ARMORED CORE 2 EXOR
今から57年前、地球歴156年。
この年、地下世界を二分して勢力争いを繰り広げていた二大企業、クロームとムラクモ・ミレニアムは、壮絶な戦争の末に共倒れとなった。その結果、地下世界のパワーバランスは大きく崩れ、無数の企業が覇権を競う戦乱の時代が訪れることとなる。
近代史上最も重要な事件の一つ――大深度戦争の勃発である。
そして同じ年、もう一つの組織が闇に没した。
それまでレイヴンたちの管理を一手に担ってきた傭兵派遣組織「レイヴンズネスト」が、突如としてその全機能を停止したのである。原因はたった一人のレイヴンの暴走とも、レイヴンズネストよりもさらに大きな何かの存在――あるいは非存在――による粛正とも、噂されている。
ともかく、巨大AIの運営のもと、レイヴンズネストが世界情勢の「調整」を計ってきた事実は、政府中枢や企業上層部の事情通の間では、ほとんど公然の秘密となった。そしてレイヴンズネストが用いていた、無敵の尖兵の存在も、また。
ある者はこう噂する。それは人知の及ばない神が使わした、世界の「調停者」だったのだと。
またある者はこう噂する。それはただ最強であったというだけの、一介のレイヴンに過ぎないと。
いずれにしろ、当時誰も歯が立たなかった一人のランカーレイヴンが、レイヴンズネストの手駒として、地下都市のあちらこちらで暗躍していた事実は……そして、レイヴンズネスト崩壊後も幾度となく姿を現し、人々の脅威となっていた事実は、誰にも否定できない。
レイヴンの名を、ハスラー・ワン。
彼が用いたACの名を、ナインボールと言う。
SECTION#11
ロスト・アンティキティ(後編) Lost Antiquities(Part
1)
轟音響かせペンユウは背中からビルに突っ込んだ。激しい衝撃がコックピットのユイリェンを襲う。まるで鋼の棒で殴られたかのよう。ユイリェンは苦しげに醜いあえぎ声を挙げながら、震える瞼をこじ開けて、モニタに映る陽炎を睨む。赤と黒に染まった悪魔。それは燃えさかる炎の中、大地を踏みつぶすかのように歩を進めた。
真っ直ぐに。へたり込み、立ち上がろうと必死にギアを唸らせるペンユウへ向かって。
『さあ、どうした……? もう少し楽しませてくれないのか?』
ぎらつく悪魔の瞳。
『それとも――終わりか?』
ナインボール。
ユイリェンはともすれば吐き出しそうになる恐怖を喉元で封じ込め、無理矢理操縦桿を倒した。ペンユウが巨体のあちらこちらを軋ませ、時折赤い火花を迸らせながら、震える四肢でなんとか立ち上がる。すぐさま背から噴き出すブースターの光。よたつきながら、ナインボールに背を向け遁走する。
背面モニタを一瞥し、ユイリェンは凍り付いた。静かに佇むナインボールの腕で、輝く小さな光。慌ててユイリェンはペダルを蹴りつけ、次の瞬間――
――!
音とすら認識できない振動と閃光。ペンユウの横手にあった廃ビルが、流れ弾の一撃で微塵に消し飛んだ。敵弾を避けこそしたものの、ペンユウは爆風をまともに浴びて、大きく吹き飛ばされ体勢を崩す。
これがあのパルスライフルの真の威力。ユイリェンは流れ落ちる脂汗もそのままに、必死の操縦で機体安定させた。すぐさまペダルを一踏みし、ブースターの最大出力で大通りを駆け抜ける。幸い辺りは、崩れたビルの破片や塵で視界が悪くなっている。逃げるには都合がいい。
再び静寂に閉ざされた暗黒の地下都市を逃げ回るうち、ユイリェンの呼吸は乱れていく。レーダーサイトに赤い光点はない。肩に積んでいたレーダーはナインボールに破壊され、頭部のレーダーは至近距離専用なのだ。敵の姿から逃れた事が、逆に恐怖を増大させる。
ビルの影。あるいは屋上。後ろ。それとも地下道の中? 当てもなく逃げまどいながら、ユイリェンはしきりに視線を巡らせる。全ての場所に敵がいて、そのどこにも敵はいない。無限に続く確信と徒労の連鎖がユイリェンを消耗させていく。
「殺される……殺されるっ……殺される……!」
体の震えが止まらない。無意味な言葉がこぼれ出る。ユイリェンは不安で潰れそうになる胸を左手で辛うじて押さえながら、道も確かめずビルの谷間を突き進んだ。だがどこまでも暗闇。のしかかるコンクリートの塊。見え隠れする敵。見えてもいない敵。気がつけば巨大な敵に飲み込まれ、自分を包む何もかもが――
その時。
ユイリェンの側の壁を突き破り、赤い瞳が飛び出した。砕かれた瓦礫と共に、ペンユウの行く手を塞いだそれは、
『追いついた……!』
――ナインボール!
「いっ……」
その姿を見るなりユイリェンは体を強ばらせ、
「いやああああああああ!!」
絶叫と共にトリガーを引き絞った。半狂乱のうちに乱射されるミサイルとエナジーバズーカの雨。しかしナインボールは巧みな動きでその全てを難なく回避し、一瞬のブースター噴射でペンユウに肉薄する。
『……見苦しいっ』
そしてナインボールはペンユウに組み付き、そのままブースターを全開にする。噴き出した青い光が闇を流れ、二機は彗星のように飛び抜ける。
「くううううッ」
ユイリェンは唸りながら、背面モニタに視線を送った。その先にはビルの外壁。ナインボールの意図を悟ってユイリェンは青ざめる。ナインボールはその様子を見てにやりと――機械にもかかわらず、人間じみた笑みを見せる。
『残念だよ。最強の女と聞いて楽しみにしていたのに!』
一息に言い放つなり、ナインボールは手を離し、ペンユウのコアを蹴りつけた。ペンユウはその勢いでビルの外壁に叩きつけられ、爆発にも似た衝撃がコックピットのユイリェンをも叩きのめす。
――殺される。
「か……はっ……」
衝撃でこみ上げた胃液を吐き出しながら、ユイリェンは激しく咳き込んだ。殺される。震える手を持ち上げて、それを汚す胃液を見つめる。殺される。手の甲で唇を拭い、胃酸がもたらしたひりつくような痛みが意識をクリアにしていくのを感じ取る。殺される。
戦わなければ、殺される!
ユイリェンは剣の如く顔を上げた。
睨む瞳。モニタに映る赤い影。左腕を振り上げ赤い光を――レーザーブレード! 来る!
「おぉおおおおあぁぁあアアあアッ!!」
雄叫びと共にユイリェンの体が激しく脈打つ。流れるようなユイリェンの指がコンソールを激しく叩き、腕部リミッター解放シールド極大展開オーバードブースト発動エクステンションスタンバイ全てを同時にコマンドする。ペンユウはギアの軋みを響かせながらOBに背を押されて立ち上がり、そのままナインボールに突撃した。
『なにっ!?』
ブレードを振り上げた姿勢のまま驚愕の声を挙げるナインボール。そこへ迫るペンユウの左拳。やむなくナインボールはブレードでシールドを受け止める。途端に青と赤のプラズマが混ざり合い、一瞬溶けてすぐさま弾けた。迸る閃光と熱を浴びながら、ペンユウは力強く拳を振り抜く。
レーザーシールドは本来、レーザーブレードへの対抗策として生まれたもの。種類を異にするシールドのプラズマは、ブレードとぶつかり合ったとき、一方的なプラズマ反射を引き起こす。つまり――
『うおおおおおっ!?』
ナインボールは苦悶の叫びを上げながら、拳に弾かれ吹き飛んだ。
その姿を一瞥すると、ペンユウは流れる動きでエクステンションを発動。旋回ブースターが火を噴いて、一瞬で機体の向きを変え、ペンユウはOBの推力を維持したまま、闇の中を再び逃走した。
その背に、戦意のひりつく痛みを湛えたまま。
またしてもユイリェンは逃げる。だがその心に今や恐怖はない。この逃走は、戦うための逃走だ。
「……落ち着かなきゃ。剥き出しの戦意ではだめ……」
レーダーを一瞥、反応はなし。武器の残弾、ミサイルはゼロ、シールド用プラズマ燃料はまだまだ、エナジーバズーカ砲弾は半分を切った。ついでにミサイルポッドのパージをコマンド。無茶をさせた機体各部の損傷を確認、ダメージは激しいがまだ動ける。
「ごめんなさい、ペンユウ。もう少しだけ、お願い」
呟き、慈しむようにモニタを撫でるユイリェンに、ペンユウは低いジェネレーターの唸りを返した。それは肯定の合図に違いない。
そこでふと、ユイリェンは異変に気付いた。
「……変ね」
もうあの場から逃げてかなりの時間が経つが、ナインボールが追ってくる様子がない。シールドパンチで吹き飛ばしたとはいえ、大したダメージは与えていないはずだ。にもかかわらず追ってこないと言うことは……
「追わないのでなく……追いつけない?」
コンデンサが悲鳴を挙げ始めているのに気付き、ユイリェンはOBを停止、大通りの真ん中に陣取った。ゆっくりとペンユウを旋回させ、ナインボールがいるとおぼしき方向を向く。その間、ユイリェンの思考は今までの戦闘の記憶を探っていた。
思い返してみれば、不自然な動きはたびたびあった。あれほどの機体性能と操縦技術を持ちながら、なぜこんな手にかかるのか、と思うような事が。たとえばさっきの、シールドとブレードの一合。シールドとブレードがぶつかり合えば、ブレードが一方的に押し負ける……こんな事はレイヴンにとって、知識以前の常識である。うっかりシールドに向かって斬り掛かるなど、あのレベルのパイロットでは普通あり得ないミスだ。
「ということは……まさか……」
恐るべき想像が脳裏をかすめ、ユイリェンは背筋に冷たい物を感じた。馬鹿げている。だが、そうだとすれば全てがぴたりと符合する。
そして、この事実は――
突如、レーダーが甲高い悲鳴を挙げた。
ユイリェンは唇を一文字に結び、正面モニタを睨みつけた。その中央、闇を掻き分けるかのように、ゆっくりと赤黒い悪魔が姿を現す。ナインボール。ユイリェンの中を、戦慄が弦楽器の心地よい低音のように、泳ぎ抜けていく。
『さっきは済まなかった。取り消そう』
「何を?」
『お前は強い。期待通りだ。叩き起こされた甲斐があったというものだよ』
「そう……」
油断なくナインボールの動きを見据えたまま、ユイリェンは二度、鋭い瞬きを繰り返した。
「あなたも大変ね、ハスラー・ワン」
ナインボールはそれを聞くと、口の中でかみ殺したような笑い声を漏らした。その人間的な、感情に満ちた声が、ユイリェンの確信を膨らませていく。
『ああ。だが、他でもない親友の頼みだ。文句は言わんさ』
――やはり。
ユイリェンは目を細めると、操縦桿を握って低く身構えた。ペンユウ参が、軋む関節を奮い立たせて、重いエナジーバズーカを持ち上げる。その動きに応え、ナインボールがパルスライフルの銃口を、ペンユウに向ける。
「――見えたわ。あなたを倒す方法が」
『……ほう』
この事実は、切り札になる。
今や自分を満たす確信に突き動かされ、ユイリェンは、そしてペンユウは――
跳んだ。
無人の大通りを徹甲弾とミサイルが飛び抜ける。鋭敏な反応で、一機目のナインボール、仮称「アルファ」は大地を蹴って飛び上がる。小刻みなブースター噴射で銃弾の雨をくぐり抜け、着地ざまにアルファは反撃の曳光弾を連射する。
並んで弾幕を張っていたウェインとクルツは、すぐさまお互い逆方向に横っ飛び。軽く曳光弾を回避すると、二人してオーバードブーストをコマンドする。青い四つ足の蜘蛛、ワームウッドが風を切って飛び出し、一歩遅れて白亜の巨人、マスターカードが後を追う。
迎撃の曳光弾を避けながら、ワームウッドがレーザーブレードを発動する。青い刃を振りかざし、OBの勢いのまますれ違い様に斬りつける。アルファは直前で身を捻り、この一撃を辛くも回避。
しかし一瞬遅れて迫ったマスターカードの赤い刃が、ナインボール・アルファの腕に食い込んだ。
ぎぃんっ!
