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2008年02月02日

 ■ ACFA-NOTES:03 星炉-Star Forge-

ARMORED CORE For Answer ACFA-NOTES

ACFA-NOTES:03 星炉-Star Forge-


 硫酸銅の空はぞっとするほどブルーに澄んでいた。
『黄血塩。あまりにも黄血塩』
 まことに残念なことに、この時何が起きていたのか、ブラッカーにはまだ分かっていなかった。というのが、スピ=ノザは普段からこういう意味の分からない事を口走る方だったから。ブラッカーはいつものように、相づちも打たずコンソールラインに指を走らせた。彼のネクストがヤツの音速突撃を辛うじて受け流す。
『賢者の石だっ』
 受け流すというより自らが流れる感じだ。硫酸銅色の空とターンブルブルーの海の狭間を突っ込んでくる、巨大な黄血塩の塊――アームズフォート『スターン・バイ』は、余りにもでかい。それゆえ取り入る隙もある。自分の周りに発生する超高圧の気流を制御できないのだ。こちらは自分からそこに飛び込み、空気と一緒に跳ね飛ばされればいい。それでヤツのレーザーブレードは当たらない。
「まだ欠陥品なんだな」
 冷静に呟くブラッカーだったが、この避け方をマスターするのに一時間かかった。その間に機体はもはや屑鉄に毛の生えた程度のものになってしまった。PAが無ければとっくに鉄Ⅲイオンに酸化されていただろう。スピ=ノザも同じようなものだ。弾薬も残り少ない。エネルギークラスタにイエロー・ランプが点灯した。
 それでもブラッカーは冷静だった。怖くて仕方がなかったからだ。この圧倒的威容。対峙して見るがいい。
 山が、山が刀を抜いて斬り掛かってくるこの感覚。
 リンクス以外の誰が分かってくれる?
 だからブラッカーは冷静になったのだった。この恐怖から生きて戻るには冷静になるより他になかった。恐怖の中でボロボロになって耐え続けるしかなかったのだ。
 ああ! と、ブラッカーは一声吠えた。吠えずに居られなかった。そして前にも増した冷静な目でヤツを睨みつけた。突撃が無駄に終わったことを知り、水平線の向こうで何十回目かも知れない旋回をしている。
 ブラッカーのネクストは水面の上にブースト噴射しながら滑り降り、静かにアクチュエータを軋ませる。スピ=ノザと並んだ感じは、まさしく相棒という雰囲気だ。それだけが今、ブラッカーにとっては支えだった。
「気流は読めた。次に来たら仕掛けるぞ」
『このヘキサシアノ鉄Ⅱ酸イオンが! 触ると死ぬぞ』
「おい、さっきから何口走ってる、スピ」
『ブルーだ』
 ブラッカーの背筋を悪寒が走った。
『あんまりだァ。なんもかんもブルーだ』
 硫酸銅の空と、ターンブルブルーの海。確かにそれには同意するけど。
「ちくしょう、スピッ! 錯乱したな……しっかりしろっ!」
 だがスピを助ける余裕などあるはずもなかった。ヤツが、でかぶつ、『スターン・バイ』が、旋回を終えてこちらを捉えた。黄血塩。ブラッカーの冷静さが音を立てて崩れていく。硫酸銅の空。ターンブルブルーの海。そこに浮かび、揺らぎ、閃光する――
 二つの邪悪な黄血塩の瞳。
『助けて、助けてくれ……』
「しっかりしろスピ=ノザァ!」
 半ば以上は自分に言い聞かせるかのように。
 遠くでオウロラのように水しぶきが立ち上る。ヤツが動いた。
『助け……』
「助けなんか来ない! 動け、お前を助けられるのは――」
 光の刃。山が刃を抜きはなった。でかい。あまりにも巨大。
「お前自身しかいないんだッ!!」
 絶望的なまでに。
 ブルー。なんもかんもブルーに融け合って。


