ブラボーミュージック 「クリスマス・カノン」

 降り始めた雪が、陽気な街を白に染め上げていく――
 ブラボータウンは、音楽の街。路を行き交う人は歌を口ずさみ、広場では楽しい楽器の音が響きます。花も木も、家や空まで音楽を聴けば踊り出します。楽しい心、嬉しい心、寂しい心、色んな心を音楽にのせて、この街は幸せのメロディを紡ぎ出すのです。
 でも……
 普段は明るく弾んだこの街も、今は真っ白に染まるとき。ちょっと寂しくて、ちょっと静かで、でも、どこかわくわくしてくる季節。まるで、ふっと吐き出した白い息が、手のひらをほんのり温めるみたいに――
 12月17日、クリスマスまであと一週間。

 ブラボータウンのかたすみに、かわいい二階建ての家が建っていました。桃色の屋根も薄い雪化粧をして、クリスマスパーティの準備を急いでいるよう。オレンジ色の光をもらす窓は、ぱっちり開いた二つの瞳。
 その瞳から、マリーはじっと空を見ていました。
 いつもなら、ツインテールのおさげ髪を揺らして、誰よりも明るく笑うマリーなのに、今はちょっと寂しくて、ちょっと静かで、そして。
 ちょっと、哀しい。
 というのも、お母さんが、突然マリーに言ったのです。
「実は今度、お引っ越しすることになったの」
 マリーはどきりとして、丸い目をもっと丸く開きました。
「お引っ越しって、いつ……」
「クリスマスの翌日になるわ。ごめんね、急で……お父さんのお仕事の都合で……」
 お引っ越しの理由を色々と説明するのも、マリーにはもう聞こえませんでした。マリーはうん、うん、と生返事ばかり繰り返して、追い出すようにお母さんを部屋から送り出しました。
 そしてそれからずっと、窓の外を眺めているのでした。
 窓の向こうの丘には、マリーの通っている学校が見えます。そしてその側に寄り添うように建っている、音楽堂の姿も。
 マリーは学校のみんなで作ったオーケストラ、「ブラボーズ」のメンバーでした。ボブ、リタ、メイディ、タクト、マイキー、スタイナー、ビート……みんな大切なお友達です。今日だって、放課後の練習のあと、一週間後のクリスマスコンサートを頑張ろうって、約束したばかりなのに――
 これが、みんなとの最後のクリスマス。
「えう」
 涙がこぼれそうになって……マリーは机に顔を伏してしまったのでした。

「じゃ、今日の練習はここまで。みんなお疲れさまっ」
 タクトがひょいと指揮棒を降ろすと、ブラボーズのみんなは一斉に息を吐き出しました。一生懸命に練習したときの、あの気持ちのいい疲れが、みんなを柔らかく包んでいるのでした。
 ここは学校の音楽室。もちろんみんな、クリスマスコンサートに向けた練習をしていたのです。
「あー疲れたっ。でもみんな、前よりいい顔してるよね。張り切ってるよ」
 アフロ頭のビートが、自慢のコントラバスを降ろしながら言いました。その隣にいたリタが、手の中のベルをシャンシャンと鳴らしてうなずきます。
「うんうん! わたし張り切りすぎちゃってさ、パワーあり余ってんだ」
 指揮者のタクトは譜面を片付けながら、すこし首を捻りました。
「だからかなあ? リタ、ちょっとテンポ早かったよ?」
「うっ」
 顔を真っ赤にしてベルを鳴らしまくるリタに、みんなはどっと笑いました。すっかり決まりが悪くなってしまったリタは、照れ笑いを浮かべて、
「じゃあねじゃあね、あり余るパウワァーを生かして、なんかやろうよ。なんか面白いこと」
「面白いことねえ……」
 仕切り屋のビートは、うーんと腕を組んで考え込みました。でもあまりいい考えが浮かばなかったようで、後ろでチェロを片付けていたスタイナーに、視線を向けました。
 それに気付いて、スタイナーは四角いメガネのずれを直します。彼はブラボーズの中で一番賢い、困ったときの参謀役なのです。
「面白いこと、ですか……ふむ」
 スタイナーはきらりとメガネを輝かせました。
「音楽堂の前の大きなもみの木。あれを飾り付けて……クリスマスツリーにする! というのは……如何?」
 しゃん! とリタはベルを鳴らしました。
「それいい!」
「うん、コンサートの宣伝にもなるね」
「……」
 タクトや、無口のマイキーも、それぞれに瞳を輝かせます。ビートはみんなの顔をぐるりと見回すと、立ち上がって拳を振り上げました。
「んじゃ、これから飾り付けの買い物に行こう!」
「おー」

