ARMORED CORE EXTENSION 外伝2
ホワイト・ナイト・チャント

 歓声が響き渡る場内。そこに堂々たる様子で立つ白い四脚AC。まるで馬上の白騎士の如き威厳である。その傍らには、対照的に無残な姿で倒れている二脚AC。四肢をもがれては、これ以上動くことは不可能。
 『対戦相手、戦闘不能!!勝者、セルバンテス!!』
 会場アナウンスがそう告げると、白騎士は腕を胸の前に当て、対戦相手に礼をした。同時に、一段と大きな歓声が湧き上がる。それを浴びながら、騎士は自らのガレージに戻っていった。
 「畜生…何が『ドン=キホーテ』だ!!カッコつけやがって…」
 自機を回収されるという情けない状況の中、セルバンテスの対戦相手はコックピットでそう毒づくのであった…。
 
 『ミスター・セルバンテス、おめでとうございます。賞金の方ですが、本日中に口座に振り込まれますので…』
 「まだ…足りぬな」
 受付嬢の話を聞き流しながら、彼──セルバンテスはつぶやいた。整った白髪に立派な白髭をたくわえた『紳士』、そんなイメージの男性。いや、年齢的には老人と言っても差し支えないのだが、若者と比べても何ら遜色のない活力溢れる体躯が、人に彼をそう呼ぶのを差し控えさせる。
 ミゲル=ド=セルバンテス。歳はとうに70台に入っているはずなのだが、まだまだ現役のレイヴン。おそらく、アリーナでも最長老の部類なのではないだろうか。その戦いぶりは正々堂々、公明正大。誰もが認める紳士であり、『騎士』である。自らのACには『ドン=キホーテ』と名づけているが、おそらく、いまだ向上心を失ってはいないという気概の表れなのだろう。
 さておき、セルバンテスはしばらくその場で考え事をしていた。彼の頭の中にあることは、ただ一つ。
 「こんなものではまだまだ足りぬ。もっと…私にはもっと金が必要なのだ…!」
 金。そのためには依頼の成功か、アリーナでの勝利。…ふと、彼は何かを思い出したかのように、受付嬢の元へ戻った。
 『何かご用でしょうか、ミスター・セルバンテス?』
 「…済まないが、アリーナ委員につないでくれ」
 『かしこまりました。少々お待ち下さい……どうぞ』
 渡された受話器を取り、セルバンテスはその向こうの相手に言った。
 「アリーナ委員のミスター・コバヤシですな?次の対戦相手の希望があるのだが…」
 
 
 「『帰ってきた白騎士!セルバンテス快勝!!』…だって」
 ソファに寝転がってアリーナ新聞を読みながら、黒目黒髪のアジア系の女──リンファは独り言を言った。ネスト発行のこの新聞、アリーナ関連の記事がメインだ。20世紀に存在した「スポーツ新聞」や「競馬新聞」なるものを想像していただければよいだろう。ちなみにこれはリンファが購読しているものではない。彼女の住む「K−3居住区」の浮浪者が読んでいたものを貰ってきたのだ。理由は簡単。リンファとその相棒・エリィはスラムであるこのK−3区において、限りなく貴重な『華』だからだ。いわゆる浮浪者達のアイドル的存在なのである。言い寄ってこられるのはうざったいが、こういう風に物をもらったり情報をくれたりするので便利でもある。
 さておき、リンファが読んでいたのはその一面記事。セルバンテスの操るドン=キホーテの勇姿が大きく載っている。手にしたレーザーライフルは、まるで馬上槍のようである。
 「『アリーナ復帰以来連勝を重ねる老騎士・セルバンテス。彼に復帰を決意させたのは一体何なのであろうか──』」
 そうしていると、ガタガタと戸口の方で音がした。誰かが、戸を開けて入ってこようとしている。この音のし具合は──。
 …ガチャリ。
 「邪魔するぜ」
 「戸開けるの上手くなったじゃない」
 「そりゃ、何度も来れば、な」
 入ってきたのは、ひょろりと背の高い金髪の男、ヨシュア。今ではすっかりリンファのパートナーと化している──仕事でも、プライベートでも。…最初はただの腐れ縁だったのだが。唯一この住み処に自由に入ることを許されている人物だ。
 ちなみに、ここに住んで長くなるせいか、リンファは戸の開け方で誰が来たのかが分かるようになっていた。何せ、建てつけが非常に悪いのだ。自分やエリィなら一発で開ける。ヨシュアなら前述の通り。それ以外の人間なら、開けるのに非常に苦労するので大きな音が鳴る──そういえば、なかなか開かずに他人に体当たりをさせて入ってきた大馬鹿も一人いた。
 「何を読んでいる…ああ、それか。お前にしては珍しいものを読んでいるな」
 ヨシュアが新聞に目をやる。少し笑った後、ふと遠い目をした。
 「セルバンテス…会ってみたい人物だな」
 「え?」
 リンファはちょっとびっくりした。まさか、ヨシュアの口からそんな言葉が出てくるとは。普段は頑なに他人との関わりを避けているような人間なのに。
 「俺らしくもないか?……そうかもな。だが、確かに彼には興味がある」
 ヨシュアは素直に笑った。リンファが見たことのない表情だった。
 「知ってるの?その、セルバンテスって人のこと」
 「……ただの腐れ縁だよ。先代のな」
 
 ヨシュアの父親、即ち先代のワームウッドが伝説的な強さを誇っていたことは有名である。その先代がまだ新人レイヴンだった時代に、セルバンテスはマスターランカーだった。マスターアリーナのトップに立ったこともある。同じ四脚AC乗りであったワームウッドが憧れていた存在であったことは想像に難くない。
 ひょんな事から知り合った二人は、たちまち打ち解けた。セルバンテスの方が明らかに年上だったが、そんなこと関係なくラフな付き合いだったという。
 ある時、二人はアリーナで直接対決をした。その頃にはワームウッドの強さも円熟しており、セルバンテスと並び賞されていたのだ。…そして、その勝負の勝者はワームウッド。それを機にセルバンテスは引退。ワームウッドはセルバンテスに代わってマスターランカー昇格を薦められたが、その申し出を蹴って彼も引退してしまう。人々は偉大なレイヴンを二人、同時に失ってしまったのだ。
 
 「…そんなに強い人なの?元マスターランカーだってことは知っていたけど…」
 「少なくとも、お前よりはな」
 「何よ、それ!?」
 この台詞、確かに半分はからかっているが、半分は本気だった。ヨシュアはちゃんと彼女の実力を認めている。しかしそのヨシュアをしてそう言わしめるとは。リンファはうーんと唸った。
 「でも──やばい相手に挑戦されちゃった、ってわけ?」
 「…何だって?」
 ヨシュアが眉をひそめる。
 「挑戦を受けたの、そのセルバンテスに。…アリーナで、ね」
 
