第五話「破壊者の牙」
 
きらめく浅瀬に煙が上がっている。全ての任を終了し、青年はたった一人で其処に佇んでいた。人間の基本的で最も根本的な禁を破ったというのに、何故自分は何も感じないのか?それを答えてくれる人はいなかった。もはや彼に手を差し伸べる人はいない。父と母はいない。青年はこの浅瀬で孤独だった。
『11機械化特殊部隊、第5砲台施設奪回完了』
ラズーヒンの誰に言うと無く呟く声が耳に触る。
『こちら本部、了解。良くやってくれた。貴君等の戦闘は大変価値のある勝利を収めた、御苦労』
価値のある勝利?
こんなものに何の価値があるのだろう?名も知らぬ人を殺し、ただ弾を撃ち尽くしただけじゃないか!何故ここにいないお前たちが、机の上で人を殺すお前たちにこの下劣な価値が分かるのだ!今の僕は最悪の淫売だ。自分の中の自分に魂を売って快楽を得たのだ。あの嵐のような興奮が過ぎ去った後、そのつけを倍にして返すように乾いた劣等感がこみ上げてくる。
ウィルを含む三人は互いに気まずい空気の中にいた。ラズーヒンもカワサキも黙ってその青年を見ている。だが、それは彼の非人間的行動に対する怒りや侮蔑によるものではなく、弾を撃ち尽くし、機体に損害を与え、さらに最大のタブーである命令無視を犯した事へのあくまで効率的で無感情な兵士としての憤りであった。彼らにとって殺すことは罪にあらずなり、である。
『……ウィル、戦闘モードを解除してください。機体の冷却作業を開始します』オペレーターは普段通り、全く普段通りの起伏の無い言葉を発した。
『ラズーヒンさん………僕は、僕は………』
 
僕は、僕はただ……殺したくなかった?
あの砲台の人達を助けたかっただけなのか?嘘をつくな。お前はほくそ笑んでいたじゃないか!よろこんで殺したのだろ?全くとんだ淫売だよお前は、知らぬ振りして、純粋な振りをして、カマトトもいい所だ。彼の中のもう一人が薄笑いを浮かべている。そのもう一人の彼は、何もない部屋でたった一つの椅子に座り、異常なほどに顔を赤らめこちらに淫らな視線を送っていた。
……違う、僕は悪くない。僕の所為じゃない………。
違う方の、彼である彼が頭を押さえ苦悩する。
……悪いのはあの人たちだ。クロームだ。僕の邪魔をしたカワサキさんだ……。
『いい加減にしろ!!』
不意に終始無言であったカワサキが怒りの声をあげた。彼の台詞はまるでウィルの思考を見透かしているようにタイミングが合っており適切であった。青年はびくりと身を震わせ下を向いた。
『お前の戦いぶりにはうんざりだ。何度言ったら分かるのだ、連携の出来ない兵士など戦う資格はない』
『……まあいい………帰還するぞ、砂塵に戻ってこい。話はその後だ』
『…………了解……』
ウィルに言いようも出来ぬ感情がこみ上げてきた。自分の至らなさ、罪悪感、仲間に対する敗北感と憤り。その全てが一つとなって彼にのしかかっていた。
吐き気がするほど晴れ渡る空の中、沈んだ青年に始まりを思わせる出来事が起こるのだった。
 
 
 
 
 
