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2006年06月07日

 ■ スコアアタッカー

 なんか悲しくなりました、俺。
 シャーペンの背を噛みながら、俺は机の上のプリントの束を見下ろした。どこかの予備校が出している、センター模試の問題プリント。I+A、II+B、二科目合わせて、与えられた時間は100分。95分が既に過ぎ、最後の一問を解き終わったところで、俺は深く溜息を吐く。
 センター試験の問題なんかを真剣に全部解いたのは、それこそ本番以来、六年ぶりだ。昔取った杵柄で、自信たっぷりに挑んだ試験。俺はウンザリしながら点数をざっと概算する。
(85……いや、80ギリギリか……)
 あの頃なら、数学で95%を下回るなんて考えられなかった。それが今ではどうだ。カンも働かず、公式も記憶の奥から引っ張り出しながら、やっとこ問題に立ち向かっている状態。頭の回転も遅い。見直しをする暇さえなかった。
(老いたな……)
 シャーペンの先でガリガリと頭を掻きむしる。痛痒いを通り越して痛いばかりの感触も、自分に対する戒めだ。
 さて、いい年してなんでテストなんか受けているのかというと。
 そのものズバリ、採用試験である。
 子供がまだ一人もいない、昼間の自習室。以前勤めていたのとは比べものにならないほど規模の大きな塾に、俺はいた。講師として採用してもらうための面接に来たのである。挨拶した俺に、まず真っ先に課せられたのが、学力を見るための試験というわけだった。
 前に勤めていたところとは違って、ここは受験専門の進学塾。講師に学力がなければ話にならない。なるほど、よろしい。力の片鱗を見せて進ぜよう。すっかり慢心に取り憑かれていた俺は、意気揚々と試験に取りかかり……
 結果、このざまだ。

「うん、こんだけ学力あれば十分だね」
 面接官の若い社長が、満足げに頷く。
(全然十分じゃないわい)
 だが俺は、ちっとも嬉しくなかった。
 そりゃまあ、教壇に立って教えるためには、得点能力はさほど重要ではない。授業前には予習を完璧にしておくのだから。要するに、授業計画を立てるのに十分なだけの基礎力があれば、それでいい。
 80点や90点なんていうレベルになると、それ以上得点を高めるためには、学力以外のものが必要とされてくる。すなわち、反射神経と習い性。そんなもの、点を取る以外、何の役にも立ちはしない。
 だから、これで十分だという社長の言葉は、まったくもっともだ。理屈では俺もそう思う。
 でもそんなことが、一体どれほどの意味があるだろう。現実に、俺は不満だった。
 95点が取りたかったし、取らなければいけないと今でも思っている。
 全然十分じゃないわい、と思ってしまっていて、なおかつその気分をぬぐえないのが、俺の現実。

 というわけで、今俺はこうしている。
 説明するまでもあるまい。お勉強である。ずっとしまっておいた高校時代の参考書を引っ張り出して、片っ端から問題に取りかかっているのだ。白かったルーズリーフがみるみる文字で埋まっていく。整然とした数式が、完璧な論理で紡ぎ上げられていく。論理の糸を絶えることなく紡ぎ続けたその先に、俺の求める物がある。目に見えるところに目指すゴールが存在している。
 この快感!
 取り憑かれたように問題を解きながら、俺は気持ち悪いくらいににやついていた。こうしていると、それまでおぼろげに感じるだけだったあることが、実感となって胸の中に浮かんでくるのだ。
 極端に……ひどく極端に言ってしまえば、俺はどうでもいいのだ。
 ごはんを食べることが。お金を稼ぐことが。車を手に入れるとか、家を手に入れるとか、そういうことが。そりゃあ、旨いものを食べれば美味しいと思う感覚はある。お金を貰って嬉しいという感覚もある。ただ、その奥には常に、「でも、ないならないでいいや」という感覚がついて回っていた。
 別に一食くらい食べられなくてもいいや。大金払って特別に旨いもの食べなくてもいいや。
 お金、あったら何かに使うだろうけど、必死に稼いでまで欲しい物はないな。
 それが俺の感覚。
 要するに。
 講師として仕事ができるかどうか、ということより、たとえ実害はなかろうとも、スコアが以前よりも低くなったということのほうが、俺にとっては重大事なのだ。

 脳みそが灼き切れている。スコアアタックの快感で。
 俺はにやつきながら、論理の糸をもう一段、紡ぎ上げた。

投稿者 darkcrow : 2006年06月07日 01:00

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