。もうここは魔窟なのだから。うわの空で戦いに臨むわけにはいかないのだから。
「ここはかなり深いところまで降りないと、本命の魔物を狩れないんだ。このあたりまではこいつらみたいな、ていやっ」
 チェインを振りまわし、まとわりついてきた赤い蝙蝠の化け物をはたきおとす。
「野生動物に毛の生えたような敵ばかりだからね」
 たしかに、まだモグラだの蝙蝠だのしか現れない。しかも荒れ放題で、あちこち落盤やレールの断線によって道がふさがっていて、迷路のようになっている。いかに放棄された場所であるとはいえ、これはひどいと思う。
 そして──闇だけは、どちらを向いてもそこにある。冒険者として強化された視覚によってもなお透徹できない、深い闇が。
「これを掘ったの」
 藍名はかすかにふるえる声で言い、仲間たちが無言で彼女を見やる。
「これを掘ったの、あたしたちなんだね……」
 魔窟。
 その深さは、人の──

 人のあくなき欲望。その深淵の、いかに冥きことか。
 それをおぞましく思う心が、暗闇を畏怖する心が、いくつもの物語を生み出してきたように、炭鉱夫たちのあいだにもちいさな伝説をつくった。
 そいつは死してなお、鍛えられるべき鉄を求め。くべられようとする石炭を求め。磨かれる日を待つ原石を求め。骨だけになっても坑道を掘り進めつづける。
 その存在を想像する人々の思念が、欲望の対象を中心核として集合し実体化した怪物。スケルトン・ワーカー。その手にしたマトックが、『邪魔をするな』とばかりに打ちこまれる。
 だが、遅い。
 力と速度が高度に融合した、びゅどっ、という壮絶な音とともに、むきだしの頭蓋骨にカイナンのふるった刃が食いこんだ。
 カイナンのカタナは無銘の量産品で、おせじにも切れ味のよいものではない。戦場でうち捨てられ、魔物の核としていくばくかの時をすごした回収品であるために霊的キャパシティがやや上がっているが、それでもひと山いくらの代物であることにはかわりない。
 それを並ではない威力の一撃にしているのは、刀身に恒久的に付与された霊力の特性。そしてカイナン自身の腕力と手数そのものの多さである。
『険を冒す者』の名が有名無実となってひさしい。いわく、世界を呑まれるなかれ。戦線を維持せよ。より多くの魔を、より安定して殲滅せよ。
 未知への挑戦精神よりも、魔力を帯びたあらゆる収集品の回収能力が、そして最大戦闘能力よりも継戦能力が問われることとなった冒険者は、通常、攻撃よりも防御に重点を置いて鍛錬を重ねるのがセオリーとなっている。
 カイナンは旧いタイプの剣士である。『攻撃こそ最大の防御なり』という、とうに死語となった言葉を実践するように腕力を鍛えている。反応速度、瞬発力もかなりの練度ではあるものの、一般的な剣士よりはるかに攻撃寄りの戦法をとっており、また訓練メニューもそちら方面に著しくかたよっていた。純粋な耐久力については、必要最低限の訓練をこなしているにすぎない。
 すなわち──本人は認めたがらないが──共闘する仲間や支援する聖職者の存在がなければ、かれは冒険者として真価を発揮することができない。
 ガントの祈りによる癒しの奇跡が、群がる敵に疲弊したカイナンの肉体を再活性させ、自然治癒力を爆発的に向上させる。
 ハックマンがあざやかな手首の返しで短剣を閃かせ、オリアの倒しそこなった骸骨に連撃をくわえる。
 藍名は炎をまとった剣を手に奮闘していた。先日新たに購入した掘り出しものだ。不死の魔物は火のもたらす熱と光にひるむ。
 4人の間隙をぬうように、ノーキィの矢が空気を切り裂く。眉間を射抜かれたワーカーはそれでも死にはしないが、
「おぉおっ」
 そこに不動なるカイナンがいる。動かずいる。
 カタナに思念を注ぎこみ、火の力を付与し、ふりおろす。爆発の剣。高熱をともなう衝撃波を発生させる剣士の神技が炸裂する。
 残っていた3体のワーカーが分解しながら吹き飛び、もうもうと埃が舞いあがる。その奥に新たな影が出現した。
「霧野郎が来たわけだが」
「うん。1、2体ならまあ、楽勝だろ」
 それまで遊撃的に魔物を狩っていたハックマンとノーキィが、やや緊張を含んだ声音で影をにらむ。
「『重ね』るよっ」
「おうよ!」
 弓使いの『梟の目』、目と呼ばれるにはあまりに精密すぎるふたつの測距機器が、目標を見すえる。