 
 「そうおっしゃらずにお願いしますよ、リンファさん」
 ネズミ色のスーツを着て眼鏡をかけた男が、必死にリンファを説得している。彼の名はシロウ=コバヤシ。アリーナの管理委員を務めている。そして、ここはアリーナ会場のロビー。主にレイヴンとアリーナ委員が話をするときに使われるので、現在の状況は正しいというわけだ。
 「嫌って言ったら嫌なの!!ミラージュの時も言ったでしょ、見世物になるのはごめんだって!!」
 リンファの剣幕はすさまじい。ついてきたヨシュアは苦笑いを浮かべてそのやり取りを見ていた。
 今回の勝負、なにもコバヤシが勧めたわけではない。セルバンテスの要望なのだ。しかし自分がアリーナ管理委員である──しかも、実質上リンファを担当している──以上、彼にはこの試合を何とか行わせる義務がある。
 「帰ってきた老練のレイヴンと、新進気鋭の女性レイヴン!!お客もこのカードを楽しみにしているんですよ?」
 確かに、リンファやヨシュアの人気は高い。実力も現在のマスターアリーナ内ではトップクラスだろう。新旧マスターランカー対決。客が楽しみにして然るべきだ。…しかし。
 「それを嫌だと言ってるのよ!要はアリーナの儲けになるカードだからってことでしょ!?」
 そう、それを見世物と言う。
 「しかし…そんなことい……!!」
 次に言おうとした言葉を、コバヤシは慌てて飲みこんだ。『そんなこと言って、本当はミスター・セルバンテスのことが怖いんじゃないですか?』──これを言うと、殺される。いや、殺されはしないがひどい目に遭うのは確かだ。コバヤシはそれを本能的に感じたのだった。
 「何よ?」
 「いえ、何でも…」
 額に脂汗が浮かぶ。…コバヤシは焦っていた。今までリンファに対して、何度か試合の要請をしたことがある。そしてその要求は、形はともかく結果としては飲んでもらっていた。しかし、今はこれ以上こちらとしても打つ手がない──まずい!このままだと、試合を蹴られてしまう!!何とか、何とか引きとめないと…!
 「あたしの言いたいことはそれだけ。じゃ、そういうことで」
 リンファがすっくと席を立つ。そして、踵を返して歩き出そうとしたその時。
 「そう言わないでくれ、『真紅の華』君。私からも、この通りお願いする」
 リンファの目の前に一人の老紳士が立っていた。白髪に白髭、そしておそらくは高級品であろう黒いスーツを身に纏っている。背もヨシュアに匹敵するほど高い。
 「おや。ミスター・セルバンテス」
 コバヤシが彼の姿を見てかしこまる。リンファとヨシュアも、突然のことに戸惑った。
 「……セルバンテス?」
 「如何にも。以後、見知りおきを」
  セルバンテスは丁寧に礼をした。様になっている。丁寧が過ぎると慇懃無礼に映ることがあるが、彼にはそれが全くない。本物の紳士である。そして、同時に『本物の』レイヴン。一瞬、リンファは気負いのようなものを感じた。威圧感…と呼べるほどトゲトゲしたものではない。貫禄や風格、それが放つ『何か』のせいでリンファはたじろいだのだ。
 「…それと、君が二代目ワームウッドのヨシュア君だね。なるほど、お父上の面影が確かにある。是非一度会いたいと思っていたんだ」
 「え…いや、こちらこそ…」
 ヨシュアの様子がいつもと違う。リンファだけではない、ヨシュアも気圧されているのだ。『本物の』レイヴンと対峙して。
 「しかしミスター・セルバンテス、何故ここに?」
 と聞いているところを見ると、どうやらコバヤシが呼んだのではないらしい。セルバンテスはとりあえずリンファに着席を促し、自分も空いている席に座った。
 「何、たまたまだ。それより──ふむ、何とお呼びすればよいかな?」
 「リンファ、で結構よ、ミスター」
 何とか落ち着きを取り戻してきたようだ。リンファの口調がいつものものに戻っている。
 「そうか。ではリンファ君、改めて私からもお願いする。私の挑戦を受けてほしい。…君がアリーナ嫌いだということは重々承知している。そこを曲げていただきたい」
 「……」
 相手がミラージュのような自分勝手な奴なら、「断る」の一点張りでもいいだろう。しかし、今回はそうもいきそうにない。元来リンファは序列だとか年上だとかそういったものを気にする性質ではないのだが、流石にこのような人物に頭を下げられては、むげに断るのは気が引ける。
 「何故、リンファを指名したんだ?」
 と、ヨシュア。
 「君でも構わんよ、ヨシュア君。…君たちが、最近頭角を現してきた凄腕のレイヴンだと聞いて武人としての血が騒いだ…というのもある。しかし、何より君たちがマスターランカーで、対戦賞金が多額だ…というのが、一番の理由だな」
 「賞金、ですって?」
 言うまでもなく、マスターランカーは全てのレイヴンの中でも特別な存在である。仮に彼らに依頼をするのなら、一般レイヴンの2倍や3倍…いや、それ以上の多額な報酬を必要とする。当たり前だが、そうでないとマスターランカーは動いてくれないのだ。現在セルバンテスは普通のアリーナ所属となっているが、ネストや依頼主からの扱いはマスターランカー同様である。金に困るような人物には見えない。
 「あんたほどの人が何故?」
 「…ずいぶんと、俗な騎士様なのね」
 そう言われて、セルバンテスはフッと寂しげに笑った。
 「俗、か…そう取られても仕方がない。しかし、何と言われようと私には金が必要なのだ。アリーナ復帰を決めたのもそのためだ」
 「でも、あなたはマスターアリーナの頂点に立っていた人なんでしょ?お金に困ることなんてあるの?」
 と、ここでマスターアリーナについての説明をしておく。マスターアリーナはポイント制のリーグだが、好きなときに好きな相手と戦うことができる。そこでの賞金は、一勝で100万コーム。通常アリーナでの賞金とは比較にならない。そして、ある相手との対戦結果を見て、勝ち越していたら1ポイント加算…という感じで戦っていき、4年に一度の順位決定の際にポイントが一番多い者がチャンピオンになるのだ。もちろん同率だと優勝決定戦が行われることになるのだが、そこで優勝すると何と2000万コームもの大金が授与される。そしてポイントがゼロに戻され、また4年間のシーズンに入る。
 ちなみにアリーナでの試合は、例えチャンピオン以外であっても非常に騒がれる。20世紀風に言うなら、スーパーボウルかワールドカップかオリンピック…といったところか。よって、この程度の賞金は平気で払えるくらいの経済効果があるのだ。
 …以上のことより、セルバンテスは一般レイヴンの及びもつかない財産を所持しているはずなのだが。
 「それに関しては聞かないでいただきたい。プライベートに立ち入る気かね?」
 「……」
 リンファは考えた。セルバンテスがそう言うなら、自分との勝負に余程の自信があるのだろう。だが、こちらもマスターランカー、それなりの実力は持っている。ヨシュアが『リンファよりは強い』とは言っていたが、勝てる自信もないが負ける気もしない。だが、リンファが今気になっていたのは、セルバンテスの勝利を前提とした自信有り気な申し出のことではなく、何故セルバンテスほどの男がここまで金にこだわるのか、ということだった。
 「少し、考えさせて」
 席を立ちながら、リンファは言った。セルバンテスが頷く。
 「分かった。よい返答を期待しているよ、リンファ君」
 去って行くリンファとヨシュアの後ろ姿を見ながら、コバヤシはふうとため息をついた。いつもはリンファを前にしてもまだ冷静さを保っていられたのだが、今回は本当にやばかった。まあ、とりあえず今日のところは首の皮一枚繋がったのだ。
 「いやあ、助かりました、ミスター・セルバンテス」
 「…君のためではないよ、ミスター・コバヤシ。まあ、私と彼女との試合は保留ということにしておいていただきたい」
 そう言いながら、セルバンテスも席を立った。
 
