『晩鐘』

――これはこれは!!よくいらしてくださいました――

さぁさぁ、座ってください……コーヒーはお好きですか?
……そうですか……良い豆が手に入ったのですが――残念です。
私は貴方がここを訪れることを待っていたのです、貴方とはいつかこうして話をしたいと思っていたのですよ。
聞けば貴方は主を信じていらっしゃらないとか……。
――いえいえ、それは言わないでください。疲れ切った貴方の瞳を見れば分かります……これでも私は僧侶ですからね。

 貴方は神が何かと考えたことがありますか?『主は万能にして全てを備えし救世主、人にして人に在らざる神の子イエス』、僧会ではその様に定義されています。――人が人を越えることなど出来ない……先進的な考えを持つ貴方だからこそ敢えて主の存在を無視し、依り所なく疲弊しているのではないでしょうか?

さぁさぁ、楽に座ってください、肩の力を抜いて。
……そうですね……ここでわたしの見たある農夫婦の話をしましょう。


 その日、朝から立ちこめていた霧は正午を過ぎる頃にはすっかり消え去り、高々と農夫達を痛めつけていた日も既に山の端に差し掛かっていました。霧を吸い込みふっくらと湿っていた黒土は既に乾きかけて色褪せていたのを覚えています。私は南の村の結婚式に呼ばれ、その道程で一人の汚らしい農夫を見つけてしまいました。広大な黒土に佇むその農夫(名は忘れてしまったのです)は落ち行く西日に目をやっていたようです。くすんだ藍色のズボンに垢の染み付いた皮の帽子を深くかぶり、灰色に淀んだ瞳に乳色と朱の混ざり合う七宝にも似た夕焼けが映っていたのでした。ちょうど春が終わり、雁の群が毎年のように列をなして北の方角へと飛んで行くのを、彼はさも口惜しそうに見守っていました。

 私にとってそれはいつもと変わらぬ光景であったに違いありません。
実に退屈で、平々凡々な一人の百姓が、呆けた顔で夕日を見ている……ただそれだけでした。

 また農民達のその日の作業が終わりを迎えたようです。春の収穫を終えた今、休む間もなく秋の刈り入れに備えて痩せきった土を耕し、生え茂った雑草を引き抜く必要がありまして、彼らは腰を折り曲げて豆で黄ばんだ手で鍬を握り、慣れた手つきで土に空気を含ませていました。広大な大地に幾度も幾度も鉄を打ち込み、それに続いて農夫達の伴侶が種を蒔くという作業を何日も、何年も繰り返しているのです。
 この灰色の瞳の農夫もまた例外ではなかったようです。私の知りうる限り、農夫の側にはいつも伴侶である女性が付き添っていました。村の仕来りで婚約が決められてはや数十年が経ち、木綿の前掛けは汗と土でよれよれになって、日中の陽に曝された彼女の肌も赤銅色に染まって張りが無くなっていました。若い頃は自慢だっただろう黄金に輝く髪も既に脂気が無くなり白髪に近くなっていました。けれども、私は彼女が何一つ農夫に対して愚痴ているところを見たことがございません。彼女、と言うか此処の女達は言われるままに夫の後に従い、夫の通った道に種を蒔き続け、子供をもうけることが全てと言っても過言ではないでしょう。
彼女は結婚してから満足というものをしたことがなかったのではないでしょうか?
疲れ切った老犬にも似た瞳が彼女の人生を物語っている様に思われたのです。しかし、だからといって不満であったというわけでもないようでした。言うなればこれが貴方の嫌う掟というものなのでしょう。
――そういう世界なのですよ。
 私達の世界は自由に自分の伴侶を選ぶ権利や個人の尊重などと言う急進的な思想などは存在せず、全ては彼らの親同士が彼らがまだ幼いときに既に決めているんですから。それが何代も何代も続いているんです。そんな鎖から逃げ出したくて私は僧界に入ったとも言えるでしょう。だからこそ私は貴方をほっとけないのです。