 第一宇宙速度は秒速7.9km。そう言ったのはニュートンだ。
 オールドにはそれが途方もない数値に思えていた。なにしろ音速ですら僅か秒速0.34kmに過ぎない。音速の23倍以上も出さなければ、宇宙に行けないのである。23倍! 身震いするほどの数字だ。ちっぽけな人間にとっては、あまりにも――あまりにも遠い。
「行きたいの?」
 ハナは潮風ですっかり錆び付いた原付バイクの前にちょこんとしゃがみ込み、綿のようなほっぺたに頬杖突いていた。
 オールドの工房は油臭く、ハナのようなキュートな少女がいるには相応しくない。オールドはサスのボルトを緩めながら、悟られないよう僅かに身を退いた。三日ほど風呂に入っていないことを知られるのが恥ずかしかったのだ。相手がお隣のレイディ・ミスミセスだったら気にも留めなかっただろうが。
「行きたいって」
「宇宙」
 白髪交じりのヒゲを、オールドはモゴモゴさせた。考えてみたこともなかった。宇宙へ行くなんて途方もないことは。
 四年前、タナッガ島の街はずれに居を構え、見よう見まねで修理工の仕事を始めたときから、オールドの時間は停まってしまったのだ。自分が何をしたいのかもよく見えない時間。空虚。心を潤すことと言えば、四年前は12歳だった生意気なチビ……足下に腹を擦りつけてくる猫のような、このハナだけ。
「どうだろうな」
 サスを取り外して、ゴーグル越しにまじまじと見つめる。大切に乗らないものだから、プラスティックが割れているのだ。こいつはバキュームで新しく成型してやらねばなるまい。
「あんなもん掘り出して、行きたくないわけないじゃない」
 と、ハナが目を遣るのは、大きく開いたシャッターの向こうで、青いビニル・シートにくるまれた細長い金属の筒である。オールドが何日か前に遺跡から掘り出し、それ以来、ここにほったらかしてあるものだ。
「最近遺跡に通ってたでしょー。あれ、なんて言うの?」
「H-ⅡAのSRB-A。18号機で使われる筈だったヤツだ。有澤が開発した」
 壊れたサスをテーブルの上に放り、オールドは痛む膝をさすりながら立ち上がった。外では南国の燦々たる陽射しを浴びて、ビニル・シートが気持ちよさそうに揺れている。オールドは深呼吸した。白銀色の輝きがビニルの向こうに垣間見えた。
「こいつは金星に調査衛星を運ぶ予定だったんだ」
「駄目になったんだ」
 いつのまにかハナが後ろをついて来ていた。彼女の指先が意味もなくオールドの背中を突っついた。
「そうだ、駄目になった。17号に欠陥が見つかって、新型の開発が決まった。こいつは博物館行きになって、そのまま解体戦争で土の下だ」
「でもこれで生き返るってわけだ」
 にこっ、と笑って無邪気にハナが言う。オールドはヒゲの奥で人知れず奥歯を噛みしめた。
「こいつを直して宇宙に行くんでしょ? いいなあ。ね、あたしも連れ……」
 ふと彼女が気付いたときには、オールドはとっくに工房に引っ込んでいた。プラスティックの板を取り出し、速くもバキュームのスイッチをいじくり始めていた。ハナは呆れ交じりの目線で彼の後頭部を追いながら、自分の頭を掻きむしった。
「ったく……」
 いつもこうなのだ。分かっているくせに逃げて回る。女の子の好意を受け止める勇気がないのだ。あのオールド・フォギーは。
「ねえ、オールド」
「二時間で直してやる。後でまた来い」
「オールドって何歳なの? そんななりだから、みんな60くらいって言うけどさ……あたしは30くらいだと思うんだよね。若いんだからもっと」
 オールドは何も言わない。ハナは彼に歩み寄った。
「ねえ、オールド……」
「もう帰れ」
 諦め。
 それが、オールドの体全体から吹き出していた。宇宙に行くなんて途方もないことだ。第一宇宙速度を超えるなんて途方もないことだ。ハナみたいな女の子に好かれるなんて、身に余ることだ。オールドはヒゲにの奥に埋もれていた。
 むかっ腹が立った。
 そこでハナは一計を案じた。南国の太陽が差し込むプラスティックの窓の側、オールドがいじくりまわすバキュームの向かい側に回って、そっと窓枠に背中を預けた。窓の隙間から熱い潮風が吹き込んでくる。ハナは長い黒髪を、薬指で掬うように掻き上げた。肩の後ろに黒が流れ、汗ばんだ肌に風が心地よい。シャツの胸元をつまんで風を通せば、全身をくすぐられるような気がしてくる。
 風に膨らむシャツの奥で、ハナの胸は呼吸に合わせて柔らかく上下を繰り返している――
「いい風……」
 窓の外の空を見つめていたハナが、不意にオールドの方に視線を流した。オールドの全身から熱い汗が吹き出した。視線を落とし、手許の作業に没頭しているふりをする。
「宇宙なんてさ、企業の偉いさんだって行けやしないんでしょ。それってロマンじゃない」
「……………」
 オールドは何も言わない。
「女って、そういうの……意外に弱いんだよね……」

