ARMORED CORE 2 EXCESS

 System Gabriela's File NO.332.
 E.Y.209,Sep 28,P.M.7:30.
 Trial action at the Examination dome NO.2. Testee is muscle tracer "Bream"-prototype alpha. Tester is armored core "Pengyou-two". Pilot of tester is Yulian Dao Sugiyama.
 I'm sure that she is the greatest AC pilot. On the other hand,I'm sure that she cannot make allowance for these tiny MTs, either. Is that coused by her grandmother's DNA? Yulian doesn't looks like to Linghua, but she surely inherits her strength and roughness.
 
 ヴゥンッ。
 唸り声が聞こえる。冷たい機械が、来るべき戦いに備えてその身を震わせている。彼女はそれを全身で受け止めながら、一つ一つ計器を確認していった。心地よい。そう感じている自分がいる。まるで、母親の子宮の中で胎動に包まれているかのようだ。私はおかしいのだろうか? 狂っているのだろうか? 戦いに身を置く事でしか、安心できないなんて。
 アーマード・コアと呼ばれる兵器がある。中核をなすコアパーツに、腕部、脚部、頭部を接続し、そこに多種多様な火器を装備する。パーツを組み替えることで、どんな戦闘にも対応できる究極の汎用機動兵器。それがアーマード・コア――ACである。
 彼女は今、ACのコックピットの中にいた。
「システム、オールグリーン」
 何の感情もこもらない、無機質な声。これではACの駆動音の方が余程暖かみがあるというものだ。彼女は苦笑した。自分とこの兵器との境目はどこなのだろう。どこまでが自分でどこまでが機械なのだろう。操縦桿に触れる右手の皮膚。固めのシートにもたれる背中。ブースターの制御ペダルを踏む足の裏。それともモニターを見つめる瞳? 奇妙な錯覚が脳を支配する。私はこいつと一体になっているのではないか。おばあちゃんが残してくれたこのACは、私の一部となって、私を戦いへと駆り立てているのだ。
『オールグリーン確認しました。ユイリェン、がんばってね』
「……了解」
 そうだ。ユイリェン。それが私の名前。ACの中にいる私を、私として保ってくれる私の証。その名前が私を引き留めてくれる。目の前に大きな河が流れている。私はそれを見つめている。ぴょんと飛び越えて向こう岸に行ってしまうと、私は戦争のための機械になってしまうのだ。だんだんと頭がぼうっとしてくる。意識があるのかないのかも分からないうちに、私は足を踏み出してしまう。河の向こう岸へ向かって……。でもくるぶしが水に触れた瞬間、背中から声が聞こえてくるのだ。
 ユイリェン、と呼ぶ声が。
「CAC−PNY−2『ペンユウ・トゥー』、パイロット『ユイリェン』で」
 すうっ。ユイリェンの目が細くなった。冷たい輝きを見せる瞳。首の後ろで一つに束ねた茶色い髪。まだ幼さの残る肢体を包むデニム地のジャケットとパンツ。始まる。お預けをくらった犬の気分だ。指先がチリチリする。動きたい。早く体を動かしたい。戦いに魅入られた自分と、ちっぽけな少女としての自分の、奇妙な平衡。さあ、天秤を傾かせよう。
「起動します」

HOP 1 Inheritor of Strength

を継ぐもの

『全機、停止しろ』
 微弱な電波を介して声が飛び交う。低く重い男の声だ。年の頃は、おそらく40近く。人気の演技派男優に似た、渋い壮年男。声から連想されるイメージはそんなところだ。もっとも、周囲の勝手な空想が現実と合致することは滅多にないのだが。
 彼、ウェイン・ルーベックはそんなことを考えていた。さっきの通信はリーダーからのものだ。夢見がちな少女が想像する演技派男優なんているはずもない。実物を見たら卒倒してしまうかもしれないな。ウェインは自分自身に失笑した。馬鹿馬鹿しい。
『前方に目標施設を確認した。これより作戦行動に移る』
『アクセル・D、予定通りでいいんだろ?』
『ああ。俺とスモークが囮になる。その間にヴァルゴとウェインで目標施設に侵入しろ』
 くすくすという笑い声が漏れてきた。高い女の声。畜生、また俺のことを笑ってやがるな。ヴァルゴ・ハニー……嫌な女だ。ことあるごとに俺を馬鹿にするんだ。
『坊やは大人しく見学してなよ。あたし一人で十分さ』
「……邪魔にならないように気を付けますよ」
 慣れたものだ。自分を蔑む連中のあしらい方は、18年の経験で身につけた。こうやってご機嫌取っていれば余計な面倒は起こらない。出る杭は打たれる。裏を返せば、出ない杭は打たれないのだ。
『なぁに、心配ねぇさ』
 別の声。若い男の声色だ。スモークの野郎だな。少し腕がいいからって、いい気になりやがって。見ていろ、すぐにお前なんか追い抜いてやる。ウェインは、自分の中で沸き立つ衝動を抑えることに全神経を注ぎ込んだ。
『なにせ天下のワームウッドだもんなァ』
「いいじゃないっすか……名前借りてるだけなんだから……」
『……無駄話はそのくらいにしておけ』
 アクセル・Dの一喝が、全員を黙らせた。圧倒的なまでの威圧感。傭兵として、幾多の死線をくぐり抜けてきた者のみが持ちうる迫力である。それも、張り子の虎なら誰も恐がりはしない。確固たる実力に裏打ちされているからこそ、彼の放つ圧力がその実体を得るのだ。
『行くぞ。作戦開始だ』
 
