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2006年06月28日

 ■ ケンドーガール(後編)

 二本目は持久戦になった。
 相変わらず逃げ腰のほくとを、部長は息も吐かせぬ連打で、じわじわと追いつめていく。まるでいたぶるかのような攻撃に、ほくとの表情には徐々に疲れの色が浮かんでくる。やがて彼女は、大きく肩で息をし始めた。
「ほくちょー……」
 不安げに見守る洋子の祈りも、今はほくとに届かない。
 ほくとは一歩後退し、竹刀をぎゅっと握りしめて、必死に部長の眼圧を跳ね返そうとしていた。だが今の彼女にそれは不可能だった。自然と体がすくんでくる。敵の懐へ飛び込む一歩が踏み出せない。
 ――袖星くん……ごめん、私、負けちゃう……
 ほくとの意志が弛緩した、そのとき。
「アッ!」
 気合いと共に部長が斬り掛かった。今までの比ではないスピード。勝負を決めに来た! ほくとは竹刀を盾に、なんとか第一撃を受け止める。しかし次の瞬間、強い力が竹刀を通じて伝わってきた。部長の体がほくとの上にのしかかるかのよう。鍔迫り合いである。
 部長の膂力がほくとを押し潰そうとする。
 剣道において、転倒は仕切り直しである。だが転倒直後の打突は有効と見なされる。部長はそれを狙っているのだ。
 倒れた状態で部長の剣をかわせるわけがない。押し倒された瞬間、負ける!
 ――ダメっ……!
 膝が、震えている。
 ――持ちこたえられないっ!
 と。
「ほくとっ!!」
 声が聞こえた。
 ――袖星くん!?
 思った瞬間姿勢が崩れる。部長の力に押し負けて、ほくとは仰向けに倒れ込む。審判が止めをコールするより早く、部長の剣が宙を走った。倒れたほくとの面を狙う太刀筋。
 ――負け……
 だが、確信よりも。
 ――られないっ!!
 心が優った。
 見えない何かに突き動かされ、ほくとの剣が奔った。面を狙って繰り出された部長の小手を、竹刀が強く打ち据える。体育館のざわめきすら切り裂いて、竹刀の爆ぜる高音が辺り一面に響き渡った。
「小手あり!」
 白旗。ほくとの得点を示す色。
 しばらくの間――
 ほくとと部長は、お互いに呆然としていた。
 勝つはずだった部長は、思いもかけない反撃を喰らってしまったことに。
 そしてほくとは……
「袖星くん」
 体育館の入口で、ぜいぜいと荒く息をしている、彼を見つめて。

「そ、袖星!?」
「洋子?」
 洋子は思わず立ち上がり、突然現れた袖星に駆けよった。たぶん彼は、自分の試合から直接駆けつけたのだろう。中学の校章が入ったジャージを着て、荒く肩を上下させている。なんだなんだコノヤロウ、と洋子は思った。ほくちょの幸せもん。
「試合、どうなってる?」
「相手が強くって負けそうだったけど、なんとか一本取ったとこ。ほら」
 と、洋子は試合場を指さした。
 さっき転倒したほくとは、審判に何事か声を掛けられていた。たぶん、転倒したときに頭を打っていないか、とでも聞かれているのだろう。だが、その心配はなさそうだった。ほくとは、ゆらりと立ち上がり、試合場の中央へと進んでいく。
 竹刀を構え、みたび部長と睨み合う。
「……気配が変わった」
「え?」
 洋子の言葉に、袖星は眉をひそめた。
「さっきまで、ほくちょは引け腰の遠間で怯えてた。でも今は、腰骨も前傾して、何より敵の懐に踏み込んでる。あれならリーチで負けてても有効打が取れるかも……」
「でもそれって……危ないんじゃねえのか? 敵の攻撃も喰らいやすいってことだろ?」
「もちろん。でも大丈夫。ああやって、切っ先で敵の正中線を捉えてれば、部長だってうかつには踏み込めない!」

 じりっ、と部長はつま先を動かした。
 洋子の分析通り、部長は一歩も動けずにいた。今までずっと、ぶれてばかりだった切っ先が、今は部長の喉元を真っ直ぐに捉えているのである。威圧感。ほくとの放つ迫力。全てが混ざり合い、部長の体を空間に釘付けにする。
(……こいつ……!)
 部長の面の中で、一筋の汗が伝い落ちた。