けたたましい音を響かせて、半ばで切り落とされるアルファの左腕。クルツはOBを停止しながら余剰推力でその場を飛び抜け、手負いのアルファに向かって旋回しながら着地する。
と。
『クルツ上よっ!』
耳を劈くティータの悲鳴。クルツは慌てて上を見上げるがもう遅い。姿の見えなかった二機目のナインボール、「ベータ」が太陽を背にしてクルツの真上に浮遊している。その銃口がマスターカードめがけて振り下ろされ、曳光弾の三連射が降り注ぐ。
「くっ!?」
クルツの操作に応えてマスターカードが地面を蹴るが、完全回避するには遅すぎる。腕一本は持って行かれるのを覚悟したその時。
横手から飛来した徹甲弾の弾幕が、曳光弾の最初の一発を見事に撃ち落とした。
――旦那さん!
その隙に飛び退いたマスターカードの横をかすめて、二発の曳光弾が空しく地面を抉った。すぐさまクルツはペダルを踏み込み、その場を離れてワームウッドの隣へ逃げる。一方のベータは、無感動に垂直落下すると、腕を無くして体勢を崩したアルファを庇うように着地した。
アルファが左腕を肩口からパージして、ゆっくりと旋回。再び四機は睨み合う。
クルツはちらりと側面モニタに視線を送った。ワームウッドが右手に持ったマシンガンは、銃口から白い煙を立ち上らせている。
「よう。助かったぜ、旦那さん」
『もうよそう、その旦那さんっていうの。なんだかな』
ひょい、とクルツは肩をすくめた。
そしてモニタを睨みつける。二機のナインボールは、凍り付いたかのように静かに、こちらの様子を伺いながら、ぼそぼそとなにやら会話を交わしている。
『左腕損傷。しかし、戦闘継続に支障はない。』
『プログラムをタイプCからタイプBに移行せよ。』
『了解。』
感情の籠もらない声。かつて大学で研究していた時に、こういう雰囲気の声をクルツは何度も聞いたことがある。比較的低レベルな会話モジュール……つまり人工知能が丁度こんな感じだった。おそらくあのナインボールには、戦闘用のAC制御プログラムに、簡単な思考能力を持たせた程度のAIが搭載されているのだろう。
そしてその戦闘能力は、明らかに昨日ユイリェンたちを襲ったナインボールより、劣っている。
「これなら、行けるかな……」
『何が?』
「おれが奴らを引きつける。あんたはその隙に行ってくれ」
『ちょっ……!?』
話は全部、管制室に筒抜けだったらしい。まともに声を裏返しながら、ティータが会話に割り込んできた。
『ちょっと!? 一人であの二機を相手にするつもり!?』
「だぁいじょうぶだって、死にゃしねえよ。それよか早く行かないと、ユイリェンが危ないだろ?」
『でもいくらなんでもっ』
モニタから飛び出しそうな勢いで食ってかかるティータを宥めながら、クルツは横目にワームウッドを一瞥する。低くジェネレーターの唸りだけを響かせるワームウッドの中で、ウェインはじっと黙して音一つ発しない。
やがて、迷いを振り切るように、ウェインは小さく問いかけた。
『……いいのか?』
「任しとけって」
ウェインは一瞬沈黙すると、短く歯切れの良い声で言った。
『分かった。頼む』
「オーケイっ」
『ああもう……』
モニタの中で頭を抱えるティータを、クルツは苦笑しながら、撫でるように優しく手で叩いた。
「さてと、それじゃあ……」
そしてすぐに頭を切り換える。針のように鋭い視線でナインボールたちを睨みつけ、手のひらの汗を拭って操縦桿を握りしめる。
「行くぜっ!」
その答えを合図に、マスターカードとワームウッドが同時にブースターを全開にする。真っ直ぐ突撃するマスターカードを見るなり、アルファとベータは左右に展開、曳光弾を全く同時に三連射した。
――遅い!
あらかじめチャージしておいたオーバードブーストが発動し、マスターカードに直角カーブを描かせる。空しく過ぎ去る曳光弾を見送って、そのままクルツはベータに肉薄。赤いプラズマトーチを振りかざす。
ベータはすぐさま左腕をかざし、レーザーブレードで迎撃に移る。さすがに反応速度は並ではない。
しかし。
「ふっ!」
クルツは短く息を吐くと、オーバードブーストを停止、地面を蹴ってベータの頭上へと飛び上がる。当然ベータのブレードは空振りに終わり――
マスターカードの真後ろをぴたりと追尾していたワームウッドが、その隙に至近距離からのマシンガン連射を叩き込む。
分厚い装甲に阻まれて撃破にこそ至らないものの、ベータは大きく体勢を崩す。その間にワームウッドはベータの横をすり抜け、一方のマスターカードはベータの真後ろに着地。背後からベータに掴みかかった。
「今だ! 行けっ!」
ベータを羽交い締めにしたまま叫ぶクルツの声を聞き、ワームウッドはそのままOBで疾走。戦場から一気に遠ざかる。だがそれを見逃すナインボールではない。片腕のアルファが逃げるワームウッドの背に、パルスライフルの狙いを定める。
――させるかっ!
クルツは操縦桿をねじ倒した。
羽交い締めにしたベータを引きずって旋回、アルファの横っ面を正面に捉えると、ベータを盾にしてオーバードブーストで突撃する。
「でぇりゃああああっ!」
いましもトリガーを引こうとしていたアルファの横っ腹に、団子になったベータとマスターカードが激突した。その瞬間発射された曳光弾は、大きく狙いがそれて遥か彼方の空へ消える。そのままクルツはナインボールたちを引きずって、手近なビルの外壁めがけて突っ込み、衝突の寸前に手を離してベータの背中を蹴りつけた。
派手な音と砂埃を舞い上がらせ、ナインボールはビルに叩きつけられ、沈黙した。
「ふうっ」
溜め込んだ息を吐き出しながら、クルツはマスターカードを後退させた。ナインボールのジェネレーターはまだ動いている。まだこれで撃破したわけではない。いつ動くか分からない物にうかつに手を出せば、裏を取られる心配もある。
いつの間にか荒く上下していた肩を落ち着けようと、深呼吸を繰り返しながら、クルツはワームウッドの走り去った方向に目を遣った。もう青い蜘蛛の姿はどこにもない。なんとか上手くいったようである。
「なあ、ティータ」
『……なによ』
幾分不機嫌な返事をするティータに、クルツはにやりと笑みを送った。
「おれって格好いいな!」
『アホか』
「分ぁかってねえなあ」
冷たくティータは一蹴し、クルツは片眉を跳ね上げて肩をすくめる。
あの時――
失意に凋んだユイリェンを見た時、クルツは可愛いと感じた。守り、慰めようと思った。だがそれは軽率ではなかったか? 彼女がより大きな破滅へ足を踏み出す、その背を押したようなものではないか?
クルツは真剣な眼差しで、次第に収まっていく砂塵を、そしてその中で蠢く二つの影を見つめながら、誰にも聞こえないような声で呟いた。
「責任、感じてるんだ。せめて露払いくらい、やり遂げなきゃな……」
『ふーん、そ』
――う。
予想外に返ってきたティータの声に、クルツは一瞬目を丸くした。
『なんだか知らないけど、頑張んなさいよ』
二度、三度。クルツは目を瞬かせる。
『システム・エンゲージ。』
『戦闘モード、起動。』
立ち上がったナインボールたちの放つ不吉な声も、大してクルツには聞こえない。
ただ、クルツは腹の奥から笑みをこぼすと、ぺたぺたとモニタに映るティータのバストアップを撫で回した。
「了ぉ解っ」
凍えた闇に、閃きが一つ。残滓が揺らぎ流れて、二つ。
――三つ!
三度目の爆発に身をさらし、ペンユウは炎を切り裂き空を駆ける。その背を追って黒煙の中から飛び出したナインボールが、曳光弾を三連射。しかしユイリェンは後部カメラを一瞥すると、操縦桿を一ひねり、最小限の動きでうかつな連射を回避した。
見る間に二機の距離は離れ、ナインボールの姿は徐々に小さくなっていく。
――やはり最高速ならOBが頭一つ上。
ユイリェンは息を止めて歯を食いしばり、ペダルを強く蹴りつける。エクステンションの旋回ブースターが火を噴いて、OBの勢いを残したままペンユウは無理矢理旋回。猛烈な加速度に頬が震えるのを耐えながら、ユイリェンは操縦桿を傾ける。進行方向を逆転させたペンユウは、そのままナインボールめがけて突撃した。
全速力で追いかけていたナインボールとの距離は、瞬き一つする間に縮まった。ペンユウが掲げた左腕からシールドの光が迸る。パンチではなく、前面にシールドを押し出しての体当たり。
『く!?』
ナインボールが呻きつつ、ブースターを真横に向けて噴射する。激突直前で身を捻ったナインボールは、辛くも体当たりを回避した。
――しかし、まだ!
