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2012年12月12日

 ■ 「大好きなもこもこの獣に私はなりたい」

「大好きなもこもこの獣に私はなりたい」

「ニュージーランド人になりたいって、そりゃ無茶ってもんだよ。TOEFLをTOFULなんてスペルミスしてるようじゃあ」
 先生は言う。彼は全く現実的な男である。夢を見るということを知らない。学校では無難な成績を収め、ほどほどの大学に進み、相応の真面目さで教員採用試験にのぞみ、公立高校に就職し、忙しいながらも安定した生活を送っている。先日、結婚した。相手は当然のように同僚教師だ。新妻は来年度から隣の市の高校に異動だそうだ。公立では、良くある話。
 こんな起き上がりこぼしみたいな男に語っても理解はしてもらえまい。私は嘆息する。
「違うよ先生、羊になりたいって」
「ならカンブリア紀からやり直す?」
「ちがくてね」
 シャーペンの頭を頭蓋骨に擦りつける。理解のない担任を持つと苦労する。
「羊よ。彷徨えるものども。社会の理不尽に抗うことを諦め、全ての誇りを擲った代わりに、安息と生存権を勝ち取った愚昧。愚かなる獣。またの名を社畜」
「どこで覚えてくるんだか、そんな言葉」
「自分が教えた知識だけが子供を育ててるなんて、傲慢でしょ?」
「ごもっとも。ところで、社会で頑張ってる大人達を社畜よばわりしてバカにするのも、ついでに、そこに飛び込んだ自分をそう呼んで自己嫌悪に陥るのも、同じくらいに傲慢だね」
「言うね」
「真面目に答えろよ。進路どうすんだよ。ぼちぼち切羽詰まってんだよ」
「まだ8月ではなくて? 慌てるのは庶民だけでよくてよ」
「いきなり高貴を気取るな! 農家の次女!」
「生まれがどうこうじゃないのよ、精神的に貴族なのよ」
「……お前はどこでそんなマニアックなマンガ読んだんだ」
「蛇の道は蛇」
「とにかくな、9月にはセンターの申込なんだから、せめてセンター受けるかどうかだけでも決めとかないと」
「そのためにはまず死なないとね」
 先生が眉をひそめた。私の意図通りだ。
「歳を取って、80歳で、老衰死。それが私のゴール。そこから人生を逆算する。年金をプラスして食うに困らないだけの貯蓄を作るのが65まで。15年分って考えると、年300万で4500万かな? 22で就職して65まで43年間、年に百万貯めていけばいいわけね。初任給22万から初めて毎年1万の昇給と考えて、{22+(22+42)}×12×43÷2だから、えーっと……」
「43の二乗×12。2億2188万」
「計算早いね」
「そろばん得意でな」
「じゃ、ざっと見積もって43年間に1億7000万は使えるわけだ。年間400万弱……あら、意外に少ない」
「一人で生きてくだけなら、年に150もあればなんとかなる。あとは付加価値とみればそんなもんだろ」
「そだね。じゃあー、そのくらいは稼げて、43年間つとめ続けられる仕事につこう。結婚は年収が平均値の400万を超えた頃……33歳?」
「嫁に行って仕事やめたりはしないのか?」
「いまどき、男があてになるもんですか」
「こりゃ手厳しい」
「えーっと、じゃあ34で子供生もう。あっ、出産費用……子育て……お金足りるかな」
「どうかな。子供を何人つくるかによるな」
「やだセクハラ」
「お前が話ふったんだろうが!」
「で、そうすると、大学は……」
「ボーナスが計算に入ってない。あと、税金と、お前の親を養うのにかかる金もな」
「あっ。やべ、計算狂うーどうしよー進路きめらんないー」
「あのな」
 先生は頭を掻いた。さっき私がしたのと同じように。
「そうやって、人生を全て設計して、それからじゃないと今どうすべきか決められないっていうのか?」
「そうでしょ?」
「いいや。もしそうだとしたら、この世の誰も、何も決められない。未来は誰にも見えはしない。決めることもな」
 私は沈黙した。
「全てを決めようなんて思うな。全てが分かるなんて思うな。怖がることはない。動いてみろ。試してみろ」
「……私が、若いから?」
「違うな」
 先生は笑った――いい顔して。
「生きてるからさ」

THE END.


※この作品は、「即興小説トレーニング」http://webken.info/live_writing/にて書いたものです。
お題:大好きなもこもこ 必須要素:TOFUL 制限時間:30分

投稿者 darkcrow : 2012年12月12日 01:01

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