 ――右?
 操縦桿を握る手に汗が滲む。紅い人間型AC『ペンユウ』が、ビルの影から大通りの様子を窺う。動くものはない。ユイリェンの背筋を冷たいものが流れていった。虫の知らせとでもいうのだろうか。レーダーにも映らないし、モニターでも見えない。それでも、何かがそこにいるような気がしてならなかった。
 根拠など何もない。ただの勘である。
 キュウゥゥゥン。
 子犬の悲鳴のような音が響いた。ペンユウの右手に装備されたエナジーバズーカ。そこに電力が供給される。装填率98%、いつでも発射可能だ。この兵器の前では、チョッバムアーマーですら薄絹に等しい。
 エナジーバズーカの砲身が、ビルの合間の一点を向いた。敵影は相変わらず見えない。ただ平和なオフィスビルが建ち並んでいるだけである。FCSも反応しない。ペンユウの五感は、そこには何もいないという情報を受け取り、その主に伝えていた。
 ユイリェンの指が動いた。操縦桿に付いたトリガー・スイッチを押す。
 キュゴッ!!
 轟音。衝撃。エナジーバズーカが光の砲弾を撃ちだし、その反動で生じた加速度が容赦なくユイリェンの体を押しつぶす。遠のきそうになる意識を、ユイリェンは必死で呼び覚ました。モニターに映る光景。低速レーザーの塊が猛烈なスピードで飛び去っていく。
 ゴガウンッ!
 突然、砲弾が何もない空間で弾けとんだ。激しい光と音と砂塵が視界を覆う。やはりそうか。ユイリェンは声にならない悪態を吐いた。光学ステルス搭載とは、陰険なことをしてくれる。
 収まりかけた砂塵の中からそれは姿を現した。細身の人間型ロボット――その残骸である。今や世界のスタンダードとなったロボットシステム、『マッスルトレーサー』と言う奴だ。一般には略してMTと呼ばれている。戦闘用に特化されたMTはそれなりに驚異だが、初めから兵器として開発されたACの前では赤子にも等しい。
「ペンユウ・トゥーより管制官。敵機は光学ステルスを装備している模様」
『おいおい……どうやって当てたんだ?』
「勘よ」
 呆れた口調の管制官に、ユイリェンは冷淡に切り返した。無駄口を叩く暇があるなら、ちゃんとナビゲートしてほしいものだ。敵は待ってくれない。こうしている間にも――
 ――後ろ!
 右足のペダルを踏みつけて、操縦桿を右に倒す。ペンユウの背中に備え付けられたブースターが炎を噴き出した。紅い巨体が地を滑り、右のビルの影へ飛び込んだ。
 さっきまでペンユウが立っていた空間を、無数の弾丸が抉っていく。
 ショットガンか。ステルス機能を利用して相手の背後に忍び寄り、近距離からショットガンで攻撃する。なるほど、有効な戦術だ……普通の人間に対してなら。
 ユイリェンの手の動きに反応して、ペンユウが向きを変える。ビルの横からエナジーバズーカの砲身を突きだし、ある一点を狙う。見える。電波はおろか、可視光線すらも遮断してしまう光学ステルスを備えたMTの姿が。ユイリェンは迷うことなく引き金を引いた。
 再び砲弾が発射され、一機のMTを鉄屑と化した。これで二機。
『惚れ惚れするねぇ。どうだい、これが終わったら食事でも』
「ロリコンには興味ないわ」
『……口説かれてる本人が言うかね、そういうことを』
「微かに赤い光が揺らいでるわ。赤外線で調べて」
『了解』
 ユイリェンは超能力者でもなんでもない。特殊な能力で敵の位置を察知していたわけではないのだ。敵の光学ステルスは完璧ではない。おそらく、波長が0.8ミクロン付近の赤外線は遮断することができないのだ。だからそれに近い赤の光が、微かな揺らぎとなって目に映る。それなら赤外線センサーを使えば、相手の位置は手に取るようにわかるはずである。
『ビンゴ! 管制室よりペンユウ・トゥー。あと一機、北北東距離150を急速移動中。逃げるつもりだ! データ送信するぞ』
「了解。撃滅します」
 北北東。ビルの合間を、真っ直ぐに遠ざかっているのか。ようやくダウンロードが終了したデータを、レーダーとFCSが分析する。相手がどこにいるかはわかったが、少し距離がある。撃っても確実に当たるという保証はない。
 ――それなら。
 ユイリェンは左手でコントロール・パネルを操作した。配線を切り替え、背部ブースターに過剰なエネルギーを供給する。ペンユウの背中がぱっくりと割けた。中からもう一つのブースター・ユニットが姿を現す。過加速走行――世間では、オーバード・ブーストと呼ばれている機能である。
 また、例の子犬の悲鳴が響いた。ブースターが電力を溜めているのだ。ユイリェンはシートに深く腰掛け、やがて来るべき衝撃に備えた。数秒で時速800km以上に加速するその加速度は、地球の重力の12倍以上にまで達する。いくらACが優れた管制緩和システムを装備しているとはいえ、意識を失う者が後を絶たないのだ。時にはそのまま死に至ることもある。
 ゴギャウッ!!
 それは既に音ですらない。耐え難いまでの空気と電界と磁界の震え。音と光の中間点にある爆発にも似た振動。かはっ。ユイリェンは肺の中の空気を残らず吐き出した。まだ成熟しきっていない彼女の胸が歪む。苦しい。息を吸うことはおろか、指一本動かすことができない。
 距離はあと50。辛うじてユイリェンはペダルを踏む足を緩めることに成功した。ペンユウのブースターが少しずつ出力を弱めていく。体がつんのめって前に飛び出す。シートに押しつけられていたさっきまでとは正反対だ。必死で足を踏ん張りながら、ユイリェンは再び操縦桿に手をかけた。
 FCSがけたたましい音を立てる。受信したデータ通りだ。まだ収まり切らぬ過加速走行のスピード。コンピューターが擬似的に表示した敵影は、見る間に大きくなっていく。ペンユウはエナジーバズーカを構えた。正確に狙いを定め、確実に敵をロックオンする。
 ――さあ。ユイリェンの瞳が変わった。人のそれではなく、獲物を追いつめた獣のそれに。これからが、本番だ。
 ユイリェンは三度トリガーを引いた。
 ギャウッ!
 光によって形作られた狂気の砲弾が空を斬り裂く。逃げまどうMT。砲弾。ペンユウ。三つの点がコマ送りのように蠢く。一瞬が永遠にも感じられる。ユイリェンはこの瞬間、いつも奇妙な感覚を覚える。最後の瞬間、獲物を狩り尽くす瞬間、まるで自分がそれを拒んでいるかの如く時の流れが遅くなるのだ。
 ――流れろ、時間ッ!
 彼女の呼びかけに応えるように、世界が動き始めた。光の砲弾が爆発を起こし、その残光の中から焼け焦げたMTの残骸が姿を現す。完全機能停止――MTが死んだ瞬間である。
 ユイリェンはブースターを器用に操作して、機体のスピードを殺していった。恐ろしいまでの速度で地面を滑り続けていたペンユウが、ゆっくりと動きを止めていく。最後に空気圧で姿勢を微調整すると、ようやくユイリェンは胸にため込んでいた息を吐き出した。
 彼女はシートに身を投げ出した。心地よい疲れが体を包んでいるのが、はっきりと感じ取れた。
「任務……完遂」
『了解。
 ……はいっ! これにてテスト終了! お疲れさん』
 管制官の底抜けに明るい声に、ユイリェンは微笑みを隠しきれなかった。
 
「……怖いねぇ」
 通信機、レーダー、大型モニター、その他諸々。管制室として必要な物は、一通りこの部屋の中に取りそろえられていた。部屋の内装も、無機質で飾り気のない――言い換えれば合理的な――ものである。
 兵器開発部第二試験場第一管制室。わりと長ったらしい名前が付けられたこの部屋で、一人の男が呟いた。典型的なアジア顔の、若い男だ。その灰色の制服は、他社のものと比べてデザインがよいと評判だった。なにせ一流デザイナーに大金を積んで描かせたものである。この不景気の時代、優秀な新入社員を獲得するためにはたゆまぬ努力が必要なのだ。
[怖いって、何がです?]
 涼しげな女の声が彼に応えた。声の主は、モニターに映し出された映像である。ショートカットの赤毛。青白い瞳。ぬけるように白い肌。百人が見て百人がうなり声をあげるほどの整った顔立ち。通信相手だろうか。
「まったまたぁ。とぼけるなよ、エリィ」
[だって、わたしはユイリェンのことを怖いなんて思いませんから]
 映像の中の女性――エリィが、ぴくりと眉を動かした。もっとも、男はそんなことには全く気付いていなかったが。
「光学ステルス搭載の最新MTを3機撃破、しかもたったの2分でだよ?
 敵に回さなくて良かったとか、末恐ろしいガキだとか、そういう感情はないもんかね」
「そういう目で私を見てたのね」
 がたんっ!
 背中からかかった声に驚き、男は椅子から転がり落ちた。しまった、後ろを取られるとは迂闊だった。したたかに打ち付けた尻をさすりながら、男は恐る恐る視線を上げた。デニムパンツ、同じ生地のジャケット。腰まである長い黒髪をひとまとめにして、無造作に放っている……そう、『敵に回したくない、末恐ろしいガキ』が、上の方から彼を見下ろしていた。
 その瞳は氷のように冷たい。
「あ……ユイリェン……」
「残念だわ。せっかく今夜は空いてたのに……急に予定が入っちゃったみたい」
「あらら……こいつは手厳しいな」
 肩をすくめる男に一瞥をくれると、ユイリェンは画面と向かい合った。彼女が唯一心を許す相手がそこにいる。システム・ガブリエラ……通称『エリィ』。その正体は、十数年前に天才プログラマーによって製作された人工知能プログラムである。当初の目的通り、今や『エリィ』は一企業を統括するまでに成長した。こうして画面の上にはキャリアウーマン風の姿で現れるが、その肉体は全高120mにも及ぶという超巨大メガコンプである。
[感想は?]
「レスが遅い」
[『ペンユウ』じゃなくてMTの方です]
「もっと遅い」
 エリィはため息を付くグラフィックを表示した。完璧なCGによって描き出されるその姿は、どこからどう見ても実在の人間にしか見えないだろう。
[わたし、これからレポート書かなきゃいけないんですよ? 真面目に答えて下さい。
 あ〜あ、ステルスの欠陥も見つかっちゃうし……もう、残業手当出して欲しいくらいですよ]
「それはこっちの台詞よ。未成年をこんな遅くまで働かせるなんて、児童虐待で人権保護団体に訴えてやろうかしら」
 床に座り込んだまま話を聞いていた男は、ゆっくりと立ち上がった。ごそごそとポケットを探り、一枚のカードを取り出す。それはマネーカードと呼ばれるものだった。内部に仕込まれたマイクロチップがマネーデータを保存している。よほどの田舎でもなければ、札束の代わりに使うことができる。
 今日のバイト代だった。
「そいつは勘弁してほしいな。今日はもう上がっていいからさ」
「……了解」
 ユイリェンは男の手からカードをむしり取った。すぐさまきびすを返し、ドアに向かって歩き始める。まるで金以外には興味がない、とでもいわんばかりである。
 15歳の少女には似つかわしくない態度だった。
「おやすみ、ユイリェン」
 ユイリェンの足が止まった。ゆったりとした動きで肩越しに振り返る。彼女の真っ直ぐな視線の先にあるのは、雇い主である男の顔である。それなりに整ってはいるが、テレビのアイドルにはほど遠い。そんな顔だった。
「おやすみ、ケンジ」
 シュッ。軽いエア抜きの音が響いて、ドアが開いた。ユイリェンの靴が床に触れて堅い音を立てる。その歩調に迷いは感じられなかった。もう、この部屋には何の未練もないようである。
 彼女らしい、実に彼女らしい凛とした歩き方だった。
 後に取り残された二人は、しばらく呆然とドアを見つめていた。かたや7つも年下の少女を執拗に口説く企業重役。かたや現実には存在しないコンピューターの中の生命体。この上ないくらい奇妙な取り合わせだった。
「エリィ」
[なんですか?]
 彼、ケンジ・コバヤシはようやくのどの奥から言葉をひねり出した。まるで、顎を握られて身動き取れなくなった哀れな蛇だ。エリィは何となく、ケンジに対してそんなイメージを抱いた。
「脈、あると思う?」
[ないですね]
 
