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2013年04月19日

 ■ 「走る魔物」

走る魔物


 ずっと。
 ずっと、この醜い自分が嫌だった。
 彼は小さく歪んでいるのに、世界はこんなにも美しい。彼には全てが眩しすぎ、見える全てが恐怖であった。整然と敷き詰められた石畳の道。うねりながら上っていく悠然たる丘。空は暁色に染まり、飾り甲冑と鋼鉄の槍が堂々たる死の匂いを漂わせる。
 そして丘の頂、彼の目指す先には、高く掲げられた十字架と――
 そこに手のひらを、足を、打ち付けられた無垢なる少女。
 彼にはあまりに、眩しすぎる。
 丘のふもとにひれ伏して。いつものように縮こまって。彼は呻きながら、頭を抱えて眼を逸らす。
「見たまえ。あの情けない姿を」
 十字架の側に立ち、立派な顎髭を撫でながら、将軍は少女に囁いた。
「あのような賤しい魔物になにもできはしない。同情するよ。役にも立たない騎士(ナイト)など持って」
 そして将軍は、高らかに笑った。
 笑いが広がる、兵たちに。声が渦巻く、嘲りの。彼はその渦中にあって、唸る悪意に襲われて、必死に耳を塞いで身を守った。震えていた。泣いていた。怖い。怖い。世界は怖い。世界はみんなぼくを嘲る。ぼくを笑う。ぼくを怒る。ぼくを傷つける。
 外になんか出るんじゃなかった。話なんかするんじゃなかった。動くたび、試みるたびに、後悔は必ずやってきた。涙が止まらない。嗚咽が込み上げる。悪意、敵意、見くだす目、疑いの目。もうやめて。もうやめて……。こんな思いをするくらいなら……
 ――最初から、ここにいないほうがよかった?
 魔物は。
 骨、醜く歪み。
 肌、剛毛に覆われ。
 顔、無惨に爛れ。
 その他のあらゆるもの、潰れ、ひしゃげ。
 考え得る全ての醜さを詰め込んだ魔物は。
 顔を覆う手を、離した。
 ――でも、勇気を出して踏み出した。
 震えは――止まりは、しなかった。
 だが小さく、少しずつ小さく。
 耐えるだけならできる程度には、小さく。
 ――だからわたしは、あなたに逢えた。
 だから魔物は顔を上げ、
 ――あなたがたくさん笑顔をくれた。
 丘の上の少女を見上げた。
「他の誰が嫌っても」
 少女は囁いた――手の骨を砕かれ、太い木の杭に貫かれ、絶え間ない苦痛に顔を歪め、乾かぬ脂汗に額を濡らし、涙を流し、奥歯を震わせ。
 それでも微笑んで囁いた。
 魔物が愕然と見つめる先。
「わたしは必ずあなたがすき」
 少女がそこで、傷ついていた。

「お……」
 魔物が――
「おおおおぉぉぉぉぉぉおおおオオオオオッ!」
 雄叫びを挙げて駆け出した!
 走る。走る。歪んだ脚で。折れた体で。必死に走る。一足ごとに石が砕ける。木々が折れ飛ぶ。ただ丘の上だけを刺すように睨み、魔物は猛然と突進する。兵がざわめく。慌てて槍を構える。だが魔物の気迫に飲み込まれ、兵たちはまばらに動くのみ。
 そんな程度の悪意なら。
 恐れる必要などどこにもない!
 魔物は咆えた。腕を振るった。歪んだ骨格が大きく伸びて、兵たちを纏めて薙ぎ倒す。ここでようやく敵は我に返った。小隊長たちが号令を飛ばす。兵が一斉に槍を突き出す。魔物の腕が、腹が、脚が、無数の刃に貫かれる。迸る血。五十土のように走る痛み。それがどうした。魔物は泣いた。泣きながら歯を食いしばり、その場に丸まり、膝を抱える。
 この程度の痛み。彼女のそれに比べたら。
 彼女が。
 彼女がぼくを待っている!!
 瞬間。
 魔物の全身の筋肉が爆発した。
 限界まで折り畳んだ筋肉が、一斉に伸びる。弾ける。跳ぶ。魔物の姿は目にも留まらぬ。突風。あるいは大砲の砲弾。真っ黒に線を引くように伸び、兵を弾き、槍を折り、甲冑を踏みしめ、魔物が目指すは一直線。ただ一直線に、ただ一筋に。
 ただ、ただ、自分を待つ彼女の元へ。
 魔物は走った――
 そして終に辿り着き。
 魔物は彼女をだきしめた。


お題:悲観的な魔物 必須要素:アクション 制限時間:30分

投稿者 darkcrow : 2013年04月19日 01:30

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