 
 アイザックシティ中心部から少し離れた高級住宅街。ここに住めるのは企業のお偉いさん方か──高名なレイヴン。そして、セルバンテスの屋敷もここの一角にあった。
 セルバンテス家は──今となっては何の意味もなさないが──いわゆる貴族の一族。名門中の名門なのだ。白亜の豪邸はそれ相応の風格を漂わせるたたずまいである。
 元マスターランカー故、やっかみも激しい。しかし、それに対応するための手段も当然備えてある。一見しただけでは分かりにくいが、ガード・セキュリティはいっぱしの企業以上だ。お陰で、今までこの屋敷に対してちょっかいを出してきた愚か者はほとんどいない。
 セルバンテスを乗せた車が門をくぐり、屋敷の中に入っていく。玄関前までやってくると、そこでは既に黒服の執事が主を出迎えるために立って待っていた。
 「お帰りなさいませ、旦那様」
 車を降りるなり、セルバンテスの口からいつもの言葉が出る。
 「セリカはどうしている?」
 「はい、お嬢様は今日は幾分かご気分がよろしいご様子。医師は、安定期に入ったと申しております」
 「そうか…」
 屋敷の中に入ると、セルバンテスは羽織っていたコートを執事に手渡した。そして真っ先に向かったのは、孫娘・セリカの部屋。
 「入るぞ、セリカ」
 昔ながらの木製の重い扉をノックし、彼は部屋に入った。白を基調とした部屋の中はきれいに整えられている。必要最低限の調度品に、中央のテーブルには花瓶。セルバンテスの趣味かセリカの趣味かは分からないが、生けられている花も白だ。清楚・清潔という形容が相応しい部屋である。
 祖父が入ってきたのを見て、ベッドに横たわっていた少女が顔をそちらに向けた。流れるような長い黒髪が実に美しい。彼女の白い肌が、髪の黒さを一層引きたてる。はかなげな美しさを内包する容姿の少女──セリカ。上半身だけ起き上がり、じっと祖父を見つめる。
 「今帰った。…今日は、調子がいいようだな」
 祖父の言葉に、セリカは無言でこくりと頷く。セルバンテスはゆっくりとベッドに近づき、腰を屈めて目線を同じ高さにした。優しい微笑みを浮かべながら、セリカの頬を撫でる。セリカは無表情のまま、祖父の胸に顔を埋めた。愛しい孫娘を抱きしめながら、彼はつぶやく。
 「もう少しだ…もう少しでお前を救ってやれる。それまで…耐えてくれ、セリカ…」
 「……」
 セリカは抱きついたまま、ずっと離れようとはしなかった。
 
 「旦那様」
 部屋を出ると、執事が電話を持って立っていた。
 「…例の医者からです」
 「分かった、代わろう」
 受話器を受け取り、保留を解除する。
 「…私だ」
 『ミスター・セルバンテス。お考えは決まりましたか?』
 受話器の向こうから聞こえてきたのは男の声。含みがある人間の声ではない。長年生き、様々な人間と付き合ってきた結果、セルバンテスにはそれがわかる。…この男は信頼できる。いや──信頼せざるを得ない。
 「…ああ。君を頼る他に、セリカが助かる道はない。セリカも同意してくれている」
 『ありがとうございます。…私にも医者としてのプライドがあります。絶対に成功させてみせますよ』
 「頼む」
 …そして、二人の会話は終わった。
 
 
 数日後、ここは再びアリーナ会場。リンファはエリィと一緒に、珍しく試合観戦に来ていた。もちろん、目当てはセルバンテス。急遽場繋ぎのカードが組まれたのだった。
 「おじいさんがかつのかな〜?」
 「勝つでしょ、多分」
 試合開始までは、まだ時間がある。さて、どこで暇を潰すべきか…また例の食堂にでも行こうか。そんなことを考えていると、後ろから声をかけられた。
 「やっぱり、来ていたか」
 聞き覚えのある声──なんてものじゃない。いつも聞いている声。その声の主は…。
 「ヨシュア!?」
 「アリーナは嫌いじゃなかったのか?」
 少々意地悪い笑みを浮かべて、ヨシュアが言う。といっても、別にヨシュア自身もアリーナが好き、というわけでもないのだが。
 「あはははー、きぐうですねぇ〜」
 「どうせ、セルバンテスの試合を見に来たんだろう?来いよ、いい席を取ってある」
 「え…あ、ありがと…」
 ヨシュアの言葉…というか、彼との遭遇そのものに面食らいながらも、リンファたちは彼について移動した。
 三人はアリーナ席に陣取った。しかも、セルバンテス側の席だ。マスターランカー故の特権である。アリーナ席は一般席とは違い、完全な部屋になっている。しかし横広の部屋なので収容人数は結構多そうだ。おそらく数十人は入れる。
 「かぶりつきー、かぶりつきー」
 エリィがいつもの調子ではしゃぐ。どこで買ったのかは知らないが、ジュースとポップコーンを手に持っている。
 「まだ始まってないのに騒がないの」
 呆れてリンファが言った。まあ、いつものことと言えばいつものことなのだが。
 それにしても──我ながら、不可解な行動にでたものだ。別に、他人の戦い方とかそういったものに興味があるわけではない。自分には自分の戦い方があるし、それを変えるつもりもない。だから他人の戦い方を参考になどしたことがないのだ。とはいえ、いつのまにか他人の技を盗んだこともあったし、ひょっとしたらこれから戦うことになる『かも』しれない相手の戦いを見るのは別に無駄なことではないだろう。リンファは自分にそう言い聞かせた。
 「始まるぞ」
 前を向いたまま、ヨシュアが言った。
 『ただいまより、本日の第三試合を行います。バトルステージはノーマルドーム。まずは、帰ってきた白騎士・セルバンテス!!ACはドン=キホーテ!!』
 白いACが姿を現すと、大きな歓声が上がった。中には立ちあがって声援を送っている者もいる。流石にものすごい人気だ。
 「…ん?あれ…」
 ふと、リンファは近くの席に目をやった。リンファと同じくらいの年の頃の少女が、黒服の男と共に試合を観戦していた。男は多分この少女の付き人だろう。少女はぽーっとした表情で、静かにドン=キホーテを見つめている。リンファは、少女から何か場違いな印象を受けた。道楽でアリーナ観戦をするお嬢が、いないでもない。しかし──根拠があるわけではないが──彼女はそんな風には見えない。一体何者なんだろうか。
 「(誰だと思う、ヨシュア?)」
 ちょいちょいとヨシュアの肩をつつき、知らせる。しかし、ヨシュアの返事は予想通り。
 「(俺が知るか)」
 「(…よねぇ)」
 そうしていると、ドン=キホーテの反対側から、黒いACが姿を現した。白と黒、対照的なACが対峙する。
 『それに対するは、アリーナの暴君・ネロ!!ACはティラノシーザー!!』
 またしても歓声が上がる…が、当然セルバンテスには及ばない。
 「…ああ、あいつか」
 アナウンスを聞いて、ヨシュアが吐き捨てるように言った。
 「あいつ?…って、ネロとかいう奴のこと?」
 「マフィアの親分兼レイヴンさ。麻薬を収入源にしていて、汚いことなら何でもやる男さ。あのアルバート=マックスとも繋がりがあったらしい」
 「ふうん…そんな奴でもレイヴンになれるんだ」
 「奴の存在自体が非合法みたいなもんだからな」
 ネロを言い表すとしたら、悪くない表現だ。
 