 そいつは曖昧なシルエットを持った、しかし確実に攻撃的な、生きている毒の霧だ。倒すには濃密な霧の層を無害なレベルまで吹き散らしてしまうほかない。
「せえーの」
 ノーキィが引き絞った弦には、矢がつがえられていない。それに代わって放たれようとしているのは、ノーキィの体内で練り上げられた純粋な『力』。
「さがってっっ」
 ハックマンが飛びすさった。
 轟。
 その矢は実体を持たないがゆえに鋭利。実体を持たないがゆえに──
 霧の化け物の胸にあたる部分を、ふたつの矢が射抜く。放ったと同時に飛び出した一矢と、その影のように一瞬遅れて放たれるもう一矢。ぶれたようになかば重なった2本の矢が殺到する。
 実体のない、精神力を消耗して放つ矢だからこそ可能となる、ありえない連射。重ねの神技。
 ソードマンが持続力で戦うならば、アーチャーは一撃必殺。その思想を体現したような技であった。
「……かたづいたな」
 カイナンがカタナをひと振りし、鞘に収める。
「わ、湧くね……」
 藍名はファイア・ブレイドを杖にして息をつく。すこし目が回っていた。
「まあ、あんときのオーク洞もたいがいだったがな」
 カイナンはゴーグルを上げ、凝った首をこきりと鳴らしながら、
「ここも出てくるときは一斉に、わんさか出てくる。やむときは退屈なもんだが」
 なんとなく目が合い、
「ふうん……」
 どちらからともなく目をそらす。
「どっちにしてもこの人数だ、まず負けやしねえよ」
「そうだよね」
 ぷゆん。
「やつが来なきゃだろ〜?」
 ノーキィが弓弦をもてあそびながらつぶやく。
「『神官さま』かよ。たしかにあいつはやべえよ」
 ハックマンが大げさに身震いしてみせる。
 藍名も見たことはないが、話には聞いていた。炭鉱夫たちを弔うかのように徘徊する、不死の神官がいると。
「あいつだけは別だよね。ここの本来より格段にランクの高いめちゃくちゃな化け物だ。出たら逃げたほうがいいだろー」
「そんなに?」
 ノーキィはうなずいた。
「ぼくらがフルメンバーなら勝てるだろうけど、この人数じゃ微妙だろ」
「最低、魔法があれば勝てるかもしれないな。ハウンゼがいればいいんだけど」
 ガントの言葉どおり、魔術師の存在は大きい。ところで藍名はいまだにハウンゼを見たことがない。ひとりで戦うのを好み、めったにパーティーを組むことはないらしい。ギルドはあくまで情報交換や相互援助の場であって、いっしょにぞろぞろ連れだって狩りに出るためのものではない、というのが持論だとか。
「あいつら、ひとりで狩ってたほうが効率はいいみたいだしな。それでなくても魔法使いなんざ気むずかしいもんなわけだが」
「気むずかしくて気まぐれ、ね」
 ──なんか、いいなあ。
 ハックマンがぼやき、オリアが苦笑するのを眺めながら、藍名はほのぼのとした気持ちになった。
 藍名はギルドに加入するまではたいていひとりだった。相棒がいたころはふたり組で戦ったりする機会は多かったし、その場で意気投合した相手とパーティーを臨時編成したこともあるが、こう大所帯で動いたことはない。
 戦場であることにはかわりないのに、なにか幸せな心もちになってしまう空気がここにはある。
 戦場であることにはかわりないのに。
 冒険者は日々の戦いにたやすく心を蝕まれる。あたりまえのことだ。死ぬことすら許されず、終わりすら見えず、ひたすら魔を狩ることを課せられる。こんな生きかたがまともに続けられるはずがない。

『……』

 ──忘れろ。
 藍名はじぶんの頭を軽くこづいた。考えても永久に真相があきらかになることはないと、いいかげん割り切れ。
 はっきりしないままのことも、世界にはあるのだと。
「──よね? 藍名」
 オリアの声で、現実にひきもどされる。
「えっあ、なにが? ごめん聞いてなかった」
「えぇと」
 彼女は気を悪くするでもなく、
「でもそんなにすごい相手なら、いちど会ってみたいわねって」
「よしてくれ」
 カイナンが唾でも吐くように言う。
「おれでもまず勝てん相手だ、おまえらじゃ瞬殺されちまうぞ。毎度まいど好奇心だけで無茶されてちゃこっちがもたねえよ」
 むか。
「だからそういう言いかたは!」
 藍名はがばっと立ちあがり──