ユイリェンはOBを停止すると、再び旋回ブースターを発動する。急旋回したペンユウが、今だ無防備なナインボールの背中めがけてエナジーバズーカを連射。慌ててナインボールはブースターを噴射するが間に合わない。一発の砲弾がコアの背面に直撃する。
『うおおっ!』
苦悶の叫びがこぼれるが、ナインボールはまだ健在。背中の装甲が少し剥げた程度のダメージしか受けていない。その並はずれた装甲に舌を打ちながらユイリェンは第二射のトリガーを引きかけ、ナインボールがビルの影に隠れ込むのを見て指を止めた。
――やはり。
ユイリェンの想像に間違いはない。明らかに、ナインボールはOBの速度やエクステンション・ブースターの旋回性能に対応し切れていない。
ユイリェンの立てた仮説はこうだ。理由はともかくとして、あのナインボールは、57年前、大深度戦争が勃発した当時のもの。いかに並はずれた性能を持っているとはいえ、57年前に存在しなかった兵器への対策は、当然ながら全く想定していないのだ。
そしてそれはパイロットも同じ事。おそらくあのハスラー・ワンは……ユイリェンと戦うまで、OBもエクステンションも左腕シールドも、その存在自体知らなかったのである。
なら狙い目はそこにある。大深度戦争期には存在せず、現代には存在する装備。それを利用して翻弄すれば――
ユイリェンはモニタに浮かぶ情報群に目を走らせ、コンデンサ電力が尽きかけているのを見てとると、静かに着地しジェネレーターを休ませた。
しかし、その瞬間。
ナインボールがビルの影から飛び出して、着地した瞬間のペンユウを狙って曳光弾を連射する。
ユイリェンは慌ててペダルを蹴りつけ、ペンユウを飛び退かせた。しかし回避は一瞬遅れ、曳光弾がペンユウの肩をかすめて過ぎる。ただそれだけで根こそぎはぎ取られる肩の装甲。レッドアラートを聞き流しながら、ユイリェンはそのまま細い裏路地へ機体を滑り込ませた。
『目の付け所はさすがだ。だが油断しないことだな!』
それを聞いてユイリェンは思わず舌を打つ。
「もうばれた? ……さすがは」
今のは明らかに、オーバードブースト最大の欠点、膨大な電力消費の隙を衝いた攻撃だ。こちらの狙いを読んで、未知の兵器の性能を冷静に分析し、その隙を見逃さない。ナインボールはともかく、ハスラー・ワンは早くも現代のAC戦に対応しつつある。
障害物の多い裏路地を、小刻みなジャンプを繰り返す電力効率の良い方法で逃げ回り、コンデンサ電力が回復したのを見て取ると、ユイリェンは再びOBを発動。戦場から一気に遠ざかった。
一度距離を取って仕切り直す。しかし――
「多分……次が最後のチャンス」
ハスラー・ワン相手に、同じ手はそう何度も通じない。
額の脂汗を拭い、ユイリェンはペンユウと共に疾走した。
「確か、この辺りに逃げたはずだが……?」
ナインボールのコックピットの中、ハスラー・ワンは不思議そうな声を挙げた。あの、コアから噴き出す超大型ブースターで、ユイリェンは高層ビルの建ち並ぶ一角に逃げ込んだ。それは間違いない。直前までのレーダーの反応と、空に見えたプラズマの軌跡からも明らかだ。
だが、既に高層ビル群の奥深くまで足を踏み入れたにもかかわらず、レーダーには何の反応もなし。
どこかに逃げ去ってしまったのだろうか。最高速で上回るペンユウならば、不可能ではない。いかにもありそうなことだが――
――ないな、それは。
不思議とハスラー・ワンは確信していた。逃げに入るということは、こちらに完全に背を向け、多大なリスクを背負うことになる。さらにここは地下都市の中。外への出口は限られている。目的地も読みやすく、後ろを取られれば絶体絶命のこの状況で、逃げて逃げおおせるかどうかは……ユイリェンにとって分のいい賭とは言えない。
もちろん、逃げずに戦ったところで、勝機が薄いことは承知のはずだ。
しかし。
彼女は、どうせ一か八かに賭けるなら――おそらく戦って勝つ可能性に賭ける。
「好みのタイプだ。……今更か」
そうすると、次はどんな手で来る? ユイリェンの基本戦術は、こちらが不慣れな新型機の戦法を多用して、翻弄すること。それに何か別の要素を加えてくるはず。レーダーに反応がないという事実も考慮すると……
ジェネレーターの出力を落として、どこかに息をひそめている。
AC用のレーダーは、基本的にACやMTのジェネレーターが放出してしまう、特定の電磁波を探知するものだ。当然ジェネレーターの出力を低く抑えれば、副作用として放出される電磁波の強度も下がり、レーダーで拾いにくくなる。
そうして身を隠し、ナインボールの姿を捉えたところで、一気に不意を衝く。ユイリェンの狙いはそれだ。
ハスラー・ワンはにやりとほくそ笑み、コンソールの上に指を走らせた。
設定を変更し、サイトを超高感度レーダーに切り替える。通常の戦闘ならば、あまりにレーダーの感度を上げると、敵以外の……たとえば自動車や発電機のような、小さなジェネレーターの反応まで拾ってしまう。そのため普段は通常機と同程度のレーダーを使用しているが、いざとなればこういうことも可能なのである。
案の定、高感度レーダーに切り替えた途端、サイトの端に赤い光が灯る。
ここから真っ直ぐ進んで右。遠くに見えるビルの影。
ハスラー・ワンは急がず、ゆっくりとそちらに足を向けた。
ゆっくり、少しずつでいい。ペンユウの姿を探し回っているように見せかけながら、徐々にそちらへ近づいていく。ユイリェンは出会い頭の一瞬に狙いを定めているはずだ。策にかかったふりをして、その一瞬、逆にこちらから不意を衝けばいい。
一歩。
また、一歩。
灯りのない地下都市の、淀んだ暗闇を掻き分けるように。
低いギアの唸りが、空のない空に反響する。
一歩。
あのビルの向こうが見える所まで、あと――
――今だ!
ナインボールはブースターを全開にした。噴き出す青い炎に押され、赤い巨体が闇を駆け抜ける。旋回しながらハスラー・ワンはひと思いにトリガーを引き絞る。無数の曳光弾がパルスライフルの銃口から迸り、空間に轟音を撒き散らした。
……そして、静寂。
「……なに?」
ハスラー・ワンは思わず声を挙げ、眉をひそめた。目の前に広がるのは、空虚な空間のみ。曳光弾は空しく闇の中を突き抜けて、遥か彼方、見当違いの場所に着弾し、遠い爆音を響かせる。
――何もいない?
慌ててハスラー・ワンはレーダーを確かめる。が、赤い光点は間違いなくナインボールの目の前にある。なのにそこには何も……
いや。
ナインボールは腕を伸ばすと、空中に浮遊する小さな機械をつかみ取った。キューブ状をしていて、浮遊のための反重力装置と、何かの発信器を備えた――
「ダミー!?」
ハスラー・ワンが叫んだその時。
び―――――っ!!
けたたましいアラートが鳴り響き、弾かれたようにハスラー・ワンはレーダーを睨め付け、
「なっ……」
思わず絶句した。
レーダーサイトを隙間なく埋め尽くす、血の如き赤。
無数の赤い光点。
ナインボールを取り囲む敵反応。
その数、数百。
慌ててハスラー・ワンはカメラアイを巡らせた。ビルの谷間や打ち捨てられた車の後ろ、ありとあらゆる物陰に、手の中にあるのと同じキューブ状のユニットが浮遊している。
――これが全てダミーだというのか!?
「は……計られた!」
瞬間、光が閃く。
――その通り!
ビルの谷間から飛び出すなり、ユイリェンはOBで突撃しつつ、ナインボールめがけてエナジーバズーカを乱射した。そう易々と食らうナインボールではない、巧みにブースターを噴かしてプラズマ砲弾を回避する。
『くそっ、賢しい真似を……!』
――しかし遅い!
回避したナインボールとすれ違うなり、旋回ブースターで急反転、再びナインボールを正面に捉える。すぐさま白い指がコンソールを駆けめぐり、左腕のリミッターを解除、シールド・パンチを拳に纏う。
回避運動で体勢を崩したナインボールに、OBの速度で追いすがる。
狙いは、頭部。
ペンユウの足が地を蹴りつけて、赤い巨体が宙に舞う。ペンユウは優雅な宙返りを繰り出しながら、ナインボールの頭上を飛び越え、ついでにシールドパンチを頭部に叩き込む。
『ちっ!』
ハスラー・ワンの舌打ちと共に、重い手応えが操縦桿を震わせ、ユイリェンは小さく息を吐いた。モニタの隅に潰れたナインボールの頭部を見ると、OBの勢いを殺さず一瞬で手近なビルの影に隠れ込む。
ハスラー・ワンは、インサイドの存在も知らない。当然、レーダーを騙すダミーなど見たこともなかったはず。ありったけのダミーをビル群の中に配置し、その内の一つを囮として、自分はジェネレーターを完全に止めて隠れる。ナインボールが囮に引っかかった瞬間、全てのダミーを起動、ペンユウはオーバードブーストでヒット・アンド・アウェイを仕掛ける。
これだけのダミーがあれば、レーダーは役に立たない。目視しかできなくなったACなど、ユイリェンから見れば的も同然である。
再び姿を現したユイリェンは、頭部を失ったナインボールにエナジーバズーカの連射を浴びせた。
『やってくれる! だが!』
しかしナインボールは高く宙に飛び上がりそれを避けると、高出力のブースター噴射で高層ビルの屋上に飛び乗った。
『そのブーストが長くは保たないのは知っている。電力が尽きるまで耐えるだけのこと!』
そのために、視界の開けた高所に位置取ったか。さすがに対応が早い。
――でも、彼の知らない物はもう一つある!