 『ヘッ…じじい、テメェを倒せばオレ様の名にも箔がつくってもんだ。ぶっ殺してやるから覚悟しな』
 ダミ声が通信で聞こえてくる。セルバンテスはそれを無視し、操縦桿横のボタンを押す。
 [戦闘モード、起動します]
 ドン=キホーテ搭載のコンピューター音声が戦闘スタンバイを告げる。モニターにはオールグリーンの表示も出ている。機体に何の異状もない、万全の態勢だ。
 …その時だった。いきなりティラノシーザーが肩のキャノンを構え、ドン=キホーテめがけて発射したのだ!試合開始の合図が丁度出る前。完全な奇襲だった。
 『!?』
 ドン=キホーテが立っていた場所で爆発が起こる。歓声が一転、悲鳴に変わった。
 「何あれ、卑怯よ!!」
 リンファが思わず立ち上がる。が、どうしようもない。
 「…だから言っただろう、汚い奴だと」
 リンファに比べて、ヨシュアは幾分か冷静だ。何故か──それは、『見えて』いたからだ。
 爆煙は今だ収まらない。観衆のざわめきが大きくなり、やがてブーイングさえ聞こえてきた。だが、ネロはそんなことお構いなし。彼はとにかくスカした奴が大嫌いなのだ。反則行為であることは十分知っている。しかし、自分のコネがあれば数日間の出場停止で済む──そう踏んでの行動だったのだ。
 『ハッハー!どうだ老いぼれめ、元マスターランカーだろうが、オレ様にかかればこの通りよ!!…って、もう聞こえねぇか…』
 『聞こえているぞ』
 その言葉に、ネロが凍りついた。セルバンテスの声だ。──奴は生きている!一体どこにいやがる!?レーダーには、奴の機体は映っていなかったはずだ!!
 『ここだ』
 まごつくティラノシーザーの真上に、ドン=キホーテはいた。それも、バトルドームの天井すれすれまで高く。…例え奇襲であれ、面と向かった相手の攻撃をかわすことはマスターランカーにとって難しいことではない。そして相手の頭上にいればレーダーを惑わすこともできる。よくよく見ればちゃんと光点は表示されているのだが、相手の立場で言うと「自機」と丁度重なっているので見にくいことこの上ない。まして、勝利を確信していたネロは、なおさら注意などしていなかった。
 『下衆め…貴様に騎士道というものを教えてやる!!』
 …そこから先は、あっという間の出来事だった。上空から急速に降下したドン=キホーテは、その勢いを利用して雷の如くブレードを振り下ろした。ティラノシーザーの右腕が落ちる。続いて横に薙ぎ払う。頭が飛んだ。
 『なっ…』
 さらにドン=キホーテは、後退しながらレーザーライフルを一発、撃った。その正確な射撃は見事に左腕とコアとの間接部に命中し、左腕をふっ飛ばす。頭と両腕を失った暴君はガクリと膝を落とし、それ以上動けなくなった。…会場の静寂を破ったのは、アナウンス。
 『た…対戦相手戦闘不能!!勝者、セルバンテス!!』
 わっと歓声が上がった。割れんばかりの拍手が起こる。リンファも、ようやく胸を撫で下ろした。
 「…気づいてたの?避けていたこと…」
 「まあな。しかし、一瞬であそこまで移動するとは…流石だ」
 心なしか、ヨシュアも興奮気味だ。
 『畜生…何故止めを刺さねェ!?』
 通信はまだ生きているようで、ネロの怒り狂った声が聞こえてきた。自らのガレージに戻ろうとしていたドン=キホーテは一度足を止め、振り返らずに言った。
 『…それが、騎士道だ。貴様には分からぬかもしれぬがな』
 そして、ドン=キホーテはネロの目の前から姿を消した。──屈辱だ。これ以上の屈辱はねぇ。…だが、オレを甘く見るな!!オレに恥をかかせたことを、後悔させてやる!!
 ティラノシーザーが回収されている途中でネロは違う通信のスイッチを入れ、そして低い声で一言だけ言った。
 『…やれ』
 
 「そういえば…」
 ちらと横を見ると、先程の少女もドン=キホーテに向かって拍手をしていた。…何故か無表情のままだったが。リンファはその様子を見て吹き出しそうになった。
 「何なの、あの娘……!?」
 殺気。複数の、殺気を持った人間が近くにいる。ヨシュアも感づいたようだ、手がコートの中に伸びている。リンファも胸元の拳銃に手をやった。…とはいえそれは癖であり、実際に会場内で発砲するわけにはいかない。
 「(左右に三人ずつで、後ろに二人…合計八人か。こんなところで仕掛けてくる気か…?)」
 「(一般人がいるのに!?)」
 相手に悟られないよう、ゆっくりと席を立つ。何も知らない普通の観客は、試合終了に伴ってアリーナ席から姿を消していく。そしてこの密室に残ったのは、リンファ、ヨシュア、エリィの三人と──少女とその付き人である黒服の男。
 「(え!?)」
 狙われていたのはリンファたちではなかった。この少女の方だったのだ。だんだんと詰め寄ってくる八人の男たちを前に、少女は怯えた表情で、黒服の後ろに隠れるようにしている。
 男たちはターゲットとは関係のない連中──リンファたち三人を睨んだ。一人が、重みのある声で言う。
 「我々は、そちらのお嬢さんを迎えに来たんだ。関係ない方には引っ込んでもらいたいな」
 そんな台詞を誰が信じるか。この後男たちがこの二人をどうするかなんて馬鹿でも分かることだ。ならば…とるべき手段は一つ!
 「いや、邪魔するつもりはない。…行くぞ」
 そう言って、ヨシュアが真っ先に動き出す。遅れて、残りの二人も。
 「ばいば〜い、おじさんたちぃ」
 「…そうね、ごめんあそばせ♪」
 てっきり、この三人を少女のボディーガードか何かだと思っていた男たちは、ヨシュアの言葉に拍子抜けしたようだ。──何だ、ただの観客か。紛らわしい──。
 そこで、男の意識が飛んだ。男の脇を抜けるその時、ヨシュアが肘を腹部に叩きこんだのだ。反対側では、同じくリンファももう一人を気絶させたところだった。
 「な…てめえら!?」
 その隙に、エリィが少女の傍に駆け寄り、かばうように抱きかかえる。同時に、黒服も近くの一人に殴りかかった。どうやらこの黒服も手練のようだ。…八人全員を倒すのに、さほど時間はかからなかった。
 「よく分かったな」
 「そりゃもう。ほんっとに単純なんだから」
 顔を見合わせるリンファとヨシュア。以前からヨシュアはよくこういう戦法(?)を使った。付き合いが長くなれば自然にその呼吸も分かってくる。
 「…申し訳ない、あなた方を巻き込んでしまって」
 少女の無事を確認してから、黒服が三人に礼を言う。しかしまあ、巻き込まれたと言っても、リンファたちが勝手に誤解しただけだったのだが。レイヴンという仕事柄、殺気に対して異様に敏感になっているせいだ。
 「あたしたちはいいわ。それより…大丈夫、その娘?すごく怯えてるけど…」
 「……お嬢様?」
 少女はエリィにしがみつくようにして震えていた。しかし、その震えはどうも恐怖だけから来ているのではなさそうだ。──黒服は、すぐに『異変』に気がついた。
 「まさか…お嬢様、発作が!?」
 「発作…?」
 直後、少女が激しく咳き込んだ。喘息のようにも見えたが、その苦しみようは尋常ではない。目を剥き、口からはよだれを垂らし、あの美しかった顔を歪ませ──さながら狂人のように咳き込み続ける。…見る間に、エリィの顔が蒼ざめた。
 「まさかこの娘、『CILS』に!?…薬は、薬はあるの!?」
 「え!?CILSを、ご存知で…?」
 「そんなことはいいから、早く!!」
 リンファもヨシュアも、エリィのうろたえぶりにただただ呆然としていた。
 