 そんな風に盛り上がるみんなの輪の、少し外。
 トランペットのボブは、心配そうにマリーのことを見つめているのでした。ボブははっきり言って、格好いい男の子ではありません。なんだかいつももじもじしていて、気が弱くて、目は髪の毛で隠れてしまっています。でも、誰よりも人のことを気遣う、優しい心を持った男の子でした。
 だから彼は、マリーが落ち込んでいることに、ブラボーズの誰より早く気がついたのです。
「ね、ね、ボブ」
 机の上にちょこんと座っていたメイディが、ボブの脇腹を指で突っつきながら、小声で言いました。
「やっぱマリー、ヘンだよね」
「うん……」
「今朝からアイツ、ほとんど話さないし。あたし、あんなマリーみたことないよ」
「う、うん……」
 メイディは、つり目でちらちらとマリーの様子をうかがいました。マリーはティンパニの上にそっとバチを置いて、ため息を吐いています。それは、みんなのような、気持ちのいい疲れのため息ではなさそうでした。
「うんじゃなくて」
「うん?」
「ちょっと声かけてこいっつの!」
「め、メイディは?」
「あたしは温かい目で見ててあげるから!」
「そっ、そんなあ」
 ボブはメイディに背中を押されて、どきどきしながらマリーに近づいていきました。ボブは、マリーと話をする時はいつだって緊張して、心臓が弾けそうなくらい高鳴ってしまうのです。
 でもボブはマリーのことが好きだから、いつになく不安そうな彼女の助けになりたいと思っていました。だから大きく深呼吸して、どきどきや、自分の不安を抑え込んで、ボブは勇気を振り絞ってマリーに声をかけました。
「あの、マリー?」
「え?」
 マリーはぼうっとしていたようで、ボブが声をかけると、びくりとして、ボブの顔を見上げました。マリーはメイディの次に小さくて、ボブはブラボーズで一番大きいので、ちょっと見上げるのが大変です。
「マリー、なんだか元気ないね?」
「えっ、あ……」
 マリーは少し気まずそうに目をそらしました。
「コンサートが心配なの? 大丈夫、みんな張り切ってるもん、ちゃんと間に合うよ」
「う、うん……そうだね!」
 ボブの気持ちが通じたのでしょうか。マリーはボブに、にっこりと明るい笑顔を見せてくれました。それはいつもの、元気いっぱいなマリーの笑顔でした。
「ありがと、ボブ! 元気でたよ」
「え、あは、いやあ……」
 ボブはマリーの笑顔を見ると、すっかり照れてしまって、赤くなりながら頭を掻きました。
 そしてふと、マリーが楽譜を持っていることに気付きました。クリスマスコンサートに向けて練習している曲とは違うようです。
「マリー、それ……パッヘルベルの『カノン』?」
「うん、そうなの」
 マリーは照れくさそうにはにかんで、ぺろりと舌を出しました。
「わたし、この曲すっごく好きなんだ。だからコンサートでやれたらなって思ったんだけど……よく考えたら、この曲、ティンパニのパートなかったの。
 えへへ、うっかり」
 それを聞くと、思わずボブは、ぷっと吹き出しました。
「マリーらしいや、あははは」
「うー! ボブひどいー!」
 と、その時、ビートの声が聞こえました。
「おーい、ボブ、マリー! 買い物行こうぜ、早くー」
 びっくりしてボブがそちらを見ると、ブラボーズのみんなはもう帰り支度を済ませて、音楽室から出て行こうとしていました。
 ボブとマリーは慌てて鞄に荷物を詰め込むと、みんなの後を追いかけました。
 でもその時、ボブは気付かなかったのです。みんなが自分に背中を向けた後、またマリーが寂しそうに顔をうつむけていたことに。

 それから、コンサートの練習とツリーの飾り付けは、どんどん進んでいきました。でも……
 上手く演奏できるようになり、みんなの息が合い、みどりのもみの木が色とりどりに着飾っても、まだボブの心配は消えませんでした。ボブは練習の合間に、マリーとの、たくさんの思い出を思い起こしました。
(ボクが転校してきたとき、初めに優しくしてくれたのはマリーだった)
 そして、ボブは自分の手の中のトランペットに視線を落とします。
(マリーがティンパニをやってるって知って、それでボクもオーケストラに入った……)
 ちらり、とボブはマリーの様子をうかがいました。マリーは真剣な目でタクトの指揮を見つめ、一生懸命にティンパニを叩いていました。でも、譜面に目を落とすとき、ティンパニの震えを手で押さえるとき、力強くバチを振り下ろすとき……ちょっとだけ寂しそうな目になるのを、ボブは見逃していませんでした。
(そのマリーの元気がない。コンサートが上手くいくか不安っていうわけでもないみたいだ。一体どうしたんだろう……)

 ある日の放課後のことでした。ツリーにつける飾りが一杯に入った段ボール箱を抱えて、リタは学校の廊下を歩いていました。ふと、職員室の前を通りかかったとき、聞き覚えのある声がするのに気がついて、リタは職員室をのぞき込みました。
「ええ、それで今度引っ越しをすることに……」
(あれって、マリーのお母さん?)
 リタは目をぱちくりさせました。マリーのお母さんと担任の先生が、何か話をしているようです。お母さんが学校に出てくるなんて、ただごとではないような……
(……って、引っ越し!?)
 リタは思わず身を隠して、耳を澄ましました。
「25日までは今の家に。26日は家を出ます」
「そうですか。では、転校先は……?」
「てっ!」
 叫びそうになってしまったのを、リタは必死に口をつぐんで飲み込みました。こうしてはいられません。リタは青ざめて、ぱたぱたと廊下を駆け出しました。

「マリーが転校!?」
 ツリーの飾り付けをしていたメイディは、すっとんきょうな声を挙げながら、ぽとりと鈴を取り落としました。いつも半分閉じたみたいなメイディのつり目が、今はくわっと見開かれています。
 リタは飾りの箱を降ろすと、そのまま雪の上にへたり込みました。音楽堂の前までノンストップで走ってきたのです。すっかり息が切れてしまっていました。
「そっ、みた……うへ、げへ」
「転校って……いつ?」
「はー、はー、うん。ふー。クリスマスの次の日、だって……」
「それってもうすぐジャン!」
 メイディは、ぺちん、と手をおでこに当てました。
「そっか、それでマリーのやつ……」
 メイディもずっとマリーのことを心配していました。実を言うと、ブラボーズの中で、彼女の様子がおかしいことに気付いていない人は、もういませんでした。でも、いつもなら素直に悩みを打ち明けるマリーが何も言わないので、みんな敢えて事情を聞かずにいたのです。
 これで合点がいきました。マリーは転校するのが余りにも辛くて、みんなに言えずにいたのです。
「ねえ、メイディ……」
「ん?」
「私たち、どうしよっか?」
「うーん……」
 と。
 そのとき、ぴゅぅいっ、と口笛の音が聞こえてきました。驚いて二人が振り返ると、そこにはにっこりと笑って、タクトが立っていたのでした。
「タクト!」
「何かいいプランがあるのね?」
 二人にこくりとうなずくと、タクトは手に持っていた指揮棒を高く掲げて見せました。

 忙しくて充実した時間は、矢のように過ぎていきました。
 コンサート本番が近づくにつれて、みんなの顔にも緊張の色が見えはじめ、練習は前よりもっと熱心になりました。すっかりあでやかに飾り付けられたもみの木が、グラウンドで練習に明け暮れるブラボーズを、優しく見下ろしていました。
 一日。
 また一日。
 その日は近づき――
 とうとう、クリスマスコンサートの日がやってきました。
 そしてそれは、マリーとみんなとの、お別れの日でもあったのです。

