第六話「敗者の美酒」  
 
線と面の世界、そこで彼は戦っていた。
緑と青の線で囲まれた空間によく見かける典型的な無人MTが二体、こちらに向けてナナフシの頭の様な体から伸びている連装式ビーム砲を発射している。機体を左右にずらしながら、彼は何の躊躇もなく適切にサイトの中にそのナナフシを囲みマシンガンのトリガーを引いた。銃口が激しく点滅し、たちまちの内に装甲が削られて、そのMTはこれ以上その細い二本の鳥脚で立っていられなくなる。そして、倒れると同時にそのMTの輪郭が薄れ、線と面の世界から完全に消滅したのだった。彼は即座に体を旋回しもう一体のMTに向け、ブースターを噴出する。こちらに向かうビームの被弾を臙脂色の装甲で防ぎ、腕から輝く帯を出してそのMTを真っ二つに切断した。体が二つに分かれたそれは体勢を崩し、線の地面に落ちる前に影が薄くなり偽りの世界からも消え失せた。
 
『テストモード終了。メインシステム、戦闘モードを解除します』
 
ウィルの座っているその空間に、すんだ女性の声が響き、彼の目の前にあったデジタルな世界そのものが消え失せた。
「どうだ、調子は?」
コクピットハッチを開き、一息ついた青年に一見すると浮浪者のような薄汚れた老人が話しかける。
「ハイ、大丈夫です」
青年はごく当たり前に答えた。それを聞くとその老人はにやりと笑みを浮かべ、ボトルに入ったウイスキーを一口飲んだ。
「ワシの腕もまだまだだでな。一杯どうだ、小僧」
おそらくセイツァー地方あたりの訛りが入った粘りのある声でその老人はまだ少し幼い顔をした青年にボトルに入った酒を差し出した。
「いや僕は……」
彼はまだ未成年だった。
「そうか、ワシはこれを飲んだときの火のような感触がたまらんのだでなぁ」
残念そうにその老人はもう一度ボトルに口を付けた。
 
ここはストラグル24支部の最も活気事いている場所、整備ドックである。
さすがにここばかりは経費削減のために照明や空調を節約することなく、完璧なコンディションを保っていた。ウィルとそのウイスキーの老人は被弾し、蹴り飛ばされた不知火の修理をしていた。
「それにしても、いつ見てもスビィトロガイノフさんの整備はすごいですね」
スビィトロガイノフ。これがこの薄汚れた老人の名だった。舌を噛みそうなそのややっこしい名はやはりセイツァー地方特有の言い回しである。彼はクロームとムラクモの企業闘争が始まって以来ずっとムラクモの機体の整備を続けていた。もはや歳は六十を越しており、さらに混ぜ物の多い粗悪なアルコールばかり飲んでいたため目はほとんど光を失い、アルコールなしでは手が震えてろくに何も出来ないアルコール依存症の整備士であった。もはや彼は、いわゆる『お蔵入り』なのであるが、ほとんどの人間が知らない彼の真の価値はカワサキを初めとする11機械化特殊部隊の皆が知っていた。彼の長年の整備の勘と知識は卓越しており、カワサキですらも感服しているのだ(彼に機体の整備をしてもらうには一瓶のウイスキーを持ってこなければならなかったが)。
「アライアントは取れているだか?」
「ハイ、ばっちりです」
「そうか、ならいいんだ」
スビィトロガイノフは呟くように返事をし、三口目のウイスキーを飲んだ。
かなりのハイペースだ。
 
ACの整備において重要なのは多数にある全てのパーツの動きを統一し、プログラムされた重心に沿って動けるようにバランスの配分を調整することにある。
パーツを交換するだけならそこらの素人にも出来るのだが、違ったパーツ同士の誤差を修正し、いかに滑らかに動けるか、と言うところに整備士の技量のほとんどがかかっていた。どれほど優れたパーツであれ、きちんと機能しないのでは意味がない。特に機動力を重視するパイロットにとっては、機体のバランス感覚や関節の滑らかな動きが要求されるのであった。
このパーツ同士のバランスは被弾や落下などの負荷によって弦楽器の弦のように少しずつ緩んでしまう。それを元に戻しチューニングすることを『アライアントを取る』と言い、整備士としての技量がここで一番如実となるのである。
「この戦争ももはや20年近く続いている。ムラクモもなかなか手こずっているだよ」
顔を真っ赤にした老人が、青年と向かい合っている隣のモニターに映し出されたクロームの演説を見て呟いた。
 