 
 アリーナ会場、医務室。ベッドでは薬で落ち着いた少女が、静かに眠っている。とりあえずは一安心だ。
 「ねぇエリィ、『CILS』って一体何なの?」
 エリィの表情はいつもと明らかに違った。リンファの問いに、ゆっくりと喋り始める。
 「『CILS』…先天性肺不活性化症候群(Congenital Inactive Lang Syndrome)、略してCILS。遺伝子異常によってもたらされる病気で、肺の構成細胞を司る遺伝子に損傷があり、発作的に肺の機能が停止するの。…そうね、具体的には肺胞の酸素を血液中に送り込む機能が全く働かなくなる。結果、いくら呼吸しても肺から酸素が取り込めないため、極度の酸欠状態に陥ってしまうの。症状だけを見ると喘息とそっくりだから、精密検査なしで見分けるのは非常に難しいわ。…あなた、一番最近この娘が発作を起こしたのはいつ?」
 「二週間前です。医師は、安定期に入ったと言っておりましたが…おそらく、さっきの者たちのせいで…」
 黒服がエリィに答える。思わず口調が丁寧になるのは、今の「科学者」エリィの迫力故だろう。
 「安定期……ということは、発作は周期的に起こるのか?」
 と、今度はヨシュア。
 「発作の発動周期は…だいたい、1ヶ月に一度。安定期には健常者となんら変わりのない生活を送ることができる。ただし、『極度の緊張状態におかれると安定期でも発作が起こるというデータもあるため、注意が必要である』。今の状態が、まさにそれだったわけ」
 「治らないの?」
 「…現在、遺伝子治療の手法は確立されていないため、治療は不可能とされているの。でも、発作が起きても特殊な薬を用いて肺を刺激すれば、すぐに肺は機能を回復するわ。薬の接種方法は喘息治療薬と同じで、吸引すればいい──さっきやったようにね。…ただし、もともと数百万人に一人の希な病気である上に、薬の原料が入手困難なため、薬1年分(12回分)を手に入れるには膨大なお金が必要になる。だから一般人がこの病気にかかっていた場合、生後初めて起こる発作で死亡するのが普通なのに…」
 治らない、と聞いてリンファたちの顔が暗くなる。行きずりで関わったとはいえ、そう聞かされるとなんだか気分が悪い。
 「驚きました。そこまで知っておられるとは…一体あなたは、何者なんです?」
 「ただのメカニックよ」
 それ以上はエリィは答えなかった。しかし、エリィが知っていた、というのも実はものすごいことで、リンファやヨシュアは当然知るはずもない。先のエリィの説明にもあったように、病気自体が稀であり、患者の大半は薬を手に入れられずに、最初の発作で死んでしまう。だから、「CILS患者=死」という式が成り立ってしまい、ニュースなどで表立って取り上げられることもなかった。だから、CILSを知る人間は高名な医者か、身内に患者を持ってしまった者ぐらいなのだ。
 「…まさか、その娘…」
 リンファはピンときた。高額な薬に──元来金持ちなのに、なお金を欲しがるレイヴン。まさか──。
 「セリカ!!」
 医務室の扉が開き、一人の男が血相を変えて入ってきた。その男の名は──セルバンテス。
 「セルバンテス…やっぱり」
 「!!…君たちは…」
 セルバンテスは、二人のマスターランカーの姿を見て面食らったようだった。だがそれも束の間、すぐさまセリカのところへ急ぐ。黒服の方は、ここでやっとリンファたちの正体に気づいたようだ。
 「この人が薬を携帯していたお陰で、大事には至らなかったわ」
 ベッドの傍の椅子に座っていたエリィが言う。流石にまだこの状況で、「へらへら」には戻れないようだ。…しかし、大事には至らなかったとはいえ──セルバンテスの表情は険しい。近くにあった椅子にゆっくりと座り、そして重々しく口を開く。
 「…何があった?」
 「妙な男たちに襲われた。…おそらくはネロの手下だ。最初から、あんたかこの娘を殺す気だったんだろう」
 黒服に代わって答えたのはヨシュア。…セルバンテスの口からため息が漏れる。
 「…セリカを護ってやるつもりが、逆に危険な目に遭わせてしまうとはな…」
 「あなたがお金にこだわっていたのは、この娘のためだったのね」
 リンファの問いに、セルバンテスは頷いた。
 「この娘は…私の息子夫婦の忘れ形見だ。息子は私の制止も聞かず、レイヴンになって死んだ。そのとき嫁は既にセリカを身ごもっていたが…元々体が弱かったせいか、セリカを生むと同時に亡くなった。──セリカは、両親の顔を知らぬという不幸の下に生まれてしまったのだ。それなのに…それなのに、もっと大きな苦しみまで…」
 セルバンテスの拳が、肩が震えている。彼の深い悲しみが、この場にいる者全てにひしひしと伝わってくる。
 「だからこそ、私はセリカの養育に心血を注いできた。──生まれてすぐの精密検査でCILSが発見されたのは不幸中の幸いだったと言えるだろう。私は発作を恐れて、セリカを家から出さなかった。学校に行かせず家庭教師を雇い、故あって外出するときは必ず人をつけてやった。時には優しく、時には厳しく育ててきたつもりだ──しかし、そのせいでセリカはあのような性格になってしまったのかもしれない…」
 「聞きたかったんだけど…あの娘、CILS以外にも病気を?」
 今度はエリィが聞く。が、セルバンテスは首を振った。
 「いや、それ以外は全く問題ない。…セリカは、あれが『地』だ。自分からはほとんど言葉を交わそうとせず、頷くか首を振るかのどちらかで人とコミュニケーションをとる。喋れないわけではないのだが…」
 「自閉症、でもないのね?」
 「うむ、何と言うか──あの娘は『目』で会話するのだ。私やこの家の者などは、目を見ればセリカの考えていることが大体分かるのだが、他の者だと難しいだろう」
 …常に無表情に見えたのだが。長年一緒にいないと分からないこともあるのだろう。
 「とにかく私はこの十八年間、セリカに薬を欠かさず与えてきた。それなりの蓄えは十分にあったし、これからもまだあと数年分は薬を買うことができる──しかし、どんなにあがいたところで、薬ではCILSの症状を抑えることしかできない」
 そこまで言って、セルバンテスは顔を上げた。
 「だが、CILSが治る可能性が一つだけあったのだ。医薬品製造会社『C&C製薬』のサンチョ=パンサという医者が、ナノマシンを応用して遺伝子を修復する研究をしている。彼はセリカがCILS患者であることを知って、私にコンタクトをとってきた」
 なるほど、製薬系企業の医者ならその辺のルートでそういう情報も手に入るだろう。研究には金が要る。しかし、大富豪であるセルバンテスをパトロンに、そしてその孫であるセリカを実験体にすれば、ちゃんとした研究を続けることができる。金持ちの家のCILS患者。医者にとっては一番都合が良い。
 「…でも、分の悪い賭けね」
 エリィの意見はもっともだ。成功すればセリカの病は治るだろう。しかし失敗すれば──セリカがどうなるか分かったものではない。治らないだけならまだしも失敗即死という可能性がないでもないからだ。しかもその研究費、『研究段階』である以上は必要額の上限が見えない。失敗すれば全てが無駄に終わる。
 「それでも、私たちにはこれに賭けるしか他に手がない。私は、セリカの苦しむ姿をこれ以上見たくはないのだ!!…このことを打ち明けたとき、セリカは快く承諾してくれたよ」
 「…お祖父様」
 いつのまにか、セリカが起きていた。…リンファたちは初めてセリカの声を聞いた。鈴の鳴るような声、とはこういう声を言うのだろうか。透き通るような美しい声であった。ただ、それは同時に、すぐにでも消え入ってしまいそうな、儚げな美しさであった…。
 「セリカ…もう、大丈夫なのか?」
 セリカは頷くと、周りにいる者の顔を一通り見渡した。そしてリンファたち三人に向かって深々と頭を下げる。
 「……」
 リンファは彼女の目を見つめた。その目はリンファに何かを訴えているようでもあった。…しかし、その内容が何なのかまでは、リンファには分からなかった。
 
