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2013年05月30日

 ■ 「女たちの最期」

 魚醤作りは女の仕事だというのは、昔っから決まっていることだ。
 晩冬になるとアンチョビの季節。大量に水揚げされた鰯を、女たちは大急ぎで漬け込む。これは時間との戦いである。のろのろしていては、鰯がどんどん傷んでいく。休む間もなく、村中の女が寄って集まって、一年分の魚醤を仕込んでいく――
 魚醤はこの国の料理には欠かせぬ調味料であった。上澄み液はまろやかな味わい。壺の底に溜まった残留物もまた珍味。水で薄めても、鍋で煮詰めても、それぞれに味わいが変わっていく。この国の郷土料理で、魚醤を使わぬレシピを出せと言うほうが難しいくらいだ。
 だが、今、女たちは牢獄にいる。
 吹きすさぶ潮風も、煮え立つような牢獄の熱気を和らげてはくれない。石灰石を積み上げた壁は、熱した鍋底のように焼け、立ち上る陽炎に視界が歪む。女たちはみな、思い思いに牢の中に散らばり、思い思いに死を待っている。眠るもの。笑うもの。乾きひび割れた唇をぽかんと開けているもの。だが泣いているものはひとりもなかった。もうたっぷりと、やりあきるほどやってしまったからだ。
「病気」
 笑う女が言った。
「熱情病。魚醤のせいって。鰯の頭がよくないって。ほんとう?」
 誰も答えない。答える必要も、答える方法も、彼女たちは持ち合わせていなかったのだ。
 熱情病は恐ろしい病気だが、それを病気と読んでよいものか? 罹患者はまず気が動転する。そしてあらゆる欲望が増幅される。増幅した欲望はこの上なく単純な形で発散されようとする――欲しければ盗み、憎ければ殺し、愛されたくば、すなわち。
 熱情病は、魚醤を食べることによって発症する――という噂が、ある日を境にして、一気に国中に広まった。
 鰯の頭に蓄積された毒物がよくないのだという。本当かどうかは、よくわからない。ともあれ、魚醤は頭も内臓もそのまま塩漬けにして作るものだから、仮説が本当であれば確かに魚醤が悪いのだということにはなろう。
 けしからん。魚醤に関わるものは恐ろしい病気を振りまく悪魔である。というので、魚醤の製造、所持が禁じられた。魚醤は全て没収された。魚醤を作る者は、片っ端から捕らえられ、大変迅速な裁判によって死罪を言い渡された。
 無論、夫たちは納得しなかった。言い掛かりだ、妻を帰せ、と軍に、役人に、食ってかかった。結果、水揚げされた鰯の如く、漁師の屍が累々と積み上がった――
 明日――明日だ。この苦しみも、明日終わる。
 私達のせいなのだろうか。全て私達が悪いのだろうか。
 女たちは悩む。ほんとうに自分たちが病気を振りまいてしまったのだとすれば、それは、大変に申し訳ないことであったから。
 でも同時に、自分たちにはほかに生き方などなかったとも、分かっていたから――

 女たちは死んだ。
 これにより、連綿と受け継がれてきた魚醤の製法は永久に失われ、一つの食文化が消滅することとなった。
 熱情病はあいかわらず発生している。
 そして魚醤の代わりに大量の塩を用いるようになったその国は、みんな塩の採りすぎで体を悪くし、数年後、国力を失って滅びた。

THE END.


お題:女同士の死刑囚 必須要素:醤油 制限時間:30分

投稿者 darkcrow : 2013年05月30日 01:40

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