「そして男は、こーゆーのに弱いんだよねー」
 その夜、こっそり工房の様子を覗きに来たハナは、思った通りの光景が窓の中に広がっていることに満足し、くすくす笑みを零した。
 もう夜も遅いというのに、オールドの工房の灯りは未だ消えることなく、迸るアークが白銀色をした二枚の曲面を丁寧に溶接していた。窓越しに見るオールドの表情からは何も読み取れない。一心不乱に、ただ作業に没頭する男が一人、そこにいただけだ。
 溶接が一段落する頃合いを待って、ハナはシャッターの方に回っていった。ガンガン、と景気よくアルマイトを叩けば、オールドがゴーグル越しの目線を向けてくる。
「よっ! 夜食持ってきてあげたぞ」
「ハナ?」
 戸惑うオールドに、ハナは屈託無く笑って見せた。
「しっかり食べて、頑張りましょー!」

 かくして、二人の挑戦は始まった。
 構造の修理自体は大したことはなかった。博物館で厳重に保管されていたSRB-Aは、ほぼ原形を留めていたし、材料にする金属なら遺跡から山ほど発掘できた。ただ一点気をつけなければいけないのは、溶接を慎重にやるということだ。一点でも脆弱な部分があれば、火を付けた途端にそこから破裂する。
 オールドは日がな溶接に明け暮れ、材料の調達と加工はハナが担当した。ハナはこうした仕事に多大な貢献をした。何しろああいう娘だったので、なんだかんだと上手いこと商談して、必要な物を掻き集めてくれた。
 まず一ヶ月の仕事、とオールドは見積もっていたが、彼にとっては面倒な部分をハナがやってくれたおかげで、工程は一週間以上も短縮された。
「とはいえ、まだまだ問題山積よね」
 ある夜、星空の下、工房の表に木箱を積んで、それをテーブル代わりに夕食を取った。
 ハナはここのところ、一人暮らしの家に帰っていない。おかげでオールドはずっと、そのうち建材にしようと思っていたポリウレタンのマットの上で寝起きしている。不思議な物だった。半ば死人のように無気力に4年間を過ごしてきたというのに、彼女がうちに泊まるようになってから、なぜかオールドの体にも活力が戻り始めているようだった。
「とりあえず、燃料どうするの?」
 レンズ豆のスープを啜りながら、オールドは唸った。そこは頭の痛いところだったのだ。
「燃料には、高反応性の有機ゴムと酸化剤を混合成形して使う。酸化剤はどうとでもなるが、問題は有機ゴムだ」
「……それってどうやって造るの?」
 なにぶん女の子である。そういうことには疎い。オールドは少しだけ得意になって、
「低級の有機物を脱水重合してポリマーにするんだ。石油でもあればいいんだが」
「なんだ、そんなこと」
 事も無げにハナは言った。
「あるじゃない、石油なら」
「どこにだ?」
「あれ? 知らなかった?」
 ハナは、ねぶって綺麗にしたスプーンの先で足下を指し、
「ここに、よ」