 
 「何ぃ!?失敗しただとぉ!?」
 部下の報告を聞いて、ネロは思わず声を荒げた。…いや、元々そういう声の男なのだが。
 「もっ、申し訳ございません!!何でも、妙な三人が邪魔に入って…」
 「そんな言い訳が通用するか!!」
 その三人の内、二人がマスターランカーであることを、ネロは知らない。…とにかく、セリカの拉致はその三人によって見事に阻止され、実行犯はお縄。ネロのコネがあれば、組織全体に捜査の手が伸びるということはまずないが──とんだドジを踏んだものだ。
 「ええい、くそ!…何とかしてあのじじいに吠え面かかせてやらねぇと、気が済まねぇ!!」
 …ネロは、組織のトップに立つにしては、いささか小事にこだわりすぎるところがあった。非情さや狡猾さにかけては一流たり得るのだが、たった一度の敗北でここまでセルバンテスへの復讐にこだわるのは、組織にとって得策とは言えない。…困るのは部下の方だ。我が身が可愛いなら、どんな命令であれ従わざるを得ない。
 「…こうなったら…」
 ネロは目の前の部下にこう命じた。
 「あのじじいの身辺を徹底的に探れ。何でもいい、何か奴をおびき寄せるネタを掴むんだ!!」
 
 …そして数日後。いろいろと嗅ぎ回ってきた部下が、ネロの前で再び報告している。
 「──で、奴の孫娘は、その『CILS』という病気にかかっているわけです」
 「それはマズいな。拉致った時に発作を起こされて死なれたんじゃ意味がねぇ。どうせなら、じじいの目の前で殺してやらねぇと」
 セルバンテスに最高の絶望を与え、そして孫娘共々殺してやる。そのためには何とかセリカを生かしたまま、セルバンテスを自分の目の前におびき出さねばならない。
 「…待てよ」
 ネロの悪知恵が働いた。CILSの薬は希少価値が高く、なおかつ製造にも時間がかかるとの報告があった。…それならば、無理にセリカをさらわずとも、薬を奪うだけでいいのではないか?薬がないとセリカは死んでしまう、しかもいつ突発的に発作が起こるか分からないのでは、セルバンテスは薬を取り戻さないわけにはいかないだろう。
 「確か、薬はすぐには手に入らないんだったな?」
 「え…はい、原料が非常に少なく、また製造にも時間がかかります。しかも、全世界から注文が殺到しているため予約制販売になっております。ですから、どんなに早くても数ヶ月はかかるかと…」
 「よし。家の誰がいつも薬を持っているか分かるか?」
 「娘が外出する際は、いつも同じ男が付き添っています。おそらくその男が持っているでしょう」
 それを聞いて、ネロは口の端を歪めた。…いける、これなら!!
 「次に娘が外出する時を狙って、薬だけを奪って来い!!…くれぐれも、娘を刺激しないようにな」
 「了解、ボス!」
 部下が出て行った後、ネロはクックッと笑い始めた。笑い声は次第に大きくなっていき、ついには高笑いに変わった。
 「待ってろよ、じじいめ!!」
 
 
 セルバンテスは屋敷で頭を抱えていた。手には一枚の紙が握られている。その脇では、黒服が苦痛に顔をしかめながら椅子に座っていた。足には包帯が巻かれている。そして、その様子を心配そうに見つめるセリカ。
 「まんまと…してやられたか…」
 つい数時間前、セルバンテスはセリカを病院に連れて行こうとしていた。先日発作を起こしたこともあり、大事をとって──というのが目的である。いつもなら医師を屋敷に呼びつけるのだが、大掛かりな検査の際は医療器具の問題でこちらから出向かざるを得ない。…その時を狙われたのだ。そして──ネロ一味の襲撃は成功した。
 「申し訳ありません、旦那様。私が…私が深追いさえしなければ…」
 「もうよい。…奴らの狙いが薬だったなど、私でも思い及ばぬ」
 うなだれるセルバンテス。そう、今回はセルバンテスも一緒にいたのだ。彼がいる限り、何者もセリカに手出しはできない。老いているとはいえ、セルバンテスも格闘の腕は立つ。並のチンピラが何人集まっても物の数ではない。実際セリカは無事だった──しかしそれは当然、何せ奴らの狙いは薬を所持している黒服の方だったのだから。
 
 人気のない路地に差しかかった時。銃声が響き、セルバンテスたちが乗っている車の車輪がパンクした。同時にネロの手下たちが車を取り囲む。…と言っても、その人数は四人と非常に少ない。少数精鋭での電撃作戦といったところか。この程度ならセルバンテスと黒服の二人で十分撃退できる。
 精鋭といっても所詮はチンピラ、正式に格闘術を学んだ二人の敵ではなかった。敵わないと見るや、いきなり逃げ出したのだ──今思えば、それが敵の罠だった。セルバンテスはすぐにセリカの元へ戻ったが、黒服は相手を追撃した。その際に、脚を銃で撃たれた。もう一人仲間が隠れていたのだ。…身動きの取れなくなった相手から薬を奪い取るのは、連中にとって全然難しいことではなかった──。
 