「………我々クロームはこれからも管理を続けていく!!この世界には圧倒的な力を持った指導者が必要なのだ!!」
「我々は断言する、それは我々であると!!正しい秩序をこの世界にもたらし、公正な条件の下で競争を行っていく、ほんの最近になって生まれた何処の馬の骨とも分からない企業にこの平和を侵されてはならない!!」
「我々は、我わ、ゴホン!ゴホン!………失礼。」
「長い歴史を持つ我々にこそ、その資格があると自負している!!聞けばその企業は我々に敵対するテロに援助を行い、半ば所有軍隊のように操っていると言うではないか!!我々は断固拒否する!!甘い理想の蜜に誘惑されてはならない。同士諸君、今こそ力を合わせ、心を合わせ、結束して真実の世界を作ろうではないか、諸君!!………」
 
テレビから中継されたクロームのトップと思われる老練な男が、その生命を絞るかのように自分の正当性を主張していた。周りにいた整備士や他の部隊のパイロット達は恨めしそうに、たまに舌打ちをしながらその様子を一瞥していた。
「何が資格だよ!!淫猥な豚共め!!」
一番前に座っていたウィルほどではないにしても、まだ若い男が今にも唾を吐き着けそうな勢いで叫んだ。
「倒せるもんなら倒して見ろ、腰抜けが!!」
男の目は血走っておりぎらぎらと輝いていた。この若い男はつい最近に24支部に回されてきた新入りのMT乗りであったが、その表情からは凶暴な攻撃性とサディスティックな性格が見て取れた。この男はこの中の誰よりも上の立場にいる、実際にこの戦争を動かしている人間のしくんだクロームの演説に魅せられ、あらん限りの暴言を吐いていた。
「糞食らえだ!!お前等なんて糞食らえだ!!ぶっ倒してやる!!」
彼はおそらく気づかないのだろう。これはムラクモが仕組んだ士気向上のための策であると言うことを。まるで自らの意志のようにきわめて緻密に操られているなど誰もが気付くことなく、自分の意志で喜んでクロームと敵対するのだった。その姿を老人は、疲れ切った、淀んで半ば見えなくなった目で眺めてため息を付いた。
「ワシはこのクロームというのはどうも好かん、例えて言うならクロームはビールでムラクモはウイスキーのようなもんだよ」
彼はまた瓶に口を付け言葉を続ける。
「ウイスキーもビールも同じ麦から出来ている(最も最近ではこんな事を知らない頭の弱い若者もいるだがね。もちろんお前さんは違うだでよ)と言うのに、全く違うような味がするだ。ビールは泡ばっかりで腹がふくれて全然飲めた物じゃねえ。あんな不味くて味気ねえものは酒とは言えねえな」
「ワシはウイスキーの方が好きだでな……」
そう言うと彼は瓶の中の琥珀色の液体を眺めた。
「ワシはこの火のような感触が好きだ」
 
確かにそうなのだ。
クロームもムラクモも同じ企業には違いない。クローム側の主張はハッキリ言って支離滅裂である。むしろ独占しているのはクロームだし、クロームも『イミネントストーム』と名乗るテロ組織に援助をしていると言う噂を聞いたことがある。……だが……、ウィルは思った。
確かにこのストラグルはムラクモの私設軍隊と成り下がっているのだ。もしムラクモが勝利し、アイザック・シティを占拠したとしたら、戦いを必要としなくなったら僕たちはどうなるのだろうか?また、それよりもそこで働いているクロームの何て事無いサラリーマンや下請けの企業の人達はどうするのだろうか?路上に迷い、ムラクモの人間の蔑みを背負って生きていくかも知れない。
……もしかすると処刑などと言うことも………
ウィルの背中に悪寒が走り、体が寒くなった。
……ムラクモなら、ムラクモならきっと………寛大な措置を執ってくれる………彼はそう思わずにはいられなかった。
この世界の矛盾。
いいようもない歪み。
その全てを代行するかのように、この前の任務で遭遇したあの、白の陶器のアーマード・コアが浮かび上がる。
 