 タナッガ島の地下に極小規模の油田があるということは、島民にとっては常識だったらしい。何しろオールドは四年前にここに来たばかりで、余所様との関わりもほとんど無かったので、そんなことは露知らなかった。
「大昔の、国家がまだあったころから油田があるのは分かってたんだけどね」
 手製のボーリング装置をポンポンと叩きながら、ハナは、にひひ、と笑顔を浮かべる。
「なにぶん規模がちっちゃいから、採算とれなかったんだって。それで何百年も放置よ」
「だが現代なら、安くボーリングできる機械がいくらでもある」
 ボーリング機械は高さ2mほどの四角柱型をしていた。ACが武器に使う電磁パイルバンカーを改造したものだ。PAすら一撃で貫くこの装置を使えば、貯油層までパイプを通すことくらい分けはない。パイプさえ通せば、あとは膨大な質量の土壌による圧力で、石油は勝手に噴き出してくる。
 工房から離れた所に鬱そうと木の茂った林があり、ボーリング機械はそこに設置した。ここなら少々何かあってもご近所の迷惑にはならないし、なにより、大昔の水泳プールの跡がここにあるのだ。吹き出した石油を溜めておくのにちょうど良い。
 プールの上に雨避けのビニル・シートを張り、準備は完了。パイルバンカーは景気の良い音を立て、何度となく地面を叩き続けた。貯油層にパイプの先端が到達するのに、たっぷり半日かかった。
 だが一度到達してしまえば後は早かった。防腐処理を施したパイプを伝って、真っ黒な、ドロドロした液体はプールの中に噴出した。思わずハナは飛び上がり、隣のオールドと手を叩き合わせた。
 それから達成感に包まれた二人は自然と見つめ合ったが、残念ながら、それ以上愉快なことにはならなかった――というのも、吹き出した油の臭いが辺りに立ちこめ、ロマンティックな雰囲気を粉砕してしまったからだった。おまけに、空から舞い降りた一滴が、ハナの髪を僅かに濡らした。
「熱っ!?」
 ハナが悲鳴を挙げた。彼女の綺麗な髪が、白い煙を噴いて焦げていた。オールドは天を仰ぐと、冷静にビニル生地のジャケットを脱ぎ、それをハナの頭にかぶせてやった。そして二人して手を取り合い、一番近い木陰に逃げ込んだ。
 間一髪だった。突然の夕立が来たのは、その直後の事だった。
 酸の雨は重く、その破壊力は凄まじい。この雨には純水の1.8倍の密度があり、雨粒一つ一つの運動エネルギーも1.8倍ということになる。貧弱な家なら土砂降りだけで崩れてしまうし、なにしろ強力な脱水作用もあり、有機物はたいてい分子構造から水を奪われ、炭素の塊にされてしまう。
 二人は足下を流れる雨水から逃れるように、木に昇った。太い幹の又に二人並んで腰掛け、ほとんど抱き合うようにして雨を避けた。幸いなのは、酸と石油の臭いだった。何しろ二人とも、体臭には自信のない方だったから。
「大丈夫かなァ」
「何がだ」
「石油。雨で駄目にならないかな」
「ビニル・シートで屋根を造ってある。ビニルは酸に耐性があるから平気だ。それに水泳プールには排水溝もある」
「そっか。準備万端なんだ。さっすがオールド」
 言われてオールドは黙り込んだ。
 ハナにはそれが哀しかった。オールドはいつも自分の中に溜め込んでいく。嫌なことや辛いこと、色々抱えているのは分かっているのに、何も出来ないという無力感。それ以上に、自分を頼ってくれないという、悔しさ。
「ねえ……」
 と、ハナが言いかけると、思いも掛けずオールドは口を開いた。
「凄いと思わないか」
「え?」
「この木がだ」
 言われてハナは、自分の頭上で酸性雨を防いでくれている、一本の大樹を見上げた。樹齢は何十年になるのだろう。ひょっとしたら何百年なのだろうか。
「不思議に思ったことはないか。なぜ地上の植物が、こんな環境の中で枯れないのか」
「そういえば……」
「解体戦争後、汚染の酷かった地域ではあらゆる植物が絶滅しかけたものだ。だが十年後には、植物は元とほとんど変わらない姿を取り戻していた。耐性を得たんだ。たとえばこの木は、葉の表面に抗酸性を持つ細胞の層を造っている。他にも……」
 そこでオールドは言葉を途切れさせた。