 ――袖星くん。
 二本目とは打って変わって、三本目は静かな試合になった。
 試合開始から、両者一歩も動けず、睨み合いを続けていた。だが、ただじっとしているわけではない。敵の構えから、気配から、放つ殺気の濃淡から、必死に隙を窺っていたのだ。いわばこれから繰り広げられる戦いのシミュレーション。勝利のイメージを形作る、ということ。
 ――見ててね、袖星くん。
 いつのまにか……
 全ての音が消失した。
 氷の野原に、ただ二人。敵と、自分。
 空気、凍って――
 だんっ!
 部長が踏み込む。
 表から小手。連続技がくる。ほくとは奥歯を噛みしめて、冷静に敵の攻撃を弾く。問題は次だ。胴か? 面か? いや!
 ――打たせない!
 敵の第二撃が来るより先に、ほくとは敵の懐に飛び込んだ。弾いた剣を絡め合わせ、
「イァアッ!」
 気合いと共に敵の体を圧す。その圧力で敵の太刀筋が狂い、放たれた面は僅かにほくとの耳をかすめるのみ。たたらを踏んで後退する部長の胴、がらあきになったそこに、ほくとは最速の一撃を叩き込む。
 だが部長もさるもの。すんでのところで踏みとどまり、ほくとの一撃を切り払う。
 ほくとは後退。構え直し、即座に再突入。敵に息つく暇も与えず、面から小手へ、素早い連撃を叩き込む。瞬間、部長の気迫が変わった。圧され気味だった彼女が、
「あ゛ッ!!」
 咆哮しつつほくとをいなし、必殺の面を繰り出してくる。
 ほくとは竹刀でなんとかそれを受け止めた。瞬間、膝が痺れる。なんていうパワー。一撃受けるだけで、全身が砕けそうになる。
(計算高い女が!)
 部長の心の叫びが、ほくとの芯を震わせる。
 飽くまでパワーで圧し勝つつもりか。
 ――なら、次にこの面が来たとき、勝負を決める!
 ぶつかり合った力が弾け、互いに一歩後退。一足一刀の間。
 睨み合いは、一瞬か永劫か。
「あ゛ッ!!」
 部長の剣が、奔った。

「強い女性が好きだな」
 って袖星くんが言ったから――

 ――だから私は、
 迫る剣。
 ほくとは。
 ――勝つ!!
 バシィッ!
 竹刀が爆ぜる音。
 剣を狙ったほくとの一撃が、部長の剣を高く跳ね上げる!
 部長の守り、崩れ、
「イァアァッ!!」
 閃き。

 しん……と、辺りは静まりかえった。
 袖星が、洋子が、他の誰もが息を飲み、見守る中で……
「胴あり!」
 白旗が、揚がった。

 それから二週間ほど過ぎた頃のことだった。
 学校は夏休みに入り、セミはいっそううるさくシャウトする。今日の練習を終えたほくとは、更衣室で洋子と二人、剣道着から制服に着替えていたのだが……
「まぁだ手も握ってないぃいいい!?」
 洋子はセミよりうるさくシャウトした。
 どうでもいいが、着替え途中でしがみつかないで欲しいものである。こっちはまだブラウスのボタンも閉めていないのに。というか、洋子自身は上も下も下着一枚という姿。恥ずかしくないのかと思う。
「あのなー! あの試合のすぐあとで付き合い始めたんちゃうの!?」
「そ、そうだけど……」
「あれからもう二週間、二週間もっ! そんだけあれば、もーとっくにラブラブきゃー! な状態になってるんじゃありませんかねえ社長!」
 誰が社長だ。
「でも……なんか、どうしていいか、よく分かんなくて……」
「情けない……袖星も袖星だわ。今度から真弓ちゃんって呼んでやろ」
 などと、浮かれ騒いでいたそのとき。
 更衣室の戸が開いて、剣道着姿の部長が入ってきた。ほくとと洋子が、一瞬凍り付く。
 あの試合が三年生の引退試合だったということもあって、部長はあれ以来一度も道場に顔を見せなかった。それが今日、ふらりと現れ、何も言わずにずっと打ち込みを繰り返していたのだった。
 部長の目が、ほくとを捉える。
「ほくと」
「は、はいっ」
「あの時のは……いい太刀筋だったわ」
 その目は思いの外、優しかった。
 ぷいっ、と顔を背けて更衣室の奥へ行く部長を見送り、しばし、ほくとと洋子はお互いに顔を見合わせていた。
 が、やがてにかっと笑うと、お互いの手のひらを軽く叩き合わせた。

(終わり)

投稿者 darkcrow : 2006年06月28日 21:22

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