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2012年12月14日

 ■ 「犬の戦争」

「犬の戦争」

 大昔に帝国が世界中を支配していたころ、人種の異なる人々がみんな仲良く暮らしていたそうだ。もちろん上下関係はあっただろうけど。理不尽な差別はあっただろうけど。それでも一つの社会の中に、みんなが溶け込んで生きていたそうだ。
 この世に狼亜族の居場所がなくなって、もう700年余りになる。魔族の支配する帝国は人間が興した国々に攻め込まれ、じわじわと数百年もかけて領土を奪われ、ついに消滅した。生き残った100名にも満たない狼亜族は、北方の森林の奥深く、人間が決して足を踏み入れない荒野へと姿を隠した。そこに小さな村を作り、決して外界と交わらず、細々と血を繋いできたのだ――
 あの人間が迷い込むまでは。

 あの人間を、このあたしが村へ連れ込んでしまうまでは。

 事の発端は一ヶ月ほど前。あたしは雪の森林を徘徊し、用心深く獲物を探していた。雪を踏む足は音も立てない。白い冬毛は風景に溶け込み姿さえ見えない。あたしは狩人。
 そう。あたしは犬だ。白く長い毛の。この毛は、あたしのちょっとした自慢。
 あたしは長く突きだした鼻で雪の上の臭いを嗅ぎ、兎がこの近くにいることを察していた。あと少し。獲物はまだ、こちらの存在に気付いていない。
 と、そのときだ。むせ返るような異臭があたしの鼻をついた。
 ――血!
 その瞬間、不注意にもあたしは新雪を無闇に蹴り上げてしまい、それが落着するとき微かな音をたてた。それだけで充分だ、兎にとっては。音を聞きつけた獲物が、全速力で逃げ去っていくのを、あたしの耳と鼻はしっかりと捉えていた。こうなってはもう追い詰めるのは難しい。どこにあるともしれない巣穴へ潜り込んでしまったに違いない。
 嘆息して、あたしは、血の臭いの方に神経を研ぎ澄ます。
 嗅いだことのない匂いだ。どの獣とも違う。
 何か胸の奥がざわめくような、そんな臭い。
 あたしは走った。もう足音を殺す必要もなくなったから。臭いの発生源はすぐ近くにあった。雪の上にうつぶせに倒れ、その体の上には雪さえ積もった、一人の――人間。人間の男。
 死んでいるのかと思った。だが男が息を吐き、目を開くのを認めて、あたしは思わず飛び上がって後ずさる。
「野犬か……」
 男は笑った。あたしを見て。
「いいよ。食べてくれ。どうせこのままのたれ死ぬなら、俺をお前の、糧にしてくれ……」
 それっきり。男は意識を失った。
 一体どうしてなのだか、あたしにも分からない。
 ただあたしは、その場で変身を解いた――犬から、人へ。腰まで伸びた黒髪は、これまた自慢。野生のしなやかな四肢は、あたしの最大の武器。その武器を、あたしはそっと、男の体の下に差し入れた。やせ細った彼の体を、軽々と抱き上げてやる。
 それからあたしは村に彼を連れ込み、介抱してやった。
 ま、ただの気まぐれだったのだ。

 人から犬へと変身する狼亜族に、彼は大いにびっくりしたようであった。初めは怯えていた彼だったが、何度か一緒にごはんを食べるうちに、次第に心を開いていった。初めは弱々しい男だと馬鹿にしていたあたしだったが、何度か彼に知識を教わるうち、次第に彼を認めざるを得なくなった。彼はどこだかいう国の学者なのだと。占い師のばあさんをもっともっと専門的にしたような、そんな仕事だそうだ。あたしにとっては、全てが未知。全てが新鮮。
 ああ、まあ、もうお察しの通りだ。恋をしたんだ。悪いか。
 恋をすれば、するべきこともする。それで、子供が出来た。かわいい女の双子。あたしにそっくりで、きれいな黒髪。彼ときたら、全く親ばかというより他ない。この二人はきっとすごい人物に育つぞ! と、何かにつけて口にしていたものだ。
 最初の頃こそ、村の連中は彼に冷たく当たっていた。そして、そんな男に抱かれた裏切り者のあたしにも。しかしそれは一時的なものだった。彼の知識が大いに村に役立ったのもあるし。生まれた子供たちが素晴らしくかわいかったのもあるし。今ではもう、彼はすっかり、村中の話題の人だ。

 そんなふうに。
 ずうっと、幸せに生きて行ければよかったのに。

 ある時、不可解なものが現れた。巨大。そう表現するしかない。空を覆い尽くすほど巨大な、あれは……あれは……空を飛ぶとんでもない生き物だ。鳥でないのは確か。鳥に似ているのも確か。そしてそれ以上に、そこから人間が降ってきたのも、確か。
 無数の人間たち。いずれも弓矢を、剣を、槍を持った人間。そして何より、魔法を使う人間。
 人間達は、あたしたちを手当たり次第に狩った。
 その後のことは、あたしには分からない。あたしは逃げた。彼と二人。いや、子供達も連れて4人で。雪の中を走った。だが彼は、体が弱かった。鍛えてなかったのだ。息が切れ、足は鈍り、そしてあたしの鼻は、追ってくる狩人たちの存在を嗅ぎ取っていた――
「行ってくれ。このままのたれ死ぬくらいなら」
 彼は言った。
「少しでも奴らを足止めしてやる。子供達を、頼む」

 そしてあたしは、とうとう一人。
 子供達は、途中で大木の根元に置いてきた。奴らには決して見つかるまい。兎が身を隠す巣穴と同じ。完璧に隠され、完璧に気配を立った、完璧に安全な場所。そしてあたしは、走り続けた。人間の姿のままで――犬に変身すれば追っ手をまくこともできた。でもそれでは意味がなかった。
 こいよ、狩人ども。
 同業者の意地を見せてやる。
 充分にやつらを子供から引き離すことには成功した。あとはただ、祈るだけ。
 ――幸せになるんだよ。大好きな、あたしの子供たち。
 あたしは、犬に変じて飛びかかった。

THE END.


※この作品は、「即興小説トレーニング」http://webken.info/live_writing/にて書いたものです。
お題:犬の平和 必須要素:いま話題のあの人 制限時間:30分

投稿者 darkcrow : 2012年12月14日 00:06

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