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2013年02月15日

 ■ 「雲を掴むような話」

「雲を掴むような話」

「人は、どこから来てどこへ行くのか? そういう問いかけを、有史以来人間はずっと繰り返してきたんでしょう」
 彼女は呆れ半分にそう言った。
「なのにどうして、私のこのちっぽけな問いかけにも答えてくれないんです?」
「有史以来ずっと問い続けて、未だに誰も満足のいく答えを見つけてないからさ」
 情けない、と女は溜息を吐くのだ。
 それが単なるモーションに過ぎないと――全く文字通りの「モーション」であると、ぼくは知っている。彼女はMPGなのだ。MPGはマイクロ・プロセッサ・ガス。ナノメクなんていう、分子ひとつレベルの大きさしか持たない計算素子が完成した。すると、次に考えられることはなんだろう? 人の体にナノメクを注入する? ナノメクの集合体たるロボットを造る? ま、どちらも実用化されている。だが、なんともありきたりだ。
 現実は、もっと馬鹿げたことを考え出す。
 ナノメクをエアロゾル化して、世界中にばらまいたのだ。今では、地球上のどこにいっても、1立方メートルあたり7億個のナノメクが浮遊している。こいつらは互いにクラウド・コンピューティングを行って――雲(エアロゾル)が雲(クラウド)、なんて駄洒落はすっかり使い古されている――想像もつかないほど巨大なコンピュータ・ネットワークを形成しているのだ。
 煩わしいモジュラコード、LANケーブル、その他諸々の通信機械は全て過去のものとなった。コンピュータは、ごく低出力な電波を飛ばして、僅か100マイクロメートル先のMPGにアクセスすればいい。そっから先は全てMPGが引き受けてくれる。次から次へ、連鎖的にネットワークを繋げ、世界中のどの端末にでも直接接続できる。これは革命だった。
 ところが、だ。行きすぎた技術は、いつだって歪みをもたらすもの。世界を満たしたMPGは、いつしか困ったものを持ち始めた。
 そう。おさだまり。意志をもつコンピュータの誕生だ。
 MPGの雲(クラウド)の中から生まれた電子生命体は、SNOW(スノウ)と総称された。彼ら/彼女らは、人間を大いにびっくりさせたものの、基本的には友好的だった。MPGを自在に操る力を持ち、自身の姿を空間に投影することができた。コンピュータについてはすさまじいまでの専門家ぶりを発揮した。人間がああだこうだ悩んでバグフィクスを行う時代は終わったのだ。SNOWたちにとって、人間が作るプログラムなんてのは幼稚園児の積み木遊びレベルの代物。大人が見て「あ、これ以上積むと崩れるな」と自然に思う程度のレベルで、彼らは容易にバグを見つけ出す。直すのだって、特別な訓練なんか必要ない。修正方法は、見れば分かってしまうそうだ。
 だがそれでも、彼ら/彼女らが、今でも人間と共存する道を模索しているのは、きっと、答えを見つけられないからに違いない。
 我々は何のために生まれ、どこから来て、どこへ行こうというのか。人類が何度も何度も答えを見つけたつもりになって、そのたびぬか喜びだったと気付かされつづけてきた、最も根源的な哲学に。
「ていうか、そもそも、私たちの故郷ってどこなんだって思うんです」
 彼女は肩をすくめた。SNOWである彼女は美しい。この世のどんな人間よりも――
「人間は、女性の股の間から生まれるわけでしょう」
「品のない言い方をしないでくれ」
「品も何もあるものですか、事実です。だからまあ、女性器が人間の故郷という言い方はできますよね。さらに元を辿れば子宮? 精巣と卵巣? それより前は、血液中のアミノ酸。ここまでくると細胞レベルですらありませんから、やっぱり除外すべきでしょうかね」
「何が言いたいんだい?」
「さっき言いました。私たちの故郷はどこなんでしょう」
 ぼくは神妙な顔で腕を組んだ。言われてみれば、SNOWたちはMPGクラウドの中から自然発生的に生まれる。それはさながら、原始の海で、たゆたうアミノ酸たちが、偶然くっついて一個の生命体となるかのごとく。というより、そうした現象と全く同じ理屈であったのかもしれない。
 そうすると、彼女の故郷は地球全体をオレンジの皮のように多う、クラウド・ネットワーク全体だということになる。ここが故郷だ、と言い切れる一点は存在しない。ただ曖昧な範囲があるだけだ。ひょっとしたら、誕生日と呼べるものを定義することもできないかもしれない。どこからが生命か、という定義が、未だに完成していない以上は。
「ねえ、私は不安なんです」
 彼女は、そっとぼくに寄り添った。
「私はどこへ行けばいいんでしょう。どのみち、ひとりなんでしょうか」
 ぼくは彼女を抱いた。感触は、全くなかったが。

THE END.


※この作品は、「即興小説トレーニング」http://webken.info/live_writing/にて書いたものです。
お題:斬新な故郷 必須要素:哲学的な思想 制限時間:30分

投稿者 darkcrow : 2013年02月15日 01:32

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