 ハナははっとして、すぐ側に――吐息が触れあうほど側にある、彼の顔を見つめた。ゴーグルとヒゲに隠れて表情は分からない。分からないはずなのに、ハナには見えた。彼の目に浮かぶ涙。悔しさに食いしばった歯。
「すまん。つまらない話だった」
「そんなことないけど……」
 彼の胸の中にあるのはこんな蘊蓄ではない。そのことを分かってもいた。
「……うん。あたしの経験から言うとね、思うところがあったら話しちゃうといいのよ。言葉にしたら客観的に物を見られるし、落ち着いて、何をしたらいいか考えられる。まあ、そういうことだからだね」
 ハナは人差し指をぴんと立て、茶化した口調で言った。だが本心では茶化すつもりなど毛頭無かった。この頑固親父(オールド・フォギー)の心を開かせるにはどうしたらいいだろう。最近はそればかり考えて、あれこれ策を練っている。これはその中の一つ。
「良かったら話してみたまえよ、きみ。うん。それがいい!」
 長い、長い沈黙があった。その間も雨粒は容赦なく降り注ぎ、地面で泥を跳ね上げていた。音がまるでカーテンのようだった。轟音が優しい幕のように二人を包んでくれている気がした。
「友達がいた。一緒に仕事をしていた」
 オールドは落ち着いた冷静な声で言った。
「だが死んだ」
 ハナが聴いたこともないほど、それは冷静な声だった。オールドの溜息は長くそして沈痛だった。ハナには絶対に吐けないような溜息だった。ハナはまだ若く、疲れを知らない。それは生まれて初めて、大きな疲れを……身を打ち砕くほどの疲れを感じた者の、哀れすら呼ぶ溜息だったのだ。
「ドン・キホーテならまだよかった。風車は襲いかかってくるわけじゃない。だがおれの目の前にある山は……」
「山?」
「奴を殺した山は、刀を抜いて飛びかかってくるんだ」
 冷たく、静かに。
「おれは逃げた。スピを置いて逃げたんだ。怖かった。木や草だって、雨なんていうつかみ所のない巨大な敵と戦ってるのに、おれは逃げたんだよ」
 雨音。
 おれには何も出来ない。
 この4年、オールドを苦しめ続けたのは拭いがたいその気持ちだった。だが無気力の中に溺れることは苦痛だった。苦痛は日に日に高まっていった。そこから抜け出したいという思いと、硫酸銅のようにブルーな無力感が、彼を板挟みにしていた。
「謝らないといけない」
「……ん?」
「本当は宇宙にいくために造っていたのではないんだ」
「じゃあ何のために?」
 オールドは何も言わない。
 ただ笑って、
「今となってはどうでもいいことだ。今はただ……無性に宇宙に行きたくなった。
 是が非でも連れて行ってやる。殺風景な観光地だが、それでもお前と一緒に行きたい」
 ハナは目をぱちくりさせた。いつもの調子で、オールドの肩のあたりを、指でつんつんと突いた。こうするとオールドがくすぐったがって嫌がる。それを見るのがハナの最近の楽しみでもある。
「お前のために頑張りたい」
 それを聞くなり、ハナは急に膝を抱えて縮こまった。苦しげに呻き始めた。一体どうしたのかとオールドが心配そうに様子をうかがうと、ハナは突然飛び上がり、
「うっひょおぉぉぉぉー!」
 ハナは突然飛び上がった。
「やっだもーオールドたらぁ! わー! もーダメじっとしてらんないっ! うれしーぞーっ!! わー! わぁーっ!!」
 オールドの背中を手加減抜きで叩きまくるわ、絶妙のバランス感覚で枝の上に立って叫ぶわ、猿のようにスルスルと木の上に登っていって見えなくなるわ。しばらく好き勝手に暴れ回って、ようやく気が済んだのか、一人で照れているオールドの上から、突然ひょいと顔を見せた。
「頑張ろうね!」
 そしてこの、無邪気な笑顔だ。
 全く調子の良い奴。そして愛おしい奴……
「で、次はどーするの?」
「もちろん、石油を分留するんだ。ガソリンより重い高級有機物は必要ない」
「じゃ売って予算の足しにしちゃおう」
「任せた。それから、重合を起こして固体燃料を造る。硫酸で脱水してやればいい」
「硫酸? ……それってどこで売ってるのよ?」
 オールドは大笑いした。何故笑われたのかさっぱり分からず、ハナは思わずぶうたれる。
「なによォ。なんで笑うの?」
「硫酸なら捨てるほどあるだろう」
「どこに?」
 オールドは笑いながら、目の前を指さした。降りしきる雨を。
「ここに、さ」