 カイナンの足許が沸騰するのを見た。
「なにそれ?」
「なにが」
「動いてっ」
 だれよりもまず先に寸毫のためらいもなしにオリアが疾走した。
 不動の剣士に動けと叫び。不動の剣士を突き飛ばし。
 爆ぜる大地の餌食となった。
「オリアっ」
 難を逃れたカイナンが、身代わりになったオリアを抱き止めた。地面から噴きあがった石くれに全身をしたたか打たれ、虫の息でいる。
「ほ……ほんとに瞬殺……されちゃった」
「しゃべんな死んでねえ」
 カイナンの言葉も、ガントの対応も迅速だった。略式祈祷ですばやくオリアに癒しを与え、出血を止める。
「頼むわ」
 藍名は返事をする間もなくオリアを預けられ、そして預けたカイナンは。
「──来やがったな。ほんとうに来やがったちくしょうめ」
 カタナを正眼にかまえ、敵を見据える。
 崩れかけた経典を手に。かしいだ巨大な十字架を背に。深くかぶったフードの奥には、ぽっかりと暗黒が。髑髏のなかに。
 ありうべからざる眼光が。
『悪しき神官』。
 歯が半分かた欠け落ちたその口が、いましがたオリアを攻撃したものと思しき呪文をふたたび詠唱しはじめる。
 思わなかったか。暗闇に瞳をめぐらしたとき。思わなかったか。いくらなんでも落盤や断線が多すぎるのではないか、と。思わなかったか。
 人はいずこかに足を踏みしめていなければ、生きることはできない。
 その足場となる岩盤そのものが敵となる。大地を武器とする攻撃魔法。天上を舞うもののみが免れることを許される、神ならぬ身においてはもっとも痛烈なる、一撃。天の打擲。
 ずいぶんと粋な弔問もあったものだ。
「……そうか……」
 そしてもうひとつ、藍名には気づいたことがあった。
 カイナンがおたけびとともに斬りこんでいく。深く息を吸いこみ、白刃の嵐を浴びせる。
 ひるがえるカタナだけが、炭鉱の深い闇のなかからかすかな光をすくいとる。銀の糸が縦横無尽に跳ね、『神官』を襲う。
 ぶん。
 宙に浮かんだその身体の、像がぶれようとする。
「! 位相がずれる!?」
「カイナン! やつは実体化を解くつもりだろっ」
「そいつは」
 カイナンは身をかがめ、カタナを鞘におさめる。
「むだだ」
 ひゅるぅ、と笛のような呼吸が空間を揺らした。
「はぁーっ」
 抜刀が視えない。それは稲妻も追いつけない豪打だった。鋭いだけではなく、精神力を物理的なエネルギーに転化した力の束が敵を打ちすえていく。なかば実体化を解こうとしていたその姿が、ふたたび現世のものとなる。
 ノーキィの矢がハックマンの短剣が助力を与える。ガントの癒しの力によって、カイナンの肉体は堅牢さを保ちつづけている。
 あれだけやる気のないようなことを言っていたカイナンの頭からは、おそらく逃げるという選択肢などきれいに吹き飛んでいる。
 腕のなかのオリアに視線を移す。もうだいぶ回復していて、顔色もよくなっている。
 きれいだと思う。
 からからから、と音がした。
 たくさんの影が周囲に生まれる。
「……あ、は」
 やけっぱちの、乾いた笑いがもれる。
 あとは立ちあがって、ブレイドを抜き払ったところまでしかおぼえていない。

 気がついたら敵はいなくなっていた。みんなともはぐれてしまっていた。
「乱戦だったからねえ……」
「めちゃくちゃに暴れちゃったあ」
 それと気がついたら、かたわらでオリアも戦っていた。
 そうでなければ、数秒と待たずに藍名はやられていただろう。カイナンの影で目立たないが、彼女もそうとうな実力を持つ剣士にはちがいないのだ。
 ふたりして、ずるずるとへたりこむ。
「……でもさ」
「はい?」
「すごいの拾った」
 にんまり笑いながら、オリアにその長方形を見せる。
「あのなかで、よく見逃さなかったわね」
「商人だもん。これ売ってみんなで分ければ、かなりの儲けになるよ」
「カイナンがほしがってたわよ」
「あ──」
 すっかり忘れていたが、そうだったのだ。かれのカタナは。
「どうしようかな。あいつそんなお金持ってないよね」
「ないわね。まちがいなくね」
「……どうしてやろうかな」
 じぶんの顔が邪悪にほころんでいるのがわかる。
 ふととなりを見る。オリアが藍名を見つめ、チーク・ガードのすきまから微笑をのぞかせている。
「ん、な、なに?」
「けっきょく、なにがあったの? カイナンと」
