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2007年01月29日

 ■ ターボ

 フィィィイイイ――
 ペダルの踏み込みから一拍遅れて、熊のようにのっそりと榊の愛車はアクセルする。丸っこい、白の軽自動車だ。日焼けしたコンソールの向こうには、まっすぐまっすぐ伸びていく、緩やかな上り坂が見える。最近やっと三車線に増えた田舎の国道は、今日も混んでいた。
 また一台、立派なセダンが風のように榊を追い抜いていく。隣の彼女が溜息吐くのにも気付かず、榊はご機嫌でハンドルを握っていた。
「ねー」
 由美は、隠すそぶりも見せず、大口開けてアクビを垂れた。ひとしきり新鮮な酸素を吸い込んでから、ちらりと運転席に目を遣ると、
「なんかスゴい音しない?」
「んー」
 言われるまでもない、毎日乗ってる榊が一番よく知っている。タービンのシャフトが磨り減って擦れ、子犬が鳴くような甲高い音を立てるのだ。古くなったターボ車の宿命と言ったところか。
「買い換えないの?」
「んー……」
 もう一年ほど前から、ずーっとこんなことを言われ通しだ。
 中古で買ったときには、既に骨董品レベルだった。エアコンは調子悪いし、加速はないし、シートも固いし、コンソールのプラスティックも風化を始めている。
 それでもまだ、榊は踏ん切りがつかないのだった。

 第一印象は、「俺には不釣り合い」だった。車のことではない。由美のことだ。
 初めてのデートに、オンボロの軽自動車で迎えに来た榊は、由美の姿を見るなり猛烈に後悔した。
 自慢だが由美は可愛い。こんな田舎町の中でどうやって調達したのか、気合いの入った流行の服を着て、メイクも榊の好みに合わせてナチュラル目に抑え……振り向いたときに、ふわっと舞い上がるスカートの裾が憎らしい。
 だというのに。
 車に乗り込んだ由美は、シートベルトを締めようとして前につんのめった。引っ張れども引っ張れども、ベルトが出てこない。どこかで引っかかっているのである。
「コツがあるんだ」
 言い訳のように言いながら、榊がベルトを引き出してやった。恥ずかしい。見たところ完璧なレディである由美に対して、自分のなんと泥臭いことか。ジメジメした劣等感に苛まれた榊は、なるべく平静を装いながら、つまり大物然と振る舞いながら、
「ごめんね、こんなボロ車でさー」
 ちっとも大物らしくないことを言った。
 だが由美は頬をほのかに赤く染め、
「んーん。可愛い車だね」
 なんて、フォローを入れてくれるのである。

 あれがもう、三年も前のことになるか。
「いや、可愛かったな……」
「は?」
「会ったばっかの頃の由美」
 言うなり由美は眉に皺を寄せ、窓枠に肘を突いて、そっぽを向いた。
「いや、今でも可愛いよ」
「当たり前じゃ!」
 この、何の臆面もなく「当たり前」と言ってしまえるあたり、自信家の由美ならではといったところである。今思えば、第一印象の由美が、如何に猫かぶっていたか。それが今となっては、このふてぶてしい態度、あの大あくびである。
 それでも榊は微笑んで言える。
「ま、あの頃ほど恋しくはないけどさ。あの頃より好きだよ、今の方が」
 沈黙。
 フィィィイイイ……
 しばらく、無言の二人を甲高い子犬の鳴き声だけが包んでいた。
 やがて、
 ぐきゅぅぅううう。
 由美のお腹が盛大に自己主張した。
「お腹すいた! ごはん!」
 お腹の音を恥じるどころか、むしろほっとしたように普段の調子に戻った由美を見て、榊は思わず吹き出したのだった。

投稿者 darkcrow : 2007年01月29日 23:10

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