 硫酸の雨を溜めるのは、さほど難しいことではない。アルマイトか塩化ビニルのタンクがあればそれで済む。汚染されたこの環境も、時には役立つこともある。
 結局、環境の善し悪しなんて相対的な判断基準に過ぎないのだろう。地球の雨が始めから硫酸だったら、きっと誰も文句など言わない。ただ冷静に、対処法を探るだけだ。そして発見する。自然の脅威を克服する術を。
 人類は今までずっと、そうやって生きてきた。
 だからおれもそうするだけだ。
 今ではオールドもそう思えるようになっていた。かつて自分が恐怖に対してそうし続けてきたのと同じように。一度くらいの敗北で気力を無くし、4年もオールドはくすぶってきた。だが今は。
 目の前にあるこのロケットを完成させる。
 そしてハナと一緒に宇宙に行くのだ。
 もちろん、メインロケットなしのSRB-Aが4基だけでは、大した重量は運べない。人間を二人運べばそれで精一杯。コックピットはとても狭くなるだろう。それでも構わない。かえって狭いことが嬉しいかもしれないし。
 そう、第一宇宙速度など必要ないのだ。それより遥かに遅くて良い。遅くとも、推力を継続して与え続ければ――一歩ずつ、一歩ずつでも軌道の高みに迫れれば、第一宇宙速度より遥かに遅い速度であっても衛星軌道には到達できる。
 気が付けば、半年が過ぎていた。太陽のシャワーを浴びるハナに誘惑されたあの日から。
 今、二人の目の前には、全長15.2m、外径2.5mの四基の塔が、太陽を貫くかのようにそそり立っていた。
「やればできるもんだな……」
「いやほんと、びっくり……」
 造った当人たちがこの調子だから、島民たちの驚きようと言ったら並大抵のものではなかった。
 あのオールド・フォギーが宇宙ロケットを造っている、という噂は一ヶ月ほど前から広がっていた。なにせ暗いニュースの多い時代だったので、この訳の分からない、それでいて妙にエネルギーを感じる情報は、あっというまに島中を駆けめぐった。
 というわけで、完成の今日、島中から野次馬達が集合し、白銀色の塔を取り囲んで、気の済むまでざわざわやり始めたのだった。
「ねーハナちゃん、いつ飛ばすの? 飛ぶとこ見たいなあ」
 近所のおじさんが馴れ馴れしく聞いてきた。ハナは首を捻り、
「んーとね……いつ?」
 オールドが頷く。
「すぐには無理だな。酸素のパックも用意しなければいけないし、軌道計算をして、安全に戻ってこれるルートも考えなきゃいけない。それから天候も大事だ。無風の晴天、なるべく雲のない日がいい」
「お天気待ち、かあ」
 今日も風は緩やかで晴れてはいたが、雲が少々多いのが難点だった。ともかく夢が膨らむ話だ。打ち上げまでしばらく、島はこの話題で持ちきりだろう。ちょっとしたお祭り気分だった。
 だがそんな浮かれた気分を、誰かの叫び声が両断した。
「おい、見ろ! なんだあれ!?」

