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2013年02月26日

 ■ 「虚無の寒空」

「虚無の寒空」

 真夏。ぎらぎらと突き刺すような陽射しの下、丸一日働いて焼けたウインナーのように腫れ上がった肌に、霜の降りたビールはみるみる染み渡っていくようだ。喉を滑り降りるたまらない苦みと発泡が、熱ぼったい体をさっとひと撫でして、炎症じみた不快なべたつきを一掃していく。ビールがすとん、と胃に落ち着いて、彼らは深く溜息を吐いた。
 仕事上がりの飲み屋で彼らは大いに盛り上がった。数時間を経て、誰もが前後不覚となり、濡れたコースターを一枚ずつ剥いでいくだけで何十分も遊べるほどになると、誰かがふと、とんでもないことを口にした。一発芸やろうぜ、と。
 こうした提案はほとんどの場合、非常な愚策であるばかりか、馬と鹿の区別も付かないノータリンのたわごとなみに間違っている。ところが彼らは主としてアルコールの働きにより、副として各自の天性により、想像を絶するまでの恐るべき愚者となり果てていたため、誰もそれが最悪の案であることに気付かなかった。どころか、各々あらんかぎりの力を振り絞って手を打ち、声を張り上げ、大いに盛り上がって一番手を立ち上がらせたのだ。
「それじゃあいっちばーん! 一発ギャグやりまーす!!」

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 なんと、すさまじい一発ギャグだったのだろう。
 その瞬間、真夏であった飲み屋の中に、一転して厳冬が訪れた。
 エアコンの影響を考慮しても摂氏28度はあった気温が、たった一つの一発ギャグによって一気に30度あまりも低下した。氷点下であった。飲み屋の中の空気が冷え切ったのであった。

 さて、ここで温度についての化学的考察を挟もう。
 温度とは、とどのつまり「粒子が持つ運動エネルギーの平均値」と考えて良い。
 たとえば、空気中の窒素分子は、一直線に飛び、他の分子と衝突して反射し、また別の方向へ飛んでいく、という運動を絶えず繰り返している。このとき窒素分子は速度を持っているわけだから、運動エネルギーを有しているはずである。この分子が他の物体に衝突するとき、保有する運動エネルギーの一部を相手の物体に渡す……つまり衝撃を加える。これが我々の感じる「熱い」という感覚の正体であり、この運動エネルギーが充分量存在すると、たとえば紙が燃焼するような化学反応の引き金になりうるわけだ。
 分子の運動速度は、当然、ひとつひとつの分子ごとにまちまちだ。だが全体としては(たとえば部屋の中の空気を構成する分子全体、あるいは目の前にある机を構成する分子全体、などなど)平均すればだいたい運動速度は無難な値に落ち着くはずだ。なぜなら、分子というのは、ほんのちょっとの空間にも、想像を絶するほどたくさん存在しているからである。たとえば0℃、1000ヘクトパスカル、22.4リットルの空気中(灯油用のポリタンクひとつくらいを想像していただきたい)には、602000000000000000000000個もの分子があるのだ。そのうちのいくつかが非常に高速で動いていたとしても、平均すれば大したことではないのはよくお分かりだろう。
 そこで、その平均値を、我々は「温度」と呼び、化学反応や物理現象を論ずる上でたいへん便利に用いているわけである。

 話が長くなったが、つまり温度とは分子の運動エネルギーの平均値、つまり分子が飛ぶ速さの平均値であると思って良いのだ。
 ここで、ある一部の空間が、強制的に、ある温度に変えられてしまうとしたら、一体なにが起こるか?
 例えば、氷点下の寒いギャグによって、本当に気温が氷点下2℃になってしまったら、物理的にどうなろうか?

 氷点下2℃の空間内は、空気の分子運動が大変とぼしい状態にある。そこに外部の、ふつうの運動をしている分子が接近すると、運動の弱い分子は運動の強い分子の侵入を統計的に阻止できないため、外の暖かい空気が氷点下2℃の空間内に入り込んでくることになる。
 ところが、入り込んできた空気の分子はギャグの働きによって強制的に氷点下2℃まで温度を下げられてしまうため、空間内の気温は上昇しない。すると、外部に氷点下2℃より気温の高い空気分子が存在する限り、外の分子が際限なく「氷点下エリア」に流入し続けることになる。
 これによって外部の空気はどんどん「氷点下エリア」に吸収され、エリア内は気圧が無限に上昇し、エリア外では気圧が無限に下降していく。それに伴ってエリア外はどんどん気温が低下する(分子の数が減るので、運動エネルギーの量も減るということだ!)。この現象は、最終的にエリア内外の温度が等しくなるまで続く。つまり、世界中の全ての空気が氷点下2℃になるまで止まらないと言うことだ!!

 人類は滅亡した。
 ああ、それは……あまりにも、あまりにも早すぎた、虚無の寒空の到来であった――

THE END.

お題:早すぎた寒空 必須要素:一発ギャグ 制限時間:30分

投稿者 darkcrow : 2013年02月26日 22:51

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