………俺は牙………………凶悪の星の元に生まれし破壊を行う者……
………俺は調停者にして裁きを行う者の僕………実行の牙………
 
ウィルの頭に自らをスティンガーと名付けた男の声が浮かび上がった。
奴は何なのだ?あの白の機体は何だ?調停者とは?
何故僕の名前を知っていてわざわざ現れたのだ?
彼にはあの男の行動が理解できず、不可解な物であった。だが、あの一種の異様な雰囲気は十年前のあれとほぼ同じ種類の物だった。
 
………また会おう………
 
別れ際に放たれた強烈な一言が彼の頭を掠める。
あのスティンガーという男、何者なのだろうか?奴の目的とは?
だが彼はそれ以上考えるのを止めた。あの掠れた声の男にとってはその様なことは余り意味がないような気がしたからだ。あの男にとって彼の名前、彼の白い機体、彼の目的、彼の存在意義そのものがスティンガーなのだ。奴の目的や正体は分からない。だが奴のその全てがスティンガーなのだ、と。
「スビィトロガイノフさん、有り難うございました。僕はこれで……」
ウィルはぼんやりとウイスキーを持っている老人に礼を言い、踵を返して階段を上り、あの暗い廊下の向こうにある作戦会議室に向かおうとした。
「………おぉ。次はもっといいウイスキーを頼むだよ、ウィル坊や」
後ろから酔っぱらって顔を真っ赤にした老人の声が聞こえた。もうすぐ次の作戦の説明が始まる。あの白の機体のことで頭がいっぱいになり、暗く長い廊下で自分の中の闇に陥らなかったのは救いだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
「アイザック・シティ!?」
突然の言葉に驚きを隠せない青年の表情が壁により掛かっていたカワサキの眼鏡に映し出された。
「そうだ、今回はアイザック・シティに潜入する」
「そ、そんな!いったい何人でですか!?」
「俺とお前とラズーヒン。それにもう一人特例として一時的に配属されたジェームスだ」
殺伐とした作戦室のテーブルにラズーヒンと一緒にジェームスは座っていた。そのウィルのよく知り、よく慕っている茶髪の付き合いやすそうな中年はこちらに向けて軽く手を振った。
「よぉ、ウィル。まあよろしくな」
青年は言葉を失っていた。カワサキはじろりとこちらを見つめ、ラズーヒンは座ってジェームスと何か話をしている。まるでこれから向かうというその都市が全く分かっていないようだった。
 
「たった四人でアイザック・シティに………無理です!!絶対無理ですよ!!」「どうしてそんなにケロリとしているんですか!?アイザック・シティですよ!?クロームの本拠地なんですよ!?」
本当に分かっていないのか?青年は思った。アイザック・シティと言ったら世界最大規模の都市である。自分たちや、ムラクモの最終目標はこの都市を制圧し、クロームを陥落させることにあるのだが。ムラクモとクロームの戦いも20年も続いているので、そう簡単に落とせるはずもない。おそらくムラクモの汎用AC『狭霧』が百体あっても落とせないだろう。侵入などもっての他だ、しかもたったの三機で。あの世界最大の都市にムラクモの機体で入ることが出来るのはおそらく非合法なレイヴンだけだろう。
「いったい皆さんは何を考えているのですか!?」
「話は最後まで聞け、小僧」
カワサキは溜め息を吐き、ジェームスはこちらの様子を見て少し笑った。
「それが入れるのです、今なら」
ただ一人、無表情だったラズーヒンが話し始めた。
「どういうことですか?」
「今のアイザック・シティは機能が麻痺しているんだ」
大きな目を見開いていたラズーヒンの代わりにジェームスが答える。
「正確にはセントラル・アイザックの全区とサウス・アイザックの一区から二十五区までです」
「機能が麻痺してるって………」
「人がいないのです」
「人が!?」
「そうです、今から32時間前に避難勧告が出されました。居住者もセキュリティカードの人員もです」
「どういうことですか!?」
 