 始めに見えたのは鮮やかなイエロー。青く澄んだ空とターンブルブルーの海の狭間に、太陽を浴びて煌めく流線型のボディ。色を除けば、そのシルエットは鯨を思わせた。だが巨大。余りにも巨大。鯨どころか、タナッガ島の隣に浮かぶマグ島よりも一回りでかい。
 そして巨体の中央に浮かぶ、黄血塩色の双眼。
 海岸線に駆けつけた島民たちは、それを見るなり恐怖に震え上がった。知らない物がいようか。あの巨大さ。機械だの乗り物だのの枠を遥かに超えた、まるで街一つが動くかのような構造物。
「アームズフォート……」
 誰かの呟きが恐怖の堰を切った。
 島民達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。ある者は家の中に。ある者は地下室に。ある者は林の奥に身を潜めた。船に乗って島を離れようとする者もいた。
 だがそれがどうなるというのだ? インテリオルはこの島に目を着けた。一度アームズフォートがその気になれば、この島に住む人々は、島ごと地球から消滅する。
 どこに逃げようと、この距離に迫ったアームズフォートから逃れる術はない。
 そのことを誰より知っている人間は……

 冷静に、水平線のアームズフォートを見つめていた。
「奴の全高と島の標高を計算に入れれば、20kmと言ったところか。4分とかからんな……」
「何してんの、オールド! 早く逃げなきゃ!」
 冷静にロケットの側で何かの作業をしているオールドに、ハナは半狂乱でわめき立てた。彼女は恐怖に支配されている。それでは駄目だ。生き残れない。オールドは立ち上がり、ハナを抱きしめてやった。恐怖に負けるな。そう伝えたかった。落ち着け。落ち着いて――
 探せ。今できることを。
「逃げても無駄だ。奴はおれがなんとかする」
「何言って……」
「すまない。やっぱり、このロケットでお前を宇宙に連れて行けそうにない」
「何言ってんのよ……オールド」
 オールドは笑って、ゴーグルを脱ぎ捨てた。そして、さっきまで作業に使っていたプラスティック用のレザーで、4年も伸ばしっぱなしだったヒゲを乱暴にそり落とした。見るがいい。ハナは彼の顔をぼうっと見上げた。じじいだなんて言ってたのは誰だ。そこには決意に満ちた若い男の顔がある。
「ブラッカー・ロータス。おれの本当の名前」
 あの日死んだブラッカーは、
「おれはどうしてもお前を守りたい。だからもう少しだけ辛抱してくれ。
 ロケットは、必ずまた造ってやる!」
 今、蘇った。

