第2話「暗闇の虚構」
 
暗く長い廊下を通る、その廊下は飾り気など無く、唯、排気ファンの音だけが聞こえてくる。そしてその道の突き当たりに差し掛かると灰色で窓一つない、とある何もない部屋が見えてくる。其処には未だ幼い顔立ちの青年と二人の中年達が話をしていた。
「…………それではこれで作戦会議を終わります。20分後に出撃となっておりますので各自機体の最終確認とコンディションの調整をしてください。では解散。」まるであたりを警戒する鴉か鷲のような異様に大きな目を見開いている男がそう言い切ると、浅黒い、短髪のいかにも頑健そうな無精髭の男はがっしりとしていて重心の安定した腰を上げ、一言も話さずに颯爽と扉を開けこの部屋を離れた。彼の性格からして、おそらく少しでも長く自分の機体の確認をするためであろう。ここはウィルが所属している「ストラグル第24支部」の作戦会議室、そしてウィルの所属する別名「アマード・コア突撃部隊」と呼ばれる戦闘実行突撃部隊、「11機械化特殊部隊」は敵対する超企業によって奪われたムラクモの当然たる権利を取り戻す「砲台施設奪回」に関する作戦会議をしていた。最も部隊といっても11機械化特殊部隊はウィル・フィーゲル、ニック・カワサキ、ラズーヒン・イエノヴィッチの3人だけという最小規模な部隊であったが。
一応部隊長ということになっているニック・カワサキはさっき出ていった無精髭の男の名で、11機械化特殊部隊の殿を務めている。そのベテランならではの常に冷静な判断力と卓越した勘とテクニック、そして何より ACによる遠距離射撃の腕はストラグル内でも高い評価を受けていた。しかしながら、カワサキという男は社交性に欠けており、認めない者には全く無関心で、興味を示さ無いという点から、間違いなくエースパイロット級の腕にも関わらず、余り人脈や尊敬の眼差しはなかった。だからこそ本部に身を置かず、危険の多いこの最前線の部隊に所属しているのだろう。ウィルもまたカワサキにとっては全くの対象外で、この組織に入って3年たった今でも未だ半人前扱いである。ウィルには何故カワサキが自分を頑なに否定するのか分からなかった。彼は過去の記憶の影響から強くなるために人より多くの訓練をしていたし、上達も常人とは思えぬほどに早かったが、カワサキにとってはパイロットとしての基本的で決定的な「なにか」が足りなかったのだった。
 
「だからお前は半人前なんだよ!!この新米が!!」
いつもカワサキに言われている言葉をウィルはふと思い出した。
……カワサキさんはいつも僕にそう言って相手にしてくれない………。
……僕はどうすればいいのだろう?どうしたらカワサキさんに認められるのだろうか?どうしたらもっと効率よく戦えるのだろうか?どうしたらもっと多くの敵を倒せるのか………?
 
………どうしたら「あいつ」を倒せるのだろうか………?
 