「アイザック・シティに謎の巨大生物が出没したんだ」
壁により掛かっていたカワサキがドアの前で立ちすくんでいる青年に言った。「巨大生物……いったいどんな?」
「それは良く分からん」
「だが二日前にセントラル・アイザックの下層地区に突然現れた」
青年はその意味をよく考えた。
「……生体兵器ですか?」
淡々とカワサキは説明を続ける。
「その可能性が一番強い。下層部のほぼ全域は殲滅、避難のため上層の区域と隣接している南部の人間を避難させたと言うことだ」
「それで僕たちは何をするんですか?」
この質問にラズーヒンが答えた。
「この謎の巨大生物を私達で駆除します」
「速やかに都市に侵入し、この生物を元から絶つのです」
青年はいよいよ分からなくなった。
「そんな、どうしてですか?アイザック・シティがダメージを受ければ、クロームにも被害が及ぶでしょう?」
「そうも行かないんだ、ウィル」
座っていたジェームスが優しくウィルに語りかけた。
「この世には世論というものがある。もし仮にこの生物がアイザック・シティに大きな被害を及ぼしたとしたらどうなる?」
「おそらく多くの人間は敵対するムラクモがやったと思うだろう」
「企業にとって人民の支持は絶大で絶対だ。今、降着しているこの時期にムラクモの理想の世界に対する支持を失墜させてはならないんだよ」
「アイザック・シティにもムラクモの勝利を待ち望んでいる人達もたくさんいるんだ」
ジェームスの穏やかな言い回しを聞いて青年は少し落ち着いた。
「それでその生物は何処にいるのですか」
ラズーヒンが身を乗り出して説明を開始した。
「謎の生物は集団で行動し、計画的に人を狩ります。この習性は蜂や蟻のそれと酷似しています。出没した場所はセントラル・アイザックのほぼ最下層の区域、第49区『スター・ダスト市街』……まあ、つまりスラム街ですね。そこの13ブロックに巨大な穴が発見されたという通報があったそうです」
「それが巨大生物の巣、と言うことですか?」
「おそらく」
「そこへ入って生物全てを駆除するのですね?」
「いえ違います」
「……?……」
「おそらくこれらの習性からこの生物の指揮をし、増殖させている『女王』が巣の中に存在すると見受けられます。その女王を駆除するのが今回の作戦の内容です」
「…………だいたいの概要はつかめました。それじゃあどういう経路を取って潜入するんですか?」
「南区の廃棄物運搬エレベーターからだ」
カワサキが言った。
「地上から廃棄物運搬エレベーターに乗り込み、高級住宅街のフォートガーデンを経由してセントラル・アイザックに入る」
「そして中央都市を通過してスター・ダスト区への通行エレベーターに乗り込むつもりだ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
青年は言葉を挟んだ。
「中央都市って……そんな!!」
「だから言っただろう。今のセントラル・アイザックは麻痺しているんだ、と」
「だからって………何も………」
中央都市はその名の通りアイザック・シィティの、世界の最中心である。そこをたった三機で突破するなど絶対に不可能であった。
「いや、今なら出来るんだ」
ジェームスが茶色の瞳でこちらを見ていった。
「中央都市のほとんどの警備機能はガードに、つまり人間の操る戦力に頼っている。その方が確実だし面倒な問題にも対処できるからな」
「だが、今はそのガードすらも退避しているんだ。余りにもその生物が凄すぎてガードでは対処しきれない状況だ」
「無人機も幾らかはいるだろうがおそらく振り切れるだろう」
世論のために敵の本拠地に乗り込む。意外な状況のため可能となったが、
果たして……果たして無事に戻れるのだろうか?だが、彼らは拒否する権利など持ち合わせていなく、その通りに実行するしかないのだ!
青年は込み上がる憤りと無力感を飲み込んで納得した。
「………作戦の内容が分かりました。僕はこれで……」
青年はドアのノブを捻り、暗い廊下へと出ようとする。
「ウィル」
ラズーヒンが呼び止めた。
「今回の相手はいつもと少し違います。整備に気を遣ってください」
「はい、大丈夫ですよ」
「誰に整備してもらうつもりですか?」
「スビィトロガイノフさんです」
「なら安心しました………くれぐれも宜しく」
ラズーヒンの言葉を聞き、青年はドアを開け放しにして作戦会議室を出た。
 
