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2015年05月27日

 ■ 「悪魔の黒い爪」

お題:ドイツ式のわずらい 必須要素:つけ麺 制限時間:30分

「悪魔の黒い爪」


「あんた、思いつめたこと、あるかい」
 トニク・張・バナードは、そう言ってケイシイに詰め寄り、
「というのはつまり、このためなら全てを捨ててもいいって具合にさ」
 ケイシイは哀しげに目を伏せた。彼女は医者であったが、ただの患者として以上にトニクには思いいれていた。小鳥のような看護士たちのさえずりによれば、それは職分を逸脱した情欲に過ぎないのだというが、医者が性欲を持つことのどこがいけないというのだろう? 性欲と言って悪ければ、たとえば、愛のようなものを。
「張・バナード」
「ふたりきりならトニイと呼ぶ約束だぜ、ダーリン」
「医者である私が言うんだよ。これは危ないものなの」
「そして最高に良質なものでもある」
「“悪魔の黒い爪”、知ってる?」
 トニクはかぶりを振った。彼の情熱的な無精ひげが、目の前で左右に踊る。
「麦角アルカロイド。イネ科の種子に寄生する菌に含まれるもので、摂取すれば血管は収縮し、手足が黒く壊死し、精神錯乱を――」
「精神錯乱! 神よ来たれ!」
「話を聞け! LSDはおもちゃじゃないんだ。あなたがあのくだらない前衛芸術を完成させるためにこんな悪魔の力を借りようというなら――」
「くだらない? そういったか?」
 フフン、と面白がるような笑い声が聞こえたかとおもうと、脳天に熱い衝撃が突き抜けた。人間の拳がどれほど固く重くなれるかを、ケイシイは身をもって知ったのだ。一方のトニクは青ざめている。恋人に暴力を振るう男はいつもそう。殴って、一瞬にして後悔して、次には適切な言い訳を探り出す。俺は悪くない、この女が悪いから仕方なかったんだ、と。
「あれは俺のすべてなんだよ、ケイシイ。一見、廃材のかたまりのようかもしれないが。ロボットは夢なんだ、ケイシイ。腕があって、脚があって、ヒーローそのものを思わせる形をして、そして戦って悪い奴をやっつけるのさ。それは、社会に立ち向かう術を持たない子供たちの英雄、彼らに与えられた大いなる剣にして翼……」
「ねえトニイ。前に駅前のヌードルを食べたよね」
「ああ。うまかった」
「あんなふうには戻れないの。トニイ」
 彼は無言で立ち尽くし、しばらくして、腕を伸ばした。

 LSDでラリッた勢いで彼は前衛芸術を完成させたのだろうか。その先のことは、彼女は知らない。

THE END.

投稿者 darkcrow : 2015年05月27日 00:41

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