 音楽堂の客席は、開演までまだ時間があるというのに、すっかり満席になっていました。ボブとリタとメイディは、ステージすそのカーテンから、トーテムポールのように顔を出して、客席の様子をそっとのぞき見ました。
「わあ、すごい……」
 ボブは満員のお客さんを見るなり、カーテンの奥に顔を引っ込めて、ぶるりと身震いしました。薄暗くてよく分かりませんが、どうやら青ざめてもいるようです。
「ままま満員だよ……ど、どうするの?」
 メイディも同じように顔を引っ込めて、ボブの背中をばしんと叩きました。ボブより頭三つ分も背の低いメイディなのに、なぜかボブよりずっと頼もしく見えます。
「サイコーのコンサートにするの! ホラ、覚悟きめちゃえよ」
「う、うん……」
 ごくり、とボブはつばを飲み込みました。まだまだおっかなびっくりですが、なんとか覚悟は決めたようです。
 最後に顔を引っ込めたリタは、そんなボブを見てにやりと笑いました。
「それに、あっちの方もね〜」
「へ? あっちって……」
「あ、噂をすれば。マリー、こっち来て来て、見てごらん」
 ぎくりとしてボブが振り返ると、マリーを先頭に他のみんながやってきたところでした。マリーはリタに手招きされて、さっきのように客席をのぞき込むと、
「わあ」
 と、ボブそっくりな声をあげました。
「どう?」
 タクトがたずねると、メイディは歯をのぞかせてキシシと笑い、
「バッチシ、満員!」
「ぃやった!」
「……」
 ビートとマイキーが、嬉しそうに手をたたき合わせました。スタイナーも、細い目をもっと細めて、メガネを直します。
「ふっ……僕の『クリスマスツリー大作戦』、功を奏したようですね」
「そうみたいだ。あとは、本番をがんばるだけだね」
 タクトが落ち着いた声で言うと、みんなは自然とタクトの周りに集まってきました。タクト、メイディ、マイキー、ボブ、マリー、リタ、スタイナー、ビート、そしてまたタクト。オーケストラの配置と同じように8人でぐるりと輪を作り、みんなはお互いに力強くうなずき合いました。
「みんな、練習の成果を出しきろう。みんなで最高のコンサートにしよう!」
「おう!」
「……」
「う、うん」
「うんっ」
「はい!」
「承知」
「オーキー!」
「いくぞっ」
 8人みんなの手のひらが一つに重なり合って、
『SHAKE IT! BRAVOES!』

 音楽堂の照明が落とされました。もうすぐ開演するという合図です。客席からは割れんばかりの拍手が響き始めました。
 そのときマリーがステージを見つめて、また寂しそうな目をしていたのを、ボブは見逃しませんでした。
 ボブはマリーの隣にそっと立つと、優しい声で囁きました。
「マリー、がんばろうね」
「ボブ……」
 マリーはボブの顔を見上げて、不安そうに呟きます。
「ボブ、わたし……」
「みんなで、今までがんばってきたんだもん。一緒に素敵なコンサートにしようよ。ね、マリー?」
 はっとして、マリーはボブの顔を見つめました。マリーは何かに気付いたようでした。しばらくして、マリーは顔いっぱいの笑顔を浮かべると、力強くうなずきました。
「うんっ! ありがと、ボブ!」
 それは、いつもの元気なマリーでした。
 明るく、楽しく、そして少しだけ緊張して、マリーはステージへと出て行きました。その背中を見つめながら、ボブはしばらくぼうっとしていました。ボブは嬉しかったのです。マリーが元気を取り戻してくれたこと。自分がそのために役に立てたかもしれないということが。
 そんなボブの脇腹を、両側から二本の指が突っつきました。
「ちょっとちょっと、いーかんじじゃな〜い」
 左から突っついてきたのはリタでした。
「えっ、な、何が……」
「まったまた、とぼけちゃって!」
 右から突っついてきたのはメイディでした。
「マリーのことよ!」
「コンサートとクリスマスが同じ日だなんてチャンスってやつジャン?」
「コンサートの後できっちり決めちゃいなさいよね〜」
「えっ、えっ、うええ?」
 言われてボブは真っ赤になりました。確かにボブは、ずっと前からマリーのことが好きでした。でも、そのことを二人に知られていたなんて、夢にも思わなかったのです。
「ふ、二人ともなんで知って……」
「気付いてないのはマリーだけじゃないかなあ?」
 と、言いながらステージに出て行ったのはタクトでした。
「顔に書いてあるんだよなー」
 ビートがその後に続きます。
「これ即ち……見え見え……かと!」
 スタイナーがメガネを直しながら言いました。
 そして最後に、マイキーがぽんとボブの肩を叩きました。
「……………がんばれ」
「う、うん……」
 自分を残してどやどやとステージに出て行くみんなを見ながら、ボブは恥ずかしさのあまり、頭を抱えてもだえてしまいました。

 ステージの上で、今までずっとたたき続けてきたティンパニと、愛用のバチを見つめて、マリーは手のひらをきゅっと握りしめました。
(これが、みんなとの最後のクリスマス。
 これが、みんなとの最後のコンサート。
 だから、精一杯がんばろう。
 今までで一番素敵なコンサートにしよう!)
 もう、マリーには寂しいという気持ちも、哀しいという気持ちもありませんでした。そんなものは、すっかり吹き飛んでしまいました。
 そんなものより、大切なものがあるのです。
 だからマリーは手を開いて、小さな手にバチを握りました。

 そして……
 開演のベルが、鳴り響きました。

 タクトが指揮棒を振り上げたその瞬間、音楽堂は静寂に包まれました。ひととき辺りを支配した静寂は、弾けるかのようなブラボーズの奏でに吹き散らされて、暖かな光が音楽堂を満たします。

Joy to the world: / The Lord is come !
諸人こぞりて
Let earth recieve her king.
迎えまつれ
Let ev'ry heart / Prepere Him room....
久しく待ちにし……


 輝く音色に引き寄せられて、天使が空から舞い降りました。三角屋根をすりぬけて、そっと音楽堂に入った天使は、ああ、と吐息を吐きました。
 心打つ柔らかな音。いつのまにか額に浮かんだ汗を散らして、賢明に演奏を続けるブラボーズのみんな。天使はいつしか、観客達と一緒になって、引いては寄せる和音の波に、心地よさそうにたゆたっていました。