 
 
 
 
 
 
青年が出ていった後、三人の中年達はしばし沈黙した。
「…………どう思う、ラズーヒン?」
白い壁の側で、たくましい腕を組んでいる眼鏡の男が尋ねた。
「分かりません。ムラクモ社ではないと言うことは、どこか他の、クロームと敵対する有機生物系の会社だと思うのですが………」
目と鼻の大きな、色白の男が自分の考えを述べる。
「それが一番自然だがな」
カワサキが答えた。
「よりによってスター・ダスト街とは………」
「メリットが感じられない、と言うことですね」
「ああ。もしかすると、もしかするとこれは…………」
中年はそこで言葉を止めた。いや、そんな事があるはずがない、と。
「この生物の出所が今後の戦争の大きな鍵となり得ますね?」
ラズーヒンが目を大きく開いて言った。
「ああ……」
「お前はどう思う、ジェームス?」
カワサキはラズーヒンの隣に座っている男に話しかけた。だが、その男は答えなかったのだ。その瞳は青年が出て行って開け放たれたドアの向こうに続く、渡り廊下の暗い闇を見つめ、意識がまるで此処にないように、虚しく焦点を定めぶつぶつと何かを呟いていた。彼はたまにこの様に意識が飛んでしまうのだ。
そのジェームスの姿を見たカワサキに、深い憤りと彼の心の奥にひっそりと眠る悲しみがこみ上げてきた。カワサキには分かった。ジェームスは今、亡き最愛の弟のことを思いだし、今し方出て行った青年の面影と重ねていたのを。ウィルの前では決して見せることのない深く、今もなお塞がらない彼の心の傷だった。
 
………ジェームスはすっかり変わってしまった。あの弟の、トーマスの死があいつの生き方そのものを変えたのだ。トーマスは戻らない。それはあいつも分かっているはずだ……
 
……なのに………畜生だ……俺は昔あのトーマスと同じ部隊にいた。あの部隊は俺とジェームスとトーマスとオペレーターのラズーヒン。それに13支部に回されたエルラルド、あともう一人、誰だったか………そうだアグスティンだ。あいつは5年前のホワイトランドの軍事基地防衛の任務で死んだんだった。あの時は酷かったからな、この世界では人が簡単に死に過ぎる…………
 
まるで中毒者のように虚ろな瞳をしているジェームスの姿を見て、彼は遠い昔の言葉を聞いた。
 
…………逃げてください………
………皆さん逃げてください……
…ここは僕が食い止めます…
……兄さん、今まで有り難う。僕は、トーマス・ホゥガースは貴方の、ジェームス・ホゥガースの弟であった事を誇りに思います。どうか僕の分まで生きてください。世界のために戦ってください。自由と空の見える社会で生きてください…………自由と空の見える社会で…………
 
そう言って奴は11体のMTと、4機のACに強化装備もしていない、ごくありふれた狭霧で突っ込んでいった…………
…………だが、お前は死ぬべきではなかった。理想屋のトーマス坊や。お前の死以来ジェームスはすっかり変わってしまったからだ。ジェームスにとってお前は何よりも、そう、ジェームス自身よりも大切な存在だったんだ。お前はジェームスの最愛の弟であり、ジェームスの半分だったんだ………
……トーマス…………
つい最近になって入った小僧にジェームスはお前の面影を感じている。だがそれは無理だ。お前とウィルとは確かに似てはいるがやはり違うのだ。
心の穴を虚しく埋め合わせようとしているあいつの気持ちが分かるか?
最も愛する者に先立たれた者の気持ちが理解できるか?
…………お前は、死ぬべきではなかった、トーマス…………
 