 
『坊や』
「俺はウェインです」
 嫌な女の声に、ウェインは間髪入れず切り返した。ヴァルゴはいつも名前を覚えない。人に勝手なあだ名を付けて喜んでいるのだ。リーダーのアクセル・Dも、スモークも、チーム専属メカニックのハーディも、みんなヴァルゴにあだ名を付けられたのだ。そしていつの間にかそれが定着してしまう。
 ウェインはそれが嫌だった。彼は他の誰でもない、ウェイン・ルーベックなのだ。そういう一種の自信を、彼は抱いている。「坊や」だなんて呼ばれたくはなかった。
『予定時刻はまだなの?』
 ヴァルゴは新入りの言葉を無視して用件を述べた。
「……まだです。もう10分くらい」
 はう、というヴァルゴのため息が漏れ聞こえた。通信機が拾ってしまうくらいだから、余程大きなため息だったのだろう。気持ちはウェインにもよく分かる。作戦開始まで、こうしてACを森の中に隠して、狭いコックピットのシートにじっと腰掛けているというのは想像以上に辛い。彼自身、いいかげん辟易してきたところだった。
『なんだかさァ』
 ヴァルゴは熱っぽく言った。猫が甘える時にだす声のようだ。
『こういうシチュエーションも、結構いいと思わない?』
 また出た。ヴァルゴの性癖だ。全く、世に存在する変態的な趣味という趣味全て、彼女に当てはまらないものはなさそうだった。同性愛者で幼児趣味で、マゾヒストでサディストで見境無くて……ウェインの背筋を悪寒が走った。おまけに彼女は、肉体的にも精神的にも「縛られる」ことに快感を覚えているようだった。
「同意を求めないでくださいよ」
『知らないの? 誰だってホントはイカれてるのよ。
 でも気付かなかったり、認めなかったりするだけ』
「じゃあ、俺は認めないクチっすね」
『あら、残念』
 何が残念なんだか。ウェインはもう一度時計を見遣った。あと5分か。手首を振って、準備運動をする。何か少しでも体を動かしておかないと、いざというときに何もできなくなってしまいそうだった。
 よし。ウェインは軽く自分の頬を叩いた。初めての実戦だ。失敗は許されない。
 これは、彼が自由であるために、レイヴンであるために、必要な破壊なのだ。
 そう。レイヴンの仕事なのだ。
 
 
 気が付いたとき、ユイリェンは真っ白な世界に立ちつくしていた。
 ユイリェンは周囲を見回した。何もない純白の地面がひたすら延々と続いている。地平線もそこには存在しなかった。地面と同色の平坦な空によって、彼女の頭上は完全に覆われてしまっていた。
 一体これは何だ。不思議と冷静に考えを巡らせる自分がいた。確かに、私はついさっきまでベッドの中にいたはずだ。下着姿でシーツにくるまり、すうすうと寝息を立てていたはずだ。それが一瞬めまいがしたかと思うと、この世界だ。何もない、本当に何もない気が狂いそうになる空間に突然放り出されたのだ。
 そうか、これは夢だ。ユイリェンは納得した。昔なにかの本に、夢の中では自分が夢を見ていると自覚することはない、と書いてあったが……あれは嘘だ。今自分ははっきりと、夢の世界にいることを確信している。
 ふと、ユイリェン後ろを振り返った。変わり映えのしない白の中に、いくつかの影が見えた。正確には三つだ。丁度、ユイリェンを含めて正方形の頂点になるように配置されている。影のうち、ユイリェンの対角線上にいるのは男だった。残りの二人は女だ。全員が全員、正方形の重心を向いて、ただじっと立ちつくしている。
 誰なんだろう、この人たちは。ユイリェンは目を凝らして、三人の顔を見ようとした。しかしその顔は、まるで子供が落書きをしたかのように、ぐちゃぐちゃとうねる意味のない黒い線によって完全に覆われていた。三人ともだった。異様なその姿に、ユイリェンは息を飲んだ。
 しばらく、四人は何もせずに見つめ合っていた。その間にユイリェンはいろいろと考えを巡らせていた。誰かに伝え聞いた、「夢の仕組み」が頭をよぎる。曰く、夢には深層意識が持つ願望や恐怖が現れる。曰く、夢は昼間の記憶を整理する場である。前世の記憶だなんていうオカルトじみた話もあった。ただ、これはそのいずれにも当てはまらないような気がした。
 やがて、世界が歪んだ。ユイリェンはそれをはっきりと感じた。最初に、彼女の左側にいた女が口を開いた。そして叫んだ。ただ、女の叫び声は不思議なことに音にはならなかった。それは線となって現れた。声の代わりに、太かったり細かったりするいろいろな線が口からあふれ出した。際限なく流れ出る線の叫び声は、純白の世界を次々に汚していった。そうだ、今思えばこの世界の地面は真っ白な紙のようだった。それが塗りつぶされていくのだ。ひどく不快な線によって、ぐちゃぐちゃと!
 すぐにもう一人の女も反応した。さっきと同じように、口を開き、線の叫び声をどぼどぼと撒き散らしていく。正方形の向かい合う頂点からそれぞれ発せられた線は、白い地面と空を汚しながらだんだんと正方形の重心へ向かって進んでいった。すぐに二つの線はぶつかり合った。さっきとは較べ物に鳴らないほどの轟音が響き渡った。もちろん、音ではなく線として。
 うるさい!
 ユイリェンは耐えきれずに両手で耳を塞いだ。不思議だ。音なんて全く聞こえてはいないのに、ただ線がぐちゃぐちゃ落書きされているだけなのに、耳が割れるように痛かった。線はもうユイリェンの足下まで溢れてきていた。その線がユイリェンの体を上ってくる。昔見た朝顔の蔓のように、線は彼女の肢体を這い上ってきた。やがて線はユイリェンの耳を見つけた。手のひらの隙間から、線は耳の中に入った。痛みは一層大きくなった。
 ふっと、意識が遠のいた。ユイリェンは理解した。そうか、これで夢が終わるんだ。このわけのわからないおかしな世界から、ようやく抜け出せるんだ。しかし夢から覚める瞬間、彼女は見た。
 自分の対角線上に立ち続けていた男の、優しい微笑みを。
 
 がばっ。
 あまりに急な動きだったせいで、シーツが大きな音を立てた。一瞬頭が真っ白になる。それから周りを見回して、ユイリェンはようやく状況を理解した。
 そうだ、夢を見ていたんだ。
 ユイリェンが眠っていたのは、見慣れた自分の部屋の中だった。スチール製のクローゼット。容量の小さい一人用の冷蔵庫。科学系の啓蒙雑誌と年代物の恋愛小説数冊が立ててあるだけの本棚。小さなデスクにはこれまた小型のパソコンが置いてある。その側に無造作に転がしてあるIDカード、財布、何かのデータディスク。天井にはプラズマ蛍光管とエアコンの排気口。あとはベッドの上に、白いシーツにくるまれた下着姿の自分がいるだけだ。飾り気も遊び心も年頃の女らしい色気もない、実に簡素なコーディネイトだった。
 ようやく彼女は、自分の体がじっとりと濡れていることに気付いた。いつの間にか寝汗をかいていたのだ。ユイリェンは自分の体からシーツをはぎ取ると、ベッドから立ち上がった。クローゼットの中からタオルをとりだして、そのふわふわした感触の中に顔を埋める。
 一体なんだったんだろう、あの奇妙な夢は。
 我ながらおかしな夢を見たものだ。やはり、頭がどこかおかしいのかもしれない。ただ、見事に現実離れしているはずの夢だが、妙に現実感があった。夢というのは大概変なものだが、これほど変でありながら正夢になりそうで怖いという夢も珍しい。
 ユイリェンは壁掛けの時計に目を遣った。午前3時。まだ眠ってから3時間も経っていない。今から二度寝すると朝起きられなくなりそうだが、どうせ明日は休みだし、少々寝過ごしたってかまわないだろう。そう納得すると、ユイリェンは体の汗を適当にふき取って、もう一度ベッドに身を投げ出した。
 無造作に仰向けになり、天井を見上げる。妙に天井が遠いような気がした。
 と。
 ピピピピピッ。
 ベッドの側の壁から、けたたましいアラーム音が聞こえてきた。壁に内蔵された電話である。30cm四方くらいの金属板は、電話と言っても映像通信用のディスプレイがそのほとんどを占めていて、あとは小さなマイクとスピーカーと、それからいくつかのスイッチが付いているだけである。
 面倒そうにユイリェンは画面に目を遣った。送信者の名前がそこに表示されている。
"Ellie"
 エリィ……要するにシステム・ガブリエラからの直接通信らしかった。ユイリェンは腕を伸ばして受信スイッチに指をのせた。ふと、彼女の意識が自分の服装に向く。ユイリェンは少しためらってから、隣の音声受信スイッチを人差し指で押した。
『ユイリェン! ……あれ、サウンドオンリーですか?』
「今何も着てないの」
『じゃあ、すぐに服を着てください。非常事態です』
 ぴくり、とユイリェンの眉が動いた。
「……何?」
『襲撃です。ACが二機、第三ドームで暴れてます。あの下には弾薬保管層が……』
「了解。すぐ行くわ。ペンユウは?」
『テスト兵装で調整もしてませんが、直ちに出撃可能です。現在2Bドックで燃料補給中』
「……了解」
『以上です。とにかく急いで!』
 ぶつっ。通信は一方的に閉ざされた。いつもは執拗に別れを惜しむエリィが、こんな風にあっさり切ってしまうのは珍しい。おそらく余程状況が悪いのだろう。なにせ迎撃部隊の指揮を執るのも、エリィの仕事なのだ。今頃その膨大なCPU性能とメモリ容量を最大限に活用して、襲撃者を追いつめに向かっていることだろう。
 しかし。クローゼットから自分の服を取り出しながら、ユイリェンは何か頭の隅に引っかかるものを感じていた。何かがおかしい。第三ドームは半分倉庫として使用されているような場所だ。盗みに来たなら宝の山だろうが、ACに乗って暴れるには魅力が少ないのではないか。他企業が妨害工作をするなら、司令塔となっている第一ドームや研究施設の第二ドームを襲った方が効率がいいはずだ。
 ならば、なぜ?
 襲撃者にとっては重要でなく、被襲撃者にとっては重要な施設。そこを襲う理由、それは……
 一つだけ、心当たりがあった。
 
