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2013年01月27日

 ■ 「薄っぺらの、ぺらっぺら」

 その日も彼とケンカした。
 悪かったと思う。無神経だったと思うよ。でもあそこまで言わなくてもいいじゃないか……言うに事欠いて、「くたばれ薄っぺらな価値観のクソ女!」だと。ああそうでしょうとも、偉いアーティストの作家先生に比べれば、しがないメガネの編集女なんて胸も価値観も薄っぺらのぺらっぺら、吹けば飛ぶような薄型軽量人間性の持ち主でしょうとも。でもね、価値観をご立派に肥え太らせてばっかりいるあんたに、日々の糧を稼ぐ場を提供してるのは誰? てか、文字通り糧を供給してるのは誰? 私が作ってやらんかったら、あんたコーラとチーズしか食わんだろーが!
 この狭っ苦しい世の中を渡り歩くには、価値観のダイエットだって必要だと思うんだよ。でも大関関脇に痩せろなんて口が裂けても言えないよね、それが才能なんだもの。だから、薄っぺらでござい、と自嘲しながら代わりに渡り歩いてあげる人間だって必要。違う?
 とまあ、その夜はぷんすかしながら編集部で残業に明け暮れ、結局数時間の仮眠が取れてラッキー、てなものだった。仮眠から目覚めると、窓の外は徐々に白み始めていて――清々しい朝の気分と一緒に、後悔と罪悪感が心に擦り寄ってきた。
 彼は――代名詞ばっかり使ってるけど、彼は仕事相手であり、同時にまあ、そういう意味での『彼』でもある……よね? たぶん。忙しい合間を縫って、たまにはすることもするんだから、少しくらいの女房気取りも許されるよね?――彼は、今も書いているだろうか。
 独創性に溢れすぎた奇人変人というのが世間の評判だが、ああ見えて、彼は誠実で真面目な男である。きっと今ごろ、私がポロリと口走ってしまった「最高傑作」なんてたわごとに、真剣に、本当に真剣に取り組んでいることだろう。文句は言うけど。口は悪いけど。私のことも、性的嗜好のストライクゾーン外角低めに大外れ、なんて言ってくるけど。それでも、一度だって、私の言ったことを真剣に考えてくれなかったことなんてなかった。
 悪いことを、言ってしまったんだ。私は。
 今夜も様子を見に行こうと心に決めた。仕事でもあるし。心配でもあるし。

 そんな風に、私はその時、まだ事態を軽く見ていたんだ。
 本当に私は、価値観も脳みそも、薄っぺらのぺらぺらで――

 結局仕事は片付く気配すら見せず、危うく二連続泊まり込みになるところだった。そこを無理矢理なんとかやっつけ、彼の部屋に向かったのが既に夜半過ぎ。彼の仕事部屋に入ると、デスクのPCの脇には、黒のマーカーで乱暴に「完成稿」と殴り書きされたCD-Rが一枚。見れば彼は、両腕を枕に、突っ伏して眠っているようだった。
 私は――
 浅はかにも、それを見て微笑み――笑ったんだ!――勝手知ったる彼の家の奥から、毛布を引っ張り出してきて肩に掛けてやり……台所で小一時間かけて手料理を作り……メモを残して帰宅した。
 バカだったんだ。
 バカだったんだよ……
 私があんまりバカだったから……あんな斬新な死体――本当に満足そうな顔をして、素敵な夢を見ているみたいに微笑みを浮かべている、私だけが知ってる最高にかわいらしい彼――あれを、あの死に方を、死んでいるだなんてとても思えなかったんだ……

 彼の死が明らかになってからの、私の取り乱しようと言ったら無かった。
 だってそうじゃないか。彼は……私が殺したみたいなもんだ。
 彼の葬儀でも、私は、泣くまいと思ってたのに、なのに、もう、世界はぐにゃぐにゃで、何一つ思うようにはいかなくて――
 何より嫌だったのは、彼の家族はみな義務的に参列するばかりで、泣く者など一人もおらず、友人知人もほとんど駆けつけることもなく、ただ、しらけたムードの中、囁きが聞こえるだけだったこと。
「本当に変な人だったね。何考えてるんだか」

 しばらくして、私は新しい会社を立ち上げた。
 大冒険。だが、私にはやることがある。
 見ていろ。この作家を、作品を、私が最高にしてやるんだ!

THE END.


※この作品は、「即興小説トレーニング」http://webken.info/live_writing/にて書いたものです。
お題:斬新な屍 必須要素:自殺エンド 制限時間:30分

投稿者 darkcrow : 2013年01月27日 02:56

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