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2015年01月25日

 ■ 「フラット・ライン」

「フラット・ライン」

 石油ファンヒータの立てる乾いた送風音を聞きながら、ぼくはトーストにかじりついた。バターもジャムもない、ハムも目玉焼きもない、ただカリカリになるまで焼いただけの4枚切り。朝の5分には夜の数時間分の価値がある。余計なことをする間が惜しい。食事と並行して、ぼくの視線はニュースの画面を追う。
 トーストがさくりと鳴る。渦巻くように暖色が流れ、きれいな女性アナの声が「今日のうらない」と囁く。
 てんびん座は恋愛☆、仕事☆☆、金運☆☆。悪くもないが、ぱっともしない。
 なんだかここ数年、毎日ずっとこんなうらないが続いている気がする。そんなわけはないのに。文句なしのオール☆☆☆が出た日だってあるはずなのに。
 ファンヒータだけがずっと喘ぎ続けている。それ以外は徹底して無音のワンルーム。
 暖房を消せば、もう自分の吐息しか聞こえない。
 ぼくはやくたいもないテレビを消した。
 どうせBGM代わりにもなりはしないのだ。

 音楽が全世界的に禁止されて、もう15年になる。
 ぼくが子供のころは、まだiPodもCDも合法だったし、テレビでは1秒たりとも途切れることなく音楽が流れ続けていたものだ。しかし、精力的に活動していたロビイストたちの主張は全面的に受け入れられた。非科学的だという批判を跳ね除け、音楽は犯罪を助長するものに「なった」。国連主導による音楽禁止条約は100カ国以上が批准し、日本も欧米諸国からの圧力によって、ついに社会から音楽を放逐するに至った。
 確かに、下品なものが消えさって、街はきれいになったのだ。
 犯罪も、たぶん減ったに違いない。
 ぼくは駅に走り、電車に乗る。職場まで15分。
 モーター音。レールの継ぎ目で車輪が跳ねる。けたたましいブレーキ、流れ続ける風。
 みんな、SNSに夢中になっているか、本を読むかしている。イヤ・フォン。そんな卑猥なものもあったっけ。昔の人は、あれを平然とひとまえでつけていたらしいが。
 ぼくはただ、じっとつり革につかまり、時が過ぎるのを待つ。

 職場についたってそれは変わらない。
 なるべく上司と目をあわさないように気をつけ、職場がなにかで盛り上がっているときには、輪の中に入っていなくてもばれないように気をつけ、無理をして体を壊さないようにだけ気をつけ。
 ぼくはただ、じっと仕事にしがみつき、時が過ぎるのを待つ。
 湯が湧いたと、ポットのアラームが告げる。
 誰かがコーヒーを淹れてくれる。要る人、と聞かれたので、ほかのやつらにまぎれて手を挙げる。
 湯を注ぐ音。
 安っぽいピンク色のマドラが、プラスティック被服のカップを叩く小気味よさ。
 コーヒーを淹れてくれたのは50前の先輩だった。髭も剃らずににたりと笑っている。彼も昔は女にもてたという。駅前でギターを弾いていたら、いくらでも女子高生が寄ってきたんだと。いちど酒飲み話にそんな卑猥な話をしていた。他の誰かがびっくりして止めていた。

 いったいぼくは、いつまで待っているつもりなんだ?
 命にすがりついて、ただ、それが果てるのを待つ。
 ただそれだけなのか。

 帰り道で、ぼくは唐突に気づいた。
 電車が遠くで啼いている。
 鳥の羽ばたき。
 コドモの声。
 車が何台も唸り。
 鍋のぐつぐついうどこかの家庭。
 全てが、混沌とひとつになって。
「きれいだ」
 ぼくのこえは歌になった。この世の中の、くそったれな全てとまぜこぜになって。

THE END.


お題:混沌の音楽 必須要素:ニュース 制限時間:30分

投稿者 darkcrow : 2015年01月25日 00:32

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