 
 ゴオ……ォ……
 遠くの空が紅く燃えている。コックピットの中からウェインはその光景を見つめていた。とうとう時間だ。アクセル・Dたちが動き始めた。こっちもこの森の中から抜け出して、行動を起こさなくてはならない。
『坊や』
 まただ。一体この女は、人の話というものを聞いていたのだろうか。ウェインは憮然としながらも通信を繋いだ。不満に満ちた声を精一杯平坦に装う。
「わかってますよ。そろそろ行きましょう」
『……わくわくするねぇ』
 ああ、そうかい。女の台詞を軽く聞き流して、ウェインは腰に力を込めた。シートに埋もれるようにしてもたれかかっていた上半身を、腹筋の力で立ち上がらせる。短く切りそろえた彼の赤毛が揺れた。気合いを入れろ。自分自身にそう言い聞かせる。怖がるんじゃない。そう難しい仕事じゃないんだ、必ず成功するさ。
「トランプル四号機、『ワームウッド』再起動!」
『二号機『ハミングバード』、同じく再起動』
 
 
 地球歴209年9月29日午前2時56分23秒。コロンビア盆地、フランクリン・ルーズベルト湖畔、コバヤシ・コーポレーション第一兵装研究所において所属不明AC部隊による襲撃を確認。敵戦力はAC2機。第三実験区画にて物資を破壊した後、迎撃部隊と交戦状態に陥った模様。現在も依然戦闘は続いている。
 
 
『ヒャッハァッ!』
 歓喜の声を上げ、スモークはトリガースイッチを引いた。彼の愛機の偏った兵装――ミサイル以外の兵器を何一つ装備していない――が火を噴く。本来腕があるべき位置に備え付けられたミサイルポッドが、8発のミサイルを連続発射した。ジェット噴射の音、爆発音、通信に混じるノイズ、そしてリーダーの説教が不思議なメロディを奏でる。スモークは目を細め、うっとりとその交響曲に聴き入った。
『聞いているのか、スモーク!』
『聞いてねぇ』
 スモークが駆る奇妙な形のAC、鳥のように関節が反対側に曲がった「逆関節」ACの『バニーホイッスル』は、リーダーを嘲るかのようにあたりをぴょんぴょんと跳ね回った。時々止まっては次々押し寄せてくる警備MTにミサイルを浴びせる。その姿はまるで、すこし跳ねては草をかじるうさぎのようだった。機体の塗装が白だからなおさらそのイメージが強い。
『それなら今から聞け。調子に乗るな、弾薬を節約しろ。少しでも戦闘を長引かせるんだ』
 うるせぇ、ハゲ。スモークはボサボサの金髪を振り乱した。コックピットの中に響き渡る、気がおかしくなりそうなほど大音量のハード・ロック。幼稚園児の引率じゃねぇんだ、好きにやらせろ。
 今頃、アクセル・Dの縮れ毛は怒りで逆立っていることだろう。それは、隣にいるキャタピラタイプのACの挙動でなんとなくわかる。奴さん、今にもグレネードをぶち込んで来かねない勢いである。
『……ケッ……わかった、わかったよ大将。あんたが偉い。
 無駄弾撃たなきゃいいんだろ?』
『その通りだ。肝に銘じておけ』
 しつこい野郎だ、とスモークは思った。どうにもこのリーダーは神経質でいけない。それとも黒人はみんなこうなのか? いや、違うな。前に会った黒人は、俺よりもいい加減で馬鹿だった。
 ともかく、スモークが多少の不満を感じて苛ついていたのも事実だった。ACというのは素晴らしい兵器だが、一つだけどうしようもなく気に入らない所がある。それは、殺した相手の悲鳴が聞こえないことだ。
『アクセル・D、次がお出ましだぜ』
 スモークはもう一度目を細めた。右手に見える巨大なドーム施設の影から、わらわらと人影が現れる。一つ一つが6、7メートルはあろうかという巨大な人影だ。さっきから何十と葬ってきた、警備MTである。よくもまあこれだけ数が出てくるものだ。負けると分かっていながら。
『いいか、絶対に無駄弾は撃つな』
『言われなくてもわあってんだよッ! いい加減しつこいぜ!』
 
 シュウッ……
 消音処置を施した二機のACが大地を滑る。一機は青い四足の機体、もう一機は漆黒の巨人である。もっとも黒い人型の方は、すぐに取れる塗料を吹き付けた上での色だった。さすがに普段のピンク色では、夜の闇に紛れることなどできるはずもない。
 ウェインの駆る『ワームウッド』と、ヴァルゴの愛機『ハミングバード』である。
 時折聞こえる爆発音。彼らの仲間は派手に暴れているようだった。おかげでこの第二ドーム周辺にはMTどころか警備兵の一人もいない。全ては計画通りだ。
 一通りドームの周辺を回って、彼らは侵入口を探した。ACでどこまで入り込めるかはなはだ疑問ではあるが、ここは新型機の試験場である。それなりに奥までAC用の通路がある可能性は大きい。
 ……と。
「ヴァルゴ、あそこにあるの、ハッチじゃないっすか?」
 いいながらウェインはコントロール・パネルを操作した。巨大なドームの外壁、その一部分が大きく拡大される。暗くて見にくいが、確かにACやMTが通れるくらいの入り口があるようだった。もっとも、その門は堅く閉ざされていたが。
『どきな。今開ける』
 足音に気を配りながら、ハミングバードはハッチに忍び寄った。その目の前まで来ると、ハッチのコントロールユニットに腕をかざす。光信号をやりとりしてACのコンピューターと接続し、ハッキングを試みるのである。一瞬の後には、ハッチは音を立てて開き始めた。ハミングバードがハッキング用に特化されたコンピューターを装備していればこそである。
 ハミングバードの合図に応じて、ワームウッドも内部に滑り込む。中はしばらく真っ直ぐな通路が続いているようだった。慎重に二機は通路を進む。途中監視カメラがいくつかあったが、全てハミングバードのハッキングによって無力化されているようだった。
 二機の目の前に再びハッチが姿を現したのは、侵入してから数分も経たないころだった。さっきと同じように、ハミングバードがハッキングしてこじ開ける。簡単なものだ。敵もいないし、どうやら今回のミッションは問題なく終了しそうだった。
 ヴゥンッ。低い獣のうなり声をたてながら扉が開いていく。二機は迷うことなくハッチをぐくった。その先はドーム状の空間だ。広いドームの中にいくつもビルが建ち並び、二機の視界を遮っている。市街地戦を想定した試験場のようだ。探せば、どこかに別のハッチがあるはずである。
『別の出口を探すよ』
「了解」
 軽く通信を交わしてから二機は歩き始めた。それにしても。ウェインの背筋に冷たいものが走る。照明もともされていない、動くものの気配もないビル群というのは気色悪いものだ。幽霊か何かが出なければいいが。ウェインは比較的怪談が苦手な方だった。
 と、その時。
 キュウゴウッ!
 視界が真っ白になった。機体がガクガク揺れている。ウェインはたまらずに目を押さえた。突然の爆発で撒き散らされた閃光に、目が灼かれたことは疑う余地もなかった。畜生、してやられた! やっぱり敵さんは見逃してくれなかったのだ。
 痛みを堪えてウェインはうっすらと目を開いた。コントロールパネルを震える手で操作し、モニターに偏光処置を施す。そして彼は見た。遠くに離れたハミングバード。きっと彼より一瞬はやく回避行動をとったのだろう。そして、丁度ワームウッドとハミングバードの中間点に立つ紅い巨人。
 ACだ。ウェインは直感的に悟った。相手は鬼よりも恐ろしい敵。敵のACだ!
 