 セルバンテスが持っている紙は、ネロからの挑戦状だった。襲撃隊が逃げるときに残していったものだ。
 『地上・G−5地区にACで来い。いや、来ないわけにはいかねぇよなぁ、孫の命が惜しけりゃな。…ただし、娘と二人で、だ。言う通りにしないと──』
 不敵な挑戦状だ。もちろん、連中が無事にこちらを帰してくれるわけがない。罠の中に飛び込むしかないのだ。しかもその時にセリカが発作を起こす可能性もある──例えセルバンテスが一緒にいたとしても。セリカを連れて行くのは自殺行為に近い。
 ──どうする!?
 「お困りのようね」
 扉が開き、一人の女性が案内されて部屋に入ってきた。急な訪問者に驚くセルバンテス。
 「リンファ君…!?」
 「話は聞いたわ、セリカさんにね。私が呼ばれたのもそのためよ」
 「何だと…セリカ、本当か!?」
 セルバンテスは再び驚いて、セリカの方を振り返る。いつのも調子で、セリカは頷いた。
 …初めセリカから電話がかかってきた時、リンファは耳を疑った。電話の相手が自分をセリカだと名乗ったのだから。しかし、その声は紛れもなくセリカのものだった。
 『──私のせいで、お祖父様に迷惑をかけてしまっている。本来なら、私が自分で何とかしなければいけないことなのに──でも、私では、私一人では解決できないの!…だから、お願いします!!私の代わりに、お祖父様の力になってください!!』
 受話器越しに聞こえたセリカの悲痛な声は、リンファの心を打った。…彼女が自分と同い年のせいかもしれないし、ただの同情だと言ってしまえばそれまでだ。しかし──リンファは、セリカのことを放っておくことができなかったのだ。
 「申し出は有難いが、しかし…」
 「何言ってるの、これは仕事よ。私はセリカさんに『雇われた』レイヴン。依頼内容は『セルバンテス一家の護衛、及びネロ一味の壊滅』。…これでいいわよね、セリカさん?」
 言われて、セリカはてくてくとリンファの傍まで歩み寄り、頭を撫でた。ぽかんとするリンファ。
 「な、何…?」
 「気にするな、嬉しい時のセリカの癖だ」
 目にハンカチを当てながら、セルバンテスは笑みを漏らした。
 
 
 地上、G−5地区近辺。時刻は夜。季節はどうやら「冬」らしく、雪がちらちらと降っていた。決して白いとは言えない、薄汚れた雪だ。その中を、ドン=キホーテが進む。
 「これが雪…か。──お前も、初めてか?」
 狭いコックピットの後部座席に向かって尋ねる。…こくり、と反応が返ってきた。
 セルバンテス自身、雪を見るのは初めてだた。しかし想像とは大分違う。もっと白く、美しいものだと聞いていたが。汚染された地上に降る雪も、やはり汚染されているのであった。
 辺りに鳥獣の姿はない。況や、人の姿も。だからこそ、マフィアのアジトとしては格好の場所なのである。
 挑戦状に書かれてある道順の通りにしばらく走っていると、大きな建築物が見えてきた。あれがネロのアジトであり、麻薬製造工場。ACがまるまる入れる巨大な建物だ。
 「…入るぞ。覚悟はいいか?」
 セリカの返事はなかったが、代わりに腕をきゅっと握られた。彼女なりの、了解の合図だ。セルバンテスは息を吐くと、扉を開けるスイッチを操作した。低く、鈍い音を立てて扉が左右に開いていく。
 「まだ、出迎えはないようだな…」
 最初に入った部屋は特に何もなかった。せいぜいコンテナのようなものが置いてあるだけだ。部屋の壁は対汚染構造をしているため、二重になっている。この部屋は、たくさんあるうちの一区画でしかない。かなり大きな工場だ。真っ暗な中、ドン=キホーテは奥の扉に向かう。
 「鬼が出るか、蛇が出るか…」
 次の部屋も真っ暗だった。しかし、ドン=キホーテが完全に部屋の中に入り、扉が閉まると──突然部屋の電気がついた。今度の部屋は本当に何もない、まるでアリーナのバトルドームをそのまま小さくしたような場所だった。そして、部屋の奥の扉の前に──ネロが立っていた。
 「言われた通りにちゃんと来たようだな」
 ネロは手に何かを持っている。セリカの薬だった。
 「ちゃんと娘は連れてきたか?」
 『ああ。薬を返してもらおう』
 「返してやるさ。…だが、条件がある。娘自らが取りに来るんだ」
 『何だと!?貴様…』
 だが、セルバンテスが言おうとした時、それを遮るかのようにドン=キホーテのコンピューターの声がした。
 [敵機確認。MT・グラディエーター、機数10]
 レーダーに光点が映る。周囲を見渡すと、右手の肘から下がそのままレーザーブレードになっている、華奢な姿の人型MTがぞろぞろと現れていたところだった。完全に取り囲まれている。
 「選択の余地はねーんだよ。大人しく言うことを聞きな」
 『くっ…セリカ…』
 「……」
 コックピットの中で、セルバンテスとセリカは顔を見合わせた。セルバンテスの方は不安げだが──セリカは、不意ににっこりと笑った。
 ハッチが空き、セリカがゆっくりと出てくる。それを見て、ネロはにやりと笑った。グラディエーターはいつでもドン=キホーテに襲いかかれる態勢だ。
 やがてセリカはネロの目の前までやってきた。その瞳は臆することなく、じっとネロを見据えている。──怯えていやがらねぇ。オレの嫌いな目をしている娘だ。…だが、これから自分の祖父の身に起こることを目の当たりにしても、果たして冷静でいられるかな!?
 「ほらよ、薬だ」
 意外に素直に、ネロは薬を渡した。その場で確認する──どうやら、偽物などではないようだ。しかし次の瞬間、祖父の元へ戻ろうとしていたセリカを、ネロは後ろから羽交い締めにして人質にしてしまった!
 「あっ!?」
 『セリカっ!!』
 勝ち誇った顔で、ネロが下卑た笑い声を上げる。
 「ヒャハハハハッ、この馬鹿正直が!こうなることぐらい予想できただろうが!!…まあ、もっとも予想できたところで打つ手はないだろうがな」
 必死に身をよじるセリカ。しかし、ネロの腕力から逃れられるはずもない。
 『おのれ…卑怯者め…』
 「抵抗するなよ、じじい。じゃないと娘が先に死ぬぜ?…やれ!」
 ネロの号令で、グラディエーターが一気に襲いかかる。ブレードしか装備していないMTだが、今いるこの場所は動ける空間が限られているし、何よりこれだけの数がひしめき合うことになるのだから、下手に飛び道具を装備しているより有利であると言える。しかも動きは大変いい。乗っているのはネロの手下だから、おそらくはアダードラッグを服用して反応を高めているのだろう。流石のセルバンテスもこれだけの数を相手にして、いつまでも避けつづけられるはずがない。致命傷ではないものの、一太刀、二太刀と確実にダメージを受けていく。
 「お祖父様ぁっ!?」
 思わずセリカが叫んだ。もはやネロに抵抗するのをやめ、後ろ手にされたまま力なくひざまづく。
 「くっくっく…見ろよ、てめぇの大事な孫娘が苦しくなってきたようだぜ?」
 うつむいたセリカが肩を震わせている。…ネロの予想通りだ。目の前でセルバンテスを痛めつけることで、セリカに発作を起こさせて死なせる。そして、絶望の淵に突き落とされたセルバンテスに止めを刺す──。さて、そろそろ発作が起こる頃か?
 「ク…クックッ…ア、ア──ア、アハハハハハハハ!!」
 「な!?」
 ネロは面食らった。セリカの口から漏れたのは、苦しみに喘ぐ声ではなく…高笑い。
 「まぁだ気づかない?あんたみたいなゲスの言うことを素直に聞いて、『本物』を連れてきたとでも思ってんの!?」
 発作の前兆で震えていたのではない。セリカは──いや、リンファは笑いを堪えて震えていたのだ。馬鹿正直とはむしろネロの方。顔を見たこともないのに、何の疑いもなくリンファをセリカだと思い込んでいたのだから。
 「てめぇ…がっ!?」
 縛めを振りほどき、リンファはネロの手を取って投げ飛ばした。ネロは固い床に強か体を打ちつけ、一時呼吸ができなくなってうめいている。その隙に、リンファはかつらを捨て、慣れないスカートの裾を翻しながら安全な場所まで走った。
 「薬は取り返した!思う存分戦って!!」
 『よくやってくれた!!さあ、君も早くACに乗るんだ』
 予想外の展開にまごついていた近くの一機をブレードで斬り払いながら、セルバンテスが言う。それとほぼ同時に、扉を破って赤い二脚ACが姿を現した。エリィがペンユウを持ってきていたのだ。
 『りんふぁちゃん、はやく〜』
 「グッドタイミングよ、エリィ!」
 急いでリンファがペンユウに乗りこむ。その間の援護をしていたドン=キホーテは、もう一機のグラディエーターを屠っていた。残りはあと八機。
 「くそっ…あの赤い機体…まさかあの女、マスターランカーの『真紅の華』か!?」
 ようやく起き上がったネロが、ペンユウを見て唖然とする。マスターランカーが二人(一人は元、だが)相手では、分が悪いなんてものじゃない。──逃げなければ!!ネロはすぐさま奥の部屋へ駆け込んだ。
 「ネロが逃げるわ!ここはあたしに任せて、あなたは奴を追って!!」
 『済まない、後は頼む!!』
 ドン=キホーテが奥へ進もうとする。一機がその前に立ちはだかったが、そのコックピット部をライフルで撃ち抜いて、ドン=キホーテはそのままネロを追って行った。
 