 農夫は先の分かれた鍬を地面に突き刺して自分の今日耕した軌跡に目を移していました。早い内に畑をこしらえないと長い夏が来てしまいます。夏の太陽を全身に浴びて麦は重い粒を実らせる事は貴方も知っていますよね?農民は秋に収穫が出来なければ襲いかかる冬の猛攻からも耐えきれずに凍えてしまうのです。彼ら農民は飢えほどこの世で辛いものはないと思っている事でしょう。
 貴方のように揺れ動く思想や主義に悩むことなど彼らには無縁です。
ですが、やはり飢えとは恐ろしいものですよ……日照りが続き、土が割れるほどの猛暑の年には決まって盗みや殺しが横行します。私は神父なので殺される心配などございませんが、満足に食べれずに芯まで冷え切った農民達の体には喧噪の声や遠くから聞こえる旅人の断末魔の叫びが堪えるのでしょうな。
この農夫にとっても飢えの心配は何よりも重大な問題なのでした。
秋に実れば家族を養えます。
収穫祭には男達と肩を組んで飲み明かしたいと彼らは思うでしょう。
共に豊穣の歓びを分かち合いたい。
家の娘もそろそろ許嫁させねばならない、などと考えているのかもしれません。
鍛冶屋の所の坊主なんかどうだろうか?……とか。
とにかくきちんと食わせる家の男を付けてやらないと……みたいなことを考えていたのでしょう。


 ………え?もう与太話はうんざりですか。すいません、どうも私には説明臭いところがございまして。
ああ!!席を立たないでください。話はこれからなんですから……。



 先の心配に戸惑っていた彼も、秋の収穫祭を思うと顔も自然とほころんでしまうようでした。
飛んでいた雁の群がブナの森に吸い込まれ、彼らを苛め抜いていた太陽も稜線に沈みかけていました。
時刻は夕刻、夜へ変わり目を告げ、普段と変わらず一日の作業に終わりを告げる合図が来きます。
燃えるような空に突如として鐘の音が響き渡りました。河の向こうにある街の、教会の鐘楼から晩鐘が鳴り響いているのです。ゴシック調の壮麗な鐘にベロを打ち付け、銅と真鍮が衝突するイメージとはかけ離れた柔らかな音を奏でるのでした。永久に繰り返されるとも思えるような規則正しい鐘音が夕日に燃える空へと溶け込んでいきます。作業を終えた農夫と伴侶は帽子を脱ぎ、胸に手を当て頭をうつむけました。空気を振るわす祈りの鐘に暖かな空はどこか憂愁にも似た気持ちを呼び寄せるのか、ここに住まう全ての農民はいつの間にか晩鐘に合わせて祈りを捧げるようになっていました。
……夕日ににじんだ二人の農夫婦の姿が、顔を伏せて瞳を閉じた二人の農夫婦の表情が、私の心に強く残っています。
誰にも分からぬ明日の平和を思うのか、それとも留まることない今を想うのか……彼らのその姿は純粋であり、素朴であり、厳粛であったのです。あれ程までに神に近い姿を私は未だかつて見たことがありませんでした。暇なときに何気なく眺めるだけの存在だった彼らが、一気に全く違った存在へと変貌をとげた瞬間だったのです。



お分かりいただけたでしょうか?
私は残念ながら汚らしいとも言える、貧しい農夫婦にキリストを見たのでした。
神とはいつでも、誰にでもその姿を現すものだと私はつくづく思い知らされたのでした。
神は全能で私達の前には存在しない、そう思い失望する貴方の気持ちはとてもよく分かります。
洗礼を受けた私は、イエスはαからΩまでの全てを兼ね備えた人物であると信じています。
……でも忘れてはなりません。私達は主の子であり、イエスの兄弟なのです。
イエスの躰であるパンを食べ、イエスの血である葡萄酒を飲む私達には、イエスの血と肉が通っているのです。私達は全知全能ではありません。αから始まるその全てを持っているわけではありません。
――ですが、私達一人一人は何か必ず神に近しいものを持っていると私は信じて疑いません。
それがβであろうと、γであろうと……言い換えるなら愛であったり、義理であろうとも、何か必ず個性としてのものを持っているはずです。

もちろん貴方もそれは例外ではないのです。

人は神になることは決して適いません。ですが人は神に近づけるはずです。
憎しみ・妬み・淫らな欲望……私達には確かにこの様な神が持つはずもない感情を秘めてもいるでしょう。
それは私達人間がエデンの園から追放されたときからあり続ける罪です。
ですが、決して人とはただそれだけの存在ではないはずです。
私にだって、あの農夫婦にだって……そして貴方にだって他人を慈しみ愛をもって接することが出来ます。
それこそが信仰なのではないでしょうか?
神を信じ、善い行いをすると言うことではないでしょうか?
隣人を愛しなさい。犯した人間でなく、犯された罪を憎みなさい。
それが今の貴方には必要です。いいですか、貴方も私も主の元に平等なのです。


主よ、この者が飢えることのありませんように、人故の苦悩に取り尽くされることのありませんように。
   汝に主の加護があらんことを、汝に祝福の時が訪れんことを――アーメン!!