 
[ユイリェン、ユイリェン!]
 右と、左。両側に位置する敵ACに視線を配りながら、ユイリェンは通信に答えた。慌てた様子のエリィの声。彼女らしくもない。
「聞こえてるわ」
[何をしているんですか!? どうして第二ドームに……]
「陽動作戦よ。第三ドームの二機はおとり。本命は……今私の前にいるこいつらよ」
 そう、それに気付いたからこそ、ユイリェンはあらかじめ第二ドームの中で待ち伏せていたのだ。そこは奇しくもさっき彼女がMT相手に試験を行った場所だった。一日に二度も同じ場所で戦うなんて。奇妙な偶然を感じながら、彼女は現れた本命部隊に威嚇の一撃をくれてやったのだ。
 案の定、四足の方は目を灼かれてしばらく動けないだろう。あの程度が避けられないとは、大した腕ではなさそうだった。
[……わかりました、すぐにそっちに迎撃部隊を……]
「いらないわ。私一人で十分だもの」
 ぶつっ。ユイリェンは有無を言わせず通信を切った。彼女は一瞬で見抜いていたのだ。敵と自分との、圧倒的なまでの力の差を。
 ユイリェンの右手が操縦桿に触れる。彼女の愛機、紅い鬼ペンユウがエナジーバズーカを構えた。まただ。また、体がうずく。暴れたい、戦いたいという衝動を、今まで理性の力で抑えていた衝動を。
 彼女は今、解き放った。
 
 
「こなくそォッ!」
 ウェインは瞳に走る激痛を堪えながら、思いっきり操縦桿を倒した。もちろん、目標は紅いACである。わき目もふらずに突っ込みながら、腕と一体化したマシンガンを乱射する。こう見えても、下位アリーナでは名の知れた存在だったのだ。たかだか企業のエージェントやテストパイロット程度に、負ける筋合いはない!
 しかし次の瞬間、彼は見た。
 ヴァシュッ!
 紅いACの肩の外側に付いたユニットが炎を吹き出した。その反動で紅いACは後ろに飛びすさる。攻撃――ではない。最近開発された、追加ブースターである。稼働時間こそ短いが、圧倒的な出力で機体を急速後退させることができる。敵弾を回避するのにこれほど便利な代物はない。もっとも、パイロットは加速度との戦いを強いられることになるが。
 紅いACが旋回し、ワームウッドに砲身を向ける。まずい! ウェインは慌ててブーストペダルを踏みつけた。安物の機体が悲鳴を上げながら横に滑る。しかし、さっき加速しすぎたせいで速度を殺しきれない!
 キュゴッ!
 再び閃光が飛び散った。ワームウッドのコックピットがガクガクと揺れ、レッドランプが一斉に自己主張をはじめる。ウェインは額に汗を浮かべながら損壊箇所を確認した。特に大きな傷はないようである。ということは……
「……はずれた?」
『はずしたんだよ、坊や!』
 ヴァルゴの揶揄が聞こえてくる。彼女のハミングバードがその素早さを生かし、紅いACに向かって駆けているのが見えた。散発的に飛んでくる光の砲弾をかわしながら、ハミングバードがハンドガンを連射する。ただ、双方ともに回避技術が卓越しているせいで、今だ一発も命中がないのだが。
 あの女にかばわれてる? 畜生!
 ウェインは人知れず歯軋りをした。ヴァルゴが自分をかばうように戦っている……それだけでも彼にとっては耐え難い屈辱なのだ。しかしそれにも増して許せなかったのは、さっきの紅いACの攻撃である。
 はずした。ヴァルゴはそう言った。彼女の言うとおりだった。砲弾はあえて、ワームウッドの足下を狙ったのだ。衝撃と閃光によって彼を足止めするために。相手が自分を殺すまいとして戦っていることは明白だった。
 その程度ってことかよ……殺さなくても勝てる程度の相手だってのかよ!?
「なめんなァッ!!」
 ウェインの指先がコントロールパネルの上で踊る。武器を切り替えるのだ。マシンガンから、背中に背負ったパルスキャノンに。これがワームウッドが誇る必殺の兵器だった。数々のライバルたちを葬ってきた、狂気の砲弾だ。もっとも、彼は未だかつて一人の人間も殺したことがなかったのだが。
 キャノンの砲身を紅いACに向ける。操縦桿を握るウェインの手が微かに震えた。目標がハミングバードの弾を回避するために飛び回っていて、狙いが定まらないのだ。紅いACのパイロットは相当に腕がいい。おそらく、一度撃てば次からは簡単に見切られてしまうだろう。チャンスはたったの一回きり。
 ピピッ。
 小さな電子音。ロックした! そう思った瞬間、ウェインは引き金を引いていた。微かなエネルギーチャージの後、発射される光の砲弾。高エネルギーを秘めた輝く塊は、狙い違わず真っ直ぐに、紅いACめがけて突き進んでいく!
 ヴァシュッ!
 次に響いてきた音は、紅いACに命中した光弾がはじける音――ではなかった。
 砲弾が命中する直前、紅いACが過加速走行をはじめたのだ。恐ろしいまでの速度で紅いACがハミングバードに迫る。そしてそのまま、戸惑うハミングバードに体当たりを仕掛け、はじき飛ばした。
 無論ワームウッドのキャノン砲弾など、見当違いの場所を空しく過ぎ去るのみである。
 そんなばかな。ウェインは、はじき飛ばされ、ビルに叩き付けられて動かなくなったハミングバードを凝視した。全身がガタガタ震えている。
 過加速走行をするためには、ある程度のチャージ時間が必要である。スイッチを押したからといって、即座に発動するようなものではないのだ。しかし紅いACは、ワームウッドがキャノンを放った瞬間に過加速走行をはじめた。つまり、あらかじめチャージをしていたということになる。
 読まれていたのだ。ウェインが次にとる行動、そのタイミング、なにもかも。なんてこった。ウェインの心に、それまでなかった恐怖が生まれた。奴は、ハミングバードの弾丸を完全に回避していながら、全くハミングバードに気を取られてはいなかったのだ!
 紅いACが旋回する。もちろん、奴が向くのはワームウッドがいる方向である。紅いACは左手を胸の前まで持ち上げた。手の甲のあたりに生まれる、淡い色の光。レーザーシールドを装備しているらしい。なるほど、ハミングバードはあれにはじき飛ばされたのだ。
 ギャンッ!!
 再び、紅いACのブースターが爆音を立てる! こんどは過加速走行でこっちに突っ込んでくるつもりだ! ウェインは慌てて操縦桿をひねり倒した。しかし……間に合わない!
 ゴッ!
 ウェインの体を激しい衝撃が襲った。ワームウッドの青い巨体は、見事に吹き飛ばされてビルに衝突する。レッドランプがまた増えた。なんなんだよ、この紅いやつは! いくらなんでも、企業の子飼いにしちゃ強すぎる!
『……坊やっ! 撤退するよっ!』
 聞こえてくるヴァルゴの声。見れば、ハミングバードがいつの間にかブースターを噴かして逃げ出そうとしている。あの女。一人で先に逃げるなんて、思いやりのない奴だ。とはいえ、さっさと退散することには全く異論はなかった。幸い駆動系はまだ生きている。
 ワームウッドは、最初に自分たちが入ってきた入り口に向けて一気に地面を滑った。こちらは機動力のある四足AC。逃げ足の速さには少しばかり自信があるのだ……もっとも、胸を張って威張れるようなことではないが。
 逃げながら、ウェインはモニターで背後の様子をうかがった。あの紅いACをなんとかして撒かなくてはならない。そう思ったのだ。そしてウェインは眉をひそめた。
 後を追うそぶりすら見せず、ただ佇んでいる紅いACの姿が、そこにはあった。
 