 
『正体不明機急速接近!!』
不意に声をあげたラズーヒンにより今までの薄淀んだ空気が弾け、稲妻の前兆のような緊張感が漂う、一気にこの三人は覚醒状態へと導かれた。
『何機だ!?』
即座にカワサキが聞き返す。
『…………』
『どうした!?』
『……一機です……測定では68%の確率でACと判断されてます』
『………ですが……』
ラズーヒンはまた言葉を詰まらせた。
『だから何だというのだ!!?』
感に堪えきれずカワサキが声をあげる。掠れた声が裏返り、語尾が跳ね上がってしまっていた。あの冷静沈着なラズーヒンが戸惑っている。ラズーヒンの態度もあったが彼の中の野性的な、いわばパイロットとしての勘が警告を告げていた、逃げた方がいい、今こちらに向かっているものは危険だと。たまらない重圧が彼を押しつぶす。適温を保ったコクピットの中だというのに額に雫が滴る。眼鏡がずり落ちそうに下がり、掌はじっとりと濡れていた。
『はやく教えろ!!』
『………質量からして間違いなくACです。ですが内部炉心温度が1万数千℃。普通のACなら融解してしまいます。それにこの異常な早さは………通常のACの2倍の速度は出ています』
『……そんな……クロームの援軍ですか?』
『それが、識別信号がありません。概存するデータと照合しているのですが、一致する事例がないのです』
『全くの未確認ということか……』
カワサキは呟いた。汗の量はいよいよ増えてまともにいられない。何なのだこのプレッシャーは。これはまるで、まるでランカー・レイヴンにで食わしたときの歪んでとろける様な……あの……ええい!!汗がうざったい!!
『それでそいつはどこへ向かっている?』
『ええ』
カワサキの質問に答えるためラズーヒンは砂塵のレーダ画面に目を通した。敵の機体を示す赤い点が常軌を逸した速度で友軍機の二重丸へと一直線に向かっている。謎も点が向かっているその二重丸は、孤独に佇む不知火であった。
 
浅瀬の中をそれは進んでいた。後ろからはバーニアの炎はさほど出ていないというのに、信じられないほどの速度でこちらへと向かっている。その後ろにはゆらりとした陽炎が上がっていた。熱により空気が歪みまともに姿を見ることが出来ない。質量そのものがとてつもなく軽いのか、それともあのバーニアの効率が飛び抜けているのか、どちらかは分からなかったがその機体は滑るように、停止しているかのように優雅に超越した速度でウィルへと向かっていた。
『ウィル、未確認機が接近しています!!』
そんなことは分かっていた。だが、どうしろと言うのだろうか?
この速度では逃げ切ることは不可能に違いないし、マシンガンも弾を撃ち尽くしてしまった。どうすることも出来そうにない中、その機体は緩やかに停止した。
 
不知火と数百メートルを隔て、それはあしらうように、威風堂々とこちらを向いている。その姿は未確認に相応しい異様で神秘的な美しささえもだだ酔わせていた。ハッキリと区別の付かない平面的な頭に、鋭く突き出た胸。胸部の大きさからしてアーマード・コアに違いないだろうがそれを支える腕と脚は細長く華奢で、まるで無人MTの様である。右の腕に幾何学的に折れ曲がった何か(引き金らしき物があるので銃と見受けらるが)を握っており、左の腕には身の丈の半分はあるであろう尖形の板が付けられている。
だが何よりも取り分けて目を引いたのはその機体の白い材質そのものであった。
その白さ、今まで全く見たことがなかった。金属とはまるで違う、陶磁器の上薬の様な艶やかな白い光沢を放ち、関節に合わせ滑らかに動いている(これは伸縮すると言うことなのだろうか?)。その輝きは不知火や狭霧のような鈍く攻撃的な艶ではなく、軽く抜けるような白さであった。
全く初めてみる機体、だがその機体が放つ空気は後ろの陽炎のように歪んで、背筋が寒くなる。この重圧、背骨が砕かれるような絶対的な存在感。この白が放つ空気はあの巨人と、血と闇の巨人と同じ種類の物だった。
ウィルの背中に汗が通たる。彼はモニターから目を離さず、気を集中させてその一挙一動を見つめていた。まだ距離があるというのに伝わってくるこれは何なのだろう?もはや逃げることは出来ないと青年は悟った。
必ず来る、もうすぐこいつは僕に襲いかかるだろう。
死ぬかも知れないな、今度こそ。
やがて青年の思惑通りにその機体は動いた。ゆっくりと無音で白の機体は海面を離れ、浮き上がった。そして、左腕の尖形の板から二対の光の剣を出し空中に静止する。
……レーザーブレード!!あれは盾じゃなかったのか……
思うと同時にそれは腕を振り上げ空間を縮めるかのようにこちらへと激烈に迫った。
………避けられない………。
ウィルは右腕の空になったマシンガンを海に放り、ジェネレーターの出力を左腕に回す。
………避けられない……ならば!!
敵の振り上がった腕に合わせ、不知火に内蔵されているレーザーブレードを発生させる。
 
バァァチュッウンゥゥゥゥーッ!!
 
