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2013年08月17日

 ■ 「ぼくのフィルム・ケース」

お題:セクシーな映画館 必須要素:マクガフィン 制限時間:1時間

「ぼくのフィルム・ケース」


 世界の何処にも居場所がない――そんな気分になったとき、ポルノ映画館の階段を下りてしまうのはよくあることだ。薄汚れたせまっ苦しい急階段は、左右をうんざりするような品のないポスターに挟まれて、まるで肉と肉の間に押し潰されるようだ。と、ぼくはメンソールに火を付ける。すうっと脳に染み入ってくる冷たい感触が、そんなのはどうでもいいことなんだとぼくに教えてくれる。
 辿り着いた劇場はまるで巨獣の腹の中のよう。ぼくの他に客は3人しかおらず、チカチカと明滅する質の悪いスクリーンでは、ポスターほど美人とは言えない女優が、がんばって汗を掻いている。押し殺した喘ぎ声と、幻滅もののBGMが、ひどく音割れのするスピーカーでがなり立てられていた。
 ぼくは、スクリーンを眺めながら席についた。
 ぼくは一体何処にいるんだろう。
 ここではなかったことは確かだ。少なくとも居心地のいい場所じゃなかったのも確か。ところが具体的に何がどう問題だったのか、ぼくにはとんと思い出せない。メンソールが脳を蝕み、全部忘れさせてくれたのだろうか。それはそれは心地の良いことだけど、でも――
 ふと気付いたとき、ぼくの隣にひとりの紳士が座っていた。黒い高そうなシルクのスーツに、深々とかぶったつばつきの帽子。どうみても、こんな府内随一怪しい映画館に来るようなお立場の人とは見えなかった。紳士はぼくと目があって、丁寧に会釈をくれた。思わずぼくは見様見真似で頭を下げた。
「これを」
 紳士が他の誰にも聞こえないような、低く、耳心地の良い声で囁き、ぼくに丸い金属のケースを手渡した。それはちょうど、フリスビーくらいの大きさの円盤で、側面には螺旋の切り込みが入っており、捻ればフタが開く構造のようだった。
「なんです」
 と、ぼくはがらにもなく丁重だ。
「届けてくれ。S市の、JR・S駅ビルに、汚いゲームセンターがある。50円で2回遊べる古いゲーム台のどれかに、彼女は座っているはずだ」
「一体なんなんです」
「いいんだ。本当に、なんでもないんだよ」
「分かりましたけど、ぼくにどうしろというんです」
「そう、その通りだ。
 まず、フタを下にして置いてはいけない。次に、中身を見てはいけない。最後に、彼女以外の誰にも渡してはいけない」
 そろそろぼくは腹が立ってきて、その丸いケースを手に持ったまま席を立った。その途端だ。ぼく以外に劇場に座っていた3人の客が、獲物を狙う豹のような動きで立ち上がったのだ。彼らはじっとぼくを、というより手の内の丸いケースを、物欲しそうに見つめている。彼らが一斉にジャケットの内側に手を入れた。うそだろ、とぼくが思うより早く、やつらは想像通りのものを取り出して、ぶっ放した。
 銃だ。
 ぼくはわめきながら飛び上がり、けっつまづき、ぶっ倒れ、金属ケースが手を離れて放物線を描いた。甲高い音を劇場中に響かせて、金属ケースがPタイルの床に転がる。転がって、壁にぶつかり、斜めになって、クルクルと回りながら倒れていく。その様子を目の当たりにして、ぼくの胸にぞわりと嫌な感触が走った。
 ――フタを下にして置いてはいけない。
 ぼくは走る。フタを床につけかけていたケースを、ぼくはふんだくるように掴み挙げた。と、再びの銃声が頭上を駆けめぐる。なかば転がりながら、ぼくは劇場の出口に飛び込み、あの狭い階段を息を切らせて駆け上る。
 映画館の前は、車一台分の幅しかない狭い通りだ。いつのまにか日はとっぷりと暮れて、行き交う人もなく、ネオンのけばけばしい色彩のみが目に眩しい。背後から、ぼくを追って階段を駆け上ってくる音がした。焦って辺りを見回す。都合良く現れたタクシーのハイビームに、ぼくは目を眩まされながらも飛び上がりそうなほど嬉しくなる。
「タクシー! 止まって!」