ユイリェンは無表情に操縦桿を捻り、機体を上へ上昇させる。OBの推力で一気に高層ビルの上まで躍り出ると、屋上に陣取ったナインボールの頭を取って、エナジーバズーカを三度連射。なんとかそれを避けてナインボールは反撃のミサイルを発射する。
しかしOBの速度で空中を跳び回るペンユウに、数発のミサイルなど当たるはずもない。白い尾を引きながら迫るミサイルの中を、ペンユウは縫うようにくぐり抜け、あっさり回避。そのままナインボールの頭上を飛び抜け、隣のビルの影に身を隠した。
『なんだ……?』
異変を察知し、ハスラー・ワンが声を挙げる。
『なぜエネルギーが尽きない?』
ユイリェンはレッドアラートの灯るコックピット内で、モニタに浮かんだ警告表示に目を遣った。減らないコンデンサ電力。システムエラーを示す赤い文字列。これが、ユイリェンの持つアドバンテージ、その最後の一つ。
リミッター解除である。
リミッターを迂回してジェネレーターとブースターを直結すれば、電力は無限となる。しかし絶え間なく流れ込む膨大な電力はハードウェアに多大な負担をかける。回路が焼き切れるまで恐らくあと100秒もないだろう。
――ならその100秒で片を付ける!
ペンユウはナインボールの死角で大きく弧を描き旋回すると、最高速で真っ直ぐに突進した。ナインボールに向かってではない。ナインボールの足下にある、超高層ビルに向かって。
――まず足を殺す。
エナジーバズーカの砲弾を、ビルに向かって叩き込む。数発の砲弾を浴びたビルは大きく揺れ始め、やがて全身に巨大な亀裂を走らせたかと思うと脆くも崩壊した。当然その上に乗っていたナインボールも瓦礫もろとも落下する。
ユイリェンはモニタを睨みつけ、瓦礫と砂塵のカーテンごしに、ナインボールを見つけ出す。
バランスを崩し、必死のブースト噴射で体勢を立て直そうとするナインボール。しかしユイリェンはその隙を与えない。旋回ブースターでナインボールを正面に捉えると、崩れゆく瓦礫の中を、針の穴を通す正確さで縫い進む。
それに気付いたナインボールが、悪魔の瞳をこちらに向けた。
『ユイリェン、お前は!』
だが既に敵はこちらの間合いにある。
「当てる!」
ペンユウは左の拳にシールドを纏い、ナインボールのコアに叩き込んだ。
『おおっ!』
その一撃でナインボールは大きく跳ね飛ばされ、同時にコアの装甲を砕かれた。剥き出しになったインナーメック、血のように噴き出す緩衝液。一気に勝負を決めるべく、装甲の破片を浴びながら、ペンユウは再び追いすがる。
が、しかし。
『負けるかぁーッ!』
ナインボールは肩のグレネードキャノン展開し、その黒い砲口をペンユウに向けた。慌ててユイリェンは操縦桿を捻り、発射されたグレネード弾を紙一重で回避する。だが近接信管で炸裂したグレネードの爆風までは避けきれず、熱に晒されながらペンユウは空を吹き飛ばされた。
「くっ……」
墜落しかけたペンユウの中で、ユイリェンは小さく呻き声を挙げ、
「おおおおおおっ!」
雄叫びと共にペンユウが再び空に飛び上がる。
上を取ったナインボールが、不安定な体勢からグレネードを撃ち降ろす。流星群のような砲撃の中を、ペンユウは一条の螺旋となって駆け上った。
『おおっ……!』
恍惚の声を挙げるナインボールに。
「これで……」
ペンユウは、肉薄した。
「終わりよ!」
最大出力のシールドを纏った拳。青く輝くペンユウの腕が、ナインボールのコアを貫き通す。
やがて、一度、まるで生物のように痙攣すると――
ナインボールは全ての力を失い、遥か下の大地へと、墜落した。
「きゃっ!?」
残骸と化したナインボールの側に着地するなり、ペンユウは糸が切れた人形のように跪いた。ユイリェンは慌ててコンソールを叩き、機体のバランスを調整する。無理なリミッター解除をしたせいで、ハードウェアにガタが来ているのだ。溜まった熱が放出されるまでしばらく休ませないと、とても動かせそうにない。
なんとか倒れるのだけは防ぎ、ユイリェンは大きく溜息を吐いた。シートに背中を投げ出し、ふと額に浮かんだ脂汗に気付いて、袖口でそれを拭い取る。最小限の電力供給だけを残して待機モードに移ったジェネレーターが、唸りのトーンを落としていく。
「ありがとう。あなたは良くやってくれたわ」
ペンユウにいたわりの言葉をかけながら、モニタに映るナインボールを見つめる。コアを貫かれては、さしものナインボールといえどももう動くことはできないだろう。勝負は終わった。ユイリェンは、勝ったのだ。
なんとなくすっきりとした、風のような気分が胸に広がっていく。ユイリェンは静かに目を閉じて、何度か深呼吸を繰り返し、やがてぽつりと呟いた。
「帰りたいな……」
ユイリェンは弾かれたように体を起こし、慌てて頭を左右に振り回した。心にもないことを口走った。自分にもう帰る場所などない。そんなものは失って……いや、捨ててきてしまったのだ。もう、自分には彼に愛される資格などない。
そのはずなのに。
やっぱり違う。心にもなくなんか、ないのだ。
――帰りたい。
どうしてよいか分からず、ユイリェンは膝を抱えて、シートの上にうずくまった。自分の膝に顔を埋めて、外界と自分を隔絶し、思考の渦に身を投げる。帰るべき場所はどこなのだろう。自分はどこに来てしまったのだろう。そんなことすら分からず、彷徨い、こんなことになってしまった。
「……馬鹿みたい」
渦巻く思考は同じ場所を巡り続け、ユイリェンは膝を抱く腕に力を込めた。
と、そのとき。
『自嘲することはない。お前は、よくやった』
弾かれたようにユイリェンは顔を上げた。通信機が吐き出したのは、低い男の声。慌ててペンユウを再起動し、ペダルを蹴りつけてナインボールの残骸から遠ざかる。残骸は、ぴくりとも動く様子を見せない。コアは……コックピットは、シールド・パンチで完全に破壊されている。
しかし。
『楽しかった。お前と戦えて良かったよ、ユイリェン』
聞こえてきたのは、ハスラー・ワンの声。
ふと、気配を感じ、ユイリェンはカメラを上へ向ける。そこに姿を現したのは、一機の飛行ユニット。円盤に直線的なブースターを付けた……昨日、ナインボールが撤退するときに使っていた、あの輸送機である。
ゆっくりと、ナインボールの残骸の側に、飛行ユニットは着陸した。その姿を見つめながら、ユイリェンは思考を混乱させる。ハスラー・ワンはあちらに乗っていた? ということは、今までナインボールは遠隔操作されていた? 考えられない。遠隔操作はどうしても操縦にタイムラグを生む。あれほどの反応速度を出すことは、パイロットが中に居なければ物理的に不可能なはずだ。
『悩むことはないだろう。私の正体を悟っているなら、想像できるはずだ。
……私の実体など、あってないようなものだということが』
「幽霊だとでもいうの!?」
再び沸き上がってきた恐れに駆られ、叫ぶユイリェンに、ハスラー・ワンは苦笑をこぼす。
その時ユイリェンは気付いた。飛行ユニットに、異変が起きつつあることに。
『似ているが――違う』
直線的なブースターと見えた物が下に向かって折れ曲がり、二本の足を形作る。左右一対のエアインテークは、鋭くとがった紡錘形の肩。
『宇宙の全ての《運命》が、決まっているというのなら……もはや時間に意味はない。
過去も、未来も、全ては現在と同じ位置にあるもの。あるいは、現在と同じ位置に存在させられるもの』
円盤が二つに分かれ、翼のような大型ブースターを形作る。カメラアイの組み込まれたボディは、流線的なシルエットのコア・パーツへと姿を変える。空気の感触を確かめるかのように、コアから伸びたマニピュレーターが指を戦慄かせ――
『《運命》によって再計算され、現在に出力された……57年まえの存在の、再現なのだ。
私と。
ナインボールと。
そしてこの』
頭部から伸びる真っ直ぐな角が、天を衝くかのようにそびえ立つ。
飛行ユニットと見えた物は、今やその姿を全く異なる物へと変えていた。
機械の翼を持つ、血塗られた天使。
『ナインボール・セラフとは』
体の戦慄を抑え込み、なんとかユイリェンは操縦桿を握る。
だが、戦意がユイリェンを満たすよりも早く。
視界を白い光が満たす。
――ウェイン。
灯火のように浮かんだ名前を最後に、ユイリェンの意識は暗転し――
コバヤシ・コーポレーション司令室。薄暗い部屋には無数の大型モニタが備え付けられ、二つの戦場の様子をつぶさに伝える。ミャオはティータの左隣、クルツの様子を映すモニタに齧り付きながら、刻々と変わる戦況に焦りばかりを感じていた。
ついさっきまで、クルツは二対一でも互角以上の勝負を繰り広げていた。だがここ数分で状況が激変。突然射撃や動きの精度を高めたナインボールたちに、クルツは徐々に不利に追い込まれていた。
そしてまた、モニタに赤い警告が灯る。
「クルツ危ないっ!」
「あうー」
レッドアラームを掻き消すように、ティータとミャオの悲鳴が響き渡る。マスターカードをかすめた曳光弾は、どこかのビルに着弾し、破壊の光を撒き散らす。間一髪身を交わしたものの、通信機が吐き出すクルツの呼吸音は、荒く激しい。
『くそっ、なんだこいつら……急に動きがっ』
「うー! 負けんなー! くるぅがんばってよー!」
『はっ! そんな声出すんじゃねえよ。見てろ、なんとかしてやらあ!』
ミャオの今にも泣き出しそうな応援に、クルツは虚勢を張って軽口を返す。その間にコンソールを黙々と叩いていたティータが、サブモニタに映った地図を睨みながら、早口にまくし立てた。
「クルツ! そのまま大通りを後退、二つめを南へ! 遮蔽が多い区画にでるわ!」
『了解っ』
だがそれも、焼け石に水か。
ミャオは拳を握りしめた。ナインボールたちの異変の理由は、ミャオには手に取るように分かる。
――悦んでるんだ。天使さまが来たから。
ミャオは首を巡らして、そっと反対側のコンソールに座るケンジの背中に目を遣った。そちらには、ペンユウの――母の乗るACの情報が、モニタされている。きっと今頃、あっちでも目を覆うような表示が連なっているはず。
と、ケンジが突然大声を張り上げた。
「援軍は出せないだと!? LCCは治安を守るのも仕事の……ああもういい、分かったよ」
乱暴に通信を叩っ切ると、ケンジはすぐさまコンソールに指を走らせる。
「見てろよ……デミアンに直接かけあって圧力かけてやる」
ケンジは頑張っている。状況を好転させるために、必死で援軍の手配を続けている。遠からず援軍は来るだろうが、それまで、セラフと共鳴して性能が高まっているナインボールたち相手に、クルツが保つかどうか。
ミャオは一人、小さく頷くと、そっと後ずさった。そして、ティータにもケンジにも気付かれないまま、静かに部屋を抜け出したのだった。
「うわっ!」
曳光弾がマスターカードの肩をかすめて過ぎる。弾の余波を浴びた肩のロケットランチャーが、ただそれだけで微塵に砕けて消し飛んだ。クルツは歯を食いしばって衝撃に耐え、操縦桿をねじ倒す。ティータが指示してくれた遮蔽を取って短く息を吐き、再びモニタを睨め付けた。
――まずいな、体が動かなくなってきた。
波のように打ち寄せてくる戦慄を押し殺し、クルツはレーダーに視線を落とす。アルファとベータは左右に展開し、クルツが遮蔽に取っているビルを迂回して挟み撃ちにするつもりだ。ならこちらの採る戦法は……
一か八か、片方に突っ込んで突破する。
できれば左腕を無くしたアルファのほうに突っ込みたいところ。ブレードがない機体なら接近戦に持ち込めば有利だ。とはいえ、レーダーの反応だけでどっちがどっちかを見分けることは不可能。
確率は完全に五分と五分。当たっても確実に有利になるとは限らない。分の悪い賭だが――
「しょうがねえ、やるか」
クルツは迷わず操縦桿を右に倒して、右に向かってマスターカードを突撃させた。理由はない。ただ右の方が好きなだけだ。
次の瞬間、ビルの影から飛び出すナインボール。左腕は、ない。アルファである。
「当たりっ!」
叫びながらプラズマトーチを振りかざし、クルツはアルファに斬り掛かる。同時に背後ではベータが姿を現して、無防備なマスターカードの背中を狙っている。だがそちらを気にして少しでも動きが鈍れば負けだ。背面モニタには敢えて視線を送らず、クルツは前の敵に集中した。
が、その時。
パルスライフルで迎撃を試みるとばかり思っていたアルファが、突如ブースター全開で接近する。
「な……っ」
慌ててクルツはトーチを振り下ろすが、アルファは刃がコアに食い込むのも構わず、そのままマスターカードに体当たり。右腕一本でマスターカードのコアに固く抱きついた。
――こいつ!?