Stillenacht, heilige Nacht,
きよしこの夜
Alles schlaft, einsam wacht...
星は光り……

 誰もが歌える楽しい曲。
 胸を熱くする静かな曲。
 一つの曲の演奏が終わるたび、音楽堂は割れんばかりの拍手に包まれました。マリーはその力強い拍手に、次第に頭の中のものを吹き飛ばされていきました。一拍ごとに一つの記憶が飛んでいきました。今のマリーは真っ白でした。とっくに吹き飛んでしまった寂しさや悲しさ、そしてがんばろうという決意や、頭に叩き込まれたはずの楽譜、繰り返し練習してきた色々な技術、友達のこと、家族のこと、今までのことやこれからのこと、いまいる場所のこと、今演奏している曲のこと、何もかもがマリーの頭から消え去りました。
 ただ一つ、素敵な演奏をするための、ひとりでに動く体だけが残ったのです。
 だからマリーはその時のことはよく覚えていません。頭ではなく胸の奥から沸き上がってくる何かに突き動かされて、体は流れるように動き続けました。今までのどんな演奏よりも素敵な演奏をし続けました。
 そしてマリーは……
 全ての演奏が終わったあと、今までよりも一際大きな歓声と拍手で、やっと我に返ったのでした。
「マリー! やったね、マリー!」
 横から声をかけられて、マリーはびっくりしてそちらを向きました。ボブが自慢のトランペットを高々とかかげて、マリーににっこりと微笑んでいました。
「大成功だよ、マリー! ほら、アンコールの声がこんなに!」
「うん……うん!」
 マリーは顔一杯の笑顔で、アンコールの拍手を続ける観客たちを見つめました。誰もが幸せそうに笑っていました。天使のような美しい笑顔を浮かべるひともいました。嬉しさで胸がいっぱいになりました。みんなとの最後のコンサートを、成功させることができたのです。
「さあ、みんな。準備はいい?」
 指揮者のタクトが、ブラボーズをぐるりと見渡しました。何の、と聞く人はいません。誰もが一斉にうなずいて、自分の得意の楽器を構えました。
 アンコールに応えるのです。
 タクトの指揮棒が高く掲げられると、再び、音楽堂が静寂に包まれました。
 これが本当に、ブラボーズ最後の曲。
 その演奏が始まります。

「交響曲第九番第四楽章」
作曲 ベートーベン 原詩 シラー
訳詞 大木正純 作詞 岩佐東一郎(文部省唱歌「よろこびの歌」)

Freude!
歓喜よ!


 どくん!
 演奏が始まると同時に音楽堂が鼓動しました。それは曲を聴くみんなの鼓動だったでしょうか? でも音楽堂は楽しそうに伸び縮みして、歌に合わせて踊っています。音楽堂の鼓動でないと言えるでしょうか?

Freude, schoener Goetterfunken,
歓喜よ、美しい神の閃光よ、
Tochter aus Elysium!
楽園からの娘よ、

 観客たちは大きな音楽堂の鼓動に合わせ、自分たちも歌い始めました。体を揺すって踊り始めました。それは喜びの歌。優しく暖かく幸せな気持ちを伝えるための、たった一つの喜びの歌だったのです。
 天使はその歌に突き動かされて、ふわりと観客席から跳び上がりました。天使が翼を羽ばたかすと、白い光の粉が舞い降りました。音楽堂の壁や床に降り注いだ光の粉は、一際明るく輝いて、刹那、音楽堂を震えが襲いました。
 震えはだんだん大きくなって、とうとう音楽堂は飛び上がりました。観客席の誰もが驚いて声をあげました。音楽堂は屋根から生えた翼を羽ばたかせると、地面を離れ、空へと飛び上がっていたのです!

Wir betreten feuertrunken,
われらは情熱に満ち、
Himmlische, dein Heiligtum!
天国に、なんじの聖殿に踏み入ろう。


(とっ、とと、飛んでるよ!)
 ボブはちょっと慌てて、トランペットの演奏に乗せてそう言いました。
(大丈夫だよ、ボブ。音楽堂が喜んでるだけだから!)
(そーそー。空飛ぶくらいで慌てなさんな)
 女の子二人、マリーとメイディは肝が据わっています。
 ビートはにやりと笑いながらコントラバスを弾き、
(よーし、そんじゃこのまま天国まで行っちゃおうぜ!)
(それいい!)
(では道案内は任せてください。こんなこともあろうかと地図を暗記して……きました!)
(……)
(さあみんな、あとちょっとだ、がんばろう!)
((おー!))
 一層高まるブラボーズの音楽に合わせて、音楽堂は一直線に空の上へと昇っていきます。

Deine Zauber binden wieder,
なんじの神秘な力は、
was die Mode streng geteilt,
引き離されたものを再び結びつけ、
alle Menschen werden Brueder,
なんじのやさしい翼のとどまるところ、
wo dein sanfter Fluegel weilt.
人々はみな兄弟となる。


 しかし……
 天国まで、空のさらに上まであと少しというところで、ボブが突然呻いて膝を突きました。トランペットの演奏が途切れます。マリーは驚いて、苦しそうに頭を押さえているボブに駆けよりました。
「ボブっ!」
「うう……」
 その様子を見ていたスタイナーが、チェロを激しくかき鳴らしました。
(まずい! 急激な気圧差で高山病的な状態になっている……と思われます!)
(だ、だめだ、今演奏を途切れさせちゃ……)
 ビートが青ざめた瞬間、空を飛んでいた音楽堂が、突如微塵に砕け散りました。音楽によって力を得ていた音楽堂は、演奏が途切れたせいでその力を失ってしまったのです。
 ブラボーズと観客たちは遥か空の上に放り出され、一斉に悲鳴を挙げました。もう足下を支えてくれる音楽堂はありません。天使たちは哀しそうな瞳で、真っ逆さまに落ちていくブラボーズを見下ろしていましたが、どうすることも出来ませんでした。
「う、うわああああ落ちるうううう!!」
「……!」
 リタとマイキーが演奏を途切れさせて叫びました。そしてビートもまた恐怖のあまり声を裏返しました。
「どおなるんだよーっ!」
「現在高度はおよそ海抜2000m、これ即ち……転落死かと!」
 スタイナーは弓を持つ手でメガネのずれを直します。
「そんなのやだあ! ママぁー!」
 我慢できずにとうとうメイディは泣き出しました。
 でも、マリーの中には強い気持ちがありました。演奏の前に抱いた決意がありました。さっき、真っ白な頭で演奏して、その代わりにみんなから贈られた盛大な拍手がありました。だからマリーは必死にバチを握りしめ、
「やめちゃダメっ!!」
 叫ぶと、空中でティンパニを叩き始めました。
(演奏をやめちゃダメ! だって、指揮者は……タクトは、まだ指揮棒を振ってるもん!)
 ブラボーズははっとして、タクトの姿を見つめました。
 タクトは上下逆さまになって墜落しながらも、両目を静かに閉じて、ただ一心不乱に指揮棒を振り続けていたのです。その力強い動きが、鼓動のようなティンパニの音色が、みんなの心に勇気を与えました。
(……そうだ、演奏しよう!)
 まだ苦しいハズのボブが、真っ先にトランペットを吹いて言いました。その音に導かれて、みんなは自分の楽器に手を伸ばしました。
(……ぐすっ。泣いてないぞ!?)
(そうさ! 弱気になってる場合じゃないぜ!)
(信じましょう、今までの……練習を!)
(私たちの力を!)
(……!)
((信じればなんだってできるんだ!))
 そしてブラボーズの演奏は再び始まりました。力強く。美しく。