どうしたら、なぜ、という疑問は彼の幼少時代からいつまで経っても消えることは無かった。もしかすると、あの圧倒的な怪物を倒す手立てなど過去の記憶から未だに逃れられないちっぽけな自分などには無いのかも知れない。だがウィルは行き着く先はいつもあの怪物へと決まっているのに、そのことを考えずにいられなかった。そうしなければウィルの心はとっくにあの時のまま抜け出すことが出来なかっただろう。憎しみと疑問、そして何よりも力への渇望が今の彼をここに留まらせているのだ。そしてその弊害として並みの人間からは考えられない程の力を求めるのみの思考と緩まない緊張の歪みが青年の心に生じていた。ウィルは成長期の精神の形成に最も必要な楽しみや愛などは無く、その代わりに訓練と戦闘の日々という極限の精神状態のままで毎日を生きていた。そんな生活のおかげでウィルは異例の若さでアーマード・コアに搭乗する資格を得られたのだが、それは確実に、青年の心を正気の世界から引き剥がし、蝕んでいた。だが、それでもこの青年が人間としての理性と感情を辛うじて保っていられたのは母と父の愛が未だ彼の胸を焦がしていたからに違いない。父の人間としての生き方と母のたゆむことのない青く澄み渡った湖のような深く静かな愛が……。
「ウィル、大丈夫ですか?顔色が優れませんが。」
そんな思考を中断したのは、色の白い男の、言葉とは裏腹の、全く心配などしていないような淡々とした声だった。この男の名はラズーヒン・イエノヴィッチといって、11機械化特殊部隊のオペレーター兼パーツの交換などの簡易的なメカニックを担当していた。初めて彼の声を聞く人は彼のことを機械のような人間だと思うかも知れないが、これでも彼は精一杯ウィルのことを案じ、気にかけていた。彼のわざとらしいまでの義務的な、抑揚のない口調は元々から身に付いていたとはウィルには思えなかった。もしかするとこれは、仲間の死をただ座って傍観しているだけのオペレーターとしての苦しみから生じたのかも知れない。だとしたら、彼も又、機械などには必要ないはずの心を持ち、そしてそれを病み、哀しみや苦しみからこういった方法でしか逃れられなかった人間らしい人間であると言えよう。
「コンディションの管理も立派なパイロットの務めですよ。」
「だ、大丈夫です、何ともないですよ、ラズーヒンさん。」
また相変わらずの口調で発せられたラズーヒンの言葉に対し、
ウィルも又、いつも通り力のない返事をした。現実感のない現実の中で何となくこんな毎日の繰り返しだった。
 