 
 ビーッ。
 けたたましいブザーの音に、彼はぴくりと眉を動かした。
 黒く照り輝く肌、短く縮れた頭髪、彫りの深い顔立ち。彼が黒人であることは傍目にも明らかである。彼の名はアクセル・D。傭兵集団『トランプル』のリーダーである。アクセルはコックピットのシートに深く腰掛けたまま、通信機の周波数を合わせた。
『アクセル・D! 聞こえるか!? 俺っす、ウェインすよっ!』
 ウェイン。つい先日トランプルに入ったばかりの新人である。元レイヴンだそうだが、腕前はさほどのものでもない。他のメンバーに比べれば赤子のようなものである。だから今回は戦闘もなさそうな侵入チームに割り振ったのだが……この慌てよう、しかもエマージェンシー・コールを使用しているところを見ると、なんぞしくじったらしい。
「どうした?」
『作戦は失敗っす! 敵に恐ろしく強いのがいて……畜生、あの紅い奴っ!』
「……ヴァルゴは?」
『今、俺とそっちに向かってます!』
 チッ。アクセルは小さく舌打ちをした。その紅い奴とやらの強さがどの程度のものか――ヴァルゴまでが撤退せざるを得ないということは、相当なものであることは間違いない。確かにそれでは、任務遂行は難しそうだった。
 仕方がない、今回は退くか。アクセルはそう判断した。戦場において生き延びるには、引き際を見極めることが肝要なのだ。面子だのプライドだのにこだわって突っ込むような奴は、決して長生きはできない。彼はその点をよく心得ていた。
「わかった。合流次第、撤退する」
『……了解っ』
 やれやれ。アクセルは滅多につかない溜息をついた。そのまま通信を開き、すぐそばで無秩序な破壊を繰り返す同胞に繋げる。最大の問題は、任務が失敗するということではなく、この男が納得しないかもしれないということだった。
「スモーク」
『聞いてたよ。全く、情けねぇ野郎だ』
 それはウェインのことか、それとも俺のことか。言いながらもスモークは愛機を自在に操っている。バニーホイッスルのミサイルが、また一機の警備MTを吹き飛ばす。全く、アクセルのAC『ヴォイド』の出番はほとんどないくらいだった。
「撤退するぞ」
『あー、はいはい。了解了解っとォ』
 しぶしぶ後退をはじめたバニーホイッスルに安堵の溜息を吐きかけながら、アクセルはモニターに目を遣った。遠くに輝く小さな光が、二つ。ウェインとヴァルゴのACだろう。どうやら、追っ手は付いていないようだった。
 アクセルは操縦桿を堅く握り、ペダルを踏みつけた。キャタピラ駆動のACヴォイドが、ゆっくりとその進路を変える。納得はいかない……しかし、今日の仕事はこれで終わりだ。
 
 
[ユイリェン!]
 再び聞こえてきたエリィの声には、さっきのような焦燥は感じ取れなかった。ゆったりと落ち着いた、いつもの彼女である。ユイリェンはモニターの一点を見つめながら声に応えた。
「なに?」
[襲撃者が逃走をはじめました。ご苦労様、もう大丈夫です]
「……まだよ」
 ユイリェンの視線は、さっきから微動だにしていなかった。森の中へと逃げ込んでいく四つの光。ドームの影から、ペンユウは襲撃者の姿をじっと見つめていた。逃がさない。ユイリェンの目がすうっと細くなった。
「追撃をかけるわ」
[……無茶です! いくらなんでも、四機を同時に相手にするのは……]
「大丈夫、殺さないから。後で尋問でも何でもするといいわ」
[そういうことを言ってるんじゃありません!]
「……忘れたの?」
 彼女の手が操縦桿に触れる。彼女の足がペダルに乗せられる。彼女の瞳が敵を捉える。彼女の吐息が、まるで獣の慟哭のように、そして可憐な花の甘い香りのように、口から漏れ出す。
 心配してくれるエリィの気持ちは嬉しい。でも、私は許せない。おばあちゃんの思い出を傷つける奴。おばあちゃんが毎日一生懸命働いていた、この研究施設を荒らす奴。私は絶対に、許すことができない。
「私は『敵に回したくない末恐ろしいガキ』なのよ」
 ユイリェンは無理矢理通信を切った。これで今日二度目だ。でもこれは仕方がないこと。エリィは万が一の『もしも』を心配している。私は九千九百九十九の『確実』を信頼している。どうあっても彼女は私を傷つけたくないのだ。丁度私が、おばあちゃんを傷つけたくないように。
 帰ったら、エリィに怒られるかな。ユイリェンはふとそんなことを考えた。そして、自分の子供っぽい心配に気付いて、自嘲気味の微笑みを浮かべた。
「――馬鹿みたい」
 
 
 ピピピピッ。
 最初に異変を感じ取ったのは、最後尾に回っていたワームウッドのレーダーだった。ウェインの目に映る、赤い光点。彼の愛機のレーダーは、後ろから彼らを追ってくる者がいることを確かに示していた。
 慌ててウェインは後部モニターに目を遣った。拡大。拡大。見えた。レッドウッドの森を震わせながら、過加速走行で突っ込んでくる紅い影。来た! あいつだ!
「追撃だっ! あの紅い奴が来やがった!」
 その一言が引き金となる。チーム「トランプル」の面々は、思い思いの方向に散開した。まるで測ったかのようなタイミングである。未熟なウェインが一瞬あっけに取られる。おそらく四人の中で、追撃を全く予想していなかったのは彼だけだろう。
『何やってんだチビ! んなとこに突っ立ってんじゃねぇッ!』
 スモークの怒鳴り声でウェインは我に返った。慌てて操縦桿をひねり、機体を脇へ退ける。それと同時にFCSを設定しなおす。レーダーと連動させ、敵の予測進路や速度をコンピューターに覚え込ませるのだ。今まで何度となく、戦闘のたびに行ってきた準備行動だった。
 四機が自分の配置につくのに、それほど時間はかからなかった。アクセルの『ヴォイド』とウェインの『ワームウッド』が比較的開けた林道に陣取り、ヴァルゴの『ハミングバード』とスモークの『バニーホイッスル』がその脇の森を固める。それぞれ自らが得意とする地形に合わせた、理想のフォーメーションである。
 さすがは過加速走行。紅いACのスピードは凄まじい。このままだと、接触まではおよそ15秒。突然、空気が固く重くなった。そう錯覚するほどの緊張感が辺りを包み込む。
 これが戦場の空気だ。あるものは中毒患者のようにこの空気を欲し、またあるものは毒気にあたって息絶える。一瞬の気の緩みが死に繋がる世界。そんな世界が、ここにはあった。
 
 
 ペンユウのレーダーは、前方にいる四機のACを完璧に捉えていた。過加速走行で狭い林道を器用にくぐり抜けながら、ユイリェンはモニターを凝視する。
 エリィが餞別代わりに置いていったデータを信じるならば、敵は随分とバラエティに富んだ構成だ。高機動の人間型二足AC、ミサイル装備の逆関節型二足AC、鈍重だが圧倒的な火力を持つ車両型AC。それと、一機だけ妙に動きの悪い四足型ACである。
 ようやく敵影が肉眼で確認できる距離まで接近した。どうやら連中は、こっちを迎え撃つ準備を整えているらしい。最初の一発がいつ来るのか――そのタイミングを見誤れば、勝負は一瞬でケリがついてしまう。もちろん、こっちの負けである。
 そんなのは御免だった。じっと神経を研ぎ澄まし――
 ――今っ!
 ヴァシュッ!!
 過加速走行をいきなり中断し、追加ブースターでその速度を殺す。土煙を巻き上げて盛大に停止したペンユウの鼻先を、グレネードの榴弾がかすめて通り過ぎていった。どうやらタイミングは完璧だったようである。
 重火器を遠慮なく撃ち込んできたのは、真正面にいるキャタピラ型のACである。その横に並んだ四足型。残り二機の姿は見えないが、レーダーはそいつらが森の中に潜んでいるということを告げていた。
 なるほど、平坦地に強い二機が足止めして、残りが攻撃というわけか。ユイリェンは一瞬で敵の思惑を感じ取った。となると、グレネードを回避したからといって喜んでいるわけにはいかないようである。
 ――来る!
 ユイリェンは足下のペダルを強く踏みつけた。通常のブースターが勢いよく炎を吹き出し、紅い巨人を宙へ舞い上がらせる。その足下を、右側から飛来した弾丸がくぐりぬけた。森の中にいる機体の攻撃だ。もっとも、完全に予想済みではあったが。
 まずは、足止め組が邪魔だ。ペンユウがエナジーバズーカの砲身を黒いキャタピラACに向ける。狙いは戦車の最大の弱点……足下のキャタピラ部分である。
 キュウゴウッ!!
 閃光に彩られた魔弾が空を切り裂いた。
 
「チィッ!」
 アクセルは大きな舌打ちをしてから、操縦桿を押し倒した。紅いACの砲弾は、このままでは間違いなく足下に当たる。それだけは防がなければならない。彼の操縦に応えてヴォイドは全速で前進した。それと同時に左腕を胸の辺りまで持ち上げ、レーザーシールドを発生させる。
 イィンッ!
 ガラスを爪で引っ掻いたような甲高い音が、夜の森に響き渡る。敵の砲弾はシールドによって拡散され、消え去ったようである。アクセルは心の中でほっと息を吐いた。彼は、あえて前に進むことで砲弾の命中位置を変え、シールドでそれを防いだのだ。口で言うのは簡単だが、実行するにはちょっとした技術と……そして大変な度胸が必要だった。
 なるほどな。アクセルは自分たちが撤退せざるを得なくなったことに、今更ながら納得した。これほど正確に射撃や回避をこなす敵は、未だかつて見たことがない。それも相手の弱点をついた完璧な攻撃である。ヴァルゴとウェインの二人だけでは明らかに分が悪い。
 しかし、四対一で戦える今なら!
「スモーク! お前の出番だ!
 いくら奴が素早くても、ミサイルはかわせないはずだ!」
 
「上等ォ!」
 スモークは取り憑かれたようにモニターを凝視していた。他の連中が攻撃している間に、ロックオンは終了している。全部で20発ほどのミサイルが連続発射されるのだ。直撃すればどんな相手でも木っ端微塵である。
 彼の指先がトリガーに触れた。長い舌で唇を舐める。
「消し飛びなッ! この紅野郎ッ!!」
 ドシュッ!
 闇を震わせ、追尾ミサイルがポッドを飛び出していく!
 