晴れたる青空 ただよう雲よ
小鳥は歌えり 林に森に
こころはほがらか よろこびみちて


 無限に続くかに思える転落――
 無限に続くかに思える演奏――
 地面が迫ってきます。観客の悲鳴は一層高まり、しかしブラボーズの演奏はそれを掻き消すほど強く高く響き渡りました。人々が墜落し、死を迎え……

見かわす われらの明るき笑顔

 迎えようとした、そのとき。
 無数の翼が空に羽ばたきました。
 音楽の力はブラボーズに、そして観客達にまっしろな天使の翼を与えたのです。目をつむっていた人々も、恐る恐る目を開きました。恐怖に震えていた人々も、ゆっくりと腕をほどきました。
 そしてブラボーズは自分たちの背に生えた翼を羽ばたかせ、再び大空へ舞い上がりました。演奏を続けたまま。美しい音色を世界中の空へ響かせながら。

O Freunde, nicht diese Tone
おお友よ、これらの音でなくて、


 ウィーン、音楽学校。ここにもブラボーズの音は届きました。
 青い髪の少女は、音楽の勉強のために読んでいた本から、ふと顔を上げました。窓の外から空を見上げれば、真っ白な翼を羽ばたかせた、無数の天使の姿が見えます。
「この曲は……ふうん」
 少女は本を閉じて立ち上がりました。
「やるじゃない、タクト」
 少女の背に翼が広がりました。

Sondern Lasst uns
もっと快いものに


 アフリカ、サバンナ。ここにもブラボーズの音は届きました。
 狩りを済ませて戻ってきた男たちは、狩りが成功したときの歌を歌おうとして、ふと、不思議な音色を耳にしました。彼らが真っ青な空を見上げると、そこには白く美しい鳥のようなものが、さらに美しい歌声を響かせながら飛んでいました。
「どうせなら一緒に歌おう」
 男たちの背に翼が広がりました。

angenehmere anstimmen.
声を合わせよう。


 日本、薄暗い部屋の中。ここにもブラボーズの音は届きました。
 朝からテレビゲームをしていた少年がふとヘッドホンを外すと、素敵な歌が聞こえました。少年はカーテンを開けて空を見上げました。空には白い雲のような綺麗なものが、ふわふわと浮かんでいました。
「飛びたい。飛んでみよう」
 少年の背に翼が広がりました。

unt freudenvollere.
もっと喜ばしいものに!


 そして世界中の全ての場所。ここにもブラボーズの音は届きました。
 ブラボーズが空と飛び抜け、宇宙へと到達したとき、音楽が世界を満たしたのです。白い光り輝く翼が地球のあちらこちらで、全ての場所で広がりました。白い光は空へと昇り、演奏を続けるブラボーズの元へと集まりました。
 それは、まるで。

 そのころ、火星。火星人女王の宮殿。
《なんということでしょう、女王陛下。地球をご覧ください》
 女王の腹心が、擦れるような声で言いました。
《これではまるで、地球が一つの太陽のようです》
 女王は窓から、光り輝く地球を見つめました。そして、その美しさへの憧れを込めて、ぽつりと呟いたのです。
《これが、地球の歌……》

花さく丘べに いこえる友よ
吹く風さわやか みなぎるひざし
こころは楽しく しあわせあふれ
ひびくは われらのよろこびの歌


 そして地球の上空では……
 今や、60億のコーラス隊が、60億の声を響かせていました。
 全ての人々が観客であり、全ての人々がコーラスでした。ついには地球そのものさえ踊り出し、太陽系が喜びの歌に包まれました。
 その中で、マリーは必死にティンパニを叩いていました。
 最高のコンサートを締めくくるために。
 ブラボーズのみんなと紡いだ思い出を、一滴残らず出しきるために。
 トランペット。
 バイオリン。
 チューバ。
 ベル。
 チェロ。
 コントラバス。
 コンダクター。
 コーラス。
 そしてティンパニ。
 全ての音が一つに混ざり合い――

こころは楽しく しあわせあふれ
ひびくは われらのよろこびの歌


 弾けました。

『BRAVO!!』
 大空のステージに、60億の声がこだましました。ブラボーズのみんなは、楽器を掲げたり、くるりと踊ってみたり、腕をお互いたたき合わせたり、観客席にほほえみかけたりして、それぞれに喜びを表現していました。ボブも、トランペットを軽く掲げて、マリーにそっと微笑みました。
 マリーもにっこりと微笑んで、それに応えました。
 でも、マリーは……
 まるで一人だけお祭りの外にいるような気分で、歓声を遠くに聞いていました。そして、じっと手の中のバチを見つめました。終わってしまったのです。みんなとできる、最後の演奏が。
 哀しくはありません。精一杯やったのです。
 でもやっぱり、ちょっとだけ寂しい。
 マリーは胸いっぱいに息を吸い込みました。
 そして、交差させたバチを、そっとティンパニの上に置いたのでした。