互いの光がぶつかり互い、削り合いながら猛烈な火花をまき散らす。不知火の朱と未確認機の白が混ざり合うことなくせめぎ合う。二つのブレードがぶつかり合い、背反し合っていた。モニターに大きく陶器のような白と火の粉が映し出されたかと思うと彼の座っている座椅子に激しい振動が訪れた。白の機体と不知火が互いに共鳴し、激しく小刻みに振動している。足下からは水の飛沫が上がっていた。
『馬鹿な!!』
青年は叫んだ。彼の光の剣が弾かれ不知火はバランスを崩しひざまずいた。
……こんな事が、向こうのブレードの方が出力が上だというのか?この不知火に内蔵されているLS-3033タイプの出力は概存するブレードの中では最強だというのに………
驚きを隠せずバランスを崩した不知火は地に伏せ、白の機体は反動で空を舞い、右腕の折れ曲がった物を握りしめた。すると、その折れ目が開き展開して銃身と化す。その銃の先に蛍のような淡い光が灯り、コップに注がれた炭酸水のような音を立て、その灯火を不知火に向けた。
 
ゴギャアアアン!!
 
ストロボのような眩い光と音と共に二つの光弾が互いに絡まりながら、螺旋を描きながらこちらへと向かってくる。
――!!――
とっさに体が操縦桿を倒し、すんでの所で不知火は光弾を回避した。通り抜けた跡には海水がえぐれて蒸気となって上がっている。数万℃のプラズマ光弾を発した後の兆候だった。
………あれはプラズマライフルだったのか。しかし、あの軌道は………
……螺旋を描いていた………
光弾を放ちよりいっそう背後の陽炎が濃くなった白の機体はそのまま空中に静止しこちらを見据えて言葉を放った。
 
『貴様がウィル・フィーゲルか?』………と。
 
それは掠れた声だった。中に乗っていると思われる人間が掠れた声でこちらに話しかけた。まだ若い男のような、変わり立ての声のような、そんな声だった。
自分の名を呼ばれ青年は驚きを隠せなかった。
何故こいつは僕を知っているんだろう?こんなやつを見るのは初めてだというのに………
その機体は天使のように空に留まりこちらを見下ろしている。背後には翼の代わりに高熱の空気の歪みを背負い、右の手には雷の杖を握っていた。
その天使がゆっくりと少し下に下がり、パシャリと水面に着いたと思うと急激な衝撃と共に不知火は蹴られた小石のように吹き飛ばされ、海面に叩きつけられた。猛烈な勢いでこちらに向かい体当たりを食らわせたのだった。
『うあああ!!』
辺りの水が跳ね上がり大きな柱が上がる。その柱が静まるのを待っているように白の機体は距離を置き、ゆったりとこちらの様を見下ろしていた。
『貴様がウィル・フィーゲルか?』
全く変わらぬ口調でその男は聞いた。
恐怖、いいようもない恐怖が訪れた。ウィルはその恐怖を振り払うようにペダルを踏み込みバーニアを最大限に噴出してレーザーブレードを振り構える。音速に近い早さでそれに迫り、左腕を突きだした………。だが、白のACが一瞬揺らめいたかと思うとそれは瞬間的に移動し、彼の魂心の攻撃をかわした。
気が着くと不知火のブレードは虚しく空を切り裂いていた。体は前へと崩れ、其処へ間髪入れず白の機体は蹴りを入れる。横へと押し倒された不知火の脇に立っていたそれは、不知火の胸部に銃口を突きつけた。銃口が仄かに光り、シュワーという音がウィルのコクピットに鳴り響く。
もはや状況は絶望的だった。
『もう一度聞く、貴様がウィルフィーゲルか?』
またその男は彼に対し掠れた質問をした。
『…………』
ウィルは答えたくなかった。逃げれる物なら逃げ出したい。彼は乾いた質問の意味を良く噛み締め、白の機体を見た。その華奢な脚がぴくりと動いたかと思うと………。コクピットシートが揺れ動き、体が宙に浮いた。白の機体が不知火の胸に強烈な一蹴りを入れたのである。
『がはぁっ!!』
装甲の堅いコアなので外傷はないだろうが衝撃が直接内部に染み渡る。ウィルはその揺れで気を失いそうになった。
『貴様がウィル・フィーゲルかと聞いている』
『……そ、そうだ、僕がウィル・フィーゲルだ……』
朦朧としている意識の中で青年は答えた。それっきりその白の機体は何もしなかった。不知火に銃口を突きつけただ其処にいた。
『……お、お前はいったい何者だ?クロームの人間か?』
沈黙に耐えられなくなった青年が尋ねる。
『俺は何者でもない、俺はどこにも属さない。俺はお前たちのいる世界から超越したところにいる』
静かに、静かにその男は答えた。ウィルの口元に血がにじんでいた
『お前の名前は?』
『名前など必要な事ではない、俺は破壊を行う者、調停者にして裁きを行い、再生を司る者の下僕……ただそれだけの存在だ』
『破壊を行う者?』
『そうだ……この世の全ての物が崩れ、また再生する様に俺は「有」を壊して「無」とし、再び「有」へと導く者の僕として使わされた』
『俺は破壊を行う者、虚無を愛し、虚ろを喰らい、調停者の牙となる存在……』『調停者の牙?』
『そうだ、実行の牙だ。俺に名はない、牙に名前など必要ないからだ』
『……俺は牙…そうだな……スティンガーとでも名乗ろうか……』
 