 動く。
 工房の地下に隠されていた彼のネクスト『スターフォージ』が起動シークエンスを全権委譲のフルオートで完了した。目の前のハッチを開けている暇はない。走る寓意に目を光らせて、ブラッカーの指がコンソールを踊る。スターフォージの指が伸び、轟音立ててハッチを突き破った。
「みんな、この機体が通った後には近づくな。コジマ汚染を喰らうぞ!」
 外部スピーカーで警告を飛ばし、スターフォージは一気に外へと躍り出る。4年ぶりの太陽の光が装甲板を洗うようだ。だがこの躍動感を楽しんでいる暇はない。マニピュレータを巧みに動かし、四基のSRB-Aを束ねたユニットを、スターフォージの背に取り付ける。
 始めはこのつもりだったのだ。ブラッカーの心にあったのは復讐心だった。死んだスピのかたきを取りたかった。恨みを晴らさなければ前に進めないと思っていた。だからこのロケットを造ったのだ。
 だが今は違う。
 このロケットブースターは、前に進むためのもの。
 ブラッカーは、目の前に浮かんだ寓意を受けて、反射的にカメラアイを左に動かした。タナッガ島の丘の上、映像が拡大されて投影される。
 胸の前に両手を組んで、泣きそうな顔して心配してくれる少女が一人。
「そうだ。過去に囚われるためじゃない。このブースターは前に進むためのもの」
 ジョイントは既に完了している。ブラッカーは指を走らせ、
「さしずめヴァンガード・OBと言ったところか!」
 ロケットの点火をコマンドする。
 瞬間、爆発のごとき推力が四基の筒から迸り、背後にあった自分の工房を吹っ飛ばした。それと同時にスターフォージは空に舞い上がる。僅か3秒で音速の二倍まで加速され、空と海の狭間の空間を流れ星のように切り裂いた。
 その加速度はハンパなものではない。肺が潰れて息も吸えない。だがこの速度なら、10km先に迫った敵、アームズフォート『スターン・バイ』にも、ほんの20秒で辿り着く。
 6年前にGAが開発した新兵器アームズフォート。そのコンセプトは圧倒的弾幕でネクストを近づけず、パイロットの疲労を狙うこと。ならばこちらはその先を行く。
「おおおおおッ!」
 吸えないのなら吐き出すのみ。ブラッカーは肺に残った全ての呼気を雄叫びと一緒に吐き出して、一直線に『スターン・バイ』の目を目指した。あと10秒まで接近してようやく、敵が慌てて戦闘態勢を取り始める。だが遅い。機体側面から発射された数百発のミサイルは、相対速度の速すぎる相手に近接信管すら作動させられず、無駄に海へと突き刺さるのみ。
 これであと7秒。
 機銃とレーザーの照射が始まった。コンピュータによる機動予測済みの一撃だ。間違いなくいくらかは喰らう。だがそんなこと覚悟の上。PAを厚く張り巡らし、スローに見える弾幕の中へブラッカーはただ突っ込んでいく。
 1秒後、凄まじいまでの着弾音の嵐がブラッカーの体中を突き抜けた。耳の奥がジンジン鳴っている。もはや音とすらも認識できない、とてつもないまでの振動。だがPAなら耐えられる。これだけの弾幕であっても、全開にしたPAならば4秒くらいは耐えられる。
 ならばPAが消失する頃には――あと2秒!
 ここまで近づけば角度が悪くて機銃は撃てまい。自分に当たるのを恐れてミサイルも撃てまい。残すは奴の最大の武器。
 機体前面に備えられた、全長100mを越す超巨大レーザーブレード。
 PAが消えると同時にブラッカーはロケットを切り離した。『スターン・バイ』がレーザーブレードを振り上げる。あの日あれほど恐怖した刃。山が、山が刃を抜いて斬り掛かってくるこの感覚。
 だが――
 今のブラッカーには、自分より大切に思うものがある!
「男が、いつまでも……」
 あと1秒。
 『スターン・バイ』が急加速して突撃してくる。ブレードがこちら目がけて振り下ろされる。と、ブラッカーは突如全てのバーニアを切り、風の中に身を任せた。
 受け流すというより自らが流れる。
 4年前のあの敗北で、学び取った戦術。
 巨体ゆえ発生する超高圧の気流に乗って、ブラッカーとスターフォージはブレードの下をくぐり抜け、一気に敵機上面へと舞い上がった。
「同じ場所にいると思うな!」
 クイック。
 0秒距離に到達し、そのままスターフォージは敵の背中へと飛び込んだ。装甲板など意味を成さない。パイルバンカーの一撃で五重複合装甲を突き破り、その内部へと侵入する。次の瞬間、『スターン・バイ』のあっちこっちで同時に爆発の華が咲いた。いや、同時などではない。だがリンクス以外の人間には、同時としか思えない程の素早さで、次々と巨体が崩壊していく。
 体を内側から食い破られる巨獣のように。
 最後に一際大きな爆発が、『スターン・バイ』の横幅1kmはあろうかという胴を真っ二つにへし折った。不気味な黄血塩の瞳から、輝きが薄らぎ、消えていった。

 沈み往く巨獣の背をもう一度突き破り、ちっぽけな、あまりにもちっぽけな兵器が姿を現した。
 ちっぽけだ。ちっぽけだとも。
 ブラッカーは『スターン・バイ』の装甲の上にスターフォージをへたりこませ、そのまま自分も、安堵と疲労の溜息を、長く長く吐き出した。
 たとえちっぽけでもいい。大事なのは進むことだ。動くことだ。
 大切に思うものから、大切に思われることから、逃げないことだ。
「帰ろう。ハナが心配してる」
 ふと気が付いて、上を見上げる。
 いつのまにか――
 硫酸銅の空は、すっとするほどブルーに澄んでいた。

NOTES:03 over.



※注※
 この作品は、ARMORED CORE For Answerオフィシャルサポーターに提供された資料を基に、木許慎の解釈による展開予想・設定考察・ビジュアルイメージを小説化したものです。その記述の多くは木許慎の予想・考察に基づくものであり、実際のゲーム内容とは矛盾する可能性があることをご了承ください。
 なお、全てのゲーム画像は開発中の物です。

※あとがき※
 第三弾! 今回のテーマは「VOB」でした。VOBってただのロケットだよね……と思ったところから、本当にただのロケットにしてみました。三菱製(作中では有澤製)のH-ⅡAの補助ロケットでございます。
 新要素の小説化というテーマは次回がラスト。最後に残ったのは……
 次回、「NOTES:04 活路-Final Fortune-」。新たなる力、アサルトアーマー。それは悪魔の剣か、人の鎧か。

投稿者 darkcrow : 2008年02月02日 01:09

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