« 「犬の戦争」 | メイン | 「黙示録」 »

2012年12月15日

 ■ 「毛むくじゃらの友達」

「毛むくじゃらの友達」

 ピアノが僕の友達だったことは疑う余地もないし、その関係は物心ついた時にはすでに始まっていた。ピアノは謎の生き物だ――僕にしか見えない。背丈は不変。5歳のころは見上げるようだった。11歳で並んだ。15になった今、僕はピアノより頭一つ分大きい。それから、ピアノの体は長い毛で覆われている。強靱でしなやかで半透明にきらきらと輝く不思議な毛だ。頭の天辺からつま先まで、余すところ無くその体毛が隠しているのだ。で、目玉だけがぎょろりと毛の隙間から覗いている。愛嬌のある外見だと僕は思う。
 ピアノはいつも僕の家のすみっこに立っていたし、食事時には僕の席のそばまで寄ってきて、パンの耳をねだった。よく焦げたものほど好きなようだ。一度など、母が誤って炭化させたパンに、狂喜乱舞しながら齧り付いていた。あ、ちなみに、ピアノが物を掴むときは毛を手の代わりに使う。というより僕は、彼に本当に手があるのか、足があるのか、いまだに知らない。ひょっとしたら毛の塊だけで、その奥には何もないのかもしれない。ただ、彼は毛の中をまさぐられることを嫌うし、僕も彼のプライベートに踏み入るつもりはなかった。
 まあそんなこんなで、僕らは上手くやっていた。なんといっても嬉しかったのは、彼が僕の大ファンであったことだ――僕は楽器をやっていた。良家の子弟として当然のたしなみというところ。父はかつて宮廷楽師を志し、家を飛び出して放蕩し、結果全くものにならず、実家に泣きついて無難に家督を継いだという経歴の持ち主だ。そんなわけで父は僕に期待をかけている。幼い頃から音楽の英才教育を僕に施したのだ。正直な話、僕は父の事情など知ったことではない。自分の破れた夢を息子に託そうなんて、身勝手で無責任な押しつけだ。とはいえ、そういう鬱陶しい期待の目とは関係なく、僕は音楽が好きだったし――そして、そう。ピアノはいつだって、僕のファンだったのだ。
 僕が演奏を始めると、練習に取りかかると、ピアノはどこに遊びに行っていても、必ず音を聞きつけて飛んできた。そして僕の側に立ち、長い毛をぶるぶる振動させて、未熟なぼくの演奏に聴き惚れてくれた。
 練習がうまくいかなくて先生に叱責されているときもピアノは側にいてくれて、お説教が終わった後は決まって気楽な歌謡曲をリクエストしてきた。これが彼流の励ましだ。誰がなんと言ったって、自分には君が一番なんだ、と。
 両親が練習の成果の披露を要求してきたときも、本当は、父と母なんかのために弾いていたのではない。父母の背中の後ろで、いつものようにぶるぶるしているピアノのために弾いていたのだ。どうせ両親は僕の演奏なんか聴いちゃいない。ただ、僕が、教えられたことをお上手に従順にやってのけられるかどうかを見ているだけだ。だから僕はお人形の振りをして遊びを入れる。教科書通りの古典的コードの中に巧みに混ぜ込んだ、最先端の自由奔放な旋律。ピアノは全部分かってくれる。僕がおいたをするたびに、ピアノが嬉しそうに震えるのだ。

 なんて楽しい時期だったんだろうか。

 僕は音楽学校の寮に入り、本格的に宮廷楽師への道を歩み始めた。それが大きな間違いだったのだ。
 ピアノは実家に置いてきた。というより、ピアノは実家の外へ出ることができなかったのだ――理由は分からない。ただ、見えない壁でもあるように、ピアノは門のところでガツンと弾かれた。僕が馬車に乗り、街道を遠く離れていく間、ピアノは震えながらずっと門の向こうに立っていた。いつまでもいつまでも――
 それで僕は、一人になった。たった一人にだ。
 音楽学校の教育は全くもって凄まじいものであり、僕の幼い自信は音を立てて瓦解した。これまで繰り返してきた練習はなんだったのだ。この世には本物の天才がいる――それも、星の数ほど。僕に突きつけられたのは辛い現実。僕は所詮、所詮、所詮。
 ある夜。
 僕がいつものように寮のベッドで泣いていると、ふと、隣に気配が現れた。
 僕は顔を上げ、そして知った。
 ピアノがいつの間にか、僕の側にいたことに。
 僕は訊ねた。一体どうしたんだ。家から出られたのか。ここまで追いかけてきたのか。毛むくじゃらのピアノは何も言わない。そうだ。いつだってそうだった。ピアノはいつも無言で、僕の側にいて、なのに僕はピアノの言いたいことが分かって、ピアノもまた僕を全て理解してくれて――
「ぴ」
 今、ピアノが初めて口を利いている。
「あ、の。つ、かえ」
 次の瞬間。
 ピアノの全身を覆っていた毛が、一瞬にして、ぞろりと床へ抜け落ちた。
 僕は悲鳴を挙げた。何も残っていなかった。ピアノの毛の中は、やはり何もない空洞だったのだ。あるのはただ毛だけ。床に散らばったあの、半透明のきらきらした強靱な糸――
 気付いたのだ。僕は気付いてしまった。
 それが、糸であることに。

 僕は一つの楽器を組み立てた。
 ぴんと張った弦をハンマーで叩く鍵盤楽器。まったく画期的なもの。
 ピアノは僕の友達だ。それは疑う余地もない。

THE END.

※この作品は、「即興小説トレーニング」http://webken.info/live_writing/にて書いたものです。
お題:急なピアノ 必須要素:全身脱毛 制限時間:30分

投稿者 darkcrow : 2012年12月15日 03:07

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.dark-crow.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/281

コメント

コメントしてください




保存しますか?