……何者にも屈しない圧倒的な強さを求める事と、10年経っても癒えることのない傷だけがただ確かな存在であった……。
 
「………そうですか、ではもうすぐ出撃ですから自分の機体の最終確認をしてください。」少々疑いも残しながらもラズーヒンは言った。
「はい、分かりました。機体の調整も『立派なパイロットの務め』ですよね?」
「そういうことです。」ウィルの多少の冗談を込めた言葉を、ラズーヒンはなんということ事無くただ言い返しただけであった。これが11機械化特殊部隊なのだ。
ノブに手をかけたウィルは機体の調整をするため部屋から暗く冷たい空気の流れる廊下へと出た。その廊下にも何一つ生活感や飾り気など無く、聞こえてくるのは新鮮な空気を送り込むためのファンの唸るような轟音と廊下の遙か彼方からの機械のエンジンを起動させる音、見えるのはナトリウム・ランプの薄黄色い光とその先に続く闇の虚構だけである。ウィルは一人でこの廊下を通る事にはいつまで経っても慣れず、恐ろしかった。先の見えない視界と、規則正しく流れる雑音の世界はどうしても過去の世界を、青白い町の景色と物体が崩壊する音を思い出させるのであった。ストラグル24支部は本部のあるアヴァロンバレーから一番遠く、クロームが君臨するアイザック・シティに一番近い「ザレム渓谷」という未開発の辺境に位置していた。ザレム渓谷は複雑に入り組んだ地形と岩石に多く含まれる磁気鉄鉱の出す磁場から敵の警戒レーダーに映らないという基地には打ってつけの条件が揃っている。それによりザレム渓谷はアイザックシティに近接していても、クロームに地下50メートルのこの施設は発見されることが無かったのである。アイザックシティの周辺ということは、即ち戦闘が最も多く、物資が最も不足している激戦区である。よって施設などにかける照明や維持などの費用は最小限に抑えてあり、予備パーツや弾薬の補給もままならなかった。これらの都合によりストラグル24支部の基地内部は、ウィルの苦手とする薄暗く無機質な感じを醸し出していた。
おかしな事にウィルは戦うことより暗闇の中へ身を置く方が怖かった。戦いの中では飛び交う閃光や砲弾の炸裂する本能の高ぶる音、激しく自らの命を主張するかのような鼓動の中で人と人との命のやりとりをするという、生きている実感がある。だが彼は一人になると途端に無意識のうちに自分の中に存在する終わることのない回想の苦悶とそして黒に浮かぶHのマークが見える底のない闇へと落ちるのであった。
……僕はもしかすると死ぬまで闇を克服することが出来ないかも知れない。例えクロームを倒し、ナイン・ボールと呼ばれる最強の僕の支配に打ち勝ち、父さんと母さんの仇を討ったとしても………。
そんなことを考えながら苦悩と恐怖の闇を切り開いて進むウィルの視界に人の良さそうな顔立ちの男が浮かび上がった。歳は30かそこらかに見え、ウィルと同じ茶色の髪と少年のように澄んだ瞳から受ける誰とでも気軽に話せそうな明るい印象は、この闇の中ではやや不釣り合いの存在であった。
「よう、ウィルだったか。こう暗いと誰が誰だか分からねぇなぁ。」
人なつっこそうな笑みを浮かべながらその男は話しかけてきた。ややしゃがれてはいるが愛嬌のある声は膨らみ始めた青年の警戒心と緊張をほぐした。ウィルはこの声の主である男の事を良く知っていた。
「ジェームスさん、良かった。一人でここを通るのは怖かったんですよ。」
この男の名はジェームス・ホゥガースといって、所属部隊は違うもののストラグルに入ったときから何故かウィルの面倒をとてもよく見てくれていた。ジェームスには昔、歳の離れた弟がいて、ウィルはその弟に似ているという話を聞いたことがあるが、それが真実であるかどうかは彼には分からなかった。ともあれ入りたてで右も左も分からなかったウィルにとって、嫌な顔一つせず世話をしてくれたジェームスは、まさに兄のような存在だった。
「何だぁ?お前まだ暗がりが怖いのか?」
「は、はい。そうなんですよ。」
「全くお前もいつまで経ってもガキだなぁ……。だからカワサキに愛想つかされるんだぞ。」相変わらずの明るさでジェームスは微笑みながら言った。
「ハハ、これからガレージへ行って機体の最終調整をしようと思っているんですが………。やっぱりこの廊下だけはいつまで経っても慣れませんね。でもジェームスさんが来てくれたおかげで助かりました。」
ジェームスは直接口には出さないがいつもこの廊下を通るのが恐ろしいウィルを待っていてくれたことをウィルは既に分かっていた。この無機質な空間の中ではジェームスはウィルにとってたった一つの掛け替えのないかがり火であった。「何だ……お前も砲台施設奪回の任務に参加するのか………。」
人の良さそうな笑顔を残しつつもジェームスの瞳は不安と戸惑いの色を出していた。彼は本当に親身になってウィルのことを心配しているのがウィルには伺えた。
「大丈夫ですよ、僕も毎日きちんと訓練していますしそれにカワサキさんだっています。きっと上手くいきますよ。」
「そうか、カワサキと一緒なら、まあな……。」
ジェームスはカワサキの名を聞いて少し安心した様子になった。ジェームスとカワサキは同期でこのストラグル24支部に入り、互いに背を任せ合って戦っていたらしい。よって、彼はカワサキのことを一番理解し信頼していたし、カワサキにとっても、ジェームスはカワサキが認める数少ない人間の一人であった。
「だがなぁ、ウィル、決して無理をするなよ。お前の戦い方を見ていると……何というか、わざわざ自分の命を危険に陥れているというか、そんな風に見えるんだ。戦うのはお前の自由だがな。俺はどうしてお前がそんなにも戦場に身を投げ出すのか分からなくなる………。」
「………いったいおまえはどうしてそんなに死に物狂いで戦うんだ?」
 
その質問を投げかけられ、ウィルは答えることが出来なかった。
………どうして僕が戦うのか……
そんなことを考える暇なんて無かった。
ただ単に強くなりたいからだろうか?いや、違う。
僕は本当は強くなんてなりたくないし、戦いたくもない。
それなら両親の仇をとるため?
いや、それも少しあるけど僕を突き動かしている全てではない………。
………僕は、僕はあの記憶からただ逃げたいだけなのかもしれない。戦う事でしか決着がつけられない強烈な過去に。
……そうだ、「あれ」を忘れる事なんて出来ない、だから僕はこうして戦っているのだろうか……?
 
