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2006年04月17日

 ■ チューリップと備前焼

「チューリップ?」
「うん」
 何となく台所に入った俺を出迎えたのは、腕組みした母と、ガラスの花瓶、そして新聞紙の上に寝そべる三輪のチューリップだった。真っ赤なチューリップはまだ蕾が閉じた状態である。しばらくすれば、綺麗な花を開くだろう。
 が、しかし。母は、チューリップをそっと花瓶に差してみるのだが、どうも具合が良くないらしい。素人の俺の目から見ても、それは分かる。
 花瓶のサイズに対して、チューリップの茎が長すぎるのだ。花瓶の口からひょろりと伸びたチューリップは、柳のようにしなだれて、ぶらぶら揺れている。いくらなんでも、これじゃ不格好すぎる。
「どうしようか?」
 母が困り顔で相談してくる。俺は頭を掻きながら、
「茎を詰めたら、葉まで切り落とさなきゃならないよね」
「うん」
「……花瓶、大きくしたら?」
 その位しか、解決策はないように思えた。
 しかし。
 母が倉庫を漁って引っ張り出してきた花瓶は、あろうことか大きな備前焼だった。
 呆然とする俺に、母は笑いながら言った。
「大きい花瓶って、これしかなくって……」
 備前焼――焼き物の中では有名な部類に入るから、誰もが名前くらいは知っているだろう。かつての備前国、現在でいう岡山県東部で作られていた、美術品としても骨董品としても評価の高い陶器である。
 その一番の特長は、上薬を一切塗らない素焼きである、というところにある。普通は着色もしない。焼くときに、燃料の藁がかかった部分が、線のような模様となって焼き上がる。あるいは、炎の具合によって、微妙なグラデーションが作られる。そんな自然に浮かんだ色合いを楽しむものなのだ。
 しかし、備前焼の本当の深みは別にあると言われている。
 備前焼は素焼きであるがゆえ、表面に、目に見えないほどの細かい穴が空いている。日常生活で使われるうちに、その穴を通って、さまざまな物質が表面に浮かんでくるのである。こうして浮かび上がった模様は、落ち着いた深みのある色合いを見せ、備前焼の真の味を呼び覚ます。
 だから、焼き上がったばかりの備前焼に価値はなく、ただ飾られているだけの備前焼にも価値はない。何十年、何百年もの間、ずっと大切に使い続けられた備前焼こそが、最も価値あるものなのだ。
 うちにある備前焼の花瓶は、俺が生まれるより前から、使い続けてきたものである。さすがに、美術館に納められているような、室町時代やら何やらの古備前に比べれば、まだまだひよっこもいいところだ。とはいえ、二十年以上の時間は、伊達ではない。しっとりとした、僅かに艶のある黒が、風格を感じさせ始めている。そんな花瓶だ。
 そんなものに、若々しい真っ赤なチューリップの蕾。
「なんか……変!」
「うんまあ……変!」
 俺と母は、二人してうなずき合った。
 だが俺は、備前焼の上でしゃきっと背筋を伸ばすチューリップに、目を奪われていた。変は変。アンバランスと言われれば、否定しようもない。だが、この赤い蕾が妙にかわいく見えるのは気のせいだろうか?
 なんだか、背伸びして大人ぶってる少女みたいな。
 俺は笑みを零しながら、母に言った。
「でも、このままにしようよ」
「そう?」
 母は納得しないふうだったが、しぶしぶ、アンバランスなチューリップと備前焼を、テーブルの隅に飾った。
 俺はその前にしゃがみ込むと、花を指で突っついて、ゆらゆら揺れるさまを、にやついたまま見守っていたのだった。

投稿者 darkcrow : 2006年04月17日 01:38

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