"S.o.S.;The Origins' World Tale"
EPISODE in 1313 #A21"How should we attend the deathbed of "U"?/The Sword of Wish



勇者の後始末人

“土用の丑の日は「う」のつくアレを”




「ひとつの種が絶滅に瀕しているという事実を、あなたがたは真剣に考えているのか!」
 悲痛な訴えが議場を引き締めたが、それもいっときの事だった。再び湧き上がる緩みきったざわめきは、とても世を憂う声には聴こえない。捕獲業者、養殖業者、卸売、小売、板前、報道、研究、広告代理店、政府関係省庁からただの野次馬に至るまで、様々な立場を代表して集まった――集められた有識者たちであったが、真面目にこの問題に取り合っているものは、そのうち一割にも満たなかったであろう。
「データをご覧ください」
 演台の男が、背後の大きな折れ線グラフを叩く。
「数字は無慈悲にひとつの事実を示しております。それは、長くとも数年以内に、種の保存について深刻な問題が生じるという事実であります」
「今年の捕獲量は増えたんだろう」
「資源回復してるんじゃないの?」
 面倒臭げなヤジに、とうとう男は怒鳴り声をあげた。
「過去の推移を見てみなさい! 今年の捕獲量は50年前の僅か一割以下なんだ! こんな低水準で誤差みたいな増減を繰り返している、これが回復していると言えますか!」
「ドクター、落ち着いて」
 と、隣に控えていた助手が腕に手を添えてくれた。彼女は、演題の男ドクター・ゲイナンの自制心そのものとさえ言える、大切な人物である。その冷静な声のおかげで、ゲイナンは辛うじて感情の手綱を取り戻したのだ。
 怒りに歪んだ顔を、再び義憤に燃える若き学士のそれに戻して、ゲイナンは聴衆に訴えかける。
「失礼。しかし、このままでは最悪の事態は避けられません。
 保って5年。あと5年で、我々の大切な食文化、すなわち――」
 静けさだけが充ちた議場に、絶望的な警句はむなしく響いた。
「“うつくしい乙女”は絶滅します!!」

 ヴァンパイア族による“うつくしい乙女”食の歴史は、古く先史時代にまで遡れるらしい。5000年前の遺跡から食べ残しの骨が見つかっているし、1300年前の文献にも“うつくしい乙女”を詠んだ詩が登場する。1000年前のヴァンパイア大衰退期には貴重な蛋白源となって命を繋いでくれた。味にも栄養にも優れた“うつくしい乙女”は、古来ヴァンパイア族のかたわらにあったのである。
 状況が大きく変わったのは、約200年前のことだ。それまでは一部の階層にほそぼそと消費されていただけだった“うつくしい乙女”であるが、この時代に画期的な調理法が開発された。これによって、ごつごつと骨ばっていた“うつくしい乙女”を、白くふんわりと仕上げることが可能になり、また調味料の工夫もあって、全世界的な大流行が始まった。
 これに、“うつくしい乙女”を饗す飲食店による魅力的なキャンペーンが拍車をかけた。
 すなわち、『夏の土用の丑の日に“う”のつくものを食べると精力がつく』というキャンペーンである。
 ヴァンパイア族はこのような迷信を非常に重視する。うめぼし、馬の肉、うなぎなど、さまざまな食材が土用の丑の日に食されたが、“うつくしい乙女”はとりわけ好まれた。その後、他の“う”のつくものは廃れ、“うつくしい乙女”を食べる風習のみが現代に残された。
 以来、“うつくしい乙女”は、ヴァンパイア族の夏の風物詩となったのである。彼らの“うつくしい乙女”に対する思い入れは、工夫の凝らされた多岐にわたる調理法からも明らかだ。
 衣服を剥ぎ、そのまま血を吸う「白やき」。
 蒲の穂でくすぐりながら吸い尽くす「蒲やき」――「やき」とは乙女が焼かれたように身をよじることからいう。
 食す前にサウナで汗を流させ身を柔らかくする東方風。
 この工程を省いて引き締まったからだを愉しむ西方風。
 香りをつけた精油の風呂にいれたまま、くんずほぐれつしながら食す「ひまつぶし」――食事に極めて長い時間を要することから――などなど、枚挙に暇がない。
 ところが近年の急速な消費拡大が、皮肉にも、彼らが愛して止まない“うつくしい乙女”を危機に陥れている。約50年前をピークに“うつくしい乙女”の捕獲量は減少の一途を辿り、深刻な資源の枯渇が問題視されるようになった。
 実のところ、“うつくしい乙女”の生態は極めて複雑で、未知の部分が非常に多い。とくに繁殖についてはほとんど何も分かってないと言ってよい。よって完全養殖は不可能であり、現在行われている養殖は、幼児期に捕獲した“うつくしい乙女”を適正年齢まで育てるだけのものなのだ。
 政府は資源管理のため捕獲制限をはじめたが、需要が縮小しない限り、リスクを負ってでも供給しようともくろむものは後を絶たない。無免許の密猟者が横行し、また養殖業者や販売業者が闇ルートでの流通を事実上黙認していたことから、“うつくしい乙女”の減少に歯止めがかかることは、一切なかったのである。