 コンサートが終わり、音楽堂(音楽の力でちゃんと修復されていました)には、静けさが戻りました。さっきまでの賑やかさが嘘のように、夜の中で音楽堂は眠っています。いえ、音楽堂だけでなく町中が、聖なる夜の中で、ひっそりとお祈りを捧げているかのようです。
 そのなかで、ブラボーズだけは、まだ興奮冷めやらぬ様子で、コンサートのことをしきりに話していました。あの曲は良かったね。ちょっとあそこで失敗しちゃった。やっぱりちょっとテンポ早かったよ? とりとめもないことを、何時までも、何時までも……
 マリーはその輪の少し外で、ためらっていました。でもいつまでもためらってもいられないのです。最後はきちんと、さよならを言ってお別れしたいのです。マリーは最後の勇気を振り絞って、小さく声を挙げました。
「あ、あの、みんな、わたし……今日でみんなとお別れなの」
 みんなは……マリーが口を開くのを、待っていたのでしょうか。
 一斉に、優しい視線をマリーに向けました。マリーは驚いて、目をぱちぱちと瞬かせました。やがてリタが、暖かい声でこう言いました。
「……知ってたよ」
「え?」
「明日、引っ越ししちゃうんでしょ?」
「う、うん……」
 みんなとお別れしなければならないことを、言葉にしてしまったからでしょうか。マリーは突然寂しくなって、俯いてしまいました。
「ごめんなさい……今まで、言えなくて」
「よせよ! マリーが一番辛いっていうの、オレたちだって分かってるつもりなんだぜ?」
「まっ、最後のコンサートがサイコーになってよかったジャン?」
 ビートとメイディの言葉に、マリーは胸が熱くなりました。みんな分かってくれていたのです。みんなとのお別れを寂しがっていたこと。そして、最後のコンサートを精一杯がんばろうとしていたこと。何も言わなくても、みんな分かってくれていたのです。
 スタイナーがふいに、にやりと笑い、ステージに飛び乗りました。そして、チェロを抱えて自分の椅子に座ります。
「さあ、みなさん。準備をしましょう」
「……」
「はーい」
 マイキー、リタ、そしてビートもメイディもタクトも、次々とステージに飛び上がりました。マリーは訳も分からず、ただその様子をおろおろを見つめていました。
 そのとき、ボブの大きな手が、マリーの肩に置かれました。
「ボクたち、マリーのために、プレゼントを用意してたんだ」
「プレゼントって……」
「マリーのためだけの、スペシャルコンサート!」
 どきりとして、マリーは胸に手を当てました。嬉しさが泉のように、内から内からわき出て来ました。
 ステージの上では、リタがぴょんと、タクトに飛びついて、
「ジャジャーン! タクトの発案なんだよ〜」
 タクトは照れ笑いを浮かべて、鼻の頭を掻いています。
 涙が、こぼれました。
 泣かないぞ、と思っていたのに。
 笑顔でお別れするぞ、と思っていたのに。
 マリーは泣きながら、精一杯の笑顔を浮かべました。
「みんな……みんな、ありがとう……」
「ボクたちのコンサート、楽しんでいってね、マリー!」
「うんっ!」
 泣き笑いのまま微笑んで、マリーは一番前の観客席に、腰掛けました。最後にボブがステージに上がるのを待って、タクトが指揮棒を振り上げます。
 こうして、マリーのためのコンサートが始まりました。

「ジングルベル」
Jingle Bells, or one house open sleigh
作曲・原詩 ピアーポント 訳詞 宮沢章二

Dashing through the snow, / In a one horse Open sleigh,
走れそりよ 風のように
O'er the fields we go, / Laughing all the way;
雪の中を 軽く早く
Bell's on the bobtail ring, / Making spirits bright;
笑い声を 雪にまけば
What fun it to ride and sing / a sleghing song tonight!
明るいひかりの 花になるよ


 最初に演奏されたのは、マリーが大好きな、楽しくて明るい素敵なクリスマス・ソングでした。弾むようなそのメロディに、マリーの目尻に溜まっていた涙は吹き飛んでしまいました。
 ふと、間奏のところでタクトが観客席に……マリーに向かって指揮棒を振り始めました。そして、ぱちりとマリーにウィンクを送りました。
「あ」
 マリーは気がついて、大きくうんとうなずきました。
「じんぐっべー、じんぐっべー、すっずっがーなるぅー」
 マリーが大きな声で歌い始めると、タクトは親指をきゅっと立てて、もう一度ウィンクしたのです。

Jingle, bells! Jingle, bells! Jingle all the way!
ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る
Oh, what fun it is to ride, In a One horse open sleigh!
鈴のリズムに ひかりの輪が舞う
Jingle, bells! Jingle, bells! Jingle all the way!
ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る
Oh, what fun it is to ride, In a one horse open sleigh!
森に林に 響きながら


 演奏が終わると、またタクトは観客席のほうを向きました。
「クリスマス・ソングの定番、ピアーポントの『ジングルベル』でした!」
 マリーは手が赤くなってしまうほど、思いっきりの拍手を送りました。手のひらがちょっぴり痛かったけど、そんなことは気になりませんでした。楽しくって、嬉しくって、踊り出したいような気分だったのです。
「次の曲は、アメリカのナイト・クラブで歌われたクリスマス・ソング。作詞者が子供のころ『いい子にしていないとサンタクロースが来てくれないよ』と母親に言われた思い出から、この歌詞は作られたと言われています。
 アップテンポな楽しい歌です。よかったら、一緒に歌ってみてくださいね」
「はーい!」
 マリーが元気よく応えると、タクトはにこりと笑って言いました。
「では……作曲クーツ。作詞ギレスピー。『サンタが街にやってくる』」

「サンタが街にやってくる」
Santa Claus is comin' to Town
作曲 クーツ 作詞 ギレスピー

「ゆっべーだうぉっちゃう! ゆっべーだのっくらい!」
 今度は、最初からマリーも歌い始めました。これも大好きな曲でした。マリーの歌声は、広い音楽堂の中に響き渡り、ブラボーズの演奏を解け合って、空の上まで飛んでいきました。
「べーだのっぽう、あいむてーりにゅっわい」
『さんたっくろーすぃーずかーみーんとぅなーい!』
 一番いいところで、リタが一緒に歌い始めました。リタはベルですから、演奏しながらでも歌えます。マリーはおかしくって、けらけらと笑い出しました。こうなったらもう止まりません。メイディも、スタイナーも、ビートも、タクトも、みんな一緒になって歌い始めました。

He sees you when you're sleeping,
He knows when you're awake.
He knows if you've been bad or good,
So be good for goodness sake !