 天井を見上げて、ため息をつく。
 ──そうだよな。やっぱりひきずってるよな。
「はじめはね、ただの、いつものあれよ」
「あのひとの、あのクセの話?」
 藍名はちいさくうなずいた。
「いつもとおなじで、それむかつくからやめろって言ったのね。それが話の流れでちょっとした口論になったの。あたしのことと、カイナンのことと。それと」
 ちらっと視線を向ける。言うべきかどうか迷ってるわけじゃない。言うのはもう決めている。
 ただ、なんの神経もつかってないと思われるのはつらいから。
「オリアの、こと」



「はぁー……っ、はーっ」
 激戦であった。もうなにをどう狙って斬りつけたかも認識できていなかった。
 気がついたら敵は消滅していた。撃退した、ということらしい。カタナの峰で肩を叩きつつ、仲間をふりかえった。
「生きてるか、おまえら」
 少年は弦もはじかずにぐったりと座りこんでいる。もう指一本動かすのもいやだ、という風情だ。魂ごと声をしぼり出すようにして、
「びっみょおー」
「微妙かよ。おれいまにも死ぬよ。ガント、治療」
「おれもじぶんを癒すので手いっぱいだよ。しばらく死んでてくれないか」
「ひでえよ」
 カイナンは嘆息した。存外タフな連中だ。おのれのことを棚に上げつつ、感心すると同時にちょっと呆れる。首を一回転めぐらせ、
「女どもは」
「んー」
 頭に坑内の見取り図のビジョンを浮かべているのだろう、ハックマンが目を閉じて答えた。
「そんなに離れてねえよ。すぐもどってくると思うわけだが」
 助けに行こうぜ、と言わないその態度に含みを感じた。
「このスキになにか言わせたいってふうだな」
「話が早くていいよね」
 ノーキィがにやにや笑って言った。
「察しがいいリーダーを持ってぼくらは幸せといえるだろう」
 助けてくれ、とガントに目くばせする。ガントはうなずいた。さすがだ。おれの味方はてめえだけだ。
「で、なにがあったんだい」
 おれはじつに孤立無援だ。
「……まあつまりだな、はじめはだな、ただの、いつものあれだ」
 カイナンは訥々と、ふだんのじぶんからはとても考えられないほど訥々と口をきくようにしはじめた。
「おめえのあのクセの話だろ。そこまではわかるわけだが」
「あいつがだ、例によってだ、それむかつくからやめろって言ってきたんだな、ちょっと」
「じっさい減っただろうと思うよねー、藍名が来てから。カイナンのそれ」
「そうか? ……そうかもな。で、ちょっと売り言葉に買い言葉でな。さいしょに会ったときの話についてちょっとな」
『ちょっと』が多くなってしまった。いかにも言いわけがましい。
 ──だけどな。
 もう、あの思いはしたくなかった。
 あんな負い目はいちどでも重すぎた。
 触れさせてしまった。
 もう、ごめんだ。

 そしてほんとうのことを、正直に仲間たちにうちあけた。
「おれが悪いんだ。先にオリアを引きあいに出したのは、おれだから」



「あたしが悪いの。先にオリアを引きあいに出したの、あたしだから」
 藍名はほんとうのことを、正直にオリアにうちあけた。
「ふうん?」
「でもね!?」
 藍名はうつむいていた顔をぐっと上げた。ここだけは譲れないのだ。
「オリアが変わったって言うんだもん! あたしが来てからヘンになったって言うんだもんっ」
「ええ」
「そんなの……ええ?」
「ええ、変わっちゃったわ。あなたが来るまえのわたしを、あなたは知らないからピンとこないかな」
「話には……聞いてるけど」
 ──偉大なるトラブル・メイカーさ。無茶はするしまわりは見ねえし、きょうみたいにひとりでずんずん進んじまうのなんてしょっちゅうだ。なんども痛い目にあってるってのに、ぜんぜん改善される気配もねえ。
 あのときの、なにか自慢するようだったカイナンの表情は、いまでもよくおぼえている。
 とても、よくおぼえている。
「わたしってだめだなあ、って思ったの。ずっといっしょにいるのに、あの人に一対一でほんとうのことなんか言えたことないの。だからすっきりしなかったわ。とってもいやだった」
 ──秘密を持つことを恥じないし、おそれもしない。だから秘密があることを隠さない。鬱屈するときは力のかぎり鬱屈して完全燃焼するまで。
 完全燃焼。
 できなかったら?