「そうは言うけど、50年も前から危なかったわりには、毎年ふつうに食べてきたじゃないか?」
 広告代理店のヴァンパイアが偉そうに口を挟んだ。ドクター・ゲイナンが口を開きかけると、横で他のものが手を挙げる。
「それについては、私から説明しましょう。よろしいですか?」
 ドクターから演台を譲られた男は、小さく咳払いして、すばらしい営業スマイルを議場全体に振りまいてから、語り始めた。
「どうも、私、輸入業をしている者です。
 えー、このグラフにありますとおり、“うつくしい乙女”の捕獲量は、今から40年ほど前にはすでに急落を始めておりまして……このままでは供給が追いつかんというわけで、私どもが業界参入をいたしました。ま、つまり、代替品種の輸入ですな」
「代替品種?」
「“マアうつくしい乙女”だとか、“うつくしいカモシレナイ乙女”、“見ようによってはうつくしい乙女”などです。
 見てくれはいささか劣りますが、味のほうは遜色なく……」
「なぁにが遜色ないだ! あんなもんは“うつくしい乙女”じゃねえ!」
 遠くから聞こえた怒声は、板前のものである。輸入業者は苦笑する。
「ま、私のような庶民に充分な程度にはね。ともあれ、ここ30年ほどは、市場の大半を代替品種の輸入でまかなっていたような、そういう状況であったわけです、はい」
 ぺこりと頭を下げて、輸入業者が壇を下りる。と、それを待っていたように別の手が上がった。いちいち壇上に上がらせるのも面倒になり、助手に命じて魔法拡声器を持っていかせる。立ち上がってマイクテストをしている背広は、政府関係者である。
「あー、あー、あのね、僕、通産省です。
 いっときますが、今後はもう輸入は無理ですよ」
「なんでだー?」
「向こうの代替品種も個体数激減してんだよ! 貿易交渉でカードに使われて大変だったんだ! おまえんとこは世界中の“うつくしい乙女”を食い尽くす気か! ってスゴイ剣幕でねっ!」
「そこをなんとかするのが通産だろー」
 横手から飛んできたヤジに、通産省がキレた。
「うるせー農水! てめーんとこの大臣、業界団体から献金されてんだろ!」
「あっ、根も葉もない! 通産こそ接待漬けのくせに!」
「やかましーっ! 交渉の邪魔なんだよ! “うつくしい乙女”なんか業界ごと絶滅しろーっ!」
 その口げんかを皮切りに、議場の一同がそれぞれてんでバラバラ、好き勝手なことを言い始める。
「うーん、供給が減ったらね、我々小売としちゃあ困るので」
「これはあれかな。ひとつ、いっせーのーせで値段を上げて、ウチらの粗利は確保するってことで」
「それは搾取だ! 談合反対! 低価格での安定供給を求める!」
「だれきみ」
「消費者団体」
「とにかく本物の“うつくしい乙女”をよこせ! 味もわからねえあんぽんたんどもが!」
「黙れ板前っ」
「えー、生物学的見地から言いますとー、この問題は……」
「大事なのは供給がないものでも売りぬく広告だよ。広告。キャッチコピーで解決する」
広告代理店(おまえんとこ)はいつもそれだ」
「あ、明日の記事ね、見出し入れといてくれる? 『“うつくしい乙女”絶滅!? 食べるなら今のうち!』……」

