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2013年05月31日

 ■ 「たかしくんとふたり」

「うぇいっ」
 と言いながら私が尻を蹴っ飛ばすと、奴は「みきゃっ」などと情けなかわいい悲鳴をあげて飛び上がった。
 私は彼の醜態を見てケラケラ笑う。彼は尻を押さえながら、不服そうな目で私を睨んでいるのだ。昼休みの教室の、戦争のごとき喧騒の中にあっては、私達のやりとりは埋没するほど小さなコミュニケーションだ。だが私は大いなる満足感を得て、偉そうに胸を張る。
「算数おしえて」
「やだ」
 彼が短く拒絶した。
「なんで」
 なんでもないもんだが、私は心底意外そうに問う。
「蹴るからやだ」
「もう蹴らないから」
「ほんと?」
「うそ」
 彼は私に背を向けた。私は慌てて彼の腕を引っつかむ。
「ほんとほんと」
「もういいよ。何?」
「何?」
「問題」
「たかしくん」
「またかよ」
「が、家から学校にむかって出発しました。その10分後にお兄さんがたかしくんを追いかけて家を出発し、たかしくんが家を出てから30分後にたかしくんに追いつきました」
「ふんふん」
「お兄さんは、たかしくんを追い抜いて学校についたところで」
「一緒に行けよ」
「仲悪い兄弟なのよ」
「算数より仲直りの方法を考えた方がいいと思う。人生のために」
「ところが当人たちはそう思いながらもなかなか素直になれずにいたのでした」
「そうかもしれないなあ」
「学校についたところで、忘れ物に気付いて引き返しました」
「えっ」
「引き返しました」
「家まで?」
「そりゃもう」
「よくやるよ。片道何分か知らないけど」
「忘れてはならないものを忘れてしまったのよ」
「例えば?」
「遠い日の思い出……」
「あの日見たゆうやけ……」
「人を愛するこころ……」
「かつてもっていたはずの熱い気持ち……」
「色あせたアルバムの」
「もういいよ」
「お兄さんは、ひきかえし始めてから2分後にたかしくんと出会いました。家から学校までの距離が1440mであるとき、たかしくんの速さを求めなさい」
「分速40m」
「はっや!?」
「遅いよ。時速2.4キロ」
「いや答えが」
「バカ話してる間に計算してた」
「ふーん?」
「もういい?」
「なにが?」
「し、つ、も、ん」
「んー」
「まだあるの?」
「ないけど……」
「じゃあね」
「ある」
 彼は溜息を吐いた。
「はい。なに」
「えーっ……」
「なにって言われてから探すなよ! ないんだろ?」
「なくてもいーじゃん」
「何が」
「いろよ」
「はあ?」
「ああ、んじゃあ、おべんとうもう食べた?」
「とっくに」
「じゃあ自動販売機いこうよ」
「なんで」
「ジュースのみたい」
「のめばいいだろ」
「のみたくない?」
「のみたくなくはないけど、110円もったいない」
「けち」
「貯めてカードかうんだよ」
「ナルトの?」
「ナルトの」
「じゃ半分あげる。ジュース」
「え?」
「いこ」
「いく」
 校舎の3階には休憩室があって、そこにはジュースとパンの自販機が設置されていた。私達はつれだってエアコンの効かない休憩室に乗り込み、私の好きななっちゃんオレンジをパンチする。同時にふたつボタン押したら二つでてこないだろうか? そう思って彼と力を合わせてやってみた。なっちゃんオレンジは、一つだけ転がり出た。
 私がまず、一口飲んで。
 彼に渡すと、彼は少し躊躇った。
「ね」
「ん?」
「それ飲んだら、かわりに」
「なに要求すんの」
「一生私に算数教える刑ね」
 彼は飲んだ。
「いいの?」
「いいよ」
 彼はぷいっと横を向く。
「どうせそのつもりだったんだ」

THE END.

お題:突然の終身刑 必須要素:《算数のたかし》 制限時間:30分

投稿者 darkcrow : 2013年05月31日 01:17

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