 
 
 
 
カワサキは驚愕していた。
こんな馬鹿なことがあるだろうか?あのACのあの動き。確かに不知火に蹴りを入れた。そんなことが出来るはずがない。普通のACはプログラムされたバランス感覚で自動的に重心を調整し、歩行や着地のバランスを取っている。
だがあのACは不知火の脇に蹴りを入れた、これはつまりバランス機能を手動にして脚を動かし、感覚の感じないまま、着地の体勢を自分で作ったというのか?あの瞬時に、あの瞬時にだぞ!!アーマード・コアにはアーマード・コアの、人間には生身の人間の戦い方がある。だが、奴のそれはその全てを兼ね備え、どちらをも凌駕している。だとしたら、これを操っているのは人間でないと言うことになる。それにあの武器は何なのだ?二連装式プラズマライフルなど聞いたこともない。それに螺旋軌道を描いていた…………。
彼の嫌な予感は当たっていた。それはまさに人知を超えた物だったからだ。カワサキは凄まじい悪寒と汗に耐え、戦闘モードを再起動する。モニターに十字の線が映し出され、その脇に相手との距離を計算している数値が映し出された。
……温度変化無し、気圧0.12上昇、電磁場異常なし………
はじき出された数値をシートの脇のキーボードに入力し、狭霧は肩に銃床をおき海面に膝を着けた。リロードは完了していた。十字の交錯している点にあの白の機体の前に突き出た胸を合わせる。彼は汗を拭き、引き金に指をかけた。
だがそれと同時にそれまで停止していた白の機体が右腕を動かして不知火の胸から銃を離し、ゆっくりとこちらに向けたのだった!
馬鹿な!!気付いている?
そんなはずはなかった。ACに装備されている程度のレーダーではこちらに気付くことはない、だが、しかし、最大望遠で見るその姿は明らかにこちらへと銃を向けている………
『……やめておけ……』
――!!――
掠れた声が狭霧の中に鳴り響く。
『……俺は面倒が嫌いなんだ…』
男の声だった。それと同時に向けられた銃身が眩く光り、二対の光弾が発射された。螺旋を描きながら少しずつ下へと下がり、カワサキとその男のいる中間地点にプラズマが命中する。数万℃の火の玉が浅瀬の海水を一気に蒸発させ、カワサキの視界を塞いだ。……やられた!!……とカワサキは思った。
この水蒸気では光線が分散され乱反射をしてしまう。光を使うレーザー兵器の特性が全くの裏目に出た。無線の周波数を解読されたのだろうか?そんなはずはない。何重にロックを掛け、さらにダミーの無線を流していたというのに………
 
その白の機体は立ち上る白煙の中、銃身を不知火の胸へと戻した。
 
 
 
 
 
『お前は何故僕の名前を知っている?』
ウィルは最大の質問を掛けた。
『何故僕がウィル・フィーゲルだと分かった?お前は何なのだ?』
『……・俺はスティンガー、凶悪の星の元に生まれし破壊を行う者………』
『そんなことを聞いているのではない!!何故僕を知っているんだ!!』
『……………』
『答えろ!!目的は何だ!?』
『………………』
その男、スティンガーは何も答えなかった。何も答えぬままこちらに背を向け、陽炎をより強くして背中から火を出した。白の機体は立ち去ったのだった。
………また会おう………と言い残して。