「やあぁっかましいっ!!」

 ドクター・ゲイナンの激怒が、議場をしんと静まらせた。
 ついさきほどまでツバを飛ばし、なかば取っ組み合いの様相で怒鳴りあっていた有識者たちが、凍りついたように演台に注目する。助手が音もなく歩み寄り、ドクターの心を的確に読んで、彼の求めるものを差し出した。すなわち、声量MAXに調整された魔法拡声器である。
「もはや、“うつくしい乙女”の絶滅を避ける方法は、たったひとつしかない」
 有無を言わさぬ迫力で、ドクターはぴしゃりと言い放った。
「たった今! 即時! “うつくしい乙女”の完全禁猟! 流通の禁止! これを周辺各国とも共有! これしかない!」
「そんなの無茶だ!」
「無茶でもやるしかない! いいか? はっきり言おう。これだけのことをやっても、それでも“うつくしい乙女”の資源量が回復するかどうかは怪しい! 今、我々はそれほどのところにまで追い込まれているんだ!!」
 誰も、反論するものはなかった。
 だが納得したわけではない。ただ、聴衆はこう思っていただけだ。理屈はわかる。だがそんなことは実現不可能だ。周辺諸国は禁猟など納得しないし、闇業者の摘発は困難だし、なにより――大衆はそんなことお構いなしに“うつくしい乙女”を求め続けるだろう、と。
 身じろぎすらなく、衣擦れの音ひとつなく、しんと張り詰めた静寂が横たわり……
 やがて、ひとりがおずおずと手を挙げた。
「あの……」
 全員の目がそちらを向く。見れば、みすぼらしいヴァンパイアであった。正装はよれよれで、着慣れていないことは誰の目にも明らか。ただ、にぱりと、垢抜けない、憎めない笑顔を浮かべている。
 ドクターが目配せすると、助手が拡声器を持って飛んでいった。
「あの、わたすィ、中部の、農家の代表で、来ますたが」
「承りました。ご意見をどうぞ」
「あのォ……代替の品種じゃねえんだけども、代わりになる、食い物ならありますんで」
 ざわめきが走る。
「それは?」
「“うつくしい少年”」
 農家は、連れに合図をして、彼の自慢の作物をステージに上らせた。薄絹に身を纏い、細い手足を衆目に晒し、耐え難い羞恥と、絶望に満ちた諦めに、目を伏せ、しずしずと歩むその姿。誰もが息を呑んだ。なんと素晴らしい、“うつくしい乙女”たち――
 いや、違う。乙女ではない。少年。これが“うつくしい少年”なのだ。まさか、これほどのものとは。
「マアその、見てのとおりですて、はい」
 農家がにこりと笑う。
「なかなか、ようございましょう。少し筋張ってて、食べてみるとちょっと違いますけども、味付けでだいぶん分からなくなりますし。人によっちゃ、“うつくしい乙女”よりいいと、そうおっしゃるかたも、おるくらいで。
 しかも“うつくしい少年”なら、あっちこっちに、まだまだたくさんおります。これで、問題は、解決するんでないかと」
 途端。
 スタンディングオベーションが議場を包み込んだ。あらゆる参加者が満面の笑みで手を叩き、この新発見を歓迎した。なにより、壇上に晒された“うつくしい少年”たちの美貌が、彼らの心を完全に捉えていた。これなら誰もが納得する、そう思えるだけのものを、“うつくしい少年”たちは持っていたのである。
 だが――鳴り響く拍手の中にあって、ただひとり、ドクター・ゲイナンだけが苦虫を噛み潰していた。
 やがて彼は静かに壇を下り、助手と共に、声もなく議場を後にしたのである。