カワサキは傷ついた彼の友人を見た。だが、慰めの言葉はかけられなかった。ジェームスの悲しみを自分に背負うことは出来ない。
あの時、我が身可愛さに何もせず黙って逝かせた自分などには………。
 
「………いくぞ」
彼は席に座っている男達に呼びかけた。
「武器庫へ行きますか?」
「ああ、武器長と掛け合って、それからスビィトロガイノフの爺さんにでも整備してもらおう」
男達はその何もない部屋から出たのだった。
 
 
 
 
 
 
 
長い廊下の向こうには蛍光灯の明るすぎる白い色と、その中で立ち並ぶアーマード・コアやMTが目に付いた。廊下に続くタラップを渡り、階段を下りる。そこで青年は目を背けたくなるような光景を見た。
「おらよ、爺!」
そこには彼が整備を頼もうとしていた汚れた老人に二人の男が囲むように立っている。その二人の内一人はさっきクロームの演説に汚い言葉を吐いていたこちらに来たばかりの若いMT乗りだった。
「返せ!!それはワシの酒だ!!」
哀愁を誘うような老人の声が耳に付く。男達の手には青年が老人に与えたウイスキーの瓶が持たれていた。
「この飲んだくれの穀潰しが!!お前のような爺がいるからいつまで経っても戦争に勝てないんだよ!!」
その男は、クロームの演説で冷めない頭のまま熱病のように瞳をギラギラさせて叫んだ。
「か、返せ!!それはワシの酒だ!!」
老人がその萎えた脚で若者に近寄った。すると若者は老人に脚をかけ、堅い金属の床に倒れさせた。
「年中酒ばかり飲みやがって……臭えったらありゃしないんだよ爺!!」
男達は老人を見下して言った。
「か、返せ……」
怒りが冷め、少しずつ懇願するような瞳になった老人の姿を見てその二人の男はサディスティックな本性を丸出しにし、口の端を考えられないほどつり上げた。「………飲んだぐれと、あばずれ女の息子とあっちゃあ、お前の息子はさぞろくでなしだろうな」
 
「……何だと………?」
 
今まで黙って床に伏していた老人がピクリと動く。
「貴様の息子はろくでなしのサン・オブ・ア・ビッチだと言っているんだぜ爺さん………」
老人の瞳が再び怒りに燃え立ち上がった。
「息子と女房のことは誰にも悪く言わせねえだ!!」
老人は盲目の瞳で若者達を見て、声のする方向へ突進した。
「女房と、せがれのことを言う奴は許さねえ!!」
だが、彼の見えない目で掴みかかることは出来ず、またしても若者達の差し出した脚につまずいたのだった。
「お前の女房?何かの間違いだろ?そこら辺の町でとっ掴まえた淫乱女の事だろ?」
もう一人の、やはり入ったばかりのMT乗りが…ヘヘヘ…と声を出して笑った。「女房と息子だけは……絶対になにも言わせねえだ」
まともに地面に叩きつけられた老人が唇を振るわせていった。
 
「もう止めてください!!あんまりですよ!!」
 
見るに耐えきれなくなったウィルが割ってはいる。その男達はこちらを振り返り、その歪んだ、酔ったような瞳でこちらを見た。青年はまともに目を合わせられず、俯いた。
「………もう止めてください……お願いします」
「おやおや、誰かと思えば麗しのウィル坊ちゃんではないか」
「お前のことは向こうでも聞いていたぜ、ウィル坊や。何でもお前は不知火に乗っているそうじゃないか?」
もう一人の男が本当か?と聞いて肯いた男がまた続けた。
「俺たちはこの戦争で七年戦っている。だが俺たちは未だACに乗らせてもらったことなど無い。それがだ、たった三年ぽっちの参加でこいつは不知火をもらった。分かるか?不知火だぞ?エースパイロット級の人間にしか回されないあの不知火だぞ!!」
それを聞いていたもう一人の男が舌打ちをしてこちらを睨む。青年の顔から血の気が引いた。
「………お願いです……も、もう止めてください………」
怯えきったウィルを見て、男達は笑いながらこちらに近づいて青年の溝に膝を入れた。
「……ガハッ!!クッ……」
青年は老人と同じく床に倒れた。
「ふざけんじゃねーよこの小僧!!ちょっと戦果を上げたからって調子に乗りやがって!!」
「お前のような奴が不知火に乗って、どうして俺たちは未だ東雲なんて言うMTに乗らなければならねーんだよ!!」
「答えろ!!小僧!!どうして俺たちはいつまで経ってもMTなんだ!!?」
 