 ピピーッ。
 機体内蔵のコンピューターが警告音を掻き鳴らす。ユイリェンはレーダーに目を遣った。左側から、ミサイルの一斉射撃。数はおよそ20。当たればタダでは済みそうもない。
 しかしユイリェンは全く慌てることなく、機体を左へ回転させる。迫り来るミサイルが生み出す雲が、白い糸のように絡まり合う。その姿がはっきりと見えた。とはいえ、追尾性能を持つミサイルを通常の方法でかわすことはできない。
 通常の方法では。
「ケンジの言っていた意味がわかったわ」
 ユイリェンの右手が動く。その挙動はそっくりそのままペンユウの右手へ伝わっていった。エナジーバズーカを構え、狙いを定める。目標は……
 飛来するミサイルそのもの。
 
 爆風が閃光とともに周囲の木々をなぎ倒す! スモークは信じられない光景に我が目を疑った。紅いACが撃った砲弾が、ミサイルを撃ち抜いたのである。当然ミサイルはその場で爆発を起こし、それに巻き込まれた他のものも誘爆をはじめる。
 結果は――LOST。全弾消失。目標への損害なし。
「嘘だろ……おい」
 FCSはあらかじめ設定された目標にしか反応しない。それは、余計な物体に対してロックオンするのを防ぐためである。裏を返せば、突然現れる弾丸やミサイルはロックの対象にならないのだ。
 それを撃ち抜いたということは、目視でミサイルの位置を確認し、手動で標準を合わせたということになる。そんなことが果たしてできるものなのか?
 考える暇は、彼にはなかった。彼の思考はほんの刹那の間だけのものだったのだが、それでも十分だったのだ。
 紅いACが彼に向かって砲弾を放つには。
 
 ゴガウンッ!
「スモーク!」
 ヴァルゴの悲痛な叫びがコックピットに響き渡った。
 口火を切ったアクセルのグレネードから、まだ10秒も経っていない。10秒すらたっていないのだ。それなのに、スモークは!
 モニターには、コアと脚部のつなぎ目を撃ち抜かれ、動けなくなったバニーホイッスルの姿が大映しになっていた。幸いコアは無傷なようだから、死んではいないだろうが……あの状態ではシステムエラーが激しすぎて、繊細な追尾ミサイルなど撃つことはできないだろう。実質、彼はもう戦力外。死んだも同然である。
「殺してやるッ!」
 ヴァルゴは思いっきりペダルを踏みつけた。ハミングバードの黒く塗られたボディが木々の合間から飛び出す。もう、隠れてちまちま攻撃しているような余裕はない。自分の得意な戦術で正面から戦わなければ勝ち目はない!
 彼女の得意な戦術。ハミングバードの左腕から、光の刃が生まれ出た。レーザーブレードである。
 
「!」
 彼、アクセル・Dは驚きを隠せなかった。スモークが一瞬で倒された。それもあるが、何より驚愕すべきなのはヴァルゴの行動である。レーザーブレードを発生させ、隠れ場所から飛び出す。それはつまり、彼女が本気を出したという証拠なのである。
 しかしあの紅いAC相手に、どこまで通用するか。
 ――いや、考えている暇などなさそうだ。
 アクセルはモニターの隅に映っている青い機影を見つけた。ウェインのワームウッド。戦闘の展開の速さに付いていけず、ただおろおろしているだけである。
「何をしている! ヴァルゴの援護にまわれ!」
 
 びくんっ。
 ウェインの肩が震えた。アクセルの怒鳴り声が、ようやく彼を正気に戻してくれたのだ。そうだ、怖がってちゃいけない。今は生きて帰ることを考えなければ。
 ワームウッドがブースターを噴かし、空中へ舞い上がった。そのまま腕のマシンガンを連射する。しかし紅いACは、彼のことなど気にも留めていないようだった。無造作に機体をずらし、全弾をあっさり回避する。
 これでいいのだ。要は、ハミングバードが接近するまで足止めできればいいのである。
 ――と。
 ウェインはふと、自分の機体がレッドウッドの森の上まで飛び上がっていたことに気付いた。見渡す限り広がる森。そして視界の隅に映るのは――森を切り裂く、深い断層。
 ……そうだ!
 思い立ったが吉日、彼はすぐさま通信を開いた。
「アクセル!」
 
「私は、本当に敵に回したくないガキみたいね」
 ケンジが言った言葉を思い出し、ユイリェンは一人ごちた。さっきは無人MT3機だったが、今度は有人のAC4機が相手である。そして一機はすでに片づけた。もちろん、エリィとの約束通り殺してはいない。こいつらには聞きたいことが山ほどあるのだ。襲撃の理由、襲撃の首謀者、ACの入手ルート。
 全く、戦えば戦うほどに自分が「敵に回したくないガキ」なんだということが痛切に実感できた。
 今目の前に飛び出してきた人間型二足ACも、そう思っているのだろう。ACの左腕からはまっすぐなレーザーブレードが伸びている。斬り合いを得意とするACパイロットは多いと聞く。きっと敵もその類なのだろう。
 敵機は隙のない動きで間合いを詰め、左腕を振るった。なるほど、動きも速いし回避しにくい角度で狙ってくる。しかし――
 ヴンッ。
 虫の羽音のような音とともに、ペンユウの左腕に光が灯った。レーザーシールドを発生させ、機体をかすりかけたブレードをはじき返す。敵機は軽量化されたタイプである。機動性はともかく装甲と安定性に劣る。弾かれた衝撃で、敵機は数歩たたらを踏んだ。
「詰めが甘いわ」
 息吐く暇も与えず、ペンユウのエナジーバズーカが火を噴く。敵機はすんでのところで飛び退き、砲弾をかわしきった。なるほど、さすがにこの程度はかわせるか。ユイリェンはテストの結果に満足した。
 ――と。
 ユイリェンはここにきて初めて気付いた。どうも攻撃してこないと思ったら、残りの二機が森へと逃げ込んでいる。レーダーの光点が少しずつ中央から遠ざかっていく。仲間を見捨てて逃走とは、随分な心意気である。
 目の前の軽量二足もそのことに気付いたのだろう。慌ててきびすを返し、森の中へ飛び込んでいった。ユイリェンはふっと溜息をついた。逃がしはしない。
 紅い巨人もまた、彼らの後を追って木々の隙間に潜り込んだ。
 
「……来たか」
 アクセルはレーダーを見ながら呟いた。三つある光点のうち、一番近いのはウェインのワームウッド。少し遅れて付いてくるのがヴァルゴのハミングバード。そして最後尾を猛スピードで追ってくるのが、敵の紅いACである。
 作戦は、全員に通達済みである。もとはウェインの思いつきだが……あの小僧、技術はないが発想はなかなかのものだ。自らそれを実行しようとする意気もよい。
 どう考えても長生きできないタイプではあったが。
「ウェイン、ヴァルゴ、そろそろ目標地点に到着する。はじめるぞ」
『了解っ!』
『……了解』
 
 さすがに、過加速走行で森を抜けるのは無理だ。ACの腰の位置に付いた通常ブースターを巧みに操り、できるだけ速く、しかも正確に木々の合間をくぐっていく。ユイリェンの目はすでに敵影を捉えていた。あの姿はキャタピラタイプのACである。遅れていたはずの軽量二足は、そのスピードのおかげか、すでにキャタピラタイプを追い越してしまっていた。
 気になるのは四足。レーダーには映っているが、少し距離が離れている。逃げる方向も分からないほど馬鹿なのか、あるいは何か企んでいるのか。いずれにせよ、どんなイレギュラーにも対応する自信はあった。
 それに、確かこの方向は崖になっていたはずである。敵は逃げるつもりが逆に追いつめられているのだ。
 ……と。
 ドシュッ!
 遠くで響く軽い音。これは……おそらくグレネードの発射音! ユイリェンはペダルを軽く踏んだ。機体を少しだけ横にずらし、遠距離から飛来した榴弾を避ける。弾速が遅い榴弾など、この距離で撃って当たるものではない。
 とはいえ、撃ってきたということは相手も覚悟を決めたということ。丁度いい。一気に追いつめて、片をつける。ユイリェンは力強くペダルを踏みしめた。さっきとは較べ物にならないほどの炎が吹き出し、機体を一気に加速する。
 このスピードなら、接触まで5秒。ペンユウが右手のエナジーバズーカを構えた。狙いはもちろんキャタピラタイプ。FCSが目標をロックする。ユイリェンの指先がトリガーの上に乗った。
 ――撃つ!
 
