彼には少年時代が存在しなかった。
 正確には、子供だった頃が、彼にはなかった。
 彼は小さな頃から、既に親の道具だった。
 アルマゲイツ社の副社長。後継者。
 それ以外の何でもなかった。
 母親は、彼を生んですぐ、死んでしまった。
 彼の記憶は、暗い部屋の中、黙々と与えられた経済学や帝王学の本を読み漁る自分の姿だけ。
 それが彼の幼少の記憶全てだった。
 ビリー・フェリックスの。


 第10話「アルマゲイツ、分裂」 



 「う…ここは…」
 激しい痛みに、視界がゆっくりと広がっていく。
 彼の目に飛び込んできたのは、青い髪の少女だった。
 「あ…気が付いた?」
 心配そうに聞いてくる、少女。
 「……ユーミル?」
 意識がはっきりしてくるにつれて、その少女がはっきりと見えてきた。
 ユーミルだ。
 「そうか…アリーナで…」
 「機体に爆弾が仕掛けられてたんだって…」
 ユーミルが不安そうな目で、ビリーを見つめる。
 「ビリー…いじめられてるの?」
 「違う。」
 即答。
 まあ、ユーミルの考える事など、そんなものだろうが―――
 「僕は、何日くらい眠ってたんだ?」
 「5,6時間くらい」
 「そうか…意外と少ないな」
 2、3日は眠っていたのかと思ったが、どうやらそうでもなかったようだ。
 「ずっとついていてくれたのか?」
 「え?うん、そうだけど」
 「そうか…」
 ゆっくりと体を起こすビリー。
 痛みが走り、顔をしかめるがそれだけだ。
 「無理したら、ダメだよ?」
 それを見て心配そうな顔をするユーミルに、心配ないと笑って告げる。
 「それより、ガルドはどうした?」
 「ガルドは…ビリーの機体に爆弾仕掛けた犯人だって、疑われてるの…」
 「そうか…まあ、僕が証言すれば、その件は問題ないだろう」
 「してくれるの?」
 意外だと言う風に、ユーミルが聞く。
 「なぜ?」
 「だってビリー、ガルドと仲悪そうだったし…」
 やはりいくらユーミルでも、さすがに気付いていたらしい。
 「それは…」
 (そうしないと君が悲しむからな…)
 その言葉は、言わずにおいた。
 「彼は、そんな事をするような人物には見えなかったからな」
 これも、本当のことだが。
 「問題は、誰がやったかということだよ」
 ビリーには大体の見当がついていたが。
 「そうそう。ひどくない?よりによって爆弾なんて!」
 途端に怒り出し、ぶんぶん腕を振り回すユーミルが微笑ましかった。
 「取り合えず、君は一回自分の部屋に戻っていてくれ。ガルドのことは、僕が何とかするから」
 「え?でも…」
 「頼む。何かあったら、すぐに連絡するから」
 それはこれから起こることを、ユーミルに見せない為の配慮であった。
 「分かった…きっとだからね」
 「ああ、約束する」
 ユーミルは何度もビリーを振り返りながら、ゆっくりと病室を出て行った。
 「……」
 彼はユーミルが去ったのを確認し、電話機に手をかける。
 「タウゼント、僕の病室に来てくれ。僕と対戦していたレイヴンの事について聞か せてもらう」
 タウゼント。
 それは、あの老執事の名前であった。




 それから5分後。
 ビリーの病室の扉がノックされ、老執事タウゼントが姿を現した。
 「ご苦労。爆弾を仕掛けた犯人はどうした?」
 「レイヴン、ガルドのことでございますね?」
 それには答えずに、ビリーは鋭い目でタウゼントを睨んだ。
 「爆弾犯は失敗してさぞかし焦っている事だろう…何しろ必ず僕を消せと言う命令を受けているんだからな。だが失敗してしまった…しかし、チャンスはすぐにやってきた。ターゲットと2人きりになるチャンスが…これを逃す手は無い。そう、君は今、僕を殺す為に銃を持っているはずだ」
 「!?」
 タウゼントの顔に、一瞬狼狽の色が浮かぶ。
 しかし、それはすぐに消え去った。変わりに浮かび上がってくる、残忍な笑み。
 「さすがだな、気付いていたか。それほど優秀でなければ、お前も消されずに済んだものを…」
 「消されるのは、お前だ」
 ビリーはゆっくりと銃を構えた。
 ぴたりと、タウゼントの脳天に照準をあわせる。
 「無駄な事を。ワシを殺した所で、最早どうにもならぬわ。お前は本社の力を見くびりすぎたな。いくらお前が優秀だろうと、そして蒼のユーミルを味方につけようと、お前は勝てない。おとなしく、人形で居ればよかったものを」
 「黙れっ!」
 乾いた銃声が病室に響き渡った。
 「……ほう?どうしたのかな?ビリー・フェリックス。君が狙いを外すとはな…」
 弾丸は、タウゼントの後ろの壁に小さな穴をあけていた。
 「……見逃してやる。帰って父さんに伝えろ。僕はあなたの思い通りにはならないと」
 「ほう?随分と甘い事を言うようになったな?あの小娘の影響か?」
 タウゼントはその言葉で、自らの命を無くす事になった。
 もう一度、銃声が響く。
 しかし今度の銃弾は、タウゼントを一撃で死に至らしめていた。
 「くっ…何故出て来た…!」
 ビリーが銃を取り落とし、膝をつく。
 
 "貴様がやれぬようだから、やったまでのことだ"

 「余計な事をするな!僕にはもう、お前は必要ないんだ!」
 
 "ほう?随分と勝手な言い草では無いか。今まで散々嫌な事を押し付けておいて、必要がなくなったら捨てるのか?"

 「僕にはもう、お前は必要ないと言ったはずだ!僕にはユーミルが居る!」

 "やはり奴か…お前は奴の為に、もう1人の自分である俺を殺そうと言うのか"

 「うるさい!もう出てくるな!」

 "なら俺は…奴を、ユーミルを、殺す!"

 「やめろ!消えろ!」

 


 「タウゼントはしくじった。さすがにビリーは抜け目がない」
 アルマゲイツ本社ビルには、役員でさえもその存在を知らない未知のエリアがある。
 その部屋に、12個の培養槽が並んでいた。その中には、人間の脳髄が浮かべられている。
 「支社の人員はそのままで接収したかったのだが…やむを得ないな」
 「支社は最早、我々にとって害悪でしかない…」
 「武力による支社の直接占拠を行うか」
 そして、その培養槽の円の中に居る、この部屋でただ1人生身の人間。
 「ここで時間を食うわけには行かない…」
 その人物はゆっくりと呟いた。
 「滅亡の日…奴が現れるまでもう時間がない。急がなければならない…」




 後書き 第10話「暗い部屋、心の檻」
 さて、そろそろ第1部前編が一区切りへ近付いて来ました。
 第1部前編なんてプロローグみたいなもんですけど(爆)
 今回はほとんどギャグがありません。戦闘シーンもない(ぉ
 さて…今回の話で分かった人は分かったと思いますけど、掲示板でばらさないで下さいねー(w