「……それは技術が足りないからだ」
 
「なんだと!!」
ウィルは上の方から声がするのを聞いた。
「何処の何奴だ!!」
怒りに任せ、攻撃本能をむき出しにしている若い男達の前に、三人の中年が階段を下りてやってきた。
「11機械化特殊部隊のカワサキだ」
中年の一人が答えるとその若者達は大きく目を見開いた。
「お前達の技術力がないからいつまで経ってもMTしか乗りこなせないのだ」
カワサキは眼鏡の奥で眼光を光らせ、倒れた老人と青年、そして男の手に持っているウイスキーの瓶を見た。
「……ここで何をしている?」
二人の若者は互いに目を合わせ薄笑いを浮かべて言った
「いや、ちょとな……」
「何をしているのかと聞いているんだ」
「………うぁっ……」
カワサキの逞しい、操縦桿を長年握り続け、カチカチになった手が男のウイスキーを持っている腕を掴んだ。その男の顔が苦痛に歪む。
「……下らないことをする暇があったら、機体の整備をしろ!!」
彼の上げた威嚇の声に驚き、二人の歪んだ若い男達は去っていった。
ジェームスは青年に近づき手を差し伸べた。
「平気か、ウィル?」
「……ハイ」
青年は自分が情けなかった。カワサキがこちらを見据えて言葉を放つ。
「だから毎日体を鍛えておけと言っただろ、そんな細っこい体で兵士がつとまるか」
そう言うと彼は踞っている老人に歩み寄った。ジェームスはやれやれと言って肩をすくめて見せた。
「大丈夫か?爺さん」
カワサキは老人に手を差し出す。
「平気だ、これくらい何ともねえ」
「それよりも……大丈夫だか?ウィル坊や」
「はい、僕は………平気です」
「そうか、ならいいだ。スマンかったな。整備しに来たんだべ?」
「…………ハイ……」
「ウィスキーを取ってくれねえだか、手が痺れていけねえ」
ウィルはカワサキ取り返したウイスキーを老人に差し出した。
「………うめえだ、お前さんのくれるウイスキーはうめえだでよ」
老人は瓶に口を付けた。その目は濁っており強い敗北の色が漂っていた。彼は今、敗者の酒を飲んでいるのだ。
「…………スビィトロガイノフさん、ご家族は………」
「………10年前に死んだだよ」
「……すみません」
「いいんだ、良くある話だでよ。この戦争で多くの男達が死に、残された女子供が路上に彷徨っているだ」
「今でこそ動きはねえだが、昔はそれはもう酷かったんだ……」
そう言うと老人は立ち上がり、工具を用意し始めた。
「さあ、始めるだでよ」
彼は独り言のように呟き、立ち並ぶアーマード・コアの方へと消えていった。この20年で信じられないほどの人が亡くなった。互いを食い物にしながら続いて行く戦い。悲劇、家族の誰かが死ぬなどごくありふれた悲劇なのだ。
 
だが、青年の胸の奥に過ぎ去る老人と、黒い巨大な影によって少しずつ身を削ぎ取られていく父と母の姿が浮かんだ。
 
………だけど……だけど……僕は許さない………絶対に許さない………
 
青年は一人想うのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
〜作者から〜
今日は、今回はとても長かったですね。これ最後まで読んでくれた人はいるのでしょうか?今これを読んでくれている貴方に感謝します。今回は戦闘がありませんでした。ですが、こういった設定や人間模様を描くことは面白くてついつい力を入れてしまいます。いかがでしょうか?少し暗すぎる感じもしますが、やはりアーマード・コアの世界には退廃が似合うような気がします。
次はアイザック・シティが登場します。少ない頭を振り絞り、出来うる限りリアルで緻密な設定でやるつもりなので宜しくお願いします。
 
 
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