 “うつくしい乙女”保存会議は成功裏に終わり――公式には、そういうことになっている――世は更け、月が天に昇った。ドクター・ゲイナンは、ひとり城のテラスに佇み、やけくそ気味に杯を呷っていた。
 会議の会場となったこの城の大広間では、今、参加者たちをねぎらう宴が開かれている。そのざわめきが、石壁と夜風を伝わり、遠くこのテラスまで漏れてくる。溜息が零れた。もどかしい。鬱々としたこの気持ちを、胸のうちに溜め込むことしかできない。
「ドクター」
 助手の囁きを聞いて、ゲイナンは振り返った。見れば彼女は、淑女の装いで、じっと切れ長の目をこちらに向けている。決して豪奢とはいえない、むしろ簡素なドレスであったが、彼女の知的な美しさには、これがぴたりと似合っていた。
「お疲れ様でした」
「疲れはした。何も出来なかったがね……」
「前進はあったでしょう?」
 ゲイナンは苦笑する。助手が労わるように隣に並んだ。彼女が憧れをもって見上げるその視線が、今のゲイナンの胸には痛い。
「後退の勢いが少々緩んだに過ぎないよ。
 考えてもみてごらん。“うつくしい少年”が市場に出回ったとして、“うつくしい乙女”が駆逐されるだろうか?」
「いいえ……」
「だろうね。今後の市場で“少年”が占める割合は、どう高く見積もってもせいぜい5割。私の予測では3割といったところだ。焼け石に水。“乙女”は減り続ける。絶滅してしまうまでね。
 しかも問題はそれだけではない。今度は“うつくしい少年”が激減するだろう。10年後には、また同じことの繰り返しだ。きりがないんだ。資源を管理するという意識が、人々の間に徹底されるまでは、ひとつひとつ、種を食っては潰していく、そんなことばかりが……」
 強い酒を一気に流し込もうとするドクターの手に、助手が、そっと、白い手のひらを重ねる。
「いけません。お体に障ります。あなたが傷つくと、私は哀しいです」
 慰めあうようにふたりは近づいていった。腰を抱き寄せても、彼女は抵抗するどころか、半歩身を寄せてなすがままに任せた。何も出来なかった自分の無力を、自分を慕ってくれる女性の好意で埋め合わせている。その事実が、ドクター・ゲイナンにとっては涙が込み上げるほど情けない。
 と、そこに酔っ払いの声が聞こえてきた。弾かれたようにふたりは離れ、平静を装って無粋な闖入者を迎える。
「やあドクター。ここにいたのかい」
 良い機嫌に千鳥足なのは、会議に参加していたどこだかの業者だ。彼は、ドクターと助手の距離を見ると、ニタニタと下品に笑ってみせる。
「なにか?」
「君を呼びに来たんだ。行こう、早くしないとなくなっちまう」
「何がです?」
「今のうちにたっぷり食べておかないと……」
 嫌な予感がした。怒りが腹の底から沸きあがってくるのが分かった。一歩詰め寄ると、業者は怯えて身を引いた。
「何がだ」
「メインディッシュだよ……“うつくしい乙女”さ」
 ドクター・ゲイナンは業者を突き飛ばして走り出した。倒れた業者の腕に、助手のかかとが追い討ちをかけた。ふたりは風のように消えていった。欲望に塗れた醜い豚の悲鳴などには、全く耳を貸すことなく。

 その宴の豪勢なことといったら目も眩まんばかりであった。数千を数える水晶のシャンデリアに照らされ星の如く燦めく佳酒、杯の細工は贅を極め、色とりどりの美食が所狭しと並ぶ。広間の奥では耳もとろけるような弦楽が奏でられ、美しく着飾ったヴァンパイアたちが愛欲と陶酔を舞踏に乗せてひけらかす。
 その中にあって、ただひとり、炎色の髪をした女だけがウンザリと酒を啜っている。隅で息を潜めてはいたものの、目立たぬようにしようなど土台無理な話であった。これほどの美男美女の間にあっても、彼女の燃えるような魅力はあまりにも際立ちすぎている。
 自信たっぷりのスケベ面をしたヴァンパイアがふたり寄ってきて、ひとりは仰々しく、もうひとりは気さくに口説いてきた。いっそ斬り捨ててやりたかったが、彼女は頬を引きつらせて愛想笑いを返すことしかできない。苦手なのである。演技というやつは。
 スカートをちょんとつまみ、駆け足で逃げ出し、背後からの苦笑も聞こえないあたりまで遠ざかって、ようやく緋女は溜息をついた。
「おい、まだかよ。なぁカージューぅ」