背筋を稲妻のような悪寒が走り、クルツは背面モニタに目を向けた。そこに映ったナインボール・ベータが、迷わずパルスライフルの銃口をこちらへ向ける。ようやく敵の意図を悟り、クルツの顔が青ざめる。
――アルファごと撃つ気だ!
「お、おいっ! 本気かよ、いくらAIだからって……くそっ! 放せ! 放せよっ!」
半ば錯乱しながら、クルツは左のプラズマトーチを振り回す。至近距離から何度となく叩きつけられたプラズマがアルファの装甲を焼くが、アルファは少しも腕の力を弱める様子がない。むしろ傷を受けるたび、ギアを軋ませ力を増しているようにすら思える。
――まずい、これじゃ……
クルツはふと、甲高い犬の鳴き声のような音を聞いて、再び背面モニタを呆然と見つめた。パルスライフルの銃口に、青い不気味な光が灯り、
「やべっ……!」
迸る。
気がついたとき、ユイリェンはそこに立ち尽くしていた。
「ここは?」
心に浮かぶ疑問に突き動かされ、ユイリェンは辺りを見回した。どこまでも、どこまでも続く平坦な世界。空と大地は色づき、赤の如く赤く、青の如く青く、黒の如く黒い。塗られた色にも、その形にも、秩序はなく、混沌として、渦を巻くかと思えば、剣のように鋭い直線が地平線の向こうへ消えていく。
気が狂いそうになるほど、無数の色で塗りつぶされた世界。
目を見張るような鮮やかな色と、目を背けたくなるような醜い色が、隣り合う世界。
どこかで見たような気がする。ずっと昔からこの場所を知っている気がする。でも思い出せない。虚ろな感覚だけが心を満たし、ユイリェンは不安になる。
《よう。久しぶり》
突然後ろから聞こえた声に、ユイリェンは弾かれたように振り返った。そこに女が一人、立っていた。美しい女だった。アジア人のように見えた。眉は太く鋭く、視線は刃のように冷たい。自信に満ちた紅の唇が、そっと言葉を紡ぎ出す。
《ようこそ。お前の世界へ》
「あ……」
ユイリェンはようやくこの世界の正体に気がついて、思わず後ずさった。ひたり。足の裏が、柔らかな感触を踏みつける。ユイリェンは足下を見下ろした。足の裏を持ち上げてみると、その下には橙色の地面があった。もう一度足を降ろしてみる。橙は柔らかく、そして暖かい。
もう一歩ユイリェンは後ずさった。灰色の地面に足が触れた。ざわつく不安が音となって響き渡り、ユイリェンは耐えきれずに頽れた。地面に触れた膝が、手のひらが、髪の一房が、別の色に、無数の色に同時に触れる。数え切れないほどの感情が、混ざり合い正体不明の何かに変わりながらユイリェンの中を駆け回る。
「ここが……」
多くの色に汚れたここが。
多くの形に埋もれたここが。
かつては純白であったもの。純粋であり汚れを知らなかったもの。ユイリェンの足場であり続けた世界、あのまっしろなせかい。
その、成れの果て。
「私、死んだの?」
女は何も言わない。
ユイリェンは地面に座り込んだまま、顔を伏して笑みを浮かべた。
「私……また、負けたのね」
心の中を、確信が満たす。空しい確信。壁を乗り越え、得たと思った満足感は、さらに大きな壁に飲み込まれ消えていく。そんなことの繰り返し。何度も、何度も、その繰り返し。
何時までもその繰り返しなんだ。
気持ちよくなっては、叩き落とされる。そんなことの。
自嘲の笑みに埋もれるユイリェンに、女はそっと跪き、慈しむような視線を送る。もうこの女の正体も悟っていた。ここがあの世界だと……かつてユイリェンを導いたまっしろなせかいの成れの果てだというのなら、この女は。でも、名前は?
《闇の王。二つめの脳。ダークサイド。なんとでも》
心に描いた思いは、声に発した言葉と同じ。女は静かに応えた。
「タオ・シーファ」
《そいつは違うな。シーファは54年も昔に死んだんだ。あたしはあんたの脳の中に生まれた、シーファの力の再現。だが、あんたそのものでしかない》
「13年の間にずいぶん雄弁になったものね」
《あんたのおかげさ》
シーファは――今のユイリェンにはそうとしか呼べないものは、そっと立ち上がると、遥かに広がる世界を眺めた。
《お前が知った多くの心。感情。知識。見聞きし、捉えた世界。
それがこの世界に色を与えた。形を与えた。そして言葉を与えた》
「……役にも立たない無駄な言葉を」
まるで呪詛のごとく呟くと、ユイリェンは鋭い瞳で、シーファの顔を見上げた。その目に浮かぶのは憎しみ。自分自身へ向けた憎しみ。自分自身の力へ向けた憎しみ。嫌悪。だがそれを向けられたシーファは、ユイリェン自身は、戸惑うことしかできない。困ったように眉をひそめて、哀れな物を見るように、ユイリェンを見つめ返すことしかできない。
「そんな目で見ないで」
それでもシーファはじっと、哀れなユイリェンを見下ろし続ける。
「見てたでしょ? 私、頑張ったわ。必死に戦ったのよ。
でも、届かなかった。
届かないと思う。
……届かない。
たぶん……一生を費やしても」
震える声は、こぼれそうになる涙を必死に止める。だがシーファは鋼の冷たさで、刃の鋭さで、ユイリェンの脆い心を抉る。
《――何処へ?》
短い沈黙の内に答えを探し、ようやく見つけた言葉をユイリェンは紡ぐ。
「本当の私へ」
《過去の幻へ、だろ》
ユイリェンは何も言わない。
《お前は弱くなった。自分の剣を振るう力を失った。
お前は知ってしまったんだ。自分の幸福。人にはそれぞれ幸福があるということ。他人にも帰る家があり、仲間があり、多くの悩みがあり、命があるということを。知ればお前は斬れない。誰一人、両断できない。
誰より鋭い刃を持っているのに》
「なら元に戻して! 私に力を振るわせたいなら、汚れてしまったこの世界を、まっしろだったあの頃に戻してよ!」
シーファの視線と言葉は、ユイリェンの絶叫を真正面から貫き通す。
《じゃあ、お前は捨てるっていうのか? ウェインと暮らした13年の幸せを。ミャオライと暮らした9年間の幸せを?》
そんなわけない。
忘れたいわけがない。
それは、ユイリェンにとって一番大切なものだから。他のどんな心よりも、大切に護りたいものだから。
でも。
だからこそ。
「私……ウェインが好き」
ユイリェンは膝を抱え、うずくまり、己の内側に視線を落とした。
「ミャオも好き。
ケンジも。コーウェンさんも。エリィだって、いつかまた目覚めさせたい。また……逢いたい。
だからもう一度取り戻したい……あの頃持っていた力を。
でも、私にはそれができない。可愛くもない。料理もできない。彼への愛さえ無くしてしまった。
もう終わりなの。
これで全て終わりなの。
そうよ。私、殺されてここへ来たんだもの。丁度……良かったのよ」
《……ごめん》
シーファはゆっくりと、再び跪き、優しく腕を伸ばした。白く細く柔らかな腕が、ユイリェンの体を抱き寄せる。その温もりはなんだろう? でも温もりの中に確かにある、凍り付くような冷たい空虚は何だろう?
《ごめんな……あんたがこんなに苦しんでるのに、あたしは何も助けてやれない。
でも、もうやめよう?
目をそらすな。
耳を塞ぐなよ。
あたしはずっと待ってるんだ。あんたが再びあたしを振るうその時を。
誰よりずっと、待ってるんだよ》
――だから、自分の足で踏み出して。
暖かいその声は、一体誰の?
