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2006年04月30日

 ■ アオサギ

 不採用だった。
 派遣会社の担当者が、電話口で猫なで声を出した。俺は何の感動もなく生返事をしていた。向こうは必死である。派遣会社は、人材を派遣しなければ金にならない。有能な人材は、できるかぎりモチベーションを高めた状態でつなぎ止めなければならない。
 俺は商品というわけだ。
 だがその当の商品はというと、冷めたもので、反対側の耳を掻きながら、交渉の顛末を聞くのである。
『能力も年齢も全く問題ないということなんですがねえ……』
 そりゃどうも。
『結局最後まで悩まれてたのが、大学を卒業されてないということでして』
 なんだか、前にも似たようなことを言われたぞ。あの時も、そういうことを言われて、塾に採用されなくて、結局バイトやってたところに落ち着くことになったんだ。
『ほら、面接の時にいた、体育会系の方がいたでしょう……あの方が言うには、「卒業したほうがいいよ、もったいない」と心配されてて』
 溜息も出なかった。

 大きなお世話だ。
 俺はベッドにごろりと横になった。天井の木目を、ただなんとなく見上げながら、じっと考え込む。どうせ雇わない人間についてのコメントである。どこか気に入らない所があるのを、適当に誤魔化して言っているだけ。姑息な言い回しだ。
 もし仮に、本当にそういう心配をしていたとしても、それこそおせっかい以外の何物でもない。
 くだらない。どっちにしたって。
 とはいえ――
 俺の右手が塔のように屹立し、ふらふらと頭上を閃いた。
 もったいないと思われること自体は、仕方がないのだろう。自分自身でも、可能なら通い直すつもりでいるのだから。まだ、心の中に根強くコンプレックスとなっているのだから。他人がそれと同じようなことを考えるのは、当たり前だ。
 しかし、もったいないと思うのは、案外はたで見ている人間だけだったりするものだ。当の本人にとっては余分な脂肪へと変わりつつあるものが、他人には貴重な財産に見える。どちらが正しいかは、ケースバイケースとしか言えないだろうが。
 嫌な気分だった。
 ウソかホントかも分からない言葉に、自分のコンプレックスを正面から突かれるというのは、溜まらなく鬱陶しかった。
 俺はベッドから起きあがり、外へ急いだ。
 こんなときは、体を動かすに限る。

 ベコベコにへこんでいたタイヤに空気をぶちこみ、久々に自転車をこぎ出す。僅か数分で太股が痛みだした。無理もない、もう2年も自転車には乗っていなかったのだ。日頃どれだけ運動不足になっていたことやら。俺は痛みに耐えながら、必死にペダルを漕いだ。
 街中から、国道の下をくぐり、田園地帯へと抜けた。
 丘の麓は、見渡す限りの田んぼである。所々に建つ農家のそばでは、トラクターがディーゼル・エンジンを唸らせている。そろそろ田植えの準備の時期だ。スミレの花が、くすんだ田んぼを、可愛らしい紫に染めている。やがてはトラクターがこのスミレの花を踏みつぶし、土の中に混ぜ込んで肥料にするのだ。
 大昔から、毎年毎年繰り返されてきた、素朴だが確実な営み。
 風に揺れるスミレの花に、思わず笑みを浮かべながら、俺は農道を走った。用水が、サワサワと澄んだ水を流していた。耳にはいるのは、冷たそうな水音、はるか彼方のエンジン音、微かな風の声。そして――
 ぎょえー。
 俺は顔をしかめた。聞き覚えのある声だ。こののどかな雰囲気を台無しにする間抜けな声は、世界広しといえども奴しかいない。
 自転車を停め、首を巡らせる。……いた。用水の岸にうずくまる、高さ1m近い大きさの、ラグビーボールのような影。全身がふかふかしていて、片面が白く、片面が金属的な蒼に彩られている。奴は、畳んでいた首をにゅっと伸ばして、俺の方を見た。そして一声、ぎょえーと鳴く。
 アオサギだ。
 風が止まった。
 俺とアオサギは見つめ合い――いや、睨み合い――
 アオサギが、ゆらり、ゆらり、と一歩ずつ歩いた。俺を牽制しているふうにも見えるが、のんびりした動きだった。だが、それでいて一片の隙さえない。尖った視線で俺を釘付けにしながら、また一歩、また一歩、用水に沿って歩みを進める。
 と――
 アオサギは矢となり飛び降りた。用水から水しぶきが立ち上る。ばさっ! とけたたましい音が響いたかと思うと、次の瞬間、アオサギは巨大な翼を羽ばたかせ、大空へふわっと浮かび上がった。そのまま風に乗って、弧を描きながら滞空し、やがてすとんと田んぼの中に降り立つ。
 その嘴には、用水の鮒がくわえられていた。
 ――すごい。
 あの間抜けな声、のたのたした動きからは想像もできない、稲妻のようなマニューバ。僅か半秒ほどの間に獲物をしとめ、優雅に空を舞う。俺は、アオサギが鮒を飲み込むさまに、ぽかんと口を開けたまま、見とれていたのだった。
 それは、素早く確実に獲物を捕らえる、紛れもない仕事師の技だった。
 すごい。
 もう一度俺は思い、何度も何度も、アオサギの姿を脳裏に描き続けた。

投稿者 darkcrow : 2006年04月30日 02:04

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