 テーブルクロスの下から手が伸びて、上の料理をひと皿さらった。確かに《不注意》の術をかけてあるから、大きな騒ぎを起こさない限り気づかれることはあるまい。それにしたって、これはあまりに図々しい所業である。
 テーブルの下では、小柄な少女がひとり、あぐらをかきながらサンドウィッチをもぐもぐしている。ソースのついた指をねぶり、カジュは水晶玉をタップした。
「今やってるとこ。少し辛抱しなよ。」
〔もうやーだー! おケツさわられたー!〕
「金とっちゃえば。」
〔金もらってもヤなもんはヤダ!!〕
「価値観の相違だね……。ん、いけた。」

〔へーいボース。おわったよー。〕
了解(コピー)
 囁いて、ヴィッシュは一息に暗闇を突っ切った。本来ならこの通路に敷かれた《番犬》はネズミ一匹逃さない。彼ほどの体格の男ならなおさらだ。しかしカジュの手に掛かればこの通り。術式構成を分解し、歪め、ループを作り、効力を根こそぎ奪い取ることも朝飯前。
 そして厨房で忙しく働きまわるヴァンパイアどもの死角を縫って、そっと奥に忍び込むようなことは、後始末人ヴィッシュの得意技である。
 勇者の後始末人は、魔物の始末をするのが生業。面倒はいつものことであったが、今回の面倒さはいささか度を超えていた。このところ頻発していた、魔界の住人による誘拐事件の解決、およびさらわれた少年少女の奪還。まず魔界に入り込むだけでおおごとなのに、ヴァンパイアの城に潜入せねばならないというのだからまともではない。しかも任務の性格からいって少数精鋭が適当。となれば、こんな厄介な案件は、“うちの支部きっての優秀な”チームにお鉢が回るに決まっている。要は、おだてに乗せられたのである。
 ――損な役回りだなァ。
 こっそり溜息ついて、ヴィッシュはそっと曲がり角の向こうを覗き込んだ。石造りの湿った地下道、その奥にぼんやりと浮かび上がる鉄格子。すすり泣きと絶望の呻き声。彼が寄っていくと、牢に囚われていた何十人という半裸の少女たちが、潮の引くように後ずさった。壁に身を寄せ、怯えた目でヴィッシュを見つめ、ただ慈悲だけを求めて震えている。
 途端に怒りが沸いてきた。こんなことを許してはおけない。さきほど失敬しておいた鍵束を取り出し、ひとつひとつ格子戸の鍵穴に当てはめていく。
「あの……」
 誰かが声を挙げかけたので、ヴィッシュは人差し指一本口元に当てて、へたくそなウィンクを送る。
「静かに。今助けてやるからな」
 声もない衝撃と歓喜が広がった。牢が開いた。少女たちがなだれ出て、そのまま感極まってヴィッシュに抱きつき押し倒した。泣きじゃくる、いずれ劣らぬ美しい乙女たちに、幾重にも取り囲まれ身を押し付けられては、ヴィッシュのごとき男は顔を紅潮させてたじろぐしかない。
「おおい、落ち着けって……困るぜ」
 だが本音のところはこうである。
 ――役得!