 まずい。非常にまずい。こんなはずではなかった。何でこんなことになっちまったんだ?ネロはティラノシーザーを走らせながら自問していた。いろいろ問題はあった──しかし一番の原因が自分の妙なこだわりにあったことに、彼は気づいていなかった。
 ビィィン!!衝撃が機体に走る。レーザーライフルを脚に食らった。追いつかれたのだ。重量二脚ACであるティラノシーザーと、高機動を誇る四脚ACであるドン=キホーテでは、鬼ごっこにもならない。
 『逃がしはせん。人の命を踏みにじる悪党め…貴様は絶対に許さん』
 白騎士が静かにランスを──レーザーライフルを構えた。ネロの背筋がゾクリとする。ACの装甲越しに発せられる威圧感が、まるで金縛りのようにネロの動きを封じていた。──ビビってる?オレ様がか!?…バカな、そんなバカな!!
 『なめるなよ…一度勝ったからって、いい気になるんじゃねぇ!!』
 ティラノシーザーが走った。それに反応してドン=キホーテがライフルを撃つ。しかしネロはひるまない。ダメージをものともせずに、フィンガーマシンガンを乱射しながら特攻してくる!
 『蜂の巣になりやが…!?』
 しかし、不意にドン=キホーテの機体が眼前から消えた。──いや、消えたように見えた。
 『上か!!』
 ネロもドラッグで反応強化をしていたため、目で動きを追うことができた。しかし──相手の行動に対して何かをするにはもはや遅すぎたのだった。
 『私のみならず、セリカをも苦しめたその罪はッ!!』
 ティラノシーザーを飛び越えて背後に降り立つ。そして振り向きざまにブレードを突き立てた。…青い刃は寸分違わずティラノシーザーのコックピットを貫いていた。爆発を起こすこともなく──暴君は立ち往生していた。
 『…死を以って償うがよい』
 黒い墓標と化したティラノシーザーに向かい、白騎士は腕を胸に当て、一礼した。
 
 「終わったようね。…名演技だったわよ、セルバンテスさん」
 セルバンテスがリンファの元に戻ると、辺りにはグラディエーターの残骸が散らばっていた。こちらの方も片がついていたようだ。…ネロの一味は完全に壊滅した。
 『君の方も、なかなか上手かったぞ』
 顔は見えていないが──二人は笑った。リンファの後ろで、エリィもにこにこしていた。
 「さて。とりあえず任務完了ね。じゃ、報酬を探しに行こっか」
 そう言って、リンファはペンユウを奥の部屋へと進めた。
 『どこへ行く?報酬なら私の屋敷で…』
 「あなたに貰っても意味がないじゃない。大体、お金が必要なのはそっちでしょ?私は、ネロの貯め込んでた財産をいただきにきたの」
 工場区から居住区へと移動する。セルバンテスがACを降りてリンファの元へ来るころには、既にリンファはネロの金庫破りに成功していた。
 「こんなに…!?」
 三人は目を丸くした。これほどの大金を一度に目にするのは初めてだ。流石マフィアのボス、相当あくどい稼ぎをしていたものと見える。
 「…では、山分けとしようか?」
 しかしリンファは首を横に振り、セルバンテスの申し出を断った。
 「あたしは機体の修理費だけでいいわ。このお金はセリカさんのために──そして、全てのCILS患者のために使われるべきよ」
 「リンファ君…ありがとう、本当にありがとう。何と礼を言ったらよいか…」
 感に堪えず、セルバンテスは静かに涙を流した。
 
 
 数ヶ月が経った。
 あれ以来、アリーナでセルバンテスの名は聞かれなくなった。彼は、そしてセリカは一体今どうしているのだろう。
 「…ほーんと、何してるんだろ…」
 自室のベッドでごろごろしながら、リンファはぼそりとつぶやいた。ずっとアリーナ新聞をチェックし続けてきたのだが(もちろん、自分で買っていたわけではない)、彼のことが書かれたことは一度もない。そりゃまあ、彼らが今どうしているかなどは屋敷を訪れれば分かることなのだが──どうも、自分から出向くのは何か図々しいと言うか何と言うか…。
 「ふぁーあ」
 リンファは欠伸をした。眠い。気温も昼寝には丁度いいし…寝ちゃえ。そう思って目を閉じたとたん。
 「りんふぁちゃーん、たいへんたいへん。きてきて〜」
 階下からエリィの呼ぶ声がする。…せっかく昼寝しようと思ってたのに。眠い目をこすりながら階段を降りる。
 「何よぉ、一体」
 「テレビ、テレビ見て!」
 慌てたような、はしゃいでいるような様子でエリィがテレビを指差している。やっているのはニュース番組だ。
 「だから、一体何…」
 ──リンファはその内容を聞いて、テレビ以外の音が耳に入らなくなった。
 『本日、C&C製薬のサンチョ=パンサ医師が、ナノマシン技術によるCILSの遺伝子治療に成功したとの発表を行いました──』
 

THE END.