 ほとんど体当たりする勢いでタクシーを止め、ぼくは後部座席に転がり込んだ。とにかく出して、と風変わりな要求をするぼくに従い、運転手はアクセルを踏む。ぼくはちらりと後ろの窓を見た。映画館はもう豆粒のように小さく、その前で茫然とこちらを見送る3人組の姿もやがてかすんで消えた。
 丸いケースを抱きしめて、ぼくはシートの上で、とろけそうなほど安心した。
 安心するや、常識的な好奇心が沸き上がってきた。いったいこのケースはなんだろう。届ける相手の“彼女”とは誰だろう。あの紳士はなぜぼくにこれを助けたんだろう。紳士は無事だろうか。あいつらに酷い目に遭わされていないだろうか――
「お客さん、どちらまで」
 運転手の訝しげな問いが、ぼくを現実に引き戻した。
「ええと、S駅前まで」
「私鉄? JR?」
「両方有るんだ? ……JR、だよ」
 たぶん、そうだったはずだ。
 ぼくは窓の外を飴のように融けて流れる景色を眺め、人差し指の腹でケースの縁をなぞった。その動きの未練がましいことといったらなかった。今、事情を知る誰かがぼくの姿を見ていたら、さぞかしでかでか「中身が見たい」と顔に書いてあったことだろう。しかし紳士に言われたことでもあるし、しっかり約束を交わしたわけではないけど、なし崩しにも引き受けてしまったことであるから……
「お客さん、なんなんです、それ」
 運転手がきさくに訊ねてきた。もちろん、ぼくが後生大事に抱えているケースのことだ。
「うん……」
「映画のフィルムじゃないですかね」
「へえ?」
 言われて、ぼくは改めてケースをまじまじと見つめた。確かに、昔マンガか何かでみた映画フィルムが、こんなケースに入っていたような気がする。といったって、何もかもデジタルデータで便利に済ませる昨今、フィルムテープなんてものが使われているのかどうか。
「そんな風にも見えるね」
「中身をご存知ないんで?」
「ああ」
「そりゃあいけない。良くないものが入っていたらどうします?」
 ぼくは沈黙した。確かに、そういう可能性もある。
「危ないものとかね」
 運転手は駄目を押した。
「人から預かったものなんだ」
「ならなおのこと、確認だけでもしといたほうがいいと思いますけどね……」
 運転手が囁く。
 ぼくは息を飲み、フィルムケースのフタを両手に握った。これを半回転もさせればいい。ただそれだけ。一瞬見て、すぐにしまえば、見たかどうかなんて分かるわけもない――
 車が、左に曲がった。
 ぼくは胸に溜め込んだ息を吐き、ケースから手を放した。にこりと運転手に微笑む。
「やめとくよ」
「左様で」
 その時、ぼくは異様なことに気が付いた。前の道路標識が目に入ったのだ。今、このタクシーは左に曲がったな? 曲がってどうするんだ。S市は、ここからまっすぐ北の方向にあるんだ!
「おい! どこへ行くんだ!」
「さあ?」
 にたりと運転手が笑う。
「あんたが中を見てくれればそれでよかったんだ。まあ心配するな、いずれつくさ。少なくとも、S市ではないどこかに、だが」
 ぼくはもう迷わなかった。迷わず車のドアを開け、フィルムケースを胸に抱えて外に飛び出した。転がりながら歩道に落ちたぼくは、奇跡的に擦り傷だけですんだことを感謝しながら、全速力で駆け出した。タクシーが強引にUターンして追ってくる。だが車は道のあるところしか走れまい。ぼくは高架道路脇の階段をかけおり、下の道を河のように流れる人の群れに飛び込んだ。そのまま人を掻き分け突き進んだ。
 思った通り、もう奴らは追ってはこない。人混みを嫌うらしい。
 ぼくは、覚悟を決めた。
 もう、誰にも頼れない。
 自分の足でいかなきゃ。誰だか知らない“彼女”の元へ。

 ぼくは走った。
 一晩中。あるいは、何年も。走り続けて、ようやくぼくは辿り着いた。
 ゲームセンターの明滅する画面の前に、彼女はじっと座っていた。
「待っていたの。あなたを」
 ぼくからケースを受けとると、彼女はそれを投げ捨てる。
「待っていたのよ。あなたを」

投稿者 darkcrow : 2013年08月17日 23:20

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