「………人々の自由と空の見える社会の為にです。」
しばらくの沈黙の後、ウィルは呟いた。自分がそんなに殊勝な人間じゃないのは分かっていたが、今のウィルはそう言わずに居られなかった。
「そうか!! ハハハ……自由と空の見える社会か……。」
ウィルの答えにジェームスは吹き出すという、思いも寄らぬ反応を示した。
「な、何が可笑しいんですか!?」
「い、いやスマン、スマン。お前のその台詞がトーマスにそっくりでな。」
「ああ、おまえには言ってなかったけな、俺には昔トーマスっていう歳の離れた弟がいてな、お前みたいに青臭いガキだったんだが正義感だけは一丁前で『人々に自由と空の見える社会を』って言って毎日のように戦っていたんだ……。とにかく一本気な性格で世話の焼ける奴だったが俺にはどうしようもないぐらい可愛い弟だったよ。俺らは若い頃に両親を二人とも亡くしちまってな、俺がトーマスのお袋でもあり親父でもあったんだ。」懐かしそうな笑顔を浮かべたジェームスの顔に不意に重く暗い影が差した。
「…………だがそのトーマスも今となってはいない。あいつはこんな世界で生きていくには余りにも単純で純粋すぎたんだ。トーマスは奴と俺の入っていた部隊がクロームの大隊に囲まれたとき、『みんなをここで死なすわけにはいかない。』て言って、奴はたった一人きりで敵の大部隊を惹き付ける囮になったんだ。確かにそうしなければ俺と奴のいた中隊は全滅していたかもしれんが………。」
「だけど何故あいつだけが……どうしてあんなにいい奴だったあいつだけが、死ななければ、死ななければ……。」
ジェームスはそこで言葉を止めてしまった。彼の最愛の弟を失った哀しみを理解することなど誰にも、ウィルにもカワサキにも出来ないだろう。これが遙か昔に母なる星を痛めつけ、さらに未だ己の利益のみを追求することのみの矮小で汚らしい人間に神が下した犯した罪への罰なのだろうか?何故人は悲しみや苦しみを背負って尚、前を見据えて生きていかなければならないのだ?今僕たちを取り囲んでいる世界は余りにも無情で報われない世界だということは分かっている。
……でも…だけど……これはあんまりじゃないか……。
……父さん、母さん………。
ウィルはただ黙ってジェームスの方を見ていた。
「いいかウィル、絶対に死ぬな。お前を見ていると俺はどうも弟のことを思い出しちまう。お前はいい奴だし良くやっている。だが、お前のその綺麗に澄んだ心は純粋で真っ直ぐすぎる。俺はそんなお前のことが可愛くて心配でならないんだ。もしもお前が死ぬような羽目になっちまったら、俺はもう一人の弟を失ってしまうんだ。もう一度そうなったらきっと俺は二度と立ち直れなくなる。ウィル、俺のためにも、そして何よりお前自身のためにも………絶対に死ぬなよ……。」
………ジェームスさん………。
ジェームスの懇願するような瞳と彼の本当の心にウィルは言葉を詰まらせた。
………僕だってジェームスさんのことをとても大事に思っています。初めてここに入った時、ほとんど全員の人が冷たい目をしていたのにあなただけがこんな僕に優しくしてくれましたよね。僕もジェームスさんのことを兄のように思っています………。
ウィルは胸の中でジェームスへの深い感謝と愛情を募らせていた。
「さあ、ガレージに着いたぞ。機体の確認は念入りにしないと本来の力を発揮できないからな。」今までの沈んだ空気を吹き飛ばすかのようにジェームスはいつもの笑顔を取り戻し、自分自身に言い聞かせるように大きな声をあげた。暗く冷たい廊下を抜けた先には今までの沈んだ空気が嘘であったこの様な活気付いた巨大な場所へと通じていた。隅々まで照らされる照明にあわただしく動き回る人々、そして何より何十体にも及ぶ鉄の巨兵達が堂々と立ち並んでいた。