――さあ、目を開いて――
吐息と共に、ユイリェンは瞼を開いた。
初めに感じたのは、体の奥に響く、低い振動。やがて朦朧とした意識が目覚めていくのにつれて、周囲の様子が見え始める。ここは……コックピットの中。視界が赤く染まっているのは……レッドランプと、瞼を伝う血のせい。モニタの向こうで閃く光。宙を舞う赤い天使と、そして――
青い、蜘蛛。
「ウェイン!?」
ユイリェンは叫びながら跳ね起きた。その途端、血が一滴目に入り、刺すような痛みがユイリェンを完全に覚醒させる。片目から流れる涙を袖で拭いながら、もう一度、モニタに映る映像を凝視する。
戦っている。
セラフと、ワームウッドが。
セラフは飛行形態――最初に見せた飛行ユニットの姿――でワームウッドの頭上を飛び越え、即座にAC形態に変形する。次の瞬間、セラフの肩から無数の小型ミサイルが射出され、白煙をたなびかせながら地上のワームウッドに襲いかかった。
――あの程度なら、避けられるはず……
ウェインの実力をよく知っているユイリェンは、一瞬胸を撫で下ろしかける。が、異変に気付いて青ざめた。ワームウッドの動き、反応、最高速、全てが普段よりワンテンポ遅い。見ればワームウッドの装甲はあちこち剥ぎ取られ、いくつかの傷はインナーメックまで達している。
ワームウッドはぎこちない動きで地を滑り、辛うじてミサイルの雨を縫い進み、ビルの影に逃げ込んだ。セラフはすぐさま飛行形態に変形、OBなみの速度でその後を追う。
二機が視界の外に消えたころ、ユイリェンはやっと事態を悟った。ユイリェンがセラフの一撃で気を失った後、駆けつけたウェインが、ユイリェンを庇ってセラフと戦っていたのだ。恐らくは、ユイリェンが覚醒し、逃げるための時間を稼ぐために。
だが、あの様子ではもう長くは……
「……助けなきゃ」
ユイリェンは衝動的に操縦桿を握り、フットペダルを踏みしめる。それに反応してコックピットが一度大きく揺れ……それだけだった。黙して動かないペンユウに、奥歯を噛みしめ、ユイリェンは機体の状況を確認した。ペンユウは、ビルに背中を預け、完全に擱座している。
先の戦闘でのダメージ、長時間のリミッターカット、そして止めを刺したセラフの一撃。恐らくもう、ペンユウは――
ユイリェンはかぶりを振って、コンソールに指を走らせた。なんとかしなければ。なんとかペンユウを動かさなければ。ウェインはあのままセラフと戦い続けて、そして。
死ぬ。
「お願いペンユウ、動いて……もう一度だけ、私に力を貸して」
システム再起動。回路をメインからサブへ切り替え。破損箇所のシステム遮断。もう一度再起動。だが動かない。考えられるあらゆる復旧手段を試してみても、ペンユウはぴくりとも反応しない。
「動いて……」
もう一度。遠くに響く爆音。
「動いてっ……」
もう一度。モニタを覆い尽くす白光。
「動……」
もう一度。
ユイリェンの、手が止まる。
「……動かない……」
爆音と共に、青い蜘蛛が吹き飛ばされ、再びユイリェンの視界に現れた。ワームウッドは四本の足を軋ませてなんとか着地すると、カメラアイをもたげて彼方の空を睨もうとする。だがその瞬間、右の前足が小爆発を起こし、ワームウッドはよろめいて体勢を崩す。
もはや、ワームウッドは立ってすらいられないほど――
ユイリェンは震える唇で悲鳴を挙げる。
「……もうやめて、ウェインっ!」
その叫びを聞いて、ワームウッドがカメラアイをこちらへ向けた。
『ユイリェン、気がついたのか!』
「早く逃げてっ! 私のことはもういいわ!」
『何言ってんだ、ユイリェンこそ逃げろよ!』
「動かないの、ペンユウはもう動かないのよ!」
『なっ……』
そのとき、ワームウッドが弾かれたようにカメラアイを虚空へ向ける。そこへ姿を現す赤い影――セラフ。その長い両腕が伸ばされ、腕の先からパルス曳光弾が連射される。ワームウッドは満足に動かない四本の脚で、必死に地を滑って回避を試みるが、地面を次々と抉る曳光弾の爆風に、徐々に装甲を焼かれていく。
だがウェインは、自分の身を焼かれながらも、叫んだ。
『なら、走れっ!』
「……え?」
一瞬、言っている意味が分からずユイリェンは小さく声を挙げる。
『走って逃げろ! 時間は俺が稼ぐ。一時間でも二時間でも持ちこたえてやるっ』
無理だ。
できるわけない。
ユイリェンが訳も分からず震えていると、セラフがふいに砲撃を途切れさせた。ワームウッドに向けて伸ばしていた腕をだらりとぶら下げ、ハスラー・ワンが呆れたような声を出す。
『……もうやめておけ。これほど私を追い込んだ、お前達の力に敬意を表して、苦しまないように止めを刺してやる』
『冗談じゃねえっ!』
ウェインはハスラー・ワンの言葉を一蹴すると、すぐさまマシンガンのトリガーを引いた。放たれた徹甲弾の雨がセラフに迫り、ハスラー・ワンは舌打ち一つしてセラフを宙に飛び上がらせる。それだけで軽々と銃弾を避けると、再び飛行形態に変形、上空へと飛び上がった。
『まあいい……好きにしろ』
そして降り注ぐミサイルの雨。ワームウッドはインサイドのデコイ・ユニットをばらまいてミサイルを攪乱しながら、デコイをくぐり抜けた数発を引きつけ、オーバードブーストを発動した。その急激な加速を追い切れず、ミサイル群はあらぬ方向へ飛んでいく。
だがここへ至ってのオーバードブーストは、ワームウッドのボディにとってもただでは済まない。衝撃であちらこちらのインナーメックが弾け、不気味な青いアーク電流を迸らせる。
このままでは、ワームウッドは敵の攻撃を受けずとも、遠からず自壊する。
もう、見ていられない。
「お願い……やめて……」
ユイリェンは両手で顔を覆い、コンソールの上に突っ伏した。
「どうしてこんな私を護ろとするの……?
私にはもう、あなたに愛される資格なんてないのよ……」
『そう……かもな』
果敢にもワームウッドは宙に飛び上がり、ブースターを全開にしてセラフに迫る。その左腕に輝くレーザーブレード。
『俺はもう、ユイリェンを信じられなくなっちまった。
好きだって気持ちも失せちまった』
左腕を閃かせ、ワームウッドはセラフに斬り掛かる。だが飛行形態に変形できるセラフに、空中での機動力で及ぶはずもない。その一撃はたやすく回避され、逆に曳光弾の掃射がワームウッドの左側面に迫る。
『無くしちまった物は、もう戻らねえよ』
未練なく、ワームウッドは左腕を肩からパージ。切り離した腕を壁に、曳光弾の掃射をなんとか切り抜ける。
「なら……」
『なら、もう一度最初っから作りゃいい!』
叫び、ウェインは機体を無理矢理振り回す。
真っ直ぐに。セラフの懐へ。
ブレードを失った今、セラフの装甲を貫く手段はただ一つ。零距離からのマシンガン連射。これしかない。だがそれを許すほどセラフもハスラー・ワンも甘くはない。慌てることもなくAC形態に戻ったセラフは、下腕からレーザーブレードを伸ばす。
「無理よ……馬鹿みたいだわ。
もう一度なんてできっこない。私たち、ここまで来るのに十年もかかったのに」
『たかが十年がなんだっ!?』
ぐぎっ。
不気味な音が闇に響き、次の瞬間、ワームウッドは左の前足を失って、地面へと叩きつけられた。ユイリェンの……擱座したペンユウの目の前へ。ブースター噴射で衝撃を和らげる事すらできぬまま、無慈悲に。
『俺たちは……』
もはやただの鉄屑と化したワームウッドは、それでもなお動き続ける。少し離れた場所へ静かに着地し、醜く蠢く蜘蛛を見つめるセラフを、正面から睨み返して。だが、一本の脚を失い、残りの脚も殆ど使い物にならないワームウッドは、立ち上がることすらおぼつかない。立ち上がろうと脚を伸ばしては、力を失い崩れ落ちる。その繰り返し。何度もその繰り返し。
それでも、ワームウッドは。
ウェインは、立ち上がろうとする。
『……今まで、良く戦った』
ハスラー・ワンの静かな声が聞こえる。
『安らかに、眠れ!』
そしてセラフが地を蹴った。左腕から、光の刃を迸らせて。
『俺たちはっ……』
迫る赤い影の前に、ワームウッドは三本の脚だけで立ち上がった。最後まで、戦い続けるために。ユイリェンを護り続けるために。なぜなら、
『これから何十年も、一緒に生きていくんだろ!』
―― ――
それは、
『そうだろ!? ユイリェン!!』
――どくん!
鼓動。
ひかり
はじけ、
ぎぃんっ!
固い金属音が静止した闇の中に響き渡り、
『ばっ……』
衝撃。
『馬鹿なっ……!?』
セラフが、止まった。
ハスラー・ワンは我が目を疑った。もはや身動きすらとれないワームウッドを狙い、完璧の間合いで繰り出したはずの一閃――妖しく煌めく青い刃が、敵のコアを目前にしてぴたりと止まる。振り下ろされたセラフの腕を、力強く受け止める一本の腕によって。
黒い、腕。
るるるるるるるるるるる。
低い唸りが聞こえる。
片腕でセラフを止めた、黒い巨人のうなり声が。
るるるるるうおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
闇すらひれ伏すその咆哮。天使の体に走る衝撃。不気味な切断音を響かせながら、黒い巨人がセラフの腕を引きちぎる。そのまま巨人はセラフのコアに蹴りを叩き込み、
『うおおおおおおおおっ!?』
ハスラー・ワンの絶叫と共に、赤い天使は吹き飛んで、ビルの外壁に激突した。衝撃で機能停止し、ぴくりとも動かないセラフの肩口からは、青いアーク電流が迸り、もはやない腕を探して触手を蠢かせる。
その哀れな姿を見下ろして、黒い巨人は屹立した。
擱座したワームウッドを庇い立つ巨人の体は、黒く、鋼の輝きをそのまま放つ。鋼鉄の筋肉は妖しく蠢き、黒い滴が血の如く全身を伝い落ちる。鎧一つ纏わず、肌から陽炎を立ち上らせる、地獄の鬼のようなその姿。それはまるで――
闇の王。
『……ユイリェン?』
ウェインの問いにもならない問いに答えるように、黒いペンユウは瞳を真紅に輝かせた。
以前に一度だけ、ウェインはこの姿を見たことがある。
第一装甲を全てパージし、インナーメックを晒したAC。ユイリェンの持つ力を最大限に引き出すために機動力以外の全てを擲った、ペンユウの真の姿。かつてユイリェンは、ウェインを殺すため、当時の愛機フゥルンをこの姿にして戦った。
だが、今は?