「やっべえあいつ殴りてえ」
 緋女が思いっきり目を座らせて呟いた。
〔なんでよ。〕
「なんかデレてる気がする」
〔よっしゃやったれ。〕
「ぜってーボコす」
 鼻の利く女たちである。
 と、彼女らの耳に騒ぎ届いた。緋女がひょいと大広間を覗き込む。カジュもどこかのテーブルの下で、クロスをたくし上げて見ていることだろう。
 広間の奥、ヴァンパイアどもが卑猥なダンスに興じていたところの更に向こう、壮大な昇り階段の途中に、口論をする者たちの姿があった。ひとりのヴァンパイアに、別のふたりが食って掛かっている。彼らの後ろにずらりと並ぶのは、からだが透けて見えるような薄絹一枚に身を包む、素晴らしい美貌の少年少女たち。
 今夜のメインディッシュをお披露目せんと連れてきたのはこの城の主であり、そこにつっかかるふたり組は、言うまでもなくドクター・ゲイナンとその助手であった。
「ドクター、固いことを言わなくてもいいじゃないか」
「固いとか柔らかいとかの問題ではない! あなたがたは何のために集まったんだ? 希少動物を保護しようというその会議の夜に、よりにもよって“うつくしい乙女”を饗するなど!」
「もう会議は終わったんだよ。資源維持の目処も立ったんだから」
「あれのどこに目処が……!」
「さあみなさん! 無粋な学問は無しにしましょう!」
 ホストの呼びかけに、広間を埋め尽くす賓客たちの、上品で下劣な笑い声が呼応した。
 ドクターは愕然として眼下の光景を見下ろした。このときようやく彼は悟った。彼に賛成するものは誰もいない。仮に居たとして、彼ら彼女らが声を挙げることはない。食欲と、肉欲と、経済という名の至高神、そして我が身さえ無事ならそれでよいという怠惰の悪魔、ヴァンパイア族の心の全てを、それらのものが塗りつぶしているのだ。
「ご覧あれ。ここに集めた“うつくしい乙女”たちは、いずれも選び抜かれた一級品。このあとにもまだまだたくさんご用意してあります。みなさん心行くまでご賞味ください。
 なんたって、もうすぐ食べられなくなるそうですからね! 今のうちにしっかり食べておこうじゃありませんか!」
 これはジョークである。事実、ヴァンパイアたちは爆笑している。それをただ見ているしか出来ない保護論者の苦痛はいかほどであったことか。
 一方、テーブルクロスの下では、カジュが口を尖らせ水晶玉を忙しく叩いていた。
〔ヴィッシュくん。まだ。〕
〔もう少しだ〕
〔ちょっとまずい状況で……。〕
「さあどうぞ! お好みの少女を、あなたの思うがままに……」
 さらなる呼びかけ。大勢が殺到する足音。ヴァンパイアどもが少女に手をかける。その衣を剥ぎ取り、剥き出しの首筋に唾液をしたたらせる。少女たちの怯えも、涙も、震えも、その全てが吸血鬼どもを奮い立たせる味付けに過ぎない。
〔やばいって。このパターンは。〕
〔ンなこと言っても〕
 カジュの焦りが最高潮に達した――そのとき。
 赤が奔った。
 地を蹴り、跳び越え、赤一筋の雷となって、緋女の体が宙を駆ける。いつの間にか抜き放った刃。スカートの中に隠し持っていた銘刀が、太刀風巻き上げたかと思った途端、ヴァンパイア5人の血が迸る。
 目にも留まらぬ早業。少女に手をかけていた4人と城の主が、糸の切れた人形のように倒れ伏す。
 少女たちが、事態を把握できずにぽかんと口を開けている。緋女はにぱりと無邪気に笑った。肩に力強く刀を担いで。
「助けに来たぜ」
 階下のヴァンパイアたちがどよめく。突如現れた闖入者に、闇の者共が抱いた印象は第一に驚き。次に怒り。やがてそれは賞賛と狂喜に変わる。理由はこうである。
「あれは人間か?」
「仲間を救いに来たのか」
「素晴らしい腕前。そして勇気」
「だがこれはいささか蛮勇というもの」
「さぞかし腕に覚えがあるのでしょう」
「なるほど、これは面白い」
「それほどに満ちた自信を、捻り潰し、蹂躙し、辱めの限りを尽くしたとき、あの赤い髪の“うつくしい乙女”がどんなふうに顔を歪めるのか」
「宴の興も増すというもの!」
 うんざりだ。
 緋女は階段に仁王立ちして、眼下で蠢くヴァンパイアを睥睨した。さきほどまで上品なドレスに身を包んでいた紳士淑女たちが、肩の筋肉を盛り上げ、絹を内側から突き破り、牙を大きく伸ばして、だらしなくよだれを滴らせ、化物の本性を露わにしていく。
「……あっそ。頭ん中は食い気だけか」
 それなら、もうこちらも大人しくスカートなんか引きずる必要はあるまい。刀で裾を裂いて捨て、動きやすいよう腿を曝け出して、戦闘準備完了。
「そういう了見なら――てめえが喰われても文句はねェな!!」
 ひしめく化物どもの真っ只中に、緋女は自ら踊り込む。

