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2014年05月29日

 ■ 『ラベリング』

※この作品は「書き出し.me」で執筆しました。


『ラベリング』

「ねぇ、話聞いてる?」
 と、ぼくを睨む彼女のことが最近どうも不可解だ。
 彼女のいうところの“話”とやらを、ぼくは何度となく聞いた。話題は尽きることがなかった。大学のこと、バイトのこと、家庭のこと。汲めど尽きぬ井戸のように、彼女の喉からは無尽蔵のことばがほとばしり出た。だが小一時間も聞き尽くした挙句、ぼくはいつも首をひねる。それで、つまり、何が言いたかったんだ?
 そう尋ねると彼女は怒る。なぜ怒られるのか分からない。彼女自身でもなぜ怒ってるのか分かっていない。
 時には悩み事を相談されることもあった。ぼくは足りない頭で解決策を練り、提案した。
 すると彼女は怒る。これは全く不可解だ。相談されたから答えたんだよ。そういうと、彼女は繰り返し主張するのだ。そうじゃない。そうじゃないの。
 一体、何が「そうじゃない」というのか――
 いくつかの経験を経て、ぼくは彼女の“話”への対処法を身につけた。つまり、うなずきながら、ただ聞くのだ。彼女の話を、ではない。彼女の声を、だ。
 これでずいぶん、ぼくと彼女の仲はうまくいくようになった。
 勘違いして欲しくないが、彼女はすばらしい女性だ。思いやりがあって、ぼくにとても親切にしてくれる。あばら骨が少し浮いて見えるような細い体つきは完全にぼくの好みと言えたし、ぼくがしばらくうなずいているだけで彼女が気持ちよくなってくれるなら、少々の面倒など大した問題ではない。それに、彼女は口が性欲と結びついているらしく、喋れば喋るほどすてきな気持ちになっていくようでもあるし――
「ねぇ、聞いてるの?」
 再び彼女が問う。今度は心配そうに眉をひそめて、だ。ぼくは微笑んで、彼女の髪を撫でた。
「ごめん。きみに見とれていたんだよ」
「そういう話じゃないのに!」
 彼女は怒って、ぼくをぽかりと叩いた。ぼくは笑った。とても愉快な気分だったのだ。

「女というのは、元来そうしたものだ」
 ぼくは隣の部屋の老人と仲がいい。ときおり彼のところにお邪魔して、お茶などすすりながら話を聞く。ぼくは若く彼は老いているが、ぼくは彼を尊敬しており、彼もぼくに一目置いている。趣味が合うのだ。ぼくらの趣味は“イレヴン”と呼ばれるゲームで、彼はかなり手堅い打ち手なのだ。
「やつらに知性を期待するのがそもそもの誤りだ」
「そうかな」
「やつらが“話を聞いてくれ”というとき、それはこういう意味なのだ。“今からその日あった出来事をあまさず喋るので、口を挟まず、意見も言わず、ただ私に興味を持っているということだけ感じさせてくれ”」
 そう言われれば、なるほどと思うところもある。
「つまり、話を聞いてほしいわけじゃないんだ。気にしてほしいんだ」
「そう。論理ではない。感じだ。問題の解決ではない。接触だ」
「それが女ってものなんだ」
「そうとも。世の中の女は、みんな、な。くだらない生き物さ。おろかな生き物さ。だが許してやれ。ばかも女の魅力。全て承知でかわいがってやるのが男というものさ」

 ぼくは部屋に帰り、ベッドに転がり、上機嫌に彼女の再来を待った。
 彼女は不定期にやってくる。それが最近では、いちばんの楽しみなのだ。
 一体次は、いつやってくるんだろう。


「どうだった?」
 と、男が女に尋ねる。女は沈痛な面持ちで首を横に振った。
「改善の兆しは見えません。むしろ悪化しているようです」
 彼女が一瞥する先には、いくつかのカプセル型ベッドが並んでいる。その一つ一つには強化樹脂製の小窓が供えられていて、中に人間が一人ずつ横たわっているのである。一人は青年。一人は老人。他にもたくさんの人々が。彼らはみな、さまざまな理由で知能に問題を抱えている。その中でも特に言語能力、コミュニケーション能力に大きな欠落がある人間が、ここに集められている。つまりここは一種の病院であり、この女性は彼らの担当医というわけだった。
 彼女の治療法は全く斬新だ。患者の脳神経を仮想空間に直結し、特別に組まれた人格プログラムとの対話によって言語能力を育成する。
 しかしそれも、思うようにはいかないようだった。
「以前はこちらの呼びかけに対して、熱心な応答がありました。的は外れていましたが……しかしここ3日間の試行では完全に上の空で、話を聞いているふりだけをしています」
「対話をあきらめたというのか」
「どうも極度な一般化(オーヴァ・ジェネラリゼイション)を行っているようで、つまり――」
「レッテル貼り(ラベリング)」
「はい。“対話は不可能だ”というように認知を歪ませ、それ以上の思考を放棄してしまったのです」
「対処法はあるのか?」
「一度こうなってしまったら、時間をかけて正しい認知を作るしか」
「――退院は当分先だな。寿命が尽きる前に、外の世界を見せてやりたいが」
 男はため息をついた。女を伴い、部屋を出て行く。真っ暗になった部屋の奥で青いダイオードだけが時折点滅し――コンピュータは動いていると、静かに主張しつづけていた。


THE END.

投稿者 darkcrow : 2014年05月29日 22:24

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