 どうやっても燃え尽きることのできない問題にぶつかったら、そこでその人がとれる選択肢はいったいなんなのか。何択あるのか。
 不可避のひとつだけだったとしたら。
「あのオーク洞のときも、ね。あなたがいなかったらひとこと『バイバイ』で消えるしかなかったと思う」
 かっこいいってこと。
 それが、かっこいいってこと。
 かっこうを、よく見せたまま、きれいに終わること。
 できなかったのが、このひと。
 させなかったのが、藍名。
「わたしには、言えない」
 オリアは目をそらした。
 その横顔が睫を伏せて、あきらめた者だけにできる、おそろしく上手な笑顔を、した。
「わたしには、まねできないと思っちゃったあ──」
「……あぁー???」
『汗』のエモーションを出して頭をかかえる藍名を、オリアが『?』つきで不思議そうに見つめた。

 ノーキィの弦をはじく音が出迎えてくれた。ぷぃうぃーん。
「おかえりおかえり、おふたりさん。心配したろ?」
「盛大にはぐれちまったわけだが、だいじょぶだったかよ」
「ええ……いちおうね……」
 と、まだ混乱さめやらぬ藍名とは対照的に、となりでオリアがにっこり微笑みながら、
「藍名から、カイナンにおみやげがあるわよ」
「あ、そうだった」
「は。おれに?」
 さして興味なさそうに一瞥をくれたカイナンが、藍名の右人さし指と中指のあいだにはさまれた『それ』を見てとった瞬間、瞠目した。
「おい、そりゃあっ」
 スケルトン・ワーカーの図案がほどこされた、なんの変哲もないカード。しかしそれは通常魔物たちの中心核となる、収集品と呼ばれる物品とはわけがちがう。魔物たちを構成している想像力が、もっとも純粋なかたちで収斂された、いわば思念の結晶。
 10000体のなかに1枚あるかどうか、といわれるおそるべき希少品であり、そこに秘められた霊力は絶大。正しい方法で力を抽出すれば、武具に永続的に固有の特性を付与することができるほどだ。
 なかでもスケルトン・ワーカーのカードは、やつらを動かす精神力の性質がそういったものなのであろう『人間と拮抗するサイズの異形に対したとき、武装の威力を増してくれる』という特性を帯びていた。そのすさまじい汎用性ゆえに、冒険者の間では目の玉が飛び出るような金額で取引されている。
 ちなみにカイナンのカタナには、すでにこのカード2枚ぶんの霊力が封じこまれていた。同質のパワーを注ぎこめば、その特性が重ねられ、さらに強力な武器となる。
「……そんなもん買いとる金ねえぞ」
「みんなさえよければ、出世払いでいいけど?」
「出世払いっておまえな、おまえなあー」
 カイナンは腕組みして唸った。同格の希少品を入手でもできなければ、おいそれと数箇月単位で稼ぎ出せる額ではないのだ。
 ──あんたもすこしは頭かかえなさい。
 藍名は溜飲を下げた。
「で、どうよ」
 ハックマンが挙手する。
「大物もかたづけたし、大収穫もあったわけなら、きょうは早めに引き揚げてちゃっちゃと収集品売っぱらって、戦利金の分配と、あと飲みにでも行こうかって思うわけだが」
「異議なし。疲れた」
 どちらかというと考えるのに疲れたらしいカイナンが、投げやりに首肯した。
「じゃ」
 ガントが立ちあがり、十字を切る。
「『門』を出すよ。首都に帰ろう」

 冗談のような話だが、これだけの大所帯であるにもかかわらず、かれらギルドには藍名が加入するまで商人がひとりもいなかった。露店商による収入もなく、交渉術のノウハウもなく。その意味において藍名は、じつに待望されていた存在だったのである。
 収集品を物流サービス傘下の民間商に売りとばし、その結果得られた現金を山分けする。将来的におのおのの武装の素材となるであろう金属や原石を均等に分配する。このようにして清算というルーティン・ワークは完了する。
「いやあ、儲かった儲かった。まあ引き揚げるのが早かったから時間の割にはってわけだが」