「絶対こうなると思った。しょうがないなーもー。」
 カジュはぶつくさ言いながら、テーブルの下から這い出した。相棒は上機嫌に血の雨を降らせている。こうなってしまっては仕方がない、こちらはこちらの仕事をするまでだ。《風の翼》で大乱闘の頭上をびゅーんと飛び越え、少女たちの背後に着地する。怯えた少女たちが一斉に振り返った。
「はいみなさん。二列に並んでー。」
 カジュは観光案内きどりで旗など振って、
「お帰りはこちら。」

 ドクター・ゲイナンは失意と混乱と恐怖とに頭の中を掻き乱され、ふらつきながら広間を逃げ出した。後ろにつきまとう助手の声も、もう彼には届かない。
 それ見たことか。人間が“うつくしい乙女”を取り戻しに来たのだ。泣かせる話ではないか。力ではヴァンパイアに及ぶべくもない下等な動物が、同族を救うために命を賭して乗り込んできたのだ。腹の奥からなぜか笑いが込み上げた。手痛いしっぺ返しを喰らって、血に染まり、おおわらわのヴァンパイアども。万物の霊長ヴァンパイア族も、所詮はあの程度。
「ドクター……」
「天敵だ」
「ドクター?」
「1000年前の大衰退は天敵がいた。天より舞い降りし古竜どもは……」
「ドクター!」
 悲痛な助手の呼びかけに、応えるものは狂気のみ。
「ヴァンパイアなど! 大自然の! 食物連鎖の! ひとつの部品にしか過ぎんと! 解らぬような愚か者共奴! 
“うつくしい乙女”が護られるなら――ヴァンパイアなど滅びればいい!!」
「ドクター、それは間違いです!」
 哄笑が石に包まれた城の閉塞に飲み込まれていく。助手はとうとう足を止めた。ドクター・ゲイナンは行ってしまった。愛し、尊敬していた偉大なるひとが、闇の奥に消えてしまうのを、彼女はただ、見送ることしかできなかったのである。

 カジュと少年少女たちは、首尾よく城から抜け出した。そこに牢を破ったヴィッシュが追い付き、少し遅れて陽動を切り上げた緋女が合流する。無事を祝う間もなく、3人は逃走を急いだが、歩みは遅々として進まない。なにせ何十と言う子供たち、それも色白で線の細い少年少女ばかりを引き連れている。そのうえこのあたりは岩地で、ただでさえ厳しい道のりなのだ。
 ――このままでは……
 ヴィッシュの額から焦りの汗が流れ落ちた。
 横で緋女が弾かれたように振り返る。鼻がひくひくと動き、その目が敵を察知して鋭く尖る。
「伏せろっ!」
 緋女が叫ぶが、子供たちは咄嗟には動けない。そこへカジュの《鉄砲風》が飛び、突っ立っていた少女たちを無理やり吹き倒した。と、一瞬の差で飛来した無数の《火の矢》が彼らの頭上をかすめて過ぎる。
 ヴィッシュが小さく舌打ちする。
 ――追いつかれたか。
「危険な猛獣どもだ。ここで根絶やしにせねばならん」
 恐怖を誘う低音とともに、周囲の岩陰から、追っ手が姿を現した。ひとり、またひとり、行く手を遮り、あるいは逃げ道を塞ぎ、完全にこちらを包囲する敵の数は、ヴァンパイアだけで少なくとも30人。その他、猟犬やら魔鳥やらの怪物は、もはや数え切れないほど。
 ヴィッシュたち3人だけなら、切り抜けられないこともあるまい。だが、この子たちを護りきることは……
 ――どうする!?
 悩む時間を、敵は与えてくれなかった。
「行け! 殺せ!!」
 号令一下、敵が一斉に飛びかかろうとした――そのとき。

