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2006年04月21日

 ■ 自発的少女久依子 1

 朝――眩しい白い光。
 東京郊外の一軒家は、住宅街の中にちょこんと佇んでいる。白いレースのカーテン越しに、温かい陽射しが飛び込んでくる。外は極寒の冬だ。しかし、この陽射しの暖かさは、家の中を春の温もりに満たしてくれる。
 パジャマ姿の久依子は、
「んーっ!」
 と甲高い声を挙げながら、大きく背伸びした。久依子は14歳。今度の4月からは中3だ。その割には、体型も体格もイマイチ子供っぽい。背は低いわ体つきは細っこいわ、格好次第では男子と間違われることすらある。
 ともかく、その久依子は、朝のニュース番組を見ようと今のテレビを付け、
 そこに映し出された映像に絶句した。
『ただいま、魚津市の大光寺という所に来ております。国道8号線に隣接した住宅地なのですが……ご覧の通り』
 テレビのリポーターが、緊迫を装った声を挙げる。カメラがぐるりと向きを変え、リポーターの後ろに広がる、一面の荒野を映し出した。
 荒野。
 そこが街だったことは、一目で分かる。柱。窓硝子。車。そんなものが、残骸と化して、ただ転がり積み重なっている。家らしい形を保っている建物はほとんどない。さらに遠くの空には、黒煙が細々と立ち上っている。あれは火事か? いや、炊煙だろうか? どちらにしたって……
『異常事態になっています。道路網は寸断され、物資の輸送などは完全に滞っています』
『斉藤さん? スタジオの三村です。この季節、日本海側は大変な寒さだと思うのですが、その点はいかがですか?』
『はい。もう……風も強いですし、大変冷え込んでいます。住民の皆さんは公園に避難しまして、あのように……あちら、煙が見えると思うんですが、焚き火をして、体を温めているといった状態です』
「やあ久依子、おはよう。……久依子?」
 寝ぼけ眼を擦りながら居間にやってきた父にすら、久依子は全く気付かなかった。目の中に、地震によって見るも無惨に崩壊した街並みが焼き付いていた。体が疼く。体の芯から、何かが迸ってくる。
『はい……ありがとうございました。大変な状態のよう……ですね。えー、もう一度繰り返しお伝えします。昨夜未明に発生した地震ですが、震源地は富山湾沖30kmの地下15km、地震の規模を示すマグニチュードは7.0。富山県の一部で、震度は最大7を記録しています。今後も強い余震が起きる可能性がありますので、十分注意してください。また余震の際、沿岸地域では津波が発生……』
「おはよう……あら、どうしたの? 二人して突っ立って」
「地震だって」
「ええー? 怖いわねえー」
 母ののんびりした声も、もう久依子の耳には入らない。久依子は飛ぶように居間を後にすると、二階の自分の部屋へ駆け上がった。タンスの中身をひっくり返して、必要な荷物を揃えていく。服。動きやすいもの。荷物。食料、照明、電池、十徳ナイフ、財布、携帯、寝袋、毛布! 全部纏めて馬鹿でかいリュックサックに詰め込むと、それを背負いながら、今度はバタバタと階段を駆け下りる。そのまま玄関に飛び込むと、とっておきのトレッキングブーツに足を通した。
「ちょっと、久依子? どうしたの?」
 母が心配そうな顔をして、玄関にやってきた。久依子は靴ひもをキュッと結ぶと、剣のようにすっくと立ち上がる。
「富山に行ってくる」
「ええーっ!?」
 思わず母は声を裏返した。
「なんでえー!?」
「あんな有様を見せられて、放っておけるか。私にだって、手伝えることがあるはずだ!」
「でも久依子っ! 危ないし、それに、学校は……」
 久依子の真剣な眼差しが、母を真正面から貫いた。
「今それどころじゃないっ!」
 そして久依子は玄関を押し開け、外の世界へと飛び出した。寒風吹きすさぶ外界へと。