『……何故、動ける?』
震える声で問いながら、ハスラー・ワンとセラフが立ち上がる。
『何故、動く!?』
コックピットの中、ユイリェンは人知れず、拳を握りしめた。
死んだはずだ。
もう動けないはずだ。
自分でもそう思っていた。何もかも無くしたはずだと、もう動けないと、確信したはずだった。なのに、なぜまた立ち上がる? なぜまた動こうとする? なぜ戦いに身を投じる?
鎧を脱ぎ捨て、醜い姿を晒してまで。
血にまみれ、激しい痛みに苛まれてまで。
激情の、狂わしい炎に身を灼かれてまで。
「……私にも分からない」
それが、今の精一杯。
――でも。
「でも」
「《私は、やりたいことを見つけた!》」
だから、今は。
「だから、私はもう一度戦う。私が今いる、この世界で!」
そしてペンユウは地を蹴った。
「だめ―――――っ!!」
びくん!
突如街に響き渡った甲高い一声に、二機のナインボールは大きく一度痙攣し、そのまま動きを止めた。
アルファにしがみつかれ、身動きが取れなくなっていたマスターカードは、突然解放され、数歩たたらを踏みながらも虎口を逃れた。クルツを狙っていたベータの銃口も、今は腕と一緒にだらりと力なく地面に向けられている。
「……なんだ?」
クルツは訝りながら、放心したかのように突っ立っているアルファとベータに順に目を遣る。と、そのとき。
『クルツ! 下下、足下気をつけて!』
「え?」
ティータに言われるまま下に視線を落とすと、マスターカードの足下に座り込んだ金髪碧眼の少女が一人。顔いっぱいに汗を掻き、大きく肩を上下させてはいるが、変わらぬ美しさを見せる人形のような肢体。こんな子供がそうそういるわけもない。ミャオである。
「ちび! なんでこんなとこに」
クルツはナインボールたちに注意を向けながら、急いでマスターカードを跪かせ、左手をミャオの側に差し出した。ミャオが残る力を振り絞ってマスターカードの手のひらに上ると、クルツはゆっくり腕を持ち上げ、ミャオをコックピットに誘い入れる。
開いたハッチから飛び込んできたミャオを抱き留め、クルツは憔悴した彼女の髪を撫でる。ミャオはクルツの胸に顔を埋めながら、にへらと笑って呟いた。
「えへ……クルゥ、だいじょぶ?」
「バカ、こっちのセリフだ」
「ミャオ生きてるよ?」
「そりゃ良かったな」
言いながらクルツはミャオを膝の上に座らせ、自分の体ごとシートベルトで固定すると、ハッチを閉じて操縦桿を握った。モニタに映るナインボールたちが、ぴくりと指先を動かす。覚醒しつつあるのだ。
なぜ奴らが止まったのかは分からないが、とにかくこの機会を逃す手はない。クルツはマスターカードを大きく宙に飛び上がらせ、ビルの屋根を飛び越えて一気に戦場から後退した。
「キャー! 高いー!」
モニタに映る上空の風景を身ながら、ミャオは甲高い悲鳴を挙げる。安心させようとクルツはその頭を撫で、
「離れたらすぐ降ろしてやる。ちょっと我慢しろ」
「たのしー!」
「あ、そ……。ティータ、今の一体何だったんだ?」
『待って、多分ね……これだ』
モニタに映っていたティータのバストアップが消え、代わりにグラフが表示された。クルツはそれを見て目を細める。不規則な波を描く曲線と、幾つもの規則的な曲線が重なり合ったグラフ……軸に刻まれた単位から見て、電磁波の波形を示すグラフである。
『今、ものすごい高出力の電磁波が一瞬だけ観測されたわ。多分それが、奴らのAI回路と共振したのよ』
「電磁波? なんだってそんな都合良く……」
もぞもぞ。つんつん。
クルツの膝の上で体を捻ったミャオが、人差し指でクルツの胸を突っついた。クルツが顔をしかめながら視線を落とすと、ミャオは指で自分の顔を指しながら、自慢げににやにや笑っている。
「ミャーオー」
「……お前が?」
「そうでーす! 偉い?」
小首を傾げるミャオに、クルツは口の端をつり上げ、頭を撫でる。
「偉い偉い!」
「にひひ」
「ティータ、フーリエ展開できてるな?」
『当然っ! 同じ波形をここのレクテナから発振できるわ、本社ビルの前に戻って!』
「了解!」
クルツは威勢良く応えると、すぐさま操縦桿を捻り倒した。急降下にはしゃぐミャオの歓声を聞きながら、マスターカードはその場所へ向かう。決着の場所、コバヤシ・コーポレーション本社ビル前へと。
セラフは飛行形態に変形し、一条の光を曳いて飛び上がる。次の瞬間降り注いだ曳光弾に、ペンユウはOBを発動した。無数の光が雨となって迫る中を、ペンユウは針の穴を通す正確さでくぐり抜ける。そのままビルの影に飛び込むと、地面を蹴って跳び上がり、パンチでビルを殴りつけてさらに上昇、おまけにブースターの短噴射でビルの上まで舞い上がる。
『そこかっ!』
しかしハスラーもただ者ではない。ペンユウの動きを読み切って、姿を現した瞬間を狙った曳光弾を発射する。ユイリェンは舌打ちしながらペダルを一蹴り、ペンユウはボディを黒く煌めかせながら、曳光弾の脇をすり抜け、再びOBを発動する。
一直線に、セラフの懐へ。
トリガーを引く指に応えて、エナジーバズーカから光の砲弾が迸る。セラフは慌てず身を捻りあっさりそれを回避。その隙に突撃してきたペンユウに、レーザーブレードを振り下ろす。
青いプラズマを纏ったペンユウの拳がそれを迎え撃つ。
二つの光は交錯すると、まばゆい光と衝撃を撒き散らした。セラフとペンユウは互いに弾かれ、彗星のように闇を流れて飛んでいく。ユイリェンは空中で機体を必死に制御しながら、奥歯を固く噛みしめる。
――こっちも弾かれた。さっきので学んで、ブレードの周波数を切り替えてる。
「そうみたいね」
呟くユイリェンの耳を劈く警告音。はっと顔を上げたユイリェンの目に、無数の白煙が飛び込んでくる。モニタを埋め尽くす大量のミサイル。その数およそ数百。目の前に広がるミサイルの壁を睨み、ユイリェンは小さく息を吸う。
――あのミサイルは、当たる。
「ならそれを利用する!」
吸った息を吐きながら、ユイリェンはOBをコマンドした。行く先は真っ直ぐ、ミサイルの壁の中。
――そうだ。どうせ避けられない運命なら、最高の形で食らえばいい!
ペンユウはミサイルの壁に飛び込むと、四方八方から遅い来る無数の白糸をくぐり抜け、数発を腕に受けながらも、その内の一本をすれ違い様に掴み取った。推進剤を噴射して生き物のようにもがくミサイルを握りしめたまま、ペンユウはセラフに肉薄する。
『な、何をする!?』
驚愕の声を挙げるセラフの胸元に、ミサイルを握った左の拳を叩き込み、
「《インパクト!!》」
そのまま拳にシールドを纏う。
瞬間プラズマに貫かれたミサイルが、内に秘めた爆薬を炸裂させる。ミサイルの爆発、プラズマの熱、パンチの衝撃が混ざり合い、セラフのコアの真ん中で、大爆発を引き起こした。
『ぐあああああああっ!?』
「くうううっ!」
その爆発をまともに食らい、セラフは大きく吹き飛んで、地面を削りながら墜落した。一方のペンユウもただでは済まない。爆発を浴びた左腕は、肘から下が完全にはじけ飛び、青いアークを走らせている。ユイリェンは宙返りとブースター噴射で体勢を立て直しつつ着地し、すぐさま左腕のパージをコマンド。誘爆寸前のパーツを切り離して事なきを得る。
『う、腕を犠牲にして……!』
呻きながら、セラフがなんとか立ち上がる。だがその脚はふらついて、機体に蓄積されたダメージを物語る。
『お前は……お前は……ユイリェン!』
微かな怯えを孕んだハスラー・ワンの声を聞きながら、ユイリェンは無表情にセラフの姿を睨め付けた。
――気安く呼ぶな、クソダボが。
「……あなた、ちょっと下品よ」
――ほっとけ。
ウェインは開いたコックピットハッチから顔を出し、戦闘の様子を見守っていた。
「あの戦い方……」
唇を一文字に結び、ウェインは考え込む。さっきは、ユイリェンが目覚めたのかと思った。かつてのユイリェン――無敵であった頃の力を取り戻したのかと。だが、どうやら違う。確かに、今のユイリェンはかつてのように、「闇の王」シーファの力を完全に引き出している。だが、決定的にかつてとは違う。
あれは、全てをねじ伏せるかつてのユイリェンの戦い方ではない。
ユイリェンは、「自分」を使いこなしているのだ。
自分にあって他人にはないもの。ユイリェンの持つアドバンテージ。
それだけではない。
他人にあって自分にはないもの。自分自身のディスアドバンテージ。それすらも、今のユイリェンは受け止めて、自分の力に変えている。自分に課せられた運命を真正面から見つめ、それを最大限に利用している。
「ユイリェンっ……」
ウェインの視界がじわりと滲んだ。熱いものが脳の奥から込み上げてきた。表面張力でギリギリこぼれず保たれた熱い水を感じながら、ウェインはたまらなくなって叫んだ。
「ユイリェーンっ! 好きだ―――――っ!」
がぎょん。
「うおわっ」
その大声でバランスが崩れたか、ワームウッドが突然体勢を崩した。ウェインは必死にハッチにしがみついて耐えると、ワームウッドが安定を取り戻すのを待って、コックピットに舞い戻った。
ハッチを閉めつつコンソールを叩き、ウェインは軽く唇を舌で湿らせる。
「さあ……歩けなくたって、援護射撃くらいできんだろ。動いてくれよ相棒、あとちょっとだ!」
「降りろ、急げっ」
「うんっ」
コバヤシ・コーポレーションの前で跪いたマスターカード。そのハッチが開き、ミャオは外で差し出されていた手のひらにぴょんと飛び乗った。クルツがそのままゆっくり操縦桿を動かそうとすると、
「ん、ねえっ」
ミャオが不意に声を出す。
クルツは目を瞬かせて、
「ん?」
「あのね……」
そして沈黙。
ミャオはマスターカードの手のひらに、ぺたりとお尻をついて座り込み、しばらくきょろきょろと辺りを見回した。でも何を見ている風でもない。クルツはもう一度、瞬きをする。ミャオはちらりとその顔を窺う。
やがてミャオはにへらと笑って、
「にゃんでもなーい」
「ふうん」
「クルゥ、がんばってね!」
「おう。任しとけ」
そして二人は微笑み合う。マスターカードの手が優しくミャオを地面に送り届け、ミャオは駆け足にビルの中へ駆け込んだ。その背を見送ってクルツがハッチを閉じた頃、けたたましいアラームが耳に届く。
『来たわ、クルツ』
「分かってる」
そしてマスターカードは立ち上がる。
彼方の大地に立つ、赤黒い二つの影。ナインボール、アルファとベータ。その姿が僅かに揺らぎ――
閃光!