 それらは、突如として顕現した。
 はじめは詩である。その声は遥か地の底から湧き上がるようでありながら、その実天空から雷雨の如く降り注いだ。不気味、恐怖、畏怖、その他諸々のいかなる概念、言語を以ってしても名状しがたき呻きであった。あるものはそれを醜い豚の声と聞いた。またあるものは無邪気な赤子の声と聞いた。そして別のものは、翻訳のしようもない言語、緻密に圧縮された意思そのものの塊として聞いたのである。
 次いで、空が裂けた。
 魔術を能くするものたちは、耐え難い耳鳴りに苦しめられ、うずくまった。霊感を持たぬものたちでさえ、胸を押しつぶしそうなほどの漠たる不安を感じずにはいられなかった。
 そしてそれらが降臨した。
 ぱっくりと開いた空の裂け目を、節くれだった指で向こう側からこじ開けるようにして、そのものたちは這い出した。大型帆船を三つ繋いだよりも大きな紡錘状の胴体。細く伸びた首と、百余りの目を持つ歪な頭。背には翼――それが翼と呼べるなら。腕は六本。いずれも不ぞろいで、それぞれが好き勝手に戦慄いている。
 そんな姿をした、数え切れぬほどのものたちが、空を埋め尽くす威容。
 その場にいる誰もが、争うことも怯えることも忘れて空を見上げた。
「なんだ……あれは」
 ヴィッシュがぽつりと呟くと、カジュがそれに答える。
「……古竜(ヴルム・アタウィル)。」

 古竜がいかなるものであるかについては、ここに記す術を持たない。なぜなら、有史以来、古竜に関するまともな記録はただのひとつも残ってはいないからである。ただ不確かな伝承によれば、かつてひとがオリジンであったころ、まだこの世に神がなかったころ、オリジンたちと共に世界に在ったのは竜ばかりであったという。また別の伝承にはこうある。古の竜たちは神々と争い、ここならぬどこかへ放逐されたのだと。
 こんなことを言うものもいる。古竜は家に引きこもっているだけだ。ときおり気まぐれにこちらへ現れ、ちょっと買い物でもするかのような気楽さで、我々の世界を滅茶苦茶にかき回していくのだ、と。
 そして今、古竜たちはやってきたのだ。まさにそのために。
『やはりエゴラ用のタ=ミナイエの日は、“う”のつくものを食べるに限る』
 古竜たちの語り合う声は、不思議と下界のものたちにも聞き取れた。
『特に“ヴァンパイア”は最高だ』
『5万年前に比べて個体数は10分の1以下に減ってしまったが』
『もうすぐ絶滅するらしい』
『なら、今のうちにたっぷり食べておこうではないか』
 そして、殺戮が始まった。
 古竜が舞い降り、ヴァンパイアを飲み込んだ。ほんのひとくちで数十人もを持っていった。ヴァンパイアたちは悲鳴を挙げて反撃し、あるいは逃げ惑ったが、あらゆる肉体的な、あるいは魔術的な試みにも関わらず、全ては無駄に終わった。古竜たちは魔界中に散らばっていった。ここにいる全てのヴァンパイアを残さず狩り尽くすために。
 その光景を、ドクター・ゲイナンは城の窓から見下ろしていた。彼は狂ったように笑い続けた。嬉しかったのか、哀しかったのか、あるいはなんとも思っていなかったのか。自分でも判然としなかったが、それはすぐに、永久に分からぬこととなってしまった。彼も古竜の腹に収まったのである。

 一方の人間たちは、恐るべき惨状を、ただ呆然と見守るばかりであった。古竜は、人間には興味を示さなかった。魚釣りにきた人間が、水辺の小虫になど目もくれないのと同じように。
 ヴィッシュはぽかんと口を開けて空を見上げ、ぽつりと、呟く。
「“ヴ”でも……よかったのか……」
 次の瞬間。
 ばくう!!
 横手から突っ込んできた古竜の一匹が、“ヴ”ィッシュを丸呑みにしてかっさらっていった。
「わー!! ヴィッシュ! ヴィッシュー!!」
 大慌ての緋女を尻目に、古竜は、暗い魔界の空へ昇っていったのである――

 さて、言うまでもないことであるが、その翌年はガルヴェイラ用のデュグラディグドゥの日にあたる。超極上位者(スーパースペリオルオーヴァーロード)ヴォルフィードたちの間で、この日に“う”のつくものを食べる風習があることは、まことに有名である。
 そしてもちろん、彼/彼女/それらが最も好むのは、古竜ヴルム・アタウィルであった。
 その後の信頼できる記録によれば、この年、1億年ぶりに降臨した超極上位者たちが「今のうちにしっかり食べておこう」とばかりに一生懸命捕食した結果、最後の一匹まですっかり食い尽くされ、ついに、古竜は絶滅してしまったということである。

THE END.