 アクセルの額を、つうっと汗が伝い落ちた。紅いACは勝負を決めようと、とんでもないスピードで突っ込んでくる。加えてこちらは停止状態。後ろには崖。接触まではあと5秒。タイミングを見誤れば全てはおしゃかである。
 4。まだ早い。3。アクセルはスイッチを操作した。2。微かな音が聞こえる。1。操縦桿を右に倒す。
 
 同時だった。
 エナジーバズーカの砲弾が撃ち出されたのと、黒いキャタピラACが過加速走行をはじめたのが。
 
 鈍重なキャタピラACとは思えないスピードで、敵機は左にスライドした。砲弾は虚しく空を灼き切る。はずしたか。今のはみえみえの攻撃だったから、回避されることも予想の範囲内である。
 ただ問題があるとすれば、ペンユウを加速しすぎたということだった。このままでは崖から飛び出してしまう。それなら。ユイリェンは神経を研ぎ澄ました。いっそのこと、空中戦に持ち込む。
 ペンユウはそのまま森を突き抜け、崖へと飛び出した。すぐさま背後のブースターで機体を安定させる。ACは短時間であれば飛行が可能なのだ。たとえ下が100m以上の高さの崖であろうと、大して問題は――
「!?」
 
「おおおおおっ!!」
 ウェインが雄叫びを上げる。愛機のブースターを噴かし、真っ逆様に落下する!
 真下にいる紅いACに向かって!
 これが彼の立てた作戦だったのだ。敵を崖までおびき寄せ、空中戦に持ち込ませる。そして待機していたワームウッドが――
 
 自分もろとも私を叩き落とす!?
 ガゴンッ!!
 ユイリェンが気付いたときにはもう遅い。ブースターまで使って急速落下してきた青い四足ACが、ペンユウと激しく衝突する! 二機はそのままもみ合って落下をはじめた。
 彼女の顔から血の気が退いた。慌ててペダルを踏み込み、ブースターを最大出力で働かせる。しかし――勢いを殺しきれない!
「きゃあああああああッ!!」
 
 ズ……ン……
 100mの崖下から、重い音が響いてきた。どうやら作戦は成功したようである。
 崖の上で佇む二機のAC。黒いキャタピラタイプ――ヴォイドと、同じ色の軽量二足、ハミングバードである。空がうっすらと白みはじめ、そのシルエットを映し出した。
『どうするんだい』
 ヴァルゴの声が、重くアクセルにのしかかった。任務は失敗、スモークはおそらく回収している暇はない。ウェインは生死すら定かではない。唯一の救いといえば、鬼のような強さを持つパイロットを一人、葬ったということだった。
 彼の心はもう決まっていた。
「見捨てる」
 一番優先すべきなのは、自分が生き残るということである。自分から進んで犠牲になろうとする者は、決して長生きなどできない。そう、丁度今のウェインのように。
 しばらく沈黙してから、ヴァルゴは口を開いた。
『そう言うと思ったよ』
 
 
 ブシューッ。
 紅く塗装された装甲板が、空気を噴出しながら開けていく。崖下に落下したペンユウのコックピットが開いたのだ。ユイリェンは呻きながら、棺桶のような操縦席から這いだした。そのまま、寝転がっているペンユウの上に座り込む。
 上を見上げる。一体この崖がどれほど深かったのか、彼女には想像もつかなかった。だいたい100mくらいだとは思うが、もっと長かったようにも感じた。自分が生きているのが不思議なくらいである。
 もしペンユウのブースターの出力が、あの青いACのものより弱かったら……おそらく、もう彼女は神様の元へ召されていただろう。
 そうだ。あの青い奴。
 ユイリェンははっと思いついて、周囲を見回した。ペンユウのすぐ隣に、スクラップのように転がる青い山。間違いない。あの四足ACである。決して腕がいいようには見えなかったが、自分ごと崖に落とすとは予想外だった。
 ……そのとき。
 がたんっ!
 ユイリェンは弾かれたかのように立ち上がり、コックピットから銃を取り出した。そうだ、自分が生きていたのだから敵のパイロットも生きていて不思議じゃない。あまり扱いなれない拳銃を構え、音がした辺りに狙いをつける。
 がたんっ。
 もう一度音がして、青いACの上に覆い被さっていた岩が転がり落ちた。その下敷きになっていたのは……コックピットのハッチである。やはり、パイロットが外に出ようとしているのだ。
 がぱんと音を立て、ハッチが開いた。ユイリェンが眉をひそめる。中から出てきたのは、まだ若い、赤毛の男だった。その男はふとこっちに目を遣ると、おずおずと両手を上げた。
「う……撃たないでくれよ」
「撃たないわ。あなたが動かなければ」
 動かなければ、と念を押したにもかかわらず、赤毛の男はコックピットから這いだし、自分の機体の上に座り込んだ。憔悴しきった様子である。どうやら、抵抗する気力はなさそうだった。
「しっかしおどろいたなー、まさかこんな女の子がパイロットだったなんて……俺より年下じゃんか」
「ACを操縦するのに、男も女も、ついでに歳も関係ないわ」
 男の口調は軽く、ユイリェンの神経をいらだたせるのに十分だった。彼女はこういう男が嫌いなのだ。実際がどうであれ、見た目に何も考えていなさそうな男が。
「あなた、誰?」
「俺? 俺は、ウェイン・ルーベック。しがないレイヴンさ」
「レイヴン?」
 ぴくりとユイリェンの眉が動いた。レイヴン。ユイリェンが軽蔑している職業の一つである。ACを使って実戦さながらの戦闘を繰り広げ、その様子を見世物や賭のネタにする。アリーナと呼ばれる興業の、選手に与えられる称号だった。
 もっとも、昔はACを操る傭兵を指す言葉だったらしい。それが今となっては、傭兵稼業などという仕事をするレイヴンは誰一人いない――いや、こいつがそうなのだろう。話に伝え聞いていても、実際に見るのは初めてである。
「そ、レイヴン。俺達は、何者にも与しない自由な傭兵なのさ」
 ――自由。
 ユイリェンの心に何か引っ掛かるものがあった。一体なんだろう。自由という言葉が、妙に気になる。なんだか恋しいような気がする。私は自由なはずなのに。自分の意志で仕事をして、自分の意志で生きている。そのはずなのに。
 ……いや、違う。私は生かされているんだ。非常勤のテストパイロットなんて職は、誰にでもできることなのだ。私を使ってくれる理由――それは、エリィおばあちゃんが会社にとって重要な人物だったから。エリィおばあちゃんに育てられた私を、義理で面倒見ているだけ。ただそれだけのことなんだ。
 男は――ウェインは、そんなユイリェンの心情など知る由もなかった。突然ぽんと手を打って、早口でまくしたてる。
「そうだ! いいこと思いついたぜ!」
 ウェインはよっと気合いを入れながら立ち上がった。ユイリェンの表情が厳しくなる。誰が立っていいと言った。そんな風な顔つきである。しかし彼は臆することなく口を開いた。
「君、レイヴンになれよ。俺達のチームに入るんだ!」
 あんまりといえばあんまりな発言に、ユイリェンは目を丸くした。馬鹿馬鹿しくなって銃を下に降ろす。一体どこの襲撃者が、追撃者を仲間に引き込もうとするというのか……まったくもって、信じられない心理だった。
「あなた……何を言ってるの?」
「大丈夫、心配ないって。君みたいな腕前なら誰も文句言わないよ。
 それに、うちのチームの――あ、『トランプル』っていうんだけどね、入団条件はもう満たしてるじゃないか」
「……条件?」
「ああ。チームのメンバーに勝つこと。そしたら誰でもトランプルに入れるんだ」
 確かに、ユイリェンは襲撃者の一人を――スモークを倒している。入団資格はありそうだった。しかし、昨日今日に命のやりとりをしたような相手を、素直に仲間に入れる馬鹿がどこにいる。それに何より、ユイリェンにその気は――
 その気は、ない?
 本当にない?
「私――」
 わからなかった。ただ、なんとなく……なんとなくではあるのだが……
 レイヴンになりたい。そんな気がする。
「私……レイヴンになりたい」
 気が付いたら、口から言葉が滑り出ていた。驚いたウェインが目を見張る。おそらく誘っている本人も予想していなかったのだろう。こんな答えが返ってくるなど。
 しばらく呆気にとられていたが、ウェインはにっこりと微笑んで、そして言った。
「じゃ決まりだ。君――あ、えっと……」
 ウェインが言葉に詰まる。名前か。ユイリェンは彼が問おうとしていることを見抜き、質問より先に答えを返した。冷たく澄んだ、雪解け水の奔流のような声だった。
「私は――ユイリェン。
 ユイリェン・タオ・スギヤマ――」
 
System Gabriale's File No.333.
E.Y.209,Sep 29,A.M.4:48.
Intruders are drove back by the Garrison of Kobayashi Corporation. And we catched one of the intruders. He will be questioned tomorrow. But the rest of them haven't been found yet. Yulian and Pengyou have't, either.
Yulian, where are you? Heaven? I won't think so. I believe that you exist. So Yulian, please come back. Please....

Hop into the Next!