 飛び出した……までは良かったのだが……
 交通機関もまともに動かない中を、久依子はやっとの思いで富山まで辿り着いた。そこには、テレビで見るよりも遥かに無惨な光景が広がっていた。久依子は意気揚々と避難場所へ駆けつけ、「ボランティア活動」を始めたのである。
 ……が、しかし。
 住民を手伝って、崩れた家の片付けをやっていたら、手に大きなトゲが刺さった。
 トゲと言うより、木片が突き刺さったと言った方がいいかもしれない。それほど大きなトゲだ。手から血を流す久依子を見て、住民が慌てて治療してくれた。なけなしの薬を惜しみなく使って。
「どうしたっちゃ? 軍手持っとらんがか?」
 治療してくれたおばちゃんに言われ、久依子ははっとした。そりゃそうだ。こういう仕事をするなら、軍手くらいはしておかないと、手を血だらけにするハメになる。家を飛び出したときは、そこまで考えが回らなかった。
「持っとらんがけ? なん、こー使われま」
 そういって、おばちゃんは白い軍手を貸してくれた。
 その後も最低だった。夜が来て、いざ眠るという時になって、久依子が寝袋で寝るつもりだったと知った周囲の人々が、一斉に悲鳴を挙げたのである。
「だら! そんなんで寝たら凍死するがいぜ」
「体育館、まだ空いとうがやったっけ?」
「詰めたら空くちゃ」
「あ、あのー……」
 おずおずと久依子が声を挙げるも、もう誰も聞いてはいない。気が付けば、避難場所の体育館には、久依子の寝るところが用意され、数少ない毛布さえもあてがわれた。
 その夜、寒さに震えながら、久依子は自己嫌悪に陥った。何考えてたんだろう。助けるつもりでここまでやってきて、何の役にも立たないばかりか、かえって世話になってばかり。何やってるんだろう。
 ホント、何やってるんだろう……

 というのが、一週間ほど前の話。
「あ、あはー……そおりゃあ気まずいわあ……」
 昼下がりの教室で、親友の恵美は、引きつり笑いを浮かべながら言った。
 昼休みの喧噪が救いだった。そりゃ、久依子が学校に来るのは、実に一週間ぶりである。紺色の制服に袖を通すのが懐かしい気すらする。ずっと動きやすいパンツスタイルだったので、久々のスカートに、足下がスースーして困る。
 そんな様子だから、一体一週間も何をしていたのかと、知人友人から質問攻めにあうのは目に見えていたのである。
 話せば長くなる……ということで、一度ははぐらかした。だが学校のシステムは残酷である。昼休みともなれば、その言い訳も通じない。やむなく、購買のジャムパンかじりつつ、苦い思い出をポツポツ語る久依子に、最初は興味津々だったみんなも、今ではこの通り。
 じゅるる、と久依子は紙パックの牛乳を啜った。死んだ魚のように淀んだ目で、ただ一人だけ残った観客、恵美の顔色をちらりと窺う。
「そんな顔しないでくれ……バカは承知だ……」
「まー、いーんじゃないのー? あたしら所詮は中学生なんだし、大したことができるわけないしさ? 行動することに意味があるっつーかあ」
「偽善なんだよ」
 ぎくりとした。
 久依子は弾かれたように、後ろを振り返った。一体いつからそこにいたのだろうか。長身の男が腕組みして立ち、久依子を、侮蔑するような目で見下ろしていた。
 こいつの名は晶(あきら)。学年でも指折りの成績優秀者……だが、決して優等生ではない、というやつだ。何かにつけて社会のしきたりや権威に唾吐くアナーキストで、とにかく口さがない男。しかも、その発言が的を射ているだけに、みんなからは遠ざけられている。そういう奴だった。
「馬ッ鹿馬鹿しい。本当に助けたいなら、バイトでもして稼いで、その金を全部募金するのが一番だ。金はいくらあっても困りゃしねえからな。だいたい、現地に駆けつけたところで、訓練も受けてないボランティア風情が、役に立つわきゃねえんだよ」
 ぐさり、ぐさぐさ。
 いちいち、晶の言うことが久依子の胸に突き刺さる。
「そんなことも考えないで突っ込むのは、要するに自分のことしか考えてねえんだ。助けてあげた、って自己満足したいだけの偽善なのさ」
「ちょっと!」
 ばん! と机を叩き、恵美が立ち上がった。長い黒髪を怒りに震わせ、ものすごい剣幕で晶に食ってかかる。
「そういう言い方ってないんじゃないの!」
「優しい言い方すりゃあ、災害地にわざわざ迷惑かけに行ったって事実が消えるのかよ?」
「あっ……!」
 怒りっぽい恵美のことである。もう我慢の限界らしかった。猫のように身を縮め、下から伸び上がるように掴みかかった。だが、その腕を、横から伸びてきた別の腕が阻む。細く白い、弱々しい腕。久依子の腕だった。
「久依子ぉ!」
「ごめん……いいよ、恵美……」
 それだけ言うのがやっとだった。
 ふん、と鼻息だけ吹いて、晶は教室を出て行った。恵美は、獲物を逃したのを残念がってか、舌打ちしながらイスにどっかり腰を下ろす。教室の中は何事もなかったかのように、いつも通りのバカ騒ぎを続けている。
 なのに、久依子の心だけが冷え切っていた。
 偽善。
 その言葉の響きが、久依子をじわじわと蝕んでいた。

投稿者 darkcrow : 2006年04月21日 23:30

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