 でも、管楽器を吹いているボブとマイキーは歌えません。
(ずるいよ、みんなだけ!)
(……)
 仕方がないので、二人は楽器の演奏に乗せてそうぼやきました。

Oh ! you better watch out,
You better not cry,
Better not pout,
I'm telling you why:
Santa Claus is comin' to town.
Santa Claus is comin' to town !


「おめでとうクリスマス」
We wish a Merry Christmas
作曲・原詩 イングランド民謡 訳詞 横井 弘

We wish you a merry Christmas,
おめでとメリクリスマス
We wish you a merry Christmas,
みんなでメリクリスマス
We wish you a merry Christmas,
たのしくメリクリスマス
And a Happy New Year !
おいわいしましょう


 なぜでしょうか?
 これも、楽しくて素敵な歌のはずなのに……マリーはなぜか、歌うのを止めてしまいました。ブラボーズのみんなもそうでした。押し黙り、言葉ではなく、ただ音楽に乗せて、胸の奥にある切ない気持ちを表現しようとしていました。
 マリーの胸で、とくん、とくん、とくん、とリズムが刻まれました。美しいワルツの拍子に乗せて。いつまでもいつまでも続くような、螺旋を描きながらどこまでも昇っていくような、そんな不思議な気持ちにさせるワルツの拍子に――

Glad tidings we bring
しあわせが
To you and your kin;
くるように
Glad tidings for Christmas
ひざまずいて
And a happy New Year !
さあおいのりしましょう


 演奏が終わった後、音楽堂には静寂が戻りました。
 しばらく誰も、何も言いませんでした。自分の楽器を抱えて、指揮棒を握りしめて、あるいは、手のひらを膝の上できゅっと固めて。
 たぶん、次がコンサート最後の曲。
 それが分かっていたから……誰も演奏しようとせず、誰も指揮をしようとせず、誰も聞こうとしなかったのです。
 次の曲が終わったら、本当にお別れになってしまうから。
「マリー」
 永い永い沈黙の後で、やっと口を開いたのは、タクトでした。
「……うん」
 マリーは、ぽつりと答えました。
「これが、最後の曲です。
 これが、僕らの精一杯の気持ちです。
 だから――どうか、受けとってください」
「うんっ」
 そして、タクトは指揮棒を振り上げました。
「パッヘルベル作」
 ブラボーズのみんなが、一斉に楽器を構えました。
「『カノン』」

「カノン」
Kanon in D
作曲 パッヘルベル

「ボブ……憶えててくれたんだ……」
 マリーはボブを見つめました。最後の曲を選んだのは、ボブに違いありません。ボブはトランペットを構えたまま、じっと自分のパートが廻ってくるのを待っていました。その横顔を見つめていると、マリーは顔がかあっと熱くなるのを感じるのでした。
 ほてった瞳を閉じて、マリーはじっと美しい旋律に耳を傾けました。なんて美しいコードなのでしょう。なんて美しい音色なのでしょう。少しずつ形を変えながら、一つのメロディは繰り返し繰り返し、マリーの心に触れるのです。
 ふと、マリーは辺りの雰囲気が変わったことに気がつきました。
「えっ?」
 驚いてマリーは目を開きました。そこは学校の音楽室……ブラボーズがいつも練習していたあの部屋でした。そこには、今より少しだけ背の小さいみんなが集まっていて、タクトの話を聞いていました。
 まだだぶだぶの制服を着ているマリーも、その中に交ざって熱心に話を聞いていました。
「……っていうわけなんだ」
 と、説明を終えたタクトの肩から、小さな妖精さんが飛び上がりました。妖精は必死な声で、こういったのです。
「お願い! みんなの力で音楽堂を守って!」
(ああ、そっか……)
 マリーは気がつきました。これは、マリーの思い出の中。かつて取り壊されそうになっていた音楽堂を、ブラボーズの音楽の力で救った時の思い出。
 瞬きして再び目を開いたとき、マリーは街の噴水広場にいました。
 そうです。この噴水広場で、ブラボーズは険悪になりかけていたカップルを、再び結びつけたのです。また瞬きすると、今度は町はずれの丘。火星人の宇宙船が侵攻してきたとき、音楽の力で心を和ませて、火星人と友達になったりもしました。瞬きして、湖畔に佇む古城に行ってみました。街を吹き飛ばしそうなほどの大嵐を、演奏で止ませたこともあったっけ……
 そして、音楽堂を守るために開いたコンサート。
 みんなで奏でた音楽は、町中の人の心を貫いて――
 瞬きを、もう一つ。
 マリーは元通り、音楽堂の観客席に座っていました。
 握った手の甲に、涙がひとしずく、滴りました。
「やだよう……」
 もう、我慢はできませんでした。
「みんなと、別れたくないよっ……」
 そのとき。
 ボブのトランペットが、カノンの演奏に加わりました。
 なんて力強い音なのでしょう。マリーは涙が溢れる瞳で、必死に演奏するボブを見つめました。その演奏からはボブの声が聞こえるようでした。
(泣かないで、マリー)
「でも、でもボブ、わたし……!」
(大丈夫。これで終わりじゃないんだよ、マリー)
「えっ……」
 マリーは立ち上がり、ふと気がついて、みんなの顔を順番に見つめました。みんな、自分の前にある楽譜や、楽器の演奏に必死でした。でもマリーには分かりました。その必死さの奥で、みんなはマリーを見つめている。じっと見守っているということが。
(思い出は終わらない……と思う。
 このカノンと同じように。ちょっとずつ形を変えて、でも途切れずいつまでも続いていく。
 一度離ればなれになったって、それで終わりじゃないよ。
 きっと、また会える。
 きっと、また一緒に演奏できるさ)
「本当に……?」
 演奏が、一際大きく羽ばたきました。
 声が聞こえました。みんなの優しい声が。
(ホントだよ!)
 リタ。
(……ああ)
 マイキー。
(あったりまえジャン!)
 メイディ。
(本当ですとも)
 スタイナー。
(オフコース!)
 ビート。
(そうさ。僕らは……)
 タクト。
((ずっと、一緒だよ!))
 みんな。
(だって……友達じゃないか!)
 ボブ。
 マリーは泣きました。思いっきり、泣きじゃくりました。
 みんなの音楽に包まれるように。みんなの心に、腕に、包まれるように。今だけは、我慢せずに思いっきり泣こう。そう思いました。そして明日からは、新しい路を歩いていこう。元気よく、腕を振って、前を向いて……
 少し路が別れても、いつか必ずまた会える。みんなと一つになる日が、きっと来る。
 だって、友達なんだから。
 今のマリーには、そう信じることができたのです。