クルツは反射的に操縦桿を捻った。曳光弾の三連射が空を引き裂いて飛来、マスターカードの脇をかすめて地面を大きく削り取る。慌てずクルツは操縦桿を捻り、僅かに機体を後退させながら回避運動を繰り返した。徐々に接近しつつ曳光弾を乱射するナインボールたち。
あと少し。もう少し誘い込む。
雨あられと降り注ぐ敵弾を必死に回避しつづけながら、クルツは辛抱強く機を待ち、
――今だ!
クルツの指が引き金を引く。
マスターカードの腕から放たれた四発のミサイルが、ナインボールたちに突進する。だがそんなものを受けるナインボールではない。軽く横に跳ねてミサイルを避け――
着地した瞬間、生じる僅かな隙。
「ティータ!」
『了解っ!』
びくん!
放たれた電磁波を浴びて、ナインボールが動きを止める。
「よっしゃあっ!」
クルツはすぐさまトリガーを引き絞った。右腕からありったけのミサイルを放ち、ナインボール・アルファに直撃させる。十数発のミサイルを浴びて、アルファの五体が砕けたそのとき、モニタに灯る残弾ゼロの警告表示。
舌打ち一つ、クルツはミサイルポッドのパージをコマンド。
左腕のトーチを煌めかせつつ、ブースター噴射でベータめがけて突撃する。
「これで終わりだ!」
が、そのとき。
『まずいクルツっ!』
弾かれたように目を見開き、クルツは操縦桿を捻った。次の瞬間放たれた曳光弾が、マスターカードの右腕をもいで、空の彼方へ飛んでいく。途端にコックピットを埋め尽くす赤い警告に身をさらし、クルツは歯を食いしばりながら必死に機体を制御する。
その目に飛び込む赤黒い影。
ナインボール・ベータ。動いている。
『なんでっ!? さっきより復活が早い!』
「進歩してるってことか……」
すぐさまベータは空に跳び上がると、身を翻して後退した。撤退するつもりか。だが、あんな危ないものを生かして返すつもりはない。OBを発動して空へ舞い上がり、マスターカードは全速力でナインボールに追いすがる。しかしさすがに敵は速い。このままでは逃げ切られる。
――それなら。
クルツの指が、コンソールを走る。
機体の全能力リミッターを解除。過剰電力をそのまま浴びたマスターカードのコアが、背中のプラズマを弾けさせる。
猛烈な勢いで背中を押され、マスターカードは一筋の彗星となった。
一瞬。
白と赤が空に混ざり合い、
「祈りなっ!」
プラズマの刃が、ナインボールを両断した。
セラフは空中で背後に目を遣り、ぴたりと後ろを追ってくるペンユウの姿を捉えた。ペンユウは左腕を失ってはいるものの、それはこちらも同じ。さらに装甲のダメージも著しい。このまま戦って勝てる保証はない。
戦士としてなら、戦うもいい。
だが今のハスラー・ワンは、レイヴンとして戦っている。
「やむを得ん……一度退く!」
渋々飛行形態へと変形し、セラフは闇を裂いて飛んだ。
だがその時。
『逃がさねえっ!』
突如飛来した徹甲弾の雨が、セラフの横っ腹に直撃する。
「なにいっ!?」
衝撃で弾き飛ばされ、AC形態へと戻って機体を制御するセラフ。腰と脚のブースター噴射でなんとか制御を取り戻した瞬間、翼のような大型ブースターが爆発とともにはじけ飛ぶ。ジョイントをやられた。翼が片方だけでは飛行形態への変形すらままならない。ハスラー・ワンは驚愕の眼差しで銃撃の来た方向に視線を送り――
「ウェイン・ルーベック! 貴様っ」
地面に這い蹲ったまま、辛うじて右腕のマシンガンを放ったワームウッドを認めた。
と。
ふと気配を感じ、セラフが視線を巡らせる。遠く聞こえる甲高い音。子犬の悲鳴と形容される声。そして大気を震わすような、地の底から響く低い咆哮。
闇の、中に。
奴はいた。
「タオ・ユイリェンッ!!」
――これで決める!
頭に響く声。ユイリェンはペダルを踏みしめて、操縦桿を握りしめて、ナインボール・セラフに突撃した。
「リミッターカット」
ユイリェンの、呼び声に応え。
「エクストリーム・ブレード!」
ペンユウは、巨大な光の剣をその手に取った。
誰より鋭く大きな剣は、青く輝く光の翼。
これが私の、新たな翼。
これからもずっと、苦しみは押し寄せてくるだろう。
ぬか喜びと絶望の連鎖は、どこまでいっても止まらないだろう。
いつかまた自分の限界に気付かされ、どこかで苦しむことになるのだろう。
でも、いつだって剣は自分の中にある。
でも、いつだって支えてくれる人がいる。
だから、支えられながら、支えながらでも、醜くたって、立つことが出来る。
この場所――いま自分がいる、この場所に。
それでいいじゃないか。
それでいい。
だから、
前へ、
「行けえぇぇぇぇぇぇええええっ!!」
もはや一片の迷いすらなく、ユイリェンは青い剣となって、
赤い天使を、貫く。
一瞬の沈黙。
やがて声。
『……見事だ!』
そして。
天使を巻き込む大爆発が、暗闇を赤く染め上げた。
塗装すらされていない漆黒の装甲板が、空気を噴出しながら開けていく。突然システムダウンして墜落したペンユウの、コックピットが開いたのだ。ユイリェンは呻きながら、棺桶のような操縦席から這いだした。そのまま、寝転がっているペンユウの上に座り込む。
ユイリェンははっと思いついて、周囲を見回した。ペンユウのすぐ隣に、スクラップのように転がる青い山。
ワームウッドである。
そのハッチがゆっくりと開いていく。中から、ユイリェンと同じように呻きながら、赤毛の男が這いだしてくる。ユイリェンを見つめてにやりと笑うその男に、ユイリェンは惚けたような視線を送った。
この気持ち。
自分に、足りないもの。
ユイリェンはそっと立ち上がると、唇を僅かに開き、そして躊躇った。
――ほら。何してる。
頭の中で誰かが言う。
やがてユイリェンは、静かに、その問いを口にした。
「あなた……だれ?」
「え?」
赤毛の男は驚いて、目を瞬かせる。
それはそうだ。驚かないはずがない。頭がおかしくなったと思われるかもしれない。ひょっとしたら本当にそうなのかもしれない。でも今のユイリェンには、こうすることしかできない。
「お願い、教えて」
なぜなら、
「あなたは、だれ?」
もう一度ここから、歩み出したかったから。
あの時と、同じように。
やがて、赤毛の男は微笑みながら、あの時と変わらない声で応えた。
「俺は、ウェイン・ルーベック。しがないレイヴンさ」
ユイリェンはひと思いにペンユウの装甲板を蹴って、ウェインの胸に飛びついた。力強い彼の腕が自分を受け止めるのを感じて、その胸の鼓動が自分の肌に伝わるのを感じて、小さな涙がこぼれ落ちる。止めどない気持ちが次から次へと溢れてきて、
「ウェイン……私、私っ……」
ユイリェンは彼を抱く腕に力を込める。
「嬉しかった――」
そして。
泣きじゃくるユイリェンの小さな背中を、ウェインは撫で続けていた。
涙が全てを押し流してしまう、その時まで。
火星最大の荒野、バレルド砂漠。
ジオシティが浮かぶアドイニア海の東方にあるこの砂漠は、火星入植の初期から頑なに人類の進出を拒んできた。火星全体でも最も過酷な環境、大量に生息するディソーダー……それらの悪条件からこの地方は打ち捨てられ、僅かに旧エムロードの軍事基地がある他には、人の姿はない。
だが、今。
バレルド砂漠の最奥、その地下深くの神殿に、三つの人影があった。
地下神殿の内壁は、自ら青く発光する謎の素材で作られている。ACが入ってもなお余裕があるほどの広大な空間には、天井を支えるためかあるいは全く別の目的からか、巨大な円柱が三本並んでいる。そして部屋の奥に作られた異様な形の構造物は――
まるで、祭壇。
その祭壇が放つ不気味な光に、跪く三つの人影の顔が、浮かび上がる。
「……申し訳ありません。私の判断ミスです」
その内の一つが、氷のように冷たい声を挙げた。
「まさか、クルツがあれほどの力を身につけていたとは……」
レミル。
「ふん……それで、どうすんだ。再生産には時間がかかるんだろ?」
もう一つが、岩の擦れるような声を挙げた。
「ユイリェンも、これでふっきれちまったみたいだぜ。なあ、隊長」
ボイル。
そして。
三人目の人影が、祭壇を睨みながら立ち上がる。
「人類の滅びの時は、近い」
レオス・クライン。
「計画を修正する。
兵力の再生産。
《本体》の捜索。
イレギュラーの排除。
どれ一つとして遅延は認められない」
その時。
祭壇が、一際大きな光を放った。レミルとボイルはその光に気圧されて、恭しく頭を垂れる。だがただ一人、クラインのみが、ミラーグラスの奥に隠れた瞳で、祭壇の中央に鎮座する四人目の人影を睨め付けた。
女の影。
「人類と、未来を護るため――願わくば我らの新たな母となれ」
それは、口の端をつり上げ、
「失われし遺産《ロスト・アンティキティ》よ――」
悪魔の如く、笑みを浮かべた。
つづく。