 ハックマンが貨幣を数えながら言う。結果におおいに満足しているようなことを口にしながらなんども金額を数えなおしているのは、こんなに稼げるならもっと長時間稼げばよかったかよでも帰ろうって言い出したのおれなわけだが、という未練のあらわれだろうか。
 王国首都、藍名にとってもすっかりおなじみとなったかれらの集合場所、冒険者の宿屋前。
「そんでおまえら、ほんとうにカードはもらっちまっていいんだな」
 カイナンはめずらしく殊勝な態度でいる。さすがに桁ちがいの金額にうろたえているというところだ。
「もちろん」
 藍名はうなずいた。
「借金のことならだいじょうぶ。あたしがぜったい忘れないで取りたてるから」
「……頼もしいこったな」
 カイナンがカードをカタナの柄に重ね、念じる。カードは白紙となり、刀身を青白い霊力光が包む。
「ふー……」
 その輝きをひとしきりながめ、鞘にしまいこむ。
「これでおれも、哀れな借金生活者ってわけだ」
「ご愁傷さま」
 ノーキィがからかうように肩をすくめた。
「返済のその日を、ぼくらは首を長くして待ち続けることだろう」
『涙』の情動表明を頭上に漂わせるカイナンを苦笑まじりに眺めながら、ガントがハックマンに水を向ける。
「それで、どこで飲むんだい」
「ようやく訊いてくれたかよ」
 ハックマンは得意げに鼻の穴を広げる。
「まあようするに穴場を見つけたわけだが。最近リニューアルしてな、果実酒始めた店よ」
 ハックマン以外の5人はきょとん、と顔を見合わせた。
「果実酒?」
「果物?」
「の?」
「酒?」
「なんだそりゃ?」
「……ま、とにかく飲んでみるのがいいと思うわけだが」
「わかるわあ」
「そうかよ、オリアはわかってくれるかよさすが」
「怖いものみたさ、ってあるわよね」
「ハックもよくよくあれだよね〜♪ ゲテモノ好きなんだろっ」
『……』
 無言エモーションを出したきり、もうだまって先導することにしたらしいハックマンの背中にやや哀愁を感じつつ──
 全員がその背中のあとについて歩き出すと同時に、藍名は可能なかぎりさりげなくカイナンのとなりを確保した。
「あの、さ、カイ……ナン」
「んぁー」
 カイナンも、可能なかぎりさりげなく応じてきた。
「ごめんね。あたしが悪かった」
「ん」
「オリアのこと持ち出すの……ひきょうだった」
「はあ?」
 藍名は。
 短いつきあいではあったが、カイナンの性格はだいたい把握してきている。なので、たしかに素直な返答は期待していなかった。
 けれど、その、いくらなんでも『はあ』とかはないのではないか。
 が、カイナンの答えはさらなる驚愕を呼ぶものだった。
「最初にオリアを持ち出したのはおれだ。あやまんのはおれのほうだ」
「……ちょっと? あたしでしょ」
「おれだったぞ」
「あんた記憶力まで悪いの?」
「……てぇーっ、めーっ、まちがってるのがてめえかもしれんとは考えねえのか。なんでいつもそこまで確信してるんだ」
「べ、べっつにいつもって、あたしがそんないつも自信満々に見えますか?」
「『見えますか』ときたか? 見えますか? はんっ」
 情動表明をする心のゆとりすらなかった。
「それむかつくからやめろぉー!」
 ぼかっ。
「いてえ! 本気で痛えから殴ってくるなって言ったろうがっ」
「言ってもわかんないから悪いんじゃんかカイナンわあー!」
「おまえが悪かったんじゃねえのかこら」
「それとっ! これはっ!」
 以下、省略に値する不毛さを高いレベルでキープしつづけるやりとりを聴きながら、前方を歩いていた残り4名は。
「……ふりだしにもどったわけだが」
「あーあ。けっきょく、どっちが悪かったんだろー♪」
「真相も炭鉱の闇に消えたってことさ。オリア、じぶんのあずかり知らないところで渦中のひとになった感想は?」
「んー」
 オリアだけが、ちら、とふたりをふりむき。
 ひと呼吸でその思いを言葉にする。
「そのうち追いつくんだから」
 べえっ、ときれいな舌を出した。