 こうして、聖なる夜は、更けていきました。
 途絶えることのないクリスマス・カノンは、きらきらと輝く星空に、いつまでも響いていました。
 いつまでもいつまでも、響いていたのでした――

 音楽堂の外に出ると、みんなで飾り付けたクリスマスツリーが、キラキラと輝きながら迎えてくれました。クリスマスコンサートも、スペシャルコンサートも終わり、いよいよお別れの時。
 これが、最後のチャンスです。
 ボブはリタとメイディに背中を押されて、マリーに一歩、近づきました。
 光り輝くツリーの元で、二人は見つめ合いました。お互い頬がほんのり赤く染まっているのは、冬の寒さのせいでしょうか。それとも――
「あ、あの、マリー……」
「う、うん……」
 もじもじしている二人を遠目に見守りながら、ブラボーズはひそひそと囁きました。
「ほらっ、そこだ、いけーっ」
「ちょっ、マイキーじゃま! しゃんがんで〜」
「……」
「なんだよおい、オレまでドキドキしてきちゃったぜ……」
「奇遇ですね。僕もです」
「しっ! みんな、静かに!」
 タクトがリタの口を塞ぎながらそう言うと、みんなは水を打ったように静まりかえり、あとはただ、二人をじっと見守っていました。
 ボブはごくりとつばを飲み込みました。
 そして、意を決して、思いを言葉にかえたのです。
「ぼ、ボク……ずっと、マリーのことが好きだった!」
 マリーの顔が真っ赤になりました。
 マリーは照れて視線をそらしながら、でもはっきりと、こう答えました。
「ありがとう……うれしい。わたしも、ボブのことが好き」
『やった―――――っ!!』
 ブラボーズは堰を切ったように駆け出すと、ツリーの下の恋人達に飛びつきました。口々におめでとうと叫びながら、ボブとマリーをもみくちゃにします。二人は好き勝手に撫で回されたり、ボブの方はなぜか叩かれたり蹴られたりしながらも、とても嬉しそうでした。
 幸せそうに笑っていました。
 やがてマリーは、みんなににこりと微笑んで、言いました。
「みんな……本当に、ありがとう!」
 そしてボブの手を握り、
「絶対……絶対、また会おうね!
 絶対、また一緒に演奏しようね!!」
 ブラボーズのみんなはそれぞれにうなずいて――
 誰からともなく、手のひらを一つに重ね始めました。タクトの手の上に、リタ、メイディ、マイキー、ビート、スタイナー、ボブ、最後にマリーの手のひらが重なりました。
『SHAKE IT! BRAVOES!!』
 一つになったブラボーズの声は、天高くどこまでも昇っていったのでした。




 そして……
 翌々日の朝がやってきました。
 学校の音楽室で、いつものようにブラボーズは練習をしていました。学校はもう冬休みに入っていますが、オーケストラの練習は欠かすことができません。何より、みんな演奏するのが楽しくて仕方がない人ばかりですから、何も言わなくても自然とここに集まってきます。
 ところが……
 今日ばかりは、みんなどことなく元気がありませんでした。
 一人かけて7人になってしまったブラボーズ。教室の中を見回すたびに、みんなその現実を突きつけられるのです。
 一番参っているのは、やっぱりボブのようでした。
 ボブは朝からずっと窓際に座って、トランペットを握りしめたまま吹こうともせず、じっと空を見つめているのでした。
「ま、元気出しなよ、ボブ」
「そうだよ。気持ち、通じたんでしょ?」
「うん……」
 見かねたメイディとリタが励ましても、ボブは生返事を返しただけでした。だめだこりゃ、とばかりに二人は顔を見合わせて、肩をすくめました。
 ビートやスタイナーは、ボブに聞こえないような小声でなにやら話しています。
「気持ちは分かるよな……オレだって、なんだか体に穴が空いちゃったみたいな気がしてさ……」
「そういう時は、とにかく何かするのが一番いいんですがねえ」
「……」
 ぽん!
 突然、タクトが手を叩きました。みんなその音に驚いて、タクトに顔を向けました。彼は音楽室の真ん中にすっくと立って、指揮棒を高く掲げたのです。
「さあみんな! マリーの分までしっかりやろうよ。
 一回、通して練習してみよう!」
『はーい』
 そうです。きっと、そのほうが気が晴れるはずです。みんなはそう思って、タクトの前に集まり、それぞれに楽器を構えました。
 タクトはいつもの大振りな動きで、指揮棒を振り下ろし、
「いち、に、さん、は……」
 そこで、凍り付いたように動かなくなりました。
 そのまま指揮棒が振り下ろされるとばかり思っていたマイキーが、チューバからブピッとヘンな音を出しました。みんなは怪訝そうに、丸々と目を見開いたタクトを見つめています。
「タクト?」
 タクトは、音楽室の入り口を見ているようでした。
 みんなはその視線を追いかけて、入り口の方に目をやって――
 思わず椅子を蹴って立ち上がりました。
『ま、マリー!?』
「えう!?」
 そう。
 そこには、びくっと体を震わせながら後ずさる、マリーの姿があったのでした。
 しばらくみんな、訳が分からず、じっと固まっていました。
 長い沈黙のあとで、やっとリタが恐る恐る問いかけました。
「あの……なんで?」
「えっ!? あの、えと、その……」
 マリーは顔を真っ赤にして、もじもじと胸の前で指を突き合わせました。
「じ、実は、お引っ越し先、すごーく近所でサ……転校、しなくてよかった……の」
 ……………。
『な、なんだあ〜っ』
 ブラボーズのみんなは、そろいもそろって、苦笑いしながらその場に崩れ落ちました。その姿を見つめながら、マリーは照れ笑いを浮かべ、ぺろりと舌を出しました。
「えへへ……」

 こうして――
 一騒動過ぎ去って、ブラボーズは元通り。
 いいえ、前よりずっと素敵な友達になれた人もいるでしょうか。
 そして、今日も、また。
 素敵な演奏がブラボータウンの空に響き渡るのでした!

Fin.